2月
にがつ


2月5日(火) 児童相談所

千葉県野田市で虐待された10歳の女児が死亡した事件で、児童相談所のことがニュースでも取り上げられていますが、昨年、私は「ゆずりは」という施設の代表者のお話しを聴く会に参加しました。
http://www.acyuzuriha.com/

この「ゆずりは」は、児童養護施設等を巣立ち、18歳で社会に放り出された子どもたちが抱える借金、失業、望まない妊娠など、ひとりでは抱えきれない悩みなどをいっしょに解決する支援活動を行っている施設です。

特に女性の場合、保証人はいらない、たとえ六畳間に6人で生活するというような環境でも、とにかく住む場所が与えられる、子どもを預けられるなどといった理由から、いわゆる“風俗店”で働き、心も身体もボロボロになるケースが多いこと。さらに、自殺、などなど・・・具体的な実態や現実を知りました。

でも、この会場に来ていた、この「ゆずりは」の支援や助けを受け、そこでジャムなどを作っている若い女性たちの明るい笑顔が、私を少しだけ救ってくれました。

この問題は、外国人実習生や研修生の問題とともに、「労働」という現場に起きている、政治や社会がほとんど支え切れていない社会問題、という側面もあると思います。

この国の副総理は子どもを産まない云々と歪んだ口で話していますが、こういう人たちの痛みや苦しみ、児相や学校の先生たちがどれほど疲弊しているかなど、全然感じることができないのだろうなと思っています。

少なくとも、人間として、想像力を失ってはいけない、どんなにIT化やAI化が進んでも、あらためてそう思います。「想像力」。私は音楽に携わる仕事をしているわけですが、さらに強く、そう思います。

以下に、yahooに掲載されていた記事をリンクしておきます。
「人間のできる仕事の範囲を越えている」当事者が語る“児童相談所”の実態




2月7日(木) 申し入れ

官邸が新聞記者を特定するようなかたちで「申し入れ」をしたとのこと。ときどき官房長官の記者会見の動画を見ますが、ひどいなあと思うことが多く。さらに、こうしたことが起きていたことは知りませんでした。申し入れ自体は一ヶ月前くらいのことになるようですが。

以下は、HUFFPOSTに掲載されていた記事です。
官房長官の記者会見で東京新聞記者の質問制限について

ともあれ、この国がどんどん戦前のような雰囲気になっていることに、私は非常に危機感をおぼえます。




2月8日(金) 訃報 堀文子さん

2月5日午前0時56分、画家の堀文子さんが天に召されたことを、ニュースで知りました。御年100歳。

朝日新聞に掲載された訃報記事

先月、堀文子さんの作品を扱っている銀座にある画廊・ナカジマアートに行って、年が明けてしまったけれど、いつものようにカレンダーを買い求め、中島さんから堀さんのお話しをいろいろ伺ったところでした。

落涙。心からご冥福を祈ります。

以下に、堀文子さんの作品に初めて出合ったとき(2002年12月)のこと、堀文子さんに初めてお会いしたとき(2005年4月)のことを、拙webの『洗面器』から抜粋して記載し、追悼したいと思います。

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これは何だ?いったい、何なのだ?
何かがひっかかってしまった。
この一瞬のできごとが、私を突き動かす。

振り返れば、常に私を突き動かしてきたのは、そうしたものだったように思う。なんだかわけのわからないものに出合って、自分がわけがわからなくなるのだ。そしてその何かはじわじわと身体に沁みて来て、心は落ち着きどころを求め始める。

箱根にある成川美術館の一室をぐるぐると歩き回った。2002年12月のことだ。その部屋を一周すると、何かが私を捕えて、気になって仕方がない。それでまたもう一周する。また一周・・・。

そこに飾られていた絵は、同じ作家でありながら、それぞれ、かなり作風が異なっていた。あ、どこかへ行こうとしている、という感じ。非常に美しい。とてもはかない。厳しい孤独。なのに、温かいユーモア。何なのだろう、これは?

それでネットで調べまくった。銀座にある画廊がその作家の作品を扱っていることがわかり、年末にはカレンダーを買いに行った。それから毎年購入している。おまけに、去年の暮れには、その作品を版画にしたものを、思い切って買ってしまった。画文集なども出されているから、当然それらも購入する。ポストカードなども手に入れてしまう。

大正7年生まれの女性。80歳を過ぎてから、ヒマラヤ山麓を訪れ取材旅行をされている。私などとてもとても足元にも及ばない、時代を生きてきた大先輩だ。

その方に、こんなに早くお目にかかれるとは、夢にも思っていなかった。出かける前から、胸はばくばく。妙に緊張している自分を見る。お話しを聞いている途中で、目から涙があふれそうになった。

非常にかわいらしい方で、とっても無邪気な感じの方だった。好奇心に溢れ、自分に正直に生きていらっしゃる印象を受ける。少々足腰が弱くなってきているとおっしゃられていたが、いやいや、どうして、とてもよくお話しされる。

堀文子さんとお会いして、同じ女性として、いろいろなことを感じ、学んだ一晩だった。

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その後、ミジンコを描いていらっしゃった堀さんのことを坂田明(as)さんに紹介し、2006年7月、米寿のお祝いの席では、おおたか静流(vo)さんや坂田さんと演奏する機会にも恵まれました。

堀さんの作品にインスピレーションを受けたり、その生きる姿勢や、時代や物事をとらえる目に触発され、私はいくつか曲も作り、それらは今でも演奏しています。

2006年10月、ORTMusicを立ち上げて、初めて行ったコンサート『耳を開く 室内楽の最前線』に、堀さんは大磯から大泉学園まで足を運んでくださり、太田惠資(vn)さんが2つの声を出していることに、堀さんは興味津々でいらっしゃたことも思い出されます。

また、2008年5月には、黒田京子トリオでレコーディングを行い、それはCD『ホルノトキ』に収められています。
思い出は尽きません。

「春炎」。初めて堀さんの作品に出合ったとき、私の心にもっとも突き刺さったのが、この作品でした。そのときの衝撃を、そして堀文子という生き方を、私は生涯忘れることはないと思います。




2月12日(火) オリンピックって何だ?

俳優・斎藤工の主演映画『麻雀放浪記2020』(4月5日公開予定)が公開危機に陥っていることを知りました。
livedoorのニュースより

1月31日に、国会議員の麻雀議連限定試写を開いた際、東京五輪が中止となる映画の設定に“クレーム”が入り、斎藤は「公開中止になる可能性があります」と言ったとのこと。

また、今年のNHK大河ドラマ『いだてん ~東京オリムピック噺~』のオリジナルサウンドトラックは3月6日にリリースされるそうですが、そのテーマの楽譜出版の禁止が決定したとのこと。

その理由は、オリンピック資産に当たるため、だそうです。オリンピックをテーマにしたドラマ自体には許可が降りたけれど、そこで使用されている楽曲を、他社が二次利用で譜面にすることを、IOCから禁止されたと聞いています。(現時点での真相は私にはまだわかっていません、すみません。)

私は『いだてん』は観ていないのですが、オリンピック、っていったい何なのでしょう?

この映画の話といい、大友君が音楽を担当している大河ドラマといい、なんだか、もう、戦前の雰囲気、周辺の空気が真綿のように、もの創りをしている人たちを締め付けてくる感じを否めません。私は戦前に生まれているわけではありませんが、なんともイヤな時代に生きていると感じることが多い今日この頃です。自分が考えていることや思っていることをはっきり言うことができない世の中を、私は否と言いたいと思います。




2月14日(木) 坂田親分

今年のヴァレンタインデイは、二子玉川にあるライヴハウスで『暗黒出禁歌合戦』というライヴで演奏しました。二人の歌手、三橋美香子さんとさがゆきさんが中心となっている歌合戦で、私は坂田明(as)さんとともにゲストとして参加しました。

昭和歌謡、珠玉の名曲のオンパレード。私はおおよそ昭和が半分、平成が半分でできていますが、やはり昭和歌謡は色濃く自分のなかに生きていると思っています。

で、そのライヴとは全然関係ないのですが、この動画、マジ、すんばらしいです!おおいに笑えます!坂田さんのピアノ弾き語りは絶品。
かつての番組「すばらしき仲間」の映像

日本を代表するサックス奏者・坂田明さんとは、私は自分が新宿ピットインの朝の部で演奏していたような、駆け出しの頃に出会い、かれこれもうすぐ30年近いお付き合いになります。最初に発表したソロピアノのCDのレコ発(1991年)で共演をお願いしたのも坂田さんでした。

以降、坂田さんのバンド“ミトコンドリア”や、坂田明mii、坂田明トリオなど、現在も折に触れて声をかけていただき、共演をさせていただいています。

坂田さんご自身は、この映像を遠い過去のことであり、別人28号だとおっしゃっています。言い換えれば、過ぎた日のことを懐古、回想する暇があったら、今をしっかり生きろ、と坂田さんはおっしゃっていると、私は思っています。

かくのごとく、御年74歳にもうすぐなられる(誕生日 2/21)坂田さんがすばらしいのは、この動画のような時代を大切にしながらも、今を生き、自分と闘っている、ということではないかなと思っています。

そういう方と長年共演させていただいている私はしあわせ者だと思う今日この頃です。




2月15日(金) 数値が落ちた

昨年の健康診断で、悪玉コレステロールと中性脂肪の数値がひっかかり、11月頃からとうとう、やむなく、医者から処方された西洋の薬を服用し始めたのですが、およそ3ヶ月で正常値の範囲内に数値が落ちてくれました。

ひと月に3回の太極拳の教室、ひと月に1回のヨーガ教室で身体は動かしていますが、薬を飲み始めてからは毎日できるだけ歩くことを心がけただけなのですが。ともあれ、数値はもう少し落としたいので、引き続き努力は続けようと思います。可能な限り、他人に迷惑をかけずに、最期まで生きたいと思っている私です。

夜は、鈴木典子(vo)さんとのデュオで、グレコ(at 大塚)でライヴでした。デュオでのライヴは2回目で、前回のライヴの感触が自然でなんとなくよかったという印象をお互いに抱いていて、その次のトライという感じでした。って、それゆえでしょうか、本番ではちょっと、ああしよう、こうしよう、とお互いにちょっとだけ考えてしまったところがあるような気がしなくもなく。なんて、終わってから思ったりしています。

でも、典子さんの倍音を多く含んだ声、言葉へのアプローチ、歌は、ほんとうにすばらしいと思います。共演できてうれしく思っています。




2月16日(土) 次のプロジェクト

今はまだ何もお伝えできない状態ですが、音楽のことではなく、残された自分の人生を想って取り組もうと思っている、次のプロジェクトに向かって、第一歩を踏み出すことになるかもしれない一日になりました。問題は山積していますが、自分の体力や気力を想うと、やはり、今、やるしかないと思っています。




2月17日(日) まち活塾・第3回目

『まち活塾』の第3回目に出席。今回は、大規模マンションで自治会を立ち上げて活動している方のお話し、自宅を“住み開き”してカフェを営んでいる方のお話し、そして「グッドライフ多摩」を設立して活動している方のお話しを伺うという座学の日でした。

とにかく、世の中、こんなに他者とつながりたい人がいるのかと、参加するたびに感じている私です。




2月18日(月) 北村聡さんのレクチャー

午後、府中市生涯学習センターで行われた、バンドネオン奏者・北村聡さんのレクチャーを聞きに行きました。なんと、無料。月曜日の昼間ですから、聴講に来た人たちのほとんどは高齢者でした。

タンゴの歴史を話しながら演奏するのかなあと漠然と思っていたのですが、前半のレクチャーはバンドネオンという楽器の歴史と構造などについてのお話しでした。私にはなかなか面白かったです。

聴講生の中には熱心にメモをとっている方もいらっしゃいましたが、具体的に知ることができる映像資料があるともっとわかりやすいだろうなと思いました。私は今はできませんが、いまどき、やはりパワーポイントくらい使えないとダメなのかもしれないと思いました。

後半は演奏をたっぷり聴くことができました。室内の空調がうるさいと感じるくらい、静謐な曲や演奏もあり、北村さんならではの音色や空気感や呼吸が感じられる、いい演奏だったと思います。

そして、いいなあと思ったのは、「ラ・クンパルシータ」は演奏されたものの、一般市民が思い描いているような型通りの演奏ではありませんでしたし、なにより、A.ピアソラの曲を一曲も演奏しなかったのがよかったと思います。ソロで弾かなければならない、という状況はあったとしても。

中でも、アルゼンチンの若い作曲家の曲が、私には面白かったです。おそらく誰も知らない曲だと思いますが、喜多さんと同じで、大衆におもねず、媚びを売らないところが、ひねくれているというか、はずしているというか、自分の思うバンドネオンの音色による音楽を、良いと思う曲を、きっぱり演奏する姿勢がいいなあと感じました。

私はおよそ20年前に、同じ、府中市生涯学習センターで『ジャズ講座』を5年間担当したことがあります。この施設がまだ市役所直轄で運営されていた頃のことです。

そのとき、いわゆる一般市民、素人に対して話しをするときは、自分があたりまえと思っていることに、いったん注意深く、一度疑いを持つことを心がけ、常に自分は謙虚でなければいけない、と考えたことを思い出しました。つまり、鼻もちならない啓蒙主義や教養主義に陥らないように心がける、という感じでしょうか。

北村さんにとって、こういう講座を行うことは、人生初めて、とのことでしたが、それでなくても演奏者や楽器自体も少ないバンドネオンですから、これからも折に触れてこうした活動をされていくのはとても良いことではないかしらと思いました。

それにしても、スクリーンに大きく映し出された、講師である北村さんのお名前が「総」になっていたのは、府中市民として非常に情けなく、北村さんに申し訳ないかぎりです。うーん、この市の民度というか文化度というか、上げていくのは想像以上にたいへんかもしれません・・・。




2月20日(水) 新たなスタート

私は2006年から「ORTMusic オルト・ミュージック」を立ち上げ、コンサートの企画制作を行っていますが、今春から、私が住む地元の府中市でも、コンサートやワークショップを企画することにしました。今日は、それに全面的に協力してくださる市内のレストランのオーナーと最終打ち合わせをしました。

4月には廃品打楽器奏者の山口ともさんを迎えて、子どもも大人も楽しめるミニ音楽会とワークショップを。5月は、かつて府中に住んでいて、今もご実家(実は拙宅から歩いて20歩の近さ 笑)が府中にある、フルート奏者・Miyaさんと私とのデュオで、映画音楽を特集してコンサートを行う予定です。

今週中にはフライヤー掲載データをデザイナーに送り、3月半ば頃までにはフライヤーができあがってくる予定です。その頃に広くおしらせしますので、ご興味のある方は情報をチェックしてくださいませ。




2月21日(木) 自然体

夜、ライヴの前に、一噌幸弘さんにお預けしていた能管を引き取りに、ご自宅に伺いました。

この能管は、私が一噌さんのお父様・幸政さんに能管を習っていた頃に購入したものです。私はもう能管は吹かないと思うので、どなたかに購入していただけないかと思い、一噌さんにお預けして行く先を探していただいていました。結局、お弟子さんたちは購入を見合わせたそうで、残念な結果に終わってしまいました。

なお、この能管は、林豊壽さんという無形文化財の能管製作者が作られたもので、一噌幸政先生のお見立てによる楽器です。一噌さんは、たいへん良い楽器です、と言われています。ま、ほかに、誰も指摘しない(と一噌さんご本人が言っていました)細かい調整をしたほうがいいらしいのですが、楽器そのものはたいへん良いです、とのことです。

ということで、どなたか、購入しませんか?お値段はそれなりなのですが、私がただ持っているより、楽器を生かしてくださる方のもとへお譲りしたいと思っています。

そして、夜は、完全即興演奏ユニット・太黒山でライヴがありました。なんと言ったらいいでしょう、すべてが自然体。何の気負いもなく。あざとい策略や裏切りもなく、とにかく、何かをしようとしていない、みたいな感じでしょうか。これで16年も続いているのですから、驚くべきことであります(笑)。

ともあれ、音が出る瞬間、音が放たれ、そして音楽が生まれるとき、そんな時間と空間が太黒山にはあります。季節ごとにinF(at 大泉学園)でやっているユニットで、次回は春場所(5月15日)です。お誘い合わせのうえ、どうぞ気軽におでかけください。




2月23日(土) たまケアLive vol.10

午後、府中市市民活動センター・プラッツで行われた『たまケアLive vol.10』に参加しました。

これは、糟谷明範さんが個人でやっている任意団体で、医師や看護師、歯科医師、理学療法士、ケアマネージャーなどの医療福祉の専門家と市民がいっしょになって運営しているそうです。そして、医療福祉の専門家とか一般の方とか関係なく、気軽にフラットな関係で話が出来るような場所を作ろうと、2015年から活動しているとのこと。

そして、10回目となる今回は、「他人事を自分事に」というテーマで、NPO法人ゆめのめ代表の大高美和さん、そしてNPO法人日本ホリスティック医学協会の金子節子さん、お2人のお話しを伺いました。その後、糟谷さんのインタビューにお2人が応えた後、参加者4~5人がグループになって、今日の感想などをシェアする時間を持ちました。

そのお話しの内容の詳細は、ここでは割愛させていただきますが、興味のある方は、糟谷さんのblogをぜひご覧になってください。

障がいを持って生まれたお子さんを持っていらっしゃる大高さん、レビー小体型認知症と診断されたご主人をご自宅で介護し、看取りられた金子さん。お2人の人生に起こったご苦労やとまどい、憤り、かなしみ、やるかたない思い、そしてよろこびや今をどう生きているかを生き生きと話されるお2人のお話しは、非常に説得力があり、私はまさに「他人事を自分事に考える」時間を持ったように思います。参加してよかったと思いました。

そして、さらにすばらしいと感じたのは、このたまケアLiveのキャプテンを務めている糟谷さんの考え方と、今日のこの場の在り様でした。

最後のグループごとのシェア・タイムで、私が参加したテーブルにいたのは、東大和市の理学療法士さんと看護師さん(いずれも女性)、それに府中市役所に勤めている男性の職員でした。ほかにも、市議の方たち、4月の市議選に立候補する方たちもいたと思います。

こんな風に、市役所関係の人、いわば行政と一般市民が、高い問題意識を持って、いっしょにいろいろ考えるというような場というのは、これまであまりなかったように思われます。

私はこれまで市長懇談会のようなものに参加したこともありますが、あのような行政が主導しているものは、最初にもう答えあるいは結果ありきで、とりあえず格好つけるために一般市民の意見も聞きました、だけ、みたいなものがほとんどだと思っています。けれど、今日の場は全然違っていたのです。

さらに言えば、ここのところ、私もプラッツの講座に参加したりしているのですが、私が生まれ育った超保守的な府中市も、どうやら少しずつ変わろうとしていることを、今日も肌身に感じました。そういう意味でも、この2年前の夏にできた「プラッツ」の存在は、あるいは、プラッツという場は、この町を少しずつ変えていくものになっていることを実感しました。

ちなみに、市長は「市民協働を推進していく」ことをうたっており、この「プラッツ」の事業もその一環なのですが、敢えて言えば、私はこの市長の「協働推進」に必ずしも全面的に賛同しているわけではありません。市に登録しておくと、「市長からのメール」というのが届くのですが、その考えはあまりにも民間に頼り過ぎだろうとか、それは行政の怠慢ではないかしら?と感じることもあるからです。

府中市は競艇場を運営し、競馬場もある、東芝やサントリー、NECなどの大企業もあるなど、近隣の市と比べて財政が豊かで緑も多く住みやすい町ではないですか?と多くの人から言われます。が、もはや市の財政はそんなに豊かではなく、もともと住んでいる地主や古くからのお店や企業、代々の地盤を引き継ぐ世襲議員、頭の硬い、波風を立てたくない超保守的な、旧態依然たる思考や態度で横柄に接してくる、いわば旧い人たちがいるのも事実だと思っています。

が、そうではない新しい流れが、この町にできつつあると、今日、この会に参加して強く感じました。

話しを戻します。ともあれ、こうした場作りやネットワーク作りが実現できているのは、糟谷さんや志のある人たちが少しずつ動いてきたからだろうと思います。ほんとうに感心します。そして私は彼らの活動を心から応援したいと思います。

なお、糟谷さんご自身も、市の職員や市議が数名参加していたことや、参加者の半数以上が市民だったことを受けて、「一般市民と医療や行政がいっしょに話せる場を、民間の立場から作っていきたかったので、今回は「たまケアLive」としても5年間やってきたことが、やっと1つの形にできてきたかなと思う」とおっしゃっていました。

それにしても、「たまケアLive」が5年間も活動してきたことを、私は今になって知ったわけですが、これは私自身が地元でコンサートを企画しようとか、新しいプロジェクトのことを考えなければ、自分の他者への関心はそれまでのままだったと思いますし、市民としての社会意識もあらたに持てなかったと思っています。

まあ、正直、ちょっと遅過ぎた、私もあと20歳若ければなあああ、と思うのですが(苦笑)、残された人生、精一杯生きたいとあらためて思った日にもなりました。今回お話しをしてくださった金子さんのお言葉「生命がよろこぶ生き方を最期までする」。私もそうありたいと思います。



追記
今回のテーマ「他人事を自分事に」について

他人のことを自分のこととして考える。果たして、そんなことがほんとうにできるのだろうか?と、まず疑ってかかってみることは意味のあることだろう。

結論から言えば、おそらく、できない。誰にも、できない。

でも、感じることはできる。考えることはできる。

そして、そのときに必要なことは何だろう?と思ったとき、私は「想像力」と答えるだろう。

さらに、豊かな想像力を持つ人間になるために、音楽や美術、文学、演劇、映画、舞踏といった藝術や文化はとても大切になってくると、私は思う。

とてもきれいな音のする鈴の音が聞こえてきたとする。そのとき、Aさんが感じたことと、Bさんが感じたことは、おそらく異なるだろう。抜けるような青空を見あげたとき、百人いれば百人とも違うことを感じるだろう。それが豊かさにつながっていると思う。

ところが、東京オリンピックに向かって、なんとなく同調圧力を感じる今日この頃、今の政治は、人々が想像力や思考する力や言葉を持たないように仕向けているところがあるように思う。道徳教育しかり。菅官房長官にいたっては、新聞記者の真摯な質問にきちんと答えようとせず、妨害もしている。モリカケ問題はどこに行ってしまったのかわからないが、イチエフのアンダー・コントロールをはじめ、今の総理がウソをついているのは子どもにだってわかる。

あらら、いつのまにか政権批判になってしまった。暗澹たる気持ちになるので、もうやめておきましょう。ごめんなさい。

私は想像力豊かな人間でありたい。






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