5月
5月1日(日) 捨てたもんじゃない

午後、渡邊奈央(vo)さんと、門仲プロジェクトのためのリハーサル。彼女はピアノを弾かず、マイク1本を片手に人前で歌う。という事態は、彼女にとって初めてのことだそうだ。いろんな目にあわせてすんましぇん。

夜、渋谷・ドレスにて、坂田明(as,cl)トリオで演奏。坂田さんが渾身をこめて語る「死んだ男の残したものは」を、坂田さんはもうやるのはやめようかと思っておられたとのことだったが、日本がこういうことになって、再びやらざるを得なくなった、と。

なお、坂田明トリオの6月下旬の東北ツアーはおそらく縮小されるが、余震や原発のこともあり、現時点ではスケジュールはまだフィックスされていない。ともあれ、25日に出発して、仙台で演奏することは決まったそうだけれど。

帰りの電車。電車の中で起きることには、はっきり言って、おおむね、不愉快に感じることのほうが圧倒的に多い。けれど、今日はちょっと違った。

20歳代後半くらいの座っていた男性。明らかに酔っ払っていて、床に座りこんでしまった同じく若い男性に、席を譲った。「誰も譲っちゃくんねえもんなあ」とひとこと添えて。

さらに、乗り換えるかもしれない駅に近づいた時、その席を譲ったお兄ちゃんは気をきかせて、酔っ払いのお兄ちゃんに親切に声をかける。案の定、酔っ払いのお兄ちゃんはその駅で降りなければならなかった模様。赤い顔をして「ありがとう」。

席を譲ったお兄ちゃん。どこかちょっと照れくさそうだったけれど、「お兄ちゃん、格好いいね」と思う。声をかけてあげればよかったとちょっと後悔。

こんなささいなことに、胸が少しふるえる私もどうかと思うが、こういう空気感がなんとなく震災後に生まれているような気がする。



5月2日(月) 喫茶店

午後、喜多直毅(vn)さんと『軋む音』の打ち合わせ。宿題山積。

神田・近江屋洋菓子店は、まるで旧ソビエトの空港にいるような気持ちになるが、アップルパイはやっぱり美味。ほの温かい逸品を食べたので、ますますうれしい。食パンは、東北地方にある工場が被災したため、少し質の落ちるものしかないとのことだったけれど、購入。それでも少しモチモチしていておいしい。

神保町・ラドリオ。私の学生時代からある古い喫茶店。BGMは古いシャンソン。とても落ち着く。以前は「コーヒー」と注文すると、必ず、ウインナコーヒーが出てきたお店。(今はそんなことはない。)

久しぶりにぶらぶらと古書店街を歩いてみる。懐かしい本の匂い。1冊100円の単行本を手に取り、なんだかちょっとさみしい気分になる。100円、かあ。



5月3日(火) 原発の状況

震災以来、特に原発関連問題を追っている水谷浩章(b)さんがつぶやきに貼られていたリンク。
http://www.youtube.com/watch?v=Z1IpbsEGUEY&feature=youtu.be

先月下旬の放送だが、多分、これまででもっともよくわかる福島原発の状況かと。また、原発の所長の話も聴くことができる。

実際に、あの原発で仕事をしている人たちに思いを馳せる。働いている人たちのほとんどが自らも被災し、家族や友人、さらに家を失ったりした人たちだと聞いている。東電の下請けの下請けの下請け会社(約400社余り、原発の恩恵を受けてきた地元企業が多い)や、最近では大手ゼネコンの東京の下請け建設会社などにも派遣要請が来ているそうだ。

東電の上層部の人たちの年棒は、減額されても2千万円だそうだが、現場で命を賭けている彼らには、いったいいくらの給料が支払われるのだろう。



5月4日(水) ネトゲ

「ネトゲ」って何だろう?と思ったら、要するに、仕事もせず、誰とも会話せず、年老いた母親の心配をよそに、一日中、パソコンに向かって、ネットゲームをしている人のことを指すらしい。その映像をYouYubeで見て、なんだか少し気分が悪くなる。




5月5日(木) 抑制

今回の大震災における日本人の行動に対して、たとえばアメリカのニューオリンズを襲ったハリケーンの時のような「暴動や略奪」が起きなかったことを、驚嘆の思いで語る外国人がいるという。また、「東北人は我慢強い」というような言葉もよく耳にする。良くも悪くも、“国民性”というものを想わずにはいられない。

こんなところで一般論を言っても何の意味もないのだけれど、総じてこの国には「抑制」という心持ちが根底にあるように思う今日この頃。

抑制と言えば、すぐに「自粛」してしまうのも、この国。

私が住む町では、毎年5月5日を中心に、大きなお祭り『くらやみ祭り』があるのだが、今年は自粛。神事なので、お祭り自体をやらないわけではない。でも、お神輿は出ないし、お囃子や山車の歌舞音曲、流鏑馬なども一切ない。

それに連動して、今月末に予定されていた、この町の小さなジャズフェスティバルも、いわゆるストリートが中止され、市内4か所のホール内のみで行われることになった。しかもチャリティーにして、「がんばろう、日本!」だそうだ。

さらに「あたたかい気持ちを届けよう」とチラシには書いてある。あたたかい気持ち、ねえ。正直、なんだかちょいと体裁を繕っている印象を受ける。市の文化振興財団が中心だから、仕方ない、か。うーむ、ともあれ、私はこの自粛には反対。こんなやり方では、この超保守的な町に、音楽の風は決して吹かない。

ところで、来週14日(土)に予定されている、門仲天井ホール主催の「東日本大震災 復興支援 門天プロジェクト」の“門天ブログ”が新しく作られました。ご用とお急ぎでない方はどうぞこちらへ。(インタビューに応えるかたちで、支援の在り方や支援先について、文章を書きました。)そして、どうぞおでかけくださいませ。



5月6日(金) 浜岡原発停止要請

丸2日間、誰とも話をしていない。家からもほとんど出ることがなく、これはほとんどひきこもりと言っていいだろう。したらば、全然声が出なくなった。

夜、突然、管総理が浜岡原発停止要請を発表。これは政府内でも知っている人はあまりいなかったらしい。

日本の原発は全部で17か所、54基あり、日本の電力全体の約3割を担っているという。現在、地震で14基は稼働しておらず、点検停止中が17基。年内停止予定(13ヶ月に1回検査をするそうだ)14基。このままだと、年明けにはその供給量はこれまでの5分の1に低下する、とTVニュースが報道していた。

今週末に原発反対のデモが予定されているが、それが良いとか悪いとかではまったくなく、原発の是非や福島原発の状態(放射能汚染問題など)を、感情的にぎゃあぎゃあ言うことを、私は好まない。

大地震が起きる前、町の電気屋さんの紹介で、たまたま、太陽光発電の見積もりをとっていた。瓦屋根の上にソーラーパネルを乗せ、エコキュートも導入し、余った電力を電力会社に売るというものだ。その総額費用は約300万円。今の私にはとても無理。もう少し手頃な価格になればいいのに、と思う。これからの開発に期待する。



5月7日(土) 自発的行為

土曜日の午前中、たまにMXTVを観ることがある。西部邁が自らを「いやがらせじいさん」と呼んでいる番組。

今日は北朝鮮の脱北者の支援活動を続けている三浦小太郎氏をゲストに招いて、いわゆる“ボランティア”についてがテーマだった。

「volunteer」の語の原義は志願兵。古典的な定義では自発(自主)性、無償(無給)性、利他(社会、公共、公益)性に基づく活動を指すそうだ。

で、その三浦氏曰く、脱北者支援をしていてわかったことの1つに、なかなか支援を長く続けられない人が多いとのこと。

いわば、主従関係になる中で、おおむね、弱者に手を差し伸べるほうは傲慢になるらしい。そして、被害者はプライド(北朝鮮からやってきて、住むところもモノも何もない状態の人が、自分自身を保つために、最低限持っていなければ、自分を支えられないプライド)が高いそうだ。で、うまくいかなくなるらしい。

私の場合。これまでも、たとえば地方の小さな村や町の公民館のような所で、コンサートを開いてくださる方がいるとする。そういう場合、たいていたくさんのボランティアの方たちが、会場を設営したり、出演者やスタッフのためにおむすびをにぎってくれたり、畑から獲れた野菜でおいしいものを作ってくださったりする。

この業界では、素人ほど怖いものはない、とはよく言われているが、こうしたボランティアの中には、たいてい1人くらい「私たちはこんなに一所懸命やっているのに」という人がいたりする。

この場合、弱者はミュージシャンということになり、私たちをよくぞ呼んでくださいました、私たちはあなた様から施しを受けています、という構図になる。(その昔、あ、今でも、か?芸をする人たちのことを「河原乞食」と言っていた時代がある。)向こうもプライドが高いが、こちらにもプライドや意地がある。結果は・・・おのずとわかるというもの。

ともあれ、そんな話を聴いていて、ふと、先に体験した電車の中のできごとを思い出した。「誰も席を譲っちゃくれねえもんなー」と、他人に聞こえるように言って、酔っ払って床に座ってしまった人に席を譲ったお兄ちゃんの話。

見方を変えれば、これもまた、弱者に手を差し伸べたお兄ちゃんの傲慢な態度、もしくは彼自身が優越感に浸るため、プライドを満たすための行為、ということもできるかもしれない。でなければ、なにもあんな大声で、他人に知らせるように、上記のような言葉を発することはないと思う。

もう少し言えば、彼はできるだけ大勢の人に、自分を認めて欲しかったのだとも思う。この、本人が意識する、しないにかかわらず、見え隠れする欲望を、私は感じる。

そこに、「ボランティア精神」というものを観るのであれば、それもまた“ボランティア”ということになるだろう。

林家三平が、3月22日に結婚した新妻を伴って、一家で被災地に行った様子が、テレビで放映されていた。(岩手県・大船渡市、陸前高田市に行ったのは、実際は8日/なので、この日記の日付とは前後しますが、関連づけてここに書きます。)

あの光景の中で、彼は泣きじゃくっていた。特養老人施設なども訪問したようだが、そこで「ほんとうは“笑い”を届けなくちゃいけないのに、泣いてばかりいてすみません。今度また来てお届けします」などと言っていた。現地の人は、そんな彼を少し引いた目で眺めていたように感じた。もしかしたら彼を慰めることまでしたかもしれない。

要するに、彼もそうだと思うが、自分が納得するために被災地に行っている、と感じた。被災地にいる人たちのためでは、ない。(芸能人の場合、それが売名行為だと言われることも多々あるとのことだが。)

ともあれ、この現実の中で、どう自分を立たせるか。自身の存在の意味を問う。そういう人たちが多くいるのは確かだと思う。

その延長線には、もちろん宗教という問題がある。ちなみに、こういう時に、偽りの宗教や信仰が生まれるらしい。阪神淡路大震災の後、オウム真理教のサリン事件が起きたように。

あわせて、「自分にできることは何か」という設問を、多分、誰もがもう100回以上は聴いていると思うが、先の西部邁の言を借りれば、「できる限りのことをやる」のではなく、「これしかできないので、これをやる」というほうが、身の丈に合っている言葉だと思う。

西部邁曰く、できる限りのことをやる、とは何か?もしできる限りのことをやるのであれば、あなたは自分の家屋敷を売って被災地へ行かれますか?と問いたい、ということになる。

なんとなく、居心地の悪い、欺瞞、偽善といったこを、世の中の空気の中に感じている私がおかしいのかもしれないけれど。

今夜は、坪井美香(女優)さんと、『ねこ はしる』という紙芝居と朗読、音楽、というライヴをやる。

この話は、いわば自己犠牲の話。とっても仲が良くなった猫と魚のお話しで、どうせ食べられてしまうなら、あなたに食べられたいという魚と、それを食べる決心をした猫。

この愛、は何だ?究極のエゴイズム、だろうか?



5月8日(日) かまって

気分転換。春の眩しい日差しの中、久しぶりに競馬場でレース観戦。メイン・レースはNHKマイルカップ。むなしく散る。

夜、NHKで放映されていた『神聖かまってちゃん』を観る。もともと2chなどでネット配信していたのが、中高生などに広まり、支持され、メジャーデビューしたグループのドキュメンタリー。

(神聖かまってちゃんのオフィシャルサイトはこちら)

リーダーのノ子、さらにこのグループの音楽のことは、実はまったく知らなかった。このノ子さん、相当イカレている。

彼が作った曲の題名。たとえば、「芋虫さん」とか「いかれたNeet」とか「死にたい季節」とか。

今、夭折した画家、石田徹也のことを考えているところに、この番組を観て、そのまま動けなくなってしまった。病んでいる時代。自分も埋もれそうな気分になった。

さて、対峙できるか、私。『軋む音』。永山則夫もアウシュビッツも、かなりきつかったが、正直、今回もしんどい。



5月9日(月) 値上げ?

政府は、福島第一原発の賠償総額を4兆円と試算しているという。電力9社がそのうちの半分を負担し、東電は2兆円を負担する。電気料金を16%値上げすれば、賠償できると考えているらしい。

福島原発事故の賠償を、電力料金の値上げで解決しようというのは、いったいどういうことなのだろう?そもそも、言ってみれば、東電は地域を独占して商売をしていて、自分でその料金を決められるのも問題かと思う。

東電はすべての資産を投げ出して、賠償などの事に当たるべきだと思う。

というか、それより前に、原発で事故処理にあたっている現場で働いている人たち、避難所で過ごすことを余儀なくされえいる人たち、その現場に一週間でも一ヶ月でもいいから滞在して、共に生き抜くことを肝に銘じることをしてみたらだどうだろう?

半分、親方日の丸的な、自分の身を削らずに生き方をしている人、身を汚して現場に立とうとしない人には、心底腹が立つ。

それにしても、電気料金の値上げと、電気使用量を減らす節電。なんだか良いのか悪いのか、矛盾しているのかしていないのか、よくわからない。



5月10日(水) ケータイカエタ

これまで持っていた携帯電話の画面に血が流れる(液が漏れている)ようになってしまい、しかも広がりつつある。いつ電源がダウンしてデータが消滅するかもわからないという危機に立たされ、昨日、携帯携帯電話の機種交換をする。その選択は、未だスマートフォンにはせず、もう少し様子を見ることにする。

それにしても、一日があっという間に終わり過ぎる。困った。




5月11日(水) 雨

急遽、ケガをされた方の代わりに演奏するため、立川へ。目的のお店がある方向とは逆のほうへ出てしまい、ワタシハドコ?状態になる。立川駅周辺もずいぶん変わってしまった。外は雨。お客様少なく。残念。



5月12日(木) ウィスキー

実家にたくさんあった、古い国産ウイスキーを友人に差し上げる。ネットで検索すると、昭和時代の「特級」表示があるものは、それなりのお値段になっている様子だけれど。ともあれ喜んでくださる人の手に渡ることがなによりかと。どんな味がするんだろう?

地元のデパートに臨時出店している、京都に本店がある“衣”に顔を出す。胸に刺繍の入ったTシャツを一枚だけ購入。



5月13日(金) 新しくトリオ

夜、大泉学園・inFで、喜多直毅(vn)さん、翠川敬基(vc)さんとのトリオで演奏。

これまで、喜多さんと私はデュオで、また翠川さんの“緑化計画”では喜多さんがそのメンバーとして、さらにかつての煩悩五重奏楽団などではいっしょに演奏してきているが、この三人だけで演奏をするのは、実は初めてのことだ。

前半は即興演奏、「inharmonicity 1&2」、さらにフェデリコ・モンポウの『沈黙の音楽』から2曲。後半は富樫雅彦さんの曲を演奏する。そのほとんどが新曲。

「inharmonicity」(ピアノの調律用語/非調和性という意味)という考え方、そして、チャールズ・アイヴス、フェデリコ・モンポウの曲が内包するもの、つまり方法論的には不協和な世界とメロディー(歌)の在り様に、緊張と弛緩のはざまに立ち現れる空気の振動と色彩に、私の関心は相変わらず強く保たれている。

たとえば、『沈黙の音楽』に寄せられた、以下のようなモンポウの言葉(訳:高橋悠治)に、私の胸は共振する。

「この音楽には外気も光もない。それは弱い鼓動だ。近寄らなければ聞こえないが、それによって魂の深みと精神の秘められた領域に達することができる。この音楽は静か(callada)で聴く人の内側にある。控えめで抑えた情感はひそやかで、冷たい社会の表面の下で共鳴する。この音楽がいのちの温もりと、おなじでありながら変わりつづけるひとの心の表現をもたらすことを望んでいる。」

この、静的な世界観は、その宗教や信仰は別として、私が日本で生まれた能楽や、武満徹の音楽に、精神的に非常に深い部分で共感していることと矛盾しない。

さらに、日本のジャズ界で富樫雅彦さんが成し遂げ、その死後、おそらく他の誰も継いでいないものが、私の心の奥底にある。あるいは、光がそそぐように遠くで鳴っている。

といったあたりに、私がこのトリオで実現したい響きの世界が広がっている。

と、現時点で、こう書き切れる自分に、実は自分がちょっとだけ驚いているのだが。いずれにせよ、先の同じ楽器編成によるトリオとは、その出発点が大きく異なることを意味している。

当初は翠川さんのセッションということだったのだが、先月末に黒田京子トリオに相成り候。ともあれ、船出。どんな天気や波が待ち受けているでしょう。どうぞこれから応援してくださいますよう。



5月14日(土) 歌姫たち

門前仲町・門仲天井ホールにて、『東日本大震災 復興支援 門天プロジェクト』の第1回に参加する。

午後5時過ぎからは、落語家・古今亭菊千代さん、ちよりんさんが、被災地に行った時の話、落語家の内輪話、そして落語家グッズのチャリティー・オークションをされた。

オークションでは、先代の林家三平師匠、現在の正蔵、三平のてぬぐいという、ちょいとレアな出品もあったけれど、最初の言い値がちょっとお高く、買い手がつかなかった。

菊千代師匠は、別のルートで以前より存知あげていたのだけれど、今日は初めて落語が聴けると楽しみにしてた。が、師匠、噺はまったくせず。たいへん残念。

午後6時過ぎから、どうしてもソロをやって欲しいと共演者に言われて、1曲だけ1人で演奏。その後、門馬瑠依さん、渡邊奈央さん、いずれも28歳という若い女性歌手たちと演奏する。

門馬さんと2人だけでやるのは初めて。あれをやってみたら?この曲をやってみたら?と、私は注文の多いオバサン、否、お姉さんになってしまったかも。なにかにつけ、日本語の曲を提案したりするから、普段ジャズ・ソングを歌っている彼女にとっては、えらい迷惑だったかもしれない。

渡邊さんは、これまで時々拙宅にレッスンに来ていた、シンガーソングライター。普段は自分でピアノを弾いて歌っている。それで、今回、ピアノは私が全部受け持つから、マイク1本片手に、人前で身体一つで歌ってみたら?と提案。

それを受け入れた彼女の勇気を褒めたいと思うが、どうやらものすごく緊張していた様子。歌詞は忘れるわ、歌い直すわ、勝手に先に行ってしまうわ。なんて微笑ましいこともたくさんあったけれど、いい経験になったと彼女から言われて、少し胸をなでおろす。

2人とも、その声質は、まっすぐ、だ。これからいろんなことを経験すると思うが、このまま変わらず真摯に歌に向かって行って欲しいと、その28歳当時はまだプロの演奏家としては活動していなかった自分は思う。

ちなみに、出版社に勤めながら、新宿・ピットインの朝の部に出演したのは28歳と3ヶ月くらいの時で、演奏することだけで世の中に立ち始めたのは29歳だ。そう思うと、そりゃ、2人とも、これから、だわさ。もっとも2人とも既に芸歴は長いそうだけれど。

なお、この門天プロジェクト第1回で集まったお金、入場料金(落語もコンサートも、いずれも1コイン=500円)と、オークションの売上金 合計65,400円は、3つの団体、グループに寄付をさせていただきます。

<寄付先>
1. 宮城県石巻市追分温泉基金 30,000円
2. 宮城福島落語で応援プロジェクト 17,700円
3. RQ市民災害救援センター 17,700円



5月15日(日) 新緑

いい天気。ああ、今日はブエナビスタとアパパネが走るのになあと思いながら、そこの競馬場には行けずに、車を走らせる。今日は山を1つ越えたところにある、藤野(相模湖)Shuで、坂田明(as,cl)トリオで演奏。

新緑と風がなんて心地よいのだろう。久しぶりに、こういう気持ちになっている自分に気づく。おそらく、大震災以来、そんな余裕もなく、過ごしてきたのだと思うに至る。

けれど、なんだろう。何かが違う心持ちになる。それはおそらくこの心地よい空気の中に漂う、目に見えないもののせいだと気づく。

実際、神奈川県足柄の新茶から、高い放射性物質が検出されたのは、つい4〜5日前のことだ。放射性物質がどこにどう飛んだりあるいは地表に降りるのかは、天気、特に風や雨の影響を受けるから、一概には言えないが、ここ、藤野と足柄は、そう遠くはない。というか、同じ、丹沢山系の東側か南側か、という位置関係になるかと。

だから、藤野に来て、この町に漂っている気配、すなわち、とても他人事とは思えないという空気感を、多分、私はなんとなく感じたのだと思う。この気持ちよい風が吹く、目の前に広がる緑の光景、つまり畑と山々にも、量の差こそあれ、同じように放射性物質が舞っていることは確かなことなのだ。無論、ここだけに限った話ではないが。

今日、コンサートに集まった人たちのまなざしの奥に、そんなことを想う。誰一人として、心の底から笑うことができないでいる雰囲気。薄気味悪いベールに覆われているかのような空気の肌触り。それは、ここに住む人たちが、どことなく薄暗い灰色の気持ちで、心の底に何かがひっかかったまま過ごさざるを得ない“日常”を抱えていることを意味している。

都内で演奏していると、実は、なぜか、あまりそういう気分にはならない。けれど、こうした緑がいっぱいあるところにいると、こうした気持ちになる。“自然”に“、大地や空気や水や、草や花や動物たちに、自分の想像力が自ずと喚起させられるのだろう。

こうした心持ちを生みだしているのは、すべて、あの「原発事故」であることは明らかだ。政府や東電のどうしようもない対応まで含めれば、そこに、不安、迷い、怒り、憤り、といった感情を見い出すことは容易い。

さらに、少々やっかいなのは、少なくとも私の場合、たとえばこれまで「原発」というものをどれくらい意識して生活してきただろうか?という自省の念が心に生まれているのも確かだ。この原発や核エネルギーに対して無意識だったという自覚は、今の段階では、人類は誰もどうすることもできないものを作ってしまった、という諦念、無力感、絶望感、鬱、厭世感、虚無といった心情をもたらす。

付け加えれば、自分が原発反対のデモに参加できないでいるのは、吉本隆明『反核異論』ではないが、声高に正義をふりかざすことで、抜け落ちる何かを感じているからだと思われる。

それは、高校生の時、どうしても某デモに参加できなかった自分の感覚に非常に似ている。あの時のあのデモは、私には体力があり余っている人たちの、青春の欲求不満のはけ口としての、実際は中味のない“スポーツと気晴らし”、もしくは“楽しいお祭り”のように感じられたのだ。まだ70年安保の名残があった時代のことになるが。

というわけで、今日のライヴの会場は、私にとってはかなり重たい空気を伴っていた。

ちなみに、坂田明さんは、ご自身が広島県・呉市の出身でおられることもあると思うが、放射性廃棄物を含め、この何か起きたら誰もどうにもすることができない原発を、日本の各電力会社が抱えていることで、電力会社からの仕事は一切引き受けない、と明言されている。今日、私はその坂田さんのグループのメンバーとして演奏する。

後半の最後が「死んだ男の残したものは」、さらにアンコールで「ひまわり」という曲順。「死んだ〜」はもうやるのをやめようと思っていたけれど、時代がこうなってしまった、ということで、これからもやり続けることに。いずれにせよ、坂田さんのように、谷川俊太郎さんの詩を朗読する人は、世界のどこにもいないだろう。

思いは重い。不覚にも、最後のほうは、自分で演奏しながら、また泣きそうになってしまった。なんとかこらえたけれど。



5月16日(月) 生きている

友人と食事をする。なんだかわからないが、この頃は、生きて会えるという、ただそれだけのことが、とてもありがたく思える。こんな状態で東北に行ったら、毎日泣いてしまうだろうなあ、私。



5月17日(火) 20万年

ネット上にアップされていた、NHK・ETV特集『ネットワークでつくる放射能汚染地図 〜福島原発事故から2か月〜』を見つけてしまい、就寝したのが朝の5時をまわってしまった。

冒頭、このドキュメンタリーの中心となる木村真三さんは、元放射線医学総合研究所で東海村の臨界事故に対応されている方だそうだ。さらに、厚生労働省の研究所に移り、その時、自主的にチェルノブイリに足を運んでいる。

そして、今回、「勝手に被災地に行って自発的な調査をするな」とお達しがあったので、木村さんは厚生労働省をやめた、という。

私は「えっ?」と声をあげた。このような現実から、政府や東電の甚だしい隠ぺい体質を見い出すことは容易い。

そして、最後、原発は「未来を抵当に入れている」というひとことは重かった。放射性廃棄物は20万年後、6000世代まで、放射性物質を放出し続けるのだそうだ。こちらの想像力なんぞ完全に溶けて、宇宙に拡散しそうだ。

最近、ふと思うことがある。

私はそんなに死にたくないのだろうか?そんなに生きたいのだろうか?

この灰色の不安は、死への不安なのだろうか?芥川龍之介は「ぼんやりとした不安」と言い残して自殺したが、今の状況は、ほんとうに目に見えないけれど、確実にじりじりと蝕まれていくような不安だと思う。

なぜ死にたくない?まだ生きて、何をする?何を遺したい?

というようなことを考え始めると、とても刹那的になっていけない。

というより、もはや、そうした視点のみで考えられるべき問題ではないだろう。現実をきちんと見据え、将来がいっぱいある子供たち、私たちが住む青い星、地球の未来にまで、想像力をしっかり働かせることが大事だと思う。

生きている。生きている人には、その役割がある。

東北地方では精神的に病んだり、アルコール依存症になったり、自殺する人も増えてきていると聞く。自殺した人、また津波に飲まれて無念な思いで死んで行った人たち、まだ弔われることがない多くの人たちへの想像力も失わず、私は音を奏でる。



5月18日(水) 市からの返事

桜の花びらが舞い落ちる頃、自分が住む市に“市長への手紙”を出した。

図書館の入口広場にある水場の放射能汚染は大丈夫ですか?と尋ねたのだ。昼間、まだ歩くことができない乳幼児や、幼稚園にあがっていない幼い子供たちを連れたお母さんたちが、その水場周辺によく集まって、長時間、楽しそうに話している光景を見て、ちょっと心配になったからだ。

したらば、かなり時間が経ってから、市から返事が届いた。

「ご意見をいただきました水場は、市民の皆様に憩いの空間を提供するため、同施設の建設に伴い整備したものとなります。

当該水場に使用しております水道水の管理を行う東京都では、各浄水場の水道水の放射能測定を毎日実施しており、本市は、その測定結果の情報提供を受けております。

その情報によりますと、現在は、いずれの浄水場におきましても、放射能測定値が基準値を下回っている状況にあるため、現時点では、当該水場につきましては、特別に対策を講じる必要性はないと考えております。」

って、雨、はどう考えているの?問題なのは水道水だけではないだろう。それに、桜の花びらにも放射能は舞い降りているであろうわけで、それらがいーっぱい貯まっている水場だ。

私は、他にも、市が行っている緊急災害放送(計画停電の予告などに利用されている)について、同じように市長への手紙を出したことがある。市内で、よく聞こえる所とまったく聞こえない所があることがはっきりわかったからだ。それで、市の危機管理態勢について尋ねたが、これにはまだ何の返事もない。

全体に、自治体としての危機管理能力及び意識がとても低い、と感じている。これだけ作物汚染が報じられている状況下、こうなった以上は、市独自でモニタリングポストを設置して、その値を報告したほうがいいのではないか?と私は思っている。

拙宅から1km以内に、航空自衛隊の基地があるので、そこにはおそらくモニタリングポストはあるだろう。今、地図をググってみたら、地面に青いシートがかぶされているところがある。あれ、何だろう?というか、原発の上を飛んで放水した飛行機は、どこにあるのだろう?と急に想像してしまった。



5月19日(木) 対照的な

夜、コンサート・シリーズ『くりくら音楽会 〜ひとり、ピアノ〜』。今回は、林正樹さん、ハクエイ・キムさん、2人にご出演願った一夜。30歳代前半、後半を代表する、若手ピアニストたちと言っていいだろう。

林さんは時折楽しいMCを入れながら、作曲の方法論が明確なオリジナル曲を演奏される。そのお人柄もあるのだろう。なんとなくポジティヴで、温かい空気が会場を包む感じ。ちょっとだけ先端に丸みを帯びているような、非常にクリアなタッチも、林さんならではのものだろう。誤解を恐れずに言えば、林さんはほんとにピアノが好きなんだなあと、ピアノや音楽で遊ぶことが大好きなんだなあと感じる。

対照的に、ハクエイさんはほとんどMCをせず、指あるいは心が右へ行ったり左へ行ったりしても、それをそのまま赦しているような、少し内省的な即興演奏から始まる。それは温かいというよりは、藍色と銀色を混ぜたような、冷たい孤独を伴った肌触りに感じられた。そう感じられる分、タッチは鋭角的に立ち、一粒一粒が明確に聞こえてくるように思われた。ペダルの使い方も明解だったように思う。

なんちゃって、えらそうに。こういう風に書いたりするから、批判されるのだ、私。と自戒しつつも、対照的な2人のピアノ演奏、そして音楽は、足を運んでくださった多くの方々の心に、深く刻み込まれたことと思う。

アンコールで、調律師さんによって恒例化されつつあるらしい、前回の時と同じ曲が、ピアノ連弾で演奏された。林さんの無邪気な笑顔がすてきで、それにつられて、ハクエイさんも最後のほうでは笑顔。文句なく、楽しく、面白い演奏だったと思う。

正直に言えば、普段、私はピアノ・ソロはあまり聴かない。好んで聴くのは、グールドと高橋悠治と内田光子だったりする。でも、今晩の2人の演奏を聴いていて、今回のソロ・ピアノの企画、案外面白いかも、と自分で思った。なんたる手前味噌であることよ。

その背後に、調律師・辻さんのご尽力があったことは言うまでもない。辻さん、そして林さん、ハクエイさん、に心から感謝いたします。



5月20日(金) 落語を聴いて涙

午前中から家を出て、某会議に出席。その後、時間があったので、日本橋で開かれている片岡昌さんの個展に足を運ぶ。

片岡さんは1932年生まれ。人形劇団・ひとみ座の人形作家として、たとえば『ひょっこりひょうたん島』の人形を作られたことは有名だが、そうした人形制作以外にも、現代美術作品をたくさん作られている。

今回、へえ〜っと感じたのは、動く胸。女性の胸がゆっくり動いているのだ。他にも、動く足、それに動く手、もあった。すべて電動式。グロテスクなピンクの豚も、すごい存在感だった。

見終えた後、久しぶりに日本橋三越デパートに入ってみる。ほとんど場違い、及びじゃない、こりゃまた失礼いたしました、という感じ。

日本橋から人形町、さらに水天宮まで歩いてみる。この辺りは新しいビルもかなり増えたと思うが、一本路地を裏に入ると、まだ古い建物やお店が残っている。

そこで入ってみたのが“サンドウイッチパーラー”なる古そうなお店。半分パン屋さん、半分は簡単な喫茶店という造り。

ここに「ちくわドッグ」があったのに驚く。通常、ホットドッグといえば、真ん中にソーセージが入っているわけだが、そのソーセージのところに、なんと「ちくわ」が鎮座しているのだ。マジ?

ものすごく好奇心が湧いたけれど、買わずにコーヒーを飲んで休憩。したらば、どう見てもそっくりなおじいさんが2人。双子、だと思う。この人たちがきっとパンを焼いているんだ・・・。で、俄然、ちくわドッグを買って帰る気になったのだけれど、気がつけば最後の1個はもう棚になく。ゲットできず、残念。

夜は、柳亭市馬師匠の3日間に渡る『市馬 落語集』の最終日に足を運ぶ。水天宮・日本橋劇場にて。前から3番目の、落語家の表情がよくわかる席で拝聴。

最初に、弟子にあたる市江さんの落語。下手から出てきた瞬間、・・・と思ってしまう。不思議なもので、人間ってえのは、そのたたずまいでわかってしまうところも多々あるかも。人は見かけで判断してはいけないとは思うが、人は見かけ、も事実かと。ごめんなさい、ほとんど寝てしまった。

その後、市馬師匠の「青葉」。いいねえ、歩き方からして違うってえもんよ、という感じ。

裕福な家に仕事に来た植木屋が、そこの旦那にお酒や鯉のあらいをご馳走になる場面。指でおちょこをつまむ形を作って日本酒を飲んだり、扇子一本で、鯉のあらいを食べたり。その仕草、これがすんばらしい。市馬師匠、それはもう、とてもおいしそうに飲んだり食べたりしている。

そして、中入り前の圧巻は、澤孝子さんの浪曲。千葉県銚子、利根川に住む河童の話。新作の浪曲だ。まず、その声。とても69歳とは思えない。おそらく全盛期のような声の伸びはないとは思うが、日本人の声を聴いて、やっぱ、これでしょ、と思ったりする。

始まってから1〜2分。非常に微妙な倍音が聞こえてくる。これはホーメイもしくはモーミーではないの。ある口の形と発声法で、そう聞こえてくることがわかった。以前より、ホーメイは浪曲のように、と言っている人がいたが、実際、それがよくわかった。

また、三味線との合い方がまったくわからない。浄瑠璃の太夫と三味線にはだいぶ慣れた気がしているが、この浪曲と三味線の関係はよくわからなかった。おそらくかなりその場の即興的な部分(とはいっても、基本的には三味線が浪曲師の気配を伺いながら、合わせているように思われた)があるように感じられたけれど、どうなんだろう?

中入り後は、メイン・プログラムの市馬師匠による「子別れ」。この噺を3夜に分けてされていて、今夜は最後のクライマックス、いわゆる「子は鎹(かすがい)」の部分だ。

365日お酒を飲みまくっていた、大工の熊五郎。女房と子供と別れ、吉原から連れてきた女とも別れ、今はお酒をきっぱりと断って3年、真面目に働いて、従業員も2〜3人いるような、腕がいいと評判の職人になっている。

で、偶然、息子の亀坊と出会う。50銭のお小遣いをあげたり、明日は鰻屋に連れて行くと約束したり。1銭のお小遣いももらったことがない亀坊はびっくり。この50銭で、靴を買いたいと言う。みんなはもう靴を履いているけれど、自分だけはまだ下駄だから、というのが理由。

間をはしょるが、結局、それぞれ未錬があった元夫婦は、その子供のおかげで、またいっしょに暮らしましょ、ということになったというお噺。

オチは亀坊の言葉「え!あたいは鎹(かすがい)かい。それで昨日、おっかさんが頭をゲンノウ(トンカチのこと)で叩くと言ったんだ」。

この、父と息子が偶然出会う場面。この辺りで、私の周辺にいたおじいさんたちはみんな涙をふいている。私も少し涙ぐむ。

この親子の情愛を、市馬師匠は実に温かく、きめ細やかに表現している。なにもかも俺が悪かったと後悔すると同時に、大きくなった息子にたまたま出逢えたことのうれしさ、さらに、今でもまだ独り身でいる女房への思いを隠そうとしてみたり、といった人間の複雑な感情を、言葉と口調と声、動作や仕草で、見事に表現されていると思った。

このお話はいわゆる人情物だと思うが、落語を聞いて涙するとは思っていなかった。初めての体験。

いいなあ、市馬師匠。ひと月に一回は聴きたいと思う。

ちなみに、市馬師匠は寄席芸人バンド“ビッグエイト”というバンド活動もされており、その担当はもちろんヴォーカル。林家正蔵はトランペット、柳家花緑はピアノを担当しており、ほかに5人ほどいて、去年はジャズだったらしい。今年は「愛を謡い上げます」とチラシに書いてある。演奏もするけれど、各一席もあるとのこと。行きたーーーい、と思ったが、予定が入っていて夢かなわず。残念。




5月21日(土) たとえば

たとえば、以下のようなことが書かれたメールを転送します、というメールが届いた。

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あの事故以来、1日あたり広島型原爆1個分相当の放射性物質が拡散されている。
福島原発100キロ圏内においては、とうとうチェルノブイリの強制移住基準値の20倍を上回る放射線量が検出される事態となっている。
収束の材料は乏しく、時系列的に関東全域が高濃度の汚染地域となるのは不可避であり、つまり首都圏在住者3千万人の被爆が事実上の規程路線となった。
東北地方ではすでに被爆の初期症状である下痢が増加傾向にあり、当然これは速やかに南下し蔓延する。

・・・・・・・・・・

このメールは、日頃からたいへん信頼している方から送られてきたものだったので、正直、非常に不安にかられ、とまどった。

最初に思ったことは、ここに記述されていることはほんとうのことなのだろうか?ということだった。後日、このことは周知の事実、今や常識になっている、というニュアンスの返信が、メールを下さった方からは届いたのだけれど。

さらに、こうしたことを言う“根拠”は何なのだろう?と思った。いやはや、インターネット、ツイッターなど、これまでにない情報量を自宅で得ることができる現代は、実にたいへんな時代になったと思う。

現在、YouTubeでは非公開にされてしまっているが、先の高知県での反原発デモの際に、実際に福島にいた人の証言がアップされていて、それを見た。彼はかつて福島第一原発で働いていて、家族と共に高知まで避難してきた人だという。自分は既に被曝していて(その数値も言っていた)、鼻血も出た云々といった内容だった。

(この高知での彼の発言もまた、ほんとうかどうか、はわからない。私はおそらくほんとうのことだろうとは思う。が、要するに、見た人の判断にすべてゆだねられていることになる。)

というようなことを知ることも、これまではなかったことだ。

原子力開発・問題に携わってきた、偉い学者先生たちの言うことも、どれを信頼したらいいのか、正直、よくわからない。それでも、この人の言うことは、と思えそうな人のwebなどは、毎日チェックする。

そして、思う。政府は、東電は、どれだけのことを隠しているのだろう?と。

こんな懐疑的な社会状況は、不安以外のなにものも生み出さない。

ネット上に友人が書いていたように、もうこうなった以上、この野菜はいつどこで収穫されたもので、放射能の値はどれだけか、を表示するようにしたほうがいいようにさえ思う。

でも、自分が内部被曝した値を毎日こまめに帳面につけて、積算量を計算するようなことは、やがて面倒臭くなって、やらなくなるだろうなあ。その延長線には、早かれ遅かれ、いつかは死ぬんだ、があるだけだ。

夕刻のNHKの首都圏ニュースでは、その最後に、毎日、放射能の値が報告されている。そして、「これらの放射線を浴びても、ただちに影響はないとのことです」と、アナウンサーは毎日言っている。そのむなしさよ。

いずれにせよ、関東圏、東京においても、ホットスポットはあるであろうことは容易に想像することができ、私は家の窓を開けられないでいる。心おきなく、いい空気を吸いたいと思う。それには東京を離れる以外にない。



5月22日(日) 不思議な響き

大泉学園・inFで、吉野弘志(b)さんと初めてデュオで演奏。

吉野さんが作られた、ガムランをイメージした曲で、演奏法を少し工夫してみる。したらば、少し思いがけない響きになっていた。ピアノのダンパーをたくさん上げた状態で、五音階だけを使うと、ああいう風になるのね、とちょいと発見。収穫。

お客様少なく、吉野さんには申し訳なく思う。ほんとに集客力がない私だ。もう演奏活動をやめたほうがいいという神の啓示だろうか。晩年はきれいな水を飲みながら、静かに暮らしたい。



5月24日(火) メルトダウン

福島第一原発。一号機に続いて、実は、二号機、三号機もメルトダウンしていると発表される。

こういう時は、結婚と離婚が増える、と誰かがブログに書いていた。多かれ少なかれ「死」が隣にあるかもしれない状況下、個々人において、誰が、何が、一番大切か、という選択がおのずとされるであろうことは、容易に想像できる。それで、いろいろ考えてしまう。

午後、喜多直毅(vn)さんと『軋む音』のリハーサル。全体のプロットが概ねできあがる。



5月25日(水) 時代

夭折した画家、石田徹也の生涯と、その時代を振り返る。丸一日を費やす。その時代背景をたどっているうちに、彼が生まれた頃と今とが、あまりにも酷似していることを感じ、いろいろ夢中になって調べているうちに、外は暗くなっていた。身体がバリバリになった。

夜、息抜きに、ドリカムを聴く。美和さんの声は圧倒的。彼女が話した「音楽の無力」について。その通りだと思ったし、彼女が心に留めているものを想像して、私もまた胸がしめつけられる思いになる。

まだ、誰もが、いつでもあふれだすような涙の海を、心に抱え続けている。この傷はほんとうに深い。



5月26日(木) 変わるだろうか?

午後、さわやか太極拳の教室に行き、汗をかく。股関節、甚だ硬し。

その後、整体に行く。ひと月に一度、リラックスする1時間。両腕を入念にやっていただいて、だいぶ楽になる。

整体の先生は、長野県の被災地、栄村北の地区に物資を届けに行ったという。完璧に過疎化している地域だったそうだ。

おばあちゃんたちは、先生たちが持って行った食器(現地では地震で落ちて全部割れた)をうれしそうに手にとって、お財布を出してきたという。お金はいらないのだと言うと、何度も感謝していたという。

つまり、二ヶ月以上も経っているのに、ここにはちゃんとボランティアなどが入っていないということだろう。交通事情も悪く、食糧を調達するのもたいへんな山奥らしいけれど。

以下、栄村の村長さんがweb上で公表している文章。

・・・・・・・・・・

全国の過疎地域は現在730市町村、1,755市町村の42%を占め、人口は1,056万人余で、全国の人口の8.3%に過ぎませんが、その面積は日本国土の54%を占めています。

今回の法改正で58市町村が新たに過疎指定市町村となる見込みで、長野県では飯山市を含む5市町村が新たに指定され、北信広域管内では中野市以外の全市町村が過疎指定になります。

過疎市町村どこも人口減少はさらに進んで社会減に加え、自然減が増すとともに高齢化が進行しています。

・・・・・・・・・・

この夏の電力不足、あるいはさらなる地震に備えるために、東京にある企業や工場は対策を立て始めているという。

ある鋳物工場は、今からシフト制で深夜勤務態勢をとっており、夏に向けて備えているという。とはいえ、騒音のためにシャッターを閉めているので、この季節でも工場内は温度が30度を超えるそうだ。従業員の中には既に疲労している人もいて、夏になったら熱中症になって倒れる人も出るかもしれない、との報道。

また、企業は既にリスク分散という観点から、本社を東京から別の都市、たとえば大阪や福岡、あるいは海外へ移しているという。

そういえば、一週間くらい前、夜遅い電車の中で、本社を移転する、コンピュータ・システムを移すという話しを、会社員の人たちが真剣に話していたことを思い出す。そのためにかかる具体的なコストについても議論していた。

東京も変わっていく、いかざるを得ない、と思う。都心のビルには空きが増えるだろう。郊外のマンションにも空きが目立つだろう。

今、拙宅からは、背の高いクレーンが空に伸びている様子が、最低でも3つ、見える。高層のビルやマンションが建設中なのだが、果たして、部屋は全部うまるのだろうか?

地方の過疎化、地方経済の活性化は、現状の政策のままでは変わらないだろう。とどのつまり、この国の経済は衰退、没落の一途をたどるにちがいない。そして、文化、文明はどうなる?

いったい、豊かさ、とはなんだろう?



5月27日(金) 軽い鬱状態

どう考えても、軽い鬱状態に陥っている気がする。

朝、目覚めて、一番最初にすることは、ラジオを付ける、それからテレビを付ける。

かつての阪神淡路大震災の時のことを思い出すからだ。朝、起きて、テレビを付けたら、映し出されている映像は、どこの局でも、火の海だったり、高速道路が落ちたりしている映像だった。あの時、凍りついた自分を思いだすのだ。

今、もっとも気がかりなのは、もちろん、あまりにも絶望的な福島第一原発の状況だ。誰もどうすることもできず、放出され続けている放射性物質。それらが付着した農産物、あるいは汚染された海の魚介類。空気。水。

生産者の生活を守ることも、もちろんとても大事なことだ。でも、私たちが汚染された食物を口にすることの先にあるのは、重大で深刻な健康被害だ。

今、具体的な政策や、放射性物質の値の公表が、きちんとされていないのが現実だ。一方で、一般民間人がガイガーカウンターで調べた放射能数値をネット上に公開しているブログなどへの反響が大きいことも考慮に入れると、とにかく、政府や東電は、いや、自治体は、放射線の値を細かく調べてすみやかに公開したほうがいいと、私は思う。

作物の出荷も、こうした放射線数値測定も、いわば日本人の良心や善意によってなされているような状況は、いかにこの国の危機管理能力が低いかを露呈している。

そして、ここ2〜3日、福島浜通りあるいは茨城県北部を震源とする地震が頻繁に起きている。草津のお釜も揺れているらしい。もう一回、大きな地震が来るかもしれない?





5月28日(土) 雨が降ると

雨が降ると、放射能が気になっていけない。北東から吹いてくる風にも敏感になる。それにしても、寒い。

そんな天気の中、午前中から喜多直毅(vn)さんとリハーサル。夜は西荻窪・音や金時で、通称たんこ(vo)さんのライヴで、ロシアの歌を演奏。ワジム・コージン、ベルチンスキー、まだ全容がよくわかっていない私だが、なんだか面白い。



5月29日(日) プルトニウム

午後、喜多直毅(vn)さんとみっちりリハーサル。さてさて、本番、どうなりますか。

どうも放射能汚染が気になっていけない。東京に住む友人からは、天気の良い日に芝生に寝転がるような気持ちにはとてもなれない、とメールが届く。

いろいろ読んでいると、とにかく、放射性物質がやっかいなのは、「煮ても焼いても、なくならない」ということのようだ。決してなくならないので、「放射性物質を除く」というのは、「別の場所に移す」ということになるとのこと。

で、もっとも問題なのは、たとえば、「地産地消」や「風評」のかけ声で、生協やスーパーなどが全国に運んでいる、汚染された食材や、検査を拒否したお茶の葉っぱ、さらにガレキ、魚、海藻類などが、「ゴミ」として捨てられて、そのまま焼却炉で焼かれると、その煙の中に、放射性物質が存在している、ということだそうだ。

その放射性物質のうち、特にプルトニウム。プルトニウムは既に海にも流れ出ているわけだが、それを魚が取り込み、その魚を人間が調理したり、食べた人が残りを生ゴミに出して、それが焼却された場合が、もっとも問題である、と言われている。なんでもプルトニウムの微粒子が肺に入ると、肺ガンになるそうだ。

考え始めると、絶望的な気持ちになってくる。



5月30日(月) 店員の質

午後、6月5日のチャリティー・ライヴのためのリハーサル。この時の音源は花巻や盛岡にも贈られる予定になっている。いいライヴにしたい。

帰り、『軋む音』の小道具調達のために、新宿のユザワヤへ行く。探しものを尋ねているのに、店員がちゃんと対応してくれない。あまりのアホさに腹が立ち、おかげでユニクロで買い物をしてしまったじゃないのっ。

アルバイトかもしれないけれど、どこに行っても、お店の質が落ちたなあと思うことが多いこの頃。

深夜、1曲、作る。題名は「闇夜を抱く君に」。



5月31日(火) 毛穴を開げる人

午後、喜多直毅(vn)さんと音楽だけのリハーサル。

夜、絵本作家・村上康成さんの個展に行き、トークイベントに参加する。京王線がトンネル内の電気トラブルで正常に動いておらず、渋谷に出るまでに1時間半弱もかかってしまい、トークに遅刻してしまう。村上さんにやっと初めてお会いするというのに。って、私は10年以上前から、村上さんの絵の単なるファンなので、実は胸はドキドキ。

30分くらい遅刻してしまったので、今回の展示作品の説明や、震災後に村上さんが考えられたことなどは、聴き逃してしまった。が、その後、世界各地へ行かれている村上さんのお話をたっぷりうかがうことができた。

もっとも印象に残っているのは、”尺岩魚”(ドでかいイワナ)が釣れて、とてもうれしかった時のお話。

「今日は全然釣れないなあ」と言いながら、村上さんのところを通り過ぎようとした人がいた。けれど、村上さんはたくさん釣っていたので、その人たちには驚かれたそうだ。で、その際、実はその“尺岩魚”も獲っていたのだけれど、それを村上さんは彼らに見せることができなかった、獲れましたと自慢できなかった、というお話。

魚を〆るのに、魚の頭を岩に叩きつけて、いわば失神させる。それは、魚の命を絶つ行為だ。その時、村上さんは「怖い」と思ったそうだ。そして、その獲った岩魚を他人に見せることができなかった、というのだ。

命への畏怖。これまでもたくさん釣りをされてきているし、自然の中で危険な目にもたくさん遭われている村上さんだが、こうした畏怖を抱き続けておられることを聴いて、たいへん僭越ながら、ああ、この方は信じられる、と私は勝手に思ってしまった。

それは、たとえば、何かに触れて初めて音を出す瞬間の、あるいは、こらえ切れずに歌い出したり、メロディーを奏でる時の、よろこびと怖れと刹那が混ざり合ったような感覚に似ていると思う。そのことを忘れている音楽家、そうしたものがない音楽は、人の心に何も届けることができないと思う。

また、いろんな写真をスライドで見せてくださり、村上さんのお話を聴いていると、「この星に生まれている、生きている」という感覚に引き込まれた。こういう宇宙感覚、地球感覚は、普段の生活、私の中にはあまりなく、こうした感覚を持つことは大事だと思った。自分を客観的に見ることができる視野の持ち方のひとつだと思う。

そんな村上さんも、東京に住んでいると、時々枯渇するようで、ご自身の言葉で言うと「毛穴を広げに行く」ために、世界や日本のあちこちにでかけられるらしい。この「毛穴を開く」という言い方が、なんとも面白い。村上さんが身体あるいは皮膚で、自然や世界と対峙しようとされていることがわかる。頭ではないのだ。

また、“絵本”ということにこだわって来られたお話も興味深かった。絵本のページをめくる、というアナログな動作の中に何かある、絵本という媒体でなければ創り得ない世界がある、というのだ。そして、こうした絵本の分野は、日本ではまだ認知度が低いらしい。そっか、生きにくい道を選んでおられるのだなあと思う。

ちなみに、今回の個展は、絵(原画、及びPCアウトされたもの)が展示されているわけだが、村上さんにとっては珍しいことらしい。

そして、緑色した特注のウクレレを持って、ふにゃふにゃ、ゆらゆら、はらほろひれはれ〜、と歌われる。これがまたいい。全然力が入っていない。

その歌と同じような感じで、自分が創った絵本も、読む人の手に渡ってからは、どうぞお好きに、という感じらしい。何かを感じ、問題なりを感じてもらえればいい、ということだそうだ。なんとなく、B・ブレヒトを思い起こした。

ほか、絵本には“言葉”があるので、その距離の取り方や、言葉というものをどう考えておられるのかなど、お尋ねしたいことはいろいろあったのだけれど、こう見えて、私、けっこう引っ込み思案、遠慮がちな性格に育ってしまったもので、ご挨拶だけして会場をあとにした。いつか機会があれば、一度ゆっくりお話ができたらうれしいなあと思う。

村上康成さんのwebはこちら






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