読前読後2001年3月


■2001/03/02 良書料

買わないと読む気がしないという悲しい性分をもつ私としては、読みたいけれど高い本というものが一番始末におえない。買うときに悩むのだ。そして悩んだ挙句買ってしまう。

池内紀さんの新著『なじみの店』(みすず書房)がそうした本である。
四六変型版で200頁に満たない。手にすっぽりとおさまるつつましやかなエッセイ集である。
しかしながら量は少ないとはいえ、ほどほどの重さがあって好ましい。最近これよりもずっと分厚い本にもかかわらず、持った感じ「軽い」(物理的に)本が多くなっていて、それだけで購入欲が5%くらい減退するのだ。
紙質が変わってきているのだろうが、みすず書房はまだそういうことはしていない。

池内さんの本は出ると買うようにしているから、いくら予想より心持ち高めでも買うほかはない。
みすず書房の本はしばらく買っていない。森まゆみさんの『その日暮らし』か、同じ池内さんの『遊園地の木馬』か、それ以来。
学術書は申し訳ないが古本で探す。

みすず書房もそうだが、自分が考えていた値段より心持ち高い値段をつけている出版社はもう一つある。晶文社だ。どちらも良心的な、しかもいい本を出す出版社だから、このくらいは仕方がなかろうといつも思う。
「良書料」といった感じだろうか。

■2001/03/03 岡本綺堂ミニブーム

このところ岡本綺堂の作品を立て続けに読み、あるいは触れる機会があった。珍しいことである。

ひとつのきっかけは、ちくま文庫で刊行が開始されたシリーズ『怪奇探偵小説傑作選』(日下三蔵編)の第一巻として岡本綺堂集が収められたこと。綺堂の怪奇小説の好アンソロジーといったおもむき。

これまで私はほとんど綺堂を読んでいない。『半七捕物帳』をはじめとして、光文社文庫の綺堂作品はほとんど持っているのだが、これも「老後にゆっくり読む本」としてとっておきたいと思って手をつけかねていたのである。

でも、せっかく新しいかたちで綺堂の傑作が集められたのだし、いい機会だからと、ちくま版の第一部として収められている「青蛙堂鬼談」(光文社文庫版では『影を踏まれた女』所収)だけ読んだ。
一つの会場に集まった人々が、自分が知っている怪奇譚を語っていくという百物語の形式になっている。
寝る前に一篇ずつ読むつもりでいたのだが、ひとつひとつがそう長くないうえに、綺堂の語りのうまさについ惹き込まれ、「もう一篇」とつい読み続けてしまう。
なるほど綺堂の怪談とはこういう魅力をもっているのかと納得する。

さて、三月の歌舞伎座夜の部では、一番目に綺堂の「鳥辺山心中」を出している。
あらすじは省略する。怪談ではなく、江戸時代に実際にあった心中事件をモデルにした、旗本と京都の芸妓との心中にいたる過程を戯曲化したものだ。

予習しようと作品を探したところ、光文社文庫『江戸情話集』に小説作品が入っていた。
巻末の岡本経一さんの解説によると、大正四年に二代目左團次にあてて書いた戯曲を同七年に小説としてリライトしたものが、文庫に収められている作品のようである。やはり戯曲と小説は違うことが、実際に演じられた歌舞伎を見るとよくわかった。詳しくは「歌舞伎道楽の場」にて。

この過程で、久しぶりに岩波文庫の『修禅寺物語・正雪の二代目 他四篇』を手にとった。こちらは戯曲のテキスト(「鳥辺山心中」は未収録)が収録されている。よく見ると解説は戸板康二さん。
90年春のリクエスト復刊で買ってから11年。また新たな角度から本書の価値を見いだした。

■2001/03/04 背中あわせの共通点

佐野眞一『旅する巨人 宮本常一と渋沢敬三』(文藝春秋)を読み終えた。
副題にあるとおり、二人の民俗学者に関する評伝である。佐野さんはこの著書により大宅壮一ノンフィクション賞を受賞した。

圧倒的な読み応えであった。ふつうの評伝二冊分の取材力が注ぎこまれ、それを一冊に凝縮したわけだから、読むのも遅々として進まないわけである。
これで1800円は安い。

瀬戸内海に浮かぶ離島の農家に生まれ、苦学しながら学問を積み上げていった宮本と、渋沢栄一の孫に生まれ、経済的には苦労をすることがなかった渋沢は、境遇面で見ればまったく正反対の二人であるが、学問に対する姿勢・理念に共通するものを見いだし、お互いが相手をよき理解者として信頼して付き合うようになる。

それにしても渋沢敬三という人物は、非の打ちどころがないほどの好人物である。
子爵渋沢一族の直系として、しかも日銀総裁・大蔵大臣という地位を得ながらも、家や権力を笠に着ることなく、学問の発展のためには惜しみなくお金を投げ出す。渋沢のことを悪くいう人はいない。

それは宮本とて同じで、人を惹きつけずにはおかないという人柄の魅力について、出会った人皆が口をそろえて賞賛の言葉を口にする。
この二人の「人の良さ」の犠牲になって、悪人として描かれているのが柳田國男である。日本民俗学黎明期における後味の悪い派閥争いが引き合いにだされるが、そのなかに身をおきながら宮本も渋沢も汚れずに超然としていた。

「あとがき」で佐野さんは、宮本のことを「徹底的に足を使って調べるすぐれたノンフィクションライター」と表現している。なるほどそうであったか。
文庫になっている宮本の著作は、名高い『忘れられた日本人』(岩波文庫)をはじめほとんど持っているのだが、食わず嫌いで読んではいない。
いや、食わず嫌いというよりは、「歴史を志すものならば読んでいて当たり前の名著」という、日本史研究者間の奇妙な思い込みに背を向けたかったという、私の天邪鬼根性によるところが大きい。

本書を読んで、佐野さんが敬意を表するノンフィクションという意味で、自然に「本好き」としての自分の関心の延長線上に宮本の著作を位置づけることができた。
たいへんな収穫だ。

■2001/03/05 紺屋の…

はっきりと覚えていないので恥ずかしいのだが、最近読んだ活字のなかに「紺屋の明後日(あさって)」ということわざがあった。
昨日書いた『旅する巨人』だったかもしれない。

「紺屋の白袴」なら知っているが、「紺屋の明後日」などということわざは不勉強にして知らない。
さっそく例によって『日本国語大辞典』で調べる。

紺屋は天候に支配されがちであるため、明後日になればできると言っては期日を延ばすことが多く、あてにならないこと。転じて、一般に約束のあてにならないことのたとえ。

なるほど。ちなみに「紺屋の白袴」は、

他人のためにばかり忙しく、自分のことに手がまわらないことのたとえ。また、いつでもできるにもかかわらず、放置しておくこともいう。

「明後日」にしても「白袴」にしても、紺屋を馬鹿にしすぎてやいないか。
いずれも江戸時代に成立したことわざだが、紺屋とはこのように半ば親しみを込めつつも嘲笑されるような存在だったのだろうか。
「白袴」のほうには、一説としてこんな説も紹介されている。

染色の液を扱いながら、自分のはいている白袴に、しみ一つつけないという職人に意気を表したことばであるとする。

前の二つは紺屋にマイナスの価値を付与するものであったが、この説はまったく逆で、紺屋を賞賛する内容である。
「明後日」「白袴」の流布した説があまりにも紺屋を馬鹿にするものだったので、紺屋仲間が反発してこのような説を吹聴したのではあるまいか。

伊原昭さんの『文学にみる日本の色』(朝日選書)を見ると、江戸期は染物屋、つまり紺屋が多く開業していることから、染色の必需性が高かったと推測されている。以前歌舞伎役者と色の関係について考えに及んだことがあるが、江戸時代は実にさまざまな色が生み出されたのである。
このような人々の染色への期待の大きさが、逆にその期待を十分に実現してくれない紺屋への不満として、「明後日」「白袴」のことわざが生まれたものだろうか。

■2001/03/06 『人間臨終図巻』

山田風太郎さんの大著『人間臨終図巻』が待望久しくようやく文庫に入ったので(徳間文庫)、さっそく購入する。
二分冊のようであり、今月はまずその第一巻。

時代や洋の東西を問わず、歴史的人物から犯罪者まで、たんに亡くなった年齢を基準にさまざまな人の死に様を並べたのが本書の特色である。
たとえば私の今の年齢は33歳。この年齢で死んだ人には、アレキサンダー大王・北条時宗・清河八郎・松井須磨子・永野一男の五人が並んでいる。
永野一男なんて聞いたことがないと思っていたら、かの「豊田商事」の社長(マスコミの目の前で殺害された人)であった。

大河ドラマの主人公である北条時宗などはいまの私と同じ年齢で亡くなったのだ。大変だったのですね。

もう一つ年齢を広げて34歳とすると、浅野内匠頭・近藤勇・土方歳三・織田作之助などがいる。
みなさん本当にお若くして亡くなったのだ。さまざまな感慨がわく。

【追記】徳間文庫版『人間臨終図巻』は結局三分冊であった。

■2001/03/07 「はじめて物語」の魅力

いま、松村昌家さんの『水晶宮物語』(ちくま学芸文庫)を読んでいる。
タイトルのとおり、1851年ロンドン万国博覧会の目玉であった建物水晶宮(クリスタル・パレス)の建築をめぐる顛末を追ったものである。

ロンドン万博は第一回の万国博として著名である。
万博に関する本としては、この後に開催されたパリ万博について書かれた鹿島茂さんの『絶景、パリ万国博覧会』(小学館文庫、元版河出書房新社)があって、これはその当時の社会経済や社会思想のあり方から万博を考察した快著であった(という記憶がある)。

パリ万博に先行するロンドン万博についての知識はまったくなく、果たして鹿島さんがパリ万博を論ずるような面白い視点があるのだろうかと、半信半疑で読み始めたのだけれど、実に面白い。

鉄骨と木材の骨組みにガラス板をのせた「巨大な温室」が、会場となったハイド・パークに組みあがるまでの部分を読み終えたのだが、この水晶宮は、別の場所であらかじめ鉄骨や木材を加工して一気に組み立てるという、いまでいう「プレハブ建築」の走りでもあった。
このパビリオンの設計コンペが「当選作なし」の結果に終わり、あわや建築委員会独自案(これがめちゃくちゃ)に決まりつつあるとき、疾風のように水晶宮の設計者パクストンがあらわれ、あっという間に採用となったくだりは圧巻である。

先にこの水晶宮を「巨大な温室」と書いたが、パクストンは実際にこれ以前同じようなコンセプトをもつ画期的な温室を設計し、これまで栽培が困難であった巨大な蓮の栽培に成功させるという実績を持っていたのである。水晶宮はその応用というわけだ。
パクストンをめぐる話だけでなく、万博の実質的なリーダーだったヴィクトリア女王の夫アルバート殿下と英国王室の話も興味深いのである。

それにしても、それまで類例がなかったような建物やイベントを一から作り上げようとする過程というのは、そこに新鮮な、かつ巨大なエネルギーが投入されるために、まことにスリリングで面白い。
こうした素材を活かすも殺すも書き手次第なのであるが、松村さんは見事にそれを活かすことに成功したと思われる。

■2001/03/08 「沢村田之助」小説

神保町の靖国通から奥に入った場所(通称「裏神保町」)にある「娯楽時代小説専門古書店」(これは店自身のコピー)海坂書房は、べつに「娯楽時代小説」好きではない私にとっても楽しめる、いい古本屋さんである。
時代小説の単行本・文庫をはじめ、歴史関係(といっても専門的ではないもの)の文庫・新書、落語・歌舞伎などの芸能関係、さらには江戸・東京本の品揃えも洗練されている。

さてそこで山本昌代さんの『江戸役者異聞』(河出文庫、品切)を購入した。
以前我楽多本舗管理人のやっきさんから教えていただいたもので、中味を見てみると三代目沢村田之助を主人公とした小説であった。
彼は幕末から明治にかけて活躍した美貌の女形で、脱疽により四肢を切断しながらもなお舞台に立ったという壮絶な生涯を送った役者である。

小説の素材としては格好の人物であるためか、すでに南條範夫さんに『三世沢村田之助』という小説がある(文春文庫)。

私が沢村田之助を知ったのは何だったか。たしか上に述べたような壮絶なエピソードを知ってその人物に興味をもち、南條さんの本を手に入れたという経緯であるのだ。
山田風太郎さんの明治物であるようにも記憶していたので、それらを漁ってみたが、田之助を主人公とした小説は見つからなかった。

ただ、原胤昭を主人公とする『明治十手架』のなかで、ヘボンが重要な登場人物として設定されており、このヘボンが田之助の四肢切断を担当した医師なのである。
同書の「恍惚と惨劇」の章には、次のように書かれている。

明治元年ころ、当代一の名女形といわれた沢村田之助が脱疽にかかったとき、その足を切断する手術を行い、そのあと義足というものをつけてやったのもドクトル・ヘボンだったということも、「江戸人」ならだれでも知っている。

この断片的な叙述が強烈な印象として残っていたものか。
でももっと詳しく触れられた文章を読んだ気がしないでもない。まあいずれにせよ、南條本・山本本の二冊により、「三代目沢村田之助」小説というジャンルが成立したことになろうか。

関係ないが、山風の明治物を漁っているうちに、無性にこれらを再読したくなってしまった。

■2001/03/09 歌舞伎役者小説アンソロジー

昨日、三代目沢村田之助を描いた小説として、南條範夫『三世沢村田之助』(文春文庫)と山本昌代『江戸役者異聞』(河出文庫)の二つをあげた。

そもそも『江戸役者異聞』の話は、講談社文庫先月の新刊である松井今朝子さんの『仲蔵狂乱』から派生したものである。
いうまでもなく、「仮名手本忠臣蔵」の五段目で勘平の鉄砲に撃ち殺されるニヒルな浪人斧定九郎の型を案出した、不世出の役者が主人公である。

この中村仲蔵については、これも我楽多本舗管理人やっきさんのご教示で、落語に「中村仲蔵」という噺があるのを知った。麻生芳伸編『落語特選(下)』(ちくま文庫)で読むことができる。
「中村仲蔵」作品は、いまのところこの二つであろうか。去年幸四郎の仲蔵で上演された「夢の仲蔵」は荒俣宏さんの原作。ノベライズされれば、これも含めることができよう。

田之助にせよ仲蔵にせよ、際立った芸と波乱の人生の持ち主であり、だからこそ彼らを題材とする複数の作品が生み出されたわけである。

いっぽうで、芸こそ堅実で目立たぬものであったらしいが、亡くなり方が特異で、小説に取り上げられた役者がいる。八代目市川團蔵である。
昭和41年に84歳で引退披露興行を行なったあと、四国にお遍路の旅に出て、そのまま四国で投身自殺をしたのだ。戸板康二さんの「團蔵入水」(『團蔵入水』講談社)は、その團蔵を悼んでつづられたエッセイとも小説ともつかない作品となっている。
また、このなかで戸板さんが触れている網野菊さんの「一期一会」(『一期一会/さくらの花』講談社文芸文庫)もまた、團蔵追悼の小説だという(未読)。「團蔵」小説というジャンルもあるといえようか。

その戸板さんの他の作品にも触れないわけにはいかないだろう。
直木賞受賞作「團十郎切腹事件」(『團十郎切腹事件』講談社文庫)は八代目市川團十郎の切腹の謎を取り上げた小説であるし、こちらは未読だが『小説江戸歌舞伎秘話』(講談社文庫)もまた歌舞伎役者を取り上げているに違いない。

こう考えてみると、歌舞伎役者小説のアンソロジーが一巻編めてしまえそうだ。

■2001/03/10 食の名文家

千駄木にある「古書ほうろう」の食の本コーナーを漫然と眺めていたら、重金敦之『食の名文家たち』(文藝春秋)という本が目に入った。すぐさま手にとって目次を見ると、予想したような顔ぶれがずらり。
谷崎潤一郎、吉田健一、内田百閨c。私としてはこの三人の名前を見つけた時点で「買い」である。

著名人、とりわけ作家と食にまつわるエピソード集のような内容の本は、それこそたくさんあるに違いない。
私がこれまで読んで面白かったものをあげれば、里見真三『賢者の食欲』(文藝春秋)・嵐山光三郎『文人悪食』(新潮文庫)の二著がある。
嵐山本は、タイトルからも察せられるように、どちらかといえば極端な食の嗜好を取り上げたもの、里見本は、作家以外の人物(たとえば徳田球一・大河内正敏)も取り上げたものであった。

本書はこの二著に比べると、現在活躍中の作家も含めて、より一般向けの内容とおぼしい。また、特定の作品と食の関わりについて記したものでもあるらしい。
取り上げられている作家たちは次のとおり。

松本清張・宮尾登美子・半村良・織田作之助・向田邦子・谷崎潤一郎・立原正秋・小島政二郎・渡辺淳一・吉田健一・吉行淳之介・高見順・川端康成・立野信之・久保田万太郎・田中康夫・森鴎外・池波正太郎・古川緑波・檀一雄・瀬戸内晴美・内田百閨E志賀直哉・水上瀧太郎・開高健・三島由紀夫・夏目漱石・徳川夢声・獅子文六・林芙美子・川口松太郎・永井荷風・近藤啓太郎・横光利一・太宰治・小池真理子・山崎豊子・室生犀星・広津和郎・遠藤周作・平岩弓枝(対談)

もう「豪華フルラインナップ」としかいいようがない陣容である。
だいたい内容が予想できるものもあるけれど、そのいっぽうで新しく興味を持った作家が二人。
「いまさら…」と言われそうだが、『父の詫び状』(文春文庫)の向田邦子さんと、『なんとなく、クリスタル』(河出文庫)の田中康夫さん。前者は『銀座百点』連載エッセイということで興味をもつ。後者は、これも当たり前の発想なのだが、十数年まえの「都市東京小説」として興味がある。

上記の本など、古本屋で簡単に入手できそうだが、いまのところお目にかかっていない。探そうと思うと結構見つからないものだ。

■2001/03/11 ダレダロウカダレイタロウ

福永武彦『加田伶太郎全集』(扶桑社文庫)のうち、SFを除いたミステリ小説およびエッセイをほぼ読み終えた。

ミステリ・ファンにとっては基礎知識なのだが、加田伶太郎とは福永武彦が探偵小説を書いたときの筆名であり、「ダレダロウカ」のアナグラムで編み出した名前である。
以前新潮文庫に入っており、触手が動かないでもなかったが、結局買わないまま、今回の扶桑社文庫版ではじめて加田作品を読むこととなった。
扶桑社文庫版は、加田伶太郎名義の作品八篇に加え、SF三篇、それに探偵小説に関するエッセイ、さらにこれまでの版に付された序・跋、他者の手になる解説、月報所収文にいたるまでを集成した、夢の「加田伶太郎全集」全集≠ニいうおもむき。

加田伶太郎作品に共通するのは、探偵役の文化大学古典文学科助教授伊丹英典氏。
ちなみに「素人探偵誕生記」によれば、この探偵の名前もまた“Meitantei”のアナグラムだという。遊戯的雰囲気に満ち満ちている。

処女作の「完全犯罪」は、謎解き重視の論理遊戯、パズル小説の色が濃い。論理的思考に弱いゆえか、私はこうしたたぐいの推理小説は苦手である。要は『Xの悲劇』よりも『Yの悲劇』をとる人間なのだ。

会話による筋の運びの妙は優れたものだが、次作の「幽霊事件」あたりまでは、そのような論理性が勝った、登場人物があたかも機械の一部品であるかのような構成に辟易した。
しかし、さらに続けて読んでいくうちに、そうした論理性は稀薄になり、探偵伊丹英典氏や助手の久木進氏、伊丹氏の奥さんなど、レギュラー登場人物に対する描写の彫りが深くなって、作品にも味わいが出てきて好ましくなってきた。福永さんに言わせると、あとのほうの作品になるほど、手持ちのトリックが底をついて苦しみながら筆を執ったらしい。

一般的評価とはまったく別次元の、あくまで私の個人的な嗜好の問題であることを断っておくが、私は四作目「失踪事件」以降の作品群が断然面白い。
このような嗜好は、さらに戸板康二さんの中村雅楽物好きとも通底しているのに違いない。

■2001/03/12 十年前の記憶の断片

私は記憶力というものに自信がなく、覚えるべきことをすっかり忘れていることが多々あって、これまでいろいろな人に迷惑をかけている。

しかしそのいっぽうで、つまらないことを覚えていたりして、自分の記憶力に対する自信を回復することもないではない。
読んだ本のことなどは綺麗さっぱり忘れることが多いから、再読三読も可能なのだが、断片的ながらも案外覚えていることもあるものだ。

昨日触れた『加田伶太郎全集』に収められている福永武彦のショート・ショート「女か西瓜か」を読んだのだが、以前に読んだことがあるような気がしたのである。

福武文庫の児童文学アンソロジー『現代童話』だったか。そう思って書棚を探したところ見当たらない。売ってしまったか。
でも、このアンソロジーはすぐれたもので、アンソロジー好きな私としては売るはずがない。まだ開けていない段ボール箱のなかに眠っているのだろうか。ここにもまた記憶の欠落がある。

それはともかく、過去の日記に「福永武彦」でgrep検索をかけてみたところ、見事に以下のようなくだりに逢着した。

書籍部にて『現代童話』1、2(今江祥智・山下明生編、福武文庫)を購う。1には中勘助、福永武彦、2には島尾敏雄、花田清輝、長谷川四郎などの作品が含まれていたのが購うきっかけになった。また、童話には現代の小説において失われたファンタジックなもの、ノスタルジックなものを味わうことが出来るのでは……という淡い期待もある。早速福永の「女か西瓜か」を読んだが、さすがミステリー好きの彼だけあって、ミステリータッチの、スリル満点の面白い話であった。けだし佳品である。(平成3年2月26日)

やはり読んでいたか。十年前の話である(当時大学院前期1年)。
十年の齢を重ねた冷静な目で見て、また、一般的評価としてこの作品が「佳品」とまでいえるかどうかはなはだ疑問で、当時の私の評価は褒めすぎのきらいもある。
でも、そのような評価を下したからこそ、十年後に読んでも「読んだことがある」という記憶が残っていたものであろう。

それにしても、『現代童話』の所在が気になる…。

■2001/03/13 或る本好きの苦悩

『現代童話』(福武文庫)を探したけれども、結局見つからなかった。
仙台から東京への引越し、あるいは東京での転居のさい、古本屋に売り払ってしまったのだろう。まことに残念なことである。

売り払うことに決めたのは、その時点での自分の考え方として、今後読むことはないだろうと判断したからに違いない。判断が誤っているかどうかは、その時点で知るべくもない。
ところがこうして現実には参照の必要性が生じる事態に際会した。そして、それが手元にないとわかると、惜しいことをしたという気持ちで暗鬱になる。

ことほどさように、持っている本を売り払うということは、たいへん悩ましく、勇気のいる決断を強いられるのだ。
すでにいまの書斎でさえ本であふれ、今後宝くじにでも当たらないかぎり広い部屋を持つことなど許されない。したがって、かなりの頻度でこうした苦渋の決断をする時期がやってくることは目に見えている。苦しい。

読んでしまった本のうち、今後二度と読まないであろう本を売る。言うのは簡単だ。でもあれこれと選んでいるうちに、結局売る本が絞られてしまう。それではその後も続々と増えつづけるであろう書物への有効なスペース対策にはならない。
思い切った基準で情け容赦なく切り捨てる。これが肝心。しかしこれも言うは易し行なうは難し。

そこで窮余の策として実家に置かせてもらう。実家には年に数度しか帰らない。しかも帰っても読むわけではない。それなら売ってもかまわないではないかということになる。でも売ることができない。苦しい。

…などと結論の見えない考えが頭のなかを駆けめぐる。
原因となった『現代童話』だが、たとえ見つかったとしても、きっと読むわけではないんだな、これが。そもそもこういう姿勢をあらためることが必要なのか。嗚呼。

■2001/03/14 「老後のために」は成立するのか

比喩的にいえば、私は新聞に書かれた文章を読まずに情報を読む人間だから、よほど関心のある話題でないと新聞のコラム記事などを熟読することはない。

先ごろ、2001年3月11日付朝日新聞朝刊読書欄の富岡多惠子さんの文章に珍しく目が止まった。
「いつもそばに、本が」というエッセイのなかで、こんな一節を見つけたからである。

これまで、仕事をする上で必要にせまられて読む本の向こうに、若い時期に読みそこなった本や好きな本を並べて、老後の楽しみにと思って過ごしてきたが、それはまちがいだった。読みたいと思う本、つまり本への嗜好も、加齢による心身の変化に支配されるのを今になって知るのである。

これを目にしてどきりとせずにはいられない。
これまで折りに触れて記してきたように、私にも老後に読もうと大事にとっておいている本があるからだ。
たとえば三一書房の『久生十蘭全集』。久生十蘭は、精神的な余裕があるとき、ゆっくりゆっくり読んでみたいと思っている作家だ。
全集を購入したのはもうだいぶ前の話(これも十年近く前か)になる。、使えるお金の限られた学生身分ゆえ、もちろん読みたいから購入したのだ。しかし数年経って方針を上記のように変更した。

またたとえば岡本綺堂の『半七捕物帳』。でもこれは老後になる前に読んでしまいそうな気がする。

実際に「本への嗜好」の変化を老後になって体験された富岡さんの発言は重い。
二十代から三十代にかけて、この十年間の私の乏しい経験ですら、本への嗜好はかなり変化している。
澁澤・種村から、池波正太郎・藤沢周平の文章、また、幸田文・戸板康二の文章への偏愛へ。
幸い、久生十蘭への憧憬は十年の時間に耐え風化せずに残ったままだ。しかしあと十年、四十代に入ったときまでこの嗜好を持続させているのかどうか、先行きをまったく見通すことができない。
本当であれば、読みたいときに好きなだけ本を読む、これが理想なのだが。

■2001/03/15 向田文学の衝撃

重金敦之さんの『食の名文家たち』を見て、『銀座百点』連載だからという理由だけで購入した向田邦子さんの第一エッセイ集『父の詫び状』(文春文庫)は、今年最初の衝撃であった。感動的に面白い。

文章の品、ほのかにただよう「色気」(フジタさんの表現をお借りしました)、さすがテレビドラマの脚本家と思わせる人間観察の鋭さ、描写の細かさ、素材選択の素晴らしさ、「寺内貫太郎一家」の小林亜星の原点はここにありと思わせる実父の厳格さ、電車で読んでいて、あまりに読み進めるのがもったいなくて時々読むのを中断して、ほぉーっ、と深い深呼吸をしてしまうこと度々。

「読むのが惜しい」という本に出会うのは、せいぜい年に一、二回あるかないか。去年末にはまった丸谷才一さん以来の「惜しい本・作家」との出会いであった。
あと数十年生きるとして、こういう体験ができるのは、単純に数えてみても数十回、いや、そうそう今後はあるとも思えないからもっと少なかろう。
この体験を大事に大事にして、向田文学を読みたい。

ところで、お年を召した方の文章の背後に広がっている時間の深みに思いをめぐらせたり、そうした人々と自分との距離をはかる目安として、私の場合澁澤龍彦の生年を基準にすることが多い。
澁澤が生まれたのは1928(昭和3)年である。
たとえば高名な歴史学者の網野善彦さんは、その業績以上に、澁澤と同年齢という印象で強く覚えているほど。

向田邦子さんは澁澤より一年遅い1929年生まれだという。
男と女という性の違いによる教育、遊びの差異、また、戦争体験の違いはあれ、都銀の支店長と大手保険会社の支店長という親の立場、東京に住んでいたという生活環境の類似などもあって、『父の詫び状』を読んでいてゆくりなくも澁澤の『狐のだんぶくろ』(河出文庫)を思い出した。

それにいずれも五十代に書かれた回想エッセイであり、それぞれ幼少年期の記憶に対するスタンスの取り方まで似通っている。
このくらいの年齢になると、それまでの時間の堆積がその人の人生にほどこしたいろいろな刻印を振り返る余裕が生じ、人間的に「渋み」が出て、幼少年期を輝ける懐かしきものとして思い出せるものなのだろうか。
そうした歳のとり方が理想的だ。

■2001/03/18 ネット古書店も立派な古本屋

たとえば見知らぬ町をぶらぶらと散策しているとき、小さな古本屋を見つけて何気なく入る。そこで前々から探していた本を偶然見つけたときの喜び。これは何ものにもかえがたい。こんな僥倖はめったにない。

せめてお気に入りの品揃えをしている古本屋を数軒かかえておき、一定の期間をおいて通う。そうすればいつの日かは探求書にめぐりあうことがあるのではなかろうか。
古本屋でアルバイトをしながら、澁澤龍彦の本のなかでもめったにお目にかかれず、稀覯本の域に入るであろう『夢のある部屋』『悪魔の中世』『貝殻と頭蓋骨』などを実際見る機会を得、そのうちの一冊を幸運にも入手することができるにいたっては、時間さえ我慢すれば探求書などいつでも見つけられると楽観している。

話はそれたが、古本屋で長年探していた本に出会い、しかもそれが安かろうものならば、これ以上嬉しいことはないのだ。
最近はネット古書店が充実してきて、どこにいてもいつでも探索して見つかれば、数日後に手にすることができるようになったのは喜ぶべきことである反面で、上に書いたような楽しみが多少薄れてきているのも否めない。

でも、ネット古書店でも丹念に検索を続ければ、思わぬ掘出物を見つけることができる。「ネット古書店案内」などは、加盟店も多く、それぞれの店が頻繁に在庫を更新するため、ネット古書店でも実際の古本屋で得るのに近い喜びを味わう可能性も高い。

ときどき私は「戸板康二」で検索をかけて、何かいい本は入っていないかとチェックするのだが、たいていはかわり映えしないラインナップで失望を覚える。
でも先日、偶然戸板康二で検出された数ページにわたるデータを最後まで見てきたとき、最後のページの、それまた最後のデータとして『第三の演出者』(桃源社)があったのを見逃さなかった。中村雅楽物の長編推理小説だ。これまで実際の古本屋でも、ネットでも、一度も見かけたことがない。それが2000円で売られている。飛びついた。

これはまさに、偶然入った古本屋に探していた本があったときの喜びに似ている。すこし幸せな気分になった。

■2001/03/19 「バス乗り」の快楽

山形・仙台に住んでいた頃、路線バスというのは、何らかの事情で車を使えないときの代替交通機関というくらいにしか考えていなかった。
東京に移り住み、街歩きの楽しさをおぼえるようになって、路線バスの楽しさも自ずとわかるようになってきた。
しかし、いまだに路線バスは十分な精神的ゆとりがないと乗りこなせない。精神的ゆとりがあるときということは、当然時間的ゆとりもあるということだ。

「バスに乗って寄り道して帰ろう」。そう思うことがあっても、あれこれと家庭の事情≠ェあって、思うようにまかせない。

昭和四十年代に少年時代を東京で過ごし、かなりの「路線バスマニア」だったという泉麻人さんが、現在都内に走る路線バス50路線を実際に乗ってレポートしたのが、講談社文庫今月の新刊『大東京バス案内』である。
あまりに面白いので、病褥にあるにもかかわらずほとんど一気に読み終えてしまった。

下町から山手、さらに奥多摩まで、選ばれた路線はバラエティにあふれるもので、読んでいても飽きがこない。
泉さんの「バス乗り」としての嗜好は、「クネクネウネウネ」の道を通るバスが好みであるということ。
また、建物の軒をかするような狭い道をアクロバティックに運行するバスも好き。
つまり、大通りをサーッと走り抜けるようなバスは「バス乗り」心をくすぐらないのである。

乏しい私の体験でも、狭い道を方向がわからないくらいにクネクネと走り、いままで聞いたことがないようなバス停の名前にいちいち驚きながら、自分の頭に描いている地図と重ね合わせているときが楽しい。

たんにその路線のバスに乗り続けて、「沿線ルポ」をするだけでなく、興味をおぼえたバス停ではすぐ途中下車して、街歩きを開始する。食事どきには、見かけこそ派手さはないが、いかにもおいしそうな料理を出すとふんだごく普通の店を選んで入ってゆく。そうした街歩きエッセイとしての面白さもある。

これを読んでバスに乗りたいという気持ちにさせられた人は、少しでも「バス乗り」の気がある人である。
この文庫版には、「ボーナストラック」として、「大東京のバス映画案内」という、川本三郎さんの『銀幕の東京』(中公新書)をもっとマニアックにした、「都内の路線バスが登場する懐かしの映画」を取り上げたエッセイが入っている。

泉さんが少年の頃から持ち続けた遊び心が結実した、幸福な一書である。

■2001/03/20 「洋酒マメ天国」の世界

ネット古書店では、ちょっと前に、同じく戸板康二さんの『酒の立見席』という本も購入している。
この本は、サントリーがかつて出していた「洋酒マメ天国」というお酒にちなんだ内容のマメ本シリーズの一冊として刊行されたものだ。

「洋酒マメ天国」というと思い出すのは、澁澤龍彦の『NUDEのカクテル』である。『澁澤龍彦全集』第8巻(河出書房新社)に収録されている同書の解題(巌谷國士氏執筆)には、次のように紹介されている。

これはA7判変型(天地89×左右63ミリ)の特殊な小型本シリーズの一冊で、上製クロス装、柳原良平のデザインによる多色刷の紙カヴァーがつき、他の二冊とセットで紙製貼函に入れられるようになっていた。本文はコート紙を用い、7ポイント14字13行2段組118ページ。単価は100円だった。

澁澤の本は、タイトルのとおり、篠山紀信など著名カメラマンが撮影したヌード写真に澁澤のエッセイが添えられるという(あるいは澁澤のエッセイにヌード写真が添えられる)というものであったらしい。
「らしい」というのは、実物を見たことがないからだ。
一昨日書いたように、澁澤の単行本は古本屋バイト時代にほとんど実物を見たことがあるが、これはさすがに目にしたことがなかった。マメ本という特殊な形態もあるのだろう。

このシリーズからは、種村季弘さんも『悪女の画廊』という本を出していることを知ったのは、それが『種村季弘のネオ・ラビリントス4 幻想のエロス』(河出書房新社)に収められてからのことである。

さらにこのシリーズに戸板さんの『酒の立見席』という本も含まれているというのは、ネット古書店の検索ではじめて知った。それを考えると、「洋酒マメ天国」はなかなか素敵なラインナップであったということができるだろう。

戸板さんのこの本は、「酒」を縦糸に、歌舞伎や新劇でお酒が登場する演目・シーンなどを切り取って、それに関する文章と舞台写真を掲載したものである。
歌舞伎でいえば、有名な「勧進帳」や「仮名手本忠臣蔵(七段目)」、さらに「大杯」や「丸橋忠弥」など、過去の名優の写真に戸板さんの味のある文章が添えてあって、小粒ながら読書の楽しみは普通の本に勝るとも劣らないのである。

■2001/03/21 「洋酒マメ天国」の全容

昨日触れた「洋酒マメ天国」の全貌はどうなっているのだろうか。そう疑問に思ってネットで検索をかけたら、「愛書家パティオ」というホームページ内に「書籍蒐集の記録」を掲載されているクレインさんという方による全冊紹介に突き当たった。
クレインさんは、ブックオフで全冊セットを購入されたという。しかも一冊あたりの単価に直すと100円! ちなみに私は戸板さんの『酒の立見席』を500円で購入した。

クレインさんから、「洋酒マメ天国」全冊データの転載をご快諾いただいたので、下に若干の加工・修正をほどこして掲げたい。

これまで触れた戸板・澁澤・種村各氏の著書のほか、個人的に興味があるのは、植草甚一・野坂昭如・和田誠各氏のもの。
これらを編集したのは、サントリーの宣伝雑誌『洋酒天国』の編集に携わっていた山口瞳さんなのだろうか。

なおデータ引用の許可をいただいたクレインさんは、現在「本と遊ぶ・本いろいろ」というホームページを主催されている。本好きのかたはよろしくご参照されたい。

※データの順番は、左から巻数,編著者,刊行年月,挿絵・写真

(1)ウイスキー,編集部,1967/6[柳原良平]
(2)続ウイスキー,開高健,1967/9[柳原良平]
(3)ブランデー,編集部,1967/12[柳原良平]
(4)ビール,編集部,1968/3[柳原良平]
(5)ワイン,編集部,1968/8[柳原良平]
(6)カクテル,編集部,1968/11[柳原良平]
(7)ジン・ウォッカ,編集部,1969/2[柳原良平]
(8)続・ビール,編集部,1969/5[柳原良平]
(9)ワイン・シャンパン,編集部,1969/8[柳原良平]
(10)洋酒掌辞典,編集部,1969/11[柳原良平]
(11)洋酒掌辞典,編集部,1970/2[柳原良平]
(12)ラム・リキュール,編集部,1970/5[柳原良平]
(13)我輩の酒飲み作法,柴田錬三郎,1967/7[柳原良平]
(14)男の服装劇場,石津謙介,1967/10[穂積和夫]
(15)酒の立見席,戸板康二,1968/1[吉田千秋]
(16)わが酒菜のうた,辻勲,1968/4[山下勇三・東条忠義]
(17)おつまみ読本,草野心平,1968/9[磯田尚夫]
(18)蒐集家の散歩道,植草甚一,1968/12[植草甚一]
(19)サントリー談話室,小林勇,1969/3[矢島功]
(20)エチケットの稀本,高橋義孝,1969/6
(21)酒楽笑辞典,江國滋,1969/9[湯村輝彦]
(22)色好み女歳時記,楠本謙吉,1969/12[マダム・マサコ]
(23)演歌ばらえ亭,永六輔,1970/3[長尾みのる]
(24)乾杯博物館,伊丹十三,1970/6[]
(25)酒の診察室,木崎国嘉,1967/8[長尾みのる]
(26)美女とり物語,秋山庄太郎,1967/11[秋山庄太郎]
(27)架空会見記,池島心平,1968/2[和田誠]
(28)私設名画座,古波蔵保好,1968/5[永島一朗]
(29)NUDEのカクテル,渋澤龍彦,1968/10[稲村隆正・秋山庄太郎・中村正也・細江英公・篠山紀信]
(30)巷説百人一首,池田弥三郎,1969/1[風間完]
(31)酒専科・女専科,バージル・パーチ,1969/4[一口マンガ]
(32)ポーノトピア,野坂昭如,1969/7[横尾忠則]
(33)悪女の画廊,種村季弘,1969/10[金子國義]
(34)ケッ作美術館,杉浦幸男,1970/1[杉浦幸男]
(35)魚・鳥・虫ノート,那須良輔,1970/4[那須良輔]
(36)八方美人プラス14,和田誠,1970/7[和田誠]

■2001/03/22 いよいよ山口瞳の世界へ

「洋酒マメ天国」はひょっとしたら山口瞳さんの編集か、などと考えているうちに、山口瞳さんの本を読みたくなった。実はまだ一冊も読んだことがない。

しかし、周囲の本好きの知人が好きな作家としてあげておられたり、また、読んだ本のなかでもその名前が何度か登場したりして、去年あたりからずっと気になる作家ではあった。
だから、去年の年末近くになってから、新潮文庫の青い背の文庫本を、古本屋で見かけるたびに少しずつ買いためてきていたのだ。読むのは今年2001年になってからにしようなどと考えながら。

今年になっても、読みたい本が次々と出てきたために、山口瞳さんの青い背は書棚の気になる場所に置いてありながらも、手をつけるには至っていなかった。
三ヶ月になろうとする今、遅まきながらようやく山口瞳の世界へ踏み出そうというわけである。機は熟した。

最初に読むのはこれと決めていた。
山口瞳といえば「これ」というべき、『週刊新潮』連載のエッセイ「男性自身」の最後のシリーズ『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮文庫)だ。

読んでみると、はたして面白い。
でも、ときおり支離滅裂で首尾一貫せず、唐突な文章に出くわすことがある。あと戻りして読み返してみるけれども、やはり意味が通らない。
これは、山口瞳さんの文章がもとよりそうした奔放なものゆえなのか、それとも、最晩年、病を得て集中力が低下したなかで記した文章ゆえなのか。よろしく山口瞳ファンのご教示をまちたい。

もっともそのような瑕疵はわずかであり、それでもって山口瞳さんは自分の好みではないと切って捨てる材料とはまったくならない。むしろその逆で、文章が持っている雰囲気、山口さんのものの考え方、感じ方は私の好みの部類に入る。
戸板・花森・色川…こういう私好みの人間たちとの交友関係がある人物の文章を好まないわけがないではないか。

■2001/03/23 慶応三年生まれの旋毛曲り

今朝の新聞広告で、坪内祐三さんの新著『慶応三年生まれ七人の旋毛曲り』(マガジンハウス)を見つけて、さっそく今日購入した。

本書の副題は「漱石・外骨・熊楠・露伴・子規・紅葉・緑雨とその時代」
「慶応三年生まれ七人」とはすなわちこの七人である。苗字を付け加えなくともいいだろう。

慶応三年とは西暦1867年。翌68年が明治元年である。つまり江戸の最末年に生まれたわけだ。
漱石・子規・露伴あたりが同年で67年だということは知っていたが、そこに外骨・熊楠も加わり、さらに紅葉・緑雨も加えて並べると、何とも迫力のあるラインナップである。

本書の取り上げる範囲は、明治二十年代、彼らの二十代後半まで。七人を並行的に取り上げ、彼らが生きた時代背景とともに彼らのエネルギッシュな活動を描いた評伝とおぼしい。
全員が全員ある一点で交わっているわけではない。逆にそれぞれの人物同士にまったく交点がないわけでもないだろう。個々の人物同士が親友だったり、知己だったり、ライバルだったりで、どこかで接点があったはずだ。

あまりに接点がありすぎても、評伝が平板になって面白くない。接点がなさすぎて、どこまで行っても交わらずに平行線でもつまらない。
適度に接近して、適度に距離をとり、しかもそれぞれが自分の世界を強固にもっている。おまけに全員が全員どこかエキセントリックな「旋毛曲り」ばかり。坪内さんはうまい材料を見つけたものである。

550頁の大著ゆえ、これまたいつ読み終えるか先が見えないが、とにかく読んでみたい。
私は彼らからちょうど100年遅れてこの世に生まれてきた。それゆえか、自然と親近感がわいてくるのである。

■2001/03/24 探偵小説の偏愛

大岡昇平さんの日記体エッセイ『成城だより(上)』(講談社文芸文庫)をざっと流し読んだ。
日記好きとしてはたまらないほど情報量が豊富で、逆にだからこそ自分にはわからない記事も多く、興味のある部分だけ丹念に読むことにした。

タイトルにある成城は、大岡宅が世田谷の成城にあることから。心臓を悪くされて、体に細心の注意を払いながら、世間の動きに敏感に反応する。七十歳を超えてもなお貪欲に新しいもの(たとえばニューミュージックなど)を吸収しようとする精神に感服す。

大岡さんの探偵小説好きはこの本を読んでいてもよくわかるのだが、他人の好みについても注意深く書きとめられている。
目がとまったのは、こんなくだりである。

なお日本の探偵小説にては、綺堂の「半七捕物帳」戸板康二の「雅楽物」のほか認めず(他は赤毛物なりとす)、翻訳を信用せず、ハドリー・チェイスとパトリシア・ハイスミスの仏訳のみ全部取り寄せている人間あり。成城在住の仏文学者山田【じゃっく】なり。(2―1月13日条)

【じゃっく】の漢字がないのでどうも間抜けなのだが、この名前から想像がつくように、山田氏は鴎外の令孫にあたる。森茉莉さんと仏文学者山田珠樹の子供で、命名は鴎外による。
森茉莉『父の帽子』(講談社文芸文庫)巻末の年譜によれば、山田氏は1920(大正9)年生まれ。
まあそんなことはどうでもいいのだが、その山田氏は、国産探偵小説としては「半七」か「雅楽物」しか認めないという。
他を「赤毛物」として斥けているということは、日本的な道具立て、および日本語に練達した書き手の文章で書かれたものでないと駄目だということか。

この山田氏の偏愛の話は後にも言及されている(6月12日条)。
ここで大岡さんは、山田氏の言に動かされて「半七」を再読中であり、「維新当時の、江戸の世相文物行刑の描写が正確」と絶賛したうえで、その後継者を戸板康二だけに任せておかないで正統な「東京弁」を「活性化」せよと訴えている。

またその数日後には(6月18日条)、「半七」を「事件、人物多彩にして幕末江戸の人間葛藤を網羅的に描きあるに感歎す。人間すべて色と欲が半七老人の哲学の根底なれど、人物に対する憐憫あり、おかしみあり、また微罪事件多きも読後感よきことの一因なり。文章常に快し」と手放しで褒め称えている。

ここで述べられている「人物に対する憐憫あり、おかしみあり、また微罪事件多き」ことは、まさしくそのまま戸板さんの「雅楽物」にも通じるといってよい。
山田氏も「半七」「雅楽物」しか認めないのは、そうした特徴を踏まえてのことなのだろうか。
いずれにせよ、「雅楽物」ファン、「半七」の潜在的ファン(あるいはファン予備軍)の私にとって、この二人の目利きの評価は気持ちの悪いものではない。

もちろん「赤毛物」好きの探偵小説ファン(むしろこちらのほうが正統的ファンといえようか)にとっては、「雅楽物」などは愚作ぞろいで歯牙にもかけないのだろう。
たとえば花森安治さんのように。

■2001/03/25 『茶話』の準レギュラー

薄田泣菫の『茶話』を手持ち無沙汰に繰っていたら、ある特定の人物が何度も取り上げられているのを「発見」して、ちょっとびっくりした。
その人物とは内田銀蔵氏。
目につくだけでも、
「内田博士の時計」(冨山房百科文庫『完本茶話』中所収)
「内田博士の靴」(同中)
「内田博士と一円札」(以下、同下所収)
「内田博士と案内記」
「福田博士と内田博士」
「内田博士と敏感」
「あゝ内田博士」
と七篇ものエピソードの主人公となっている。この内田銀蔵とは何者なのか。
『国史大辞典』の故戸田芳実氏による説明をかいつまんで紹介すると、著名な歴史学者にして日本経済史学の開拓者。京都帝国大学教授で、同大の史学科開設に尽力したという。生まれは東京南千住で、帝大の同期生に喜田貞吉・黒板勝美・笹川種郎、原勝郎・幸田成友、桑原隲蔵という錚々たるメンバーがいるという。専攻は近世史らしいが、不勉強ながらこの『茶話』で出会うまで知らなかった。

さて『茶話』は、帝大教授・博士のような権威ある人物の些細なエピソードをほじくりだしておちょくり、カリカチュアライズするのが得意で、それが読む側の愉しさにもつながっている。
薄田は大阪朝日新聞社に勤めていたそうだから、自然情報ソースは関西方面が多くなり、京都帝大教授のエピソードが多く含まれることになる。

とりわけ内田氏はその生真面目で礼儀正しく几帳面な性格がおちょくりやすかったのだろう。
といっても馬鹿にするという感じではなく、親しみをもって描かれているのである。

たとえば一番最初の「時計」は、以前洋行したおりにスイスで購入した時計の話。
買ったばかりの時計が二時三十分を指したまま止まってしまったのに憤慨した内田氏はさっそく時計屋に持っていく。ところがこれはたんにゼンマイを巻いていなかっただけのことであった。
内田氏は手帳にこうメモする。「時計は捩子を捲くを忘るべからず。然らざれば二時三十分に到りて停る事あるべし」

次の「靴」。
踵のすり減った靴の荷造りをしている内田氏を見て学生が訝しく思い質問したら、東京の店で買った靴だからその店に送って修繕してもらうのだという。学生は笑いながら修理なんて京都の靴屋でもできると進言する。以下原文。

「さうでしたか、些とも知りませんでした。」歴史家は例のように古びた手帳を取り出した。そして学生の言ふ通りに、京都の目星しい靴屋の名前を一々克明に書き取つて、最後にアメリカ大陸発見にも比べられる記録の正確さを持つて、「……年……月……日午後三時発見の事」と書き足した。

万事こんな調子で、この内田銀蔵シリーズ≠ヘ続いている。愛すべき先生なのだ。こうした性格がたたってか、内田氏は胃潰瘍で亡くなったのだそうである。
シリーズ最終作(?)の「あゝ」では、その追悼とともに、研究室が同室だった歴史学者喜田貞吉氏との微笑ましいエピソード(嫌煙家対喫煙家の話)を紹介している。

『茶話』はやっぱり面白く、奥が深い。

■2001/03/26 出張に持っていく本

京都出張にて29日まで不在です。
今回持っていく本。

(1)山口瞳『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮文庫)
(2)越沢明『東京都市計画物語』(ちくま文庫)
(3)山田風太郎『十三角関係』(光文社文庫)

肩肘張らずに気楽に読めて一つ一つの文章がそう長くないエッセイ集(1)、少し読みごたえがあって面白そうなもの(2)、ぐいぐいと夢中に読める小説(3)という基準で選んだ。

(1)はもともといま電車で読んでいる本なのだが、まだ1/3程度しか読んでいないため持っていくことにした。面白いので行きの新幹線で読み終えてしまう可能性がなくはない。
予備として丸谷・須賀・向田さんあたりのエッセイ集も携行したほうがいいかな。

■2001/03/29 京都あれこれ

京都から帰ってきた。仕事終了後の空き時間の活動報告。

◆本
ブックオフ二軒(三条駅前店・五条堀川店)、および、品揃えが超マニアックな新刊書店として一部の本好きで有名な三月書房、その他古書店少々。
ブックオフでは文庫本8冊を購入。
向田邦子『眠る盃』(講談社文庫)/『女の人差し指』(文春文庫)/『霊長類ヒト科動物図鑑』(文春文庫)
須賀敦子『トリエステの坂道』(新潮文庫)/『ヴェネツィアの宿』(文春文庫)
幸田文『闘』(新潮文庫)
山口瞳『行きつけの店』(新潮文庫)
矢野誠一『大正百話』(文春文庫)
総じて最近惹かれつつある女性作家の本が半数以上。矢野さんの本は一番の収穫。品切絶版の貴重なものがあるというわけではないが、京都のブックオフは質が高い。これはどういうことなのか。

三月書房では2冊。
柳田守『森銑三 書を読む野武士=x(リブロポート)
黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』(教養文庫)
『森銑三』は、「シリーズ民間日本学者」の一冊。リブロポートは倒産してしまったので、いわゆる「ゾッキ本」として店頭に置いてあった。しかも半額(1000円)。これは我ながら大発見。
黒岩本は、品切というわけではないと思う。しかし、教養文庫を置いている店はめったにないうえに、そうした大書店に行っても気づかなかったかもしれない。まさに三月書房の棚構成ゆえに視界に入ったというべき本。

三月書房は東京でもお目にかかることができないような「通好み」の新刊書店だ。といっても間口は二間程度だから、たたずまいは古本屋と見紛うほど。しかし並んでいるのは古本ではない。またまたしかし、新刊書といっても、大書店にも並んでいるかわからないようなマイナーな本が揃っている。そのうえに棚構成も痒いところに手が届くというか何というか。「この人の隣にこの人の本があるか!」と、驚きながら納得するような見事な配置なのである。たとえば、須賀敦子―森まゆみ―白洲正子、吉田健一―三島由紀夫―澁澤龍彦。素晴らしき本屋なり。

◆食
京都駅八条口近くにあるラーメン屋「しるそばたか」に行く。
麺は細ストレート。スープは博多ラーメン的なトンコツ味。でもまったく同じというわけではない。色自体、博多系の白濁ではなく、醤油味の茶色。その他味噌・塩・白湯がある。味噌はどんな味なのか。ギョーザは一口大。ニンニクのきいたタレともども美味しい。ラーメンも文句なく美味しく、京都駅周辺で時間の余裕ができたときには立ち寄る価値のある店である。

◆芸術
宿の近くにあった京都府京都文化博物館で、ちょうど特別展「月岡芳年展」が開催中だったので、時間的にはぎりぎりだったが見に行くことができた。
残酷絵で有名だが、役者絵・美人絵など、すべてにわたって素晴らしい。あらためて自分はこの浮世絵師が好きであることを確認した。京都に来て、偶然こうした展覧会を見ることができる僥倖を天に感謝したい。

◆建築・街並み
「月岡芳年展」をやっていた京都文化博物館の別館は、旧日本銀行京都支店の建物をそのまま使っている。設計は東京駅で有名な辰野金吾。まさに東京駅を思わせるような赤レンガの建物が三条通に目立って建っているのだ(しかも隣には同様の赤レンガ造りの郵便局まである)。

さてその旧日銀京都支店は、中にも入ることができる。
考古遺物が展示されているのだが、それよりも内部建築のほうがよほど興味深い。窓口の作りもそのままで、客用の窓口も鉄格子の窓が実際に上下する。自分でいじっていたら、案内の方が「こうなるんですよ」と直接教えてくださった。

自分の足で歩いたり、移動のバスで街並みを眺めていて気づくのは、京都の学校建築のデザインがモダンであるということ。
街中で見かける中学校・小学校・幼稚園の建物が、ほとんど全部一昔前(戦前?)に建てられたような古めかしいものばかり。
ちょうど春休みだからなのかもしれないが、それもすべて廃校のまま取り壊しもされず街中に残されたままという趣きなのだ。現役なのだろうか。

帰宅してから、路上観察学会編『京都おもしろウォッチング』(新潮社とんぼの本)を取り出してあたってみたが、とくにそうした指摘はなされていない。
路上観察学会のメンバーにとっては、さして物珍しい物件ではないのかもしれない。

京都の街にこれだけの時間いたのは、大学の研究室での研修旅行以来十数年ぶりのこと。
あらためて街を見回すと、京都はたんに古いだけの町ではないことがわかる。超近代的(近未来的)なビル―ちょっと昔の建物(明治大正の洋風建築)―純和風の町屋・寺院、このような重層的な建物が渾然一体としていて、何とも複雑な、でも見ごたえのある街並みを構成していると思う。
このような重層性は東京には稀薄である。
前掲『京都おもしろウォッチング』所収の藤森照信さんの文章によると、「京都は明治以後、奈良みたいにさびれたくない一心で近代化政策をけっこう進めた歴史があるから西洋館も意外に充実していて、専門的にいうと東京、大阪、神戸についで四番目」なのだそうだ。なるほど。

もう一つ気づいたのは、当たり前なのだが看板建築がない、ということ。

東京を歩いていると、いかにも「この辺に看板建築がありそうだ」というオーラを漂わせている通りがある。京都でもそのような予感をさせるような雰囲気の通りはたくさんあるのだが、さすがに看板建築はまったく存在しない。東京独特の建築様式(?)であることを実感。歴史・文化の違いここにあり、という印象だ。

◆その他
地元の人か観光客か判別が難しいのだが、概して京都の女性は綺麗な人が多い。
車の運転がちょっぴり荒い。すぐにクラクションを鳴らす。
これは、京都に来る観光客が、街並みや地図に気を取られて、狭い道でもお構いなくふらふらと歩いているのも原因なのだろう。渋滞もひどいし、京都で車を運転しているとフラストレーションがたまりそう。
その他、マックの看板が茶色。これは東京でもだったっけ?何となく違和感があった。

■2001/03/30 チクショウ

昨日書いた京都の三月書房で購入した本のうちの一冊、黒岩涙香『弊風一斑 蓄妾の実例』(現代教養文庫)の話をしたい。

現代教養文庫は品切を出す比重が高いのかわからないが、新刊書店たる三月書房で入手したのだから、品切ではないのだろうと思う。しかし、昨日も書いたように、現代教養文庫はよほどの大書店でないと置いていないだろうし、もしそうした大書店に行ったとしても、現代教養文庫は最近チェックしていないので、本書を見逃していたに違いない。
三月書房の棚構成だからこそ目に入って買うことができたといえる本である。

さて本書は、どこそこに住んでいる誰某は、どこそこに住んでいるこういう職業の某女をどこそこに囲っている、という事実を500例余り、淡々と並べているものだ。
住所氏名の固有名詞もあらわに、壮絶な「二号さん」情報が書き並べられている。

妾として囲われた女性の悲哀を思うと、迂闊に本書を面白がればどこからかの非難を受けかねない。
しかも氏名もさらけ出されているわけであるから、現代的にいえば名誉毀損・人権侵害もはなはだしく、よくぞこのような本がいま文庫で入手できると思わずにはおれない。

しかし書名にもあるように、涙香は、上流階級に属するような人間たちが妾を囲うという行ないを糾弾すべく、自らが主筆である『萬朝報』にこの記事を連載していたようである。
この涙香の記事は、明治の女性史・社会史の史料としていまではかなり貴重な存在なのではあるまいか。もっとも私はこの記事の内容・スタイルの面白さに惹かれて購入したという不埒な輩である。

記事の内容は、たとえばこんなものである。

▲(四十)西園寺侯爵 は荏原郡入新井村字新井宿の本邸に、新橋にて有名なりし蓬莱屋玉八こと松野きく(三十一)なる妾を蓄え、相州逗子の別荘には元と西京の芸妓艶鶴こと中田ふさ(二十二)なる妾を蓄う。

最初の数字は記事の通し番号で、女性の名前の次にある数字はそれぞれの年齢である。
こんな記事が500、ずらっと並んでいる。これを壮観といわずに何といおうか。

■2001/03/31 山口瞳の戸板康二追悼

先日掲示板にて、山口瞳さんによる戸板康二さんの追悼文があるのかという話題が出た。それ以来自分としても気になっていたので調べてみた。
まず二人の没年月日は次のとおり。

戸板康二 平成5年(1993)1月23日
山口 瞳 平成7年(1995)8月30日

戸板登世子編『「ちょっといい話」で綴る戸板康二伝』(戸板康二先生追悼文集編集委員会発行、非売品、以下戸板論集と略)に、山口瞳さんの追悼文「同姓の先生」が掲載されている。

これは「男性自身」からの抜粋で、初出は『週刊新潮』平成5年2月11・18・25日号。山口さんが戸板さんの急死を知った1月23日、お通夜の日である1月26日、葬儀の日の2月6日の、それぞれ日記形式の文章である。

戸板論集が刊行されたのは、戸板さんの三回忌にあたる平成7年1月23日。つまりまだ山口さん存命中のこと。
戸板論集は、だいたいの人がこの本のために寄稿したもので、山口さんのように既発表のものを再録したのは珍しい部類に入る。

たとえば山口さんの男性自身最後の文集『江分利満氏の優雅なサヨナラ』(新潮文庫、以下『優雅なサヨナラ』と略)のなかに、兄事していた吉行淳之介さんの追悼文「涙のごはむ」が収められている。
吉行さんの逝去は平成6年7月26日。山口さんが亡くなるほぼ一年前のことだ。
その吉行さんですら、戸板論集のために「洗足駅前のポスト」という一文を寄せられ、しかもそれが遺稿にあたるようである。

だから、お元気なはずの山口さんがなぜ戸板論集のために別の回想文を寄稿されなかったのか、疑問が残る。
「男性自身」に書いた以上の追悼文を書くのは辛かったのであろうか。

さて次にこの追悼文はいま出ている本で読むことができるのか。残念ながら読むことはできないようだ。
前掲『優雅なサヨナラ』は平成6年の記事から始まる。新潮文庫に入っている「男性自身」は、その前が『木槿の花』。向田邦子さんの追悼文である同題のエッセイが有名だ。
この文庫版は、昭和57年〜61年の間に出た四冊分の「男性自身」の単行本からのアンソロジーとなっている。つまり、戸板さんの追悼文「同姓の先生」が書かれた時期の「男性自身」は、ちょうど文庫版では『木槿の花』と『優雅なサヨナラ』の間の時期にあたるので、残念ながら読むことができない。

それでは単行本には入っていて、読むことができるのか。「男性自身」全1614回分がすべて単行本となっているのか、私にはわからない。ネットで検索したかぎり、もし単行本となっていても、絶版で入手不可能のようである。

これからは、見つけたときにこつこつと山口さんのエッセイ集を集めていくしかないけれども、今回調査してみて愕然としたのは、山口さんの現在入手可能な本がきわめて少ないこと。愕然とする。
これでは、私のように今ごろ山口ファンになった人間が、奥深く山口道に入り込むことができないではないか。憤りを感じる。

そもそも私が山口瞳という作家に興味を持ったのは、先日も書いたが、自分のホームページを通じて知り合った「本読み」の方々(それもなぜか複数の女性)からの影響が一つ。
それともう一つは、坪内祐三さんの『文庫本を狙え!』(晶文社)に『優雅なサヨナラ』が取り上げられていたことにある。私の最近の読書傾向からすれば、山口瞳にたどり着いたのは必然的ともいえるわけだ。それなのに…。

坪内さんは、「「男性自身」の読み所の一つに追悼記があった」という。
「不謹慎な言い方だが、山口瞳の親しい人が亡くなると、今度はどんな追悼文が読めるのだろうと、少し楽しみだった」とまで書いている。戸板康二さんも「山口瞳の親しい人」の範疇に入るだろう。その追悼文が手軽に読むことができないのは悲しい。

今回の文章を書くにあたっては、山口瞳ファンサイト「江分利満氏に乾杯!」を参照しました。

【追記】その後上記追悼文は『年金老人 奮戦日記』(新潮社、1994年)に収録されていることが判明した。この本については、今年の7/18条に書いている。