読前読後2001年11月


■2001/11/01 町は人を生み、人は町を生む

丸谷才一・山崎正和両氏の対談『日本の町』(文春文庫)は、お読みになったまわりの方々皆が絶賛するのがよくわかった。話題豊富、きわめて刺激的で、取り上げられた町々に旅したくなる気分にさせられるのである。

二人の間にどんな話題を放り投げても巧妙に料理してしまうのではないかと思わせる知識の深さに舌を巻き、ある小さな観察を取っかかりに、大きな問題に対する仮説を組み立てるといった「頭を使うことの愉楽」に惚れ惚れしてしまった。
自らの立てた仮説が見当はずれでも、また崩してもう一度別のものを組み上げればいい、とりあえず提起して議論の俎上にのせてみよう、そんな気概に満ちている。
仮説の当否は二の次で、ともかくそれを組み立てる過程が大事で、それを楽しくやるにこしたことはない。

取り上げられている町は、金沢・小樽・宇和島・長崎・西宮/芦屋・弘前・松江・東京の八箇所。
これらそれぞれ毛色の違った町について語るさいに共通した解釈の切り口とされているのが、その町の出身者(主に文人)である。
東京を除いて例示すると、金沢=鏡花・犀星・中野重治・鈴木大拙・西田幾太郎、小樽=小林多喜二・伊藤整、宇和島=大和田建樹・松根東洋城・中野逍遥・児島惟謙、長崎=福地桜痴・佐多稲子・山本健吉、西宮・芦屋(大阪)=伊東静雄・川端康成・森本薫、弘前=棟方志功・今東光・今日出海、松江=入沢康雄、等々である。

彼ら出身者の最大公約数から町の性格や風土を大胆に規定し、逆に町の雰囲気から出身者の性格を類推する。
常套的といってしまえばそれまでだが、その結びつけ方が意表をついているから、マンネリに堕していない。

取り上げられている町のラインナップが全般的にマイナー指向で、そこに大メジャーの東京が突然入っているというおかしな取り合わせに、正直いって当初はあまり読む気が起こらなかった。
ところが実際読んで、「江戸は東北の端」であり「京都は北陸の端」だという二大都市を相対化する見方に出くわしてみると、マイナー指向という第一印象がくるっとひっくり返って至極妥当かつ絶妙な選択であることに気づき、あらためて目次を眺めて賛嘆するしかないのである。

■2001/11/02 対談からエッセイへ

先日も書いた(10/28・29条)種村季弘さんの新刊『東京迷宮考 種村季弘対談集』(青土社)のなかで、こんな一節にも目が止まった。

種村:前にね、ぼく「三時間失踪術」っていうエッセイ書いたことあるのね。勤めていた頃の話なんですが、勤め帰りに家にまっすぐ帰らないで、三時間だけ全然知らないところにね、自分の家と反対の方向でもいいし、行き過ぎてもいいけれども、途中下車するっという趣味があったわけです。(川本三郎さんとの対談「路地の博物誌」43頁)

「ああ、たしかに読んだ記憶があるなあ、あれは何の本に収められていたっけ」と一番最初に思いついた本を書棚の“種村コーナー”から引っぱり出して見たものの、そこには見当たらなかった。

こういうときには、書友やっきさんのサイト“我楽多本舗”中の種村さんの書誌情報のデータベース“ウェブ・ラビリントス”の存在がありがたい。
するとたちどころに見つかった。『晴浴雨浴日記』(河出書房新社)に収録されていたのだった。

「東京三時間失踪術」と改題された同エッセイによれば、現代の東京だからこそ可能な三時間だけの失踪、隠遁によって味わえる故郷がないという空洞感は、「東京人だけが東京で味わえる感情」なのだという。
私は東京に住んではいるが「東京人」ではないので、根無し草的な空洞感をそっくりそのまま共有しているということにはならない。
しかし世間的な縁をほんのいっときだけ断ち切って、自分を知る者などほとんどいない場所をぶらぶらと訪ね歩く、そんな行為が嫌いではない。
というよりも、その楽しみを東京に来てから知った。私のような地方人ですら、東京に移り住めばこのような気分になりたいと思うのである。そこが何ともいえない都市東京の魅力なのだろう。

もっとも種村さんは前記対談のなかで、どこに行っても同じような駅前の風景で面白くなくなったと嘆いておられる。
たしかにそうかもしれないけれど、そこから微妙な違いを感じ取ることができたとき、喜びはいや増しに増すのではあるまいか。

■2001/11/03 エッセイからアンソロジーへ

種村季弘さんのエッセイ「東京三時間失踪術」のタイトルを見て、これに入っているのではないかと一番最初に思い浮かべた書物は、種村さん編集にかかるアンソロジー『放浪旅読本』(光文社)であった。
このなかにご自分の文章も収めていないかと思ったのだ。予想は外れたけれど、久しぶりに手にとったので、この本が含まれているシリーズ“「光る話」の花束”の話を書きたい。

たしかこの光文社の叢書は、刊行されたとき、筑摩書房が売り出して一時出版界の話題になったアンソロジーシリーズ“文学の森”の二番煎じという評価を受けていたのではなかろうか。
筑摩のシリーズの華やかな評判にくらべ、「いつの間にかこんな叢書も出ていたのか」とだいぶあとになって知ったように記憶している。

このシリーズは全10冊で、以下のような構成になっている。

(1)筒井康隆編『夢探偵』
(2)種村季弘編『放浪旅読本』
(3)山田詠美編『せつない話』
(4)青木雨彦編『会社万葉集』
(5)荒俣宏編『大都会隠居術』
(6)立松和平編『わたしの海彦山彦』
(7)池田満寿夫編『私の大学』
(8)加藤幸子編『子どもの発見』
(9)佐佐木幸綱編『肉親に書かずにいられなかった手紙』
(10)田辺聖子編『わがひそかなる楽しみ』

十人の編者はいずれも超一流揃いであるが、全体的に一見してパッとしないテーマ構成ゆえ、筑摩の二番煎じという評価は否めない。
一番売れたのが山田詠美さんの(3)だろう。
文庫化されたうえ、この第二集も編まれたはずだからだ。
しかし、私でなくても本好きの人であれば興味を惹かれるのは、(1)(2)(5)なのではなかろうか。
私は(1)(2)を古本で購入し、その後(5)はそのまま文庫化された(光文社文庫、96年)ものを入手した。
他の本の中味はまったく知らないから当てにならないのだが、この三冊のアンソロジーは抜群に面白く、かつ古びていない。

種村さんの編著(2)に文章が収められている作家は以下のとおり。

萩原朔太郎・森敦・結城昌治・村上善男・高田宏・向田邦子・坂口安吾・武田百合子・辻まこと・駒田進二・長谷川伸・色川武大・島尾敏雄・森川哲郎・子母澤寛・野尻抱影・金子光晴・高木護・添田唖蝉坊・幸田露伴・高橋新吉・宮本常一・多田等親・土方久功・柳田國男・清岡卓行・大谷利彦・堀口九萬一・細川周平・南方熊楠

以上の面々から面白さが想像できるというものだ。
このさい勢いで筒井さん編著の(1)のメンバーも書いてしまおう。

内田百間・清岡卓行・武田百合子・星新一・安部公房・澁澤龍彦・小泉八雲・筒井康隆・吉行淳之介・島尾敏雄・石川淳・八木義徳・半村良・色川武大・横尾忠則・正木ひろし

(2)にも登場する人がけっこういる。
荒俣さん編著の(5)となるとさらにバラエティに富んでいて、すべての構成を紹介すると煩雑になってしまうので、主要な人だけ。

大岡昇平・安藤鶴夫・谷崎潤一郎・江戸川乱歩・内田百間・幸田露伴・宇野浩二・永井荷風・稲垣足穂…

こんな楽しいアンソロジーシリーズが忘れ去られてしまうのはもったいないので、つい紹介に力が入ってしまった。
種村さんの話に戻れば、種村さんといえば、『東京百話』(ちくま文庫)などに代表される稀代のアンソロジストであるともいえる。
いま座右にある同書三冊を取り出してめくってみて、賛嘆するほかないセレクトに、所有する喜びを感じさせられた。
アンソロジーを編むことは、たくさんの本を読みこなさないかぎり不可能事である。対談のなかでも種村さんの口から次々と繰り出される文学作品の波に、根っからのアンソロジストたることを確認するのであった。

■2001/11/04 本読みのモチベーション

掲示板のほうで10月25日に新刊・古書を問わず本の不買宣言を行なった。
ところが昨日その禁を破ってしまった。三日坊主ならぬ“一週間坊主”である。
まあ一週間もったのだからよしとしよう。それに臨時収入もあったことだから。

我慢して本を買わずにいた一週間の間、わが読書生活にちょっとした異変が起こった。読書がなかなか進まないのである。
週末以外は読む時間が限られているから、進まないのもある意味当然なのだが、それにしてもにわかに歩みが遅くなってしまった。読書意欲の減退である。

つらつら考えるに、やはりこれは本を買わなくなったのが第一の原因だという結論を得るにいたった。
なぜ本を買わないことが読書意欲の減退につながるのか。

新刊・古書を問わず、ある本を買うということは、その買った本を読みたいから買うのである。
むろん本によって読みたさの度合いが違うし、すぐに読まずとも、とりあえず手元に置いておきたい本というのもある。しかしたいていは買ってすぐにでも読みたい本ばかりなのだ。

ところが買ったとしてもそのとき読書中の本があれば、帰宅後すぐに手をつけることができない。
だから、次の本の読みたさにいま読んでいる本を早く読み終えようとするのである。
本読みのモチベーションは本買いにあり。

これには「お前は並行的に何冊も本を読んでいるではないか」という反論もあろう。
いくら自宅でゆっくり読む本、自宅で時間のないときに読める本、電車で読む本などと状況によって読み分けて並行的に数冊の本を読んでいるとはいっても、結局は次の本読みたさの力が我慢の限界に達して、別の口実をつけて読み始めているのに過ぎないのかもしれない。

買った本を途中で投げ出さずに楽しく読み終えることができればそれが一番なのだ。
並行的に何冊もの本を読もうと、読む本を一冊に限ろうと、それは読む方の勝手。本が読者を選ぶことはできない。
あくまで私の場合にかぎるが、本を読む快楽の裏には常に本を買う快楽が原動力としてある。哀れむべきか。
だから図書館本は読めないのかもしれない。

■2001/11/05 不思議な物語

なぜ購入してからひと月半もの間、こんな楽しい本を放っておいたのだろう。
クラフト・エヴィング商會の吉田篤弘さんの短篇集『フィンガーボウルの話のつづき』(新潮社)を手にとって読み始めたところ、その不思議な魅力に惹かれて一気に読み終えてしまった。

この短篇集は長短16の短篇からなる連作短篇集であるが、ある登場人物が一貫して登場するような続き物ともいえない。
ただ、ある物書きの男と、彼の横浜野毛での飲み友達である博学のゴンベン先生の二人を主要な登場人物としてあげることができる。しかしそれにしても彼ら二人が全編に登場するわけではない。
冒頭の短篇が「世界の果てにある小さな食堂の物語」であり、物書きの男は、その物語を構想しようと苦心しているという構図がまずある。
男はゴンベン先生に、その構想を話す。男の構想は、その食堂で使われるフィンガーボウルを『吾輩は猫である』の猫に見立てて、フィンガーボウルに満たされた水に手をひたした人物の物語の集積というものであった。

その後脈絡のない別々の物語が続くので、一見その構想どおりに展開された枠物語の形式かと得心するが、いっぽうで、ビートルズの通称「ホワイトアルバム」が各編(といってもこれも全編ではない)の枠を突き破り、物語のキーワードとして登場する。
このホワイトアルバムは、一枚一枚のジャケットにシリアルナンバーが打たれており、各短篇の章扉にもそれとおぼしき番号が記されている。
この番号が物語の内容と結びついているとわかるものもあれば、なぜこの数字なのか、さっぱりわからないものもある。

さらに混乱させるのは、レインコート博物館という外国にあるとおぼしき施設の存在。
世界の果ての食堂、ホワイトアルバム、レインコート…。
それら各編に散りばめられたキーワードがあたかもアトランダムに配置したかのようにつながっては途切れて、物語の迷宮をつくりだしている。

タイトルにある「フィンガーボウルの話のつづき」というエピソードは、テレビドラマ「古畑任三郎」に登場する「赤い洗面器の男」のエピソードに似て、謎をはらんだまま解決するでもなし、それを理解したからといって作品全体がわかるわけでもなし。

何とも要領を得ない感想になってしまったが、そういう不思議な作品であることは間違いはない。

■2001/11/07 一切のものに属さず

嵐山光三郎さんによると、深沢七郎は人の好悪に関するスイッチの切り替えが瞬間的で、つい先ほどまで喜んで受け入れていた人間が自分の気に入らない行為をやったとたん、見る目が曇って一瞬のうちに人が変わり、出入り禁止の宣告が言い渡されるのだそうだ。
逆鱗に触れるとはまさにこのことだろう。
嵐山さんの表現を借りれば、「斬り捨てられる」のである。

嵐山光三郎さんの『桃仙人』(ちくま文庫)は、「小説深沢七郎」という副題がついた評伝的小説である。
深沢七郎が「風流夢譚事件」によって放浪を余儀なくされ、ようやく落ち着いた先である埼玉のラブミー農場を訪ね、彼の弟子的存在となって以来、十数年後に「斬り捨てられる」日を経て、その後許されないまま深沢の死を迎えるまでの、深沢七郎との交遊録でもある。

「解説にかえて」巻末に掲載されている嵐山×赤瀬川原平対談で、作品中でも語られている服の選び方に関するこんなエピソードが披露されている。

嵐山:たとえば深沢さんが歩いてて、服を見るでしょう。それで「いい服だねえ」と言って、服屋の前で立ち止まったりするけれども、その服は全然いい服じゃない。(…)一切のものに属さない泥臭い服なんだよ。(…)田舎の洋品店にあるような縞模様で茶色で……いいとも言わない、悪いとも言わない、評価されていない、一切の評価から離れて、そのへんにブワッと浮いている、そういう物がいいって言うんだよ。

ここで語られているような服の選び方にまつわる深沢七郎のセンス、あるいはスタンスのあり方はとても興味深い。
こうした深沢の「一切のものに属さない」という感覚は、思想・信条の面でもよくあらわれている。

本書の最初のほうで、深沢邸へ出入りするさいの禁止事項が十六条紹介されている。これを破ると、先に触れたように「斬り捨てられる」羽目になるのである。
さてこのなかで、第六項目に「左翼をほめない」、第七項目に「風流夢譚事件を話題にしない」という項目があげられている。

いうまでもなく風流夢譚事件によって深沢は右翼に狙われ、彼らから逃げ回らなければならなかった。
ようやく腰を落ち着けたラブミー農場でも、扉を堅く閉ざして警戒を怠っていなかったようだ。だから、一見上記の第六・第七項目は相矛盾しているかのように思えてしまう。
ところが矛盾に見える二つの事柄を「一切のものに属さない」服が好きという感覚を通してみてみると、まったく矛盾するものではないこと理解できるだろう。

禁止事項の第一項目に「絶対に土産を持っていかない」という条項がある。またこれとは逆に、第十五項目に「渡された土産はすべて貰って帰る」という条項がある。
訪問するさいに敬意を表して贈られた土産は決して受け取らないにもかかわらず、その反面で物惜しみせずに客に土産物を贈り、断ることを許さない。
つまり日本的な贈与慣行を断ち切る、ひいては、そうした贈与慣行によって成り立つ共同体的結合の網の目からの孤立を自ら望んでいるわけだ。
深沢七郎が来客に惜しげもなく与える土産物の山は「死土産」と呼ばれていたという。一種の形見分けのような感覚だろうか。
生きていながら彼岸にいるかのような、死者から生者への贈与。
「一切のものに属さない」というスタンスゆえに、贈与というきわめて世俗的な人間同士の関係の結びつけ方をも、死者−生者間の贈与という構造に変換しなければ収まらなかったものと見える。

■2001/11/08 老優の立場

池波正太郎さんによる二代目中村又五郎の評伝『又五郎の春秋』(中公文庫)は期待どおり興味深い作品であった。
いま「評伝」と称したが、これは、芸談の聞書を交えつつも、その生い立ちから役者としての成長過程を記録し、同時に池波さんによる歌舞伎論、伝統文化論となってもいるからである。

二代目又五郎は大正3年(1914)生まれの当年とって87歳。人間国宝であり、現役最年長の歌舞伎役者である。
本書『又五郎の春秋』が刊行されたのは昭和52年(1977)であるから、当時まだ(!)63歳でしかない。

父初代又五郎とは6歳で死別する。初代又五郎は36歳の若さで、たしか当時まだ安全性が確立されていなかった白粉による鉛毒によって亡くなったのではなかっただろうか。
屋号は中村吉右衛門と同じ播磨屋であるが、これは又五郎が初代吉右衛門に師事したからだとばかり思っていた。
ところが、本書巻頭に掲げられた系図を見て、初代又五郎は初代吉右衛門と祖父(初代中村歌六)を同じくする従兄弟同士であることを初めて知ったのである。
つまり系図上からいえば、現又五郎は、勘九郎や萬屋錦之介と又従兄弟同士となるのである。文句のつけようがない血筋だ。

私がこの役者に興味を抱いたのは、勘三郎を書いた本で、勘三郎と又五郎の交遊について読んで以来ではなかっただろうか。それまで何度か実際の舞台で見たことはあったが、脇を固める老優としての認識のみで、注目まではしていなかった。

しかし、勘三郎や、同世代の先代團十郎・先代松緑・梅幸・先代幸四郎はすでになく、さらに今年になって歌右衛門や羽左衛門といった名優が次々と世を去るにしたがって、歌舞伎の伝統を次代へと継承させる最後の役者として、この人の芸に注目しなければならないと思い至ったのであった。

もっとも本書が刊行された時点ですでに又五郎はそうした意識を強くもちながら、国立劇場の俳優研修所で歌舞伎役者の卵を教えるお仕事をやっておられたのである。
本書の刊行から実に四半世紀という時間が経っているのだが、その頃から又五郎さんの歌舞伎に対する姿勢というものは変わっていないように思われる。
孜々として伝統の継承に励んでこられたその時間の堆積の前に茫然とし、敬意を表さずにはおれない。

■2001/11/09 突き抜ける面白さ

木山捷平『おじいさんの綴方/河骨/立冬』(講談社文芸文庫)を読み終えた。

10篇が収められている短篇集だが、とりわけ「河骨」「枯木の花」などは読みながら「凄すぎる」と鳥肌が立ち、ついには、そういう楽しい小説を読んでいる自分が嬉しくなり、ついニヤけてしまった。
坪内祐三さんが“ミニマリスト”として称揚する木山捷平の秀作は主に晩年の作品にあると思い込んでいたので、「初中期の中短篇秀作集」と銘打たれている本書にそれほどのユーモアが隠されているとは思っていなかったのだ。

私小説を極限までつきつめると幻想小説になるというのは、藤枝静男の『田紳有楽』(これも講談社文芸文庫だ)を例にとってよく言われることだが、木山捷平も負けてはいなかった。
もっとも、かつて私が読書の規範としていた『別冊幻想文学 日本幻想作家名鑑』(幻想文学出版局、1991年)に木山は載っていないから(藤枝は掲載)、当たり前ながら幻想作家としては認識されていない。
たしかに幻想小説とは言うほど幻想性が強くないけれども、物語の「突き抜けた」飛びようというのは、「幻想作家」の仲間入りをさせるに十分な条件ではないだろうか。

さて「河骨」はこんな話。
主人公の中学教師門間兵三は、妻が出産のため実家に帰ったのを見送った帰り道、新宿の夜店で二十日鼠を買ってしまう。
その籠を提げて「高級喫茶店」に入りビールを呑んでいたら、卒業した教え子に会う。でもこれは本筋とはまったく関係ない。
次いで、自分の名前を知ったある女性から話しかけられる。記憶の糸をたぐり寄せると、それは以前門間が好きだった女性だった。偶然の出会い。

ここで話は唐突に二人が出会った学生時代の回想シーンに突入する。
ここで作者たる木山から、二人の間柄を説明する必要があるので「読者諸君も辛抱して貰いたい」という断りが入るのだ。
この説明のための回想シーンが15頁ほど続いて、またもとの喫茶店へと場面が戻る。

ひとしきり昔話に花が咲いたあと、彼女が時計を見て大騒ぎする。信州諏訪へ旅行するために新宿へ出てきたのだが、つい話し込んで汽車の発車時間に間に合わなくなってしまうという。
慌てて兵三も一緒に、さきほど妻を見送ったばかりの新宿駅へ後戻りする。
そのとき二十日鼠を店に置き忘れてきてしまった(このあたりすごい)。

たんにホームで見送るつもりだったのが、彼女から、立川あたりまで同車してほしいと懇願され、つい乗ってしまったら、そのまま夜通し走って信州の温泉場に二人で宿泊するはめになってしまったのだった。
この間、若い二人が別れたあとの彼女の悲惨な結婚生活の回想シーンがふたたび挿入される。

さて思わぬかたちで温泉場に泊まることになってしまった旧知の男女はどうなったのか。
その後の成り行きも、結末も、何とも言いがたい面白みがあるのだが、これ以上触れるのはやめにしよう。

以上のように、唐突に作者の言葉が入ったり、映画のように回想シーンが途中に挟まるなどの融通無碍な手法が採られ、ある場面では描写が突然飛んでしまうので(たぶんこれは意図的な飛び方)、何度か読み返して初めてその意味を理解するといった箇所もあるなど、とにかく木山作品の「ぶっ飛び方」には恐れ入った。
本書に同じく収録されている「枯木の花」も、その意味ですこぶる木山的な作品であり、これがまた藤枝静男を思わせる「私小説を突き抜けた幻想小説」なのである。

全篇読み終えたあと、岩阪恵子さんによる解説(「挽歌」)を読むと、上で紹介した「河骨」(1940年発表)は第十回芥川賞候補作になったのだという。
もし本作が同賞を受賞していたら、日本の文学シーンも変わっていたのかもしれない。また、木山捷平という作家の位置づけも。

■2001/11/11 基礎作業でわかること

歴史の論文を書くときにはまずそのテーマにかんする年表を作れというのは、一般的な鉄則だったか、ある高名な学者さんの託宣だったか。
いずれにせよ年表作りのような基礎的な作業を行なうことによって何かしらの問題点を発見し、そこを出発点して思考を展開させることができるようである。

今回、川本三郎さんの読書エッセイ『本のちょっとの話』(新書館)が面白く刺激的だったので、そこに脚注として掲出されている言及書物のデータを索引として一覧できるようにしようと思い立った。
「あの本はたしか川本さんが書いていたな」というときに役立てようという自分の備忘のためが目的の第一。それに、「ああ、川本さんはこんな本(作家)をこの本のなかで触れているんだ。面白そう」と、本好きの方に本書の楽しさを伝えたいというのが目的の第二であった。

この作業をやりながら、川本さんの嗜好の一面がわかった気がする。
日本の作品、外国の作品を問わず、しかもジャンルも幅広いというのは、日本作家(たとえば荷風や佐藤春夫など)に関する深く鋭い洞察を行なうかたわら、外国作品の翻訳にもたずさわる作家活動から見れば当然のことであろう。

本書は84の短文から成っているが、それぞれの章は通常ある作家をメインに取り上げて、そこから広がるいろいろな本を紹介するという形式になっている。
したがって索引中に、ある作家の作品が多く見つかっても、それがその一つの章だけに集中している場合がほとんどなのだ。
逆にいろいろな章に頻繁に登場する作家・作品は、川本さんが愛着をもっているものと判断してよさそうである。
もちろんこれはあくまで川本さんの嗜好性を推測する一手段にすぎぬので、一概にここから嗜好の強弱を決めつけることはできまい。

さて、いろいろな章に登場する作家・作品はこのようなものだ。
池内紀、逢坂剛、高村薫、永井荷風(とりわけ『断腸亭日乗』)、林芙美子、松本清張、丸谷才一、三島由紀夫、森鴎外、淀川長治、トルーマン・カポーティ、ジェイムズ・ジョイス(とりわけ『ユリシーズ』)、アーネスト・ヘミングウェイ。

言及頻度の多さでは、『断腸亭日乗』と『ユリシーズ』が東西の双璧である。
荷風はわかるが、ジョイスにこれだけ入れあげておられるとは、気づかなかった。また意外といえば林芙美子への言及の多さ。ある種の偏愛といっていいのかもしれない。

松本清張への頻繁な言及は、『東京人』に清張の社会派ミステリを中心に「ミステリーのなかの東京」といったテーマで連載を持っていたことからもうなずける。もっともこの連載はいまだ単行本化されていない。心待ちにしているのだが。
川本さんの清張ミステリへの興味は、社会派ミステリのなかに都市東京を読むといった方法論からの資料的関心なのかもしれない。しかし嫌いであればこれら作品を資料として用いようとは思わないだろう。
川本さんのおかげで、私も松本清張に対してこのような角度から関心を持ち、『点と線』なども面白く再読することができた。

しかしいっぽうで、最近読んだ関川夏央さんの『本よみの虫干し』(岩波新書)のなかで、関川さんが松本作品に醒めた態度で接しているのを目にして愕然としたのも事実である。
「一九五八年の「旅情」と「社会派」」という文章のなかで、関川さんはこのように言う。

松本清張の小説は、彼の精神形成期である「戦前」と、彼自身の「戦前的内面」の忠実な投影であった。松本清張は決して「社会派」ではなかった。松本清張が並はずれて膂力ある書き手であったことはたしかだ。その作品群の質量はともにそれを実証するが、彼は高度成長時代の果実の分配の不平等のみに執着して、その時代精神を「嫉妬」と「恨み」に因数分解した作家である。
…松本清張は、三十年遅れて出現したプロレタリア文学作家ともいえるのだが、ただし彼は「連帯」をまったく信じない資質の人であった。/松本清張作品の持つ暗さはそこから発しているのだし、司馬遼太郎とは対照的に、彼の作品が現在ほとんど読まれなくなった理由もそこにある。

松本清張作品は、一見高度成長期の日本を描いた資料として使えるように思えるが、実はその像は彼の内面の投影であって、当時の現実的な日本ではないというのだ。
川本さんと関川さんは同じようなタイプの書き手だと思っていたけれど、簡単にそうとも言えないようだ。そう思いながら、『本よみの虫干し』ではこのくだりがもっとも印象深く頭に残ったのである。

■2001/11/12 パロディの寿命

和田誠さんの『倫敦巴里』(話の特集)は、ずっと以前に“カフェ「白梅軒」”で店主の川口さんが絶賛されていたのを目にして以来、気になっていた本であった。
このほどようやく入手することを得、さっそく読み終えた。期待どおりの楽しい本であった。

本書はイラストから文章にいたるまで、さまざまなスタイルによって試みられたパロディ集である。
66〜77年にかけて断続的に『話の特集』に掲載されたものが元になっている。帯には「戯作・贋作大全集」とあって、まさにそのとおり。このうち、シリーズ化されているのがいくつかある。

たとえば「雪国」シリーズ。
川端康成の「雪国」の冒頭の有名な部分を、当時の著名作家の文体模写で並べたもの。5回にわたって掲載された。
模写された作家(評論家)は、庄司薫・野坂昭如・植草甚一・星新一・淀川長治・伊丹十三・笹沢佐保・永六輔・大藪春彦・五木寛之・井上ひさし・長新太・山口瞳・北杜夫・落合恵子・池波正太郎・大江健三郎・土屋耕一・つげ義春(「ねじ式」)・筒井康隆・川上宗薫・田辺聖子・東海林さだお・殿山泰司・大橋歩・半村良・司馬遼太郎・村上龍・つかこうへい・横溝正史・浅井慎平・宇能鴻一郎・谷川俊太郎と実に33人の多岐にわたる。
ほんの一部分とはいえ、文体模写をするためには、物まねと同じように対象の特徴をよくつかんでそこを大胆に強調するという技芸が必要である。
いまではあまり読まれなくなった作家もいるし、読んだことがないので元を知らない人もいるが、ある程度知っている作家の模写については爆笑物であった。
たとえば井上ひさし・山口瞳・池波正太郎・横溝正史など。井上さんの模写は言葉遊び風、山口さんの場合は、現代人を嘆かわしく思う風、池波さんは〔 〕や( )の多用、横溝正史風の「雪国」はこんな感じ。

金田一耕助のすすめで、私がこれから記述しようとする物語は、昭和十×年×月×日、国境の長いトンネルを汽車が通り抜けたところから始まった。
(中略)
おお、それがこのまがまがしい事件の発端になろうとは、まだ誰も気がついていなかったのである。

その他文章のシリーズ物としては、「兎と亀」の童話を映画作家別に脚本化したもの。
黒澤明・深作欣二・山田洋次から、フェリーニやゴダール、ベルイマン、ヒッチコックまで、これまた多彩だ。

イラストのシリーズでは、あるテーマを有名画家のタッチで描いた「ギャラリー」シリーズ。
ダリ風のイヤミや、アンリ・ルソー、ゴッホ、ロートレック風にビートルズの四人を描いている。

さてこうして発表されてから30年を経過したような作品でも楽しめてしまうということは、考えてみるとすごいことである。
「ギャラリー」がビートルズを対象としていること自体すでに時代を感じさせるものであるが、今なお人気があるビートルズが対象であることで、これらはかろうじて生きている。
いっぽうで、すでにパロディの対象が古びてしまって、意図が十分に伝わらなくなってしまったものも多い。
「三角大福」のイラスト・パロディもその一つ。いまや皆さん物故されてしまった。

「雪国」シリーズは、文体模写の対象となった作家こそ時代を感じさせる人も出てきているけれども、素材となったテクストが川端康成の代表作であることで救われている。
もっともこの素材が選ばれたのは、川端がノーベル文学賞を受賞した直後であって、ここにも時代の匂いが染み込んでいる。あと数十年経って「雪国」を知る人、さらに模写の対象となった作家を知る人が少なくなったとき、パロディは無効になるのだろうか。

ことほどさように、パロディとは、その対象が有名であればあるほど、権威性を有したものであればあるほど効果的なのである。そのうえに和田さんの作家としてのセンス、切り口の鋭さが加味されて、絶妙な、息の長い作品となった。

本書冒頭の一章は、『暮しの手帖』のパロディ『殺しの手帖』。
『暮しの手帖』もいまだに健在でスタイルをほとんど変えていない(と思われる)ので、いまだに有効だ。
花森安治による特徴的なレタリングを真似て、「リヴォルヴァー拳銃をテストする」とか「毒入りのおそうざい」などという記事が並ぶ。
ブラックユーモアに富んでいて最初から笑わせてもらった。

■2001/11/13 モダン東京ミステリ

今日の東京! といへばそれは最近の東京大受難以後の進展状況、再興された東京のそれで、文字通りの新東京のそれに当る。

これは今和次郎編纂『新版大東京案内(上)』(ちくま学芸文庫)の冒頭にある一節である。
昭和4年(1929)12月に刊行された本書は、関東大震災により灰燼に帰した東京が新しく甦りつつあるその真っ只中の姿を伝える、好適な東京ルポとなっている。
上のいわゆる「新東京」が“モダン東京”であるわけで、銀座を中心としたカフェー文化が花開いたのである。

この時期の東京を舞台にした藤田宜永さんのハードボイルド・ミステリ『モダン東京1 蒼ざめた街』(小学館文庫)は、上にあげた『新版大東京案内』が参考引用資料として使われている。
桜田門に威容を示しつつあった新警視庁や、荒川放水路の外側にモダンな色とデザインでホテルと見紛う姿を見せていた小菅刑務所(現東京拘置所)が、点景として巧みに配されている。

小説はミステリ仕立てになっているため、詳しい内容をここで紹介するわけにはいかないが、ミステリとしてはそこそこ面白いといえようか。
主人公の秘密探偵的矢健太郎の行動が唐突だったり、黄色いシトロエンで尾行をしてはたしてばれないのかという点などに目をつむれば、良質なエンタテインメントとして楽しめる。

むしろそうした謎で読者を引っ張るというよりも、各章で展開されるモダン東京の風俗の諸断面が小説としてのドライブ感を引き出しているように感じられる。
この時期に登場したさまざまな習俗や建物が物語の展開で重要な背景となっており、そこに魅力を感じる者にとってはすこぶる楽しい読み物なのだ。
ただこの点も、あまりに昭和初期であることを強調しすぎるあまり、小道具と説明が過剰になって書割の背景じみてくるのが難点。もう少しうまく話の流れとこれらモダン東京の諸要素が融けあえば言うことなしなのだが。

直木賞作家であり、傑作『巴里からの遺言』『壁画修復師』の作者の「モダン東京」物語に大きな期待を抱いていたゆえに、採点が多少辛めにはなったが、あと三冊残っている同シリーズを心待ちにするレベルに達していることは間違いない。

■2001/11/14 病の予感

ちょっとまずいかなと思いつつそのまま放っておいたら、予想どおり本格的に罹ってしまった。
なに、これは風邪のことではない。“テラヤマ病”のことである。

このところ年に一度は必ずといっていいほど罹患するテラヤマ病だが、ついにここにきて罹ってしまった。
まあ本当の病気とは違い罹っても身体に悪影響をもたらすものではなく、頭の老廃物を綺麗に流し去ってくれる体のものだから、むしろ歓迎すべき出来事なのだ。

きっかけは、人形作家石塚公昭さんが掲示板に阿佐ヶ谷と寺山修司の関係について書き込んでくださったこと。
身体中に包帯を巻いたミイラ男が家々をノックして回る市街劇「ノック」の舞台に選ばれたのが阿佐ヶ谷であり、寺山が息を引き取ったのも阿佐ヶ谷なのだという。

これによって私の身体のなかに“テラヤマ・ウィルス”が入り込んだ。
さらにそれを増殖する媒体の役割を果たしたのが、元夫人で、離婚後も寺山が亡くなるまで天上桟敷の運営の片腕となっていた九條今日子(暎子)さんの回想録『ムッシュウ・寺山修司』(ちくま文庫)である。

九條さんの本に描かれた寺山の素顔は、アングラ劇団を率いてセンセーショナルな活躍を見せ、若者に刺激的なアジテーションを送りつづけた像とは異なり、ごく普通の人間のそれであった。
もっとも「ごく普通」にも幅がないわけではなく、常識人というには多少逸脱した感覚の持ち主であったらしい。その稚気がまた何ともいえず好ましい。

そしていよいよ「発病」。
書棚にある寺山修司の文庫著作のうち、読んでいないものをあれこれ取り出してはめくってみるという症状が出てきた。
句集や歌集、アフォリズム集の類もいいが、どっぷりと寺山の文章に浸りたい。
映画評論はまだ私には時期尚早で、作家論集は重すぎる。もっと寺山色が出たものを。
『書を捨てよ町に出よう』といったアジテーションの書もいまの気分に合わない。

ということで選び出したのは『スポーツ版裏町人生』(角川文庫)。
トップの影に隠れた人間や馬、人生の裏街道を歩いているような人間にスポットライトをあてたノンフィクションだ。
この手の本はこれまで意外に読んできていなかったのだが、逆にこの手の本を今一番読みたいと欲している。なぜだろう。

■2001/11/15 枯淡の境地

やましたさんから譲っていただいた永井龍男の最後の作品集『東京の横丁』(講談社)を読み終えた。読みながら心に落ち着きが出てくるような、そんな文章がたくさん収められている。

内容に触れる前に、まず造本の素晴らしさを一言しておきたい。
角背の堅牢な造りに加えて、落ち着いた蓬色の布装、そして何といっても活版である。
紙を指でさすると、活字の微妙な凸凹が伝わるその感触が、内容の落ち着きと相まって、書物を読んでいるという気持ちを高まらせる。

内容は、『日本経済新聞』の「私の履歴書」に連載した自伝エッセイである表題作と、おりに触れて書かれた、主に鎌倉の四季折々の暮らしぶりを伝えるエッセイ、追悼文、小説一篇(「冬の梢」)の四つに大きく分けられる。

表題作の「東京の横丁」とは、永井さんが生まれ育った神田猿楽町(今の明治大学やニコライ堂付近)の横丁を指す。
横丁で生まれ育った永井さんの幼少時代から、苦労した少年時代、懸賞小説や戯曲に応募して当選し、それを機縁に文藝春秋社の編集者として勤務することになり、戦後の公職追放にともなって自らも身を引くまでの半生が何とも落ち着いた文章で語られる。

最初は「東京の横丁」というタイトルから、永井さんによる大正の頃の都市東京の描写を期待していた。
ところがいま述べたように、東京を描くというよりは、自伝の色が濃いものであったため、その面での期待ははぐらかされたかたちとなった。
ただその期待外れのマイナスポイントを、淡々とした文章からつむぎだされる何ともいえない深い味わいがおぎなって余りあるものであった。
老人文学、枯淡の境地、そういった言葉が読んでいて頭をよぎるが、私もそんな味わいの作品を好ましく思うようになったとは。

永井さんは昭和10年に東京から鎌倉に移住して、亡くなるまで鎌倉を愛し住みつづけた。戦前から戦後にかけての鎌倉の街の風景が克明に書きとめられている。
そういえば“鎌倉の昔”というテーマはこれまであまり気にとめていなかったことに気づく。

また、夫婦が長年連れ添うことの良さをこれほど暖かく伝えた作家がいただろうかと思う。
はたして数十年後、わが家庭はどうなっているのか、読みながらそんなことも考えた。

■2001/11/16 たかがルール、されどルール

平凡社ライブラリー今月の新刊のなかで面白そうな本を見つけたので買わずにはいられなかった。中村敏雄さんという「スポーツ学者」の『増補 オフサイドはなぜ反則か』(平凡社ライブラリー)である。
どんな内容なのかはまったく知らずに、まずこのタイトルからして惹きつけられてしまった。
平凡社ライブラリーという叢書の性格と、タイトルから醸し出される雰囲気から、何となく予想はできたのだが、手にとってみるとやはりその予想は違わないようである。

オフサイドは、サッカーやラグビーなどイギリス発祥のスポーツに見られるルールであるが、このちょっぴり複雑で不合理めくルールがイギリスの精神史・教育史へと広がりをみせ、さらにスポーツ思想史の豊かな鉱脈へと突き当たりそうで、知的好奇心が頭をもたげてくる。
そもそもスポーツのたかが一ルールで一冊の本がかけてしまうこと自体、感動的ではないか。

私は小学生の頃「サッカー少年」であった。もし中学校にサッカー部があったら、そのままずっとサッカーをやっていたかもしれない。
私が所属していた小学校のクラブは結構市内でも強く、私が卒業した数年後にスポーツ少年団として再編成されて以後もその強さは変わらず、そのため中学校にサッカー部が新設されたほど。そのサッカー部も創設後数年で県の代表までなったと記憶している。

さて当時私のポジションはフォワードであった。何せポジションの名前をフォワード−ハーフバック−フルバックと呼んでいた頃だから古い。
そのフォワードでもポイントゲッターの役割だったのだが、当時小学生チームのルールではオフサイドのルールは適用されなかったため、私は味方がボールをキープするとすばやくゴール前に駆けて待機し、センタリングに合わせて何点もの得点をあげていた。

その頃はそれが当たり前だと思っていたが、オフサイドというルールの存在を知って、あの頃を振り返れば、何と小ずるいことをやっていたことかと思う。
サッカーはこのルールがあるからこそ魅力的なスポーツたり得るのだろう。
小学生とはいえ、サッカーを半分しか楽しんでいなかったような気がしてならない。

■2001/11/18 歌舞伎狂言の狂言立て風

歌舞伎狂言の狂言立て(演目構成)は、通しとミドリ(見取り)という二つのスタイルがある。
通しは説明するまでもないが、ミドリとは、服部幸雄さんの説明を借りると、「いろいろな狂言から、いい場面、面白くて見どころの多い場面だけを抜き出し、それにはなやかな舞踊を組み合わせ、変化に富んだ構成で並べて上演する方法」のことだ。
そのさいの順番にも大まかな原則があって、時代物・舞踊劇・世話物・短くてはなやかな舞踊劇という順番が明治以後の定着したかたちだという(服部幸雄『歌舞伎のキーワード』岩波新書)。時代物を俗に一番目物、世話物を二番目物という。

なぜこのような説明から始めたかといえば、矢野誠一さんの文庫新刊『藝人という生き方』(文春文庫)の構成が、読んでいてまさに上のような歌舞伎の狂言立てを連想させるものだったからである。

本書は三部構成をとる。
第一部は、副題に「渥美清のことなど」とあるように、渥美清没後に『東京新聞』に連載した渥美清論「渥美清と田所康雄と車寅次郎」
第二部は、「藝人という生き方」をタイトルにさまざまな藝人への聞書が集められているのだが、彼ら藝人は皆物故した人ばかりで、単行本刊行時にそれぞれの聞書の末尾に没年月日と矢野さんのコメントが付されている。
第三部は「藝人の本、藝の本」。表題どおりの本の書評集だ。

ついこの間『志ん生のいる風景』(文春文庫)を読んだときにも書いたのだが(10/9条参照)、矢野さんの評伝はスタンスの取り方が絶妙でまことに安定性がある。
こちらが知らない人間であっても、その対象とする人間の生き方がはっきりと伝わってくるし、だからといって内容はウェットにならない。きちんと「評」が見えてくるのである。
それゆえ第一部の渥美清論は、寅さん映画をほとんど見ない私にもよく理解できたし、矢野さんが渥美清という「藝人」をどう受け止めていたのかもわかる。
その意味でこの第一部は、筋立てがしっかりした時代物になぞらえることができる。

第二部は1974年の新聞連載が初出で、当時矢野さんは39歳。章扉裏にある自解で矢野さんは「現役バリバリ、という自負と衒気が、肩肘はった文章にあらわれて、なつかしさよりも汗顔の思いのほうが先に立つ」と振りかえっておられるとおり、文体はとてもくだけた戯文調で、二番目狂言の世話にくだけた雰囲気を連想させるのである。

第三部は藝人・藝について書かれた本の書評ということもあって、真っ向から取り組んだ、短いながらもピリリと引き締まった華やかな追い出しの踊りという印象を持たせる。
最初は雑多な文章の寄せ集めかとばかり思っていたが、どうしてどうして巧妙に構成され、一冊の本に歌舞伎の宇宙を凝縮させたような見事な藝人本なのであった。

■2001/11/19 同潤会アパートに住む作家のはなし

昨日の日本テレビ系「いつみても波瀾万丈」のゲストは作家・シャンソン歌手の戸川昌子さんであった。
そこで初めて知る事実を耳にしてとても驚いてしまった。これは推理小説ファン、戸川ファンであれば周知の事実であって、「そんなことも知らなかったのか」と呆れられるに違いない。

それは、作家としてデビューする前まで戸川さんは同潤会大塚女子アパートに住んでいたということ。
しかも戸川さんのデビュー作にして江戸川乱歩賞受賞作である『大いなる幻影』は、この大塚女子アパートが舞台になっているというのだ。

これまでこの作品の文庫本は古本屋などで何度も見かけたことがあるけれども、戸川昌子という作家には興味がなかったため見向きもしなかった。
ただ、最近扶桑社文庫で『火の接吻』が復刊されるなど、戸川昌子再評価の気運が高まっているようであり、気になりつつある作家であった。
そこにきてこの事実。『大いなる幻影』を見つけようと決心する。

同潤会アパートに住んでいた作家といえば、先日森まゆみ・藤森照信『東京たてもの伝説』(岩波書店)でも触れた(10/19条)永井龍男がいる。永井さんは虎ノ門アパートに住んでいた。
その繰り返しになるが、この同潤会虎ノ門アパートは、下三階が同潤会本部で、四階・五階が居住フロアになっていたという。いまも取り壊されずに保存されているが、外壁を鋼板で覆われて、昭和モダンではなく現代的な見かけになっている。

先日読み終えた永井さんの『東京の横丁』(講談社)では、この同潤会アパート時代について触れられていた。

日比谷公園の裏門に近く、六階建てのビルで、四階までを同潤会の事務所に使い、五階は普通の独身会社員、六階は新聞雑誌に勤める独身ジャーナリストに全階を提供した。地下室には食堂と浴室、自動式のエレベーター、電話は各個室にといった、当時としては画期的なアパートであった。室代は十八円か、洋服ダンスもベッドも備え付けられていたが、…(104頁)

永井さんは四階までを事務所に使っていたと書いているが、森・藤森本にあるように三階までが正しいようだ。それにしてもこれは貴重な証言だろう。
戸川さんの小説も、大塚女子アパートの昔を語る貴重な資料たりえるのだろうか。

■2001/11/20 著者と読者の距離、あるいは脚注について

種村季弘さんの新刊『東海道書遊五十三次』(朝日新聞社)を手にし、このような種村さんの書物に関するエッセイを読むことのできる喜びに満たされながら、ある思いが頭を離れなかった。
それは著者と読者とのあいだの距離についてである。

『東海道書遊五十三次』は、陸上交通路としての東海道を取り上げた随筆・紀行・小説などの書物を自由闊達に飛び回った、種村さん風にいえば「書物漫遊記」である。
取り上げられる書物は、江戸時代の随筆から現代小説にいたるまで幅広い。
種村さん独特の文体で語り出される、いかにも種村好みの、地に足がついていないような、根無し草のような人々による東海道物語を読んで、種村本に酔いしれた過去の自分を取り戻した気持ちになった。

本書の柱である「東海道書遊五十三次」の部分には、登場する人名や書名、語句に対する詳細な脚注が付いている。
こうしたスタイルは、先だって刊行されたばかりの対談集『東京迷宮考』(青土社)でも採用されている。

たしかに次から次へと知らない人物・書物が登場するので、それを解説する脚注はありがたい。
しかしそれに目をとられていると、肝心の本文を読む流れが遮断されてしまい、種村さんの文体に酔う酔い方が中途半端な生酔い状態になってしまうのだ。
それであれば脚注をまったく無視すればいいのだが、行間に注を示す目印がついて、下に書かれている文字は否応なく目に飛び込んでくる。
どうにも困ったものだ。

振り返ってみると、『東海道書遊五十三次』に内容的に近い著作として、『日本漫遊記』(筑摩書房)がある。同じように江戸時代に書かれた随筆・紀行などが多く取り上げられた“最後の漫遊記”だ。
この本には当然ながら脚注などなく、ないならないなりにわかったつもりで読み進んだものだった。
同書が刊行されたのは1989年。いまから12年前のこと。
この間私もいくばくかの知識を身につけ、あの博覧強記といわれる種村さんとの距離が少しは縮まったかと思われた。

しかし事はそう簡単ではなかったのである。
種村さんは私などをはるかに凌駕するスピードで走りつづけ、時間とともに距離はひたすら遠ざかるばかり。
いっこうにこの距離は埋まりそうにない。背中が霞んで見えてきた。
その結果がこの『東海道書遊五十三次』であり、種村さんの位置を確認して自分との距離を推し量るモニターの役割を果たしているのが、脚注なのであった。

■2001/11/21 平成日和下駄(27)―晩秋の谷中にて

めっきり肌寒くなり、コートなどの防寒具を身にまとう人々が多くなってきた。
しかし暑がりの私にとって、このくらいの気候がちょうどいい。シャツにジャケットをはおるだけ、マフラーなどはこれまで三十数年生きてきてこのかた、首に巻きつけたことすらない。
薄着であれば内側から暖める。だからこの時期は私にとって格好の「歩く季節」なのだ。

毎年今ごろはいつも好天続きで、朝新聞を取りに部屋を出ると青空が目に飛び込み、すこぶる気分がいい。
とりわけ澄んだ青空の日には、家をちょっと早く出て西日暮里で下車し、日暮里富士見坂で遠くに映える富士山の姿を拝もうと、ただそれだけのために身支度を急いだりする。

先日一度富士見坂から富士山を拝むことができた。
遠く文京区域に建ってしまった高層マンションのために、この富士見坂から眺める富士山の姿は左三分の一ほどが隠れてしまい、著しく興趣が殺がれることになった。

さて今日も澄んだ青空が広がっていたため、富士見坂を経由して通勤しようと思い立った。
今日から電車のなかで読み始めたのは色川武大さんのエッセイ集『喰いたい放題』(集英社文庫)である。そのなかの一篇、いや数行を読んだだけで面白さに鳥肌が立ってしまった。期待どおり読むのがもったいない本である。
この色川さんに敬意を表して、富士見坂から谷中墓地に入って色川家のお墓に詣でよう。色川作品を読むとなぜかこういう気持ちになる。
そもそもある作家の作品を読んでいて、突然その作家のお墓にお参りしたくなるという思考回路は風変わりなものに違いない。

西日暮里駅を出ると、空には雲が出てしまっている。
そのため富士見坂では、たぶんあれが富士山だろうという程度にぼんやりとぼやけた輪郭しか見ることができなかった。仕方がない。

富士見坂から谷中墓地に入るルートをとると、ちょうど墓地の真横から入るようなかたちになる。
どうせだからこれまで歩いたことのない墓域を歩いてみるか。ユニークな形のお墓を見つけたらそこに行くという、あてどない墓地散策。
明治末年から大正初年までに東京養育院で亡くなった子供たち三千数百人を合葬したお墓がある。
また、一つの区画に左から正親町・四辻・広橋という公家(華族)の血を引くとみられる三人のお墓が並んでいる。この三人はどういったつながりがあるのだろう。

そんなことをあれこれ考えながら色川家のお墓の前に出た。墓前には白い小さな花びらをつけた茎の長い花(花の名前知らず)が手向けられていた。
「いい本に感謝申し上げます」と私も手を合わせる。

今日は墓地から、銭湯を改修してギャラリーにした“SCAI THE BATHHOUSE”の前の小道を通っていく。
この道には澁江抽斎のお墓のある神田山感応寺があって、お香の香りが漂う実に気分のいい通りなのである。
また、感応寺内から塀を越えて小道まで枝を広げた枝垂桜があり、春は谷中墓地の桜並木とともに谷中の桜の見所であるとひそかに思う。

晩秋の枝垂桜。すっかり葉が黄色くなって、路上に落ち葉がたくさん散らばっている。
枝垂桜の真下を通ると、すでに葉が落ちて寒々と枝だけになってしまっている部分もある。
これが春になると…と、歩きながら一瞬目を閉じ、満開の姿を想像してみる。
目を開けると晩秋の黄色い姿がそこにある。四季のある日本に生まれてよかったと感じる瞬間であった。

■2001/11/22 他人の本棚見てわが本棚を…

書友の皆さんのサイトで話題になっているのが、マガジンハウスが出している雑誌『鳩よ!』の12月号。なんと坪内祐三さんの特集なのだ(特集タイトル「坪内祐三 いつも読書中」)。

この特集を知って、まことに久しぶりに『鳩よ!』を購入した。
いつもチェックして、気に入った作家(たとえば乱歩・澁澤・百間)の特集があったら買うということをしていたのは、十年前ぐらいだろうか。

探すのに意外にてこずった。見つけて納得したのは、雑誌の判型が変わっていたこと。A5判になっている。

さて特集。
雑誌の表紙は片側壁一面の書棚と、部屋の平面の三分の一ほどを埋め尽くすように平積みにされている本の山、空いたスペースに置かれているソファで寝そべりながら自著『文学を探せ』を開いているとおぼしき坪内さんのお姿の写真である。
扉写真は本棚の部分アップ。撮影はアラーキーだから凄い。
扉写真を観音開きにあけると、今度はLDKの空間に山のように積まれた本(主に文庫本)と書類。ただただ圧倒される。

本棚の写真を見ると本好き心が疼くのである。
左側の明治大正の本は私の守備範囲ではないから、右側を見てみよう。
松山巖『うわさの遠近法』−紀田順一郎『日本の下層社会』−鈴木博之『東京の[地霊]』という並び、そこを右に目を移せば荒俣宏編『大都会隠居術』・海野弘『東京の盛り場』、その下の段には小沢信男・出口裕弘・若桑みどり・四方田犬彦、その下の段には多木浩二・前田愛・陣内秀信・宮田登、その下には橋爪紳也・木下直之など、なんとも魅惑的すぎる。

書斎写真といえば澁澤龍彦没後に、篠山紀信撮影で旧『みずゑ』に載った写真があまりにも有名だ。
その雑誌が出た後に澁澤道にのめりこんだ私にとって、あの書斎、そしてそこに並ぶ本たちは憧れだったのである。
今回の坪内さんの書斎写真も別の意味で憧れというか、嬉しさを感じてしまう。

そして澁澤とは違って、自分が持っている本との重なりも多いために、ちょっとした親近感を持ってしまう。
もちろんこれは、坪内さんのような書棚構成・書斎空間を目指そうという大それた野望を持ったというわけではないのでご注意を。

■2001/11/30 文学で知る戦争

丸谷才一さんのエッセイの愛読者でありながら、小説のほうはまったく読んでいなかった。
当初は興味すらなかったので買い集めもしていなかったが、文庫になっているエッセイをほとんど集めてしまったので、どうせだから小説も買っておこうと考えた程度。
『女ざかり』は刊行当時贈与論を踏まえた小説ということで話題になったものだが、単行本を買って途中で挫折してしまった。まだ自分には丸谷さんは早すぎたということか。

さて先般新潮文庫で改版復刊された『笹まくら』を長旅の機会に読もうと考えた。
旅先が初めて訪れる四国愛媛であること、丸谷さんと山崎正和さんの対談集『日本の町』(文春文庫)で取り上げられた宇和島が印象に残っていたことが主な理由である。
『笹まくら』の主人公である徴兵忌避者の最後の滞在先、終戦を迎えることになった場所が宇和島なのであった。

その主人公浜田庄吉は戦中に徴兵忌避を決行し、ラジオの修理屋や砂絵師に身をやつして全国を逃げ回り、終戦後知人のつてを頼ってとある私立大学(モデルは国学院大だろう)の事務職員として雇われた。
物語は事務職員(庶務課課長補佐)としての浜田の日常生活と戦時中の浜田の逃亡生活がシームレスにつながるきわめて面白い構造をとる。
読んでいて切れ目がないので、いつの間にか回想的場面になっていて戸惑ってもう一度辿りなおすということがしばしば起きた。
鋭い文学批評を展開している方だけあって、さすがにご自身の小説にも巧妙や小説的仕掛けがほどこしてある。また、「ここはこういう意図で叙述されているのだな」という深読みができるような箇所も多く、小説を読む楽しみというものを存分に味わうことができた。

大学職員として教員たちの我がままに苛立ち、職員同士の噂話に神経を尖らせる。
わが身の過去が過去なだけに、浜田の気の遣いようは尋常でない。
研ぎ澄まされた感性。

私はむろん戦争を知らない世代であるから、戦争の過酷さというのはこうした文学作品で知ることが多い。
徴兵忌避という行ないが戦時中においてどのくらい重い罪であったか、その人間を通して戦争とは何であったのか、なるほどと考えさせられることの多い小説でもあった。
果たして数十年後の社会にこの小説の意図は伝わるのであろうか、そんな余計なことまで。