シブサワーナ日々

「読書体験」という楕円を描くとすれば、私の場合、焦点のひとつは澁澤龍彦です(もうひとつは江戸川乱歩)。

私が澁澤龍彦にのめり込みはじめた時期の日記のなかで、

澁澤の本に触れた部分を抄出してみたいと思います。

(【 】のなかは、現在の私による補注)


1990.5.22

書籍部にて『澁澤龍彦文学館』4「ユートピアの箱」、5「綺譚の箱」を購う。装丁もいいが、傷つき易いのが難点である。とにかく、サドは面白そうだ【このころはまだ何とかサド文学を受け入れようとしている】。

1990.5.24

バイト先にて新潮文庫村上春樹『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』上及び、河出文庫澁澤龍彦『妖人奇人館』を購う。明日、文庫フェアーで前者の下巻を購う積もり。【バイト先というのは、仙台の某古書店】

1990.5.25

今日から待望の文庫フェアーが始まった。買った書目は以下の通り。☆河出文庫/『日本怪談集』上下(種村季弘編)、『イギリス怪談集』(由良君美編)、『ロシア怪談集』(沼野充義編)、『胡桃の中の世界』(澁澤龍彦)☆新潮文庫/『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』下(村上春樹)、『掌の小説』(川端康成)以上七冊。

1990.6.20

書籍部にて『澁澤龍彦文学館』第八巻「世紀末の箱」を購う。ユイスマンス、リラダン等が入っている。なるべく早いうちに消化しておきたい。ただ、まだ前回配本の二冊さえろくに読んでいない。読んだのはサドだけである。どうにかせねば。

1990.7.6

書籍部にて河出文庫澁澤龍彦著『エロスの解剖』を購う。今月の新刊である。

1990.8.2

バイト先にて澁澤龍彦『幻想博物誌』、サド『食人国旅行記』『新ジュスティーヌ』(澁澤龍彦訳)、種村季弘『アナクロニズム』、マゾッホ『毛皮を着たヴィーナス』(種村季弘訳)(以上全て河出文庫)を購う。

1990.8.8

帰途、八重州書房に立ち寄り、澁澤龍彦『マルジナリア』(福武文庫)を購う。本当は、河出から出ている『澁澤龍彦コレクション』全三巻(計約四千円)を購う積もりであったが、第一巻に月報がなかったため、これを諦め、明日書籍部に完本を注文することにし、今日は前掲書を購った訳である。【八重洲書房とは、仙台駅前ビブレの地下にあった新刊書店。今はない。スペースこそ決して広くはなかったが、当時は仙台の新刊書店のなかでも出色の棚揃えを誇っていて好きな本屋であった。暇があると帰り道にバイクを歩道に停めて地下にもぐり込んだものだった。月報がないから買わないなんて、こだわってますねぇ】

1990.8.10

まず宮町から駅前まで行き、八重州書房で『澁澤龍彦コレクション』の2と3をとうとう買ってしまう。1は丸善で探し、なかったら書籍部に注文しようと思ったのである。そして、徒歩で丸善まで行き、好運にも1があり、早速購入。(中略)扇坂のバス停から駅前まで行き、再び八重州に立ち寄る。そして午前中に行った時に見つけた澁澤龍彦の最後のエッセイ集『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』(立風書房刊)を購う。書籍部にもあるかと思い、その時は思い止まったが、書籍部にはなかったので買ってしまう。(中略)澁澤龍彦『マルジナリア』読了。実に面白い。いろいろ啓発されることが多い書物であった。澁澤が読んだ本を読むとなると、膨大な労力が必要だが、その何百分の一でもいいから摂取したいものである。今は全集の早期発刊を望むのみ。【この日は仙台に台風が襲ってきており、そのうえに当時乗っていた中型バイクのエンジンが不調で、バスで街や大学に出かけた。しかしそこまでしても買いたかったのですねぇ。エネルギーに驚く】

1990.8.11

バイト先にて澁澤龍彦『東西不思議物語』(河出文庫)を購う。(中略)昨日購いし澁澤龍彦『都心ノ…』読了。色々な所に発表したものを集めているので、全体としては首尾一貫していないが、やはり澁澤龍彦だけあって、それぞれの雑文にしても水面下で全て繋がっているような感じがする。

1990.8.12

澁澤龍彦『東西不思議物語』読了。西洋、東洋を問わず、次々に開陳される奇譚の数々に魅了される。なんて面白いのだろうか。この頃、『八犬伝』そっちのけで澁澤龍彦ばかり読んでいる。【これ以前から、岩波文庫の『南総里見八犬伝』を通読中で、たしか半分くらいまで読み進んでいたと記憶している。澁澤に流されて、それ以来『八犬伝』には手をつけていない】

1990.8.14

学校に行く前に丸光【現ビブレ】に立ち寄り、まず地下二階の八重州書房にて『別冊幻想文学』「澁澤龍彦スペシャルU」を購う。(中略)澁澤龍彦『妖人奇人館』読了。「やめられない、止まらない」

1990.8.15

八重州にて澁澤龍彦『玩物草紙』(中公文庫)、『ドラコニア綺譚集』(河出文庫)を購う。そして、早速『玩物草紙』読了。「短い断章を集めるという形式は私の資質に合っている」と澁澤が言うように、一つ一つの章がさも楽しげに語られている。私もこのような断章を読むのが資質に合っているという感じで、一気に読んでしまうのだ。

1990.8.16

澁澤龍彦『幻想博物誌』読了。いつものごとく、その膨大なる博引旁証に舌を巻く。

1990.8.17

学校に着き、昼食を食べて、ワクワクしながら書籍部に入る。やはり新たな発見はあった。先月、東京で開催された「'90東京ブックフェアー」でそれを記念して復刊された外国文学の翻訳書が並べられていたのである。そこでイタロ・カルヴィーノの本を二冊見つけ、『マルコ・ポーロの見えない都市』(LE CITT INVISIBILI、河出書房新社刊)を購い、『木のぼり男爵』(白水社刊)はサークルの棚に取っておいてもらう。又、河出文庫澁澤龍彦『世界悪女物語』、福武文庫『悪戯の愉しみ』(アルフォンス・アレー)も購う。そして、澁澤龍彦『私のプリニウス』を注文す。(中略)六月頃、新刊で購って途中で読みさしのままであった澁澤龍彦の『エロスの解剖』を漸く読了す。ここのところの澁澤龍彦読書週間の勢いで一気にという感じである。【この日から生協書籍部はお盆休みが明けて営業を再開した。たった四、五日の休みなのであるが、入るのがワクワクするほど書物に飢えていたのであった】

1990.8.20

図書館にて澁澤龍彦の『唐草物語』のうち、「金色堂異聞」の初出である『文藝』誌のその部分をコピーする。こういう時は雑誌を豊富に所蔵している図書館がこの上なく便利である。

1990.8.25

昨日、書籍部にて澁澤龍彦『私のプリニウス』を購う。【17日に注文したもの】

1990.8.26

バイト先にて澁澤龍彦『悪魔のいる文学史』(中公文庫)、『日本SF古典集成』T、U(横田順彌編、早川文庫)を購う。

1990.8.28

丸善にて澁澤龍彦『毒薬の手帖』(河出文庫)を購う。『月刊百科』九月号も貰ってくる。【このころは、買いたい本もないのに本屋に行き、レジの近くにあるPR誌(岩波の『図書』・筑摩の『ちくま』・平凡社の『月刊百科』・新潮社の『波』・集英社の『青春と読書』等)目当てに何か安い文庫本を買ったりするというのが、月末から月初めにかけての恒例行事であった】

1990.8.29

『「宝石」傑作選集』の第二巻「サスペンス編」、及び大和文庫版の澁澤龍彦『女のエピソード』【バイトをしている古書店で】見つけ、早速購う。(中略)午後、Sさんが来てから、Sさんに『みずゑ』という季刊の美術雑誌の1987年冬号を譲ってもらった。これは澁澤龍彦の追悼号で、篠山紀信撮影の澁澤龍彦邸や、彼の書斎・書庫、彼の著作の初版の写真、知友などによるオマージュ等が散りばめられていて、まことに見るべきものが多い。特に、彼の愛読書が並べられている書棚、彼の著作が数冊ずつ並べられている書棚の写真を見ていると時を忘れる。Sさんはこの雑誌を豪華版にしたものを持っているそうで、この廉価版の方をポンと私に譲ってくれたのである。澁澤龍彦を愛読する同好者を見つけるために二冊所蔵しておられたのであろうか。はからずも今となっては貴重なこの雑誌を譲られるという恩恵に浴してしまった。Sさんに感謝。又、序でに河出文庫アンリ・トロワイヤ『ふらんす怪談』(澁澤龍彦訳)も購う。(中略)帰宅後、『女のエピソード』早速読了。又、漸く『私のプリニウス』も読了する。【後年、池袋西武にて澁澤龍彦展が開催されたとき、仙台から上京して、写真ではあったが実物大の書斎の復元模型を見ることができた。ここに登場するSさんはバイトをしていた古書店の方で、澁澤本に関して随分お世話になることになる。】

1990.8.30

四時半に某予備校にバイトのために行くまで、八重州に行き時間を潰す。そこにて澁澤龍彦『夢の宇宙誌』(河出文庫)を購う。

1990.9.2

澁澤龍彦『世界悪女物語』『女のエピソード』を考証的評伝的に掘り下げたようなもので、重なった記述もあった。

1994.9.4

待ち合わせ場所に六時に集まるまで、高山書店に行き、昨日取ってもらっておいた『波』九月号を遂に入手す。これはタダなので、折角取ってもらっては気が引け、序でに澁澤龍彦『異端の肖像』を購う。【この日は飲み会があった。このとき入手した『波』は、三島由紀夫の特集だった。】(中略)バイト先にて、文庫入れの時見つけた『新版遊びの百科全書』(河出文庫)全五巻のうち、A・C二冊を購う。Aには種村季弘氏、Cには澁澤龍彦氏が執筆しているというただそれだけの理由。といっても、内容的にも十分興味を覚えるので、全巻揃えようとは思っている。

1990.9.6

又、『新版遊びの百科全書』C所収の澁澤龍彦のエッセイ「玩具のための玩具」を読む。

1990.9.10

今日から書籍部で「平凡社ブックフェアー」が始まった。そして早速、平凡社から出た澁澤龍彦唯一の単行本『フローラ逍遥』を購う。もし店頭に並んでいなかったら、注文して買おうと思っていたが、平台に七、八冊積み上げられていたのを発見し、思わず嬉しくなって買ってしまった。

1990.9.13

書籍部にて澁澤龍彦『太陽王と月の王』、『記憶の遠近法』(共に大和書房)を注文す。どちらもまだ文庫には入っておらず、まだ在庫があり、内容も読む気をそそるもので、早いうちに注文しておこうと思ったからである。

1990.9.18

澁澤龍彦『フローラ逍遥』も読了。【文中「も」とあるのは、この日村松剛『三島由紀夫の世界』も読了したから】

1990.9.19

又、Sさんから澁澤龍彦『唐草物語』を借りる。

1990.9.20

帰途、八重州書房に立ち寄り、『三島由紀夫短篇全集』及び、今日見つけた澁澤龍彦編のアンソロジー『変身のロマン』(立風書房)を購う。

1990.9.22

又、図書館【東北大学付属図書館】を散策していたら、偶然澁澤龍彦の『記憶の遠近法』を見つけ、早速借りる。

1990.9.23

古本屋を廻っているうちに、駅で古本市をやっていることを知り、次にそこへ向かう。ここでは予想外の大収穫であった。まず、購った本を下に記す。(1)三島『絹と明察』(新潮文庫)、(2)澁澤龍彦『エロス的人間』(中公文庫)、(3)種村季弘『山師カリオストロの大冒険』(中公文庫)、(4)由良君美『言語文化のフロンティア』(講談社学術文庫)、(5)種村季弘『ある迷宮物語』(筑摩書房)、(6)リラダン・齋藤磯雄訳『残酷物語』(筑摩叢書)、(7)『カイエ』1978・11月号(ボルヘス特集、冬樹社)、以上七冊計三千百円なり。【いま思うと、これだけの本が3000円なんて安すぎる。先日河出文庫に収録されて読了した種村氏の『山師カリオストロの大冒険』はこの時に買ったのであった。】

1990.9.26

帰途、八重州書房に立ち寄り、河出文庫澁澤龍彦『黄金時代』、『月刊百科』10月号を購う。【前述のように、購うというより「貰う」だろう。相変わらずだ。】

1990.9.28

又、午後ふと思い出したように市民図書館に行き、『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』の『魔法のランプ』、種村季弘『好物漫遊記』を借りる。前者は後々買うつもりなので、別に借りる必要もなかったのだが、いつもの如く雰囲気を味わいたい、そして今すぐにでも買いたい気持ちを抑えるために借りたとでも言おうか。後者は、巻末に種村季弘氏の著書・翻訳書目録が載っていたので、思わず借りてしまう。学校に帰ってから、その部分をコピーする。全部で五十四冊あるうち、十一冊架蔵している。約五分の一であるが、これら全て未読のものばかりである。【と書いていた種村氏の著書も、今やほとんど所蔵している】

1990.9.30

これに記すのを忘れていたが、先日澁澤龍彦『唐草物語』読了。この中では、「女体消滅」「三つの髑髏」がよかった。

1990.10.1

書籍部にて『澁澤龍彦文学館』の6「ダンディの箱」・10「迷宮の箱」、『齋藤緑雨全集』第六巻、『昭和』15、『柳田國男全集』21・22を購う。

1990.10.4

バイト先にてサド『恋のかけひき』(澁澤龍彦訳、角川文庫)、又、書籍部にて『三島由紀夫戲曲全集』を購う。漸く『戲曲全集』は来たが、それより数日前に注文した澁澤龍彦の『太陽王と月の王』『記憶の遠近法』(ともに大和書房)がまだ来ない。品切れでないといいのだが。【澁澤の影響で三島の本にもかなり執着を見せている。】

1990.10.5

その後、河出文庫サド澁澤龍彦訳『悪徳の栄え』が発売されていないか丸善に行き確かめる。しかし、結局なく、明日以降に期待するしかない。【現在でもそうだが、毎月初旬は河出文庫の発売日。発売日になっても書籍部に並んでいないと、街の新刊書店を探し回っていた。発売日に入手できなくとも腐るわけではないのに。何たる偏執狂。】

1990.10.6

そして今日、長らく待ちこがれていた本を買う。以下に列挙。(中略)☆河出文庫 サド『悪徳の栄え』上下(澁澤龍彦訳)、三島由紀夫『英霊の聲』(待望)(中略)『悪徳の栄え』が遂に出たので、数日後出るであろう『うつろ舟』(福武文庫)『高丘親王航海記』(文春文庫)が出るまでに読了したい。【この月は、私の澁澤狂いに拍車をかけるように澁澤の著作がぞくぞく文庫化された。】

1990.10.9

書籍部にて、とうとう念願の『高丘親王航海記』(澁澤龍彦、文春文庫)を購う。数日後発売されるであろう『うつろ舟』と合わせ、再び澁澤龍彦三昧の日々がきそうだ。(中略)『悪徳の栄え』上読了。感想は下巻読了後記す。次に『高丘…』と下巻とどちらを読もうか迷っている。【「念願の」というまえに、単行本で読めばよさそうなものだが、律儀に文庫が出るまで、まるでおあずけをくった犬のように待っていた。そうした心理は今でも消えていない。】

1990.10.10

澁澤龍彦『高丘親王航海記』読了。ただただ感動。まず読み始めて、澁澤的イメージが散りばめられながら進んでいく物語に唸らせられる。そしてその余りの面白さに、読んでいくのが勿体ないほどの気持ちになった。(中略)この素晴らしき遺作は、恐らく何度読んでも飽きるということがないのではなかろうか。一生に巡り合うことの出来る数少ない書物のうちの一つかも知れない。大事にしたい。【前日に『悪徳の栄え』下巻とどちらを読むか迷っておきながら、誘惑に勝てず『高丘親王航海記』に手をつけてしまったらしい。】

1990.10.13

帰途、八重州に立ち寄り、澁澤龍彦『ねむり姫』『裸婦の中の裸婦』を購う。(中略)又、午前中、市立図書館に行き、種村季弘・澁澤龍彦の著作がかなり揃っているのに感激した。特に、『種村季弘のラビリントス』があったのには飛び上がるほど嬉しかった。そこで、そのシリーズの『影法師の誘惑』『失楽園測量地図』、澁澤龍彦の『洞窟の偶像』を借りる。そして早速『洞窟…』を走り読みする。前二冊は仙台に持ってくる。二週間後に返さねばならないが、今月中に父母が仙台に来るそうであるから、その時に持っていってもらおう。(中略)澁澤龍彦『うつろ舟』読了。全編にエロスの匂いが漂い、この上なく清冽な印象を与えられた。全て素晴らしい出来栄えで、どれが一番好きかと言われると迷うが、敢えて一つ選ぶとすれば、「花妖記」であろうか。しかし、「護法」もいいし、「菊燈台」もいい、「髪切り」「うつろ舟」もいい……。とにかく、珠玉の名篇ばかりであることは確かのようだ。【所用で山形の実家に戻っており、この日仙台に戻った。冒頭「帰途」とあるのは、山形からの帰途。「市立図書館」は山形市立図書館で、実家の近くにある。】

1990.10.17

又、バイト先にて稲垣足穂『増補改訂少年愛の美学』、P・レアージュ『O嬢の物語』澁澤龍彦訳、二冊とも角川文庫)を購う。サド『悪徳の栄え』読了。きつい。【澁澤の訳業のなかでも、一連のサド物はいまでも苦手である。】

1990.10.19

澁澤龍彦訳サド『美徳の不幸』(角川文庫)を購う。【苦手であっても集めてしまう。】

1990.10.20

丸善にて足穂『少年愛の美学』(河出文庫版)を購う。先日買った角川文庫版の解説は種村季弘氏で、河出は澁澤龍彦氏である。【澁澤が解説の筆をとった作品にまで手を出し始めた。タルホを読みはじめたのもこの頃になるのだろう。そのタルホ、なぜかいま河出文庫で新装版にて再刊中である。タルホ復権を狙っているのか、生誕・没後何十年かの区切りの年なのか。】

1990.10.23

澁澤龍彦『太陽王と月の王』『記憶の遠近法』(ともに大和書房)品切重版未定との知らせを受ける。仕方なかろう。二年後の全集を心待ちにするしかあるまい。

1990.10.28

澁澤龍彦『胡桃の中の世界』読了。氏のイメージ収拾の鮮やかさに舌を巻かずにはいられない。特に表題作の「胡桃の中の世界」は、あの「入れ子構造」のイメージに関してのエッセイで、この本の中で最も面白いものであった。

1990.10.30

又、丸善にも立ち寄り、『月刊百科』今月号を貰うダシとして澁澤龍彦の『秘密結社の手帖』(河出文庫)を購う。

1990.10.31

Sさんより澁澤龍彦『快楽主義の哲学』(光文社カッパブックス)を借り、学校にいるうちにざっと読み終える。一般向けのくだけたものであるが、澁澤らしさが随所に見える。【いまでこそ文春文庫で復刊され、全集にも収録された『快楽主義の哲学』であるが、その当時はいわば幻の書≠ナあった。その後、ある郊外の古書店の店先にある一律価格棚(200円位だったか)の山から本書を発見し、手を震わせながら購入したことを思い出す。】

1990.11.2

書籍部にてユリイカ1988年臨時増刊号「総特集澁澤龍彦」を購う。この中の出口裕弘氏と種村季弘氏の対談が一番の目当てであった。帰宅して一読、両氏の視点の鋭さに目を啓かれた点多し。

1990.11.3

途中八重州書房に立ち寄り、『坂口安吾全集7』及び『彷書月刊』今月号を購い、『図書』『ちくま』のそれぞれ今月号を貰う。又、書籍部で注文して品切重版未定と言われた『谷崎文学と肯定の欲望』『記憶の遠近法』『太陽王と月の王』の三冊を、微かな希望を持って注文する。いくらかの望みをかけて……。【書籍部と八重洲書房は取次が日販・トーハンそれぞれ別で、一方にないときは他方に注文すればあった、ということがたまーにあった】(中略)帰途、丸善に立ち寄り、迷った挙げ句、澁澤龍彦『人形愛序説』(第三文明社刊)を購う。これは、前記『記憶…』『太陽王…』等が品切となった今、文庫化されていない氏の旧著の中で今も刊行されている数少ないものの一つであろう。その部類に入る『私のプリニウス』『フローラ逍遥』等は既に入手済みである。しかし、『人形愛…』はそれらと比べ出たのが昭和四十九年と古く、そろそろ絶版になりそうな気配がするので、思い切って買うことにした訳である。ただ、このエッセイ集の中核をなすエロティシズム周辺のエッセイは、中公文庫『少女コレクション序説』に収録済みで、既読のものである。さりながら、なお自伝風エッセイ「アイオロスの竪琴」等、重要なものが入っているので、購う価値ありと考えた。(中略)澁澤龍彦『幻想の肖像』読了。自分の好きな絵について気侭に綴ったエッセイなので、読むこちらとしても軽く読めた。これを読んで、シュルレアリスト・ダリの存在の大きさというものがはじめてわかったような気がする。

1990.11.5

澁澤龍彦『人形愛序説』読了。半分位既読のものであったが、やはりいいエッセイは何度読んでも面白い。特に、エロティシズム関係のものは本当にそう思う。

1990.11.9

書籍部にて山田風太郎著『風眼抄』(中公文庫)を購う。エッセイ集で、乱歩について書かれた文章が収録されていたので買う気になる。又、以前、専門書復刊で希望を出し、版元独自復刊が決まっていた『三島あるいは空虚のヴィジョン』(M・ユルスナール著、澁澤龍彦訳、河出書房新社)が入っていたので、これも購う。【山田風太郎も以前はこんな理由で購入していたんだなぁとしみじみ思う。】

1990.11.11

八重州書房に行き、『國文學』S62年7月号の「澁澤龍彦特集」及び、岩波文庫『夜叉ヶ池・天守物語』(鏡花作)を購う。【たしか『夜叉ヶ池・天守物語』の解説が澁澤だったはず。】

1990.11.12

今日は即位の礼のため学校は休みであり、そのためか人は余りいず、Iさん、Kさんと昼食をとった後、二時には帰宅する。ただ生協はあいていて、書籍部にて『新編ビブリオテカ澁澤龍彦 城と牢獄』を購う。又、帰途、八重州に行き、上と同じシリーズの『魔法のランプ』『狐のだんぶくろ』、及び澁澤龍彦監修『日本幻想文学大全 上 幻想のラビリンス』、種村季弘『夢の舌』(北宋社)を購う。「ビブリオテカ…」のシリーズはもうそろそろ行なわれるはずの全集フェアーにて十冊揃いで買うつもりであったが、お金の都合、また、なかなかフェアーが始まらないことへの苛立ちでこうなってしまった。【しかしようお金が尽きないものだ。当時はアルバイトのお金が入るとほとんどこうした書籍代につぎ込んでいた。】

1990.11.13

又、『三島あるいは空虚のヴィジョン』読了。外人特有の認識誤認もあったが、ウムこういう見方もあるのかと考えさせられたところも多し。訳者の澁澤龍彦も触れていたが、『豊饒の海』の「登頂」のモチーフの指摘はなるほどと思う。

1990.11.14

バイト先にて澁澤龍彦『黒魔術の手帖』(河出文庫)を購う。

1990.11.17

昼食後、待ちに待った文庫フェアーに突入。しかし、買おうと思っていた岩波文庫の『撰集抄』や鏡花の『日本橋』がなく、全く計算が狂わされた。頭にきたので河出文庫の澁澤龍彦の著作で、未購入のもの四冊を一気に買ってしまう。購いし書目は以下のとおりである。(中略)☆河出文庫・澁澤龍彦の著作/『ヨーロッパの乳房』『スクリーンの夢魔』『幻想の彼方へ』『神聖受胎』……これで河出文庫で出ている澁澤龍彦の著作(翻訳は除く)は全て揃った。

1990.11.19

帰途、駅前のアイエ書店、八重州書房に立ち寄る。アイエ書店で、中公文庫の石川淳の『天馬賦』を見つけ、買おうと思って取り合えずそれはそのままにし、新装なった店内を一回りして再び中公文庫の棚のところに戻ってきたら、何とその前にいた人が『天馬賦』を持ってしまっていて、とうとう買うことが出来なかった。悔しくて、また頭にきて、自棄で八重州では文庫本二冊を買ってしまう。本当に悔しい。今日は書籍部の文庫フェアーでもまた三冊購って、計八冊文庫を購入してしまった。以下に記す。(中略)☆於書籍部/『復興期の精神』(花田清輝、講談社学芸)、『メリメ怪奇小説選』(岩波)、『サド侯爵の生涯』(澁澤龍彦、中公)☆於八重州書房/『女のエピソード』(澁澤龍彦、河出)、『日本橋』(泉鏡花、岩波)。一昨日、これで河出の澁澤龍彦は全て揃ったと記したが、これは記憶違いで、今日買った『女の…』で全て揃い、加えて『サド…』を買ったことで、文庫で出ている澁澤龍彦の著作は全て揃った。【『天馬賦』のエピソードは今も鮮明に覚えている。結局、このとき買われた補充がきちんとあって、後日アイエ書店から入手できたのだが。よくよく考えてみると、石川淳の、それもさしてメジャーだとはとうてい思えない文庫本に同じ日に二人の人間の手が伸びるとは、偶然も甚だしい。】

1990.11.29

昨日、澁澤龍彦『唐草物語』(河出)品切重版未定との知らせを受ける。ショックが大きい。これは代表作ではないか。それに、文庫のカバーにもちゃんとこれが印刷されているではないか。憤りがおさまらぬまま、すぐに白水社の『新編ビブリオテカ澁澤龍彦』版のそれを注文した。だが、これも品切の可能性が高い。明日東京に電話をかけて聞いて、もしなければ大枚はたいて古本屋で買うしかない。

1990.11.30

今日、学校に行く前、『唐草物語』の件で白水社に電話をかけたが、昨日の悪い予感が当たってこれもまた品切重版未定との由。それで、学校にて東京の古本屋に電話をかけて在庫を聞いたが、在庫しているとの由にいったんは喜んだが値段を聞いてまた暗くなる。何と九千八百円だそうだ。又、一緒に『記憶の遠近法』『太陽王と月の王』も聞いてみたが、それぞれ一万八千円、一万二千円……。高すぎる!全て買おうとすると何と四万ではないか。たった三冊で!しかしながら買いたいという気持ちもあり、今心のなかでは買う買わないの綱引きをしているところである。読む価値はあると思うが、それが一万ともなるとちょっと…という感じだ。

1990.12.2

澁澤龍彦『狐のだんぶくろ』読了。解説の出口裕弘氏も書いているように、この本には澁澤龍彦氏の「綺」も「偏愛」も出てこない。これまでそういう面に惹かれてきた私としては少し物足りなかった。加えて年代も、育った場所も私とはまるっきり違い、時間的空間的な齟齬は如何ともしがたかったが、なぜかこれを読んでいて私も自分の幼少年時代をその上に重ね合わせてしまうことがあった。少年時代へのノスタルジアは時間、空間を超えて人間に共通するものなのだろう。語りも明晰、絶妙で、スッスッと話に入ってゆける。

1990.12.4

又、帰宅したら一昨日電話で注文した、澁澤龍彦『唐草物語』、種村季弘『失楽園測量地図』が札幌の古本屋から届いていた。しめて一万三千円程である。何と『唐草物語』が八千五百円もする。それもこれも河出書房があんな良い本を品切にしてくれたおかげである。定価の四倍以上ものお金を払って買わないと読めない名著など、どこにもないのではなかろうか。それとも私の買おうとするタイミングが余りにも遅いのであろうか。【何年か後のこと、いつの間にか単行本は重刷されて並んでいたのを書店の店頭で発見した。いまは(河出)文庫でも読めてしまう。】

1990.12.5

バイト先にて『口笛の歌が聴こえる』(嵐山光三郎、新潮文庫)、『怪しい来客簿』(色川武大、文春文庫)を購う。前者は『BGM』創刊号の「澁澤龍彦を読むためのガイド・ブック」として紹介されていたので知った。内容は嵐山氏が青春時代を過ごした六十年代を、世相を縦糸に、種々の人物との交際を緯糸にして描いた自伝的小説らしい。何とその中に澁澤龍彦・種村季弘両氏も登場するのである。それだけでなく松山俊太郎氏も、三島由紀夫までも登場する。まあこれに惹かれて買ったのである。

1990.12.8

帰途、一番丁の古本屋、及び八重州などに立ち寄る。今日は結構本を買ってしまう。『高丘親王航海記』(単行本、熊谷書店)、『長靴をはいた猫』シャルル・ペロー、澁澤龍彦訳、河出文庫、昭文堂書店)、『逸脱の精神誌』(小松和彦、青弓社、八重州)、『民話の思想』(佐竹昭広、中公文庫、書籍部)。

1990.12.10

六時少し前には退校。帰途金港堂ブックセンターに立ち寄り、澁澤龍彦『幻想の画廊から』(青土社)を購う。

1990.12.12

又、昨日、澁澤龍彦『魔法のランプ』も読了。

1990.12.20

そして今日は十時頃起床。十一時過ぎ家を出、学校に向かうが、途中八重州に立ち寄る。八重州では『記憶の遠近法』『太陽王と月の王』注文の際に前金で払った五百円を返してもらう。どちらもやはり品切れだったのである。残念。

1990.12.23

澁澤龍彦『ねむり姫』読了。購ってから大分時が過ぎて漸く読了した。といってもただ手を付けなかっただけで、昨日ふと気づいて読み始めてからは一気に読み終えた。

1990.12.24

今年は、谷崎に始まり、澁澤龍彦・種村季弘で終ったという感じだ。八月に『マルジナリア』を読んで以来彼の著作のとりこ「龍の子」となり、結局文庫で出ているものは全て集めたし、二十数冊読んだ。やはり心に残ったのは『高丘親王航海記』『唐草物語』『うつろ舟』『ねむり姫』の小説集、『東西不思議物語』『玩物草紙』のエッセイ集あたりであろうか。特に『高丘…』『唐草物語』の二冊には完全にいかれた。あれ以上の小説はもはや出会えないのでは……。


本格的に澁澤にハマッたのは12月24日のくだりにもあるように、8月2日に『マルジナリア』を読んで以来のようである。澁澤龍彦は1987年に亡くなっているので、当然ながら古くからのファンではない。

『マルジナリア』読後、最後の著作『都心ノ病院ニテ幻覚ヲ見タルコト』や、『東西不思議物語』に手をつけ、一気に澁澤の本に狂奔していったさまがわかる。早いものであの夏から八年半が経過してしまった。いまでも澁澤の本(とくに文庫本)を手にとると、夏のイメージを思い浮かべるのは、その夏の記憶が強く頭に焼き付いているからに違いない。

八年前、澁澤ファンになりたての私は、『高丘親王航海記』をはじめとした小説、『東西不思議物語』『玩物草紙』などのエッセイが好きだと記しているが、今の私は若干そこから嗜好が変化している。『高丘親王航海記』『玩物草紙』は別格として、『唐草物語』『ドラコニア綺譚集』などの、エッセイから小説に澁澤の重心がスライドしていた頃の過渡的作品、『記憶の遠近法』『魔法のランプ』などの身辺雑記も含んだ一見軽妙なエッセイ集が好きである。