都市を描いた画家たち どこをどう描いたか
松本竣介 <Y市の橋> たくさんの同じテーマの作品があり、戦争の傷の痛ましい爆撃を受けた橋の作品もあり、胸が痛くなる思いです。
竣介にとって<Y市の橋>は特別の意味を持っていたのでしょうか。
彼の生きた時代から考えれば 新宿区中落合から横浜までの距離を通って、何点もの<Y市の橋>を残すことに何か意味があるのでしょうか。特別に有名でもなければ、デザインが変わっているわけでもな、どうして竣介にとってこの橋が描かれる対象に、描かずにはいられない対象になったのでしょうか? その他にもたくさんの都市を描いた作品があります。<立てる像>のうしろに描かれている「目白変電所と田島橋」や「ニコライ堂」「共立女子大学」「神田カトリック教会」「新宿のガード」「五反田駅」など。その中でもJR横浜駅近くの月見橋と跨線橋をモチーフに描かれた作品<Y市の橋>は最も多く描かれています。
松本竣介にとっての都市風景の最初のものは、少年期を過ごした盛岡の風景でした。辰野金吾の岩手銀行が竣工したのが1911年。東京から家族とともに盛岡市の紺屋町に移ってきたのは1922年。竣介は小学生。盛岡蓄財銀行の竣工の時は、竣介は15歳になっていました。盛岡蓄財銀行は父の勝身が創立に参加していたために、建物の誕生をつぶさに見ていたという可能性もあります。
紺屋町は、創業170年の荒物屋「茣蓙久」(ござく)や番屋という古い建物と、ハイカラな煉瓦や石造りの銀行が共存するような町だったのです。
横浜の月見橋<Y市の橋>を臨む 右に公衆便所
松本竣介の描く<Y市の橋>のアングルと同じような写真を
撮るのはむずかしいです。青いのが跨線橋、その下あたりが
月見橋。それから右の公衆便所。公衆便所は新しいものですが、
基本の形は変わっていないようです。
<Y市の橋>昭和17(1942)年
跨線橋と月見橋、右手が公衆便所
目白変電所(東京都新宿区) <立てる像>昭和17(1942)年
後に見えているのが目白変電所
神田一ツ橋講堂と如水会館の裏雉橋付近からの写真
(現在はこの風景は存在しません) 
<市内風景>昭和16(1941)年
右の写真の方向から見たところ
 
新宿駅南口(現在はこちらの風景も存在しません)

1923年に林芙美子が佇んでいた場所「モダン都市東京
−日本の1920年代 海野弘)
 
<ニコライ堂と聖橋>(1941) 東京国立近代美術館収蔵 宮城県美術館と愛知県美術館にも<ニコライ堂>という作品がある
<ニコライ堂>昭和16(1941)年
1912年(明治45)東京府豊多摩郡渋谷町に佐藤勝身とハナの次男、佐藤俊介として生まれる。俊介が生まれて1,2年で一家は芝区田町へ転居。その後、花巻へ移る。1922年(大正11)盛岡へ移転。岩手県師範学校付属小学校(現在の岩手大学教育学部付属小学校)に転校。1925年岩手県立盛岡中学校の入学と同時に、流行性脳髄膜炎にかかり聴覚を失う。盛岡中学の頃から絵を描き始める。1929年上京し太平洋画会研究所(注1)に入学。
(注1)研究所は現在の下谷区谷中真島町にあり、指導陣は鶴田吾郎

野田英夫 
1908年(明治41)アメリカ合衆国・カリフォルニア州に日系移民の子として生まれる。子供の教育は日本でとの両親の方針で叔父の家に預けられ1926年(大正15年)渡米。オークランドのピードモンド・ハイスクールに入学。美術クラブに所属。
 

長谷川利行  街をさまよい、街に生き、そして街に死んで行った画家。下町の風景を歩きつづけ描き続けた画家。享年42歳。京都に生まれ、同人雑誌を発行して詩や小説を発表。
<田端発電所>(1926)  <地下鉄ストア>(1932) <新宿武蔵野館付近の景>(1936) <新宿風景>(1937) 東京国立近代美術館収蔵
 

 


岸田劉生 父吟香は幕末・維新期の起業家、文筆家として知られ銀座通りに薬種商を営んでいました。
劉生は当時住んでいた銀座通りの生家の周辺を描いていています。           
<築地居留地風景>(1912) 同じタイトル・同じ制作年の作品があり、他にもあるかもしれません。 
<築地居留地>(1913) 笠間日動美術館収蔵  <虎ノ門風景>(1912)下にある木村荘八<虎ノ門付近>と画架を並べて描かれる。
<虎ノ門風景>(1912) <街道(銀座風景)>(1911頃)

藤牧義夫 館林から上京してきたひとりの少年が見た都市の風景とは。東武鉄道に乗って浅草に到着した藤牧の見たのは、隅田川とその川にかかる鉄製の橋でした。                            
<給油所>(1933) 館林市立資料館収蔵  <鉄の橋>(1933) 館林市立資料館収蔵
<都会風景>(1932) 東京都現代美術館収蔵  <橋>(1934) 東京国立近代美術館収蔵
<夜の浅草六区>(1934)  <清洲橋>(1934) 東京国立近代美術館収蔵
<新議事堂>(1933) 東京国立近代美術館収蔵  <白ひげ橋>(1935) 館林市立資料館収蔵
<まくら橋>(1934) 館林市立資料館収蔵  <隅田川両岸絵巻>(1934〜1935?) 東京国立近代美術館/東京都現代美術館収蔵
1911年(明治44)邑楽郡館林町大字1006番地に生まれる。小学校に入学した頃から早くも画才を発揮し、友達の間でも話題になっていました。16歳で上京し、独学で商業デザインを学ぶ。17歳でトレース工として就職。1929年、18歳の時にたまたま手にした平塚運一の「版画の技法」を読み、版画制作を試み始めました。

<隅田川両岸絵巻>は全4巻からなる絵巻です。しかし第1巻はこの絵巻のタイトルからは少し外れている。第2巻からは隅田川を上流から下流へと描かれています。

第2巻は白髭の巻
 
第3巻は「商科大学向島艇庫より三囲神社」


今戸橋
第4巻はナンバーもタイトルなし「浜町公園から相生橋」
万年橋や上の橋も描かれています。

豊海橋

柳瀬正夢  愛媛県松山生まれ 1911年家族とともに福岡県門司市(現北九州市)に移る。                            
   

      


村山槐多                                                                          
<田端の崖>

 

 


関根正二 風景画の数は多くはない。9歳で移り住んだ東京の深川(現在の江東区住吉)を描いた作品が何点かある。
菊川橋は関根正二のくらしていた棟割り長屋からすぐの
ころにある。平凡で見慣れた生活の場を描いている。
<菊川橋辺り>(1915)福島県立美術館寄託  <砂村石渡牧場>(1915)島県立美術館寄託
<砂町風景>(1916) 信濃デッサン館 <菊川橋>(1916)福島県立美術館

萬鉄五郎<仁丹とガス塔>(1912頃)<南湖院> 岩手県立美術館収蔵
川上凉花<鉄路>(1912) 1903年に開通し1909年に電化された山手線の大塚付近を描く 東京国立近代美術館収蔵
木村荘八<虎ノ門付近>(1912)浅野徹氏により描かれている建物は海軍省ではなかったかと推察されている。個人蔵
鈴木金平<有楽町付近>(1913) 1910年に品川−有楽町間に開通した煉瓦作りの高架線と1908年に開場した有楽座を描く 東京国立近代美術館収蔵

彼らの作品は下の美術館で見ることができます。
● 盛岡市…岩手県立美術館松本竣介][萬鉄五郎 公式サイトがあります 
 
● 岩手県…萬鉄五郎記念美術館萬鉄五郎萬の故郷にできた記念館、素描や日記を収蔵。 
 
● 宮城県…宮城県立美術館松本竣介][萬鉄五郎][野田英夫 洲之内徹コレクションに秀品が多くあります。
 
● 福島県…福島県立美術館[松本竣介][村山槐多][関根正二
 
● 東京都…東京国立近代美術館松本竣介][野田英夫][村山槐多][藤牧義夫][萬鉄五郎 常設展でいつでもかれらのどの作品かに会えます。公式サイトがあります 
 
● 桐生市…大川美術館松本竣介][野田英夫 桐生市の小高い丘の上にある美術館です。公式サイトがあります 
 
● 鎌倉市…神奈川県立近代美術館村山槐多][松本竣介わが国ではじめての近代・現代美術館として昭和26年に誕生。 
 
● 上田市…信濃デッサン館村山槐多][野田英夫][関根正二][松本竣介 信州の鎌倉と呼ばれる塩田平の独鈷山の麓にある個人美術館。
 
● 愛媛県…久万町立美術館村山槐多][松本竣介][萬鉄五郎公式サイトがあります 

2006/7/9 komichi