■2010.12.1 だんしゃり?

 おっと、1か月近く放置してしまいました。
 巷で話題の「断捨離」ではないが、来月くらに引越でもしようと思い、今のうちからそろそろモノを捨てようかと。「とりあえず取っておこう」的なものが多いので。ついでに、体重も捨てようかと(現在、ベストより5キロオーバー)。
 別話題ですが、「アルファポリス」というインターネット上の読み物系サイトで、現在「エッセイ・ブログ」大賞というのをやってます。今年からは旅行記も含まれたため、「鐡旅」もとりあえずエントリーしてみました(まだ始めたばっかりですが、ま、気負いはなくお試し感覚です)。鐡旅のページの左下から辿って投票できますので(投票ポイントが大きい)、暇な時にでもお願いします。


■2010.11.8 当たった!

 今、岡山市内のホテルにいます。姫路文学館に行く予定があったので、それに絡めてプチ鐡しています。内容については、そのうち「鐡旅」のページで。
 表題ですが、応募していた「All About JR東日本ウィークエンドパス体験モニター」に当たりました。これで、タダで週末旅行できます。
 「当たった」といっても、やはり応募時に相応のテーマ(共催する鉄道会社が喜びそうなもの)を提案したからかと思います。移動日と人数は制限(応募時に記入した日時と人数)されますが、ま、タダですし。レポートと写真の提出も義務付けられますが、もとよりそういうのは得意ですし。ちなみに行先は長野の予定。


■2010.10.30 熱なし

 先週月曜の午後くらいから風邪でした。だんだん酷くなり、水曜午後と木曜を欠勤、なんとか金曜日は出勤したけれども、次の土日月と少し無理して旅行に出てしまった(かなり前から予定していたため、止めるわけにもいかなかった)。風邪はそのまま継続火水木金と継続してましたが、今朝、やっと少しだけ普通に戻りました。
 今日は季節外れの台風接近。しかし、会社の人と昇仙峡に行く予定だったため、無理して行きました。大雨で紅葉もまだ10%程度でしたが、台風なりの面白さもあった変な旅でした。お土産(自分用)は、定番のワインと鳥もつで。
 と、いう塩梅で、雑記のみで退散。


■2010.10.12 下痢あり

 九州の鐡旅から帰りました。今週中にはアップします(タイトルはそれ関係)。
 帰りの飛行機で、どう見ても99.99%藤井秀悟(ヤクルト→日本ハム→巨人)が。本人ぽいなぁ、と思っていると、後ろから、これはもう200%角盈男(巨人→日本ハム→ヤクルト)があああ。帰宅後、あわてて両人のブログを見たら、やっぱりどちらも宮崎帰りでした。うっかり前者の方には書きこんじゃった(ミーハー)。


■2010.9.27 下痢なし

 18日から8泊9日で、インドネシアの鐡旅をしてきました。現在纏めていますので、それらしくなったら載せます。あと1週間くらいはお待ちください。
 予想外に、現地では下痢などはいっさいしませんでした。まぁ、路地の物などを食べたりしなかったから(冒険しなかったから)でしょうけど。「らしく」なく、毎食ホテルのレストランなどで食べたりしましたが、その割に散財しませんでした。だって、一品あたり150円とか200円ですから。
 では、詳細は後日。


■2010.8.26 今日は考えない

 そういうわけで、脳がウニにならないため、今日は雑記です。
 昨日は所用で東大へ。せっかくなので、中央食堂で「赤門ラーメン」を食べてきました。汁なしで辛いあんかけが乗っていて、お好みで唐辛子やニンニクを追加する。…まぁ、一度食べれば充分かな。普段昼食を取らない自分としては、量はもっと少なくていい感じ。
 帰り道、イントネーションからして日本人じゃない人(たぶん中国人)から道を尋ねられた。
 「すみません、この近くにナカウありますか?」
 「え? 何が?」
 「ナカウです」
 「(聞き間違いかな? それとも日本語は同音異義語が多いから…、ナカウの同音異義語…、もしくはそれに近い音韻で外国人が聞きそうな語彙…、うーん、たぶんないな)ごめんなさい、わからないです」
 観光旅行で「なか卯」を目指す人はいないだろうから、きっと待ち合わせの目印か何かだったのだろう。
 それはとにかく、私は道を聞かれやすいタイプだ。あまり観光客らしいオーラを出していないからだろうか、北海道のとてつもない田舎の峠道や、小さな島でも聞かれたりする。挙句の果ては、シンガポールや台湾でも聞かれてしまう。どうしてかは、本当の理由はまだ不明だ。


■2010.8.14 さらに考えた

 昨年、趣味的な本を出したのにはいくつか理由がある。「しかるべ人たち」の目に止まってほしいという思いもあるが、根本には、自分という存在が他者に対して何かしらの影響を与えられるか、否か、というものがある(この件については、書くと長くなるので今回は省略するが)。
 所詮は自費に毛が生えた程度(流通だけやってもらっている感じ)、何部売れるかが問題ではないことは前にも触れた。外に出ている冊数も少ないため、反応も数少ない。それでも、いくつか個人的に嬉しい反応を得ることがあった。
 今年の1月には、ほんの数行だが東京新聞の書評欄で取り扱ってもらえた。またその後、福永武彦研究会のサイトにおいて、専門家から紹介してもらえた(これはかなりの衝撃だった)。そして昨日、出版社から封書が来たのだが、そこには読者からの葉書が入っていた。その内容は誤りの指摘(こちらも出版後すぐに気づいていた部分。日記の2009.9.15参照)であったが、このような体裁で他者から反応があったという事実が嬉しかった。とても丁寧な筆跡で、葉書もSL写真付きである。週明けにはお礼の手紙でも書かねばなるまい。
 上記にある「他者に対する影響云々」は、存在論的な話になってしまうだろうから、今日は、やっぱり略。


■2010.8.11 ふと考えた

 夏目漱石『草枕』の冒頭は、「山路を登りながら、こう考えた。智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。」という、有名な一節から始まる。
 私も先週末、久々に(本格的装備では初めて)登山をしていた。山を登るという行為は、「そこに山があるから」という大義名分が存在する以外、殊更に色づけできる意味合いがあるわけでもないから、下手をすると無口になる。ただ歩くという行為だけであるから、1人でいるとあれこれ考え込んでしまう。ただ、団体で登っていて、そこに他者という「自身を映す鏡」(久々にこの表現を使う)がいると、己はその心情を吐露するに至ることもある。
 人それぞれ(つまり、鏡もそれぞれ)、会話の内容は多様である。当たり障りのない日常的な雑情報や噂話に終始する程度の人もあれば、煩瑣な事情に振り回され「とかくに人の世は」について仔細な考えを抱いている人もいる。
 後者に該当する話もちらほら聞くことができたため、解決にはならなくとも、そのヒントになればと久々に駄文を綴る。
 他者の存在とは、多少の差異はあれど、基本的に「理解不能」なものである。どんなに好きな相手であっても、こちら側は相手の僅かな一側面だけで勝手に「この人は良い人」と判断しているだけであり、残りの部分は未知の部分である。もちろん、逆も言い得る。嫌いだと思っている相手も、実はその一側面だけで勝手に判断しているだけかもしれない。
 そんな理解不能な他者で溢れている世界で、人々は他者から発せられる言語に揉まれ、それに埋め尽くされ苛まされ続けている。快い言葉もあるかもしれないが、大抵は、こちらを押し潰そうとするだけのものだ。残念ながら、その重圧(ストレス)から完全に逃れることはできない。
 しかし、解決できないからといって、すべてを諦めた方がいいということではない。厳しい現実があること、そしてそれからの逃避もままならないこと、つまりは他者という魑魅魍魎が言葉という武器のもと日々こちらに襲いかかって来るという、それらについて、すぐに解決はできないが、「その理由を知ろう(理解してみよう)」とし続ける努力が、もしかしたら一つの解決に向かう方法なのかもしれない。なぜ、どうして、あの人はあのようなことを言うのか、という単純な問いに答えられるための努力を。
 ではその「努力」とは何か。それは一概に「これ」と定義できるものではないが、少なくとも、職場や学校等の日常の場では表現「できていない」、自分自身が本来表現「しようとしたかった」ことに係わっている可能性は高いだろう。上手い言葉が思い当たらないが、それは要するに、勉強することなのかもしれない。
 下手をすると、日常に流されてしまい日々の雑務だけで精いっぱいになっている自分がいて、終にはそれを根拠に自分がやりたかったことを蔑(ないがしろ)にしたり、さらにはそれを忘れたことにして看過してしまったりしている。でも、それで本当にいいのだろうか。別に悪いわけではないが、その結果その日常が自身にとって「すべて」となってしまい、他者による言語のストレスが自分の生活の大部分を占めてしまい、それらが覆いかぶさってしまい出口が無くなって袋小路に入ってしまうかもしれない。
 「学問」というと堅苦しいが、特に人文科学の多くは、畢竟するに「他者とのディスコミュニケーションはどうして起こるのか」という根本的な疑問への解決を模索している、と思う。文学もそうであろうし、心理学も社会学も哲学も言語学も、すべてそうであろう。疑問を解決しようとする切り口や方法論が、それぞれ少し違うだけである。
 あの人は、なぜ○○?という、単純な問いに答えようとするもの。そのための努力。学問。それは、たいていは日常の雑務や仕事とは、まったく関係のないものだ。
 その努力にしても、そうそう継続はできない。「三日坊主」の天才が、今まさにここにいて、こんな文章を書いている。
 ネット上の知り合いが、随分前に個人サイトに雑記を記していて、そこに書いていた内容をふと思い出した。ネタ元を探し、以下に添付する。茨木のり子さんの『自分の感受性くらい』である。

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ぱさぱさに乾いてゆく心を
ひとのせいにはするな
みずから水やりを怠っておいて

気難しくなってきたのを
友人のせいにはするな
しなやかさを失ったのはどちらなのか

苛立つのを
近親のせいにはするな
なにもかも下手だったのはわたくし

初心消えかかるのを
暮らしのせいにはするな
そもそもが ひよわな志にすぎなかった

駄目なことの一切を
時代のせいにはするな
わずかに光る尊厳の放棄

自分の感受性くらい
自分で守れ
ばかものよ

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 結局、人のせいにして言い訳をすると自身が楽になるから、人はすぐにそういう逃避に走りたがる。「実際に仕事が夜まで忙しいし」だの「子育てなんて一日仕事」と宣い、その言説に妥当性があると信じ切っている。しかし、世に名を残している人間が、すべてルーティンワークを持たず子どもを作っていないのか、という問いの答えは、もちろんノーだろう。中にはどちらも担いながら、さらに「他のこと=自分がやるべきことと信じていること」を確実にやり遂げている人がるのが事実である。挙句、「もう歳だから」などという、さらに意味不明な言い訳で逃避しようとする人もいるが、その線引きにはなんの根拠もないのは言うまでもないだろう。
 自分で「努力」することを捨て去り、それに理由づけをして、自分が本来やろうとしていたことも忘れ、気づくと人々の言葉に惑わされ続けてしまっている。
 あなたが本当にやりたかったことは、何?

 こんな偉そうなことを書きながら、そういう自分自身が現状何も出来ていない(していない)ため、自戒も含めて、そして提案も含めて、少しだけ書いてみました。


■2010.8.9 現状

 先週の初めに、大腸内を検査しました(下痢が完治していなかったため、念のために)。異常はなかったものの、まさかの「ついで」で大腸ポリープが発見されたため、その場で手術をして取ってしまいました。麻酔から目が覚め、しばらくの休憩後に歩いて家に戻れる程度でした。ただ、医師からは「運動や旅行は1週間後から」ということ。
 しかし先週末は、会社の有志で富士山に行くことになっていて、せっかくだから行ってきました(薬はきちんと飲みながら←そんなとこだけ「きちんと」しても意味ないが)。無事登頂もできました。天気も良く、まぁ、良い経験だったかと思います(二度目はないかと思いますが)。
 突然の大腸ポリープ、昨年見つかった脳動脈瘤、3年前の膝故障などなどがあり、同僚の女性からは「総合病院ですねっ!」なんて言われてしまいましたが、大丈夫です、現状完治したものや発症してないものばかりですから(でも、歳とともにそういうのが増えつつあるのは事実…)。


■2010.8.2 しかたなし

 おっと、うっかりすると1ヵ月も放置ですね。
 鐡旅の第4弾を載せました。急いで書いたので間違いとかあるかもしれませんが、あしからず。
 あと、日記を自分のプロバイダに移しました。ブログ形式にしている意味があまりないもので。…とりあえず、報告はそれだけです。ではでは。


■2010.7.4 わくなし

 先週末はマレーシアに鐡旅していました。そのうち纏めます。
 表題ですけど、ホームページの体裁を多少変えました。HTMLの話になってしまうのですが、これまではフレームを使用していました(インデックスにはコンテンツがなく、メニューとコンテンツのページの比率程度しか含まれていなかった)。これですと表示がすっきりするのですが、検索エンジンにヒットしにくいという難点がありました。
 今までは些細な個人的ページということで深く考えていませんでしたが、鐡旅などで色々と海外情報を書くこともあり、検索に引っ掛かりやすいような構成(トップにメニューを置き、そこから各ページへ移動できる)にしました。というのも、自分がどこかの国へ初めて行く場合はあれこれと検索して、時折有益な情報を得たりして助かっていますので、逆にどなたかが行かれる場合に、何かしら使える情報としてお役に立てればいいと思いまして。まぁ自分が書く内容はそれほどレアな内容でもないかと思いますが。
 なのでこの日記についても、ブログ形式じゃなくて自分のサーバでいいかな、と思いつつあります。もしかしたら場所を移すかもしれません。


■2010.6.6 かたなし

 先週末から1日にかけて、香港・広州・澳門に行ってきました。鐡旅な部分もあったので纏めてアップしたいところですけど、未だほとんど書けず。というのも、体調が良くないのです。胃痛が酷かったので、これは食あたりか水あたり、はては感染症かと思えど、そうではありませんでした。でも、毎日症状が違うので、よくわかりません。暇なので一覧にしてみました。

    胃痛  熱  喉痛  咳

1日  ◎  ◎  ×  ×
2日  ○  ×  ×  ×
3日  △  ×  △  ×
4日  ×  ×  ○  ×
5日  ×  △  ◎  ○
今日  ×  ○  ○  ◎


 病院に行ったのは2日と5日午前だったので、熱や咳についての薬がないので、もらった薬の合間に市販の風邪薬を混ぜちゃってます。あと、上記には書いてませんが、下痢はビンゴ(毎日)です。


■2010.5.15 うになし

 金曜日を休んで、北海道などの旅行に出ました。今回の目的は、奥尻空港への飛行機に乗ることと(前回は雲が低くて飛ばなかった)、あとは札幌からの急行「はまなす」のカーペットカー体験(1ヵ月前に、希少な2階席を手配済)が中心です。
 昨日は羽田から函館に飛び、カード会社のラウンジで2時間ほど過ごした後に乗り継ぎの搭乗口へ行きました。人は閑散。それもそのはず、客は私を含めて2人だけ(!)でした。
 SAAB340という小さな機体(36人乗り)とはいえ、たった2人とは。経営斜めのJALがHACの経営から手を引くというニュースが出ていましたが、大丈夫でしょうかHAC。こんな状態では、とても単体で維持できそうな感じではないです。
 旧国鉄やJRでは1両に1〜2人という経験はあるけど、飛行機では最少経験です。乗務員(操縦2人と客室1人)より少ないし、他に機体整備の人員や空港職員もいるから、なんだかVIP待遇されてるような錯覚でした。もう1人の客のじいさまがいなければ、もっと貴重な体験ができたかも。
 でも肝心の奥尻では、漁の状態が良くなくて生うにがありませんでした(その分、あわびを追加してくれたけど)。


■2010.5.9 朝なのにワイン

 やっと帰ってきました(ただ、まだ家には着いてません。関空のラウンジにいます)。
 往路は「席だけビジネス」でしたが(機材変更の関係でビジネスの席だったが、食事等のサービスはエコノミーのまま)、復路は完全にビジネスでした。海外旅行2回目、プレミアムエコノミーや、今回の往路の席だけビジネスはありましたが、実質初のインボラですv
 昨晩の時点で座席を確認したら、事前に指定しておいた非常口座席がキャンセルされて*になっていたので、これはもしかして、と期待していた通りでした。お決まりの文句で「大変申し訳ございませんが、本日満席となりましたので、ビジネスクラスのお席となります」と言われ、うっかり「ありがとうございます」と台湾人のおねえさんに返事してしまいました。
 席もいいですが、食事も違いますね。一度にどさっと出されるのではなく、まず飲み物を訊かれ、それとおつまみが出される。内容も和洋(洋は肉と魚)から選べるし、ワインもちょっと良いもの。つい3本も呑んでしまいました(赤ワインなので、当然お肉にしました)。でも近距離のビジネスは安っぽくて、遠距離の方がもっと良いの出るらしいです。それはいつの日なのか・・・。
 話は変わりますが、巷ではアバターが有名です。興行収入がなんたらかんたら、でニュースにもなってますが、実はシンガポールへ行くときに機内で観たのですが、感想は「?」でした。わかりやすい勧善懲悪ですし、なんとなく「風の谷のナウシカ」の真似っぽいですし。
 しかし、シンガポールの街中の電気店で大きな画面でやっていたのを見ると、「あれ、結構きれいだな」と思いました。3Dならもっと迫力あるでしょう。つまり、これは個人的感覚ですが、あの映画は画像を楽しむものでストーリーを楽しむものじゃないな、と思いました。
 で、台湾へ行く往路ではシャッターアイランドを観ました(これって封切して間もないですが、こういうのまで観れるのですね)。これも個人的感覚ですが、この映画の方がよっぽどよかったです。最後になって色々と考えさせられるし。
 巷で言われているような「どんでん返し」だけの意味ではないと思い、復路でもう一度観て確認しようとしたのですが、こういう時に限って関空便なので、確実に途中で切れてしまう(笑)。実際、半分ちょっとしか再確認できませんでした。
 関空で6時間のトランジットとなったため、空港2期工事の無料見学ツアーに参加し、それでも余った時間をこうして潰しています。


■2010.5.8 夜だからビール

 台湾生活も7日が過ぎ、明日はとうとう帰国です。色々ありましたが、詳細は旅ページで近日中にアップする予定です(旅行記ほどの詳細な叙述にはしませんが、簡単に纏めます)。
 3日連続で夜市で買った食材で、ビールで一献中です。1300NT$+税という格安ホテルですが、部屋はキレイでネットも可能。台湾龍泉ビールは500mlで40NT$(約120円。しかも街中のコンビニ価格)なので、つい3本も買ってしまう日々の連続です・・・。
 では、帰国後に、また。


■2010.5.2 朝からビール

 今は、成田空港のサクララウンジにいます。バイキング形式の食材がたくさんあり、お酒も色々あって、目が卑しいのでこんな朝からお腹いっぱい&酔っぱらいです(これから機内食もあるというのに)。
 先週、生まれて初めての海外旅行としてシンガポールに行ってきました。慣らし運転(?)も終わり、今日からは7泊8日で本格的台湾旅行です(しかし、荷物は小さいリュックに2/3程度しかないですけど)。
 台湾の目的は前述したとおりです。そのうち、簡単な文章にまとめようかと思っていますが。
 では。行ってまいります。


■2010.4.10 最南端ハスキー?

 今日は多良間島にいます。昨日は那覇経由で宮古に入り、徒歩で空港から西回りで3時間ほど散策。夜は安宿に泊まってスーパーの刺身三昧でした。今朝、9:00発のフェリーで多良間へ。
 多良間の普天間港に近づくと、海面を這う多数の影が。トビウオです。トビウオが飛ぶことくらい知っていましたが、その距離については分かっていませんでした。恰も雨天の前に低空で飛ぶツバメのように、海面すれすれを100メートルくらい飛んで行くのです。
 港からは時計回りで徒歩で多良間島を一周。観光地化されていなく、本当に何もない島です。たまに目に入る生き物は、ヤギかウシ。3時間半くらいかかって安宿へ。しばしクーラーのある部屋で休憩。
 先ほどスーパーで刺身(イラブチャーとイカ)などを買ってきました。安宿にはキッチンがあり、いわゆる共有スペースなので他人がいるとあれこれ面倒ですが、宿泊者は私しかいないので自由に使えます。それを踏まえて、調理用の沖縄そばも買ってきました。
 この宿にはハスキー犬がいます。部屋の向いの駐車場で転がっています。ムクムクの毛だからこの地では暑くて大変でしょう(そういう私も、薄着をしてきたつもりがそれでも暑すぎ、長袖と徳利襟を恨みまくっています)。夜になったらまた相手してあげようかしら。

 ネット環境にないので、多良間空港から飛んできた宮古空港で送信。多良間空港は初体験で、日本国内にあるJAL/ANA系の空港で未訪問は、北大東・南大東・沖永良部・三宅島を残すのみとなりました。
 ちなみに多良間からのRAC便の機材はDASH8で38人乗り。上記2系列の定期便では一番小さい機材ですが、なんと乗客は6人だけ。去年退役したBN2アイランダー(9人乗り)でもいいじゃないか、ってぐらいでした。ちなみにアイランダーは乗る前に体重計るのですよ(バランスのため)。


■2010.4.6 いかんいかん

 3ヵ月の放置。怠惰すぎ。日常的雑記でもいいから、少し書いておきます。
 4月1日付で異動となり、国際関係の部署となりました。英語なんて大学院入試以来○年もご無沙汰なので、これを機に学校に通って読み書き会話を習うことにしました。会社がお金を出してくれるっていうのもあるし。
 旅については、明日の金曜日から3泊で多良間・伊良部へ、来週末は2泊でシンガポール、その次の黄金週は平日も休んで、7泊で台湾です。
 台湾については、「鉄」な旅になります。一周することはもちろんのこと、支線もある程度乗り潰してきます。「ある程度」というのは、内灣線と森林鐡路阿里山線は地震と台風の影響で一部が不通となっており、今回は乗れないのです(開通区間だけ乗ってもいいのですが、せっかくなら全線乗車したいので)。そこは残念なのですが、それ以外のポイントは押さえてこようと思っています。台湾でも残り少なくなった客車の各駅停車(普快車)ですが、枋寮から台東までと、台東から花蓮まで乗る予定です。あとは彰化の機関庫や苗栗の車両展示なんかも見てくる予定。
 語学に関しては英語も中国語もダメダメですが、筆談でなんとかなるのかなと思ってます。台湾は電源も基本的にほぼ同じで、ホテルによってはLAN無料のところもあるので、可能であれば現地から何か書きます。


■2010.1.2 湯治

 年末の30日から、4泊で肘折温泉で湯治をしています。あ、その前に「あけましておめでとうございます」かしら。
 ここ数年、年明けに数泊湯治をすることはありましたが、今年は年を跨ぐ恰好にしました。3食付きで、ゴロゴロしています。帰るのは3日の予定。
 本当は勉強をするつもりで、本は重いのでその代わりにパソコンにデータを色々入れてきたのですが、結局、あまりはかどりません。というのも、テレビをつければ昼から特番で様々な番組をやっているため、それを観たりしてしまうのです。正月の「爆笑ヒットパレード」など、ほぼ完走(?)しました。
 昨年は、まぁ色々ありましたが、詳細は略。人間劇場(?)としては、出張先の長崎県の公園の池で、散歩中に人の水死体を発見して第一通報者になってしまったり、隣室から夜中に壮絶な痴話喧嘩が聞こえ、怒鳴りまくる女性の声とバシバシしばかれる音が聞こえ続けたり、など、面白いものも色々あったのですが、とりあえず略で。
 そういうのを一々ここで報告すればいいのでしょうが、なんといいますか、とりあえず私の怠惰ということでこの場は説明させてください。
 個人的近況としては、昨年末の検査で偶然見つかった未破裂脳動脈瘤の再検査を1月にする予定。もし手術をするなら、仕事の手がすく4月くらいかと考えています。


■2009.11.7 徒歩旅

 今は喜界島にある誰もいないフェリー待合室です。
 昨日は鹿児島で飛行機を乗り継ぎ、空路で初の喜界島へ。空港近くの遊歩道を歩き、民宿で休む。今日は南周りのバスに乗り阿伝で下車、そこからはひたすら歩く。昼過ぎには島の北端のトンビ崎、夕方にやっと湾の集落に辿り着きました。集落のスーパーで食材をあれこれ買い、待合室でそれを食べながら日本シリーズを観つつ、という塩梅です。久々の徒歩旅で、かなり足(の裏が特に)痛いです。
 明日の朝には鹿児島港に着く予定で、そのまま宮崎へ移動、適当に近隣観光の予定なのです。


■2009.11.4 あらら

 宣伝だけしておいて、1か月以上も日記をほったらかしとは。
 何日か前のことであるが、雑品具、もとい、ザッピングをしていてふと目に留まった番組で、癌患者の科学者が自身を分析的に考察しているものがあった。詳細はここでは書かないが。
 そこで思い出したのが、一人称の死、二人称の死、三人称の死の話である。……一昔前なら、ここでそれについての詳細を冗長気味に著したことであろう。
 で、それをしない所以とは、加齢故の諦観なのか、それとも単なる怠惰なのか。答えはすぐにはわからない。
 もしかしたら、繊細な心象を叙述するにおいて、臆病さを抱いているのかもしれない。君子危きにナントカではないが、「そのような」ことを考えることによって、また、自分が以前のように様々な事象に対して病的になってしまうのではないか、と。
 なので、そのうち書こう(結局逃避か)。


■2009.9.15 あらわ・あわら

 またしても自前ネタですみません。
 例の書籍ですが、所詮は素人の戯言を纏めたもの、だからこそ、いくらいくら売りたいなどという魂胆は毛頭ございません。
 それでも、人の目につくところにあると、多少は嬉しいものです。13日(日曜日)の産経新聞では、広告が載りました。なんだか恥ずかしい感じです。
 先日書いたように、いくつかの書店では平積みで置いてもらっています。偶然なのですが、八重洲ブックセンターでは故宮脇俊三さんの最新エッセイ『終着駅』(未収録原稿を集めたもの)の隣に置いてあって、もう、これだけで満足です。売り上げなんてどうでもいいです。

 さて、あれだけ校正したわりに、もう間違えを見つけてしまいました。参考までに。
  3頁 「著」のルビ「あわら」→「あらわ」
166頁 「旧国鉄時代の特急」 →「旧国鉄時代の急行」


■2009.9.11 準備運動(リハビリ)

 日記を他の場所から借りました。
 インターネット黎明期(?)にはあの手この手でコンテンツ作成していましたが、皆が同じようなことをし始めると、天邪鬼の私はやめてしまっていました。だからブログなぞはする気もありませんでしたし、今もありませんが、他から借りることによって便利なところも色々とあるので。

 今週は、仕事で倉吉などに行っていた。時間があったため、由良にある青山剛昌ふるさと館へ。平日であったが、そこそこの来訪者がいた。
 もちろん、境港の鬼太郎ほどの賑わいではない。コナンがあちらほどの人気スポットになるかどうかは、漫画やアニメがあと10年くらいはがんばる必要があるだろう。
 というのも、鬼太郎モノに人が多く集まるのは、子どもに人気がることはもちろん、親にとっても思い出があり親しみがあるものであるからだ。世代を超えてアニメが放送され(キャラの見た目は少し変わったが)、それ相応に影響を与えてきたからである。
 コナンが放映され始めたのが15年くらい前。その頃に小中高生だった世代は、もう結婚して親になっている人もいるだろうが、それだけでは親子共に同じ対象を好むことはできない。やはり、その世代の子どもたちが、自らの意思で何かを見たいと言い出すには、それなりの年齢(小学生くらい)になる必要があるだろう。それ故に、あと10年がんばれば、と思った次第である。

 …と、北海道の愛別にある温泉で久々に長い文章を書いてみました。
 いつもは羽田空港からですが、今回は福島空港から来ました。私をよく知る人は、鉄道旅のイメージを強く感じるかもしれませんが、実は飛行機に関してもそれなりに乗っています。例えれば、ANA系列もJAL系列も、空港ラウンジを使用できる程度のステータスがあります。
 そういうわけで、各地の空港にも訪問しており、訪れていない所は指折りできる程度です。それもほとんどは離島の空港なのですが、唯一本土にある空港で訪問したことがなかったのが、福島空港だったのです。
 知る人ぞ知る「ウルトラマン空港」、あちらこちらが円谷プロのキャラで埋め尽くされていました。福島名物(実際は須賀川限定名物?)の「くまだぱん」は箱売りしかしていなかったが、試食があったのでこれ幸いと頂く。噂通り、死ぬほど甘い代物でした。
 愛別駅からは宿による送迎。うっかりと、国鉄時代の一人旅の話などをしてしまい、「えっ?」と驚かれてしまう。せいぜい30歳くらいに見えたということで…。

 最近は難解なものからは離れていますが、タイトルはそれが関係あります。
 久々に図書館でそれなりの論文を読もうとしても、読めない脳になっているのです。仕事で作成するレポートなぞ、結局はたかが知れているレヴェルでしかないもので、手順さえ踏まえれば出来てしまうものなのです。より学術的な仕事ができるのであればまだしも、そうでないのならば、そしてそれなりに考えていきたいのであれば、自らの意思で読んだり書いたりしなければならないみたいです。
 そういう意味での、リハビリテーションなのです。

 …しかし、日々あったことと思ったことを交えて書くと、「ですます」と「である」が混ざってしまって、変なことこの上ない感じ…。
 きのこのフルコースおいしかったです(リハビリ中のため前後繋がらず)。

■2009.9.6 再開、ではないが…

 性懲りもなく、駄文をまた書きました(旅行のページ参照)。
 インターネットでも申し込めますが(今月中旬くらいから?)、鉄道ものが充実している書店、例えば神田の書泉グランデ、丸善丸の内本店、東京駅の松栄堂書店では、来週末くらいからそこそこ置いてもらえるみたいです。まぁ、目立つ場所にあるのはしばらくだけで、すぐに他の本に場所を取られてしまうのでしょうが…。
 儲ける気などさらさらないので、どれどれと思う方は冷やかしに行ってみてください。と言いつつ、買ってくれると嬉しいのですが。
 他にそこそこ置いてもらう予定の店は、八重洲ブックセンター、書泉ブックタワー、紀伊国屋新宿本店、ジュンク堂新宿店・池袋店、旭屋書店大阪本店、という感じ。
 さて、どうなることやら…。
 

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