3月
3月1日(土)  PC崩壊寸前

PC、ウィルスに蝕まれているのか、すこぶる調子悪し。音がまったく聞こえない。映像も見ることができない。それに、知らない間に、何故か受信したメールの半分が消えていた。何の霊がとりついているのだあああ?



3月2日(日)  趣味の発表会

コミュニティ文化祭と称する、地元の様々なサークル活動の発表会に、私が通っている太極拳の教室の人たちも参加するというので、どれどれとちょいとでかけてみる。

太極拳のことはまだよくわからないが、例えば歌舞伎や能のように、まずは“立ち姿”がしゃんとしているかどうかが、何故か素人でもわかるようなところがあると感じる。そして、“型”だ。やっぱりキマっている人は美しい。

それにしてもすごい文化祭だ。一つのサークルが発表する時間は5分しかないだそうだが、次から次へといろいろ出てくる。そのどれもがほとんど老人クラブのような感じではあったけれど、そう遠くはない未来の自分を見るようであったかも?



3月3日(月)&4日(火)  楽器は生きている

小学生の頃、『森は生きている』という演劇が流行っていた。ということとはまったく関係なく、楽器は生きていることを、ものすごく感じた二日間になった。

ホールを借り切って、喜多直毅(vl)さんとデュオのレコーディング。現場に着くと、既にものすごい器材が運び込まれており、調律をするピアノの音が聞こえている。今日に至るまで、およそスタジオ仕事ではない過程を踏んできているから、スタッフ態勢は万全と言っていいだろう。

調律師さんも二日間ベタで付いてくださる。私が家で練習しているのと同じように、裸足で、もしくは薄い靴底の靴でペダルを踏むことを伝えてあったら、その高さに合うようなインシュレーター(三本足のピアノのキャスターを載せるお皿)を持って来てくださっている。しかも、そのインシュレーターはネジを緩めていてもピアノは動かないというもので、自ら開発された硬い木製のものだ。ちなみに、フルコンのピアノのキャスターには、ピアノを固定するための大きなネジが付いているのだが、それを締めると音は悪くなる。その他、椅子がギシギシ音を立てるのを養生してくださったり。いつものことながら、その気配りと仕事ぶりには脱帽。感謝してもしきれない。

ピアノの感触はちょっと?。以前ここで演奏した時の印象とかなり異なっている。これは困った、と正直思う。このピアノとどう仲良くしていい演奏を残せるだろう。頼むから鳴って、と天を仰ぐ。

それに比べて、新しく買い替えてまだ間もないヴァイオリンは、とっても深く、そしてのびやかに響いている。メンテナンスをしてきたばかりとのことで、その指はうれしそうによく動き、音は歓びに満ちて空気を震わせていることを感じる。う、う、羨ましい。

んなことを言っている場合じゃない。ともあれ、録音じゃ。割合に“曲”から始まったこともあって、非常に丁寧、丹精な心持ちになる。それはまるで譜面を弾くようなクラシック音楽をやっているような感じすらしてきて、途中でどうしてこんなに保守的な演奏になっているのだろうと自問自答したりする。二人の間にいつもあるような自由さがない。それは喜多さんも同様だったらしく、この日の最後に演奏した即興色の強い曲では、思わず二人とも爆発してしまい、プロデューサーの首を傾けさせてしまう。

そんなこんなの反省やら、明日はこうしましょか、というような話を、食事をしながら話す。ホテルの門限をとっくに過ぎているにもかかわらず、二軒目に入った店が超マニアック、ディープなショット・バーで、類は友を呼ぶとはこのことか、と独り言。その店主によれば、バーテンダーが研究にやってくるような店らしい。そのモルトウィスキーの種類たるや星の数ほどあり、○○というカクテルはどのような経緯でできたかといった口上のあれこれ、果ては塩の種類の話まで。ものすごく研究しているらしい。おそるべし、上大岡(横浜よりさらに西にあるベッドタウン)。

ということで、このレコーディングのために現地で一泊。ホテルの窓が開かず、しかもかなり暑く、射光カーテンは閉まらず、あまりよく眠れずに朝を迎える。

翌日、眠れなかったせいか、妙にハイテンションになっている自分に気付く。で、ピアノを弾く。無論、朝から調律はしてくださっている。らば、らば、らば、ピアノはまるで別人28号のようになっていた。思わず顔がほころぶ。昨日とあまりに違うので、とても驚く。こういう体験はあまりしたことがない。今度はこちらの指が踊る。調律師さんによれば、ならば初日からこうであればいいのだけれど、そうはいかない、んだそうだ。

二日目は比較的即興色が濃いもの、激しい演奏になりそうなものを録音。ヴァイオリンの弓はどんどんそうめん状態になってゆき、明らかに昨日より響きは悪くなっている。かくの如く、ピアノはどんどん鳴ってくる。ヴァイオリンはどんどん鳴らなくなってくる。反比例の世界。

楽器は生きている。

すべての曲を録り終えて、もうほとんど抜け殻のような状態になりながらも、夕方頃からトラックダウン作業に入る。外は雨。荷物とアコーディオンを持って帰途につく。いい録音になった。いい音楽創りができた。と思っているが、さてはていかに?



3月6日(木)  上腕三等筋

午後、太極拳の教室に行く。ピアノを弾く時の姿勢のことが話題になる。いかに腕の重みを使うか等々。そして上腕三等筋(いわゆる“振袖”と言われる部分)を鍛える体操を教えてもらう。うーっし。



3月8日(土)  人名辞典

図書館に行って、ふっと手にした芸能人人名辞典のようなものに、自分の名前があったことにとっても驚く。おまけに何故か出版された当時に住んでいた実家の住所や電話番号まで書いてある。・・・な、な、何故?聴いてないぞおおお。ええんじゃろか?ちなみに、あなたも、あなたも、・・・でしたよん。

『The Blue Day Book』を購入。落ち込んだ時に読む本、ということらしい。絵と共にもっともらしい言葉や文章が書かれているものは嫌いなのだが、この本にはちょっと心が動いた。動物の白黒写真に付いているキャプション、及びその翻訳がちょっとイカしているかな、と。

そしてこの本を、今日で最後のレッスンになる生徒にプレゼントする。音大を出てから私のレッスンを受け、それまで知らなかった音楽の世界を知って、とりあえずメロディーとコードが書かれてある譜面を前に、適当に弾くことができるようになったかと思う。これからの彼女に、幸多かれと祈る。



3月9日(日)  地唄舞とお豆富

生まれて初めて地唄舞を観に行く。母を誘って、鶯谷にある“笹の雪”へ。

全然予想していなかったのだが、この辺りに正岡子規の住居(明治27年に移り住み、8年後に死亡)があったそうで、夏目漱石はよく通っていたとのこと。この笹の雪も当時から有名なお豆富屋さんだったようで、漱石の子規宛ての書簡には、このお店のことが出ているそうだ。

って、・・・どうも昨年末に夏目漱石展に行ってから、漱石が「我輩が書いたものをもう一度読み直せ」と言っているような気がしてならない。それに母といっしょにどこかに行くと、何故か偶然、漱石ゆかりの地にあたっている。

さて、地唄舞。江戸時代後期(19世紀後半)に京都や大阪で発展したものだそうで、いわゆるお座敷で舞われるもの。今日は特に“艶(つや)もの”と呼ばれる、男を思う切ない女心や情念を題材にしたものを観る。なかなか色っぽい。御歳はわからないが、吉村津(しん)さんの足腰がしっかりした舞はすばらしかったと思う。

終演後、お豆富料理の数々をいただく。大豆の高騰が心配になる。お店も昔ながらの風情を残しているけれど、なかなかたいへんなんじゃないかなあと感じる。



3月10日(月)  フォルテピアノ

武蔵野市民会館で行われた、アマンディン・ベイヤー(vn)とエドナ・シュテルン(pf)のリサイタルに行く。若くてかわいい女性たちだった。オジサンはうふふ、だわ。

前半のプログラムは、C.P.E.バッハ「ヴァイオリン・ソナタ ロ短調」、J.S.バッハ「シャコンヌ ニ短調」をヴァイオリン独奏、そしてブラームス編曲の「左手のためのシャコンヌ」を独奏。ピアニストはこのブラームス編曲だけスタインウェイのフルコンを弾いていたが、他はすべてフォルテピアノ(2002年、チェコ製)を使って演奏していた。

後半は、モーツアルト「ヴァイオリン・ソナタ 第28番」と、ベートーヴェン「ヴァイオリン・ソナタ 第1番」が演奏された。

もっとも驚いたのはヴァイオリン独奏の「シャコンヌ」。これまで聴いたことがないような軽さだった。フレージング、弓の使い方などが本当に軽く、およそ額に皺を寄せて演奏されるような深刻な雰囲気は微塵もなかった。彼女のパリ国立音楽院の修士論文はシュトックハウゼンだったとのことだが、ルネサンス、バロック音楽の解釈や歴史も深く学んだ人らしい。バッハが生きていた当時はこんな演奏だったのだろうか?

けれど、隣の席に座っていた女性はまったく拍手をしない。その指からして、おそらく演奏家だろうと思ったが。実際、ヴァイオリンのピッチはあやうかったとは思うが、ピアニストの独奏にもほとんど拍手をしていなかった。案の定、後半は空席になった。

フォルテピアノという楽器は例えば楽器博物館のような所で見たことはあるものの、実際に生音を聴くのは初めてだった。なかなかかそけき音がするが、かなりピアノに近い。調律はどうしているのだろう?

頭の中は???がいっぱい。ともあれ、こういう若い人たちがルネサンス、バロック期の音楽にアプローチしているのが、現代の流れのひとつでもあるんだろうなと思った。



3月12日(水)  溶け合う音

確定申告書を提出して、気分はちょっと軽くなる。

夜は大塚・グレコで、喜多直毅(vl)さん、西嶋徹(b)さんと演奏。この三人のサウンドはよく溶け合っていると感じる。非常に調和的になる。



3月13日(木)  ニワトリの叫び

夜、大泉学園・inFで、太黒山(太田惠資(vl)、黒田、山口とも(per))の完全即興ユニットで演奏。ある種の深さはないが、きわめて自由だ。文字通り、音が楽しんでいる世界が広がる。何のストレスもない、と3人とも感じているところが至って稀有だ。

アンコールで、ともさんが両脇に抱えて鳴かせていた黄色いニワトリの叫び声に、涙を流して笑う。すべてを持っていかれた。



3月16日(日)  ためらい傷

京都・ラグにて、バカボン鈴木(b)さん仕切りのセッションで、坂田明(as,cl)miiプラス、ヤヒロトモヒロ(per)さん、仙波清彦(per)さんというメンバーで演奏する。演奏中の仙波師匠の在り様、アプローチは絶妙。

終演後、打ち上げの席にて、その仙波師匠が言った言葉が心に深く残る。何かの話の流れで、お父様から

「決してためらうな、ためらうと、音楽は死ぬ」

と言われたという。

歌舞伎の世界はいわゆる型が決まっている。ある所作にこの音楽、と決まっている場面で、音楽が少し早くなる分には、例えばまだ若いから走ってもかまわないよ、という感じらしい。が、遅れる、ためらって音が出た場合は、話にならないらしい。その瞬間にすべてが死ぬ、んだそうだ。

そっか、そうした決まり事がある世界でも、ためらったら死ぬのか。私は以前同じようなことを、翠川敬基(cello)さんから言われたことがあるのを思い出していた。それは即興演奏において、だったが。「絶対ためらうな」と翠川さんは私や太田さんに言ったのだった。

実に学ぶことはたくさんある。



3月17日(月)  フレンチ

京都にて、知り合いの方にランチをご馳走になる。すこぶる美味。最初に出された春野菜をあしらった前菜から感動する。タルタルも甘かったし、ステーキは柔らかく、コロッケもおいしかった。デザートのプリンもうっふん〜。満腹。

小じんまりした隠れ家のようなお店で、シェフのおしゃべりも楽しい。日々、精進している姿勢を強く感じる。そして、客が店を育て、店が客を育てている感じがした。京都、だ。



3月18日(火)  言葉の深さ

他人にはどーでもいい話だが、、私宅の南側に新築中の家の工事。閑静な住宅街なのに、昨晩はなんと夜10時近くまで電気ドリルのドルルルルという音がしていた。解体工事や基礎工事の時から、夜7時や8時頃に終わっていたことがほとんどで、なんとか我慢していたが、さすがにキレた。

ので、電話した。らば、大元のハウスメーカーは三連休らしく、ひどく子供っぽい女性の留守電メッセージが流れてきて、絶望的な気分になる。北側に大きな窓が4つ、私宅に向かって換気扇が4つ。すべてにムカついてきたぞおおお。建築主と設計者の良識を疑う。ちなみに、それはセキスイハウス。

夜、横浜・ドルフィーで、松田美緒(vo)さん、ヤヒロトモヒロ(per)さんと演奏。噂ではポルトガルとアフリカとドイツががっぷり組んでいる取り組み、とか?

楽屋では美緒ちゃんとヤヒロ君がポルトガル語とスペイン語の違いについて話している。私には、わ、わ、わからなーい。のだが、話を聴いているととても面白い。

ポルトガル語はスペイン語よりもずっと奥が深いらしい。ダブル・ミーニングになる言葉がふんだんにあるそうだ。また、例えばA.C.ジョビンの作詞などには、何か広大な自然や宇宙とつながっているものを感じられるのだそうだ。それに比べて、スペイン語にはそうした感じがなく、ヤヒロ君曰く「ほとんど艶歌」だそうな。

日本語にもかつては掛詞などもたくさんあって、その発音も含めて、もっと繊細で微妙なニュアンスがあったのに、私たちはいつ失ってしまったのだろう。



3月19日(水)  別の夜

夜、代々木・ナルにて、澄淳子(vo)さん、吉見征樹(tabla)さんと演奏。昨晩と同じく、歌手とパーカッション奏者とのトリオだが、全〜然違う。というところが楽しい。今晩はアメリカと日本のハーフとインドとドイツ、か?



3月20日(木)  虚

太極拳の教室で「虚(きょ)」を学ぶ。例えば、片足で立って、その上げている方の足に何の力も入れないでいるのと、力を入れているのと、どちらの方が楽々と持ち上げることができる?と問われれば、答えは力を入れている時。

つまり、脱力している状態の足はとても重くて持ち上げられない。この状態が「虚」というとのこと。うんむう、これはピアノを弾く時の姿勢に応用できる。すなわち、腕の使い方、だ。いかに無駄な力を入れないで、腕全体の重力が指先に届くか。ふえ〜、また課題が増えた。

それにしても、八法をやっている時、先生の身体の軸はまったくぶれない。どうしたらあんな身体性を獲得できるのだろう?と尋ねたら、「鍛えてるからでしょ」と言われるに違いない。はい、精進します。修行あるのみ。

夜、NHKハイヴィジョンで放映されていた、懐かしい芸人たちを特集した番組を観る。トニー谷、人生航路、林家三平、桂枝雀、あきれたぼういず、エンタツアチャコ、由利徹、藤山寛美、がとりあげられていた。それぞれすばらしかった。そして、これらの芸人の中にはアメリカ文化の影響、否、援用をして、自分たちの芸にしている人がたくさんいて、前世紀の日本の文化受容というものの質があらためてよくわかったような気がした。

それにしても、そこに集まっていたお笑い芸人学校の若い人たちは、これらの人たちを全然知らない。学校とやらでは、おそらく“歴史”など教えたりはしないのだろう。そんな学び方、姿勢でいいのだろうか?



3月21日(金)  ムラータ

午後、村田厚生(tb)さんとリハーサル。『くりくら音楽会』のために前もってリハーサルするのは初めて。今回は全体をうまく構成し、ちょっとクラシック音楽的なアプローチ、及び演劇的なベクトルも持ったものにしてみようと思う。なーんちゃって。



3月22日(土)  トリオの明日

夜、大泉学園・inFで、黒田京子トリオ(翠川敬基(cello)、太田惠資(vl))で演奏。後半のステージの最後の2曲に、遊びに来ていた喜多直毅(vl)さんにも参加していただく。

一人加わるだけで、関係は大きく変わる。即興演奏は実にいろんなことに気付かせてくれる。こわい。で、トリオはどこをめざす?



3月23日(日)  お墓参り

久しぶりに姉弟そろって、全員でお墓参り。さぞやご先祖様も喜んでくれているだろう。でもご先祖様にいろいろお願いをし過ぎた私かも?



3月24日(月)  チューバって

昨年の太宰治賞をとった瀬川深さんの作品「mit Tuba」を読む。何を好きこのんでこんな楽器を、という話。そのことが執拗に書かれている。

「受賞の言葉」の最後に、ファンファーレ・チョカリーアと大熊ワタル・シカラムータに対する謝辞が述べられている。文章中に出てくるヴァイオリニストは明らかに太田惠資(vl)さんだろう。へえ〜。




3月26日(水)  アマチュアか

夕刻、久しぶりに美容院に行く。地元の情報誌を見て、予約の電話を入れた時に、あ、ダメかも〜、と感じたことが的中。

若い女の子のミュールのヒールは床を高々と音をたてて鳴りまくり、“スタイリスト”とやらの客に対する態度はあまりよくない。特典のスカルプ・マッサージなるものは、あまりに刺激が強く。パーマ液や染色液の臭いは耳鳴りに良くないので、できるだけ刺激の少ないものを、とあらかじめ頼んであったにも関わらず。

やれやれ。適当に美容院に行くと、どうもおそろしくアマチュアっぽくていけない。美容院はいつからこんなことになってしまったのか。やっぱり浮気をせずに、ずーっと行っているところに行くべし。



3月27日(木)  いろいろ起こる

『くりくら音楽会 ピアノ大作戦 平成二十年春の陣』が始まる。

今回のコンサートでは最前列に未就学児とその母親が座り、前半の野村誠(pf)さん、後半の富樫春生(pf)さん、いずれの演奏の時にも子供が参加。無論、演奏者の了解を得て、でのことではあったが、程度問題にも限度があるか。多くの方からご意見、ご批判をいただいた。

また、同じく、演奏者がお客様にお願いするようなかたちにはなったが、やはり最前列でのカメラマンの撮影が何分間かあった。これもまたしかり。

コンサートは誰のものか?

みんなのもの。だから、あなたのものでもあるし、ぼくのもの。でも、みんなのもの。だけど、わたしのものでもあるし、きみだけのものじゃない。

高校生の時だっただろうか、安部公房の小説を読んでいて、こういう問題にぶちあたり、えらく悩んだことを思い出す。

☆なお、今後は、以下のような対応をさせていただくことにします。

  くりくら音楽会では、
  お客様に音楽をたっぶりじっくりお聴きいただくをモットーに
  ホール内でのカメラ撮影、録音はお断りをしています。
  基本的に未就学児の入場もご遠慮願っています。
  (未就学児参加可能の音楽会については表記いたします)



3月28日(金)  紅茶にジャム

夕方、風邪も治り切らず、とても疲れている様子だった松田美緒(vo)さんと少しリハーサル。昨夜、サッカーの親善試合でアンゴラ国家をうたったという彼女だが、持ってきたいちごジャムを紅茶に入れて、ほっとひといき。



3月29日(土)  最後の鍋

午後、小森慶子(cl)さんと練習。やっとクラシック曲の全楽章をなでまわした感じ。夜、私宅にておそらくこの冬〜春の最後の鍋。鮪と生姜をきかせたものを。熊野の話なども聞き、やっぱり行ってみようという気になってきた。中上健次の一連の小説を読んで以来、ずっと気になっている場所。



3月30日(日)  行ってみた

『現代ジャズ文化研究会』の三月の例会に参加。研究会は去年末に発足し、今回は第四回目になる。2007年度のサントリー文化財団の人文社会、社会科学に関する研究助成を受けている。って、ほとんどの人はこの会の存在を知らないんじゃないだろうか・・・。

講演は北里義之さんが「グローバル・ジャズの起源について」、大里俊晴さんが「フランスのドメスティック・ワールドミュージック」について。それぞれ質疑応答も含めて約1時間半のレクチャー。終了後、その場で懇親会。

ミュージシャンとして意見を求められた私だったが、正直、なんだかよくわからないところも多々あり。苦笑、という感じ。

それよりも、おそらく20年以上ぶりに再会した人がそこにいて、とても驚く。高橋悠治さんの活動(「可不可」のシリーズをやっていた頃だろうか)を追いかけて八戸まで行った時に知り合った、当時高校生だった人だ。私がやっていたORTも聴きに来てくれたことがある。今や、フランス文化に造詣深く、某大学で教えているという。この出会いはうれしかった。



3月31日(月)  マスタリング

喜多直毅(vl)さんとのデュオ録音のマスタリング。

今や、ほんとうにコンピュータの世界だ。

PCに詳しいのは私とほぼ同世代の理科系の人くらいが始まりだろうと思う。ニフティとPC-VANがゲイトウェイができるようになった!と喜んでいたのは1990年くらいのことだったと思うので、その頃それなりのお値段がするPCを持てて、それなりのスキルがある人は、その頃はまだそうたくさんはおらず、そういう環境にいた人たちはおおむね当時30歳前後(25〜35歳くらい)の人ではなかったかと思う。

今回に限らず、レコーディングに行くと、チーフは年輩の人でも、PCそのものを扱っているのはたいてい若い人だったりする。今の若い人たちは単純にPCを扱う知識やスキルにとても長けている。このピッチをもうちょっとだけ上げてとか、1テイク目のここと、2テイク目のこれを入れ替えてとか、こことあそこをつなげてとか、決して人間技ではできないことを、彼らはあっという間にPCに処理させる。(ちなみに、近年、この手作りPCのメンテには、忙しいお父さんに代わって、高校生の息子さんが来てくれたりしている。)

さて、私宅に帰って聴き直してみて、どうも始まりと終わりの間合いがしっくり感じられなかった。間合いと言っても、数字で表せと言われれば、1.0秒か1.5秒か、というような実に細かい差の話なのだけれど。実際はきわめて感覚的な判断と選択にゆだねられている。それでともあれ喜多君に連絡する。

始まりと終わり、は大事だ。曲間も大切だが、では何故?

人間が演奏しているから、ということに尽きる。

今回のエンジニアさんは普段はいわゆるPA、ホールでの公演などの音響を担当する方にお願いしている。それはこのレコーディングをホールで行うということを選んだことにもよる。が、それ以上に、できるだけありのまま、そこに生まれた音をそのまま刻むことができる耳を持っている方と音楽創りをしたかったという気持ちがある。生きている人間が生きている音を奏で、かすかな呼吸や息遣い、空気が震えていることを感じられる人と、いっしょに音楽を創るということが、私にはとても大切なことに思えたのだ。

そこにはCDやPCからダウンロードした音楽を聴いているだけではわからない、敢えて言えば情報のようなものが、星のようにちりばめられている。あるいは、少なくともPCの画面を見ているだけでは、数字に置き換えられるデータだけでは、決して感じられない世界が、そこにはあると思う。

音があるか、ないか、が問題ではない。が、PCはそれだけを私たちに画面で提示する。音楽をそういうものだと思っている人は、その情報だけを処理しようとするだろう。でも、そこには音楽はない。

例えば、始まり。・・・ヴァイオリン奏者が深く呼吸をしてから、弓を持った手がゆっくりあがって、弓に弦をあてて奏でようとする動作が見えるだろうか?あるいは、終わり・・・。まさに、この・・・、だ。鍵盤におろされた最後の一音を奏でた指とペダルを踏んだ右足とが、例えば少しためらいながら、ふ〜っと余韻を残しながら消えていく感じとか。

そういうことを、耳が、否、身体が感じられるか感じられないか。つまり、これからこうした音楽業界に携わっていこうとしている若い人たちに、そういう音楽の聴き方や感じ方、PCのスキルではなく、耳を鍛えていく環境がきちんとあるかどうかは、重要なことではないかと思うのだ。このままでは、おそらく若い人たちの耳はどんどん退化していく。

それでエンジニアの方にはメールを送る。おそらく私たちがやらなければならないことは、そういうことを下の世代にしっかり伝えていくことではないかと。そして、私たちが今、CDを創るというのは、そういう作品を届ける、手渡すということではないかと。






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