1月
いちがつ


1月1日(木) 初春

あけましておめでとうございます
みなさまにとって、すこやかでいい一年でありますように
本年もどうぞよろしくお願いいたします




1月2日(水) 考えていること

昨年もほとんど更新しなかった、この『洗面器』。昔はあんなに一所懸命書いていた文章への熱意はどこに?という感じではありますが、実際、次から次へと音楽にも生活にもいろいろな問題が起こり、毎日があっという間に過ぎていくというのが正直なところかもしれません。

また、SNSの普及ということが、ここに文章を書かなくなったことの理由の一つと言ってもいいと思います。振り返れば、3.11の頃はmixiでした。計画停電のことなど、主な情報を得るのに、私の場合はmixi(地元のコミュニティ)が頼りでした。それから8年、個人情報の問題があることは知ってはいますが、現在のところ、FaceBookを主に活用しています。Twitterはときどき気が向いたときに、軽い感じでつぶやいています。

ともあれ、言葉を紡ぐことは、自分自身を見直し、育て、創ることになると思っているので、今年は折に触れ、自身のwebにも文章などを書いていこうと思っています。

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さて、昨年をざっと振り返ると、音楽的には、まず、アマチュア、プロを問わず、様々な歌手との出会いがありました。

年明け早々に浜田真理子さんと初めて演奏させていただき、幸せなことに夏にも共演させていただくことができました。その声の質感、言葉への向き合い方、存在感、佇まいは、私個人としては、おおたか静流さん、松田美緒さんとの出会いに次いで、心がとても震えるものとなりました。
いずれも喜多直毅(vn)さんとのデュオでの参加でしたが、浜田さんから「このデュオはもっと広く知られるべきだ」と言われたときは、ちょっとうれしかったです。ま、なかなか、世の中、そうはいってはいないのですが(苦笑)。

3月には驚異的なヴォイスパフォーマー・山崎阿弥さんと共演しました。日本にもこういう「声」を切り拓き、すばらしいパフォーマンスをする人が出現したことは驚くべきことのように思われ、さらに共演できたことは、大きなよろこびでした。
私は若い頃から、たとえば国内では天鼓さん、巻上公一さん、海外ではローレン・ニュートンさん、カトリーヌ・ジョニオさんといった、いわゆる「ヴォイス」の人たちと共演していますが、久しぶりにこういう若い方と出会いました。
なお、このライヴの企画を立ててくださった竹場元彦さんは、昨年11月に急逝されました。心からご冥福をお祈りしたいと思います。

2017年に初めて出会った小林貴子さんとは何度か共演する機会を得ることができました。6月には、貴子さんが主催する「パワー・ヴォイス・セミナー」に参加しましたが、ぶるぶる震える声帯というものを、私は初めて動画で観ました。とにかく、その「声」への半端ない探求ぶりにはとても感心し、学ぶところがたくさんありました。
さらに、11月には老人施設での公演で、貴子さんは何度も衣装を着替え、2人で世界一周の歌の旅に出られたことも、とても楽しい思い出です。

そのほか、5月には、20年以上前に知り合いだった、当時は日本人としては非常に珍しいモンゴルのオルティンドウをやっていた歌手・伊藤妙子さんのレコーディングに全面的に協力しました。妙子さんの人生にとって、こうしてCDという作品として自分の歌を残せたことは、大きな意味があったのではないかと思います。
ちなみに、このCDは一枚1500円でお分けすることができます。山口とも(per)さんも参加している作品です。興味のある方は気軽にお声かけくださいませ。

(参考)
伊藤妙子さんのCD『Kalavinka』 拙web内、2018年のtopics

そのほか、11月には鈴木典子さんと初めて共演の機会を得ました。また、かねてから共演依頼を頂いていた朱音さんとのデュオのライヴも行いました。2016年に初めて共演したLUNAさんともときどきいっしょに音楽を創りました。この数年かかわっているロシアの歌をロシア語で歌う、通称・タンコさんの“音や金時”でのライヴも、12月で250回目を迎え、私も参加させていただきました。

今年も初めましての歌手の方とのライヴやコンサートがいくつか決まっています。いずれもデュオですが、ピアニストとして力を尽くしたいと思っています。

ちなみに、私が歌手の方と共演するときは、どうも“伴奏”という気持ちになれず、無論、寄り添ったり、離れたりするわけですが、その関係性は従属的なものではなく、対峙して在ることを好み、歌手とピアニストといっしょに音楽を創るという意識になります。
なので、この在り方に慣れていない方、好まない方は、私から確実に離れていくようです(苦笑)。この私に内在する意識や姿勢は、歌のみならず、音楽、演劇や朗読についても言えることで、おそらく今後大きく変わることはないだろうなと思っています。

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演劇や朗読関係では、1月に久しぶりにトランクシアターの公演『亡命者のカバレット』に音楽監督として参加し、すべての楽曲の編曲、さらに演奏を行いました。
また、ブレヒトの言葉に触れることで、時代を超えて、このキナ臭い現代に向き合う時間を持つことができました。第二次世界大戦における作曲家や作詞家、たとえば古関裕而や西條八十といった人たちが行ってきたことを勉強できたことは、自分にとってたいへん意味のあることだったと思っています。

4月には女優・新井純さん、坪井美香さんとともに、石牟礼道子さんの作品『水はみどろの宮』をもとにした朗読劇の公演を行いました。
石牟礼さんはこの公演を待たずに、昨年2月に天に召されましたが、自分は何をするべきかがわかっている人間の生き方、社会に対して冷静に批判的な視点を持つこと、自然への畏敬、人間へのあたたかいまなざしなど、石牟礼さんが教えてくれたことは、この作品の根底に耐えず流れている水の音のように、今でも私に注がれ続けています。

10月にはアートフォーラムあざみ野で行われた、“原作者トークと朗読で愉しむ『日日是好日 「お茶」が教えてくれた15のしあわせ』の公演を行いました。
これは、エッセイスト・森下典子さんの作品『日日是好日』について原作者がホール担当者と対談し、さらに、女優の坪井美香さん、声優の奥以桃子さんが作品の朗読を行い、私が音楽を奏でるという企画です。
この4人は通称「もみのき」(それぞれの頭文字をとったもの)と言って、出会ったのはずいぶん前のことになります。折に触れ、こうした公演活動をしたり、いっしょに旅をしたりしている仲間なのですが、友人である森下さんのこの作品が、10月に、大森立嗣監督により映画化されたことは、私たちにとっても、感慨ひとしお、大きなよろこびとなりました。(敢えて書きますが、その映画自体については言いたいことが山のようにある私たちです 苦笑。)
ちなみに、この映画は一般公開を待たずに昨年9月に亡くなられた女優・樹木希林さんの実質上邦画の遺作となっています。(実際、『万引き家族』の残りの撮影、さらにドイツ映画の撮影があったと聞いていますが。)

なお、この『日日是好日』の原作者の対談と朗読の公演企画は、アートフォーラムあざみ野は約1時間20分くらいのショート・ヴァージョンでしたが、現在、間に休憩をはさんで行われるロング・ヴァージョンを作成中で、今年6月22日(土)午後、船橋にあるきららホールでの公演が既に決まっています。
公演のご依頼はいつでも承りますので、気軽にご連絡くださいませ。

(参考)
映画『日日是好日』の公式サイト

それから、2017年の夏に音楽を作成したドキュメンタリー映画『作兵衛さんと日本を掘る』(熊谷博子監督)が、今年5月25日(土)から、東中野・ポレポレ座で一般公開されます。
私はすべての曲を作り、喜多直毅(vn)さんにも協力していただき、音楽の録音を行いました。ただし、全体の音響を含めた音楽デザインには私はかかわっていません。私が行ったのは作曲、演奏を担当したのみです。
日本において最初の「世界記憶遺産」となった、山本作兵衛さんが描いた炭坑の生活の絵を軸とした、かなり硬派なドキュメンタリー映画ですが、この国のエネルギー問題、石炭、石油、そして原発などへの思考を深めることができる映画かと思います。足をお運びいただき、ご感想やご批判などをいただければ幸いです。
また、上映期間中、ポレポレ座の1階のカフェ・スペースで、小規模ながら、上野英信展も開催されるとのことです。もしかしたら、ライヴもあるかもしれません?関心を持っていただけるとうれしく思います。

(参考)
上野英信さん
『追われゆく坑夫たち』『地の底の笑い話』(いずれも岩波新書)などの著書を残した記録文学作家。

それにしても、まあ、このように整理してみると、私がかかわっている作品はけっこう硬派な社会派ですね(苦笑)。仕方ありません、多分、昔から、自分のなかには社会的なことに関する意識があって、このようなことになっているのだろうと思います。

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ほか、音楽的には、長く続けている喜多直毅(vn)さんとのデュオでは、今年、なんとか3枚目のCD作品を創りたいと思っています。

また、昨年は11月に神戸、岡山の二か所だけで共演した、濱田芳通(コルネット、リコーダー)さんとのCD作品も創れるといいなと思っています。振り返れば、初めてお会いしてから10年弱の月日が流れていることになるでしょうか。
ちなみに、昨年11月に、濱田さんは日野皓正(tp)さんとの共演も果たされています。濱田さんがマイルス・デイヴィスや日野さんのCDもたくさん持っていて、研究されていることは広く知られているかとは思いますが、今の古楽界で日野さんと共演できるのは、濱田さんくらいしかいないと思います(笑)。

そして、この濱田さんが総合音楽監督を務める大規模な催し『ダ・ヴィンチ音楽祭』が8月に行われます。

(参考)
『ダ・ヴィンチ音楽祭』

この音楽祭で、喜多さんと私は8月16日に30分ほど演奏させていただくことになっています。おそらく濱田さんとの共演もあると思います。私たちはいわゆる古楽の分野にいるわけではないのですが、“即興演奏”というくくりで機会をいただいた感じでしょうか。タイトルは「Improvisation 〜ウィズ・ザ・ミスティック・スマイル〜」ってな感じになっています。喜多さんと私と、二人であやしげな微笑みをたたえながら演奏したいと思います(笑)。ちなみに、古楽の方たちは近代ピアノなどはけっして弾かないので、私たちはトップバッターの出演になるかと思います。

上記、喜多さんは、自身のカルテットの活動はもとより、海外のインプロヴァイザイーたちとの共演も含め、これからますます外に向かっていくことと思います。応援したいと思います。

それに比して、現在、私は東京都府中市に住んでいますが、去年は地元で行われた講演会などにけっこう足を運んでみました。映画『日本と再生』(原発を扱ったドキュメンタリー映画)、憲法を考える講演会、女性の貧困問題、語りの会などなど。

また、市議や次期市議選に立候補する予定の方たち、さらに、地元にある大学、すなわち外語大や農工大の若者たちとも直接会って話をすることができました。フラットスタンド、シェアハウスで行われた“たまり場”、しごとバー、フェットなどなど、地域に根ざした生活や文化のことを真面目に考えている志のある若者たちから、私はたいへん刺激を受け、残り少ない人生、自分が生まれ育った地域で何かできないだろうかと強く思うようになりました。非力な私がどこまで実行できるかはわかりませんが、少しずつ動いていこうと思っています。

(参考)
フラットスタンド

上記、フラットスタンドが入る、京王線武蔵野台駅の活用

たまりば!

しごとバー 府中

フェット Fuchu Tokyo 2018

そういう意味では、自らが演奏するのみならず、これまでもORTMusic(2006年に立ち上げ)として、毎年コンサートなどを主催企画してきましたが、今年はプロデュースのほうにも力を注ぐことになるかもしれません。

そのほか、死ぬまでに実現したいことがいくつかあるのですが、すぐにどうこうできるものではないので、ここに書くのはやめておきます(苦笑)。

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以下、プライヴェートなことを少しだけ。

昨年8月に、とうとう、ガラケーからスマホ(愛本)に替えました。遅過ぎるでしょうという批判は甘んじて受けますが、スマホとの出合いは非常にショックなできごとでした。スマホというものは、持ち歩きできる電話という概念とはまったく異なり、電話ができるのはもちろん、持ち歩きできるパソコンであるという認識が、自分にまったくなかったためです。

私は友人の勧めで、1989年頃のパソコン通信時代からパソコンにかかわってはいるので、インターネットには親しんではいたのですが、まあ、旧態依然たる環境、状態だったようで、自宅のパソコンはデスクトップで、回線は有線だと告げたら、若い店員さんにとても驚かれたことも、まるで自分が化石化しているように思えて、とてもショックでした(笑)。

これから、AIやIoTなどなど、時代はさらに大きく変わっていくでしょう。果たして時代についていけるだろうか?とものすごく感じた、スマホを手に茫然と立ち尽くす時間を持った私です(苦笑)。

体調は、まあ、頸とか腰とか肩こりとか坐骨神経痛とか、いろいろありますが、昨年11月から、コレステロールと中性脂肪の薬を処方され、とうとう服用し始めてしまった私です(苦笑)。これはなんとかしたいので、摂生しながら、太極拳、ヨーガは続けていこうと思っています。

また、11月に、1日に2本、いずれも大きな仕事をしたときがあったのですが、もはやそのような体力はないことを悟りました。翌日がほとんど使いものにならなくなりました。来てくださった方たちに失礼のない、集中力を保った演奏はできたかと思っていますが、還暦を過ぎたら、ハードな内容の音楽を1日に2回行うことは、もうしないことに決めました(苦笑)。




1月4日(金) 初仕事

今年初めてのライヴは1月4日。先輩となる翠川敬基(vc)さんと齋藤徹(cb)さんとの共演でした。小1時間ほどリハーサルをした後、2ステージともテツさんの曲を演奏しました。

一番最初に演奏されたのは「月の壺」という曲で、私がテツさんと出会った、ごく初期の頃に演奏していたものです。私のなかでは印象深く残っており、リクエストさせていただきました。多分、あの ミ|ラ シ(Em) ド(F) ミ| のテツさんの音が、私にとっての圧倒的なテツさんの音なのだろうと思っています。

ともあれ、私、撃沈。

たとえば、この曲の、アフタクトで弾かれる出だしの4拍目の「ミ」の音。これが今もなお私は弾けないことを、痛いほど自覚しました。

通常、ピアニストは内部奏法をしないかぎり、白か黒の鍵盤を弾かなくてはなりません。直接弦に触れて演奏することなく音を出すわけですが、あのテツさんのコントラバスの弦をはじくまでの手の動き、溜めのようなものというか、空気あるいは呼吸を感じる手の運動というか、そして、その後のうねるような響きというか、そうした音を、私はまったく表現できておらず、ピアニストとしてまだまだとつくづく思いました。

ともあれ、テツさんはコントラバス奏者として、翠川さんはチェロ奏者として、やはりすごい方たちでした。私は修業が足りません。

音楽を創るおおいなるよろこびと、自身のふがいなさに地獄に落ちるような心持ちになった初ライヴでした。普段、音楽に関係する夢など、私はめったに見ないのですが、なぜかテツさんと翠川さんが歌って踊っている夢を見た私でした。うなされず、陽気な雰囲気の夢でよかったです(苦笑)。




1月13日(日) ピアノのプリパレーション

午後、両国門天ホールで行われた『未来に受け継ぐ ピアノ音楽の実験』というワークショップを聴講しました。

これは作曲家・伊藤祐二さん、ピアニスト・井上郷子さん、ホール代表者・黒崎八重子さん、音楽研究者・庄野進さんがプロジェクトを組んで行っているワークショップで、アーツカウンシルの助成を得て、昨年(2018年)から2020年にかけて、息長く行われる意欲的な試み、催しです。
詳細は、こちらへ

このワークショップは、昨年に既に3回行われていて、私はとても興味を抱いていたのですが、都合によりどうしても伺えませんでした。というようなわけで、今回で4回目となるワークショップに、私は初めて参加しました。

いわゆるピアノの内部奏法、プリパレーションの講座のようなものに、どれくらいの人が集まるのだろう?と思っていたのですが、これが超満員で、こうした催しへの関心の高さを、私は知ることになりました。裏返せば、このようなことを行える会場や場所は、実はそんなにないのかもしれませんが。ちなみに、もちろん、調律師さんは最初から最後までいらっしゃいました。

今日はジョン・ケージの作品『季節はずれのヴァレンタイン』という曲が取り上げられました。このワークショップに参加している人たちが3人から4人で1組になってプリパレーションを施し、実際にその曲を演奏しました。ちなみに、この曲は先月も取り上げられたそうで、参加者のみなさんは前回の反省を踏まえたうえで、たとえば弦の間にはさむ材質を吟味したり、その差し込み加減など、非常に微妙な領域の作業をしていました。

曲自体は3楽章のような感じで、短い3曲で構成されていて、参加者が1人ずつ、順番に演奏しました。合計4組が演奏。

各組ともプリパレーションにけっこう時間がかかっていたので、その間は井上さんとの質疑応答時間になり、意見交換なども行われました。なお、井上さんはこのプリパレーションに8時間も費やした曲を演奏したことがあるそうです。ひえ~っ。

そこで、私は演奏者の身体性について質問してみました。

具体的に言うと、通常、ピアニストは白と黒の鍵盤を弾き、指はその鍵盤の深さも含めて、微妙なタッチを感じながら演奏しています。なので、弦に何か施されていると、そのタッチが当然変わってきます。そうしたことによる、演奏者への身体への負荷は多大なるものがあると私は思っているので、たとえば、そんな8時間もかかるプリパレーションされたピアノを弾く井上さんは、ご自分の身体への負担を感じたことはありませんか?というのが質問の内容です。

したらば、井上さんは「ない」と答えられました。

ということに、私はびっくり。マジか・・・という感じです。実際はそんなことはないだろうになあと思うのですが、今日使われていた、ベンチ式ではない背もたれのあるピアノの椅子は、座面の前のほうが落ちていたので、もしかしたらそれほど頓着しないのかも?と思ったり。ちなみに、私はあの椅子では演奏できません。

その後、このワークショップに参加していたピアニスト・佐藤浩一さんとも話しました。彼もまた、たとえば、ローズやシンセを弾いてからグランドピアノを弾くと、身体に負荷がかかってたいへんだと話していました。私もそう思います。

あるいは、同じ鍵盤だからと多くの人は思うかもしれませんが、その構造がまったく異なる、たとえばチェンバロとグランドピアノを弾くと、私の場合は、チェンバロを弾いた後に、すぐにピアノは絶対弾けません。自分が弾いている音を聴いている耳も、即、音に反応できない感覚を伴います。

もっと細かいことを言えば、アップライトピアノとグランドピアノを弾くことも、もちろん、大きく異なります。

ピアニストの場合、自宅のピアノを弾く以外は、こちらの身体や耳が、その会場にある楽器に合わせざるを得ないことがほとんどだと思うので、ちょっとそんな質問をしてみたりしたのでした。

(付け加えれば、楽器と自分の間に入って作業をしてくださる調律師さんという存在が、ピアニストにとっていかに大事か、ということにもなるのですが。)

さて、話しをもとに戻すと、4組とも、同じ譜面を見て、プリパレーションを施し、演奏したわけですが、これが、もう、各組、各曲、全然違っていたことが、私にはとてもおもしろかったです。音色や音の響き、倍音の出方などが、まるで違って聞こえてきました。

私の好みで言うと、3組目のプリパレーションが一番印象に深く残りました。倍音もたくさん出ていて、音の響きが豊かで色彩感があるように、私には感じられたからです。

さらに言えば、3組目は4人のグループだったので、3パートに分かれている曲の最初の曲を2人が演奏することになったのですが(1曲目、2曲目、3曲目、一巡して再び1曲目が、各曲とも違う弾き手によって演奏された)、その間、弾かれることによって、弦の間に差し挟まれた物体(ネジとかフェルトとかゴムなど)がずれたり動くといったことがあったとしても、何に驚いた、って、同じ曲なのに、1人目の方の演奏と、4人目の方の演奏が全然違っていたことでした。

1人目の方のほうが、それは豊かに倍音が鳴っていました。具体的には、ラの音の5度上の倍音(ミの音)がきれいに響いていました。が、4人目の方の演奏にはそれがほとんどないように、私には聞こえたのでした。

かくのごとく、弾き手によって、その人のタッチによって、こんなにも音が変わるのかということを、私はあらためて思い知りました。ピアノはなんておそろしい楽器なんだろうとさえ思いました。

さらに驚いたのは、この3組目のプリパレーションで、井上さんが弾いたときのことです。その演奏は、私にはそれまでの人たちの演奏とまったく違って感じられました。

「あ、音楽だ」
それはとても豊かな音楽として、私の心に響いてきたのです。

ワークショップの参加者は一般公募で集まった方たちや井上さんの生徒さんたちですが、その方たちの演奏と、ピアノによる現代音楽の最前線で活動を続けて来られ、昨年60歳を迎えられた井上さんの演奏とでは、こうも違うものかと、私は思いました。譜面自体は、そんなに難しいものではないと思うのですが、それでもこんなに音楽として立ち現れるものが違うことを目の当たりにして、それだけでも今日は参加してみてよかったと私は思いました。

さらに言えば、作曲者の意図とか譜面の解釈を超えた次元のところで、書かれている音に対して、この場合はプリパレーションされた音たちに対して、演奏者はいかに想像力やイメージする力を養い、持つことが大切であるか。そして、日々訓練するなかで、それが10本の指先とどれくらい連動していることが必要か。私はそんなことも考えました。

って、私もちょっと弾いてみたかったなあ、なんて思ったりして(笑)。

実を言うと、私がペダルが3本あるグランドピアノの真ん中のペダルを使うようになったのは、井上さんのオペラシティでのリサイタルに行き、あの不思議な空気感を伴った響きはどうやって出しているのだろう?と感じたのがきっかけでした。いわゆるジャズの分野で、おそらく、真ん中のペダルを使っている人はあまりいないと思うのですが、弱音ペダルも含めて、現在の私はペダルの操作をかなり意識的にするようになっています。

なお、今日来ていた佐藤浩一さんは2年前(2017年)、両国門天ホールと私が共同主催企画制作している『くりくら音楽会』(二台ピアノのコンサート)に参加してくれた若者です。なんでも演劇の仕事で、ピアノの内部奏法をしなければいけない情況に追い込まれているとのことで、私は相談を受けたので、これに来てみたら?と誘ってみました。

また、年始のライヴには、昨年の『くりくら~』に参加してくれた、やはり若きピアニスト・永武幹子さんが来てくださいました。そのとき、いろいろ話した後、ピアノという楽器についてもっと詳しく知りたいと連絡があったので、私が参考にした本のことなどを伝えました。

私としては、このように、この両国門天で行われた『くりくら~』に参加してくれた若者たちと、コンサートが終わったら、はい、さようなら、ではなく、こうしてなんらかのかたちでつながれていることを、正直、うれしく思っています。

もう少し言えば、この両国門天ホールは、こうした人のつながりを創っていく「場」としてこれからも存続して欲しいと、私は願っている者の1人です。

ということで、この『未来に受け継ぐ ピアノ音楽の実験』というワークショップは、来月以降も引き続き行われる予定です。私は可能なかぎり参加してみたいと思っています。ご興味のある方、ピアノという楽器の可能性を探りたい方は、ぜひ!




1月20日(日) 山田和樹指揮、ラフマニノフ交響曲第二番

午後、府中の森芸術劇場で行われた、山田和樹指揮、日本フィルハーモニー交響楽団のコンサートに行きました。通称ヤマカズさんがちゃんとしたオケで棒を振っているのを見てみたい、聴いてみたい、と思ったのが、足を運んだ動機です。

プログラムは、前半はチャイコフスキー作曲「ヴァイオリン協奏曲ニ長調 作品35」、後半はラフマニノフ作曲「交響曲第2番 作品27」。

この後半に演奏された約1時間近いラフマニノフのシンフォニー。これがほんとうにすばらしかったです。

日フィルって、こんなにやわらかい、豊かなサウンドを醸し出すオーケストラなんだ、と思いました。弦楽器の各パートはこよなく歌い、響き合っていました。管楽器はミス・ピッチのようなものもほとんどなく、それらが合わさったときの音はまっすぐに会場に届く感じ。そして、オケ全体が何かどこかをめざして一体化しているような感じがしました。それは指揮者とオケの深い信頼感に支えられているものだったのかもしれませんが。

ヤマカズさんの指揮はとてもしなやかで、先月同じホールで聴いたマエストロ・佐渡裕さんとは異なり、その身体は小柄ながら、タクトの先から様々な風を呼んで、いろいろな色彩を放っているような感じがしました。ちなみに、テンポ感のあるところで、お尻を横に振る姿は妙に可愛らしかったです。

それにしても、第三楽章。有名な旋律が聞こえてきて、クラリネットの独奏へ、といったあたりで、なぜだか泣きたくなる気持ちになりました。以前、同じラフマニノフの曲「ヴォーカリーズ」を自分で演奏したときも、そんな心持ちになったことがあるのですが、この音楽の魔法というか何というか、これはいったい何なのでしょうね・・・。

その第三楽章の終わり。マエストロは伸ばした片方の手を5秒~10秒くらいは下ろさなかったと思います。そういう音楽、でした。

終演後、楽屋を訪ね、1年少しぶりにヤマカズさんにお会いしました。上着を脱いだ白いシャツはもうびしょびしょでした。いやはや、指揮者というのはすごい仕事だとあらためて思いました。

ちなみに、このラフマニノフの曲は、ヤマカズさんご自身にも深い思い入れがある曲だったようです。
インタビュー記事

こうして、先月は佐渡裕さん、今月は山田和樹さん、二人のマエストロによるコンサートを、私は拙宅からとても近いところにある大ホールで聴く機会に恵まれました。実に有難いことです。

そして、このお二人の指揮者は、音楽に対する考え方も、人間的にも、非常にオープンで、たとえば山下洋輔(pf)さんや小曽根真(pf)さんなど、いわゆるジャズの分野で活躍している人たちとも、音楽を共に創っていらっしゃいます。さらに、ご自身の音楽のなかに「合唱」が生きていることも、共通しているかもしれません。ともあれ、自分の人生、こうしたマエストロたちと知り合えただけでも、私は幸せ者でございます。




1月26日(土) 調律師という仕事

まず、この対談記事を。
https://ontomo-mag.com/arti…/interview/tsunagari13-20190125/

この調律師・岩崎さんとは、両国門天ホールや新宿ピットインでの仕事で、私はお会いしたことがあります。

また、対談の中でも語られていますが、岩崎さんは調律という仕事に携わる人がこれから減っていくであろうことに、たいへん危機感を抱いていらっしゃいます。そして、両国門天ホールでは調律のセミナーとワークショップを、さらに、調布音楽祭で子ども向けの調律に関するワークショップを行っていて、私はいずれも参加しました。

ジャズ関係のピアニストにも、この岩崎さんにお世話になっている人たちはたくさんいます。さらに、岩崎さんが開発して特許を得ている部品に、私たちはたいへんお世話になっています。

それにしても、私がお世話になっている調律師さんたちは、なぜか、みなさん、独立していて、それぞれ非常にこだわりのある、いわば一匹オオカミ的な仕事をしている方たちばかりです。その方たちは、岩崎さんが対談で話されているような、楽器メーカーに対する不信や不満を少なからず持っている、愛すべき、すてきな調律師さんたちで、私は東京で、東北で、北海道で、各地で、ほんとうにお世話になっています。

これまで、私は繰り返し、調律師さんのことを書いていますが、ピアニストは調律師さんがいなければけっしていい演奏をすることができないと思っていますし、私は調律師さんとのコミュニケイションをとても大切に考えています。そして、その日の音楽は調律師さんといっしょに創っていると、私はいつも思っています。




1月27日(日) まち活塾

去年の夏頃からでしょうか、自分が住む東京の府中市に新しくできた「府中市市民活動センター プラッツ」(2017年7月オープン)の催しや、地域の集まりなどに、私はときどき足を運ぶようになりました。

私は小学校から高校まで地元の学校に通わなかったので、実は地元の友だちがとても少ないのですが、そんなわけで、少しずつ顔見知りや友人もできてきた感じです。

では、なぜそうした集まりに参加するようになったかというと、現在の自分の年齢や、この後の人生、自分にどんなことができるだろうか?と考えたことがあります。具体的には、自分自身が音楽を奏でる以外に、自分が生まれ育っている地元で、いわゆるコンサートなどをプロデュースしてみようかなと思っていて、そのための足場作りを少しずつ行っている感じです。

そもそも、私は2006年に自ら立ち上げた『ORTMusic』で、これまでもコンサートなどを企画制作してきました。それは主に、門仲天井ホール、そこが閉館になり両国に移ってからも、ホールの協力を得ながら、毎年、どこからの助成も受けずに、なんとか続けてきています。

そのノウハウを生かしながら、地元でコンサートを、と考えたことには理由も動機もあるのですが、今、そのことについては書きません。ともあれ、いわゆる“地域活動”をしてみようかなという感じです。ちなみに、それはあくまでも地域活動であって、ピアノを演奏する音楽家としての仕事(音楽的に実現したいこと)とは、私は明確に分けて考えています。

ということで、今日はプラッツが主催する『まち活塾』というのに参加してみました。
http://www.fuchu-platz.jp/event/1003433.html

ファシリテーターが1人いて、最初は参加者全員が車座になって、30秒間スピーチ。20秒経ったら、隣の人の肩を叩くというふれあい付き。話す内容は、自己主張や自分のことは話さずに、今、気になっていることを話すところから始まりました。自分の身にまとっている肩書きなどをはずして、自分にあまり固執しないというところから始まるのかな?と感じました。ま、こういう集まり、自分を語りたがる人がけっこういるであろうことは想像に難くありませんが。

私は気になることとして、「今、PCからBGMとして流れているジャズが気になる」と言いました。途中でヴォリュームは落ちたのですが、それでも聞こえてきて、私の頭はその音を全部拾ってしまって、しんどいためです。(多くの人が言ってはいますが、日本には余計な音楽があふれ過ぎていると思っています。町を歩いていても、喫茶店にいても、テレビを見ていても。)

その後4つのグループに分かれて、レゴブロックを使ったワークショップが行われました。レゴなんて、小学生以来、触ったこともなかったため、最初はちょっと面喰いました。

初めはタワー(塔)を作る、次に信頼を表現する、その後グループ替えが行われて、最後は価値観を表現する、というテーマで行われました。
(「レゴブロックを使ったワークショップ」等で検索すると、いろいろ出てきます。)

私はほかのテーブルの人の作品はよく見られなかったのですが、参加者全員が、同じ個数、同じ形のレゴブロックを与えられているのに、できあがっているものはまったく違っていることが、なかなか面白いなと思いました。

私のテーブルには、このプラッツの女性の館長さんもいらして、それは実に館長という仕事をされている方の作品のように、私には感じられました。考え方、土台がしっかりしている感じ。

また別の方の作品は、しっかりとした塔が作られていて、外(社会あるいは他者)を受け入れるのは階段のみ、というものでした。と、感じたのは私で、その方はその階段を付けたことで、外とつながっていることをうれしそうに話していたのでした。『羅生門』ではありませんが、人によって、見方や意味づけが全然異なる、というのがちょっと面白かったです。

私は、と言えば、塔はきわめて低く天井もないもので、そこに目を3つ付け(人間の目のようなものが付いた小さなレゴブロックがあったので)、あとはレゴブロックを上に積み上げず、色のバランスも考え、それぞれ勝手な方向を向いている配置になってしまいました。塔を作るというテーマには反していたかもしれませんが、仕方ありません、こうなってしまいました。

直感。これは、潜在意識や性格が現れるのだろうな、と思いました。

最後のほうでは「ライフラインチャート」という紙が配られ、それは自分の人生の浮き沈みをグラフのように書いたり、これまでの人生をざっと振り返って文章にするというものでした。

WhatやHowを考える前に、Whyを考えようとか、ファシリテイトや見える化といった言葉など、なるほどなあ、これが今どきのワークショップというものなのだろうなと感じるところが諸所にありました。おばさん、とりあえず、今どきを学ぶの巻という感じです。

音楽を創るということは、また音楽の仕事に携わるということは、毎日、否応なく、自分自身と向き合うことにほかならないので、ファシリテイターの方がおっしゃっているWhyを考えろというのは、私にはすべてア・プリオリなことだったのですが、他の参加者のお話しを伺うと、仕事、子育て、生活に追われ、こんな風に自分の内側と向き合ったことがなかった、という人もいらしたので、そっか、どうやら、やはり、私のほうが一般的ではないのかも、と気づいたり。あるいは、こんな風に生活できていることを、なんだか両親やご先祖様に感謝する気持ちになったり。

また、私の場合は、この町でやりたいことは決まっていますし、既に動機も含めて文章化、意識化しているので、内容そのものにはあまり新たに得るところはなかったというのが正直なところなのですが、当然のことながら参加者が実にいろいろで、少なくとも自分の視野を広げることにはなっているように感じました。というより、地域がどのような状況で、どのような聴衆を対象にしなければならないか、などを学ぶ機会かもしれないと思っています。







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