8月
8月2日(月) 暑い

私宅の空調、全室、全滅にて、我が身、必死に耐えれども、とうとう倒れぬ。汗だく、ぜいぜいの息にて、床に伏す。マジ、熱中症かも、と思い、首やら脇の下やら足首やらを冷やしまくる。夕刻、シャワーを浴びて、なんとか復活。今夏、尋常ではない暑さなり。



8月5日(木) 祈り

昨日から八ヶ岳に入る。標高1400m。なんたって、涼しい。7時間、爆睡できて、体調が戻る。東京で、如何に自分が暑さを我慢していたか、また、暑いということがどれほど体力や思考を消耗させるか、が身に沁みてわかる。

正午過ぎ、各駅停車を乗り継ぎ、長野県松本に着く。今宵は、浅間温泉にある神宮寺で、おおたか静流(vo)さんと演奏する。

駅には神宮寺住職自ら迎えに来てくださり、まずは、地元のおいしいお蕎麦を食べに行く。話によると、地元の人はざる蕎麦を1〜2枚食べた上に、温かい天ぷら蕎麦を一杯食べる、のだそうだ。ということを、目の前で、住職自ら実践されていた。

神宮寺では、毎年、8月1日から9日まで、「いのちの伝承」というタイトルで、いわばイベントを行っている。これは、もともと「法要」として50年以上前から行われているものだそうだ。

そして、15年ほど前から、広島に原爆が投下された前の晩に、コンサートや芝居を加えてやっているとのこと。そこには、原爆で亡くなった方々を追悼するとともに、不戦の誓いや原爆の風化を防ぐ、という意味がこめられている。

付け加えれば、お寺での法要は6日〜8日まで三日間に渡って行われ、のべ900人の人たちが訪れるそうだ。その後、住職は約600件近い檀家回りをされるとのこと。全国のお寺でも、これだけの人が集まるところはそうはないだろう。

神宮寺に着いてから、ちょっと一息。本堂の方に行き、この期間に展示されている、丸木位里・俊 夫妻の「原爆の図 〜第七部 竹やぶ〜」(オリジナル)の前に正座して、しばらくの間、じっと視る。それから、販売されていた手作りの袋や下駄などの買い物ををする。

午後3時過ぎからリハーサル。ステージの後方の壁面には、「原爆の図 〜水〜」のレプリカがかかっている。レプリカとはいえ、伝わってくるものにはすごいものがある。

絵が飾られているのは、本堂だけだと思っていたら、演奏する場所にもレプリカが飾られていることを間際になって知った私は、正直、少々プレッシャーのようなものを感じていた。

加えて、ステージの下には、石彫家・大場敏弘さんが造られた「祈り」が、水盤の中に飾られている。ろうそくも浮かんでいる。空間も時間も、すべてが祈りへと準備されている。

午後6時から、本堂の「原爆の図」の前で、住職が参会者に図の解説などをされ、6時半過ぎから、お寺に造られたアバロホールでコンサート。入場料は無料。

「原爆の図 第三部〜水〜」の朗読から始まり、おおたかさんと二人で音楽を届ける。おおたかさんの衣装は、初めて身にまとうという、黒のシックなドレス。とてもよく似合っている。最初の歌は、私も大好きな「I remember you」から。

途中で、原爆詩「うましめんかな」の朗読がもう一度入り、そこにかぶるようにピアノが入っていき、ピアノ・ソロへ。心おもむくままに弾いていたら、最後はなぜかJ.S.バッハ「主よ、人の望みのよろこびを」になり、後で友人からは批難される。また、打ち上げの時に、このソロの際、「ギーギー」という音が聞こえたと言われたが、今日は、私は鍵盤を弾く以外のことはしていない。

後半の歌は「イムジン河」から。最後は、今回のテーマである「戦争は知らない」。アンコールの一番最後に、名曲「The voice is coming」と、住職の般若心経がかさなって、終わる。この終わり方で、なんとなく浄化されたような心持になる。住職にお経を唱えていただいてよかった。

終演後、そのまま会場で打ち上げ。東京から来てくださった友人たちとも楽しく過ごす。夜は浅間温泉の宿に泊まる。



8月8日(日) 4年ぶり

夜、約4年ぶりくらいに、吉祥寺・サムタイムで演奏。

かつて、この吉祥寺の老舗のジャズクラブでは、たとえば酒井俊(vo)さんや早坂紗知(as)さんのバンド・メンバーとして、ひと月に1〜2回は演奏していた。当時、早坂さんとは、もうここでしか共演していなかった。そして、私が4年前に耳を患って約三ヵ月間ほとんどの仕事をキャンセルして以来、彼女から声がかかることはなかった。

店の内装や雰囲気は変わらず、店長さんや主要なスタッフも変わらず。店の造りがすてきに“ジャズ”で、日本酒や焼酎ではなく、バーボンが似合う感じ。なんだかリラックスできる。そして、このお店を支え続けている店長さんの温かい人柄が、お店の人気を保っているのだと思う。

今回のセッションは、今年3月に久しぶりにひょいとお店に立ち寄った時に決まったものだ。その際、「一応、ジャズなので・・・そこのところ、ひとつ」・・・それで共演者を思案した結果、どうも普通のジャズの編成でやる気持ちにならず、佐藤芳明(accordion)さんと西嶋徹(b)さんに声をかけ、何か面白いことをやってみようと考えた。

かなり昔の譜面も引っ張り出して来て演奏してみたり。彼ら2人のオリジナル曲も含めて、セロニアス・モンクやカーラ・ブレイの曲もやってみる。

正直、なんとなくちょっと居心地が良いような悪いような、奇妙な感覚に包まれる。ジャズは、確かに、私の出発点にある。けれど、現在、私はどこにいるのだろう?



8月9日(月) クラリネット

夜、大泉学園・inFで、土井徳浩(cl)さんと、デュオで演奏。彼と共演するのは2回目、サシで勝負するのは初めて。

それぞれのオリジナル曲を持ち寄って演奏する。彼にはクラリネットとピアノが響き合うことを大切にしたいと、あらかじめ伝えてあった。が、さて、どうだっただろう。

彼のクラリネットは、吹き口と先端の部分が、真ん中とは違う素材でできている。アメリカではかなり一般的になっているとのことだったが、日本ではまだ普及していないらしい。その音色がとてもやわらかい。そうした音色へのこだわりを持っているところで、何かできるかも、と思ったのが、このセッションのきっかけだった。

私は今日もまた少しジャズ寄りの演奏になっただろうか・・・。

木管楽器ならばクラリネットが好きな私だけれど、この楽器、まだいろんな可能性があると思っている。地味かもしれないけれど、いろんな表情、表現ができるように思う。結局は、楽器ではなく、人、なのだけれど、もう少し踏み込んでみたいと思う。



8月11日(水) 生命

深夜、NHKで放映していた戦争関連のドキュメンタリーを観る。

ガダルカナル島から生還した人たちの証言。アメリカ軍の兵器は日本のそれとは比較にならないくらい立派なもので、およそ戦いになどならなかったこと。それに加えて、兵士たちを襲った飢餓と南方の病気。さらに、自決。そうしたことによって、多くの生命が消えていったこと。

また、当時、ソ連との国境の最前線に“日本兵”として駆り出された朝鮮の人たちが、シベリアに抑留され、そこで過ごさざるを得なかった過酷な日々。さらに、祖国へ戻っても、共産主義に洗脳されているのではないかということで、彼らが受けた偏見や差別。彼らの名誉が回復したのは、たった5年前のことだという。

かつて故岸田理生さんが「私たちは朝鮮の人々の言葉を奪ったのよ」と言っていた言葉が聞こえてきた。番組の中で、元兵士の朝鮮の人たちは、全員、日本語をしゃべっていた。そして、故金大煥(per)さんのことも思いだした。キムさんもまた日本語を話すことができた人だった。




8月13日(金) 打ち合わせ

午後、高瀬“まこりん”麻里子さんと、秋の「カバレット」の打ち合わせ。こんなお話しを、こんな歌を、という感じで、いろいろアイディアを出し合う。なんとなく方向がちょっと見えてきた感じ。

夜は、金丸正城(vo)さんと古西忠哲(b)さんと演奏。金丸さんが冷房で喉を痛めてしまわれ、ピンチヒッターで水槻直子(vo)さんも半分以上歌われる。水槻さんとごいっしょするのは初めて。

金丸さん曰く、健康状態などの理由でどうしても替わりの人を立てなければならなくなった時、いわゆる“エキストラ(通称トラ)”を頼む時は、自分より上手な人にお願いするようにしなさい、と言われたという。これは落語などの世界から来ている考えらしい。私もそう聞いて育った。

ということで、金丸さんは全部歌わず、しかもすべて歌のキーを全音下げて歌われた。これがなかなかちょっと太くて渋い感じの声で、これまでの金丸さんとはまた全然違った雰囲気で、すてきだなあと思う。かくのごとく、“調”というのは、音楽にとってとっても大事と再認識。

また、ヴォーカルが二人いるというライヴはそう頻繁にあるものではなく、今日もまたいろんなことを学ぶ。



8月14日(土) ETC

やっとETCを搭載した。ちなみに、カーナビはいまだあらず。地図を読む私。



8月15日(日) リハ

午後、喜多直毅(vn)さんと『軋む音 vol.2』のリハ−サル。



8月17日(火) リハ

午後、喜多直毅(vn)さん、蜂谷真紀(vo)さんとリハーサル。



8月18日(水) レッスン

夕方、生徒のレッスン。私宅の冷房は全滅したままなので、レッスンを始めて以来、初めての出張レッスン。ピアノが置いてある部屋にはキーボードやコンピュータがあり、先のライヴの時に弾いた曲を、それらを使って聞かせてくれる。

夜、高瀬アキ(p)さんに習っていた頃の旧友と会食。久しぶりにへぎそばを食べ、次にイタリアンへ行って珍しくワインを飲む。



8月19日(木) 宿題トリオ解散

午後、喜多直毅(vn)さんと『軋む音 vol.2』リハーサル。その前に、新宿高島屋で、黒い布やら白い縄などの小道具を購入。細かい質感にこだわる喜多さんに感心する。

喜多直毅(vn)さん、蜂谷真紀(vo)さんと、大泉学園・inFでライヴ。毎回、必ず曲(歌)を書くということから“宿題トリオ”と名付けられていたユニットだったが、バンマスの一声により今回で解散。



8月20日(金) 軽井沢へ

この土日に、今年5月にできたばかりの軽井沢朗読館で、坂田明(as)トリオで演奏するため、前乗りで軽井沢へ。車を飛ばしたのだけれど、ETC快調。もっと早く付けておけばよかった。

朗読館は中軽井沢の奥のほうにあるのだが、中軽井沢駅周辺に来た途端に大渋滞に巻き込まれる。後で聞いたら、なんでも管総理や小沢一郎などの代議士が来ていたらしく、信号規制がされていたらしい。なにせ、信号が変わっても通れるのは2〜3台ですぐに赤信号になってしまうから、何かヘンだなあとは思っていたのだけれど。

さらに、朗読館はセゾン現代美術館のさらに奥の奥にあり、その別荘地内で道に迷う。軽井沢ICを降りてから1時間以上かかってしもうた。

夕方5時からのチェンバロと朗読の演奏会を聴く。開放感のある、こじんまりした朗読館の空間によく合っている音楽だったと思う。

夜は出演者やスタッフのみなさんと夕飯を共にする。餃子パーティーという感じで、餃子をたらふくいただく。明日のこと(空気中に漂う臭い)は・・・知らない。

この朗読館は6月にNHKを定年退職されたアナウンサーの方が私費を投じて建てられたものだ。彼女の念願が実現したらしく、ホール以外の別室には録音室もある。貧乏ジャズウーマンにはとてもかなわい夢だ。



8月21日(土) 軽井沢で

午後、電動自転車をお借りして、セゾン現代美術館へ行ってみる。

坂田明(as)さんの新作CD『チョット!』売れ行き好調。



8月22日(日) 軽井沢から

昨日と同じく、朗読館で演奏。午後、あまりに見かねて、二階からホール、玄関など、私が掃除機をかける。

夕方から演奏。ピアノはなんとか最後までもってくれた。すべては調律師さんのおかげだ。心から感謝。

終演後、水谷君、坂田さんはすぐにお帰りになる。後で聞いたところによると、大渋滞に巻き込まれて、7時半過ぎには軽井沢を出たのに、自宅に戻ったのは深夜0時近かったらしい。

私は少し残って夕飯をいただいてから、八ヶ岳に向かって出発。冷房のない私宅にいるのはやめなさいという避難命令を自分で下す。涼しくて天国。おそらく軽井沢より涼しい。



8月24日(火) 頭を使う

涼しいところにいると、やはり頭がまわる。『軋む音 vol.2』のための作業をあれこれやる。コンピュータがないので、すべて自筆原稿、手作業。定規がないので、そこにあった木の寒暖計を定規の替わりに使ったり。久しぶりの手書きの感触。昔はすべてこうだった。おかげで、書きながら、頭の中が整理された。



8月25日(水) リハ

夕方から、喜多直毅(vn)さんとリハーサル。私宅は暑いので、まずはファミレスで4時間近く打ち合わせ。それから私宅にて練習、通し稽古を2回ほど。



8月26日(木) 身体のメンテ

午後、太極拳の教室。汗だく。その後、いつもの整体へ。極楽。天国。先生は私の身体のおかしいところを見抜いているように感じる。



8月27日(金) 絶叫

夜、渋谷・公園通りクラシックスにて、喜多直毅(vn)さんとのライヴ・シリーズ『軋む音 vol.2 絶叫 ほんとうのことは静かに聞こえる』を行う。

これは、死刑囚・永山則夫の生涯をとりあげた作品。喜多さんは東北の訛りで語りもする。などなど。

金曜日の夏の夜、電車で帰る気力ゼロにて、タイマイはたいて、渋谷からタクシーで帰宅。



8月28日(土) ファルハ

夕刻から、代々木・白寿ホールにて、常味さん率いる“ファルハ”のコンサートを聴く。



8月29日(日) 伊勢原

夕方から、伊勢原音楽院にて、坂田明(as)トリオで演奏。


夜、大学1年の時に在籍していた哲学科の集まりに合流。



8月30日(月) カバレットの打ち合わせ・その1

午後、森都のり(女優)さんと神保町で打ち合わせ。



8月31日(火) カバレットの打ち合わせ・その2

午後、高瀬“まこりん”麻里子さんと打ち合わせ。

夜、大塚・グレコで、伊藤大輔(vo)さんとライヴ。山田うん(ダンサー)さんが聴きに来てくださった。






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