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堀切菖蒲園の歴史

江戸期は広重の浮世絵にも描かれ、明治・大正と広く知られた堀切菖蒲園、その歴史。園内案内板を転載しています。

 
菖蒲園入り口の案内

堀切菖蒲園 入口案内

(区・史跡)
堀切菖蒲園の歴史

 菖蒲園のある堀切は綾瀬川に沿った低湿地で、この附近は染井、向島などとともに昔より特に花菖蒲の栽培に適している所とされております。

 この地に、はじめて花菖蒲が伝承したのは、いつの頃か明らかではないが一説には、室町時代の頃堀切の地頭久保寺胤夫という人が、家臣宮田将監に命じて奥州郡山附近の安積沼から種子を持って来て自邸に培養させたのが始めと言われ、また一説としては、寛文・延宝(一六六一〜一六八〇)の頃、堀切村の小高伊左衛門が各地の花菖蒲を収集し、自庭に植えたのが始めともいわれております。

 享和年間(一八〇一〜千八百三)には、花菖蒲の収集家として知られた松平左金吾という人の秘蔵の花菖蒲を小高伊左衛門が譲り受け、さらに万年録三郎の逸品「十二単布」をはじめ、相模、土佐などから十数種類を集め、天保十年の頃には園内には数多くの名花が咲き競うようになったといわれております。

 また、春信、広重の錦絵や名所案内、紀行文にもこの地の菖蒲園の事が記され、江戸時代には、広く知られていたことがわかります。

 戦前までは、武蔵園、観花園、小高園、堀切園等がありましたが、閉園、廃園などにより、その菖蒲園は埋められ、ほとんどが宅地に替り、家が建ち並んでいます。

 現在の菖蒲園は、堀切園が「堀切菖蒲園」と改称したもので、昭和三十四年五月東京とに買収され、翌年六月一日から東京都立堀切菖蒲園として公開され、その後、昭和五十年四月葛飾区に移管され、現在区が管理しております。

 現在園内には、二百種、六千株の花菖蒲が植えられており、毎年六月の開花時には、訪れる人の目を楽しませております。

園内・指定史跡の案内

堀切菖蒲園 指定史跡の案内

葛飾区指定史跡
堀切菖蒲園
所在地 葛飾区堀切二丁目19番1号
指定年月日 昭和52年(1977)3月19日

 この地にはじめて花菖蒲が伝来したのはいつの頃か明らかではありませんが、一説によると、室町時代堀切村の地頭久保寺胤夫が家臣の宮田将監に命じて、奥州郡山の安積沼から花菖蒲を取り寄せて培養始まりとも、文化年間(1804-1817)堀切村の百姓伊左衛門(小高氏)が花菖蒲に興味を持ち、本所の旗本万年録三郎から「十二一単」を、
花菖蒲の愛好家松平左金吾(菖翁)から「羽衣」「立田川」などの品種を乞い受け繁殖させたのが始まりとも言われています。

 堀切で最初の菖蒲園は、江戸末期に開園した小高園で、明治に入ると武蔵園・吉野園・堀切園・観花園などの菖蒲園が開園しています。この堀切菖蒲園は、堀切園の跡です。

 堀切の花菖蒲の様子は「江戸百景」に数えれ、鈴木春信・安藤広重など著名に浮世絵にも描かれています。
また明治には、「東京遊行期(明治39)」「東京近郊名所図絵(明治43)」などに次々と堀切の菖蒲園が紹介され、全盛期は明治中期から大正末期頃だと思われます。

 園内では、「十二単衣」「酔美人」「霓裳羽衣」など希少な品種も多くみられます。

葛飾区教育委員会