大学の外にて
 
 生老病死が仏陀出家の原因であることはよく知られているところですけれど、煎じつめれば、生死こそ仏法の根本課題と言えるでしょう。生まれて来て死んで行くことこそ、人間である限り、誰もが避けることの出来ない運命です。そして、宗教はどんな宗教であれ、まさしくその解決策をそれぞれに提示しているもののはずです。
 深信因果とは、生があるから死があると、生死に関わって応用すれば言えるでしょう。その生死の間、つまり生きているわたくしたちはいわゆる社会的存在として、意志を持ち、目的意識を持って、人生を全うするように求められているのです。
 「そんなことは分かっているわ」とあなた。「だけれど、そんなことばかり考える人って暗いな」
 「明るいことと暗いこととどちらが本当かと言えば、暗いことなんだぜ」とわたくし。「たとえば、宇宙の本当の姿は夜にならないと分からないようなものさ。昼間は太陽の光が強すぎて、みんな目眩ましを浴びているんだ」
 「でも、それが生きているってことでしょう」
 「生きているうちに本当の姿を知ることこそ、人間に生まれた最大の幸福じゃないのかな。仏教だと生あるものはみな平等だけど、知るってことは人間だけの特権だもの。有効に使わない手はないよ」
 「そんなことにばかりにうつつを抜かしていると、孤独な人生を送ることになるわよ」
 「そんなことはなかろう」
 「たとえば、わたし」とあなたはテーブルの上に艶やかな顔を突き出しました。「あなた、わたしが好き?」
 「もちろん」
 「わたしと仏教と、どちらが好き?」
 「はははは」とわたくしは笑ったものです。「そんなこと、比較できないよ。夜と昼とどちらが好きかと尋ねられても、夜も昼も必要ですと答える他ないようなものだろ」
 「さっきのあなたの話だと、夜の方が大事みたい」
 「夜にならないと、楽しいことが出来ないからね。もちろん、昼間でもかまわないけれど」
 当時はミニスカートの流行していた時代でした。スタイルのいい、背の高い、スラリと長く伸びた脚を喫茶店のしゃれたイスに坐って組み合わせたあなたのその白い太股の輝きは、今もわたくしの脳裏に鮮やかに焼き付いています。意識的か無意識か、その脚を組みかえ、背もたれにもたれかかって、遠くを見つめる表情で、
 「わたしはイヤよ」とあなたは言いました。「わたしはわたしを求める男と一緒に寝たいの。2分の1なんてまっぴら!」
 「ボクはそんなことは言わなかったぜ」
 「今言ったばかりじゃないよ」
 「そうかな?」
 「ふう!」とため息を吐いたあなたは、チャラチャラと音のする派手な金鎖の付いた小ぶりのショルダーバックの中からタバコを白い細い手でそっとつまみ出し、「ふう!」と白い煙を吐き出しました。「まあ、それはそれで1つの個性ではあるけれど、あまり色気はないわよね」
 「そうかも知れない」
 「わたしたちってどういう仲かしら?とうてい未来はないかもね」
 「そんなこと、誰にも分からない」
 「あなた、本当に寺を継ぐ気?」
 「それも誰にも分からないな」
 「わたしは寺の奥さんになるのはイヤよ」
 「その気持ちはボクにも分かる。ボク自身、イヤなんだから」
 「じゃあ、さっさと思い切ればいいじゃないの」
 「うーん」
 「未練っぽい人って好かれないのよ」
 「仏教って不思議なんだよ」とわたくしは半ば独り言のように言いました。「葬式と法事で寺は維持できているわけだから、いわゆる葬式仏教であることには違いないけれど、それって人間にとって普遍的に必要な儀式である気もするしね。それとともに高度な思想体系でもあるわけで、その間の溝は確かに深いけれど、それがまた魅力なんだな。そんなものってそうそう世の中にないと思う」
 「あなたの寺は親鸞だったかしら」
 「そう」
 「じぁあ、わたしの家と同じだ、多分。親鸞って確か肉食妻帯の人よね」
 「そう、よく知ってるな」
 「日本史の教科書にゴシック体で書いてあったじゃない。わたしのは単なる受験知識」
 「まあ、だけど、今のボクにはちょっと付いていけない部分もあってね。いくら歎異抄を読んでも、そりゃあ感動的な本だとは思うけれど、あれだと別に仏教である必要もないんだよ。キリスト教であっても、あるいはマホメット教でもかまわない」
 「別にどの宗教であるかにこだわる必要はないでしょう」
 「そうかな」
 「そりゃそうでしょう。信仰にそんな形式なんて関係ないはずよ」
 「そういうことじゃなくて、ボクはやはり宗教は生死の問題が根本だと思うし、その解決策が仏教は独特で魅力的だと考えているんだ。だけれども、それが歎異抄では見えて来ない。いわゆる信心ばかりか強調されている気がする」
 「要するにそれが親鸞の教えじゃないの?」
 「だから今ひとつ乗り切れないんだよ」
 「確か親鸞には教行信証って本がなかったかしら?」
 「うん。ある」
 「それが親鸞の代表作で、歎異抄は弟子が書いたものだって習わなかったかな?」
 「その通り。すごい受験知識だな!」
 「じゃあ教行信証を読んでみた?」
 「あれ、面白くないんだ」
 「だけど、その本が理解できないと、親鸞の本当の思想は理解できないってことにならない?」
 「その通り!」とわたくしはうなずき、テーブルの上のコーヒーカップに残ったコーヒーを一気に飲み干しました。
 赤い煉瓦枠の窓の外はまだ肌寒そうな3月下旬の空でした。大学通りの4つ角を行き交う学生の姿もまばらです。大きな楠は風に揺れて深いさざめきを見せつつ、光を滑らせ、霞がかった空に午後の太陽が白く浮かんでいます。確かに自分にはまだまだやることがあるんだなと、あなたの差し出したタバコを1本、口先でくゆらせながら、その時わたくしは感じたものでした。