沈黙の声

〜 ソロ・レコーディングのこと 〜


【プロローグ 決心】

2012年11月1日(木)
ソロで、レコーディングをすることにしました。

私の初CD作品は、やはりソロでした。録音したのは1991年のことになりますから、それからはや20年の月日が流れています。「処女作にすべてがある」とは近代文学で言われていることですが、今振り返っても、なんだかそんな気がします。ちっとも進歩していないような・・・。技術もつたなく、ヘタクソ。でも、この20年の間に、ピアノという楽器に対する認識や、音楽そのものへの意識は大きく変わったようには思っています。

その最初のCDは湯河原のギャラリーをお借りして二日間に渡って行いました。その際、ピアノの調律をしてくださったのが、辻秀夫さん。これが辻さんとの初めての出会いでした。以降、自宅のピアノから、レコーディング、大きなホールでのコンサートなど、私はピアノの調律を辻さんにお願いするようになりました。かくて、この20年間、辻さんから学んだことははかり知れません。

今年、もともと、私は、トリオとソロのレコーディングをするつもりでいました。残念ながら諸事情によりトリオの録音は年内中にはかないませんが、今回、辻さんからあたたかいお申し出をいただき、自分が一つ歳をとる前に、ソロの録音をする決心をしました。『風姿花伝』ではありませんが、初心に戻って、自分を深くみつめ、問い直したいと思っています。

以下に、辻秀夫さんからの文章を掲載させていただきます。

なお、文章にあるように、当日の夜、ライヴ・レコーディングも行う予定です。限定20名。参加をご希望される方は、黒田まで直接ご連絡くださいませ。

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<黒田ワールドをこよなく愛し応援して下さる皆様へ>

黒田京子さんがライヴシーンに登場し、ソロアルバムをリリースして早20年もの時が過ぎました。そのデビューアルバムのレコーディングで、調律を私に依頼して下さってから今日に至るまで、折に触れピアノの事を任せて頂いて来ました。黒田さんご自身のピアノはもちろん、その後のレコーディング時の調律や、さまざまなコンサートでも、時に旅先からピアノの調子が悪いと言ってはその応急措置を求めて来たり、調律師とコミュニケーションが取れないとこぼしてきたり、常に寄り添って参りました。次第に黒田さんの音楽に心動かされるようになった私は、黒田さんが演奏するピアノの調律にはより綺麗な響きを追及するようになり、私自身の技術の向上にも欠かせないピアニストとなりました。裏方である私を、まるで一緒に音楽を創る共演者のように考えて下さり、私が調律した響きと指先から感じる心地好さが演奏に大きな影響を及ぼすと評価して頂き、技術者冥利につきる想いを抱いています。その黒田さんが続けて来た音楽活動の集大成とも言えるソロアルバムを20年ぶりに制作することになりました。そしてそのレコーディングのセッティングを私がさせて頂く事になりました。

ご存じのように黒田さんは、その日演奏するピアノの響きやタッチからインスピレーションを得て即興演奏に反映させていますが、ピアノのみならず演奏の場とお客様の雰囲気をも音楽の一部としています。黒田さんのライヴはピアノとお客様と一緒に作られていると言って良いと思います。より美しく、繊細に、シリアスに、アバンギャルドにと、お客様からの無言の力が演奏への大きな後押しとなっています。

そこで私はあるアイデアを思い付きました。レコーディングの一部にお客様に立ち会って頂き、黒田さんの演奏がより素晴らしいものになるように応援して頂きたいと考えました。

そのために、お客様にも聴いて頂く事が可能で、私が調律する事ができて、なおかつピアノのコンディションがまずまずのスタジオを探す事から始め、下記の通り実現する運びとなりました。つきましてはぜひ皆様に参加をお願いし、レコーディングの雰囲気を皆様にも味わって頂きたいと思います。

なお恐縮ではありますが、参加者の皆さんには会費制とさせて頂き、スタジオ内のスペースの都合で先着20名様限定予約制と致します。そして参加者の皆さんには感謝の気持ちを込めて、アルバムのジャケットにはスペシャルサンクスとして全員のお名前を記し、完成後にはサインを入れてアルバムを謹呈させて頂きます。ぜひ皆様のご賛同を頂き、ご参加下さいますようお願い致します。
ご予約はウェブサイトなどを通じ、黒田さんに直接お願い致します。

調律師  辻 秀夫

日にち:11月1日 木曜日
  19時30分オープン、20時スタート
  (60〜70分 1ステージのみ)

場所:小岩 オルフェウス・スタジオ 5階
  (JR小岩駅下車 徒歩5分)
   Add. 東京都江戸川区西小岩1丁目27番16号
      オルフェウスビル
   Tel. 03−3672−6336

会費:2500円

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<一期は夢よ ただ狂へ>

自分の年齢、この指の技術、創り出せる音楽、響きの世界、さらにCDという作品を通して聴き手に音楽を届けるという時代が終わりを告げようとしている現代、さまざまなことに思いをめぐらせ、今年中にトリオの録音、及び初心に戻ってソロのレコーディングをすることを考えていました。残念ながら、諸事情によりトリオのほうは年内は難しいと思われる状態です。が、タイミングよく、長い間お世話になっている調律師・辻秀夫さんからのあたたかいお申し出もあり、一つ歳をとる前に、ソロのレコーディングをする決心をしました。これからの約二ヵ月間、自分自身と深く向き合う時間を持ちながら、レコーディングの準備を進めたいと思っています。昨年の大震災以来、果たして“明日”や“次”はあるのだろうか?という緊張の中で生きてきたような気もしますが、まさにこの瞬間に立ち会いたいと思われる方々のご参加を心からお待ち申し上げています。どうぞよろしくお願いいたします。

黒田 京子
(2012年9月8日 記)



【その1 2012年11月1日(木)】

ソロ・レコーディング、無事、終了しました。

正直に告白すれば、朝起きた時に、久しぶりに心臓がバクバクしていました。珍しく緊張している・・・そう自覚しました。

そして、なにげなくテレビにスイッチを入れると、今日一番ラッキーなのはさそり座生まれの人で、たくさんの仲間に感謝する日、ラッキー・カラーは紫だと言っています。ああ、ほんとうにそういう日になりそうだわと思いながら、あわてて紫の衣類を探しました。思い切って下着も紫、シャツもスカートも紫づくしにしてみましたが、なんだかやり過ぎな感じがして、結局、紫のジャケットだけを着てでかけました。

既におしらせしてあるように、このレコーディングは、調律師・辻秀夫さんのお申し出及び企画で行われたものです。

録音場所は、辻さんが普段から調律やメンテナンスをされている、東京・小岩にあるオルフェウス・スタジオ。天井が高く、上方に天窓があります。
多くの方が指摘されていたように、階下のスタジオが使われている時、低音(バスドラあるいはベース)が少し洩れて聞こえてくるのがちょっと惜しいのですが、ピアノを弾いていれば音に集中できるので、そんなこんなで乗り切りました。

午前中はピアノの調律。すべてを、辻さんに委ねます。

約十日前、辻さんに宛てて、こんな内容のメールを送りました。今回は三本のペダル、すなわち、サスティーン・ペダル、ソフト・ペダル、さらにソステヌート・ペダル、すべて使うつもりであること。さらに、透き通った音のほかに、深い陰影のある音色も求めたい。透明感はありつつも、やわらかい光と風を感じるような、もっと温かい感じ。その透明感は内側に向くのではなく、外へ開いていく感じ。・・・なんて、我儘なピアニストでしょう。

午後はピアノとマイクのセッティングの確認から始まりました。ピアノの位置は、私が上を向くと窓から空が見えるように、そして夜になってお客様が座られることも考慮して、入口から見て左奥にセッティング。マイクは、空間の音もたくさん拾えるように、三か所に設定。楽器にもっとも近いところに立てられたマイクはノイマンというドイツのメーカーのもの、中間に1本(LR)、遠く高い所に1本(LR)。

それから、できるだけこの生音の感じそのままを生かすこと、スタジオの空気の響きも充分に録ること、マスタリングの時にはほとんど手を入れなくてもいいくらいの音質で録音することを前提に、おおよその音決めを行った後、各曲およそ2テイクずつくらい録音しました。全体で3時間余りになったでしょうか。

さらに、これもまた辻さんの発案により、夜はお客様(限定20名、そのうち半数弱の方々は20年前後のお付き合いになる方々でした、有り難いことです)に来ていただいてライヴ・レコーディング(公開録音)を行いました。

終了後、エンジニア(菅原直人さん)のいるスタジオで、録音したばかりの音(ラフ)を、お客様にも聴いていただき、レコーディングという作業の一端を感じていただくというのも、辻さんの提案によるものです。

上記、辻さん、菅原さん、スタッフとして山田真介さん(デザイナー/CDジャケット等をお願いしています)、ライヴの受付をしてくれた渡邊奈央さん(シンガーソングライター/元生徒)、そしてライヴ・レコーディングに参加してくださったみなさまに、心から感謝いたします。



【その2 道程】

今回のレコーディングは、録音の日にちが決まってから約二ヵ月間、ちょっとだけの山籠り期間も含めて、思いの定まらない日々を過ごしました。どういう作品にしよう?どういう方向にまとめよう?などなど思い悩みながら、ずいぶんふらふら歩いてばかりいたような気がします。家の中でもうろうろうろうろ。

また、その間、もっともよく聴いた音楽は、フェデリコ・モンポウ、チャールズ・アイヴス、武満徹のピアノ曲でした。たまたまでしたが、録音も近づいた頃に、八村義夫さんの作品を集めたコンサートにも行きましたが。というわけで、ジャズは全然聴いていないじゃないの?状態です。あ、Tokyo Jazzという番組(NHK)はちょっと観ましたが。

(八村さんの諸作品を生演奏で聴くのは初めてでした。私が知っているのは著作『ラ・フォリア 〜ひとつの音に世界を見、ひとつの曲に自らを聞く〜』(草思社)のみで、それは私がジャズを習い始めた頃に買い求めたものです。目次にはジャズ・ミュージシャンの名前も掲載されていますが、多分、当時、ほとんど直感で買ったのではなかったかと思います。同じ頃買い求めた『エリック・ドルフィー』(間章 訳/晶文社)と同様、たくさんの線が引かれています。ちなみに、その後の自分の音楽のことを考えると、この二冊を手元に持った若い私の選択は間違っていなかったように思います。)

かくて、いろいろ考えた末、「内部奏法はせずに、このピアノという楽器と、どれだけ、どんなふうに自分は向き合うことができるか」ここに、今回、私は自分が立つ場所を定めました。実はそう覚悟したのは録音3日前なのですが。それまでは、ピアノの内部にあれこれ入れてみたり、やっぱり声を出そうかとか、アコーディオンでノイズを出しながら演奏してみようかとか、自分の音楽の世界はああじゃないこうじゃない、とあれやこれやの煩悩が・・・。ともあれ、このようにストイックに制限することで、今回の作品の方向は自然に定まったように思います。

さらに言えば、内部奏法を良しとせず、ひたすらにひたむきに「きれいな音」をめざして仕事をされている辻さんとの共同作業だという思いが、この方向へ導いたのも事実だと思います。また、処女作品がやはりソロだった私にとって、約20年前の作品との差別化ということが、頭の中をよぎらなかったと言ったら嘘になります。

というわけで、今の自分の技術も含め、今の自分ができること、ピアノの可能性と限界を突き詰める作業をしてみよう、この楽器が創り出すことができる世界を思いつく限りやってみよう、という姿勢で今回は臨むことにしました。否が応でも、一人の演奏家、ピアニストとしての自分が、真正面から問われる作品になれば、という感じでしょうか。

そのために、収める曲は、潔く、すべて自作曲にすることにしました。そして、各曲ごとに、核となるテーマやイメージ、さらに方法論を決めました。その際、自分のつたない技術と人間としての未熟さ加減にぶちあたったことは言うまでもありません。が、そんな自分となんとか折り合いをつけながら、各曲を創っていくというプロセスを踏み、練習を重ねました。

曲を創るといっても、もちろんすべてを音符で書き込むようなことを、私のような人間がするはずもありません。そこでは即興演奏(いわゆるジャズのアドリブとは異なる/そういう方法(イン・コード、イン・テンポで演奏する)を敢えて選択した曲もありますが)という方法が最大限生かされるような曲創りもしたつもりです。というより、すべてを決めないことで得られる、まるで初めて出逢ったかのような新鮮さと、それによる音楽の豊かさを信じたという言い方もできるかもしれません。

そういうわけで、今回の即興演奏の質は、最終的には作曲されたものに収斂されるので、たとえば即興演奏そのものが突出して自分あるいは何かを壊していくとか、即興演奏そのものが自身の存在そのものである云々といったことはあまり問われていないと思っています。

各曲のアプローチ(方法論)については、ここではまだ言及しません。作品ができあがっていく過程で、おそらくごく簡単に自分でライナーノートを書くような予感がしているので、その時に。説明ということではなく、自分の思いとして、言葉を刻んでおこうと思っています。私は多くを語り過ぎるところがあるので、自分に用心しながら。

って、こうして書いていることが既に自己撞着なのですが。苦笑、という感じです。確かに「秘すれば花なり」なのはわかっているつもりなのですが、今回はなぜか「さりとて花とて別になきものなり」という心境になっています。



【その3 響き】

今回のレコーディングにあたって、私がもっともこだわったのは、響き、音色、音質、音の色彩感や肌触り、です。

今世紀に入ってから、ヴァイオリンやチェロといった弦楽器奏者との共演が多くなったこと、さらに耳を患ったことは、私の耳(が聴きとる世界)を大きく変えたように思っています。

ピアノという楽器では生みだすことができない擦弦楽器の音や、弓の振る舞いは、どこまでも広がる憧憬と共に、それまで知らなかった音楽の世界を、私の眼前に広げてくれました。

また、突発性難聴に見舞われた右耳は、今もなお耳鳴りが残っていますが、発症した当初は、それまで聞こえていなかった、世界のありとあらゆる音が聴こえ、気が狂いそうになりました。それはもうとても耐えがたい体験でした。今はもうそんなことはありませんが、以来、大きな音がつらくなり、逆に小さなかすかな音が聴けるようになった気がしています。

音は空気の振動が伝わって聞こえてくるわけですが、そこに生まれている、耳を澄まさなければ聞こえてこない倍音や、こまやかな震え、かすかなさわりやゆらぎのようなもの。こうしたことはジャズだけをやっていたのではおそらく見えてこない、否、聞こえてこなかったであろう音楽の何かを、私にもたらしたように思います。それはとりもなおさず、私のこの耳が、身体が感じてきたように思います。

さらに、自作曲のタイトルにも使っていますが、inharmonicity(調律用語で、非調和性と訳される)という概念に出会ったことは、私にとってとても大きなできごとだったと言っていいと思います。現在、この「非調和」という考え方は、私の音楽の根底に動かしがたくあります。ここで詳しくは書きませんが、ものすごく簡単に言えば、ずれている、にごっている、ことが、響きを豊かにしている、ということです。

(とてもわかりやすい参考図書『もっと知りたいピアノのしくみ』西口磯春・森太郎 共著(音楽之友社)/本の帯には「ピアノの音は、最初から濁っている?!」と書かれています。)

以降はやや文学的な表現になりますが、この概念には、たとえば「あの人はぶれない」というと、あの人の考えは右往左往せず、断固として動かず、立派だ、良いことだ、と解釈されるのが、今の社会通念だとしたら、「ぶれたっていいじゃない、ぶれることは良いことだ」という感じも含まれています。(現在の日本の政治は別、です。)

これは細野晴臣さんが著書『分福茶釜』(平凡社)で書かれていたことですが、サーカスのピエロが高い空中で綱渡りができるのは、綱がたわむからだ、という考え方です。もし綱がピンと張っていたら、ピエロは下に落ちてしまうだろうと。車のハンドルにしても、遊びがなければ運転できない、という感覚に似ているかもしれません。

何が世界を豊かにするか。

そんな話をし始めると、今年、ノーベル生理学・医学賞を受賞した山中伸弥教授の話にまで及んでしまうのですが。実験に失敗した(良かれと思って投薬したのに、ちっとも良くならず、あろうことか別の部位にも最悪の病気が発症してしまった)時の驚嘆と畏怖を心の底に忘れずに抱き続け、「自然は独創的だ」と言う山中教授の発言を敷衍すれば、少々乱暴な言い方になりますが、なんだかよくわからないということがほとんどだという現実は、人間を謙虚にし、逆に明日につなげているように思われます。

即興演奏には事前に決めていないことがたくさんあり、その不安定さ、曖昧さは、それゆえ不安で仕方ない状態を生む側面もあるとは思います。仮にあらかじめ決めておいたり、予想したことがあっても、決してそうはならない、と覚悟を決める必要もあると思います。でも、逆の考え方をすれば、どこへ行っても何をやってもよく、その意味では自由(すなわち不自由/自由と不自由は、いつでも裏腹)に満ち溢れている、とも言えると思います。付け加えれば、そこに自分の命を賭けた多くの音楽家たちの声を聴くことが、私にとってのジャズだったように思います。

また、働き蜂は全員が懸命に働いているかと言えば、決してそうではなく、全体の八割の蜂が働いていて、他の二割の蜂は遊んでいるそうです。この八割だけを隔離して、同じような環境に置くと、今度もまたそのうちの二割が遊ぶそうです。その謎はまだ解明されていないそうですが、このえっ?という、想像していたのと何か違うという「ずれ方」は、ものごとのとらえ方として大切なことのように私には思えます。

すみません、話しが少しそれました。

ともあれ、それゆえ、技術的には、かなり細かいペダルの操作、音の強弱、指のタッチなどに配慮する演奏姿勢を、私は貫くことになりました。これまでの生涯、ピアニストとして、手の指と足の指に、ここまで細かに気を配ったことはなかったかもしれません。その分、姿勢(特に背中)に意識がいかなかったことを悔やんでいるのですが。私はどうやらだいぶピアノに近づいて演奏している気がするし、おまけに猫背らしく。

実はそのせいか、レコーディングの翌日、予約していた整体の先生から「どうしたの?右脳の血流がとても滞っているわよ」と言われ、首筋から上、さらに頭蓋骨をギュウギュウ押され、痛ーーーいと悲鳴をあげたのは私です。どうやらよほど右脳を使っていたらしい(?)です。

というか、一ヶ月半前に蜂に刺された左耳の腫れがまだ完全に引いていないのです。なにせ一時間半以上(救急車を呼んで、病院に着くまでの時間)、蜂の針が左耳に刺さったままの状態で放置されたので、毒がまわったのだと思います。刺された当初はそれはもう猛烈に痛く、冷汗は止まらず、肩から上は痺れまくり、唇は二倍に膨れ上がり、左耳も真っ赤に硬く腫れあがり、両耳の下のリンパはパンパンになり・・・そんな状態になってしまいました。

その蜂の毒がまわったうえに、毎日毎日空気中に放たれる細かい振動を聴いていたら、脳みそが悲鳴をあげていて、それに自分が気づいていなかった、ということなのだろうと思います。脳梗塞にならなくてよかったです。



【その4 声】

今回の作品の中心にあるテーマは「沈黙の声 The very voice of silence」です。

モンポウ(沈黙の音楽)の影響を受けている?と言われれば、そうかもしれません。が、やはり2011年3月11日の大震災の心的影響はたいへん大きく、あの津波に襲われてすべてが消滅した大地に実際に立って感じたこと、ここで命を失った知り合い(未だ行方不明)のこと、すべてを流されすべてを失った友人のこと、演奏を聴いている人たち全員が被災者だった時に自分が受けたプレッシャー、放射能に汚染されてしまった福島に住んでいた人や子供たちのことを思いながら、見上げた空から降ってくる雨の音、などなど、想いを馳せただけで、私は無数の無言の声に押しつぶされそうになりました。

あるいは、たとえば、ミュンヘン郊外のダッハウ収容所を訪れた時に感じた臭いと聞こえた声。広島に原爆が落とされた後に、ラジオから聞こえていたという声。終戦6日前のソ連軍の不意の侵攻をうけて、終戦5日後に樺太の真岡郵便局で、その電話交換業務を終えた後に自らの若い命を絶った9人の乙女たちの「さようなら」の声、それを聞いたような気がして思わず立ちすくみ、稚内の海をみつめながら聴いた風の音。絞首刑の当日、牢屋に響き渡っていたという死刑囚・永山則夫の絶叫。さらには友人に教えてもらった、大正時代の関東大震災後に書かれた芥川龍之介の短編『ピアノ』に描かれていたピアノの音。これらは折に触れ思い起こされ、時の中に埋もれて実際には聞こえないのに聞こえてきてしまった声たちです。

また、今回演奏した曲には、思いがけず、絵画からインスピレーションを受けたものが多数あります。堀文子さんの作品から2曲(ほかに、堀さんの生き方から1曲)、高島野十郎さんからは2曲。その絵画の奥のほうから、やはり聞こえてきてしまったのです、声が。あるいは、思いが。

その意味では、物理的にはピアノの「響き」にこだわると共に、心的にはこうした「声」、そこにある思いや言葉、さらにそこから生まれた「うた」が、今回の作品の中核にあります。

この何も言わない声には、言葉にならないうめき声やすすり泣き、うたになる前の声もありますが、ノイズ、と言う側面もあるかもしれません。仮にこれをノイズと言うならば、私の身体の中には、いつも何かざわざわした感じ、あるいは静かなさざなみのようなものが在るように思います。

主として1980年代後半から1990年代前半にかけて、私はいわゆるノイズ・ミュージックの洗礼を同時代的に受けました。NYノイズ派の先頭を切っていたジョン・ゾーンの音楽の創り方、ドイツのハイナー・ゲッペルスの演劇的な側面、言語と音楽との関わり方は非常に新鮮で衝撃的でした。

その頃やっていたORT(オルト)というユニット、音源として残っているソロのCD、何本かのカセットテープを聴けば、いわばこうしたノイズを直截的に音楽に持ち込んでいたことがよくわかります。さらに、1990年代には、私は演劇や朗読、さらには無声映画の音楽に積極的にかかわりました。2000年にはオルトペラ・アンサンブルというユニットで音楽劇もやりました。

(オルトの新宿・ピットインでのライヴ映像が1本だけビデオに残っています。DVD化して欲しいと思う方はいるでしょうか?)

付け加えれば、ここ何年か継続してきた、喜多直毅(vn)さんとのライヴ・シリーズ『軋む音』も、内藤礼(現代美術家)の展覧会や石田徹也(夭折した画家)の作品集をもとに、二人でプロットや曲を創ったものでした。ほかに、永山則夫の生涯を追った堀川惠子(ディレクター)のドキュメンタリー番組や著書『死刑の基準 永山裁判が遺したもの』(日本評論社)、またV.E.フランクルの『夜と霧』(みすず書房)及び『それでも人生にイエスと言う』(春秋社)を読んで、その問題となっているテーマを自分たちなりに言葉と音楽で表現するというこころみも行いました。言わば、こうした音楽を音楽のためだけにせず、絵画、文学、言葉、音楽が混然一体となった創作活動は、私自身の奥底にある欲求なのかもしれません。

こうした延長線上に現在の自分を置いてみれば、今回の作品ももっと具体的な現れを伴った音楽内容にしてもよかったのかもしれない、という思いもないわけではありません。でも、既に書いたように、私はいわば非常にストイックな状態に自分を追い込み、ピアノという楽器だけで、こうした沈黙の声をどれだけ表現できるかを問うという選択をしました。

さて、では、今回の演奏は、果たして・・・と、考えると、現時点では、私はあまりにもピアノの響きにこだわり過ぎたために、沈黙の声の奥底にまで音楽が届かず、内容がいまひとつ伴っていないように感じていて、実は深く反省しています。自分の非力と未熟さを感じています。また、たとえば何も変化しないことを求めた曲において、スタティックな演奏がまったくできなかったところなどに、自分の演奏活動の始まりが良くも悪くもジャズであったことを、あらためて思い知りました。我慢できないの?あなた、という感じです。

なので、レコーディングから3日経っても、実は録音したものをまだ聴けないでいます。



【その5 作品】

さて、ライヴ・レコーディングに来てくださったお客様たち、またCD作品ができあがって聴いてくださった方々、みなさまがどう感じられるか・・・。エリック・ドルフィーではありませんが、一度放たれた音は、あなたの心に届くや否やは、私の知るところではない、のではありますが。

ずいぶん前に、某ミュージシャンから「あなたの音楽は玄人好みだ」と言われたことがあります。また、大学時代の友人からは「なぜもっとポピュラーでわかりやすい音楽をやらないのか?もう二度と来ないぞ」的態度で冷たい目で見られたこともあります。

はっきり言って、今回の作品は楽しくて愉快で踊り出したくなるようなものではありません。手拍子の似合う音楽でもありません。一般的によく知られている曲もまったく収められていません。

CDという音楽媒体が衰退していく時代にあって、今はCDという作品を創ることの意味が強く問われている時だと思っていますが、およそ爆発的に売れるような代物ではないという自覚ももちろんあります。

それでもなぜCDという作品を創るのか?

とりあえず、ここまで・・・
(2012年11月5日)






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