記事タイトル:岐阜の遊具事故について、皆軽傷だったのはそれまでの成果素敵ですね 


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[2007/06/24 16:12:03]

お名前: 由井 峰雄   
中川先生のお考えに賛同いたします。
「人間のいのち」より「動物のいのち」から入っていった方が、子どもたちにはわかりやすいのではないでしょうか。

5月7日の私の書き込みの出典がすべて消えてしまい、申しわけありません。
[2007/05/19 06:01:17]

お名前: 中川美穂子    URL
由井様

 全国学校飼育動物研究会にようこそ、
 また論文も送って頂き 感謝しております。

 同じ思いの方と知り合えるのが楽しく、また心強い思いが致します。
 

 先日のNHKの遊具に関する放送は私も拝見し、
 このような考え方が番組になっているということに
 期待感を持ちました。

 なお、大地保育はご存じですか?静岡です。
 もともと農家だった塩川寿平さんというかたが理事長ですが、
 先日の放送の園と同じ、あるいはもっと大地に根ざしています。
  子どもたちはそれぞれに自分の能力を試し、いきいきと自信に満ちた
 表情で冒険ができます。勿論動物もちりばめられています。

 そこでも保護者の理解を得るための働きかけが 一番重要だそうです。

さて 動物ですが、おっしゃるとおり、まず身近にいること、そして
手ほどきで接触体験を持たせ、関心を湧かせることが入口です。
 子どもは関心を持てば、その後の毎日の世話に本気で関われるようになり
その結果、愛着が湧きます。
 そうなると この動物はどうしたら喜ぶのか?なにか困っていないか?
身体の具合はどうか? など、観察が細かくなり、認知能力が増していきます。

 動物で命の大切さを教えられるかどうかですが、おっしゃるとおり、
 それよりも、まず生き物らしさを実感するチャンスになるでしょう。
 かわいいとの感情が湧いていれば、愛着ができていれば、
 死なれたら 死を理解し、命を惜しむことができるでしょう。

由井様も書いておられますが
 第6回全国学校飼育動物研究大会で顧問の唐木英明氏がまとめで話したように
「本能の一つである愛着という感情は日々 対象を得て訓練しないと 機能が発達
しない。産まれてから小学校中学年くらいの子どもには 動物がその愛情の対象と
なりうる。」
「 ・・第二には,今日の発表の共通メッセージとして,体験しないと身に付かない
ことがあるということです.たとえば,動物の世話をする中でかわいいという感
覚が生まれてくる.かわいいということはいくら教えられてもわかるわけがない
ことです.動物を育てて初めてかわいいという気持ちが起こってくるわけです.
小さいものをかわいいと思うことは,実はこれは本能なんです.ですから,人間
は共通して小さいものをかわいいと思う本能を基本的にはもっています.しかし,
本能というものは,目の前に小さいものが現れないと,かわいいという本能も現
れてきません.目の前のかわいい動物を飼うことによって,われわれはその動物
に愛着を持つし,責任感も生まれてきます.そして,それをよく観察するように
なります.そして,その愛着ということも本能で,これがあるから子育てができ
るわけです.愛着をもって責任感をもって世話をする.そして他者を思いやると
いうことが利他行動といって,道徳や倫理と呼ぶことができるわけですが,この
道徳や倫理も本能であるということは皆さんにもよく知られていることでありま
す.これも実践があって初めて心の中に芽生え,理解ができてくるわけです.要
するに,われわれはいろいろな本能をもっているのですが,それが形として,行
動として表れるようにするためには,目の前に対象がいなくてはいけないという
ことです.その対象として,動物を飼育するということは,非常に大切なことで
あると言えます.(「動物飼育と教育」第6号・全国学校飼育動物研究会会誌)
というのが本当だと思います。

 子どもは動物が可愛くなって、大事な存在になったとき、動物を良く見て変化を
感じ取り、その存在を必死で守ろうと工夫することができる、と文科省の理科の
教科調査官の日置光久氏も言っておられます。

 まずは、子どもの身近に動物が居なくてはね、
 家庭で飼ってくれなくなった(体温のある抱ける動物を飼う子育て家庭が
 非常に少ないのです。身近な小学校や園で確かめてください)今、
 学校の動物を活用して、良い影響を受けられるようにして欲しいと思っています。

 なお、8月の全国学校飼育動物研究会は大阪市の大阪国際交流センターで
開催します。ぜひ、大阪の方とも連携が取れるようにお願いいたします。

 昔からずっと人類が行ってきたように、
子どもたちに生きた体験(自然体験と動物体験)を与えながら育てる
ということを、しっかりした大きな動きにしたいと思っております。

 ゲーム器が子育てする時代になって、いろいろな問題が
大きくなってきたと 多くの教育者は考えておられます。バーチャルは
経済を豊かにしますが、その代わり次世代(全部ではありませんが、)の
実体験を阻害し、健全な成長を妨げてしまいます。
 
 センスオブワンダーを持たせるためには
 その経済活動とのすりあわせが 課題でしょうね。
[2007/05/08 02:48:12]

お名前: 山梨・「いのちの教育」研究会 代表 由井峰雄   
先日再放送されたNHKスペシャル「ドキドキ・ヒヤリで子どもは育つ 
      〜遊具プロジェクトの挑戦〜 」(http://www.nhk.or.jp/special/onair/070218.html)は、大変参考になりました。


第2節 「センス・オブ・ワンダー」
私は、目下「いのちに対する子どもの感性を高める研究」をテーマにしている。自然体験、
飼育動物との触れあい、絵本・童話の読み聞かせなど、マザーハウス(愛知県西加茂郡三
好町の私立保育園、シュタイナー教育と「いのちの教育」を特色とする)とカトリック韮
崎教会・白百合幼稚園(山梨県)での実践を重視している。自然体験、動物との触れ合
いは、人間のこころを癒してくれる。

「いのちの大切さ」というのは、実感するものである。現実の体験があって、初めて
「ニセモノの世界(バーチャル)」ではなく「ホンモノの世界(現実)」を認識できる。
本物の人間関係、自然、動物、社会、運動・スポーツ、文化、芸術等と豊かに触れ合う
体験活動が大切である。感性に働きかける体験活動、感動体験があって、初めて深い
想像力を豊かにすることができる 。体験の伴わない知識は知恵とはなり得ない。知識は
忘れ去られるが、知恵は身につくものである。「生まれること」「死ぬこと」につい
て理屈ではなく肌で感じ、喜びや悲しみを実感する。「小学校低学年までに感覚として
理解させたいのが、五感を刺激する行為である」 。「いのちの大切さ」、自己肯定感
(自尊感情)、人間関係における親和傾向等は、人間の脳の発達段階を十分に踏まえた
上で検討されるべきものである。

子どもたちの世界は、いつも生き生きとして新鮮で美しく、驚きと感激にみちあふれてい
ます。残念なことに、私たちの多くは大人になるまえに澄みきった洞察力や、美しい
もの、畏敬すべきものへの直観力をにぶらせ、あるときはまったく失ってしまいます。
もしも私が、すべての子どもの成長を善良な妖精に話しかける力をもっているとしたら、
世界中の子どもたちに、生涯消えることのない「センス・オブ・ワンダー=神秘さや不
思議さに目を見はる感性」を授けてほしいとたのむでしょう。
この感性は、やがて大人になるとやってくる倦怠と幻滅、わたしたちが自然という源泉
から遠ざかること、つまらない人工的なものに夢中になることなどに対する、かわらぬ
解毒剤になるのです 。

動物のいのちにも植物のいのちにも不思議なことがいっぱいあります。幼児には、ぜひ生
まれながらにもっているとされる「センス・オブ・ワンダー」、つまり不思議なこと、未
知のこと、美しいことに目を見はる感性を豊かに育んでほしいものです 。

たしかに、子ども時代には見るもの聞くものが初めてで、何もかもが新鮮であり、一日中、
一年中「わあ」と思っていた。ぼくは今でも、家の近くの公園で友だちとミノムシを見つけ
たときのことを覚えている。たくさんぶら下がっている奇妙な光景にわくわくしたし、そ
のひとつひとつに虫が入っていることにときめいた。
「わあ、何これ!」「「わあ、虫が入っている」「わあ、動いた!」「わあ、こっちにも
いた」「わあ、いっぱいいる!」。これで五カウント。一日が長いわけである 。

「いのちの教育」以前の子どもの教育に、今まで欠けていたのは、子どもなりの「感性」
の養育ではないかと考えている。いのちが「大切」・「かけがえのない大事な・いのち」
について教育する必要があるという教育者の声(当然過ぎる論議)を聞いていると大変な
違和感を感じている。「いのちの営みの不思議」に感動する「感性」を習得できる教育が
原点ではないかと思う。例えば、水族館・動物園・道端の雑草、小さな虫、その観察に
よって、自然の動植物の「生きざま」が理解できるような感性を研くことから出発する
ことが大切だと思う。そして、食物連鎖(弱肉強食)を学ぶことで、人間も生きて行く
には、他者(動植物)のいのちをいただいて「いただきます」「ごちそうさま」という
「食事」への「感謝」の心が芽生えると思う。そこに存在するのは、自然界の「いのちの
営み」だと思う。そこで、「いのちの尊さ」に気づくと考える。
例えば、猫をペットにしているなら、ただ可愛がるだけでなしに、猫の行動の「不思議さ」
に感動するとか、あの細い髭が「どうして・生えてきて」、「見事に・ピクピク・動いてい
る」のか、本当に不思議である。それは、自然科学という学問で、その理由・機序がた
とえ解明されたとしても、それはまったく別の視点であって、そこに横たわっている「猫
が生きている」情景に対しての感動は出てこないと思っている(2007年3月9日、「大阪・
生とを考える会」会長・「東京・生と死を考える会」顧問 谷荘吉先生よりの私信)。

生き物を見るだけではなく、触れ合い、遊び、観察し、世話をするうえで、自分達と同
じ命を持っていることに気づき、その中で、生き物の変化や成長の様子に関心を持ち、
生きていることの大切さを理解していく。ときには失敗することもあるだろうが、それ
もいのちを考える1つのきっかけとし、指導することが重要である 。

「いのちを大切にする」という道徳性は、本物である動物とかかわる体験活動(飼育活
動)と、自分自身が生きていることや生き物は死ぬということなどを、各教科の中で学
んで関連させることによって深まると考えられる 。

「センス・オブ・ワンダー」や感性を重視して行きたい。例えば、動物の心臓の鼓動や
呼吸、ぬくもりなど、「頭」だけの理解ではない「心と体」での理解が、「いのちの
教育」では肝要である。
私と同様な観点(自尊感情=自己肯定感=「役立ち感」=「人から必要とされているとい
う実感」=「自分の居場所があるという実感」=自尊心=自信)からの実践報告に高塚人
志『いのちにふれる授業:鳥取県・赤碕高校の取り組み』(教育技術MOOK 小学館 2004年)
・『いのちを慈しむヒューマン・コミュニケーション授業』(大修館書店 2007年)がある。
詳しくは、第2章第14節p.   参照。

いのちの教育の基礎として、いのちをまず人以外で知る。特定の気持ちをかけた動物との
一回限りの出会いだと気付き、いのちを理解する。また世話することが不可欠だと分かる 。
          
人には体験しないと分からないことがある。たとえば「可愛い」という感情は、実際に対
象を抱いて始めて芽生える。愛着は、結婚や子育てに必要な感情であるが、これも対象が
あって始めて行動に表れる。体験の対象として動物が役割を果たすことができる 。

私の甥姪たち3人は、共働きの妹夫婦に代わって私の両親に育てられた。主な遊び場は、八
ヶ岳山麓の大自然の中の小さな牧場だった。馬、牛、羊、山羊、ウサギ、犬、猫、アイ
ガモ、小鳥、蛇、カエル、トカゲ、アリ、トンボ、蝶、草花木々、・・・・・・
に囲まれて育った。また、カブトムシや蝶の飼育。ヒマワリやヘチマの栽培。それから
農作業の手伝い。そのため、人一倍「センス・オブ・ワンダー」は強くなった。恵まれた
環境で育ったことを、大いなるものに感謝している。
 
飼育の効果については、動物についての気づき、生命への気づき・感性、さらに思い
やりなどの順で確認していくべきであろう。
  動物飼育の効果があるとしたら、まず動物への関わり方が広がり、適切になってい
くはずである。それを抜きにいきなり思いやりとか命についての学びと言っても意味
がない。それは観察によりとらえることができよう。それとともに、質問紙やインタビューに
より、その動物の特性についてわかっているかどうかをたずねることができる 。


  命ある動物には、独自の身体の動きがある。それは見るだけではなく、触ったり、
追ったりする中で感じ取れる。図鑑で見る見分け方も大事だが、実際の動植物に常日ごろ、
触れることやにおいを感じること、細かい動きを感じること、などのかかわりがあってこそ、
敏感にわかってくることである 。

 私も、以上の見解および体験からして、「Death Education=Life Education」以前の
教育としていのちに対する感性を高める教育の必要性・重要性を強調したい。谷氏の
指摘や武藤氏の発言は、至極最もである。「Death Education=Life Education」
に関わる者は、肝に銘じて研究活動を続けなければならないと考える。さらに言うならば、
教育者自身の感性の豊かさが重要であろう。「ホンモノ体験」を数多く積み、感性を磨く
必要がある。私自身、人間関係体験、園児・高齢者との交流、動物体験、自然体験、芸術
鑑賞・・・・・に積極的に参加し、より多くの実体験を意識的に重ね感性を磨いて行きたい。
[2007/05/07 20:09:01]

お名前: 中川美穂子   
先日、子ども環境学会の方からうかがいましたが
 この学校は、また、同じロープの遊具を再建するそうです。

 良かったです。
[2007/05/05 17:17:59]

お名前: 中川美穂子   
直接メールで感想をいただきましたので、
おとどけします。


●「子どもたちの危険予知能力を高めることが大事」には、大賛成です。

私もこの観点から提案したこともあります。
またツボカビビョウについての案内も大変助かりました。横浜市では、獣医師会と教育
委員会が学校宛にお願いを送ってきていましたがどうしても実行が難しいなと思ってい
ました。 中川先生からの案内は分かりやすく実現性も高いです。
(横浜市立小学校勤務) 

●まったくの同感です。

最近の保護者は事故があるとすぐに学校のせいにしていますが、それは、遠まわしに
子供の将来の幅をせばめているように感じます。
最近は、原発の事故も、不二家の事故も社会が謝る癖がついてしまい、それがあたり
前となるのか怖いように感じます。 (ローカルテレビ)

●同感です。私も毎年、子どもたちに、工作やデイキャンプなどを通して、人間の
持っている危険予知能力や経験から学ぶ事との多さを、親や子どもたちに伝えてい
ますが、最近の学校や公園などでは、危ないものはすべて撤去されてしまい、子ど
もたちになにが危険で、どの様なことをすると自分が怪我などをしてしまうのかと
言ったような、経験ができないまま大人になってしまう傾向が多いように感じます。
 
子どもたちは、小さい怪我から大きな怪我をしないための能力が養われていくので
はないでしょうか。動物や人間に接触する時も同様だと思いますが?
 (青少年問題、小・中学校支援者)

●本当にそうですね。昨年、小学校で、子どもたちが栽培した芋の芽を食べて中
毒する事故がありました。
ジャガイモの芽や緑色になった部分には毒があるというのは常識だと思うのですが、
事故の後、お役所の学校関係者や健康関係の人たちが、もう授業でジャガイモは作ら
ないほうが良いとか、代わりになる作物はないか、と真剣に議論するのをきいて驚き
ました。
確かに学校での中毒事故はあってはならないことですが、だからといって危ないもの
から逃げていては、子どもたちは賢くなりません。
身近にあるリスクとその対処方法をきちんと教えることが大事です。ジャガイモを作
ることのリスクより、そこから得られるものの方がはるかに大きく、子どもたちの役
に立つと思います。(獣医師)


身近にあるリスクとその対処方法をきちんと教えることが大事です。ジャガイモを作
ることのリスクより、そこから得られるものの方がはるかに大きく、子どもたちの役
に立つと思います。(獣医師)

●転んだら怪我をするのは当たり前。運動靴の紐が取れて友達が踏んだとしても自分
のせい。 
そうやって私は小学校の時過ごしてきました。 
この頃公園に行っても遊具の1つブランコや、空中ブランコが無くなってます・・・ 

 親として淋しいです。4歳の子はジャングルジムの一番上まで登ります。もっとも
しっかり鉄棒を握るようにと教えて 傍についていますけど。 彼女、4歳でもどち
らに進むか、握りなおしたり、足場を工夫したり、自分で危険を回避しています。 
     (4歳と0歳のおかあさん)

●遊具はたしか木の電柱を有効活用したものと聞いています。うちの会社も木の柱の
管理については、国から相当厳しく言われております。
(電力会社の方で、赤ちゃんのお父さん)

親として、危険なことは経験させたくないと思いますが、危険な状況になったときに
回避する能力を自然と身に付けるためには、少々のことはやむを得ないかもしれません。
何が危険なのかを子供に教えるためには、大人がしっかりと危険を認知できることが
必要です。
私も含めた今の大人の年代は危険に対する経験が乏しいせいか、危険予知能力を育て
ていくには工夫が必要かも知れません。

●全くその通りですね。
以前だと遊具の危険性ばかりを扇動していたマスコミの論調も”撤去”では問題解決
はしないという疑問提示の形が増えてきているようで、少しは安心しています。

学校ですと先生、公園だと地域及び行政といった人々(つまりは全員)の目線が育って
いくと嬉しいですね。まずは死亡や重傷者が出なくて良かったです。(TV関係)

ちなみに、我が娘(11ヶ月)と動物の話、ほぼ産まれたときから犬と共同生活をし
ている関係で、兄(犬)妹(娘)の様な関係を築いています。お互いのおもちゃの取
り合いから、困ったときに助け舟を求めたりなど・・・最初は、子どもが苦手な我が
家の愛犬が噛み付きはしないかと心配でしたが、取り越し苦労だったようです。最近
では、犬の方が音の鳴るおもちゃをハイハイし始めた娘の前にくわえて持って行き、
取れそうで取れない位置に放り投げるなどの芸当(?)もするようになったりしてい
ます。もちろん娘は、取られた悔しさと痛みで少し声を上げるのですが(泣くまでで
はなく)追いつくはずも無い犬の後を追いかけようとします。犬は誇らしげに微妙な
位置に座り、近づくのを待っています。その際に観察していて気付いたのですが、犬
は遊んでいるようで、手を噛まない様に恐る恐るおもちゃを取り上げているんですよ
ね。
うーん、賢い・・・
あと近づきすぎて自分の毛が引っ張られないように距離を取っているようです。
娘の方は深追いすると危険だぞ・・・というのを学んでいるようで、
最近は、犬は撫でると近づけることを学んだ様子です。

知識ではなく経験をさせ親は見守ることが仕事だということを改めて気付かされた
事例でした。
[2007/04/16 18:07:54]

お名前: 中川美穂子   
この小学校は 体の使い方、知力などを養うために様々な遊具をそろえて
子どもたちを教育していると校長先生はおっしゃっておられ、またhPで
は様々な遊具を楽しむ子どもたちの姿がありました。

今は「安全確保」への責任問題がこわくて、ブランコなどを撤去している
学校が多い今の時代に素敵だなと、感じています。

報道は、学校の責任を問うような風潮ですが、実際はこのニュースで感じ
ることは、「なにより高いところから転落しても13名全員が「軽傷だった!」
ということで、これは今までの教育の成果が現れていると思い、強い子達を育
ててくれた親御さんと先生方に喝采を送りたいです。 

惜しむらくは、子どもたちと周りの大人に危険予知能力が育ってなかったこと
だと思います。
●ギシギシと柱がなっていたことを、先生にお話ししたのか、
●また先生はそれを聞いたとしたら、それを「直ぐに対応すること」として認識
できたのか、
●点検の人はなにも感じなかったのか・・・。
 ーーーーーーーーーー
私は、園や小学校での子どもたちに、施設の飼育動物を活用して「人間力を育てる
良い動物体験を」してもらうためのお手伝いをしています。以前、4年生が
ハムスターのクラス内飼育をするので、「命ある、しかも言葉を持たない動物と
の付き合い方、動物の見方、毎日の世話の仕方」をお話しした授業の時、その45
分授業の中で3回も「ハムスターは籠から逃げると、水を求めてトイレで溺れて死
ぬからね。逃がさないで、逃げたら直ぐにこのようにして、溺れ死ぬのを予防して」
と注意しました。先生も子ども達もそのたびに頷いていましたが、実はその日の内
にハムは逃げてしまって、溺死した事例があります。ハムスターが死んだことで子
ども達は心底驚き、これが「うそんこの世界(バーチャル)」ではなく、「ほんこ
の世界(現実)」だと認識したのだと思います。落胆の一年をすぎてから、どうし
てももう一度リベンジしたいと同じように飼育を希望し、その後は立派にやりとげ
ることができました。
そして、卒業を前に何人かの子どもたちが共同で飼うと引き取りました。
 つまり、「本こ(現実の)体験」があってはじめて、先の危険を予知しようとす
る想像力を働かせることができるのだと思います。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
大垣市の事故で、もしも、危険だからといって、
すべての子からワクワクするような体験をとりあげてしまったら。。
また、すっかり安全な施設を整えてのみ子どもを遊ばせていたら。。

子どもは冒険心も、体力も、また、自分で危険を予知しようとする能力も
育てられないでしょう。
小さな怪我は大きな怪我を予防するのですから、子ども自身が危険を察知
して回避できるように 工夫する知力と体力を育てるのが、将来の日本の
ために大事だろうと思います。

子どもを真綿でくるむような環境に置くのでは、ひ弱な青年が育つので、
少々の怪我や苦労は求めてもさせた方が良い、という風潮ができないかなぁ
と 思います。

 小学生は、人生の基礎をつくる一番大事な時期ですから、生きた体験を沢
山させてあげたいですね。
 
[2007/04/13 02:39:24]

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