六月大歌舞伎・昼の部

信州川中島合戦 輝虎配膳〔幕見席〕

千秋楽に間に合った。歌舞伎座では33年ぶりだという。これは久々のヒットだった。歌舞伎らしい荒唐無稽な面白さは無類のもの。「毛抜」のような大らかさのある芝居だ。

長尾輝虎(上杉謙信=梅玉)が、武田信玄の軍師山本勘助を味方につけようとする。家臣直江山城守(歌六)の妻唐衣(東蔵)が勘助の実妹であることを利用し、勘助の母(つまり唐衣の母)越路と、勘助の妻(唐衣からは義姉にあたる)お勝を招き、説得しようとする。

輝虎が室町将軍から下賜された小袖を越路に贈ると、「自分は人の服を着たことはない」とはねつける。食えないおばあさんが越路で、歌舞伎の三婆の役の一つに数えられているという。今回越路を初役で演じた秀太郎は、先日三婆の一つ「盛綱陣屋」の微妙も演じている。いよいよこういった役はこの人のものとなるのであろう。

さて、一献をということで、御膳が出される。なんと御膳を捧げ持ってきたのが当主輝虎自身。これが外題の由来。しかし輝虎自らによる配膳を受ければ恩を蒙ることになると、越路は膳を足蹴にする。ブルブルと震えながら怒りを露わにして、越路を斬ろうとする輝虎。こんな癇性の殿様に梅玉はぴたり。

あわててまわりの唐衣や直江、お勝が止めにはいる。ここからが見所。お勝は吃りのため言葉を発して輝虎の怒りを鎮めることができない。そこで近くにあった琴を持ち出し、琴を弾くことで怒りを鎮めようとするのである。

何度も刀を振り上げる輝虎と、その都度琴を弾いてとどめるお勝。義太夫に琴の音が乗って、なんとも風変わりで芝居っ気たっぷりの、楽しい一幕となった。吃りということでは、「吃又」を想起し、立女形が琴を弾くということでは「阿古屋」を思い出す。

33年前お勝を演じたのは六代目歌右衛門だった。時蔵がこれを見事に演じきる。いよいよ時蔵の「阿古屋」も見てみたくなる。33年前の輝虎は十三代目仁左衛門で、越路は二代目鴈治郎だった。こうなると、現仁左衛門の輝虎もいいかなと思う。越路は秀太郎、この人の持ち役にしていってもらいたい。

素襖落〔未見〕

恋飛脚大和往来 封印切/新口村〔未見〕

六月大歌舞伎・夜の部

通し狂言 盟三五大切〔三階B席〕

吉右衛門の源五兵衛に仁左衛門の三五郎、小万に時蔵という組み合わせは理想的。

源五兵衛は実は赤穂浪士の不破数右衛門なのだが、三五郎と小万に欺かれたことに逆上し、復讐に燃える冷酷無比な殺人鬼となる。自分の主の窮地を救おうと、三五郎が源五兵衛から騙しとった百両。実は三五郎の旧主とは源五兵衛だったというどんでん返し。あれだけの殺人を犯しながら、また最後には三五郎まで犠牲になりながら、生き残った源五兵衛は赤穂義士として華々しく討ち入りに向かう。

忠臣蔵の陰で見えなくなっているが、その裏側には犠牲となった庶民がたくさんいる。忠臣蔵に対する熱狂を醒めた眼で見つめ直す南北のパロディ精神に感じ入る。

良寛と子守〔三階B席〕

富十郎の長男大君が里の男大吉役で、また長女愛ちゃんが里の子役で初舞台。富十郎の長男と私の長男の誕生日が同じで、長女と私の次男が同じ月の生まれ、つまり二人兄弟がほとんど私の子どもと年齢が同じということもあり、思い入れが強い。

愛ちゃんは舞台の中央と袖を行ったり来たり、愛嬌を振りまく。暴れて芝居を邪魔することなく、おとなしくすべきところは父富十郎の隣で神妙に座っているし、時々はまわりの踊りに合わせて一緒に踊る。たぶん私の次男はああはできない。

また大君も大きくなった。もう六歳だものな。彼の初舞台も見に行き、「うちの長男と比べ…」なんて考えたことをとても懐かしく思い出す。

教草吉原雀〔三階B席〕

十八代目中村勘三郎襲名五月大歌舞伎・昼の部

菅原伝授手習鑑 車引〔三階B席〕

今回の昼の部で、もっとも手に汗を握りながら興奮して見たのは、この「車引」だった。とりわけ圧倒されたのは、勘太郎の梅王丸。兄も、弟七之助がやった桜丸がニンだろうと思っていたが、これが大間違い。台詞の迫力も十分で、気迫みなぎる、まさに血管が浮き出る力強さをもった梅王にびっくりだった。

七之助の柔らかさはやはり桜丸にぴったりだし、海老蔵の松王丸の台詞まわしも、成田屋としての神意のようなものを感じさせる。この三人、まだ二十代半ば・前半なのだ。歌舞伎界は安泰だと思わせる一幕だった。

もともとこの三兄弟は前髪だから若者であって、三人の若い役者のみずみずしさにしっくりくる。吉右衛門・團十郎・菊五郎といった三人の「車引」は安定感があって、もちろん楽しいのだけれど、今回の若々しさが見事に芸の高みと結合して見所のある芝居となった。

芋掘長者〔三階B席〕

三津五郎が、今回の襲名に合わせて四十五年ぶりに復活させた舞踊劇。「棒しばり」や「茶壺」を書いた岡村柿紅作で、同じく六代目菊五郎・七代目三津五郎にあてて書かれたものだという。

踊り下手な芋掘の藤五郎に三津五郎。見よう見まねで舞を舞ってその下手くそさがかえって踊りのうまさを引き立てるという、わたしの大好きな舞踊「茶壺」と同じ趣向。踊りの部分は三津五郎が自ら振り付けたということで、最後の芋掘踊りのユーモラスな動きがいい。常磐津・長唄掛け合いの音楽もリズム感にあふれ、楽しい舞踊だった。

弥栄芝居賑 猿若座芝居前〔三階B席〕

中村座芝居前に見物の男伊達・女伊達がやってきて、座元に祝賀を述べるというかたちを借りて襲名の口上とするという、面白い趣向の幕。雀右衛門さんに元気がなく、立ち上がるのも黒衣の助けを借りなければならなかったのがかなり心配。

梅雨小袖昔八丈 髪結新三〔三階B席〕

菊五郎で二度、勘九郎で一度、今回で四度目となる。見せ場の「永代橋川端」では悪の匂いがプンプンとただよってくる。これまで見た新三のなかでは、もっとも悪の雰囲気が強い印象。「新三内」のような場でも、典型的な生世話物であるにもかかわらず、台詞まわしが時代がかったところが目立つ。そんなメリハリが効いてなかなかいい。

手代忠七と家主長兵衛というまったく違った役どころの二役を演じた三津五郎が、いずれも役を手の内にしている感じで、違和感がない。うまいなあ。富十郎の弥太五郎源七は不安定だった。勝奴の染五郎も前回に比べて世話物の人という感じになっている。

十八代目中村勘三郎襲名五月大歌舞伎・夜の部

義経千本桜 川連法眼館の場〔三階B席〕

鷺娘〔三階B席〕

野田版研辰の討たれ〔三階B席〕

軽快で、スピーディで、とても面白かった。

この作品が、仇討ちを美徳とする封建社会への痛烈なパロディ精神で貫かれていることがよくわかる。野田版においてもこれはよく伝わってくるのだが、現代風なスピーディーな劇にしてしまったため、だからこそ木村錦花が狙った新歌舞伎としての面白味を知りたくなる。つまり、「野田版」でない、本来の脚本にもとづいた「研辰の討たれ」を見てみたい。


十八代目中村勘三郎襲名四月大歌舞伎・昼の部

ひらかな盛衰記 源太勘當〔三階B席〕

勘太郎の源太に海老蔵の平次という顔合わせ。たぶん素顔でもこんな対比なのだろうかと思わせるような二人だった。とりわけ海老蔵のやんちゃな弟ぶりが笑わせる。適役すぎて観ているほうが照れてしまう感じ。アンチ海老蔵の妻が観たら喝采をおくるのではないだろうか。海老蔵の台詞廻しが巻き舌でこぶしが効いていたのが気になる。
七之助休演のため、千鳥役だった勘太郎が源太に回り、千鳥に抜擢されたのが芝のぶ。勘太郎・海老蔵という強力なキャラクターに負けない奮闘だった。また延寿の秀太郎が芝居を引き締めていい。先月の「盛綱陣屋」における芝翫の微妙を思い出した。芝翫の微妙の跡を継ぐのは、たぶんこの人だろう、と。

京鹿子娘道成寺〔三階B席〕

芝翫・左團次らが所化役で出る豪華版道成寺。しかも歌舞伎座では23年ぶりに歌舞伎十八番の「押戻し」が出る。もちろん私は「押戻し」を観たことがなく、これが一番の楽しみだった。
「道成寺」自体は、これも何度観ても飽きずに楽しめる舞踊だ。一時間を超える長丁場を飽きさせない。そして「押戻し」には團十郎。大病後初の歌舞伎座出演とのことで、それやこれやを思いながら、勇壮で派手な、いかにも歌舞伎という隈取りと身なりの大館左馬五郎の登場を観ていたら、じんわり感動してしまった。やはり成田屋は海老蔵ではなく團十郎なのだ。

与話情浮名横櫛〔三階B席〕

仁・玉顔合わせによる「切られ与三」もこれで三度目。最初に観たときに腹をこわしてトイレに駆け込んだという記憶が強く、二度目もそのプレッシャーでやはりお腹の調子が悪くなった。ところが今回はセーフ。やっと克服できた。
前回蝙蝠安を演じた勘三郎が今回は序幕の鳶頭金五郎で出演。やはり勘三郎は蝙蝠安で出てこそ、と考えていたが、今回の左團次の蝙蝠安が何とも素晴らしい。下卑た感じが身体中からにじみ出ている。今までで一番の蝙蝠安。お富におかしな化粧をされる番頭藤八は片岡松之助。前観たときもこの人だったはずで、当たり役と言ってよい。

十八代目中村勘三郎襲名四月大歌舞伎・夜の部

毛抜〔三階B席〕

團十郎がひさしぶりに歌舞伎座に復帰するということで、場内から暖かい拍手。大らかで、鷹揚で、「近ごろ面目次第もござりませぬ」という台詞が似合う役者さんだ。男も女もどちらにも手をつけようとするという漁色家ぶりも楽しい。

口上〔三階B席〕

勘三郎襲名披露ではじめて見る口上。大名跡襲名という緊張感のある雰囲気。

籠釣瓶花街酔醒〔三階B席〕

これまでこの演目を二度見てきた。顔合わせは勘・玉・梅に吉・雀・梅。勘三郎の次郎左衛門は二度目のわけだが、今回、八ツ橋が栄之丞のために次郎左衛門に愛想づかしをするという心理的な輪郭がかなりくっきりと演じられていたように思う。どうもこれまでは八ツ橋は本当はどちらに気があったのか、モヤモヤしていたから。これは仁左衛門が栄之丞だったからか、あるいは台本が少し違うのか。


十八代目中村勘三郎襲名三月大歌舞伎・昼の部

猿若江戸の初櫓〔未見〕

平家女護島 俊寛〔未見〕

口上〔未見〕

一條大蔵譚〔未見〕

十八代目中村勘三郎襲名三月大歌舞伎・夜の部

近江源氏先陣館 盛綱陣屋〔三階B席〕

「盛綱陣屋」は吉右衛門の盛綱で一度観たはずなのだが、ほとんど憶えていない。戸板康二さんの講談社文庫版『グリーン車の子供』の表紙絵がこの演目で、また「グリーン車の子供」という作品自体、「盛綱陣屋」の子役がからんだ話であることから、興味を持たないでもなかった。
観てみるとこれが面白い。首実検の場面、肚で芝居をする新勘三郎の盛綱が見事。また芝翫の微妙は「三婆」の大役、いまこの役はこの人以上の適役はいないだろうと思わせる。また問題の子役、切腹する小四郎に児太郎、小三郎に宗生。児太郎の小四郎は好演。芝翫―福助―児太郎という成駒屋三代がそのままの血縁関係で微妙―篝火―小四郎を演じるというのが、歌舞伎らしくていい。

保名〔三階B席〕

毎度清元舞踊は眠くなる。というより、今回この舞踊劇は最初からひと休みの幕だと考えていた。仁左衛門さんに申し訳ない。

鰯賣戀曳網〔三階B席〕

以前も勘三郎(当時勘九郎)・玉三郎で観たが、何度観てもこの芝居は明るくて気持ちがいい。三島歌舞伎の粋。
今回一番笑ったのは、勘三郎の猿源氏に思い切り突き飛ばされ乱れた髪を懸命に直す仕草が絶品の禿(清水大希)。以前観たときにこんな場面あったかしらんと疑問に思う。今回新しく付け加えられた演出なのだろうか。


二月大歌舞伎・昼の部

番町皿屋敷〔三階B席〕

何度かこの演目を観て、「いまさらもういいなあ」となかば期待せずに観たら、これがなかなか面白い。梅玉が演じる癇癪持ちのお殿様青山播磨の苦悩、朗々たる台詞廻し、聞き惚れてしまった。意外や意外、昼の部で一番楽しめた演目。

義経腰越状 五斗三番叟〔三階B席〕

期待という点でいえば、吉右衛門初演の「五斗兵衛」。この演目自体観るのが初めてであったが、時間が経った(四月記す)今ではあまり憶えておらず。

隅田川〔三階B席〕

清元舞踊。ただただ眠かった。

神楽諷雲井曲毬 どんつく〔三階B席〕

三津五郎の踊りはいつもながら切れがあって、気持ちよく歌舞伎座をあとにする。

二月大歌舞伎・夜の部

ぢいさんばあさん〔未見〕

新版歌祭文 野崎村〔幕見〕

雀右衛門・芝翫・鴈治郎・田之助・富十郎という人間国宝五人の大顔合わせ。それを観たいがために、久しぶりに幕見席で歌舞伎を観る。加えて吉之丞までちょい役で出てくる豪華さにため息。

二人椀久〔未見〕


寿初春大歌舞伎・昼の部

松廼寿操三番叟〔三階B席〕

染五郎の三番叟が見事。いかにも操り人形らしく、足音を立てず足を床にすべらすように動く。まるで床から足が離れているようだ。軽快で気持ちがいい。

梶原平三誉石切〔三階B席〕

吉右衛門の「石切梶原」を見るのは二度目だろうか。いつもこの芝居は間だれて眠くなってしまう。しかし二つ胴の場面あたりから俄然緊迫感を増し面白くなる。

この幕の間、幕見席のほうからどうもタイミングが微妙に半拍くらい遅れ、慌ててかけ声を怒鳴るようにかける人がいて、気になった。この人がやるのではないかと危ぶんでいたら、本当にそうなった。

梶原が見事に手水鉢を真っ二つに斬ったあと、六郎太夫(段四郎)との間で「切り手は切り手」「剣は剣」という台詞が交わされる。この芝居でよく言われるのは、このあと大向こうが「役者も役者」とかけ声をかけるということ。しかしながら私はこれまでこのかけ声を耳にしたことはなかった。その半拍遅れの人がやってくれるのではないかと、半分恐れ、半分楽しみにしていたのだ。

実際聞いてみると調子に乗ったうまいものだったので、芝居を壊すものではなく安心したのだけれど、もう少し柔らかく語ってほしかった。

盲長屋梅加賀鳶〔三階B席〕

幸四郎が道玄を初演でやるというので、半ば疑問を持ちながら見た。富十郎の道玄でこの「加賀鳶」を見て以来、すっかりこの芝居の面白さに魅せられてしまった。だから、あの愛嬌のある小悪党道玄と幸四郎のイメージが結びつかなかったのである。

ところが見てみるとこれが意外にはまり役なので驚いた。はまり役どころか、幸四郎近来の名演ではなかろうかと思ったくらい。最近幸四郎は「宇都谷峠」や、今月夜の部の「魚屋宗五郎」など意欲的に初演の芝居に取り組んでいるが、「加賀鳶」は大成功だといってよい。

道玄といえば、六代目菊五郎―二代目松緑と受け継がれ富十郎に伝わる、丸顔系の愛嬌ある役柄というイメージだった(講談社文庫『松緑芸話』に「加賀鳶」の興味深い芸談が収められている)。今回の幸四郎はそれともタイプが違う。愛嬌はたしかに劣るものの、さすがに悪党を演じさせるとこの人は素晴らしい凄みを発揮する。「お茶の水」の引っ込みの花道での表情が、一瞬松緑の顔を彷彿とさせた。

私はむろん松緑の道玄を見たことがなく、松緑と言えばNHK大河ドラマ「草燃ゆる」の後白河法皇役の姿しか記憶にない。しかしその映像と、これまでいろいろと文字で読んできた松緑の芸が重なり、幸四郎の顔に浮かんできたのだ。もとより幸四郎は松緑の甥にあたるのだから似ていてもおかしくないのである。『松緑芸話』をめくっていて、「魚屋宗五郎」もまた松緑の当たり役だったことを思い出した。この幸四郎の心境の変化はなんだろう。

さて、今回も「質見世」での道玄と日陰町松蔵との掛け合いを堪能した。富十郎と吉右衛門の顔合わせでしびれるほどの感動を受けた場面、今回もそれに劣らない。幸四郎と三津五郎という調子のいい二人だから、黙阿弥一流の台詞術で見せるこの場面、面白くないはずがない。富吉コンビにひけをとらない幸三コンビの大当たりだと思う。

道玄の相棒「おさすり」お兼が福助というのにも最初驚く(たしか富吉のときは田之助、猿梅のときは東蔵)。しかし福助は、「石切梶原」の娘梢のような可憐な役柄よりは、むしろこうしたお兼のような悪婆役が似合うと考えている私にとって、この挑戦は歓迎すべきものだった。しかもその期待に違わぬ好演。ただこれも愛嬌に欠けるか。

もっとも愛嬌に欠ける欠けると言いつつ面白かったのだから、「加賀鳶」という芝居における「愛嬌」の必要性についてもう一度よく考えなければならないだろう。

女伊達〔三階B席〕

たかだか十数分の舞踊だったにもかかわらず、不覚にも眠ってしまった。幕切れの柝の音と、それをきっかけに帰ろうとするお客の騒音で起こされるのだから情けない。


寿初春大歌舞伎・夜の部

鳴神

土蜘

新皿屋舗月雨暈 魚屋宗五郎