8月
8月1日(月) 下町へ

夜、門仲天井ホールの打ち合わせ。その後、両国・bbに行き、話をして帰る。

電車の中で、田辺聖子による『源氏物語』を読んでいる。思わず、笑ってばかりいる。大阪弁で語られると、なぜ、ちょっとおかしい心持ちになるのだろう?そして、まあ、男といふものは・・・と思う。



8月2日(火) 夏場所

午後、壊れていた雨樋を修理してもらう。ついでに屋根を見てもらったら、土のゴミが少々。うーん、これ、放射能よね、と思いながら、土に埋める。

夜、大泉学園・inFにて、“太黒山”のライヴ。季節ごとに一度やっているので、今回は夏場所。

太田惠資(vn)さんと演奏するのはなんだかとても久しぶり。去年新しく使い始めたイタリア生まれのヴァイオリンの音色は明るく、そして幾分軽く、でも太田さんにだいぶなじんできたような気がした。

山口とも(per)さんは、今宵は、きれいな青色をしたポリタンクを披露。これがなかなか柔らかくて太く、いい音を出す。聞けば、元は漬物が入っていたという。なので、ごぼう漬物の臭いがかすかに。ちなみに、緑色のポリタンクは洗剤が入っていたそうで、こちらはいい臭いが残っているらしい。

ちなみに、この完全即興演奏ユニット、秋場所はなく、今度は冬場所になります。



8月3日(水) お祝い

ショスタコーヴィッチ作曲、交響曲第14番を聴く。とても面白い。

夜、能楽師になった大学の後輩が、このたびめでたく重要無形文化財に認定されたので、渋谷で中華料理をいただきながらお祝いをする。

能楽には5つの流派があるが、彼は金春流。圧倒的に人数も多く、最大の勢力を誇っているのは観世流。それに比べて金春流はかなり弱小の流派なのだが、その金春流で、今年、ただ一人、認定されたのだそうだ。

新入生歓迎の際、彼を能楽研究会に勧誘したのは私だそうなので、その人生に幾分かの責任を感じている私も、素直にうれしい。

私たちが現役の時に指導してくださっていた、櫻間金太郎先生のお話などもする。実に“声”がすばらしい先生だった。地球の底のほうから聞こえてくるような重低音で、この世界の森羅万象すべてを震わせるような、いい声だった。



8月4日(木) 2回目のトリオ

午後、太極拳の教室に出席。全身汗まみれになる。シャワーを浴びて、ほんの少し昼寝して、夜の仕事にでかける。

渋谷・公園通りクラシックスで、黒田京子トリオ(喜多直毅(vn)、翠川敬基(vc))のライヴ。マイクは一切使わず、生音で演奏。演奏位置を定め、曲を少しだけさらって、本番に臨む。

即興演奏しかやりたくない喜多さんの意思は、音で伝わってくる。この曲はあまり演奏したくない、ということもはっきり感じられる。翠川さんの意思もしかり。

また、全体を通して、喜多さんが音楽の異化分子的演奏を担い、音楽の幅を揺り動かしていたように思う。

さらに、喜多さんと翠川さんは、破壊への意思を強く抱いておられるように感じているが、そのあたりの二人の呼応や親密感、さらに三人のバランスが、これからどうまとまり、壊れ、ひしゃげ、くんずほぐれず、時には天に突き抜け、風を起こし、音楽を紡いでいくことになるか・・・という風に感じた。

私に集客の自信がないため、このトリオ、ひと月に何本もライヴは入れられない。でも、最低でもひと月に一回くらいはライヴを続けていき、どこまでこの三人で音楽を創ることができるか、壊れるところまでやってみようと思う。

そして、つくづく思った。この日のピアノ(楽器)のコンディションはあまり良くなかったのだが、この「響き」が、この空気の震えが、今の私にはかけがえのない世界(世界認識)を、ほかならぬ私自身にもたらしている、と。

それにしても、私はほぼ自分の背中で、二人の演奏を聴いている位置どりなわけだが、背中、って、案外、いろんなものが聞こえることがわかった。ほとんど目を合わせない分、別の意識、あるいは五感のようなものが、きちんと働いている気がした。太極拳のおかげか?もしくは、即興演奏にかかわっていると、自然に発達する能力のようなものか?

ということで、昼間は汗だくになって体力を消耗し、夜は多分かなり集中力を使ったからだろう。この晩は久しぶりにぐっすり眠った。




8月6日(土) 軽井沢・その1

午前11時には家を出て、車を飛ばす。大泉から関越道に入ったところで、車内のBGMはジュリー(沢田研二)のベスト盤に。歌いながらの運転で、声が嗄れる。碓氷峠の辺り、ちょっと放射能汚染のホットスポットよねえと思いつつ、なんとなく愛車にごめんねと言いながら走る。

途中、高速は少し渋滞していたけれど、午後2時半頃にはセゾン美術館に着き、一人でお茶をする。ところが、にわかに空は曇り、雷が轟き、美術館はしばし停電になる。そして、去年と同様、とても蒸し暑い。

午後3時、電話が入り、調律師さんが待っているという連絡。美術館から軽井沢朗読館までは、車で5分足らずで着く。

東京・青梅から来てくださっている調律師さんと、しばし歓談。去年、その湿気でものすごくたいへんな状態だったピアノは、今年は湿度管理された個室で日々を過ごしてきたとのことで、別人28号になっていた。とは言っても、冬の間は冬眠、頻繁に弾かれているわけではないので、調律師さんの作業もたいへんだったと思う。

演奏は、坂田明(as,cl)さんの声だけマイクで拾い、水谷浩章(b)さんがベースアンプを使うものの、あとはすべて生音。

この朗読館の屋根の傾斜は、ある所に立って朗読するのにもっとも響くように設計されている。けれど、演奏はそうはいかないので、まず、もっとも良い位置を定める。最終的には、ピアノの位置を壁から30cmくらい前に出したポジションで落ち着いた。

さらに、ピアノの響き。調律師さんと相談して、あれこれやってみた結果、楽器についているキャスターの向きを、右は外向き、左は内向き、奥は外向き、にすることにした。この設定は初めての経験だったが、こうしておくと、自分にも程よく聞こえ、客席にもよく聞こえる、ということで、最終決定。

なんとまあ、トリビアルなこと、と思う人もいると思うが、とっても大事なこと。自分の意識がここまでたどり着くのに、恥ずかしながら、だいぶ時間がかかってしまったけれど。

夕方、雨も降り、湿度は最高潮&絶好調。去年と異なり、大勢のお客様が来てくださった。演奏した後は、全身汗びっしょり。終演後はみなさんと会食、BBQなど。夜も暑く、寝汗をかく。



8月7日(火) 軽井沢・その2

午前中、食事をし終えてすぐ、リハーサル。今日は午後から、館長の青木裕子(元NHKアナウンサー)さんとグリム童話『ヘンゼルとグレーテル』の朗読と音楽をやることになっている。

これは “おはなし森のぼうけん”と名付けられた催しで、子供たちといっしょに楽しむ時間だ。まず、青木さんと私がこのお話をやり、次に、有志の子供たちが別の絵本で、このお話を分担して朗読する。私は適当に音楽を奏でる。

さらに、最後には“お菓子の家”も登場して、みんなで「おさんぽ」(トトロ)の歌もうたったりするという、親子で楽しめるひとときになっている。

実のところ、これほどみなさんが“参加”してくださるとは想像していなかった。そして、みなさんが笑ったり歌ったりされているのを見て、これは、ここ、軽井沢にある朗読館の“場の力”だと思った。開放的な感じがとってもいい。多分、東京ではこうはいかない。こういう企画、なかなか面白いと思った。

それにしても、『ヘンゼルとグレーテル』。なんというお話だこと!家にはもう食べるものが何もなくなってきたから、子供を森に捨てる、という話だったことなど、すっかり忘れていた。でもって、泣く泣く子供たちを森に置き去りにした父親と兄妹はハッピー・エンドで、血も涙もない母親は死んでしまっている、というのが最後。

その、最後に、母親は死んでしまった、というところで、なぜか、この話を聞いている人たちからは笑いが起こる。なんだか不思議な心持ちだった。なぜ、そこで、人は笑うのだろう?

午後3時半頃、軽井沢を出て、去年と同様、東京には戻らず、佐久へ出て、そのまま野辺山のほうへ南下。途中、ものすごい雷と雨に見舞われる。車のワイパーを高速フル回転させても、まーったく前が見えない。あまりに怖くて、なんとかR141号線沿いのコンビニの駐車場に車を停める。運転どころじゃない。

少し小降りになったかなと思ったところで、再び車を走らせるも、途中、鉄砲水のような箇所、道路がほとんど冠水しているような所もあり、右側は崖だし、おまけに、先の大津波の映像の記憶もよぎり、怖いことこのうえなし。

やっとの思いで、野辺山に着く。とにかく、涼しい。そして、お水がおいしい。(軽井沢では水道水は飲めない。)さらに、放射能汚染から少し離れていることが、自分に安堵感を与えていることを感じる。



8月8日(月) 立秋の空に虹

午後、小淵沢と信濃境の中間辺りで、農業を仕事としている高校の同級生の家に遊びに行く。あの高校を出て、農業をやっているのは、彼女くらいしかいないと思う。当時から、社会意識の高かった友人で、部落問題、朝鮮人差別問題などについて、読書会をしたり、話し合ったりしていた仲間だ。

彼女のところは養鶏をやっていて、その卵はものすごく濃厚でおいしい。ちなみに、小屋の中で放し飼い。抗生物質を一切使わない飼育をしている。話している間にも、鳥インフルエンザ検査の電話が入ったりしていたから、生き物を相手に商売していくのはたいへんなことだと思う。

で、今日の割合に突然の訪問は、そもそも、長坂に家を建て、週末はこっちに来ているという、高校のハンドボール部の後輩が、この友人を紹介して欲しいとしらせてきたことがきっかけだった。

で、家までの道がよくわからないので、小淵沢にある道の駅(延命の湯)で待ち合わせる。したらば、ほかに高校の同級生がたまたま2人来ていて、再会をよろこぶ。

その友人の一人は、ヨガの先生や整体をやっており、ランチができるまで、身体をもんでもらった。極楽〜。

あれこれ話をする中で、今日集まった人たちは、基本的に「自給自足」の生活を志している人たちであることがわかる。そのために、現役で、農業や作物を育てる勉強をしていたりする。“食”の安全、当然、原発事故による食物の放射能汚染のことなどにも話題が及ぶ。みんな芯のある生き方をしようとしていることが伝わってきた。高校生の時はそれほど親しくなかった人たちともこうして話せる時間を持てて、なんだかうれしい。

夕方、また雷と雨。帰り道、八ヶ岳高原道路の、ちょうど牧場の辺りで、大きな虹を見る。なんだか心が広くなる心持ちになる。

地デジ化していないので、テレビはない。さらに、パソコンもない。という生活で、ラジオ放送を聞く。

NHKFMラジオでは、N響のコンマス“まろ”がSPを特集する番組のDJをやっていた。その中で放送された、コルトー(pf)が演奏するリスト(今年は生誕200年らしい)の「ハンガリー狂詩曲」は、遊び心満載、諧謔的、ユーモアがあり、歓びにあふれている感じで、面白かった。

夜11時、「ジェット・ストリーム」という番組がまだ続いていることを知る。いったい何十年ぶりに聞いただろう。でも、もう、“あの声”(城達也)ではない。

深夜0時からは、「Rock of Ages」を聴く。主に1970年代の未発表音源を聴く、という番組。今日は、ボブ・ディラン、ニール・ヤング、そしてザ・バンド。「ああ、アメリカだ」としみじみ思う。私のアメリカの歌の記憶は、このあたりにあるらしい。ほとんど口ずさめる自分に、自分で驚いたり。



8月9日(火) 涼しい

涼しいので、なんと10時間も眠ってしまった。

朝の目覚めの最初の曲は、佐渡裕(指揮者)さんがベルリン・フィルを振った、ショスタコーヴィッチのシンフォニー5番ではなく、武満徹のほう。ああ、武満さんのサウンドだ。不思議だけれど、楽器の音色の重ね方などで、なぜかすぐにそれとわかる。

さらに、読書もはかどる。田辺聖子が大阪弁で書き綴った『私本・源氏物語』読了。非常に面白かった。まったく男といふものは、性懲りもなく・・・。

源氏が明石の君と別れる最後の段。
「神サンのなさることに逆らってはいけない。
人間というものは、流れゆく先々で、ともかく、がんばらなくちゃいけないようにできている。」
と、田辺聖子は締めている。

さらに、『声の道場 〜日本の声があぶない〜 』(山村庸子 著/一世出版)も読了。

能楽師の「息の詰め開き」(あるいは「無息の呼吸」)、「息に音を乗せる」、「息より少し“内輪”の声を使う」。

息という字は、“自分の心”と書く。日本人と西洋人とでは、言葉を発する時の顎の使い方がまったく異なる。

などなど、日本語の発声という点に着目して書かれていて、示唆に富んだ内容の本ではあった。

が、どうも文体、文章の書き方、この本、否、著者の傾向が、やや啓蒙的に感じられたのが、私には少ししんどかった。

深夜のNHKFMラジオ「Rock of Ages」。今宵はレッド・ツェッペリンとクイーン。ツェッペリン、すごい。あらためて、ちょいとぶったまげた。1969年、ウッドストックが行われた年の録音。(ちなみに、翌年、1970年、ビートルズ解散。)

一瞬、ジャズかと思ったところも。一曲がとても長いのだ。まるでジョン・コルトレーンの長尺な演奏を聴いているような気分になる。

この番組では、未発表のライヴ音源を放送している。未発表というだけあって、実際、録音状態や全体の音のバランスなどは決して良好とはいえない音源もある。演奏内容もちょっと荒っぽいところがあったり、リズムは明らかによれたり遅くなっていたり、などいろいろある。

が、が、が、音楽はものすごーく伝わってくる。この“質感”はなんだろう。すばらしい。サウンドもエネルギーも重い。ざらざら、ざわざわしているような感触。そして、なによりも、空気が在る。空気が震えているのが感じられるのだ。

この前の番組は「ジェット・ストリーム」なわけだけれど、音楽の質感がまったく違う。私の耳には、明らかに打ち込みと思われる音、シンセやサンプリングを使った音は、非常に不自然に聞こえてくる。というより、この耳にはつらい音に聞こえてくる。

もし多くの若者が、この「ジェット」で流されているような音ばかり聴いていたら、しかも、i-podoなどで耳に直接イヤホンで聴いていたら、耳は退化するだろうなあと思ってしまった。

あ、急に思い出した。スーちゃんが亡くなった時に放映された、キャンディーズの解散コンサート。バックバンドは、もちろん、生演奏。カラオケでも打ち込みでもない。



8月10日(水) 満天の星

波多野睦美(歌手)さん(高橋悠治(pf)さん)のCD『ゆめのよる』、さらに『猫のうた』を聴く。すんばらしい。嫌味がまったくない、やわらかい声の質感。

夜、いろんなことを想いながら、満天の星を見て、涙ぐむ。

NHKFMラジオの「まろのSP」は、ヴァイオリン奏者特集。その中で、ベチャリが演奏している音源を聴いて、それがまるで喜多直毅(vn)さんのように聞こえたので、思わず彼にメールする。

「Rock of Ages」は1970年代の西海岸へ。ジェイムス・ブラウン、イーグルス、リンダ・ロンシュタット。東と全然サウンドが違う。



8月11日(木) 時代の要請

愛車を洗車。2時間かけてあげる。モノにも、時々、ちゃんと愛情をかけてあげなくてはいげない。って、よっぽど汚れていたわけで。

NHKFMラジオで、山下達郎が話しているのを聞く。デビュー36年目になるとのこと。あと2年で還暦だそうだ。話す速度はけっこう早口。そのしゃべり方は、若干、世の中を斜に見るというか、やや高見な感じがして、私はあまり好きではないなと思う。

山下達郎は“サウンド”のことを頻繁に口にしていた。メロディーとかリズムではなく、彼にとっては、全体のサウンドが重要らしい。という観点から、その音楽を聴くと、なるほどと思うところがあった。それほどたいしたメロディーではないのに、声質と歌い方も含めて、サウンドが独特な雰囲気を持っている。

ただ、その背景には、時代、がある。というか、企業の戦略、がある。若者が車を飛ばし、片方の手にはハンドル、片方の手は彼女の肩と長い髪、みたいな状況で、風を感じながら、カセットテープから流れてくるのにふさわしい音楽、というような。

「中央フリーウェイ」(作詞作曲 ユーミン)には、拙宅の近くの風景が歌い込まれているけれど、要するに、そういう感じの歌が、時代に必要とされた、という感じだろうか。

ハイファイセットの2枚組CDも、あらためて聴いてみた。やはり村井邦彦が作る曲が今でも心に残っている。赤い鳥、ガロ、ユーミン、サーカス、吉田美奈子、YMOなどをプロデュースした人でもある。アルファ・レコード設立者。ちなみに、慶応大学在学中にジャズを学んだ人。おそらく、ジャズという音楽がもっともヒップだった青春時代を送っている世代の方だ。

ほかに、山下達郎が言っていたことで印象に残っているのは、今、残っているシンガーは、みんな最初から自分で作詞作曲をしてきた人たちだ、という発言だった。小田和正、サザンの桑田、ユーミン、長淵剛など。

んでも、サザンオールスターズの2枚組のベスト盤も聴いたけれど、桑田さん、曲作りに相当苦労していると思った。この人の本質はどこにあるのだろう?ある種のあざとさ、ケレン味、ふるまい、の裏に隠されているものは何だろう?

って、この人は、何を歌いたかった、あるいは歌いたいのだろう?ほんとうに歌いたいこと、はあったのだろうか?とはいっても、サザンは解散したし、さらにご自身が病気をされてから、ちょっと変わったようにも感じているけれど。

無論、「勝手にシンドバッド」が出た時は衝撃的だった。あんな風に、メロディーに日本語を乗せた人は、それまでいなかったように記憶している。このデビュー曲と「いとしのエリー」が、最初からダントツに良過ぎたのかもしれない。

夜、周辺の灯りはだいぶ減ってしまった。ちょっとさみしい。夜更けの気温は室内でも20度を切っていて、蒲団をすっぽりかぶらないと寒いくらい。



8月12日(金) 田舎の温泉

夜中、3時半頃、さらに4時半頃、地震。忘れていた頃に、決して忘れるなとでも言うかのように、ちょっと大きな余震がやってくる。底のほうに潜んでいた不安が揺さぶられる。

午後、近くの温泉へ。南相木村の「滝見の湯」とは名ばかりにて、湯船から滝は全然見えない。聞けば、建て物の外へ出て見に行ってください、という。なんのこっちゃ。ウソツキ。

で、お盆休みということもあって、けっこう人は多い。あ、おばあちゃん、あ、そんな、お尻に付いていたゴミを、あ、そこに捨てたのね、的状況に、温泉につかる気分になれなくなる。ま、おおらかといえばおおらかなのだけれど・・・。



8月13日(土) エレクトロニカ

午前中、友人からいただいた12〜3世紀の西洋初期歌謡集を聴いている時、辻康介(歌手)さんから電話あり、共演を考えていたリュート奏者やチェンバロ奏者の都合がつかないという。結局、11月の門天ホールでのコンサートでは、私と何か面白いことをやる、ということになった。

外は暑い。この辺りも気温30度になるようになってしまった。蝉はお日様が照っている時にだけ、鳴く。夕方は、ものすごい雷。建て物が揺れるくらい。

須賀敦子さんの著作『ユルスナールの靴』、読了。特に、最初のプロローグの文章に、胸がふるえる。女性作家の作品は以前よく読んでいたのだが、全集を買ってしまったのは須賀さんだけだ。実に、文章がすばらしい。やわらかく。比喩もすばらしく、文章から色が見えてきたり、音が聞こえてきたりする。

夜、NHKFMで、渋谷慶一郎(1973年生まれ、東京藝大作曲家卒業、電子音楽アーティスト、バンド“相対性理論”)さんが担当する番組を聞く。なので、多分、ジム・オルークさんのバカラックに捧げたCD発売のライヴ(やくしまるえつこ さんがいた)で、私は一度会っているはず。その時、楽屋でパソコンを常時開いていて、ほとんど会話をしない感じを思い出した。

前半は様々な電子音楽の紹介、後半はスタジオ・ライヴの模様を放送。渋谷さんはピアノを弾き、ほかに中村としまる(ノーインプット・ミキシング・ボード)さん、エバラさんが演奏。

ライヴの音楽は、ピアノは調性のあるシンプルなメロディーを奏で、あとの2人がノイズというかサウンドの環境を作っているという感じ。坂本龍一教授のようでもあり、ライヒのようでもあり、というテイストだったような。

そして、こういう類の音楽を、どうやら「エレクトロニカ」という言うらしい?ゲストの俳優・高島政伸がしきりに口にしていた。さらに、もう1人のゲスト、芥川賞作家・朝吹真理子さんと共に、「気持ちいい」という言葉も何回も。

なんとも奇妙な心持ちになる。シュトックハウゼンとか、フルクサスとか、知っている名前はたくさん出てきた前半の解説だったが、彼の創っている音楽がさして新しいとは感じられず。こういう音楽の萌芽の時代を、私はほぼ同時代的に問題にしながら生きてきたからかもしれない。



8月14日(日) ダイヤモンド

午後、久しぶりに少しだけ清里へ行ってみる。「A MUSEUMU of ART」という名の美術館を目にしたので、ちょいと寄ってみる。したらば、これは田中治彦さんという彫刻家(というより工芸家?)の、個人美術館だった。

最初、何の美術館がよくわからなかったので、受付にいた男性に尋ねたのだけれど、それは作家、本人だった。開口一番、「わかりやすく展示してあります。年代順です。みなさんに、よくわからないと言われるので、云々」とおっしゃる。

そこで、まず、ちょっとカチンと来る。わかりやすい、わかりにくい、そんなことはどーでもいいでしょう、作家や作品の本質とは何の関係もないっしょ、と喉まで出かかって飲み込んだ。

さらに、いかにも、というオバサンたちが「すてきですわよ〜」と言う。こういう現代美術、抽象的な作品でも、私にも理解できますのよお、オホホ風な感じ・・・。

で、まあ、せっかく来てみたのだからと、見学することにする。最新作以外、すべてに、製作された年と、何行かの文章が添えられている。私には、この文章が不要だった。作品を説明するためにある言葉は、あってはならないようにさえ思われた。

すぐれた作品はそれだけで自立しているものだと思うし、言葉を用いるのであれば、作品の内容と拮抗する、対峙するようなものであるべきではないかと思うのだが。

もし、訪れた人にそれほどまでに親切にしたいのなら、私ならば、作品番号を付けて、自由に読書できるようになっているテーブルの上に、作品についての文章が書かれたファイルを置いておくだけにするだろう。

なので、コメントが一切書かれていなかった、最新作、かじられたリンゴとその上に載っている赤いリンゴの作品が、もっとも気にかかった。この作家、リンゴに異様にこだわっている。あと、虫、も。

その後、フルクサスやジョン・ケージなどの作品を展示している清里現代美術館にも行こうかと思ったけれど、空模様があやしくなってきたので、戻ることにする。

帰りにコンビニに寄る。普段、コンビニではほとんど買い物をしないのだが、ここではやむを得ない。初めて、惣菜(きんぴらごぼう)を買ってみたのだけれど、これがなかなかあなどれないと感じる。相当、企業努力をしていると思った。セブンイレブン。

その店員さん曰く、この冬をここで越したのだけれど、暖房費が40万円もかかった、と嘆いていた。灯油15万円、ガス25万円、だったそうだ。なので、来年は冬は東京に戻るつもりだと話していた。

森下典子さんが書かれたエッセイ『いっしょにいるだけで』(飛鳥新社)、いっきに読了。自宅で猫を飼うことなど、想像だにしていなかった母と暮らす作者が、親猫とその子猫5匹を飼うことを決断し、その子猫が里子に出されるまでの日々を綴った本。

森下さんの文章は、身の丈そのままの写実的なもので、そのなにげない日常をいつくしむ、やわらかく温かいまなざしは、読んだ者の掌に、いつもほわっとしたぬくもりを残す。

この作家自身がこの本のどこかの部分を朗読して、私が音楽を奏でる、という催しが、今秋、予定されている。みなさま、よろしかったら、ぜひ。

遠くに、鹿の鳴き声が聞こえるような真夜中。
満月の夜。
窓を開けて、息をのむ。
月が白く光り輝き、森を照らしている。
木々の陰は濃く。
そこには透徹した銀色の世界が広がっていた。
そして、白樺の葉は、
まるでダイヤモンドのようにきらきらと輝いていた。

これまでこんな光景を知らなかった自分は、いったい何をやっていたのだ、と思う。



8月15日(月) ああ、パソコン

午前中、散歩。鹿の親子に会い、親のほうと目がばっちり会う。心の中で挨拶する。汗をかく。

午後から、秋の門仲天井ホールでのコンサートのフライヤーのための文章を考え始める。うーん、うーん。唸っては、そこいらを歩き回る。

紙に鉛筆の作業を続けていて、自分は、既に、パソコンで文章を考え、書いているという現実を思い知る。

パソコンに向かっていると、まずもっとも便利なのは、その場で「調べる」ことができるということにも気付く。正直、ないと、不便、だ。

夕方、早い時間から雨。あ、雨漏りしてるじゃないの・・・。霧も少したちこめる。



8月16日(火) 夏休みは終わり

中央道の渋滞具合を予想し、思い切って、朝早い時間に帰途に着くことにした。今朝収穫したばかりという、とうもろこしをおみやげに買って帰る。

正午前には自宅に戻る。暑い。じっとしていると、汗が流れ落ちるじゃないの。あ、あ、暑い。

深夜、メールをチェック。あまりの数の多さに、全部を読むのに、明け方までかかってしまう。うーん、環境、変えようかなあ・・・。あるいはスマホに変えて、同期させようか・・・。



8月17日(水) 須川二刀流

夜、大泉学園・inFで、初めましての、須川崇志(b)さんとデュオで演奏。彼は日野皓正(tp)さんのバンドのメンバーでもあり、コントラバスとチェロと、両方、演奏される。かつて、翠川敬基(vc)さんもそんな時期がおありだったろうと思うが、実際、この二つの楽器を演奏する奏者と共演するのは初めてだ。

須川さん。1982年生まれのすがすがしい若者。この辺りの年代に生まれた人たちには、ちょっと面白い人がいるなあ、と思う。コントラバスにはガット弦を張っている。一度ガット弦を張ってしまうと、もう元には戻れない、とは彼の言。そして、当然、お互い、生音での演奏だ。

まったく何も決めない即興演奏も含め、それぞれの持ち寄った曲を演奏。即興演奏の途中で楽器を替えて演奏するので、音楽の幅が広がる。また、チェロのみならず、コントラバスでも積極的にメロディーをとる。

二つの楽器のピンの下には“辻ボード”が敷かれており、特にチェロはよく鳴っていて響く。音色にこだわっている姿勢がいい。また演奏する機会を持ちたいと思った。

けれど、実際、こういう内容の音楽を演奏するチャンスは、彼にはまずない、とのこと。ジャズクラブでの演奏が主となれば、想像に難くないが、チェロの演奏も含めて、もっとやればいいのになあとも思う。稼げないけど。

演奏内容は決して悪くないと自負している。されど、実はお客様、一人。ほかに、店主と調律師の辻さん、というさみしい状況だった。あ〜あ、現実は非常ーに厳しい。

彼はSPはおろかLPも聴いたことがない世代だそうだ。録音はMD。もちろんウォークマン。中学生の時から学校にパソコンはあったという。

なんだか隔世の感だが、店主がかけたパブロ・カザルスのSP音源のCDを、彼は熱心に聴いていた。無論、データはi-phoneで撮影しておいて、後で調べる、という方法。ともあれ、このままいい耳が育ちますように。と、いらぬおせっかい、余計なお世話の母心。




8月18日(木) 福竜

午前中、誤って、日本映画専門チャンネルをつけてしまった。一瞬、朝から、この映画を観るかどうか迷ったのだけれど、結局、観てしまった。

新藤兼人監督作品『第五福竜丸』。1959年に公開された、モノクロ映画。

1954年(昭和29年)3月1日に、アメリカがビキニ環礁で行った水爆実験(その名も、キャッスル・ブラボー)で被曝した、マグロ漁船「第五福竜丸」とその船員たちの悲劇をドキュメンタリー・タッチで描いた作品。

政府の対応、静岡県の対応、取材するマスコミの在り様、さらに、謝罪しないアメリカとのやりとりのことなども、描き込まれている。ああ、「国が責任を持って」という言葉が何回出てきたことだろう。

久保山愛吉無線局長(被曝により死亡)役を宇野重吉、その妻を乙羽信子が演じている。どういう風に終わるのだろうと思いながら観続けたが、最後のシーンはこの久保山無線局長が亡くなったところで終わり、「ああ、原爆は許すまじ」の大合唱で、映画は終わった。短調の歌のもっとも最後は長調の和音で終止。音楽は林光。

観ている途中、被曝した船員たちが着ていた衣服はどした?第五福竜丸(東京に連れて行かれた)は、結局、どう処分された?と、こういう時代に生きることになってしまった私は、これまで考えたこともないことを心配し始めていた。

なにせ、放射能は決してなくならない、のだから。どこで、どう処分されたのだろう?

朝から重い映画を観てしまったなあと思う。原爆を二個も落とされた上、さらに水爆実験の被害にも遭っている日本。そして、フクシマ、だ。未だ、まったく終息していない原発事故。地下にメルトスルーしてしまっている放射性物質のゆくえは、誰にもわかっていない、という現実。

くよくよ考えていると鬱状態になるので、いったん、思考を停止する。

で、思い立って、庭の草むしりを3袋分だけ。1袋、およそ1時間かかるから、意を決さないとなかなかできない。ああ、放射能、と思いながら、草を摘み取る。汗だくだく。それでもまだ残っている。もういや〜ん。終わってから、当然、自分はシャワーで除染。

ま、そんなに放射能に神経質になっているわけではないのだけれど、こうしてなんとなく日常生活に少しひっかかっている感じ。

夕方、整体に行く。今日はかなり本格的にゴリゴリやられた。帰宅してから30分ほど横になってしまった。



8月19日(金) リンパが

ちょっと思い立って、スペシャル価格の足オイルマッサージとフェイシャルに行く。昨日の整体と組み合わせると、全身のメンテは完璧状態(のはず)。

足、膝から下とばかり思っていたら、股関節から全部のオイル・マッサージ。これがけっこう痛かった。さらに、フェイシャルとデコルテ。患っている右耳の下のリンパが完全に滞っている。ものすごく痛いのだ。やれやれ。でも、おかげで少しはお肌がぷるぷる。

雨が降って、だいぶ涼しくなった。夜は友人の誕生日祝いにでかける。



8月20日(土) オルフェオ

今日も涼しい。助かった。

午後、来週金曜日のライヴのためのリハーサル。ライヴのたびに、少しずつ、挑戦、トライをしている感じかな。

夜、本郷、東大前辺りにある求道会館へ、辻康介(vo)さんのコンサート“南蛮ムジカ”に行く。

求道会館、なんて聞いたことがなかったが、1915年に武田五一によって設計された浄土真宗の教会堂だそうだ。なので、真正面に仏像が鎮座している。演奏者たちはその前に立って、音楽を奏でる。照明は薄暗く、二階吹き抜けの、独特な趣のある空間だった。(下手奥に、グランドピアノがあった。)

演奏は、榎本拓也さんがスピネット(極小チェンバロ)、佐藤亜紀子さんがテオルボ(大型リュート)が担当。

コンサート全体の中心にあるのは、1600年前後に活躍したフランチェスコ・ラージ(1574年〜1621年)という作曲家&演奏家の作品や、彼が歌った作品。作曲といっても、当時は、今で言えば、いわば誰もがシンガーソングライター状態だったわけで、みんなずいぶんと好き勝手に即興演奏をしていたような時代だ。

(ちなみに、リストやカザルスもどんどん即興演奏をしていたらしいので、クラシック音楽の分野で、演奏家からそうした即興演奏が消えて行ってから、まだたかだか100年も経っていないことになる?)

そして、このラージには、辻さんなりの思い入れが熱くこめられているようだ。なんでも、彼が最初に学んだイタリア古楽だそうで、国立音大研究所のオーディションで歌ったのも、ラージの曲だったとのこと。

前半は、ラージが作詞作曲したもので構成されいた。私には「待ってテルシッラ」という曲がちょっと奇妙に面白く聞こえた。歌の発声法に特徴があり、音階を駈け上がる時、一音ずつ“こぶし”がつくような感じ。例えれば、そのコブシは能楽における“ユリ”のようなものにも似ている。

リュートの太く響く音色に、頭はすっかりα波に包まれる。多分2〜3曲、眠ってしまったと思う。古楽を聴いていると、まず、どうも心地よく眠ってしまう私。

後半は、ラージがその初演を歌ったという、かのクラウディオ・モンテヴェルディ作曲のオペラ『オルフェオ』から何曲か。もっとも難しそうに聞こえた「力強い霊よ」以外は、辻さんは、多分、ほとんと譜面を見て歌っておられなかったように思う。

だからだろうか、譜面を見ていない分、やはり、断然、こちらに伝わってくるものが違う。俄然、聴衆に身体は開き、説得力があるように感じられた。歌わない部分を、物語のように面白く語りながら、さながら放浪楽師の如く(?)運ぶ感じは、辻さんの真骨頂だろう。CDで『オルフェオ』を聴いているより、なんだかとても面白く感じられた。

そして、この中で、歌手はその歌い方において、また演奏者も、けっこう積極的に“即興演奏”をしていた。

そのフライヤーには「コンサートでは楽譜に書かれた「即興演奏」だけでなく、実際の即興演奏もお楽しみいただきます」と書かれている。って、書かれた即興演奏、って何?どういう解釈なのだろう。

1980年生まれという根本さんは藝大の指揮科を出て、現在は古楽から現代音楽まで幅広く演奏活動をされている様子。特に古楽・バロックオペラに関心を深め、2006年に渡仏されたとのこと。なんと、八ヶ国語(英、独、仏、伊、西、露、チェコ、羅)を解する逸材。才能に恵まれるというのは、こういうことを言うのだろうなあ。

終わると、外は少し雨。でも、少し歩いてみることにした。本郷通りを反対に行けば、父が息をひきとった病院のほうへ行く。ので、反対方向に歩く。

東大の赤門の辺りには、まだ昔の古本屋や食堂がある。でも、求道会館の裏手にある3階建ての木造アパートはちょうど取り壊し作業中だった。いかにも、昔の東大生が下宿していたような風情のある、昭和の面影の濃いアパートのようだった。

本郷通り沿いにある喫茶店、コーヒー「こころ」には入ってみたかった。三四郎池も近いのだろうか。ああ、漱石、ああ、鴎外、などと思いながら、水道橋の方へずっと歩いて、帰途に着いた。



8月21日(日) プレイエル

午後、この水曜日に大塚・グレコで“二台ピアノ”で演奏することになっている、田中信正(p)さんとリハーサル。ということで、田中さんのお宅にお邪魔する。

田中さん、一念発起して「プレイエル」(ピアノを製造している会社の名称)を購入されたとのこと。そのブログに「プレイエルと結婚した」と書いているけれど。ともあれ、それまでのヤマハと共に、ご自宅にグランドピアノを二台持っておられる。をを、あな、うらやまし。

プレイエル。このピアノは1980年初頭にフランスで生まれ、ショパンやコルトーが演奏したことで有名な楽器だ。

ちょっとだけ弾かせていただいた。すると、その音色と響きは、私の目の前で、ふわ〜っと薔薇の香りが湧き立つような感じだった。田中さん曰く「香水のかおりがするでしょ?」。

その鍵盤のタッチはやや浅い感じ、と指が言う。そしてものすごく軽い。ペダルの位置はかなり高くて、私には少し踏みにくかったけれど。

このタッチの軽さで毎日練習していると、通常のライヴハウスのピアノや、特に地方などであまり頻繁に稼働していない、鍵盤が非常に重いピアノを弾かなければならない時などは、かなりつらいと想像される。

また、田中さんは林正樹(p)さんと、ピアノ・デュオのコンサートを続けておられるが、田中さんがプレイエルなら、林さんはファチィオリ(イタリアのピアノ)、という風にも感じた。

ともあれ、こんな贅沢な環境で、お互いに曲を提案して、リハーサル。うふふ、楽しみ。

夜は、横浜・バーバーバーで、田中淳子(vo)さんと演奏。今晩の彼女は顔色もよく、歌は力が抜けていて、いい感じだったね、と話して帰る。




8月22日(月) ロールキャベツ

夕飯に、母がロールキャベツを作る。目の前に胡椒があるのに、入れるのを忘れたと、少々嘆いている。んでも、「作る手順を憶えていただけでも偉い」と褒めたたえ、おいしい、おいしいと、いっしょに食事をする。さらに、テレビのクイズ番組を観ながら、頭の体操をする。

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来月、坂田明(as)トリオで、北海道ツアーをする予定になっているのだが、最初の演奏地は、北海道に渡る前の青森県弘前。そのコンサートがなんだかすごいことになっている模様。

“自然栽培農業”を提唱する木村秋則さんのシンポジウムがあり、三國清三シェフ等によるディナーがあり、最後に、私たちがコンサートをする、という催しになっているらしい。たまげた。演奏する前に、坂田トリオのメンバーは“終了”してしまいそうな予感がしなくもないが、しゃんと演奏せねば。

それで、木村さんの本を購入。『あなたの人生に「奇跡のリンゴ」をつくる本』(木村秋則 著/小学館)。読んでから、でかけましょ、っと。

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深夜、この秋の企画・主催コンサート『耳を開く vol.4 〜滴(しずく)の音(ね)〜』フライヤーのための文章を書きあげる。まとめるのに、ちょっと時間がかかってしまった。

出演は、10月は竹澤悦子(筝、三味線、唄)さんと私。11月は辻康介(歌)さんと私。12月は古楽アンサンブル“アントネッロ”から、濱田芳通(リコーダー、コルネット)さんと西山まりえ(ヒストリカル・ハープ)さん。

詳細は後日アップします。みなさま、ぜひおでかけくださいますよう。



8月23日(火) 考える会

大学の時、最初は哲学科に入学した私なのだが、在籍していたのは1年間だけにもかかわらず、なぜかその同期会の幹事になっている。

で、会場からの要請があったとかで、かつての同級生たちに“ダイレクト・テレフォン作戦”をしなければならなくなった。とはいっても、私が憶えている人は数少なく。でも、勇気を出して電話してみる。

したらば、少しだけ、同級生の様子がわかった。幹事同士の連絡に、フェイスブックが機能しているのだけれど、こういう時にFBは便利だなと思う。

中には、『形而上学的アンティミスム序説 〜高田博厚による自己愛の存在論〜 』 (古川正樹 著/舷燈社)という本を出している人もいることがわかる。わ、わ、私には、・・・よくわからないのだけれど、なんとなく、さすが哲学科、という感じ?

ほかにも、『自分の頭で考える倫理』(笹澤豊 著/ちくま新書)という本を書いている教授の奥様になっている方もいるとのこと。

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夜、門仲天井ホール「今後を考える会」のミーティング。

実は、これまで私がコンサートを企画・主催してきた会場である、東京・門前仲町にある“門仲天井ホール”が、その持ち主である組合により、来年3月いっぱい(後日、来年9月末まで延長された)で閉鎖されそうになっている。

その連絡を受け、有志が集まって、この4月からミーティングを行ったり、組合執行部との話し合いの場を持ったりしてきた。が、いよいよ、9月4日の組合の大会で、この閉鎖議案が提出されることをうけて、「考える会」でも具体的に動くことになった。



8月24日(水) 二台ピアノ

夜、大塚・グレコにて、田中信正(p)さんと、二台ピアノのライヴ。

お店には、これまで置いてあった古いヤマハのピアノに加え、ニューヨーク・スタインウェイの古いピアノが新しく入っている。ちなみに、このスタインウェイの購入に際して、田中さんはお店の方といっしょに立ち会ったそうだ。

ヤマハの方は、ずいぶん前に弾いた時の印象とはだいぶ異なっていた。聞けば、調律師さんが変わったとのこと。私には演奏し易くなっていた。正直、音はちょっと薄っぺらいけれど、スタインウェイよりコントロールがしやすいように、私には感じられた。

スタインウェイの方は、まず最初に、ピアノの奥、最低音の部分に、太い紐が横たわっているのに驚く。これは何?いわば、ミュートしているようなものだから、当然、音は鳴らない(でしょう?)。サスティーン・ペダルは左右に少し動き、弱音ペダルはかたくて、ちょっと操作しにくい。(というような、非常に細かいことは、聴きに来てくださっていた調律師さんと、あれやこれやといろいろ話した。)

そのタッチはヤマハよりやや重いが、さすがにスタインウェイらしく、音の真ん中に芯があって豊かに響く感じ。

ともあれ、性格がまったく異なる二台ピアノによる演奏になった。

前半は、田中さんがスタインウェイを、後半は入れ替わって、お互いに持ち寄った曲を演奏。曲ごとにピアノを変えるようなことはせず、ざっくりと、前半後半で、弾き手を分けることにした。

終わってみて、私も田中さんも、前半のほうが緊張感があって、いい演奏だったかも、という感想を抱く。

また、小1時間もピアノを弾くと、その感触に、指も耳も慣れる、ということもあってか、いっそ、演奏するピアノを交換せずに、一晩、演奏したほうがよかったかも、という話もする。

ピアニストは、毎日、違う楽器を演奏しなければならないので、おしなべて、その時の状態に柔軟に対応できる身体性のようなものを身に付けざるを得ない。

田中さんも私も、どちらかというと、その場の状況や共演者に、かなり自分を適応させていくタイプかと思う。そういう意味で、ちょっと似た者同士だったかも?

とはいえ、音楽のアプローチや考え方は全然違う。曲の理解が足りなかった、と田中さんは言っていたが、私は自分のやり方(即興演奏含め)を、田中さんに少し押し付けてしまったかもしれない。何も言わなくてもわかるような関係ではなかったのだから、もう少し丁寧に折り合いをつければよかったかも。

私にとっては、高瀬アキ(p)さんと演奏して以来、人前で演奏するのは2度目の二台ピアノによるライヴだった。こういうチャンスはそう頻繁にあるものではない。きっかけを与えてくださった、お店の方、私に声をかけてくださった田中さんに、さらに、調律師さん、お客様方に、御礼申し上げます。



8月26日(金) 門仲天井ホールの今後を考える

一昨晩(24日の夜)頃より、門仲天井ホールの存続問題が、blog、twitter、FaceBook、mixiなどで、あっという間に広がった。見事に、あっという間、だった。

で、急遽、「考える会」のブログが立ちあがった。

『門仲天井ホールの今後を考える会』
http://monten-kongo.blogspot.com/

上記のwebに、ホールの存続を希望され、私たちのアピール文に賛同される方が、コメントを書き込むことができるフォームが掲載されています。お気持ちのある方、コメントを受け付けておりますので、よろしければ、お声をお寄せくださいますよう、お願いいたします。

なお、過去、このホールでのコンサート、すなわち『くりくら音楽会』などに出演してくださった方や、私がメールアドレスを存じあげている方々には、この件に関して、私個人からメールを差し上げました。BCCで差し上げた非礼を、おゆるしくださいますよう。

また、最初は添付ファイル(docファイル、後にpdfファイルで再送)への記入、返送、という方法をとりましたところ、ファイルが開けなかった方もいらっしゃいました。配慮が足りず、申し訳ありませんでした。

さらに、声を寄せていただき、コメントをいただいたみなさんに、この場を借りて、心から御礼申し上げます。

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夜、大泉学園・inFで、門馬瑠依(vo)さん、和田俊昭(g)さん、2人の若者たちとライヴ。彼らと演奏するのは、今日で3回目だ。

私の役目は、若い彼らの潤滑油になることと、自分にちょっとだけ気付くような、いわば新しい自分の扉を開くきっかけになることかなあ、と勝手に思っていた。

したらば、この約5カ月間のうちに、門馬さんはそれまでアルバイトをしていたライヴハウスをやめ、さらに、演劇や即興のワークショップなどにも積極的に参加したりしたという。先般も、喜多直毅(vn)さんとのデュオのライヴに来てくれて、喜多さんの演奏に深く共鳴するものを感じたと言っていた。

そんな彼女の今日の歌は、これまでになく演劇的だった。その選曲やふるまいには、自分を外へ広げて解放していこうという意思を感じた。そして、なにより、彼女はそんな自分や時間を楽しんでいるように思われた。

そんな門馬さんに対して、彼女がそうであればあるほど、ギターの繊細な音色に非常に強いこだわりを持っている和田さんの演奏は、内向きになっていったように感じられた。

そういう意味では、私は門馬さんの庭でいっしょに遊んでしまったので、和田さんは孤立感を深めてしまったかもしれない。

2人ともネット上にブログ書いていて、その記述を読むと、今日のライヴで感じたことは、それぞれ、全然違っていることがよく伝わってくる。

それは、和田さんが書いているような、男女の感性の差というようなものではなく、それぞれに本質的に内在していた音楽の志向の違いではないか、と私は思う。

時は流れる。人は変わる。自分の内に変わらないものが、こだわり続けたいものがあることにも気付く。そんな感じだろうか。私は若い2人にエールを送る。



8月27日(土) 旧友たち

突然、入院することになったらしい旧友のお見舞いに、午後、友人と行く。その旧友も友人も、パソコン通信時代の友人たちだから、知り合ってから既に20年以上経つことになる。

以降も、それぞれが作っているwebや、mixiだのFBだのTwitterだので、生存している様子はなんとなく知っているので、直接はほとんど会っていなくても、なんだか“ともだち”な感じがするから不思議なものだ。PCが、ネットの世界がなければ、知り合うことがなかった友人たちと言っていいだろう。

入院している旧友は、来月早々に、心臓のバイパス手術を受けるとのこと。彼は毎日入院食のことなどを、写真と共につぶやいているが、今日は、夜中に救急車で運ばれている時の写真も見せてくれたのには、ちょっと驚いた。でも、その時のことを笑い合えるくらい元気な様子だったので、少し安心する。

その後、友人とお茶して帰る。彼は、JSバッハ『ゴルトベルク変奏曲』の日本の大家。最近はチェンバロやオルガンといった楽器に興味があると話していた。

振り返れば、この旧友たちとは、国立の桜並木の下で、寒さをこらえてお花見をしながら、手回し蓄音機を回してSPを聴いたりしたこともあったっけ。そう考えれば、私たちの耳の出発点はそんなに変わっているわけではないのかもしれないが、お互い、音楽を聴く耳は変わったかもね、と話したりもする。そして、最近の完全デジタル化した若者の耳の動向を想うにつけ、ヤバクね?と話す。

夜は、大学時代のサークル、能楽研究会の宴会に参加する。九州から先輩が出てくるというだけで、15名近くの先輩、同輩などが集まった。中には、卒業後初めて、すなわち30年ぶりくらいに会う先輩も仙台から来ていて、再会をよろこぶ。

私が大好きだった先輩は、5〜6年前に脳溢血を患ったが、今はとても元気になられている。その上、朝晩各350回の腹筋を含め、40〜50分間の体操と骨盤ダイエット体操で、9kgも体重を落としたそうだ。あらーん、うーーーん、なんて格好良い。私が惚れ込んだだけのことはある、と妙な満足感に浸りながら帰宅する。



8月28日(日) ワジム・コージン

夜、西荻窪・音や金時にて、通称タンコさんの、ロシアの歌のライヴ。

ワジム・コージンが作った歌は、どれもどことなく暗さを持っていながら、なんとなくほの明るい感じ。薄暗い部屋に、ぽっ、とろうそくの灯がともっている感触。高島野十郎の絵のようだ。

非常に難しいが、とても面白い。やっと少しだけわかってきたような気がする。一度、生ピアノでやってみたい。(音金にはピアノがなく、私はエレピを弾いている。)

終演後、岩手・花巻から来ていた友人たちと、居酒屋で一杯やってから帰宅。なんだか、昨日から「遠方より朋来たる」が続いている。

ふう、門仲天井ホールの存続問題について、毎日、「考える会」ではメールが飛び交っている。あれやこれや、なんのかんの、てんやわんや状態。



8月29日(月) ああ、のだ

昼間、民主党代表選挙の模様を、NHKテレビで観る。各候補の演説にはほとんど中味はなかったが、その人となりを知るには、ちょっと面白いところもあったように思う。それにしても、口調を含めた演説の力、さらに、画面からとはいえ、目の力、がモノを言うと感じた。

民間レベルでは前原、さらに小沢派が推薦することになった海江田、が有力との見方だったが、野田さんになった。そっか、私と同じ歳なんだ。明日、首相指名選挙、そして、増税、・・・か。

ネット上でみつけた回文。
「は?野田?え?総理?ウソ…枝野は?」



8月30日(火) 考えた夜

真夜中に、考える。

福島第一原発の事故。今もなお、放射能は出続けていて、水蒸気も出続けていて、メルトダウンはおろか、地下にメルトスルーしている放射性物質のゆくえは誰にもわからない・・・。

第一の1〜3号機から大気中に放出された放射性物質のうち、セシウム137の量は、広島に投下された原爆の約168個分、ヨウ素131は原爆の約2.5倍だったと、経済産業省原子力安全・保安院は、8月26日に試算値を公表した。原爆による影響と発電所の事故は、単純比較できない、とのことではあるが。

実は、ほぼ同じような内容の情報が、事故から1〜2週間内に、私のもとには何通か届いていた。「一刻も早く逃げろ」というメッセージと共に、メールで。遠く、ベルリンからも、避難できるシェルター制度のようなもの(一ヶ月家賃無料など)もあるから、と。

こういうことが、事故から半年弱経ってから公表されるような国、あるいはメディアの状況であることに、私は愕然とする。しかも、現在の新聞などの報道のされ方は、報道されたとしても、きわめて小さい。さらに、今さら言うまでもなく、ひどい隠蔽体質だ。

だから、放射能汚染状況の詳細を知ったのも、ドイツの気象庁のサイトだったりする。

福島から80km離れた農家の人が、自分の土地の放射能汚染を独自に調べ(政府や自治体はやってくれない)、放射性物質が検出されたため、お米などの農作物の作付けを断念した、というドイツの報道番組は、YouTubeで観た。

ちなみに、この映像は、著作権侵害ということで、アップされると片っ端から削除されている。それは、この国の情報操作が相当進んでいることも意味していると思う。

この国のテレビも新聞も、ほんとうにダメになったと思う。さらに、管内閣の当時、どさくさにまぎれて通ってしまった法案によって、ネット上にもたいへんな規制がかかっているのが現実かと。

・・・・・・・・・・

そして、ORT、すなわち「場」のことについても、考えをめぐらせる。

音楽批評家の渡辺和さんが、門仲天井ホールの存続問題について、ご自身のブログで意見を述べておられる(8/27)と情報が入る。

で、読んでみる。寝られなくなった。

基本的に、前提として、様々な意見があること、意見が交わされること、いろんな人がいて、いろんなことを言える社会であること、そうしたことは、とっても大事なことだと思っている。

んが、私は、この方のご意見にはほとんど同調できなかった。直感。何か、おかしい気がした。「商売で書けないこと」を書いているブログとはいえ、文体にも共感できなかった。

「資本主義の社会」って何なのだろう?「ホールは所有者のもの」ま、そりゃ、そうなのですが。さらに、「ホールというのは使い潰せば良い」とも書いているが、「場」って、そういうことじゃない、と私は思う。

たとえば、樹齢500年くらいの大木が植えられている、すばらしい並木がある道に、温泉付きの高層マンションの建設が計画されているとする。

その高層マンションには、たくさんの人が住むことができ、ひいては街の活性化にもつながる。建物には最新の電化システムや合理的な設備があり、時が経って老朽化したら、取り壊して、また建設すればいい。

この高層マンション建設によって、地下水が枯渇し、もしかしたら地盤沈下するかもしれず、そのすばらしい並木は、やがては元気がなくなっていくかもしれない。子供たちに緑を残せないかもしれない、というようなことは、どーでもいい。

というような、“物事の考え方”を持っておられるような気がしたのだ。

「場」は「関係」を生むと思う。それは、人と人との関係だったり、あまり上手くない比喩だったと自分でも思うが、上記のように、人が生きていくことと自然との関係だったり。

それは、現在の福島県の状況、特に、原発周辺に住んでいた方たちのことを想えば、感じられるのではないかと思う。住む所が失われたことで、何が失われたか・・・。

私はこの国のバブリン期を経験している(その頃、この仕事を始めた)が、竹下政権下の「ふるさと創生事業」でバラまかれたお金(1988年〜1989年にかけて、地方交付税として、一律、1億円が支給された)で、地方にどんだけ立派な建物が建設され、ものすごく高価なピアノを買い入れたことが村の自慢になっているかも知っている。

ハコモノ行政とはよく言ったもので、過疎化していく村では、その中味が埋められず、建物は老朽化し、使われないピアノは腐っていった。

もちろん、その中には、自分たちの文化は自分たちで守り、創る、と力を注いでいる人たちもいた。住民による住民のためのミュージカル、というような事業をお手伝いしたこともある。

そして、そこで生きていたのは、やはり、人とのつながりだったし、住んでいる地域に根差した関係だった。

「場」の意味、門仲天井ホールの存在の意味を考え、この問題に対する自分の足元をあらためて確認した夜。



8月31日(水) 久しぶりにアケタ

夕方、同じ、西荻窪でライヴがあるという喜多直毅(vn)さんとお茶して、12月に予定しているコンサート・シリーズ『軋む音』の打ち合わせなどをする。大きなケーキを食べて、2人ともちょっと太る。

夜、西荻窪・アケタの店で、吉野弘志(b)さんと、デュオで演奏。

アケタの店に出演するのは、何年ぶりだろう?様々な思い出が去来する。

おそるおそる、あの黒い階段を下りて、初めてこのお店に音楽を聴きに訪れたのは、多分、故浅川マキ(vo)さんのライヴ。まだジャズを習っていた、20歳代半ば頃のことだと思う。そこには、未体験の、黒い世界が広がっていた。共演者は、近藤等則(tp)さんと本多俊之(as,fl)さん。お客さんは10人もいなかったと思う。

コード楽器奏者がいなくて、どうやって歌うのだ?というような、稚拙な知識しか持ち合わせていなかった当時の自分は、この時、「歌の在り処」みたいなものを、心の底にずしんと学んだように思う。

近藤さんが汗を流しながら、その辺にころがっていたビニール袋をふくらましては、蹴っ飛ばしていた姿を、なぜか思い出す。

本多さんはフルート1本で、「センチメンタル・ジャーニー」(ったって、松本伊代のデビュー曲ではない)を歌うマキさんの横で、懸命に応戦していた様子も忘れられない。

そして、マキさんは、まったく動じない。何があっても、びくともしない。やんちゃな男の子たちが、マキさんのまわりで何をしようが、変わらない。ああ、こういう歌の在り様もあるんだなあと、若い私は思ったことをよく憶えている。

また、自分が“ORT”をやっていた頃、いっしょに演奏していた大友良英(turntale,g)さんが、昼の部でソロをやった時に、聴きに行ったこともあった。お客さんは3人。みんな仲間。終演後、近くの喫茶店か何かに行って、演奏時間よりも長く、ああでもないこうでもないと話し続けた時代も懐かしい。

ほかに、多分、90年代初頭、梅津和時(as)さんの「大仕事」シリーズのライヴで、“たま”の知久さんなどと演奏した時。立ち見、御礼、超満員。

そして、亡き板谷博(tb)さんと、さらに、もしかしたら、翠川敬基(vc)さんと初めて演奏したのも、このアケタの店だったかもしれない?

さらに、小松亮太(バンドネオン)さんが入った斎藤徹(b)さんの“ピアソラ・ユニット”の時も思い出す。この時も、超満員、窒息死状態。

というような思い出もある、東京のジャズクラブの老舗での演奏。

吉野さんは、無論、生音。ピアノの状態は、言わずもがな。鍵盤の反応が遅いので、最初にソロをやった時にかなりとまどい、四苦八苦する。楽器の状態を考えながら、今の私の技量でできることの最大限の努力はしたつもりだけれど。

ともあれ、2人で楽しく演奏。今日は、独特な言語感覚を持っている吉野さんから、ヘンなことはあまり言われなかったかな。






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