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読前読後2002年4月


■2002/04/01 平成日和下駄(32)―春の練馬古本屋めぐり

きっかけはやましたさんのサイトであった。やましたさんは最新刊をしかも格安の価格で古本屋から入手されているのを羨ましく思い、それらの古本屋のご案内を乞うたところ、ご快諾を得たばかりか、その周辺の古本屋までご案内していただけることになった。
そのうえついでとばかりに近辺(練馬区立野町)にある木山捷平邸、辰野隆邸もプランに入れたいという我が儘もお聞き届けくださって、プライベートな時間を割いて下調べをして、ご案内いただいたやましたさんに感謝申し上げたい。

どこの古本屋をめぐったのかは、やましたさんの読書日記、およびご参加くださったやっきさんの日記をご参照いただくとして、ここでは主として散策という点に注意したメモだけ記しておきたい。

起点は西武池袋線江古田駅。
私が東京に移り住んできたばかりの約四年前、仙台の知人の兄弟一家がお住まいだということで、その仙台の知人も交えてお邪魔したことがあった。
あの頃は東京の右も左もわからず(もちろん「江古田」という街の存在もそのとき初めて知った)、ほとんど初めての遠出に近いものだった。懐かしい。
記憶にある駅周辺のたたずまいはあまり変わっていない。

このあと西武池袋線に乗って練馬・石神井公園各駅で下車したのだが、この江古田あたりまでは、駅も昔ながらのたたずまいを残していて、駅前の商店街もごちゃごちゃしているといった印象。
もっともごちゃごちゃしているというのは江古田に限らず、石神井公園・上石神井もすごかった。
バスがぎりぎり通れるような狭い道幅、しかもその両側に自転車や徒歩の人々が行き交う商店街を路線バス押し通っている。曲がり角には誘導専門の人が待機までしている。やましたさんに聞けば、この石神井公園のあたりは東京でもバスの難所の一つで、ベテラン運転手が担当する区間とのこと。まさにアクロバティックな名運転であった。

石神井からバスに乗って吉祥寺に出る手前、立野町で下車する。
ここは練馬区・杉並区・武蔵野市三自治体が接する場所で、立野町は普通の道路をはさんだすぐ南が武蔵野市吉祥寺と接している。緑が多い閑静な住宅地。
このなかに木山邸も辰野邸もあった。表札でそれとわかるほか、外観などはあまりに普通なので(当たり前か)写真を公開するのは憚られてしまう。どうかご了承いただきたい。
あの練馬区の西南区域は東大教授などをはじめとした学者が多く街であるという認識があって、やはりそのなかに辰野邸もあったということだ。

古本屋の質? これは素晴らしい。
新しめの本が置いてあるという意味でも、質のいい本が置いてあるという意味でも、小さな古本屋に至るまで全般的にレベルが高い。
そういう古本屋が多いからか、値段も手ごろで良心的だ。
この路線沿いに住んでいたら自分はいったいどうなっていたのだろう、しかも中央線沿線ではなくてこのレベル、そんな恐ろしさすら感じさせるような古本屋めぐりと相成った。

■2002/04/02 好奇心ならぬ猟奇心

鹿島茂さんの『オール・アバウト・セックス』(文藝春秋)は、同氏の対談集『オン・セックス』(飛鳥新社)の文献編といった趣きで、内容の過激さもまったくひけをとらない。
連載時のタイトルは「エロスの図書館」という多少高級な香りを感じさせるものであったが、単行本化に際して上記のような書名に改められた。
文学作品はもとより、ノンフィクションや漫画、写真集に至るまで、現代の性関係書物を取り上げることにより現代の性風俗の潮流を鋭くえぐる問題の書であることは間違いない。

それにしても鹿島さんのエロ関係の本に対する関心の広さには恐れ入る。SMなど、当事者以外にはその快楽に共感しえないような世界にも目配りがきいている。
平口広美『フーゾク魂』を論じた一章(「SMもまたセラピーである」)にこんな一節があって、同書を高く評価している。

猟奇心のある方は一読を。

「猟奇心」? 思わず笑ってしまった。
鹿島さんをここまで衝き動かしている根底には、確実に好奇心ならぬ猟奇心というものが作用しているに違いない。

いまやネット上にあふれる過激な画像によって、エロ本が危機に瀕している。
これは付録として収録された久世光彦・福田和也両氏との鼎談「決定版 官能小説ガイド」での福田氏の危惧である。
これを受けての鹿島さん、久世さんの発言。

鹿島:でもエロ本が滅んだら最後だ。文化は滅ぶよ(笑)。
久世:でも数は少なくなるにしても、活字のエロは不滅だと思う。(後略)

しかしながら書物文化・活字文化自体の存続すらネットの普及によって危ぶまれているご時世、三人の危機感は払拭されるのだろうか。いや逆に「エロ本」「活字のエロ」こそが末期書物文化・活字文化を支える最後の砦となるのかもしれない。

河出文庫が最近このような傾向の作品に偏重しているきらいがあって、一昔前の河出文庫ファンとしては嘆かわしいと思っていたのだが、この路線変更は女性のための、女性によるポルノ(これはポルノと区別して本当はエロチカというのだそうだ)の流行という最近の風潮を敏感に捉えたものであることがわかって、少し考え方を改める気になった。

■2002/04/03 ヤンチャの隔世遺伝

小沼丹『小さな手袋/珈琲挽き』(みすず書房)を読み終えた。本書は古くからの友人庄野潤三さんの編集にかかるものである。もとより『小さな手袋』のほうは講談社文芸文庫に入っている。坪内祐三さんの文章に触発されて購入し、『東京人』誌上における例の発言で読む気が起きた。この経緯は2001/4/7条に書いたから繰り返さない。

この『小さな手袋』からの採録は全体のうち四分の一程度で、残り四分の三は現在品切れで入手が難しい生前最後のエッセイ集『珈琲挽き』からであるのが、遅れてきた小沼ファンとしてはありがたい。
これまで小沼さんの作品は読むたびに「読前読後」で感想を綴ってきた。『懐中時計』が2001/4/25条、『椋鳥日記』が同5/23条、『埴輪の馬』が同9/14条、『木菟燈籠』が同12/4条。その都度、小沼さんの作風に関する新たな発見はないわけではないものの、それを包み隠してしまうような「飄逸とユーモア」という月並みな印象ばかりが先行して、小沼作品の感想を書くのはなかなか難しい。

今回のエッセイ・アンソロジーもやはり同じで、小沼作品は「飄逸とユーモア」に尽きるのである。それに前回『木菟燈籠』で触れた「死」の色合いも濃い。これら加えられるとすれば、悪戯好き、ヤンチャの精神といったところだろうか。

コタロオとコヂロオという二人のお孫さんのヤンチャぶりに触れたその名も「コタロオとコヂロオ」というエッセイ(元は『小さな手袋』所収)では、二人の悪さはいったい誰に似たのかという話になって、お祖父さんつまり小沼さん似であるということでからかわれたという挿話が紹介されている。つまり悪戯好きは隔世遺伝してお孫さんに確実に伝わっているわけだ。

この視点でほかのエッセイも読んでゆくと、まさに悪戯好きであることがわかって微笑ましい。酔うとそのときの行動を忘れるというので、酔ったとき悪戯半分に財布を書斎のどこかに隠しておいたら置き場所を本当に忘れてしまったとか(「落し物」)、道路に設置されていた標識燈を面白半分に家に持ち帰ってきたので、あとで家族が慌てて返しに行ったとか(「標識燈」)、「いや愉快だなあ」と読んでいて愉しくなる話ばかり。一気に読むのが惜しまれる、まさに珠玉と称してよいエッセイ集である。

■2002/04/04 芸談二題

関容子さんの新著『歌右衛門合せ鏡』(文藝春秋)が刊行されたと思ったら、奇しくも時を同じくして旧著『花の脇役』も文庫に入った(新潮社→新潮文庫)。
後者は単行本ですでに読んでいるが、この機会にもう一度読もうと思った。いや、猛烈に読みたくなった。もとはこの続編(姉妹編)『虹の脇役』(新潮社)を単行本の新刊時に買ったとき、その前編たる本書の存在を知ったのであった。

いっぽうの『歌右衛門合せ鏡』は昨年三月三十一日に亡くなった六代目中村歌右衛門の人と芸の魅力を、本人や周りの人々への取材をもとに構成された聞書きとなっている。

同じ歌舞伎役者の聞書きとはいえ、二つの本の対象はまったく異なる。
かたや生まれたときから歌舞伎役者の御曹司として育てられ、戦後は名実ともに歌舞伎を支えた名女形、かたやそうした幹部役者を蔭で支え、しかし歌舞伎にはなくてはならない脇役たち。

面白かったのはどちらか、あえて選ぶとすれば私は『花の脇役』を採る。
これは歌右衛門の魅力がないというわけではない。その理由は、解説の渡辺保さんの文章をそのままそっくり拝借する。

彼女がとった方法は、まず聞き手としての立場を明確にして、その場の脇役の位置、人間関係を立体的にとらえたことである。
その結果、話し手の人間としての素顔が明らかになり、その人生が明らかになった。
その向こうには二つのものが見える。
一つは、芝居を含めてこの人たちの生活してきた東京という町――ことに下町の風景、歌舞伎座はじめ多くの劇場の楽屋の風景、そこで展開する人間の暮らしの重みである。
(…)もう一つは脇役とその師匠との人間模様である。今の日本には地を払ってしまった美しい人間関係がそこにある。この関係が「芸」の伝承を可能にするのである。

もうこれを読んでしまったあと、これ以外に付け加えることはないと思われた。重層的に見えてくるもの、奥深さ、まさに絶品だ。

『歌右衛門合せ鏡』は歌右衛門本人からの聞書きを柱に、その後養子梅玉・松江、親類福助・橋之助、相手役團十郎・仁左衛門・鴈治郎から、弟子や裏方、義太夫への聞書きを並べて、立体的に歌右衛門像に迫るという意味では、これもまた意欲的な構成である。
歌右衛門の生の舞台、見たかった。

■2002/04/06 本の音、書評の音

堀江敏幸さんの新刊書評集『本の音』(晶文社)を読み終えた。
私は堀江さんの作品の大ファンであるが、だからといって堀江さんが好んで読まれる作品と自分の好みは必ずしも一致しない。当たり前のことであるがそれを痛感させられる。
取り上げられている本のうち、私が持っている本はたったの七冊、読んだのはさらに減って四冊にしかならない。半分程度が海外の著作であり、私はあまり翻訳書を読まない人間だから、馴染みが薄い。
しかも堀江さんの取り上げる本は(あくまで)私にとっては“意表をつく”ようなものが多いから、勢い本書は浸透圧が低めで、すっと頭に文章が入り込むということにはならなかった。

ただそうはいってもさすがは堀江さんで、文章だけでも読ませるし、さらに紹介された本も読みたくさせる技も一級品である。
N・ベイカー『中二階』、P・ソレルス『ルーヴルの騎手』、伊井直行『服部さんの幸福な一日』などはそうした類いの本である。

また、タイトルが『本の音』だからか、いや堀江さんご自身が音楽好きだからタイトルを『本の音』と思いついたのだろうが、音・音楽に関する本の書評や、音・音楽に関する自身の思い出、それを使った比喩などはなぜか妙に頭に残っている。
書評でいえば小沼純一『武満徹 音・ことば・イメージ』、杉本秀太郎『音沙汰 一の糸』などがあった。

思い出とはたとえば、P・ベッティンガー『ビル・エヴァンス―ジャズ・ピアニストの肖像』評で、ビル・エヴァンスの訃報に触れた次のような文章だ。

1980年秋のある週末、中途半端な時間帯にスイッチを入れたチューナーから、スタン・ゲッツとビル・エヴァンスのデュオで「グランド・ファーザーズ・ワルツ」が流れてきた。(…)おかしいな、ビル・エヴァンスの特集なんて番組表に記されていなかったはずだ。嫌な予感がして、同日の夜、あるヴァイオリニストの海外演奏会を録音するつもりで用意してあったソニーのDUADという高価なカセットテープをまわしはじめたとたん曲がフェードアウトし、声に聞き覚えのあるジャズ評論家が番組をしめくくった。今日は予定を変更し、五十一歳で急逝したビル・エヴァンスの追悼をお送りしました……。

「ソニーのDUADという高価なカセットテープ」といった小道具の出し方などはまさに堀江さん独特の世界といってもいいのではあるまいか。

「音」に関する比喩でいえば、次の鹿島茂『かの悪名高き』評に指を屈する。

貴重な一次資料を駆使しながら退屈な二次資料を再生産する愚はけっして犯さず、勘所を抑えた軽快な語り口で読者を魅了するその文体は、超弩級の出力を誇る大型アンプで、レスポンスのいい中型スピーカーを小音量で鳴らすのに等しい余裕を感じさせ、どんなに長時間聴いていてもいっこうに疲れを感じない音楽を連想させる。

ここでは鹿島さんの文体が「どんなに長時間聴いていてもいっこうに疲れを感じない音楽」のようだとを言っているわけだが、私はなぜか鹿島さんのあの迫力のある押し出しが「超弩級の出力を誇る大型アンプ」と結びついてしまって頭から離れなくなってしまった。
それだけ紡ぎだされる言葉によるイメージ喚起力が強いとということだろう。

いまの私にとっては浸透圧が低めでも、数年後どうなっているかわからない。本書で取り上げれた本たちの良さがわかるときが来ているのかもしれない。
そういう未来の自分の姿を本書を通して夢見てしまうのであった。

■2002/04/07 ネットの読書量に与える影響について

目黒考二さんの『笹塚日記』(本の雑誌社)を読み終えた。
昨日買ってきたばかりだったのだが、いったん読み始めたら止められない面白さ、ドライブ感をもつ本であった。

本書は本の雑誌社発行人目黒考二さんの1999年1月から2000年5月までの日記である。
同じ『本の雑誌』に連載され、少し遅れて単行本化された坪内祐三さんの『三茶日記』と判型も同じで、二段組・脚註付きというスタイルも共通している(装丁は同じ多田進さん)。
私はてっきり『笹塚日記』が先で『三茶日記』が後発だと思っていたら、『三茶日記』は1997年からスタートしていて先輩だったので驚く。

そもそも『笹塚日記』は、『本の雑誌』に二頁分の穴が空いたので、その穴埋めとして書いた単発企画だったらしい。それが面白かったので椎名誠編集長からも連載をと命じられたとのこと。
目黒さんご自身はこの連載(および単行本化)に戸惑いを隠せないようだ。

毎月、どこかの外国に出かけたり、日本中を飛びまわっていたり、いろいろな人に会ったりしている人の日記なら、なにかの発見があるかもしれないが、自慢じゃない私、どこにも行かないのだ。ただ、ひたすら会社の中で本を読んでいるだけなのである。これでは変化もないし、面白くもない。(「あとがき」)

とはいえ、原稿を執筆し、ゲラを校正し、割り付けを指示、さらに座談会や講演をして、空いた時間は読書に費やす。食事は会社近くの飲食店からの出前や喫茶店のモーニングセット、コンビニの弁当で済ませ、そして週末はほとんど競馬場で過ごす。この波乱に富んで単調な(?)生活記録を読むことの何と面白いことか。
だいたい目黒さんの生活は、夜中に執筆や読書をして朝に眠り、午後に起きるというパターンが多い。起きていても眠気を催せばすぐ仮眠をとる。一見不健康そうに見える生活でも、睡眠時間は意外に多い。

そのなかでパソコンを購入し、ネットにつなげるようになる。すると覿面に読書量は減った。読書こそが仕事であるような目黒さんにとって、ネット時間に割かれてしまう時間は貴重なのである。
これが私のようなたんなる素人の読書好きの場合話は逆転する。つまりネットによって数多くの書友との出会ったがゆえに、逆に本の購入量も読書量も増えた。
とすれば減ったのは何か。ああ、怖くて書けない。

■2002/04/08 新刊台風一過

三月下旬から今月上旬にかけての、なぜか晶文社と文藝春秋という二つの出版社に偏った刺激的新刊ラッシュという「台風」は、ほとんどすべて読むという真正面体当たり作戦をとりながらも、何とかやり過ごすことができたようである。
この台風による強風のおかげで私の“読書推進力”という羽根もぐるぐると勢いよく回っており、この余勢で当分「新刊でない本」を読みつづけようという気力も存続しそうだ。昨日触れた『笹塚日記』がいい例だろう。

新刊台風のさなかに読んできた本の感想は、その都度ここ「読前読後」に書き綴ってきたけれど、読みながら「あ、この部分面白い」と付箋を貼ってチェックし、紹介しようと思っていた部分を紹介しきれていないのが心残りだった。
書いていくうち、駄弁を連ねてしまって制限字数に収まりきれなくなるのである。
今日はそれらの落穂拾いをしてみようと思う。

(1)鹿島茂『オール・アバウト・セックス』は活版なりしこと
印刷は凸版印刷。堀江敏幸さんの『ゼラニウム』もそうだったが、凸版印刷はまだ一部活版を残していて貴重。
それにしてもあの本は、「ポルノ」やら「セックス」やら「SM」をはじめ、とてもここでは恥ずかしくて書けないような単語の連続で、活字を組むとき植字工の人はさぞかし面食らったのではないだろうか。
もっともそんなくだらないことを考えるのは私のようなアマチュアだけであって、プロは書かれている内容を頭に入れることなく活字を並べるのだろうが。

(2)『笹塚日記』で感銘を受けしこと
穴埋めの単発企画が連載へと発展しただけあって、第一回目(99年1・2月)にはさすがにキラリと光る名言が多い。たとえばこんなくだり。発想の逆転。

(志賀直哉全集新版に触れて)小型版のほうがたしかに収納に便利ではあるけれど、本を持つということは今や収納を無視するということで、それがイヤならCD-ROMにすればいいのだ。(12頁)

また、睡眠ゼロのまま翌日中山競馬場に行ったら六万馬券を的中したとか、2月17日の時点でその年の新刊小説ベスト3が出揃ったとか、笑わせてくれる。

■2002/04/09 東京人としての戸板康二

先日関容子さんの『歌右衛門合せ鏡』(文藝春秋)を読み終えてから、わが書棚の歌舞伎関係の書物を収めてある一角を整理することにした。
ここには戸板康二・渡辺保・服部幸雄各氏に交じって関容子さんの著作も並んでいるからである。

戸板康二さんの著作の隣には、その関係書も並べてある。すなわち矢野誠一『戸板康二の歳月』(文藝春秋)・『「ちょっといい話」で綴る戸板康二伝』(戸板康二追悼文集編集発行委員会発行、非売品)である。
戸板さんの著作を手にとる機会があるたびにこの二書も目に入るから、その都度それぞれ再読の誘惑に駆られてはいた。
今回の整理で、いよいよそのうちの矢野さんの評伝を再読しようと心に決め、読み始めるとやはり面白い。初読時の感想は2000/7/16条に記したが、今回もまた戸板康二の人間的魅力のとりことなってしまった。

またいっぽうで、前回読んでから一年半以上経過し、この間私もさまざまな読書体験を得たことによって、初読時には気づかなかった部分がひっかかるようにもなった。
同じ本であるにもかかわらず、ある一定の期間をおくことによって、読み手側のさまざまな変化に即して自ずと受ける印象も異なってくる。内容的な変化があるわけではないのに、別種の本を読んでいるかのような錯覚を起こす。本読みを続けることによってのみ得られる至高体験ではあるまいか。

さて今回の『戸板康二の歳月』再読で気になったのは、東京山の手生まれ、東京っ子としての戸板さんの生き方、ダンディズムについてである。
たとえば同じ東京生まれで一時は同士であった福田恆存との確執について触れたくだりでは、戸板さんの東京人としての性分が浮き彫りにされている。
ここで私のいう「東京人としての性分」とは感情を露骨に示さぬテレであり、スマートさということだ。
私のような田舎育ちではこうした東京人の性分というものはなかなかすぐには理解できないが、同じ東京生まれの矢野さん(あるいは山口瞳さんも)にとっては大きな共感を抱く点なのだろう。
こうした戸板さんの東京人としての意識は、『久保田万太郎』(文春文庫)での師万太郎への視線に色濃く投影されていることに気づかされるのであった。

■2002/04/10 無駄買い転じて福となさん

井上ひさしさんの『東京セブンローズ』が文庫に入ってしまった(上下二分冊、文春文庫)。
文字どおりの「大作」の雰囲気たっぷりだった単行本は1999年3月に刊行され、購入した。根津が舞台とあらば捨て置けない。しかも趣向を凝らした井上作品なのだから。

そうは思えど、あまりの大冊ぶりに二の足を踏んでなかなか手を出せず、それならばと長期の休暇中に読もうとするも、たとえば帰省先に持参するのは荷物になるからと結局身軽な文庫本に逃げてしまう。
そんなこんなで三年が過ぎ、読まないうちに文庫に入ってしまったではないか。
元版は根津にある団扇屋の主人の日記とて正字旧かなの体裁であった。今回の文庫版でもそのスタイルを崩していないので、文庫好きの私のこと、購入することにしたわけである。もっとも、読みたいと思っていた本が読まないうちに文庫になることが悔しくないはずがない。
悔しまぎれにこんな分類を考えついた。元版(単行本)と文庫版の関係についての考察のはじまりはじまり。

(A)元版・文庫版ともに持っている場合

(1)元版を読み、文庫化後も文庫版を購入して読む
いちばん幸福なパターンだろう。ちょうど先日読んだ関容子さんの『花の脇役』(新潮社→新潮文庫)がそれにあたる。その他松本哉『荷風極楽』(三省堂→朝日文庫)、鹿島茂『空気げんこつ』(文春ネスコ→角川文庫)、坪内祐三『靖国』(新潮社→新潮文庫)など。

(2)元版を読み、文庫化後も文庫版を購入するが、文庫版は読まない
ありがち。藤森照信さんの『タンポポ・ハウスができるまで』(朝日新聞社→朝日文庫)など。もちろんはなから読まないつもりで買うわけではないけれど、たとえば装丁の妙、解説文目当てで購入するパターンが多いか。

(3)元版は読まず、文庫化後文庫版を購入してそちらを読む
これが今回目指す『東京セブンローズ』のパターン。文庫購入を読む大きなきっかけにしようという意欲がいちおうある。奇しくも同じような地域を取り上げた森まゆみさんの『鴎外の坂』はこのパターンだった。

(4)元版を読まず、文庫化後文庫版を購入するも、それすら読まない
『東京セブンローズ』がこうならないことを祈る。いまのところ武田雅哉さんの『桃源郷の機械学』(学研M文庫)などがこの恐怖のパターン。

(B)元版は持っていないが文庫版を持っている場合

(1)元版刊行時点では興味がなかった(あるいは存在を知らなかった)のだが、文庫になるまでの間に興味をもった
このパターンがたぶん最も多いのではないだろうか。
(2)文庫という廉価な媒体ゆえとりあえず買っておこうというもの
朝倉無声『見世物研究』(ちくま学芸文庫)など、資料的価値の高い本に多い。
このB型以下は「読む/読まない」は度外視してある。

(C)元版は持っているが、文庫版は持っていない場合
お金を出してまで文庫版を買う必要はないと判断した本。最近こういう判断を下す本が多くなってきた。でも普通、元版を持っていればごく自然にここに落ち着くはずなのだが、そうはならないのが本好きゆえの事情。ただ、文庫版を買わないと判断する決め手にもいろいろあって、たとえば次の二つ。
(1)元版がそれほど面白くなかったから、文庫版まで買う必要はない
(2)たんに経済的な事情で買えない
このC型はそもそも文庫版を買っていないので、何があるのか思い出すのも難しい。

(D)元版も文庫版も持っていない場合
これは論外。分類の必要上付け加えたのみ。

以上が基本的な類型であろうか。これに古本での購入という契機をからめると、さらに細かなバリエーションが生ずる。
たとえばA−4のバリエーションとして、鹿島茂さんの『レ・ミゼラブル百六景』(文藝春秋→文春文庫)がある。元版・文庫版いずれも読んでいない。購入は文庫版が先で、あとから元版を古本で購入した。
この本は、文庫化のさい挿入図版を増やした「増補版」的意味合いをもつ。だから実用的にいえば文庫版さえあればそれで済むわけだが、鹿島ファンの悲しさよ、文庫版と違うのであれば、たとえそれが内容的に乏しいものであろうと欲しくなってしまう。しかも鹿島さんの著書は装丁も素敵だから持っていても損はしないだろう、そんな判断が働いたことになる。

■2002/04/11 いつのまにか「大坂の陣的読書法」

私の読書法の一つとして、「大坂の陣的読書法」がある。これは2001/1/17条で説明した。
ある一人の作家に興味を持った場合、その作家の作品にいきなり切り込むのではなく、その作家あるいは作品を論じた本から読む、つまり外濠を埋めながら徐々に本丸(作品本体)へ近づくというものだ。

意図的にそうした方法をとる場合がほとんどだが、まれにそうではない事例も存在する。つまり外濠を埋めているのに気づかないまま、いつの間にか気づいたら本丸を攻めているという場合だ。
先日読み終えた井伏鱒二『荻窪風土記』(新潮文庫)を読みながらそんなことを考えていた。

実は私は井伏作品をまともに読んだことはない。アンソロジーなどで短編を読んだかもしれないけれど、たとえそうだとしても記憶にない。
それでも講談社文芸文庫に入っている著書数冊を持っているし、福武文庫の『鞆ノ津茶会記』は前々から読みたい本として机辺に置いてあった。

そうこうしている間に自分でも気づかぬうちに井伏さんに師事した、あるいは兄事した作家たちの作品(あるいは彼らの評伝)を好んで読むようになったのである。
太宰、青柳瑞穂、木山捷平、小沼丹など。
彼らの作中で井伏鱒二という大作家の名前と出会う頻度が多くなるにしたがって、井伏鱒二という作家自身にも知らず知らずのうちに興味を持つようになったらしい。

この『荻窪風土記』は、井伏さんが昭和二年以来住んだ杉並区清水町(荻窪界隈)の移り変わりや、そこでの友人たちとの交流などを綴った回想記である。
古い時代の記憶の確かさと、新しく変化してしまったあとの現代の街並みへの関心を持ちつづけていることに驚いた。
前者でいえば、荻窪に転居するきっかけにもなった関東大震災の罹災の記憶であり、後者は、常に昔の風景が「現在では…にあたる」と執筆当時の街並みと重ね合わせて理解されているという点である。

とりわけ個人的な関心で関東大震災罹災時の詳細な記録に興味を持った。
いずれ他の震災記を読み込んだとき、ふたたびこの本にも言及する日がくるだろう。

■2002/04/12 本の永遠「ブッキッシュ」

新雑誌の立ち上げどころか、出版業界自体の存立も危機意識をもつ人が少なくない昨今、「「書物」への執着は20世紀的郷愁ではないと、我々は断固として信じる」という鵜戸口哲尚編集長の強い創刊の辞が巻頭にすえられた「本」に関する新雑誌『BOOKISH』がいよいよ創刊された。

このサイトを続けていることが縁となって私もBEC(BOOKISH EDITORS CLUB)という編集協力メンバーの一員に加わるようお誘いがあり、微力ながらそのメンバーに名前を連ねさせていただいている。
掲示板で出会った書友渋茶庵さんやモシキさんが編集委員として加わり、またやっきさん・ふじわらさんもBECとして強くバックアップしている。

創刊号の特集は稲垣足穂。それより先に、表紙をめくるとその裏に「古本買います」「店売ります」という強烈なコピーを掲げた大阪の古書店斜陽館の広告に目を奪われる。
先述の編集長による「創刊に際して」、目次に続いて特集記事が続く。
私は必ずしも足穂のファンではなく、でも気になる存在としてつねに頭の隅に足穂があるという立場の人間にとっても、この切り口は従来の足穂特集を行なった雑誌とは一味違うのではないかと感じる。
とりわけ軽美伊乃さんの評論「再発見される足穂」にはその感が強い。従来言われているような宮沢賢治との対比を穏やかに退け、新感覚派という潮流のなかで足穂作品の把握を試みる。

先般筑摩書房の『稲垣足穂全集』が完結したばかりで、その編集に携わった萩原幸子さんがその経験を語ったのも興味深い。新足穂全集の成果を最初に反映した雑誌として評価されよう。
その他囲み記事として、足穂が他の作家たちに浴びせた悪罵を集めた「足穂毒舌地図」が痛快だ。足穂が三島を悪し様に罵倒するいっぽうで、三島はその声に耳を塞いで、足穂に熱烈なオマージュを捧げている。この対照的な二人の関係が面白い。

足穂の関西での足どりを写真とともに追った「タルホ足跡散歩」の企画も興味深い。
関西に行く機会があるとき、本誌を携えて“タルホ文学散歩”をやってみたいという気分にさせられる。もう少し写真が鮮明であるともっと良かった。

連載では龜鳴屋というユニークな出版社を経営する勝井隆則さんの「忘れられた作家達」で紹介された『藤澤清造貧困小説集』に心が動く。
この本は上記した書友のサイトでもいく度か紹介されていたので、その記憶の積み重ねがいよいよ「欲しい」という点まで達してきたということだ。

「リレーエッセイ・古本屋稼業」「古書店主インタビュー」というシリーズも、いつも古本屋さんを利用している私にとって要注目である。
本誌は古本にのみ目が向けられているわけではない。
巻末に付されている目録には、古本屋の目録があるいっぽうで、「新刊セレクト」という、ユニークな品揃えを誇る新刊書店が、言葉どおりの「新刊」ではなく、「たいへんよく売れた本」「最近売れているような気がする本」「これから売れそうな気がする本」をリストアップするというすこぶる刺激的な目録もある。
この目録により、初めてそうした新刊本が存在すること(しかも現在も入手可能なこと)を教えられたものもある。これは新刊書店にとっても喜ばれる企画なのではあるまいか。

これら目録の前には、編集委員各氏による一〜二頁のコラムが配され、それぞれの独自色が出ていて楽しい。ここで渋茶庵さん、モシキさんがそれぞれ一押しの本を紹介されている。
ただ、これらコラムが編集委員によるものであるという表示がなく、唐突に出てくるのが気になった。

私はこの「読前読後」の拡大版という位置づけで「読前読後の快楽」という文章を連載させていただくことになった。日頃読んでいる本たちからテーマを横断的に取り出して意表をつくつなげ方をする、そんな内容の「本読み記録」を目指したい。

今後もアナイス・ニン、木山捷平といった魅惑的な特集が用意されているという。
本読み、本好きの人びとに広くお薦めしたい新雑誌である。

■2002/04/14 目を東に向けよう

「火の見櫓の上の海」と呟くと最初はずいぶん不思議な印象を受けたが、その意味を知ってみると「いい言葉だなあ」としみじみ思わずにはおれない。
川本三郎さんの房総紀行エッセイ集『火の見櫓の上の海―東京から房総へ』(NTT出版・気球の本)のことである。

タイトルは画家谷内六郎の言葉だという。谷内の「上総の町は貨車の列 火の見の高さに海がある」が原典とのこと。
これはどういうことなのか。やはり川本さんご自身の言葉をお借りしたほうが早い。

房総半島には、低い山がすぐ海まで迫っているところが多い。町は、山と海のあいだの狭い傾斜地に出来ている。だから、駅を降りて海のほうへ下っていくと、海が瓦屋根のあいだに、火の見櫓の上に見えてくる。(「あとがき」)

小高い場所から海を眺めると、町(=火の見櫓)に覆い被さるように海が見え、水平線が火の見櫓のはるか高くにあるように錯覚する。
本書の随所に挿入されている写真と、カバー装画の安西水丸さん(房総で少年時代を過ごしたという)のイラストによって、このイメージが頭に焼き付けられる。

さて川本さんはなぜ房総に惹かれたのか。東京育ちの人間であれば、海といえば湘南に結びつくのではないか。事情はこうだ。

私が、何年か前から、房総を好んで旅するようになったのは、つげ義春のマンガに惹かれたからである。それまで正直なところ、房総は魅力的には思えなかった。それが、つげ義春のマンガや紀行文を読んでから、急に房総が「懐しい」土地に感じられてきた。その意味では、私にとって、つげ義春は、房総という風景の「発見者」である。(99頁)

この一文を読んでもわかるように、本書は川本さんご自身が房総に旅したときの紀行文であるというほかに、その旅のさいに川本さんが依拠した文学作品(マンガを含む)、映像作品を紹介した“房総文学散歩”的な意味合いももっている。

つげ義春はもちろん、漱石(「こころ」)、獅子文六、伊藤晴雨、上村一夫、三島由紀夫(「岬にての物語」)などなど。つげ義春のマンガの舞台を訪ねる旅(「つげ義春の房総を歩く」)など、川本さんは意外にミーハーなのだ。

房総とは東京の人にとっての「近所田舎」であるという。
先に私は「東京育ちの人間であれば、海といえば湘南」と書いたが、これは単細胞的思考であり、山の手=湘南、下町=房総という棲み分けがなされていたらしい。
いまでこそ交通機関の発達により湘南一極集中の様相を呈していて、私のような単細胞の田舎者は東京の海=湘南という図式しか頭になかったのだが、実際ひと昔前では、隅田川以東の人びとにとって房総はまさしく「近所田舎」だったようである。

房総=「近所田舎」と書くと、千葉の人をずいぶん馬鹿にしているように聞こえるが、実はことはこれまたそう単純ではない。川本さんは「千葉」と「房総」は違うという。
浦安から幕張、千葉、袖ヶ浦あたりまで、湾岸に巨大な工場が立ち並んで風景が変貌してしまったところは「千葉」と呼び、昔の「近所田舎」の面影を残しているところを「房総」と呼ぶといった、意図的な使い分けがなされているのだ。
内房でいえば木更津あたりが「千葉」と「房総」の境界線にあたるらしい。そしてむろん「房総」を称揚する。

川本さんは「房総」の港町にぶらりと旅をして、何の変哲もない食堂に入り、肴を注文してビールを飲む。興がのったらその町の散策に出かけ、鄙びた旅館に投宿してのんびりと本でも読む、そんな旅を至上のものとしている(房総には残念ながら温泉はないので、決定打が欠ける憾みは残る)。
以前エッセイ集『ちょっとそこまで』(講談社文庫)の感想を記したとき(2001/7/24条)にも書いたが、川本さんが「ビール」と書くのを読むと、ビールが魔法の飲み物であるかのような美味しそうな響きを帯びて脳内の“酒飲み中枢”を刺激してくるのだ。
ふたたび言おう。いま川本さんをおいてビールの美味しさを読む者に完璧に伝えられる人はいない、と。

近い将来私は房総を旅することになるだろう。
もしそのときの報告を目にしたならば、「あいつ、川本三郎に影響されてやがる」と嗤っていただいてもかまわない。私も川本さんに劣らずミーハーだ。
私にとって、川本三郎が「房総という風景の「発見者」である」といえるのだから。

■2002/04/15 電車に乗りたい!

外出のため電車に乗るかと思うと気分が妙にウキウキしてくるという日々を、ここ何日か送っていた。
これは仕事に行くのがとても楽しいというわけではない。家庭生活が息詰まって逃げ出したいというのでも、誓って、ない。
電車で読んでいる本が無性に面白く、その読みたさゆえ、電車に乗れるかと思うと嬉しくなってきたのであった。

だから、改札を通ったあたりにちょうどホームに電車が入ってきても、慌てて息せき切って階段を駆け上って電車に乗るというようなことはしない。次の電車に乗ればいいさと、その待ち時間にさっそくくだんの本をリュックから取り出して、読む。
途中の駅にその駅始発の電車が発車待ちをしているのを見つけたら、そちらへ移って、座れないまでも人がなるべくいないゆったりした空間で読書を楽しもうとする。
面白い本との出会いは、何事にも余裕を生み出すものだとあらためて思う。

その本とは小林信彦さんの『人生は五十一から』(文春文庫)。
『週刊文春』連載のコラムをまとめた本の文庫版だ。私は小林さんの小説は読んだことがない。ただしエッセイは数冊読んでいる。『小説世界のロビンソン』や『私説東京放浪記』『和菓子屋の息子』など。
このうち『私説東京放浪記』はまた後日触れるときがくるだろう。

だからあまり小林さんの作風、信条、性格などを知らなかったのだが、本書を読んで驚いた。
物言いが、歯切れがいいというのを通り越して激烈である。嫌いなものは嫌いとはっきり言う。政治、社会、マスコミ、芸能人、言葉づかい、対象が何にせよその筆法鋭く、読む側がたじろいでしまうほどだ。

私は本書のようなコラムが大好きだ。
取り上げる話題が広く、かつ切り口鋭く、掘り下げ方も深い。私が普通より少し知っているかなという話題(たとえば乱歩の話など)でも、こんな事実、こんな見方があったのかと目から鱗が落ち、またいっぽうで、私がまったく知らない分野(たとえば芸能、映画)でも、話の運びに論理的な説得力があるのでついてゆける。
東京下町育ちとして誤った「下町ブーム」へ批判を浴びせ、現代のおかしな言葉づかいについても容赦なく糾弾する。
しばらく私のなかで“小林信彦ブーム”は続きそうな気配だ。

■2002/04/16 〈死語〉と〈恥語〉

昨日触れたように、小林信彦さんの言葉、とりわけ東京言葉(東京弁、下町言葉)に関する意識は鋭いもので、私のような東北の田舎者が東京に出てきて、下町を歩き、下町言葉の歯切れのよさを喜び、ついには下町情緒の廃れゆくのを事々しく嘆いてみせたりすることに対して醒めた態度で眺めておられる。

言葉に対する鋭敏な感性は日本語全体に対しても向けられ、アナウンサーの言葉づかいの誤りにも口うるさく指摘する。
『人生は五十一から』(文春文庫)のなかでは、「みっともない語辞典」、および「現代〈恥語〉ノート」1〜3として、小林さんが気のついた日本語の末期症状が書きとめられている。

前者では、「生きざま」「癒し」「温度差」「自分探し」「なにげに」「マッタリした」など。
後者では、「奥が深い」「お宝」「ハミ乳」「半ケツ」「熟女」「立ち上げる」「意外と」「逆ギレ」「こだわり」「つかみ」「パロる」「遺憾に思う」「公的資金」「チンする」「やぶさかでない」ほかたくさんの新語・〈恥語〉が糾弾の俎上に取り上げられている。

小林さんの言葉への「こだわり」ということでいえば、『現代〈死語〉ノート』(岩波新書)という著書もある。
購入してそのまま書棚に突っ込んで読まずにいた同書を久しぶりに手にとって拾い読みする。
本書はタイトルのとおり、今(刊行は97年)では死語となってしまった流行語を、1956年から76年の二十年間、年次順に並べて解説を加えたものである。一番新しい76年はロッキード事件が世間を賑わせた年であり、こんな言葉が並んでいる。

「ピーナッツ」「記憶にございません」「フィクサー」「灰色高官」「みそぎ」

これらの言葉のうち何語かは、このところの永田町の騒ぎで再浮上してきていることは周知のとおり。
私は当時小学生だったのだが、「記憶にございません」などは憶えている。いったん議員辞職しても、次の選挙で当選すれば「みそぎは済んだ」という言い回し(および考え方)は、実にこのときに使われた表現なのであった。

あとがきで小林さんが述べているとおり、本書はまさしく〈死語による現代史(または裏現代史)〉といえる。

■2002/04/17 「ざっかけない」考

小林信彦さんと下町言葉ということでは、以前半自叙伝『和菓子屋の息子―ある自伝的試み』(新潮社→新潮文庫、本書全体の感想は2001/12/25条)を読んで以来気になっていた言葉があった。
それがタイトルに掲げた「ざっかけない」である。

前掲書の第九章「下町ことばのゆるやかな消滅」のなかで小林さんは、池田弥三郎の「久保田文学と下町ことば」という一文を取り上げている。
それによれば、池田さんは久保田万太郎作品を素材に、下町ことばのヴォキャブラリーのわかりにくさを四段階に分けている。
以下のとおり。

1 私(池田)にはほとんど意味がわからないし、同時にそれを(人が)口にのぼせているのを聞いた経験がない語。
2 意味はわかるが聞いた経験はない語。
3 今(1956年)は聞くこともないが、以前は私の周囲の年長者たちが口にしていた語。
4 私自身も時に使うが、今の若い人は使っていない語。

このうち問題の「ざっかけない」は1、すなわち池田弥三郎ですらまったく知らなかった言葉に分類されているとのこと。
しかし―、ということで小林さんは深川出身の宮部みゆきさんがエッセイのなかでこの言葉をごく自然に使っていたのに驚いたことを報告する。

それは、深川飯とはどういうものかという説明のなかで、「きわめてざっかけない丼であります」という一節。
そこで小林さんは「宮部さんは江戸語にも通じていると思われるが、しかし、江東区の自宅では、この言葉が使われているのではないか」と推測する。
小林さんご自身は昔の落語の中でしか耳にしたことがないという。

私もこの一文を読んではじめて「ざっかけない」という言葉を知ったのである。
ところが、この言葉が頭の隅に残っていたせいか、それ以降読んだ本のなかでこの言葉に二回ほど出会ったと記憶している。

そのときにメモでもしておけばよかったのだが、そうしなかったために誰が何の本で使っていたかまではまったく憶えていない。
ただ、二回目はたしか「へえ、こんな(東京っ子でない)人が」と驚いた記憶があるので、堀江敏幸さんだったか、池内紀さんだったか、ああ思い出せないのが悔しい。
いずれにせよ、池田―小林ラインが言うほど珍しく、死滅しかかっている言葉ではないのかもしれないと思ったのだ。

肝心の意味を説明していなかった。
「ざっかけない」とは、『日本国語大辞典(第一版)』によれば「荒々しく粗野である。ざっくばらんである」と説明がある。つまり浅蜊をまぶしてぶっかけ飯風に食す深川飯はそのような荒っぽいものだということだ。
用例は、さすが久保田万太郎の『春泥』より。

およそ野蛮なざッかけないわびしい感じのするものが堆くそこに積まれてあった。

名詞形の「ざっかけなし」になると「荒々しく粗野なこと。また、そういう人」で、用例は近世の洒落本「船頭深話」から。
やはり江戸時代以来の江戸語なのである。

せっかくだからと『日本国語大辞典第二版』も調べてみようと思い立って引いてみた。
説明はそのままなのだが、用例が一つ増えている。それが何と久生十蘭『魔都』なのだ。これには本当にびっくりした。
こうした国語辞典の用例集めがどんなシステムによっているのか知らないけれど、編者や編集者、利用者の誰かが第一版刊行後『魔都』にもこの言葉が使われていることを知って、丁寧にデータ化し、蓄積されていたのである。
文学作品を読んで用例を集める、一見素人には楽しそうに思うのだが、実際はなかなかたいへんな仕事なのだろう。

これまで『日本国語大辞典』は第一に経済的、第二にスペースの事情で、表向きは「第二版なんてそう変わらないさ」という意地で買わないつもりでいたのだが、ひょんなことから第二版をめくってその目新しさを知ったために、買いたくなってしまったではないか。
『魔都』の用例入りに動かされて第二版購入。それもまた一興なるかな。

■2002/04/18 電車本とミステリの相性

小林信彦さんの『人生は五十一から』(文春文庫)のように「電車に乗りたい!」とまで思わせるような本はそうあるわけではない。だから、その次に読む本の選択は結構慎重に行なった。
水準以上に面白い内容の本であっても、前に読んだ本と比べてしまうと色褪せてしまい、面白く感じられないという恐れがあったからだ。

同じレベルで面白そうなエッセイということでは、丸谷才一、山口瞳という書き手の作品も考えた。でもそうなるとまたその次が大変になるかもしれない。
そこでまったく別のジャンル、すなわちミステリで行くことに決めた。
選んだのは、先日の練馬散策で入手した戸川昌子さんの『大いなる幻影』(講談社文庫)である。

本作品はいわずとしれた第8回江戸川乱歩賞受賞作(1962年)であり、そして紹介のときには必ずといっていいほどついて回るのが、同時受賞に佐賀潜『華やかな死体』、落選したのが中井英夫(塔昌夫)『虚無への供物』・天藤真『陽気な容疑者たち』という、乱歩賞史上もっとも選考が激烈をきわめた年であったということである。

さてそうした名高いミステリである『大いなる幻影』であるが、私はこれをミステリということとは別の視点でも読みたいと期して手にとった。
戸川さんがゲスト出演していたテレビ番組「いつみても波瀾万丈」で知ったことだが、本作の舞台となるK女子アパートは、当時戸川さんがお住まいになっていた同潤会大塚女子アパートがモデルとなっているという。
現存はしているが、老朽化のための取り壊し問題が浮上し、それに対して保存運動も起こっている注目の物件である。

要するに、本作を同潤会大塚女子アパートでの生活を描写した作品(もちろんフィクションであることは踏まえなければならないが)として読んでみようということなのであった。

K女子アパートは女性単身者のみ居住が許された共同住宅である。男性が出入りする場合は、一階の事務所で管理人に申告し、腕章を付けたうえでの入館が認められた。
居住者の部屋に臨時に宿泊する人間がいる場合(もちろん男性不可)、名前、居住者との関係や年齢、期間などを帳簿に記入しなければならない。管理人は女性二人が交代で常駐する。

建物は五階建て。フロアごとに居住者のなかから常任委員と月番委員が選ばれて、何か問題が生じたときに委員会が開催される。
現在のマンション管理組合のごときものと理解すればいいだろうか。

『大いなる幻影』はミステリであり、ストーリーは居住者間の複雑な人間関係を媒介に展開していくから、居住者一人一人の人物形象がエキセントリックな味付けになっている。過去に傷をもっていたり、一人部屋にこもって他者との関係を断っているようなミステリアスな一癖あるような人物ばかり。
実際はそう極端ではないのだろうが、先日同潤会大塚女子アパートを見にいったおり、中からまさしく「老嬢」としか言いようがないお婆さんが出てきたことを思い起こして、妙な気分になったのである。

さて作中、上記したような委員会の場面がある。そこで作者は、作中の委員長に次のような言葉を言わせている。

もともと私共女子アパート創立の目的は、女性の社会的地位の向上、私生活(プライバシー)の確立でございました。

そうした理念にもとづいてか、居住者には、元教師、学者の未亡人、音楽家などがいる。
また、委員会に参加した委員は、小学校教員(現役か)、博物館勤務、観光会社勤務、某会社の初代女性課長、福祉事務所勤務などの職業についており、委員長は「区議会の老練速記者で、アパートの中では高給所得者の一人」という設定だ。
いまさらこんなことを言うのも気恥ずかしいが、“自立せるキャリアウーマン”の住むアパートが、K女子アパートであり、ひいては同潤会大塚女子アパートということになるだろう。

ストーリーのなかで文字通りキーの役割を果たすのがアパート各部屋すべてをあけることができる「マスター・キー」である。
どんな役割を果たすのか、ミステリゆえにこれ以上説明するのはひかえるが、このマスター・キーについて、ある興味深い記述にぶつかった。

管理人の話によれば、このアパートが日本で初めてマスター・キーが応用された最初の建物だということであった。たった一つの合鍵というのが、その頃若い女性の独身寮という建物の使用目的とぴったりだったのである。

この記述が事実として同潤会大塚女子アパートが最初のマスター・キー使用の共同住宅だったということに結びつくのかどうか、調べていないからわからないけれど、ここで嘘を書く必然性はないから、あるいは事実なのかもしれない。
同潤会大塚女子アパートの歴史と暮らしを描いた文献として、本作は意外に貴重なものといえるだろう。

ミステリとしても、さすが激戦を制した乱歩賞作品という面白さであった。だいたい、読んでいて思わず惹き込まれ、下車駅を一つ乗り過ごしたいという気持ちにさせられたのだ。
そのうえ帰宅してからも、電車での続きがどうしても気になってそのまま読み継ぎ、結局家で読み終えてしまった。これでは「電車本」の意味がない。

こうした事態に陥らないためにも、電車本は一つ一つが短いエッセイのたぐい(しかも面白ければなおよし)を選び、それがたとえ抜群に面白くとも禁欲的に自宅で読むことはしなかったのだが、たまに良質なミステリでも読んでみるかと心変わりをすれば、たちまちこんな体たらくである。
ミステリは謎の力で読者をひっぱり、電車に乗っている時間を忘れさせてくれるという効用もあるいっぽうで、電車と自宅の読書生活をシームレスにしてしまうという効果もあることがわかった。

■2002/04/19 変わらぬ人、変わらぬ破壊、変わりつづける街

読みながら、この人の「変わらなさ」に驚くばかりだった。この「変わらなさ」というのは、成長がないという意味ではなく、むしろ、若年に身につけた思想を変えない強靭さと言い換えられようか。
小林信彦さんの東京に関するエッセイを集めた新著『昭和の東京、平成の東京』(筑摩書房)を読んでのことである。

本書はタイトルどおり、小林さんが昭和の時代に書いた文章と、平成の最近に書いた文章の二つのパートから成っている。
もっとも古いものは1964年(昭和39)3月の「銀座と私」というエッセイで、実に私が生まれる前の文章だ。それから本書のために書き下ろした文章まで、四十年近くの間にわたって書かれた東京に関するエッセイの集積は、まさに圧巻である。
内容的にも久保田万太郎の作品を取り上げた「小説に現われた東京弁」「映画『流れる』―架空世界の考古学」といった考察的文章もあって、硬軟の均整がとれている。

オリンピックとバブル期の地上げという二つの契機によって破壊された都市東京への見方は、たとえばほぼ同時に文庫化された98年のエッセイ『人生は五十一から』からもうかがえたと思う。
それらの破壊行為を裏づける思想に対する小林さんの批判的まなざしは、一貫して変わらない。

都会というものが土着(うさん臭い言葉だが、いちおう、これを使おう)と対立するものだという発想をすてない限り、東京の奇形的な巨大化は止まるまい。
(…)それでは、都会がふるさとである人間はどうしたらいいのか、ときけば、それはもうあきらめてもらうより仕方がない、という返事がかえってくるだろう。昭和三十年以降、約二十年間の東京及び東京しかふるさとと呼べぬ人々の蹂躙のされ方はそういうものであった。(「静かに暮したい」)

上記の文章は「昭和三十年以降、約二十年間」とあることで、その執筆年代が判明する(74年)のであって、それがなければ最近書かれた文章と言われても納得してしまうのではあるまいか。

東京の街が発展という変わらぬ信念のもとで「破壊」という変化をつづける以上、これからも小林さんは「変わらず」警告を発しつづけるだろう。
そうした人が四十年前からいたにも関わらず、愚かしい破壊が止まないという現実に腹が立ってくる。

■2002/04/22 接近遭遇していたかも

中野翠さんの新著『毎日一人はおもしろい人がいる』(講談社)は、講談社のウェブマガジン“Web現代”に連載された昨年2001年の日記をまとめたものである。

購入の直接の契機は、書友モシキさんによる購入報告であったが、刊行直後に本書を見たときから気にならないでもなかった。
やはり日記スタイルというのが魅力の第一であるし、また、中味もたんなる日記ということではなく、書名にもあるとおり、毎日一人中野さんが注目した人物を取り上げて論じる“ミニ人物時評”的な趣きもあって、こうしたコンセプトにも惹かれたのであった。

中野さんの文章に惹かれるのは、何といってもその歯に衣着せぬ毒舌ぶり、爽快さだ。
そして世の中の人、もの、出来事を見る目の鋭さ。「そうそう、そうなんだよなあ」と深い共感をおぼえる記述から、なるほどそういう見方もあったかと驚かされる指摘まで、楽しく一年の日記を読み終えた。

映画(作品、俳優)に触れた記述については、私はほとんど映画を観ないので正直イメージがつかみにくかった。
ただ、いまモシキさんのサイトなどで面白いと話題になっているような今年の映画(「ヘドウィグ・アンド・アングリーインチ」「マルホランド・ドライブ」)について、試写を観た時点で「来年(つまり2002年)の期待映画」としている点、中野さんとモシキさんに共通の好みというものが透けて見えて面白い。

私の場合は主として本や歌舞伎の記述について、共通する点を発見している。
本で言えば小林清親から『YASUJI東京』や『東京新大橋雨中図』へと広がる関心などが印象に残る。
中野さんが小林清親に注目するようになったきっかけは、去年東京都近代美術館で開催された「水辺のモダン」展だが、この展覧会といい、歌舞伎(歌舞伎座・シアターコクーン)といい、私は中野さんと知らない間に同じ空間にいて、ひょっとしたらすれ違っていることがあるのかもしれない。
中野さんは月島辺にお住まいで、買い物のために銀座に出てくることが多いから、銀座での出来事がしばしばこの日記に書きとめられている。
銀座に出かけるときにはいつも注意してみようかと思うのであった。

■2002/04/23 道具屋の小上がりで知る浮世

新潟市にあるとある骨董屋。その東南隅にある三畳の小上がりにゆえあって片膝立てて座っている齢八十の老翁。
小黒昌一『尚古堂春秋』(作品社)の主人公今関悟堂その人である。

『尚古堂春秋』の著者小黒昌一さんは早稲田大学文学部の英文学の先生。となると思い出されるのは同じ立場だった小沼丹さんのこと。小説の帯にある惹句には「骨董屋主人=今関悟堂の飄々たる人生、その日常と交遊を通して温かくもおおらかな生の原型を描く」とある。
全十六篇の連作短篇集であり、中味をパラパラと見てみると、会話は「――」によって表現されている。いよいよもって小沼さんを連想するではないか。
また、「飄々」ということでいえば、思い浮かべるのは木山捷平さん。小沼・木山といった好きな二人を連想させてくれるということであれば、期待しないわけにはいかない。

ところが読んでみて、これは過度にしてかつ方向性を誤った期待だったと反省した。
いや、つまらなかったわけではない。小沼・木山作品とは質的にがらりと異なった作風ゆえに、簡単にくらべることはできないことに気づいたのだ。
骨董屋の主人と彼らの友人・知人や店を訪れる客との間で交わされる、作りこんで凝りに凝ったともいうべき閑雅な会話、そこから浮かび上がるゆるやかな人間関係。
たとえばこんな一節(「十一坪の春」)。

――冷めた紅茶も気付け薬にはよろしいようで。
――ごもっとも。
茶を注ぎ替えながら傍らの丸い罐から取り出したものを相槌を打つ文吉さんに勧めて、
――お茶うけにお一つどうぞ。
――おや、これはまた懐かしいものを……。それでは遠慮なくいただきます。

正座をして背筋を伸ばし、渋いお茶を啜りながら煎餅をポリポリと齧って、乾いた指でさらっとページをめくって読み進める。
そんな“読書の風景”が似合ってしまいそうな一品で、「家族の崩壊」とか何とかいうテーマが流行りの昨今の文壇とは一線を画す趣きを持った小説集である。
ちなみに本日のタイトルは同じく帯の惹句よりの引用である。

■2002/04/25 「流れる」予習の記

先週NHKのBS2で成瀬巳喜男監督の名作「流れる」が放映されるというので、知人に頼んで録画してもらった(わが家はBSは見ることができるがビデオ録画できない)。
さて週末にゆっくり見ようかと楽しみにしていたところ、原作を読んでから映画を見るのが筋だろうという考えが突如として沸き起こり、それを実行に移した。

どうやら、このところ毎月定期購入している『幸田文全集』(岩波書店)を撫でさすりながら、「幸田作品を何でもいいから読みたいなあ」と思っていたことが一因らしい。
『流れる』は新潮文庫版も持っているけれど、もちろん旧かなづかい、精興社の活字による全集版で読み始めた。幸田文さんの作品は文庫はほぼ持っており、上述のように全集も購入しておきながら、読んだのはエッセイばかりで小説作品はまだ実は読んでいなかったので、この「流れる」が初めての小説読破となった。

本作は文さんの実体験をもとにしているという。父露伴没後に執筆した「父」「こんなこと」などの回想記が文壇に受け入れられて、四十歳過ぎにして一躍“物書き稼業”に転じた文さんだったが、行き詰まりを感じたすえに家を離れ、柳橋の芸者置屋に女中として住み込み心機一転をはかった。
その経験により生み出されたのが代表作「流れる」というわけである。

この文さんの突然の休筆・出奔、そして「流れる」執筆には、様々な憶測が飛び交っていたようだ。つまり芸者置屋への逼塞は「流れる」の取材目的であるのではないかということ。長編取材という明確な目的をもっての意図的な出奔説である。
もっともこの説を文さんご自身は否定している。
芸者置屋での生活はあくまで心機一転のためで、そこでの体験が結果的に長編に結実したにすぎないという弁明である。果たしてこの「謎」はどちらが正しいのか。
まあ読む立場にとってみればどちらでもいい問題ではある。

さてこの「流れる」は、普通の家庭の主婦であった主人公が、ある零落しかかっている芸者置屋に女中として身を寄せながら、そこに展開する置屋の主人とその家族、芸妓といった主に女性たちの暮らしぶりや人間関係を描いた作品である。
端的にいえば、素人の中年女性からみた花柳界という玄人の世界というのがモチーフとなっているだろう。

いまや花柳界自体がきわめて特殊な限られた存在となって馴染みが薄いため、この素人/玄人という構図は一見鮮明そうに見え、素人と花柳界とのギャップを描いた作品として重宝されることになるのかもしれない。私もそうした認識で読み進めていた。
しかし、この作品が書かれた当時はまだ花柳界が東京の下町という空間にある程度根ざしたものとしてあり、それが前提となっての素人/玄人関係なのである。
これは素人と玄人の垣根が今より低かったという単純な問題ではなく、社会生活(しきたりなどの習俗も含む)を通しての感覚的な肌合いの差異を描いた作品としてとらえられるべきものなのかもしれない。ここに描かれる花柳界は、物珍しさや郷愁といった感覚からは無縁である。

さりながら、文さんご自身をモデルにしたとおぼしき、万事テキパキと物事をすすめ、目配りも広くて観察力がある主人公(冷静に考えれば、こうした設定をすることにある種の特権的な意識がうかがえないでもないが)を通して描かれた芸者置屋、ひいては花柳界の姿は私にとって新鮮であった。
登場人物の間で交わされる下町言葉、あるいは花柳界の隠語、そしてそこから立ち上るある種の特殊な雰囲気。男性作家には表現できないような女性の細やかな観察眼、生理的感覚というものがにじみ出る文体は、私がこれまで読んだことのないような小説の文体であり、舞台であった。
そこに面白味を感ずる。

ところでやはりこの作品にも例の「ざっかけない」の用例(4/17条参照)を発見した。

つめたいコロッケは脂臭く葱臭くざつかけない味がするけれど、もし揚げたてなら葱臭さはうまさうに匂ふし、脂は実際うまくもある。(岩波書店版全集第五巻、103頁)

東京ことばの書き手としての幸田文さんは定評があるから、文さんの残した厖大な作品群にこの用例が見えないほうがおかしいのかもしれない。
ただ、「ざっかけない」を調べるにあたって、池田弥三郎氏の分類に従って幸田文の「父」「こんなこと」「ちぎれ雲」の三随筆から東京ことばの用例を拾い出した林えり子さんの「東京っ子ことばの親玉は幸田文」という一文(林えり子『東京っ子ことば抄』新潮社所収)を参照したのだが、そこには見つけることができなかったのであった。
また上記引用文中の「ざっかけない」には傍点がふられていて、作者としてそのように強調せねば読者に伝わりにくいと感じていたふしも見られる。
珍しい語彙とはいえ、東京ことばを多用する作家の作品にはまま見られる言葉であり、それは決して死滅した言葉ではないことを再確認した。

念のため付け加えれば、正岡容『明治東京風俗語事典』(ちくま学芸文庫)にも「ざっかけない」は見えない。
これは珍しい言葉ゆえなのか、当たり前に当時も使用されていて事典で説明する必要性がなかったゆえなのか、いずれとも判断しがたい。

■2002/04/26 小泉今日子好き

小林信彦さんの「人生は五十一から」の最新シリーズ『物情騒然。』(文藝春秋)を読み終えたのだが、その直前に文庫に入って面白く読んだ(4/15条参照)第一集『人生は五十一から』(文春文庫)とくらべて、どうも重苦しい。

これは、第一集が書かれた98年と、最新刊の2001年の世相の違いでもあろう。去年は日本では不況、海外では同時多発テロ(そしてアフガン爆撃)など暗い話題が多かったし、古今亭志ん朝師匠の死もあった。小林さんにとってこの志ん朝師の死は「江戸言葉、江戸文化の消滅」という大事件として受け止められている。
このような敬愛する人の死を悼む文章の書き手という意味で、ひそかに私は「人生は五十一から」を山口瞳さんの「男性自身」の衣鉢を継ぐものと思っていたのだが、正直言って失速感を感じたのは否めない。

ただ、嫌いなことを批判的に述べる部分ではなく、好きなこと(人)について触れられた文章には相変わらず面白味を感じることができる。たとえば小泉今日子ファンぶりを吐露したコイズミ論「小泉今日子を追いかけて」
「小泉今日子はいちがいに〈うまい〉とはいいきれないが、スターとしての華があり、自然体の動きにきれがある」と賛辞を贈っている。

たしかに小泉今日子はいいと私も思う。と個人的な好悪を言う前に、あの時期のアイドルでいまだにこのようなカリスマ的な人気を保っているのは彼女一人だろう。
あの中野翠さんも『毎日一人はおもしろい人がいる』(講談社)のなかで「コイズミ・フォーエヴァー」と小泉今日子ファンであることを告白していたっけ。

もう一度私のことに戻れば、私は彼女の主演ドラマで「まだ恋ははじまらない」(フジ)だけが妙に印象に残っている。ストーリーの詳細は忘れてしまったのだが、筋が面白くて毎週見ていたなあという「いい思い出」の残滓が頭にあるのだ。
憶えているのは、西村雅彦のナレーション(と最終回での出演)、相手役の中井貴一、バツ一倶楽部、そして若き日の竹野内豊が小泉今日子の年下の恋人役で出ていたことくらい。
ネット検索してみるとこの他常盤貴子、草g剛も出ていたというのだが、全然憶えていない。このときのキョンキョンは良かった、ただそうした漠然たる印象のみなのであった。

■2002/04/29 細部への陶酔、あるいは細部の勝利

二分冊で文庫化された井上ひさしさんの『東京セブンローズ』(文春文庫)の上巻(519頁)をまず読み終えた。
単行本で購入した時にも本書には大きな期待を抱いていたけれども、その大冊ぶりに恐れをなし、長期の休みのときに読もうと期しながら伸ばし伸ばしになったすえ積読状態のまま、結局は文庫化されてしまったのであった。

もとより一冊として刊行された作品であって、文庫化にあたり便宜的に二冊に分けられたに過ぎないから、感想を書くのであれば上下ともに読み終えた時にすべきだとは思う。
しかしこの上巻だけでも書きたいことがたくさんあるし、また、下巻を読む前に上巻を読んだだけでの感想を書いておき、下巻を読んでその感想(そして下巻への期待)が変わるかどうか楽しむのも読者に許された特権、読者だけが味わえる愉しみだろう。

さて本書上巻を読んで次のような点で驚倒された。第一に小説(フィクション)としての仕掛け、第二に叙述スタイル、第三に小説のいたるところに配置された戦中戦後風俗の細部描写である。

この作品は、東京は根津宮永町の団扇屋の主人中山信介の日記というスタイルをとる。
日記は昭和20年4月25日の記事から突如として始まる。千住の長女の嫁ぎ先に結納品を収めたというとくに珍しいとはいえない(戦中生活の記事という意味で)内容だ。
作品がはじまる記事が日記のつけ始めというわけではない。後の記事中で、主人公はそれ以前からもこまめに日記をつけていたという記述があるから、建前としては、残された日記のうちこの日付の記事から抜粋したというスタイルをとるということになるだろう。
ではなぜこの日付からなのか、上巻を読んだかぎりでは明らかではない。下巻を読んだらわかるのか、これも判然としない。

すでにこの時点で3月10日のいわゆる東京大空襲、下町の過半を焼失させた大空襲からひと月が経過し、東京の下町地域では深刻な衣食住の不都合が生じていた。戦局はもちろん敗色濃厚で、国民もうすうすそれを感じている。

この終戦をはさんだ微妙な時期設定の妙(上巻の最終日付は10月18日と終戦約二ヶ月後)。
まあこの作品はもともと戦後に英語を国語化しようとする進駐軍の政策に立ち向かった女性たちを描くというのがメインテーマだから、この時期設定は必然的なのだが、次に述べる舞台設定の妙と合わせると、まことに考え抜かれた時期設定ではないかと驚いてしまう。

舞台設定というのは、主人公の住まいを根津にしたこと。
根津は戦災を免れた町であり、だからこそそこに住まって戦中戦後を見通せる主人公が生かせる。根津が爆撃を受けない理由については、作中人びとの噂話としてこんな話が書きとめられている。

敵はこの戦さに勝つたと思つてゐる。そこで金では買へない、貴重品を焼くまいと心掛けてゐる。この東京で、さういふ貴重品がかたまつてあるのはどこか。まづ東京帝国大学である。帝大の図書館と文学部史料編纂所書庫はわが帝国最大の宝物蔵の一つだ。赤門も貴重である。また上野のお山には帝室御物博物館と帝国美術学校美術館がある。それから寛永寺五重塔に将軍家廟所。つまり上野のお山も宝のお山、敵は絶対に焼夷弾を落さない。したがつてその中間の根津界隈はわが帝国で最も安全な場所の一つ。(5/26条、198頁、原文は正字、以下の引用も同じ)

さらに驚いてしまったのは、主人公の性格設定に起因する叙述上の仕掛け。
戦局に一家言をもった「反戦」的考え方を持たせ、それが原因で主人公の身辺にある「事件」が起きて突如として日記に空白期間が生じてしまう。
事件の中味や空白期間については、小説的興味を減じさせないためにも、ここでは触れない。
そしてこの空白期間に、主人公の家庭においても大きな変化が起きていた。主人公の日記という一つの視点、一つの媒体に叙述のポイントを限定したことが、物語に奥行きをもたせている。

手放しで賞賛をおくりたいのがその微細な庶民生活の描写である。ごく普通の庶民生活というのは簡単だが、当時の人びとが見聞した一々を克明に紙の上に再現するという離れ業は、その背後にある資料の渉猟と消化を思えば想像を絶するものだ。
たとえばこんな何気ない記述。駒込郵便局が空襲で焼け、浅嘉町にできた仮局に主人公が積立貯金をおろしにいったという日記記載のなかの一節だ。

疲れ切つて家に戻ると絹子(※主人公の長女―引用者注)が、
「あら、こんなところに血が付いてゐるわ」
と濡らした手拭で国民服の左肘のあたりを拭いてくれた。見ると血ではなく、朱肉である。さういへば仮局の壁に、
「印章ヲ亡失セル者ニハ拇印ノ使用ヲ許ス」
と記した紙が貼り出してあつた。きつと罹災者の赤い拇指がこの左肘に触れたのだらう。(5/2条、43頁)

読み飛ばしかねないほどの日常の些事だが、この時期の郵便事情、および貼紙の事実、またそれによって生じた服に朱肉をつけた人の増加、そんな「史実」を知らなければ書けないのではないか。
それともこれは「小説家的想像力」なのだろうか。

もう一つ。5/8条では、闇運送屋を主人公が始めるにあたり、オート三輪車を売ってくれた取手の酒造店におもむき、さらに夜は茨城下妻の妻の実家に一泊した夜のこと、彼は義父がラジオで徳川夢声の「物語姿三四郎」に耳を傾けている姿を書きとどめる(81頁)。
この日にそうしたラジオ番組があったことを知らなければ書けない「事実」である。
むろんこのようなことであれば、ラジオ局なりにそれを流した資料が残っているだろう(当時の新聞にラジオ番組欄はあるのかわからない)。
それを調べれば簡単にわかることなのだが、そうした調査という作者の行為をさりげない日常の一齣として放り込んでしまう井上さんの「史実」の大盤振る舞いに眩暈をおぼえずにはおれない。
それら細部の積み重ねを思うと、ここに書かれてあることがあたかもすべて「史実」であるかのように錯覚させられる。

この錯覚からがらり「小説」という現実に引き戻させる仕掛けも素晴らしい。
闇運送屋行為を町会長に知られた主人公は、町会長から町会所の屎尿を江戸川西岸の柴又や金町の農家に運ぶよう命じられる。
最終便を運び終えた金町でオート三輪を洗っていると、国民学校二年生くらいの「いやに角張つた下駄のやうな顔をしてゐる」男の子に声をかけられる。
彼は背中に二歳ぐらいのおかっぱ頭の女の子をおぶっていた。

話の流れで主人公は、男の子より乾燥芋を買わないかと持ちかけられた。その口上が奮っている。

妹と二人で伯父(をい)ちやんとこに居候してゐる。(…)伯父ちやんがね、自分とこ用に作つたやつだから、そこいらの乾燥芋とイモが違ふよ。厚くて、柔かくて、ぷわーつと白粉吹いちやつて、そりやあ美味しいんだ。五枚入つて二円、といひたいところだけど一円五十銭でどうだ。さあ、持つてけ、泥棒。(5/23条、188頁)

憎めない愛嬌のよさについ買ってやる気がおきた。このお金をどうするのかと聞いたら、夏休みにぶらっと大阪まで行くための汽車賃にするという。
このご時世、大阪にぶらっとなんか行けないと諭したら、こんな悟ったような返事がかえってきた。

なんとかなるんぢやないかな。だいたい葛飾と大阪は地つづきなんだしさ。

妹がぐずったら「こら、さくら、題経寺の御前様に噛み噛みしてもらふよ」と泣き止ませるという話まで来て、ようやくこの少年の正体を知って、笑ってしまった。
題経寺の俗名は柴又帝釈天といえば、もうこの兄妹の大人になった姿が浮かんでくるだろう。

井上さんは主人公に「あのやうに逞しい少年が一人でもゐる限り、帝国がこの先いかなる苦難に直面しようとも、その未来に光明の失はれることは断じてないのである」とつづらせているのもおかしい。
細部へのこだわりによって作品を史実の堆積であると見せかけておきながら、そのなかにさりげなくフィクションを織り込んで単純な史実の堆積であることを拒否する。
フィクションの存在を知ることが小説を読む愉しみを増幅させ、また、小説のなかに史実を堆積させることの難しさを知らしめる。
上巻だけでもう「まいりました」といってしまいたい。

■2002/04/30 再放送リクエスト

言葉に対する鋭い感覚を持つ作家ということでいえば、小林信彦さんもそうだが、井上ひさしさんもまたそのなかに入れるべき人だろう。ひところは私も井上さんの日本語に関するエッセイ集をむさぼるように読んだものだが、最近少し離れていた。
たまたま昨日書いた『東京セブンローズ』と同じ月に、同じ著者の傑作戯曲『國語元年』も文庫化されたので(中公文庫)、これまた購入して読んだ。

下巻に手をつけていないので不正確かもしれないが、『東京セブンローズ』も英語/日本語という言語をテーマにした小説である。
叙述スタイルをとっても、当時の日記に仮託しているゆえに正字旧かなというもので、ここからも言葉に注意を払った(あるいは読者に対して言葉に対する注意を喚起する)小説であることは明白である。

『國語元年』は、明治維新直後の明治七年、維新政府という統一された近代的政府のもと、新首都東京に集住することになったさまざまな地方の人びとが直面した言葉の意思疎通の困難、要は訛の是正と共通口語の創出という問題を喜劇的な味付けでドラマに仕立て、日本語ひいては言語という大問題を見通そうという壮大な作品である。

舞台は「全国統一話言葉」制定を命じられた文部官僚・旧長州藩士南郷清之輔の屋敷。清之輔は婿で、舅と妻は薩摩、女中頭は江戸山の手、女中二人は江戸下町、使用人は津軽に遠野、書生は名古屋という多様な言葉が飛び交うなかに、バリバリの山形弁を駆使する米沢のお寺の娘ふみが女中奉公のために住みこむところからドラマは始まる。
彼女ふみが郷里の両親に宛てた書簡がドラマの狂言回し的役割を負う。以上の面々だけでもたいへんだが、そこに国学教師を自認して居候を決め込む京都公家の末裔や会津の強盗がからんで、言葉をめぐる面白おかしなドラマが展開する。

清之輔が考案した「全国統一話言葉」の素案が完成しては一家で喜び、崩されては悲嘆にくれるといった過程のなかで、日本語における多様な言葉づかいの存在が際立たせられ、さらに文法を考えることの困難、はてはシニフィアンとシニフィエといった記号論的な問題にまで議論は発展してゆく。

明治政府の言語政策が共通口語を作らんとする急進策から、現状をそのまま見守ろうという保守的立場へと転換するわずか半年足らずの期間に的を絞って、いかにも維新直後にはこうした士族の家があっただろうという、けっして突飛ではない人的構成の家を仮構し、きわめて特殊具体的歴史的な言葉をめぐる軋轢を描くなかで普遍的な言語の問題を見通す。
井上さんの創作術には舌を巻くほかない。

本作が最初にNHKでドラマ化されたときの主な配役はつぎのとおり。

南郷清之輔(主人)=川谷拓三…いかにも気弱そうな婿という印象にぴったり。
南郷重左衛門(舅)=浜村純…この人に頑固な薩摩隼人の爺さんを演じさせたのか。
南郷光(妻)=ちあきなおみ
秋山加津(女中頭)=山岡久乃…なるほど山の手言葉を使いピシャリと物を申す折り目正しき女性というイメージ
高橋たね(女中)=賀原夏子…たしかに下町言葉で台所を牛耳る女中という雰囲気だ
御田ちよ(女中)=島田加穂…この人も下町娘。のちに吉原の花魁になる役。
築館弥平(車夫)=名古屋章…もっさりとした印象の遠野弁つかい
大竹ふみ(主人公)=石田えり…彼女がズーズー弁を使う姿を想像してみると…
裏辻芝亭公民(公家)=すまけい…この人のお公家さんの役って、きっと面白いのだろうなあ
若林虎三郎(強盗)=佐藤慶…会津弁で深遠な言語論をぶつ男。この話で重要な役割を担う人物であると思うので、佐藤慶には適役かもしれない

本書の冒頭に登場人物紹介としてこの配役も注記されていたので、戯曲を読むにあたってイメージが沸きやすかった。
そういえば先日米沢に出張に行ったとき、米沢や井上さんの故郷川西町でこの「國語元年」が上演されるというポスターを見かけたことを思い出した。たしか同時期に東京でも紀伊國屋ホールで上演していたはずだ。
いま考えるとまったく惜しいことをした。

井上さんはあとがきで、「テレビドラマの『國語元年』をご覧になりたいとお思いの読者はご面倒でもNHKに「再放映せよ」と葉書をお出しください。じつは私も一年に一通ぐらいは葉書を出しているのですが、作者の申し出は、むろん無効」と書いている。
私もリクエスト葉書を出そうかな。