記事タイトル:教育現場の悲惨な動物たち 


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お名前: 中川美穂子   
学校の動物飼育は教師個人の趣味で行われているのではありません。

動物飼育によって子どもが得ることは、大人の思惑を超えます。
今、様々な問題が生じ、人間が壊れている、と前主任視学官が嘆くような事例が普通に
見られるようになっています。

 親の愛情と普通の環境があれば 子どもはまともに育つと脳科学者は言いますが、
育児放棄と言いかねない状態の子がどこの学校にも数人はみられるなど、親の愛情も
不確かな時があります。あるいは、面倒をよくみても知育にかたより、子どもに小さい
ときからストレスをかける親も有ります。

 人格形成に大事な幼稚園時期に、小学校受験のストレスで子どもが幼稚園の鶏を抱き
しめ片時も離さず、友達にも貸さない、など、どう見ても尋常でない様子を見せる子が
所々に見られます。全国規模でみれば 引きこもりが100万人以上になるのも無理
はないでしょう。

 それを矯正するのに、多くの学校では、言葉による教育に頼ります。
 命の大事さは知的言葉ではつたわりません、というのは鑑別所所長を歴任した方の
ことばです。
 つまり 子どもを人間にするには、情動の経路を発達させなければなりませんが 
言葉だけでは深い所からは培えないのです。
 また労働の意味を教えることも大事です。動物の世話は面倒だけど、小屋をきれいに
して、餌と水を与えると動物が喜んでくれ、それが自分にとっても楽しいと分かる体験。
 これらの発達は幼児期から10才頃までが 重要だと言われ、勤勉さもこの時期に
培われると発達心理学では言われています。

 その時期に動物飼育が重要な意味を持つわけです。
 古来 子どもは動物と戯れて育ってきたものです。その普通の時間が今は得られなく
なったため、自分を含めた動物の存在の意味、そして生命についての感性が鈍感になり、
愛する・共感する感情が乏しく、弱いものをかばうなど ごく自然な感情も培われなく
なった と考えられませんか? 
兄弟も少ない昨今ですから余計そうなります。

 先生は大変だと思います。しかし先生は、子どもを「教え育てる」職業を選ばれた
と思います。
本来 育む、育てることは、親の範疇でしたが、親が考え違いしているとしたら、先生も
だまって見ている訳にはいかない筈です。知育も大事ですが、なによりその知をつかう
人間の土台をつくらないといけないでしょう。

 つまり教育の見地からみて、動物飼育は重要ですので、先生も努力していただきたい
と思います、そのために地域の獣医師もお手伝いする体制をつくろうとしています。

 実際に各地で獣医師が学校を支援しています。まったく手弁当、自分の仕事が傾く
ほどの獣医師もいますが、自分の子も小学校にお世話になっているし、よその子も
可愛いいから係わります。
 その子たちに、無情、あるいは悲惨な状態に動物を放置する大人・教育者を見せたくない
と 皆悩むのです。それこそ自分の職場を留守にして、出て行く訳です。決して閑があるから
出て行く訳ではありません。子どもたちに先生を 心から敬愛して欲しいのです。

 ぜひ、子どもの心を大事にするために、という 獣医師と教育者の共通の目的を思って、
地域の獣医師の支援を得て、子どもの環境に愛玩できる動物を置いて愛情深くあつかい、
愛情と共感・科学的視点、そして共生を教えて頂きたいと思っています。

 子どもは持ってみて初めてかわいさが分かりますが、動物飼育も、やってみて、
初めてその深さが分かります。
全国の小学校の9割近くに動物が飼育されています。
先生独りにご苦労をお掛けしませんから 有効活用に一歩踏み出して頂きたいと
思っております。
[2005/09/22 21:57:08]

お名前: 翠   
現在、義務教育現場では、様々な価値観を持つ教諭・生徒・保護者・教育研究者
・行政などの様々な立場の方から、様々な嗜好を帯びた教材に価値を見つけ、児
童・生徒に力をつけることを要求されており、場合によっては、その教材を用い
ることが義務づけらております。

教育課程・各教科の指導要領は基本中の基本として、地域行政や保護者などから
の要望も、教育現場に大きな影響を与えております。特に「保護者からの要望」
は、数十年前の現場を想像なさっておられる方には信じられない程の力を持って
おり、教育委員会も、学校長も、その下にある教諭も、よほどの理不尽がない限
り、多少の誤解や理不尽があっても、従うのが現在の一般的な教育現場と思われ
ます。

近年、あからさまな「教諭の一方的な生徒指導や学級運営が減ってきている点」
に於いては、評価できる傾向と思われます。また、一方で、「陰湿な、教諭に
よる児童・生徒への不適切な指導の増加」や「陰湿な、生徒・保護者による教
育現場への批判の増加」傾向に繋がっている側面については、改善すべき点も
多いと思われます。

職員会で決まった行事等、様々な教育活動が「教育委員会に寄せられた、保護者
からの一通のお手紙、一本のお電話」で、行われるようになったり、中止された
りすることがあるとご想像下さい。「全ての教育現場で、必ずそうである」とは
言えませんが、控えめに表現させて頂きましても、上記のような現状です。

さて、動植物の飼育を通して、児童・生徒が得るものは非常に多いと思われます。
同様に、真剣に歌を歌ったり、絵を描いたり、サッカーをしたりすることを通し
て得るものも非常に多いと思われます。

教諭も児童・生徒も人であり、歌を歌うことで自己表現することに意欲的な場合
や、生物の飼育に興味関心を持ち、意欲的に指導・取り組みをする場合も多いと
思われます。

限られた時間の中で、教諭が、ゆとりを持って児童・生徒の力を伸ばすことがで
きる・・・
同様に、限られた活動を通して、ゆとりを持って児童・生徒が、力を伸ばすこと
ができる・・・

そのような、学校教育が理想と思われます。

理想の実現のためには、児童・生徒にとって「つけたい力」のなかで、最も重要
視しなければならないかを考慮し、優先的に時間を振り分けることは、避けて通
ることのできない最大の課題あり、義務教育の第一歩でしょう。

そして、教諭に対しても、児童・生徒に対しても、それぞれの性質と性格に応じ
た指導方法や教材があることを認め、それを優先的に採り入れることで、教育的
効果を高めることができると思われます。

「動植物の飼育を教育活動の中に据える・・・教諭や児童・生徒に義務づける」
としますと、教諭に対しては強い拘束をもって管理職から指導がなされるべきで
あり、指導が適切でない場合、学校側は責任を取り、管理職・教諭が何らかの処
罰を受けるべきでしょう。しかし、動物愛護の面からも、児童・生徒の情操教育
の面からも「全国どの学校でも適切な動植物の飼育は困難である(時間・金銭・
指導者育成の面などで)」としますと、文科省としては「学校教育内活動として
義務づけることは困難である」と判断しざるを得ないと思われます。これは「動
物虐待は許されない」「児童・生徒への悪影響を考えた場合、教材として適切さ
に欠ける」など、常識的な判断と思われます。まさしく、「今の学校に、動物を
飼う資格(も余裕もあるわけが)ない」です。

そして、あえて、義務づけるとしますと「すでに飽和状態以上」とも言われる、
教諭の勤務内容や子ども達の生活サイクル、義務教育活動・校外活動(部活動等)
の中で、何を減らし、あるいは増やし、「個人の嗜好性の高いと思われる動植物
の飼育」を義務づけるか、決めなければならないと思われます。

「教育活動としてあえて義務づけることまではしない」としますと、教諭や児童
・生徒の「動植物の飼育に対する指導や取り組みのあり方」に対して寛容である
か、行政や保護者の方が飼育責任を持つことが適切であるように思われます。

「飼育自体を止めて欲しい」という要望を伝えることはできますし、場合によっ
ては「動物愛護法に反する」と訴えることも可能です。ただ、動物の飼育を学校
側に要求したり、「教諭として」の指導の不行き届きを訴えることは難しいと思
われます。

卑近な例ですが、イモムシの様な形態の生物に対して、嫌悪感を抱いておられる
教諭や児童・生徒は多いと思われます。そのような場合、飼育に対して積極的に
なれないことは常識的に理解できます。責任感から飼育を認め、始めてしまった
教諭、あるいは係になってしまった児童・生徒に対し、飼育の結果責任を追及す
ることは法的にも少々難しいと思われます。ウサギ・犬・猫・ハムスター・魚類
等につきましても同様なことが言えると思われます。「動物の飼育に対して、誰
もが積極的でも寛容でもない」と、私自身、動物を飼育して感じております。

きちんと「(飼育動物に対する)保護責任者」が「教諭の心からの同意のもとで」
決まっている場合でしたら、教諭に責任を追及することができると思われます。
しかし、大抵失敗してしまう教諭は「児童・生徒が飼いたいと言いだした・持って
きた」場合が多いと思われますから「真の責任の所在は不明」のような気がします。


さて、さて、さて、個人的に自分の子の学級で、動物を飼育し始めると知ったなら、
私は「先生も困るだろうな」と想像します(笑)。100人を越す児童や生徒・保
護者に対して、昼休みもなく責任を持ち、さらに生き物まで・・・。
昔の先生ならば「ムリだ」「ダメだ」で済んだでしょうが、今は子どもも親もうる
さいですから・・・(笑)。

自分の子どもから「うまく飼育できていない」と聞けば、「先生、生き物は難し
いですね。保護者会で当番を決めましょうか?」「私が週1回は面倒を見ますよ
・・・夜になりますが。」「子ども達にそれぞれの親から話しをしてもらうよう
に、学級PTAで言いましょうか?」と私自身が上手く働きかける方向に持っていっ
てます。

仮に、私が職場でお得意さんから「子犬をもらって欲しい」とか、上司に「会社
の熱帯魚の世話を頼む」とか言われたら、本気で困るでしょうね。「仕事量はそ
のまま+動物飼育+研修も・・・ですか?」と思わず言い返したくなります。

「ムリ・ダメ」と即答できる太い神経が欲しいです(笑)。嫌々「得意じゃあり
ませんけど、やってみます。」と決断して、結局上手くいかずに怒られたりした
ら、踏んだり蹴ったりですね。

やはり「動植物の飼育」は自分が好きでないと、研修を受けても上手くいかない
でしょうし、「研修の企画を出した方」も「研修の決行にOKを出した方」も、
人が悪いですよ。

講師の獣医師さんに失礼ですね。自分自身が人から圧力を受けながら、貴重な時
間を割いて飼育に従事している状態を想像すれば、研修に出るかどうか解りそう
な気がしますが・・・。
[2005/07/25 02:43:21]

お名前: 中川美穂子   
皆様
 
 このHPを 活用して、それぞれ行政に働きかけて欲しいと思います

 私たちは、文部科学省に
  飼育の意義とあり方について 教員の研修に入れるように提言しています
   群馬県のように初任者研修、10年目研修にいれる
  学校の地域の獣医師と連携するように 地方に発信すること
  校長などの管理者の研修にいれること

 獣医師会には、獣医師向けの講習が大事であることを提言しています

 ただ、私には議員さんもついていませんし
    獣医師会の会長でも 学校飼育動物委員会の委員長でもないし
    どなたでも 無視できる存在です、それで時間がかかっていると思っています

 昨日、たまたま ご要望により都庁に説明にでかけました
    しかし、とても責任ある教育庁の関係のかたが
    都では、研修もやっているし、飼育の大事なことは発信している
    どこの学校も熱心にやっているし、全く問題はない、

 とおっしゃいました。
   実際は、運用面にいろいろあるのですが・・
 
 だから、都内の問題だと思われる事例は、私に送ってください。

地域の獣医師会などと相談して事実関係を検討して 教育委員会に
 実際をお知らせして、対応の充実をはかっていただこうかな、と思っております
[2004/09/15 01:21:40]

お名前: シリカ   
私は、どちらかと言えば、Y.SさんやKKさんと、同じくキチンと飼育できない、ある
いは、飼育できそうにないのであれば、学校で無理に飼育する必要はないと考えています。
これは、なにも学校という「場」に限定したことではありません。各家庭においても、飼
い始めと1〜2年経過した時では、その世話にかなりの開きが見られます。だいたい、ど
この家庭でもお母さんが渋々世話しているというような光景がみられるのではないでしょ
うか。
男性が1人暮らしで飼育しているような例では、愛護団体が虐待だ、犬(犬の例が多い)
を飼育する資格はない、飼い主から救い出そうという騒ぎを見聞きします。

でも、これって、やっぱり変です。いきなり、愛護団体が動物を取り上げようとする前に
本当に虐待に相当する状態であるのか、そこに至った経緯いきさつは、飼い主の言い分を
聞くべきですし、また、改善できるのであれば、改善すべく手を貸す段階というのが、あ
ってしかるべきです。
「今の現状なら飼育するべきではない」個々の情況にもりますが、実際に、そのような例
も当然あることでしょう。私もそう考えます。
しかし、動物は打算で飼い主を選びません。一度できた飼い主と動物の繋がりを、いかに
冷静で客観的な判断からといえども、そう簡単に壊して良いものかと思います。虐待だと
いう前に虐待でなくなるように手をかす段階は、「人間と動物の繋がりのあり方」を考え
ることのできる者であれば、あって良いことのように思います。

学校で働く先生は、サラリーマンです。給料を払う方は、少ない人数でできる限り多くの
仕事をこなして欲しいと考えています。給料を貰う方は、同じ給料なら仕事は少ない方が
楽なのは当たり前です。
学校で飼育されている動物達が、子供達の世話だけで生きていくことができれば、それが
一番楽だと考えるのは無理からぬことです。率先して世話をしない子供がいたり、繁殖や
疾病の発生等、大人の助力が必要になった時に、それに関わることを面倒と思う気持ちや
自分は担当でないから…、とか、へたに口を出すと後が…。などの気持ちは各家庭におけ
る情況からでも考えるところは分かろうというものです。
学校の動物はみんなのものというあり方がある以上、また、誰の者でも無く、渋々でも責
任を感じてくれる者(教師)が手を挙げなくても済みやすいのです。

ただし、その代わりに、子供達はそれを見ていますね。地域に住む親達にも伝わるはずで
す。子供達の手に負えない問題であれば、子供達は教師や親にそれを伝えます、助けをも
とめます。その時に、教師がどのような理由をならべるか、理解できない理由であっても
子供達の心は結果を判断できます。

小学校の道徳の教科書に「目の見えない犬ダン」のお話が掲載されていますよね。
子供達が、拾ってきた子犬を団地で飼育しようとして、団地では犬を飼育することはでき
ないので、大人達はその犬を元いた場所に戻すように諭します。
その子犬を世話している時に様子がおかしく、子供達は犬の目が見えない事に気がついて
いましたので、「目の見えない人間は犬に(盲導犬に)助けて貰うのに、目の見えない犬
を人間が助けてあげなくて良いのか?」と大人達に向かって言いました。その発言を聞い
た団地の自治会長さんが団地の住民にはたらきかけてくれて、団地内で犬を飼育すること
になりました。団地で飼育する事になったので、犬の名前はダンです。
この話しの主人公は、一応は子供達と犬なのですが、子供達が発した問いかけに、正面か
ら受け止めてくれた大人がいたことがポイントなのです。
日本中のどこでも、昨日も今日も繰り替えされていたような話しが、子供達の願いを受け
止めて一歩踏み出してくれた大人がいたことで、美談としてとりあげられ、本になり、教
科書にも載りました。
しかし、はたして美談として、ああよかったねで良いのでしょうか?

学校に飼育されている動物達を巡って、ダンを拾ってきた子供達と同じ問いかけを学校の
子供達も発してはいないのでしょうか?
今、動物を飼育していない学校であれば、学校で動物を飼育するべきでないと私も思いま
す。
でも、今現在、学校で飼育されている動物達について飼うべきではないと言ってしまった
ら、動物のことを好きな子供から、動物をとりあげることになるのではないか、子供達の
気持ちに正面から向き合っていることになるのか、それでかまわないと考えるのか、忙し
いのだから仕方のない事とするのか…。

学校の外から、手を貸そうという動きがあっても、「余計なこと」「物好きな人達」と
考えるのか…。

誰かに責任を押し付けて、批判するだけで終わっていれば、それも同じ事。どうせなら、
学校や教師が変わるまで、批判しつづけて欲しいものです。
教師でも親でもよい、学校に関わる者の中に 子供達の目に大人として写ることができる
人間がいるかどうかなのです。

文部科学省にも、教育委員会にも余計なことなどしてほしくない。飼育する事を強制する
のではなく、飼育する自由だけがあれば良いです。
その中で、俺は、私は教師だから動物なんかと言っているつもりかどうかを子供達に判断
してもらえば良い。教科を教えるだけのつもりであれば、昨今なら塾の先生の方が頼れますからね。
[2004/09/14 12:04:36]

お名前: かわうち みのり   
ごめんなさい。
名前がタイピングミスです。
「かわうち みのり」に訂正いたします。
[2004/09/14 01:32:18]

お名前: かわうち みのり   
ごめんなさい。

氏名にタイピングミスです。

「かわうち みのり」と訂正いたします。
[2004/09/14 01:28:19]

お名前: かわうり みのり   
「学校飼育動物サポート事業。」
に、多少なりとも携わっている獣医師です。

先生のご投書。貴重なご意見と感じ、投稿させていただきました。
御投稿に感謝しています。

ご指摘の通り。獣医師の意識改革も、本当に必要であると思います。
が。
教師の方々にも、色々な価値観。色々な個性がある様に、獣医師も
多分に漏れないのが現状でありましょう。

ただ。教師にも先生の様な方がおられる様に
獣医師の中にも。中川先生を始め、私利私欲の外で。
(足っているか、いないかは分かりませんが・・)
子供。その「心」に対して、真摯に且つ現実的に努力して行こうと
考えている先生が。たくさん。いる事も事実です・・・。

見切り発車。
先生の御体験から、それを憂慮される気持ち。
わたくし成りにではありますが、理解できる様に思います。
たくさん矛盾を感じ。たくさん絶望と虚無感を、
お感じになった事だと思い・・ます。

ですが。
すでに。できあがった「枠」こそ。
今の文部省の考え方そのままを踏襲する「場所」と
なるのでは無いのでしょうか・・。
建前を掲げてはいても。何の現実的問題に対処するスキルを
持たないと言う。

大切なのは。
現状の社会における子供の心に対して。
見切り発車であるにしても。
「何か」心ある行動を、実践を。
積み重ねて行くと言う。
「能動」であるのでは無いか?と考えます。

こんなんじゃダメだから・・。やらない方がよい。
でも。やらなくては。何も変わらない。

大義名分は文部省にまかせておけば確実なのでは^^;ないかと
思っている自分であります。

本当に現実の即さない。無駄な事業なら。
その内。この活動も、打ち消えて行くでしょう。
そうで無いと言う、人間らしい信念が。
職種・立場を越えて、この活動を動かしているのでは
ないでしょうか。

先生の心労。虚無感。(;_;)

それを。もし解決できる日が来るとするならば。
なにもしない。より
「見切り発車」であれど。「何かをしよう」と
する人の心(獣医師であれ。教師であれ。親の子であれ)
に。よる物ではないか・・・?と思う次第です。

わたくしにできる事を、努力してやって行きます。
中川先生は。
「気持ち」のある獣医師たちに。「やる」事を鼓舞して
下さると共に。現実的に行政にも働きかけてくださっています。

小さいかもしれない。けれど。熱意のある心で。
動かない物があるとしたら。それこそが
「人間の存続」にとって「不必要」と判断される物であるのだろうと・・
理解している次第です。

先生の様な教師の方が、いて下さるからこそ。
わたくし達。獣医師が。学校の傍に。子供の。傍に。
いる事ができるのだと思います。
[2004/09/14 01:25:37]

お名前: kk   
私もY.Sさんと同じように感じます。3年半ある小学校のうさぎの世話を毎日してきま
した。教師は、動物の世話は子供がするものであって、教師たる者がするものと思って
いません。世話が行き届かなく動物が死んでも、半面教育(?)と捉えています。動物
が子ども達に与える影響を、教育委員会が評価をし、その担当教師が子ども達にどれだ
け指導できたか、それを評価しなければ、教師は変わらないと思います。なんの得にも
ならない飼育動物に教師は関心を持たないと思います。評価されるから頑張れるのです。
現状では、動物の世話をする時間があれば、「クラスの問題を何とかせよ」の雰囲気では
ないでしょうか。動物に係わりたくても、負担が多すぎて(教師は孤立しているのではな
いでしょうか)逃げているように思います
[2004/09/13 00:40:08]

お名前: 中川美穂子   
y.s様
 2つ前の投稿欄に記入しましたように この件を練馬区の獣医師会にお願いしました

 練馬区獣医師会は 以前からの教育委員会との申し合わせを より効果的な
 飼育支援のための連携の形にすべく、現在見直す作業をしておられます、
 ご自分たちで行政と準備、努力中ですが、
 まだ活動が目に見えないのかと、思います。

  
実は、Y。Sさんから4日前に当方に頂いた学校名の入っているメールを
、すでに練馬区獣医師会に転送してあります、
他の地域のように、獣医師会がこの投書の事実関係を調査して、学校と連絡を取り
合ってくださるのではないか、と思っております

 経過によっては、当方も直接に学校にお電話をして、練馬区獣医師会のかたと
対応を工夫したいと思っております。

学校には悪気はないのですが、問題に気づいておられない場合が多いとおもいます

 なお、動物の福祉を言うならば、人類は皆地球上に存在していたらいけないの
ではないかと私は考えています。人がいるから動物たちは難儀しています。
私は実は、シジミであろうとハエであろうと、一所懸命生きている姿を見ると
感動し、可愛いと思います。ゴキブリに熱湯をかけて殺すときは さぞ熱いだろうと
胸が痛みます、
 また犬もネコもたくさん飼っており、学校にいるような
エキゾチックペットはすべて可愛がって飼ってみました。

 しかし、私たちは やはり存続していかなければならないので、
まず 人類の健全な繁栄 存続を大事にするべきです。
現にその中で、たくさんの動物たちを食し、利用させていただいてます

 今、学校にいる動物たちをなくすと言うことは、それ自体
動物の行く末をどうするかという論議が必要になりますが、
子供達の教育をどうするかという大きな問題を投げやることになります

もちろん、節度ある飼育を子どもに見せる必要がありますが、
も何十年も酷い飼われ方をしてきた動物たちを
適正に飼育して、子供達の教育に役立てるという活動が
盛り上がってきている今、先生もそれを後押しなさってくださるように
お願い申し上げます

 「枠組みが完全ではないから すべてなくそう」とは行かないと思います
 社会で今考えるべきは、命の実感、また社会性が乏しくなってきた
次世代をどうしたら健全に育成できるか、であり、
少しでも役に立つと思われる方法を取って、社会全体で子供達をまっとうに育成する
よう努力することだろうと思っています。
[2004/09/12 15:22:32]

お名前: Y.S   
練馬区も先生対象の飼育講習会を開いています。
でも、気持ちのない学校はもちろん出席しませんし(出席しない学校のほうが圧倒的に
多いです)、仕方なく出席してもただ聞いているだけで、学校に帰って飼育に生かしてい
るとはとても考えられません。
獣医さんは、先生が必ず動物の最終管理をし、適切な環境で飼育してくださいといって
いるので、教育委員会もその通りのようなことを言うのですが、実際いろいろお願いし
ても何もしようとはしません。教育委員からして、建前だけなのです。

また、以前獣医さんにお話をしていただくために、獣医さんを学校にお呼びしたこと
があるのですが、先生方の話を聞く姿勢(この忙しい中、興味ないのにこんなことで時
間をつぶさせるなといった感じ)にがっかりさせられましたが、それ以上にがっかりし
たのは、学校まできていながら獣医さんが飼育小屋を見ようとしないことです。私
が相談をもちかけても、結局見ていくことはされませんでした。
学校に獣医さんを入れても、その獣医さんが学校の飼育動物はお金にならないからな
どの理由で、適当に考えている方ではまったく意味がないと思います。
そうい
う意味では、獣医さんの意識改革も必要だと思います。まず、学校に獣医を入れるな
ら、獣医さんが飼育動物に愛情をもって接し、学校から呼び出しがなくても、せめて
週に1回位は見に行って、学校側からうるさがられても、飼育の仕方をきちんと指導
するくらいの意気込みがなければ、いくら学校に獣医をいれても今とまったく変わら
ず、入れる意味がないと思います。

私は今、近くの学校の飼育動物の面倒も時々見に行っています。ここの学校は、私
がうるさく言っているからかもしれませんが、結構しっかり面倒を見てくれています。
しかし、保護者から、近くのK小やH小やT二小はひどい状態で、動物がかわいそう
だと聞いたことがあります。私は見たら腹が立つので、行って確認はしていませんが、
えさや水が入っていない、日よけも寒さよけもしていないそうです。
先日用があって行った、K一小は、えさもろくに入っていなかったし、ウサギと鶏が
同じ部屋に一緒に入っていました。夕方だったので、寝ている鶏の横でウサギが活発
に跳ね回っていて、どちらにとってもかわいそうだなと思いました。
でも、先生たちもみんな忙しすぎて動物まで手が回らないのも事実です。それに、動物
を必死で育てても、変人扱いされるだけで、誰もそれが教育に関係する仕事とは認めて
くれませんので。
学校は動物にお金もかけたくないようですし。教育委員会や管理職からして飼育動物
を適正に飼育することにはまったく興味ないのです。

私もクラスでウサギを育てていたことがあります。子供たちは生死を体験し、クラスも
まとまりやさしい子が多かったし、親も小さいものにも愛情を持って接することのすば
らしさを教えてもらえて本当によかったといってくださった方もいました。
子供たちも動物好きになりよく面倒を見てくれました。
なので、子供に動物が与える影響もよく分かっているつもりです。
ただ、あまりにも大人や先生のほうが育っていないのです。これは、校長などの管理
職も同じです。動物飼育は出世に関係ないし、文科省や教育委員会もそんなことに力
を入れてもまったく認めませんから。

見切り発車は、動物にも先生にも子供にもよくないと思っています。やはり、動物を
飼育できる環境をまず整えてから、飼うべきです。しかし、それができにくいから、
イギリスなど動物保護が進んでいる国では、学校で動物を飼ってはいけないことに
なっているのではないのでしょうか。学校で飼うと、虐待になるからという理由だと聞
きましたが。

この悲惨な状況に怒りを感じている保護者の方も多いです。
今の学校に、動物を飼う資格はないと、以前おっしゃっていたお母さんがいましたが、
私も同感です。
もっと、大元の文科省にしっかりしてほしいのです。建前ではなく、実行できる具体
策を打ち出してほしいのです。

とにかく虐待飼育は子供の心を蝕みます。適正飼育をして、教師が動物を大切にする姿
を見て、初めて子供にも学校に動物がいることがプラスになるのです。
今のままでは、かえって子供に悪影響を及ぼすだけです。
[2004/09/12 02:34:44]

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