読前読後2001年1月


■2001/01/01 抹消された作品

正月番組を見ていて飽きてきたので、実家近くにあるブックオフに散歩に出かけることにした。
外は昼前から霏々として雪が降り続いている。歩道は元旦ゆえ歩く人少なく、雪が10センチほど積ったまま。そのまだ誰も歩いていない道をキュッキュッと踏み分けながら歩く。空は鉛色。
東京にいると、冬はすっきりした青空なのだが、この重苦しい空こそが自分にとっての冬なのだと思い返す。

さてブックオフは、年末(といっても数日前)に来たばかりなので、棚構成に大きな変化があるわけではない。
しかし前回とは異なり、なぜか気持ちにゆとりのようなものがあって、棚の一段一段をゆっくりと流すことができた。そうしてみると、意外に見落としがあるものだ。

今回発見したもののまず一冊目は宇野信夫さんの『うつくしい言葉』(講談社文庫)。
もう一冊は丸谷才一さんの『にぎやかな街で』(文春文庫)。
これが意外な掘出物だった。というのも、去年丸谷さんの刊行文庫リストを作ったときは、この本をリストアップしておらず、したがってこんな本が文庫になっていたとは知らなかったからだ。

講談社文芸文庫巻末にある「文庫刊行一覧」や、品切文庫本関係の著作を一覧して、全刊行作品を網羅したつもりだったのだが、漏れがあったようだ。文春文庫の刊行ナンバーを丹念にチェックしていればすぐ分かったことなのだが(本書は5番)、上にあげたような文献に盲従してしまったのがいけなかった。

以下は私の憶測。
リストに載っていなかったのではなく、故意に著者によって抹消されたのかもしれない。本書『にぎやかな街で』は、表題作のほか二篇の小説が収められた短編小説集である。表題作は、裏表紙の内容紹介によれば、「広島に原爆が投下されたあの日、三角関係のもつれから妻を殺害したと年下の友人に打ち明けられた男の困惑と真情を軸に、国家と個人の関係を日常性のなかで追求した」作品らしい。
どうもこの内容がひっかかるのである。谷崎にも原爆をテーマにした中絶作品「残虐記」があって、これを連想してしまうのである。

個人的には、そうしたことをテーマとしたこと自体、それぞれの作品が生み出された社会背景をあらわすものとして、歴史的に価値があると思うのだが。

【追記】この『にぎやかな街で』は抹殺されたというわけではないらしい。したがって上記の憶測はまったくの妄想にすぎないということになる。

■2001/01/02 世紀をまたぐ犬神家

去年の12/19条で書いたとおり、20世紀最後に読む本/21世紀最初に読む本として、横溝正史の『犬神家の一族』(角川文庫)を選び、読み終えた。
12/31に読み始め、1/1に読み終えたわけである。なんとも儀式ばっている。

本書は現在の読書生活の原点に位置する作品である。
何度か読み、また、映画も何度か見た。それにもかかわらず読みきることができたのは、本書を読むにあたって、自分にこれまでとは異なる別の角度からの観点が備わったためであった。テーマは「横溝作品と歌舞伎との関わり」。

【以下内容に触れますので、文字色を反転します】
この作品に登場する歌舞伎狂言は、「鬼一法眼三略巻」のうちの「菊畑」。
私も一度見たことがあり、面白いと思ったので、ストーリーや人物関係などはあらかた覚えている。
これは、二番目の(犬神家では最初の犠牲者)殺人で佐武の生首がさらされた場面で登場する。「菊畑」の一場面を再現した菊人形のうち、佐武に似せてつくった敵役の笠原淡海の首が佐武の生首にすげ変わっているのだ。

これは後に作品中でも金田一の口をかりて述べられるが、鬼一法眼は犬神佐兵衛翁、その娘の皆鶴姫は野々村珠世、美少年の奴虎蔵(実は牛若丸)が佐清、荒事風の奴智恵内が佐智と、登場人物同士の人間関係にそくして見事に役割分担がなされている。

この一事から見て、横溝正史もまた、歌舞伎に関する知識は十分に兼ね備えていたということができるのである。

また、犬神家の家宝である「斧琴菊」(よきこときく)の三種のミニチュアは、これまた作中でも述べられているように尾上菊五郎家の嘉言なのだそうだ。
斧・琴・菊の三種の画像が染め抜かれたデザインは、「謎染め」といってときおり目にすることがある。

読む前からこれらの事柄を薄々はおぼえていたものの、そうした観点がなくとも、三分の一をすぎたあたりからドライブ感≠ェ増幅してきて、一気に最後まで読めてしまう。

これは、最近諏訪(作中では信州那須)に行ったという個人的体験も作用しているに違いない。
いずれにせよ、横溝作品は21世紀に至ってもなお健在だ。

■2001/01/03 紛らわしい

山形市内にはブックオフが三軒ある。
そのうち一軒は実家から歩いて数分のところなので、帰宅直後やこんこんと降り積もる雪を踏み分けてでも(笑)行くことができるのだが、あと二軒は車が必要な場所にある。
道路に雪が残っていて、久しぶりに雪道運転を体験しながら、残り二軒をまわった。

その途中、「ブックマーケット」という同じ系統のリサイクル書店も発見したので、当然ながら立ち寄る。
ここでは丸谷本で未入手だった『食通知つたかぶり』を100円で入手できたので、思わぬ収穫であった。石川淳の題字・序という豪華版。

さて、肝心のブックオフでも、収穫がなかったわけではない。
個人的に嬉しかったのが、色川武大さんの『なつかしい芸人たち』(新潮文庫)。
雑誌『銀座百点』に連載されたエッセイをまとめたもの。ブックオフにもかかわらず、木口が削られていない新品同様の状態なのが、さらに嬉しい。

これまで古書店ではほとんど見かけなかったものだから嬉しいわけだが、ちょっとひっかかる点もあった。
というのも、去年廣済堂文庫の『寄席放浪記』を購入し読んでいて、この本の副題にも「なつかしい芸人たち」であるからだ。
でも廣済堂文庫版には対談なども入っていたから、あるいは違う中味なのか…。調べてみることにする。双方の書誌は以下のとおり。

廣済堂文庫版(1988年2月):東阪企画『花押名人劇場』並びに、銀座百店会『銀座百店(ママ)』に連載されたものに書き下ろしをくわえてまとめたもの。
新潮文庫版(1993年6月):1989年に新潮社から刊行された元版の文庫化。

また、参考のためにエッセイの順番の異同を記しておきたい。
廣済堂文庫版の目次を並べて、それぞれに新潮文庫版での収録の有無を付記する。太字は新潮文庫収録エッセイ。

 昔、僕は席亭になるのが夢だった
1,寄席書き帖
桃太郎の不運/ショボショボの小柳枝/足袋はだしの小さん/袴が似合った権太楼/上方落語の根/愛すべきオールドタイマーたち/可楽の一瞬の精気/林家三平の苦渋/名人文楽/志ん生と安全地帯
対談 寄席通いがぼくらの日課だった(矢野誠一)
2,色物芸人たちの世界
剣舞の芸人/楽器の芸人たち/盲目の大入道・富士松ぎん蝶/整理の人・一徳斎美蝶/グレート天海とヘンリー松岡/女芸人あれこれ/ポパイよいずこ
対談 一芸に賭ける芸人たち(立川談志)
3,ぼくの浅草六区
浅草の文化財的芸人/浅草漫才/ロバよいずこ/流行歌の鼻祖ガマ口を惜しむ/浅草田島町
鼎談 キラ星のごとく輝いていた浅草(鈴木桂介・淀橋太郎)
4,時代劇の役者たち
なつかしきチャンバラスター/化け猫と丹下左膳アノネのオッサン馬鹿殿さま専門役者
対談 チャンバラ映画にロマンを観た(菊村到)

同じかと危ぶんでいたら、後半の五篇しか重複がない。
参考のために新潮文庫版の目次も抜き出しておこう。太字は廣済堂文庫版にも収録のもの。

化け猫と丹下左膳馬鹿殿さま専門役者―小笠原章一郎のこと―アノネのオッサン/故国喪失の個性―ピーター・ローレ―/流行歌手の鼻祖―二村定一のこと―ガマ口を惜しむ―高屋朗のこと―/誰よりトテシャンな―岸井明のこと―/マイナーポエットの歌手たち/チャンバラ映画の悪役たち/パピプペ パピプペ パピプペポ―杉狂児のこと―/敗戦直後のニューフェイス/浅草有望派始末記/いい顔、佐分利信/怒り金時の名寄岩/ロッパ・森繁・タモリ/青バット、赤バット/超一流にはなれないが―原健策のこと―/ヒゲの伊之助/パンのおとうさん/話術の神さま―徳川夢声のこと―/明日天気になァれ―春風亭柳朝のこと―/歌笑ノート/日曜娯楽バーン―三木鶏郎のこと―/ブーちゃんマイウェイ―市村俊幸のこと―/渥美清への熱き想い/とんぼがんばれ―逗子とんぼのこと―/エンタツ・アチャコ/忍従のヒロイン―川崎弘子のこと―/リズムの天才―笠置シヅ子のこと―/金さまの思い出―柳家金語楼のこと―/アナーキーな芸人―トニー谷のこと―/本物の奇人―左卜全のこと―/あこがれのターキー―水の江瀧子のこと―/エッチン タッチン/有島一郎への思い入れ/唄のエノケン/矢野誠一(解説)

こちらは前のほうにある五篇が重複分。
上の新潮文庫版目次からもわかるように、重複分は全体から見ればごく一部にすぎないから、廣済堂文庫版・新潮文庫版いずれにも価値があるようである。手に入れることができてよかった。

■2001/01/04 ドキドキ銀座

色川武大さんの『なつかしい芸人たち』は雑誌『銀座百点』連載。
2000/10/15条でも書いたが、『銀座百点』連載のエッセイは、広い意味で作者と東京とのかかわりについて執筆されたものだから、注目することとなったのは自然の成り行きであった。

昨年の暮れ、神保町の背骨たる靖国通りからだいぶ離れた裏通りをぶらぶらと歩いていたら、偶然に古本屋を発見した。名前を海坂書房という。
勘のいい方ならすでにお気づきだろう。「娯楽時代小説専門」を掲げた店なのである。
もちろん名前は藤沢周平の小説から採ったに違いない。ここまでジャンルを限定した古書店が成立するのだから、やっぱり神保町は懐が深いというか、すごい。感動すらおぼえる。

時間もお金もなかったのだが、ジャンルと店名に惹かれて、ついふらふらと中に入ってしまった。
時代物歴史物ファンにも好まれそうな歴史蘊蓄エッセイ・評論(例えば稲垣史生系)、芸能関係(落語・歌舞伎など)の本も置いてある。

入ってすぐのところにあったのが、江戸東京関係の本。古書店には珍しく、新刊書店店頭のフェアよろしく、平台に並べられていたのだ。
そのなかで一冊の本が私の目に止まった。
和田誠さんの『銀座界隈ドキドキの日々』(文春文庫)である。
見た瞬間、これは『銀座百点』連載のものだという直感がして手にとった。あとがきを見ると、直感は的外れではなかった。取り立ててメモなどをしていなかったのだが、和田さんも『銀座百点』に連載していたことを“銀座百点のホームページ”で見て、頭の片隅にその記憶が残っていたのだろう。

丸谷さんの文庫本のほとんどの装幀を手がけていることもあって、最近和田誠の名前を目にする機会が多く、それも目に止まったひとつの理由でもあろう。
見ると本書は講談社エッセイ賞受賞作らしい。また読むのが楽しみな本が増えた。

本書が他の文庫本と変わっている点を一つ。解説(井上ひさし氏)が、元版の「あとがき」と著者による「文庫版のためのあとがき」の間に挟まってあること。
解説が巻末にないのも珍しいのではあるまいか。

■2001/01/05 身体の声

渡辺保さんの『日本の舞踊』(岩波新書)を読み終えた。
前半第一部「日本舞踊とは」は、日本の舞踊の総論、後半第二部「舞踊を見る」は、踊りの名手七人を取り上げた各論といった体裁の書物である。

舞踊とは何か。何をもって舞踊といい、それをどのように評すべきか。
この曖昧な点に真っ正面から取り組んだのが第一部で、「私たちに舞踊の世界をわかりにくくしている大きな障害」三点の解明を目指す内容となっている。
その障害とは、舞踊の定義の欠如、領域の不明確さとその閉鎖性、舞踊を語る言葉(方法論)の欠如、である。

渡辺さん自身は、その三つの障害を解明できたと感じたのは、1980年前後のある日、一日で歌右衛門の「娘道成寺」とモーリス・ベジャールのクラシック・バレエを見たときなのだそうだ。「身体の声」が聞こえてきたという。

そうした渡辺さんが説く舞踊の定義・歴史はすこぶる簡潔、明快で、日本の舞踊を理解するための書物として、この本の右に出るものはないのではないかと思うくらい。
たとえば「舞」とは上方のもの、「踊」は江戸のものであるとし、それぞれの違いを説明、「舞踊」という言葉は東西文化の統一のために明治になって作られた言葉だという。目から鱗が落ちるとはこのこと。

その他踊るときに踊り手が踏まえるべき「肚」と「心」の違い、伴奏たる浄瑠璃物と唄物の違いなど、なるほどとうなずきながら読むことしきり。
常磐津や清元などの浄瑠璃物と長唄などの唄物の違いは、歌舞伎を二年も見ているうちに薄々はわかってきたけれど、歌舞伎の舞踊全般を「所作事」というのではない、という一文を読んでまた驚く。
所作事とは、「浄瑠璃の物語性に対して、意味のない所作を見せる舞踊」という意味であるから、浄瑠璃物は本来所作事とは言わないのだそうだ。

それに対して第二部は、取り上げられた七人の踊り手のほとんどをテレビですら見たことがないので、残念ながらイメージが浮かんでこない。踊りの良さが分かるのには十年早いということだろうと思う。
いずれにせよ、本書は今後も座右に置き、おりにふれて繙くことになろう。そのうちに私も経験を重ねて、「身体の声」を聴くことができればいいが。

■2001/01/07 銀座の60年代

予想を遙かに超える面白さだった。和田誠さんの『銀座界隈ドキドキの日々』(文春文庫)のことである。
読みはじめたら止まらなくなり、時間がちょっとでもあるとすぐに手にとって読み継ぎ、ほぼ一日で読み終えてしまった。

本書は、和田さんが銀座にあるデザイン会社ライト・パブリシティに勤務していた1959年〜68年(23〜32歳)までの日々を、主に交友関係を中心につづったエッセイ集である。
いま和田さんの年齢を計算していて、ここで描かれている自画像が、ほとんど二十代の頃の体験であることに気づいて愕然とした。それほどに密度の濃い生活、仕事、交友なのである。該当する年齢の頃の自分を思うと恥ずかしくなる。

六十年代の社会風俗、都市風景も巧みにとらえられていて、音や空気が本のなかから聴こえ、ただよってきそう。六十年代に展開した怒濤の文化的渦巻のなかに和田さんもいたことが見てとれる。嵐山光三郎さんの『口笛の歌が聴こえる』のデザイナー・バージョンとも言える。
仕事やプライベートで出会った人々が、あとでさりげなく「彼(彼女)は…なのだった」と、私も知っているような著名人の名前が登場するのである。

初めて知ったのは、煙草の「ハイライト」のデザインをしたのは和田さんだったということ。あの青いパッケージである。言われてみると、そこからあの特徴的な線描のタッチを連想しないわけではない(強引か)。

一気に読めてしまったのも、淡々としながら躍動感がただよう文章の力によるのだろう。
解説の井上ひさしさんも、「和田さんぐらい癖のない、平明で正確な日本語を書く人は稀です。(…)ほんとうによい日本語の手本のような文章が綴られています」と絶賛している。

ところでこの井上さんによる解説も、それ自体が一つの小説になっていて楽しい。
さらにこの解説の後に入っている和田さんの「文庫版のためのあとがき」では、「そもそも井上さんは文庫の解説にも文章の仕掛けをほどこす人で、……いや、解説に解説をつけ加える必要はなかった」と、解説をちゃんと受けているのが、楽しさを倍加させている。

解説・あとがきにいたるまで、本文と一体感をもち、楽しんで読める本、今年早々思わぬ収穫であった。

■2001/01/08 文庫化されない理由

戸板康二さんの本はもっと文庫化されていい。エッセイ集(たとえば三月書房のもの)はおろか、歌舞伎について書かれた好著(たとえば『歌舞伎への招待』や駸々堂の本)がまだまだたくさんあるのである。

先日初芝居で木挽町におもむいたとき、当然奥村書店にも立ち寄った。相変わらず来るたびに新しい本が入っていて、「こんな本があったのか」と感心することしきり。
そのなか、欲しいなあと以前から思っていた本を見つけた。1500円とちょっと高めだったが、財布の中味と相談したうえ、内容も面白そうであり、だいいち今回を逃すと今後いつ出会うかわからない。そういうこともあり、思い切って購入した。
その本とは、戸板康二さんの『芝居名所一幕見―舞台の上の東京』(白水社、1953年)。

体裁が横長で変わっている。中を見ると、歌舞伎の狂言の舞台となった江戸の名所を、舞台写真とその名所の写真を添えながら紹介するというもの。
貴重な舞台写真はもちろんだが、購入に踏みきった大きな理由が、いっぽうの風景写真が面白いこと。刊行時点、すなわちおそらく昭和20年代の東京各所の写真が、個人的な興味を惹いたのである。

パラパラと見てみると、現在とほとんど変わらない風景もある。
たとえば二重橋(舞台は「丸橋忠弥」)や半蔵門(「江戸城総攻」)。あたりまえのようであるが、よく考えてみると、この刻々と変わりゆく大都市東京のなかで、少なくとも50年間ほとんど変わらないというのは凄いことである。
また、赤門(「加賀鳶」)はむしろ今のほうが新しめ(皮肉まじり)。

いっぽう変貌が激しいなあと嘆息したのは、両国橋(「鋳掛松」)。川向こうに大鉄傘の旧両国国技館が見えるほか、ビルがほとんどない!
深川八幡宮(「縮屋新助」)の後ろには高速道路がない!佃島には高層マンションがない!両国河岸には河原がある!駒込吉祥寺の背景にもビルがない!麻布南部坂はまるっきり田舎の風景!祐天寺のかさね塚に囲いがしてある!芝浦竹芝桟橋(「芝浜」)には、海の向こうに橋もなければフジテレビもない!

新鮮な驚きに満ちていて、歌舞伎好き東京好きにはたまらないのだが、本書にかぎっては、これゆえに永遠に文庫化は難しいだろう。

■2001/01/09 永遠のホラー

去年から今年にかけて、ここで横溝横溝と書いたものだから、妙に横溝正史のことが気にかかって、実際に映画を見たくなってしまった。

私は映画嫌いというわけではないけれど、ほとんど映画を見ない。映画館に行くのも一年に一度あるかないか。
一番最近見た映画といえば、「スターウォーズ エピソード1」であろうか。
でも、「エクソシスト」だって「81/2の女たち」だって、「愛のコリーダ」だって、見に行きたいと思っている(いた)のだ。今度こそ見に行こうと期しているうちに上映期間が過ぎ、テレビで放映される頃に思い出すことを繰り返している。

こういう人間だから、レンタルビデオすらほとんど利用しない。
ただ最近ちょっと環境が変わりつつあって、子供が「アンパンマン」好きなものだから、レンタルショップを訪れるようになったのだ。

先日久しぶりにショップの中に入ったとき、「そういえば…」と横溝映画を思い出したわけである。
正月休みの間に見てみようか、そんな軽い気持ちで横溝映画のビデオを借りることにした。もちろん借りようと思ったのは、「犬神家の一族」。原作を追体験して、新しい目で見直すつもりだった。

ところが何と「犬神家の一族」は貸し出し中。この近所に、私以外にこんな映画を借りている人間がもう一人いるとは…。
落胆の反面で感動しながら、埋め合わせに別の横溝映画を借りることにした。
古谷一行金田一のテレビシリーズも揃っていたし、豊悦金田一で見逃した「八つ墓村」もある。
散々迷った挙げ句選んだのは、結局石坂金田一の「病院坂の首縊りの家」。「悪魔の手毬唄」や「獄門島」でなくこれを選んだことが、どうです、渋いでしょう。たんに映画の中味を忘れてしまったというだけだが。

さて見たところ、なかなか飽きさせずに面白かった。一度見た記憶が甦ってはきたのだが、細部はすっかり忘れていた。
人間関係(背景となるドロドロした血縁関係)が複雑で、こりゃ原作を読み直さないと駄目だと感じる。古本屋で買ってこよう。

生首風鈴や血しぶきが妙にリアルな殺人シーンは、いまのホラー映画から見れば児戯に類するものであろうが、自分にとってはやはり恐い。
横溝映画は永遠のホラー≠ネのである。

■2001/01/10 月は何でも知っている

伊勢丹美術館で開催されている「ベルギーの巨匠5人展」に行ってきた。
5人とは、アンソール・スピリアールト・ベルメーク・マグリット・デルヴォーのこと。
このうちマグリット&デルヴォー・ファンの私としては、行かないわけにはゆかない。

これまではマグリット・デルヴォーの順で好きだったのだが、今回の展示を見て、デルヴォーがマグリットのマイ・フェバリット・アーティスト≠フ座を脅かすくらいに浮上してきた。
それほどまでに今回展示されているデルヴォーの作品群は、いずれもが「いかにもデルヴォー」といった素晴らしい作品ばかりなのである。

見ていて気にかかったのは、デルヴォーが好んで描く無表情で裸の女性以上に、その背後で輝く月の姿。
すべてではないが、多くの作品に描き出されている。「森の中の駅」「煌々と」では三日月(ないし二日月)、「セイレン」では満月。
月の存在はデルヴォーの作品のなかでどのような意味を持っているのだろう。

そう思っていたら、とある方から、KENSOという日本のプログレバンドのリーダーが、同じくデルヴォー好きで、「月の位相」という曲を作ったことを教えていただいた。
だいたい私は「プログレ」という概念すら知らないので、どんな曲なのか、皆目見当がつかないのだが、この曲がデルヴォーの月から霊感を得て作られたものであろうことは、かすかながら想像できるのである。

ところで私は月のことについてはまったくの無知である。
そういう私にとって、月に関する蘊蓄集である志賀勝『人は月に生かされている』(中公文庫)はこの上ない入門書である。
職業柄、二十四節季はもちろんのこと、陰暦にまつわる様々な事柄は常識的に知っておかなければならないのだが、現代の行動様式・季節感覚とズレがあるためか、てんで身につかない。恥ずべきことだ。

陰暦では19年に7回の閏月を置く計算になっている(つまりその年は年13ヶ月となる)。
朝鮮では、この閏月を「コンダル」(空の月)と呼んで、災厄のない月として結婚・建築・引っ越しなど、何をしても支障がなかったのだそうだ。まるで、逆の意味でのトランプのジョーカーのようだ。
こうした風習は、日本の史料を読んでいても出てこないような気がする。

また、女性が十五夜の晩に連れだって三つの橋を渡って疾病の厄払いをするという、中国の「走三橋」の風習など、三島由紀夫の短篇「橋づくし」を連想させて興味深い。
「橋づくし」に登場するジンクスは、橋を七つ渡り終えるまでに誰とも話をせず、誰にも話しかけられなければ、願い事が叶うというものであった。
この場合、月齢でいうといつにあたっていただろう。

またこの本には2001年の旧暦カレンダーも付いている。
それによれば、旧暦の正月朔日は新暦でいうと1月24日に該当する。つまり旧暦でいえばまだ世紀が変わっていないということだ。
旧暦を知っていれば、もう一度「世紀の変わり目」を体験できるわけである。何か得した気分。

■2001/01/11 ある情操教育の試み

居間にマガジンストッカーが置いてある。6区画あり、それぞれの前面にいわゆる「新着雑誌」をディスプレイできるようになっているものである。
ラーメン特集の雑誌や歌舞伎の筋書、『散歩の達人』『東京人』、ちょっと高級に『芸術新潮』などがその常連だ。

位置的に、子供に遊んでくださいといわんばかりの場所にあるため、これらの雑誌は常に子供の攻撃にさらされていて、もとあった場所にそのまま生き残るものはめったにない。

たまたまここに、雑誌以外でディスプレイしていたものがあった。去年見た「デ・キリコ展」の図録である。
ああした大判の書物は、書斎でも置き場に困るので、そちらに置いていたのである。

ところがどういうわけか、子供がその図録を両手に抱えて私のもとにやってきて、めくってとせがむではないか。
雑誌に比べてずしりと重い図録をえっちらおっちら抱えてくる姿を見て、「おうおう、一緒に見てあげよう」と嬉しくなる。

一ページ一ページめくってゆくと、絵が印刷されているページに反応するので面白い。最後のところに、普通の白い紙に表組で印刷された展示作品リストをはさんでいるのだが、それを手にとって何か奇声を発する。それを何回も繰り返す。同じ奇声を発する。
いったい何がどうだというのか。

あまりに面白いので、昨日書いた「ベルギーの巨匠5人展」の図録ももちろん買ってきた。
子供に見せたらどういう反応をするのか、それが第一目的だったりしてしまう。
「デ・キリコ展」の図録と同様に関心を示した。でも、絵があるところに来ても反応が芳しくない。彼は私と違ってマグリット&デルヴォーはお好みではないのかな。

でも本当の理由はちゃんとわかっている。彼はデ・キリコが好んで書く馬に反応していたのであった。
デルヴォーの書く無表情の裸体女性に反応しても困るから、まあいいか。

■2001/01/12 内田魯庵山脈激突

先日青山ブックセンターにて、山口昌男さんの新著『内田魯庵山脈』(晶文社)の刊行記念トーク・ライブ「内田魯庵山脈を語る」が開催された。
山口さんが主宰されている「東京外骨語大学」の特別講座という名目で、山口さんと、「学生」たる石神井書林・月の輪書林・なないろ文庫ふしぎ堂三古書店の店主さんの四人による座談会であった。

もっとも前半一時間は、山口さんお一人による講演で、そこでは執筆の動機、趣旨、刊行経緯など、たいへん興味深い話を聴くことができた。

本書は、前著『「敗者」の精神史』『「挫折」の昭和史』(ともに岩波書店)のあとを受ける三部作≠フ完結編的意味合いをもったものである。
『敗者』が明治、『挫折』が昭和であるから、今回は大正期を主たる舞台に選んだと本人の口からも説明があった。

前二著で述べられている内容は非常に興味深く、それぞれ刊行されると同時に楽しみにしながら購入してはいるのだが、情けないことにいずれも読み通せていない。まさに「挫折の読書史」である。
その解説書・ダイジェスト版ともいうべき『敗者学のすすめ』『知の自由人たち』(NHKブックス)をかろうじて読んだ程度。

このトーク・ライブを記念して、新著にご本人のサインと自画像を書いてくださるというので、思いきって購入した。上の事情もあるから、今回はもとより通読のことを考えず、拾い読みに徹しようという気構えである。

ところが帰宅して目次を見、さらに冒頭の部分を読んでいて、やはりこれは通読しないと本当の面白さはわからないかもしれないと思うようになった。通読せねば。いや、通読したい。
でも、果たして読み終わるのはいつになるやら。

美味い日本酒をちびりちびりと舐めるように、ちびちびと読み進めて行こうと思う。

■2001/01/13 寒空や本を持てゆく悪いくせ

所用のため日帰りで仙台に行く。

新幹線の車内で読む本を選ぶのは毎度楽しく、かつ苦しい。
今回は筒井康隆『恐怖』(文藝春秋)、幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)の二冊をメインに、補欠として養老孟司『臨床読書日記』(文春文庫)を携える。
そんなに読むわけはないのだが、持っていないと不安なのだ。

用事は午後からなので、ちょっと早めに仙台に入り、仙台のラーメン事情に詳しい後輩から、一押しとして教えてもらったラーメン屋で昼食をとることにする。

天気予報ではこの日仙台の最高気温は0度。さぞかし寒いだろうと覚悟していたが、駅に降り立って外に出てみると、予想ほど寒くは感じない。風がないためか。
もっともしばらく歩いているうちに手が冷たくなって、急いで手袋をつける。

目指すラーメン屋は、駅からはだいぶ歩いた場所にある。仙台に住んでいた頃には考えられないが、このくらい歩くことは苦にはならなくなった。
このところの東北地方の大雪は仙台も例外ではなく、歩道の雪は融けずに凍結してしまっている。
肌をさすような寒さ、道を行くバスのチェーンの音、すべてが懐かしく、寒くてもこれが仙台なのだとなぜか嬉しく心地よい。

こうした感慨をなぜか五七五の定型にあてはめたくなる衝動に駆られる。
これまで句作などしたこともないのだが、いったいどうした心境の変化だろう。

鎖の音顔に鋭き寒さ哉
すつぱねに足は小刻み雪歩き

すっぱねとは歩くうちに足の裏側にはねる泥の山形弁。
都会では雪が降るとけが人が出るといった話はよくあるが、これはひとえに歩き方の問題だろう。膝の下のほうに力を入れて、小刻みに、普段より足の裏全体を同時に着地する感覚で歩くのが転ばないコツ。
でもしばらくそういう歩き方をしていないので、ふくらはぎが痛くなる。

さておいしいラーメンを食べて体が内側から暖まる。心も暖まったところで目的地へ向かう。
滑りながら歩く身体感覚、雪景色、川のせせらぎ、途中に立ち寄る古本屋での小収穫。楽しい楽しい仙台行なり。

■2001/01/14 スケキヨ症候群

宮部みゆきさんの『平成お徒歩日記』(新潮文庫)を読み終えた。
深川や箱根など、取り上げられた土地を歩きたくなってそわそわさせるような、好著であった。各章の扉裏に付されている松本哉さん作成の地図も好き。
宮部さんという方は、からっと明るい人なのですね。ますます好感を持つ。

電車のなかで本書を読んでいて、思わずニヤニヤしてしまうような箇所に遭遇した。
宮部さんと私は、年齢的には7歳離れているのだが、どうやら同じような心象風景を持っているらしいのだ。

箱根の旧東海道を歩くくだり。芦ノ湖の手前にあるお玉ヶ池に到着した宮部さんは、こうつぶやく。

なんだか、映画『犬神家の一族』に出てきそうなシーンだよね。そこの水面に佐清の足が飛び出しててもおかしくない。

心の中で爆笑。
佐清が仮面をペリペリと剥がすシーンだとか、この湖上に足が突き出たシーンだとか、本当に、目に焼き付いて離れないのである。
少年の頃、友人とプールで逆立ちして「スケキヨ!」とかやっていたもんなあ。

さて上の宮部さんの発言中、「佐清の足」の部分に傍線が引いてあって、章末に注記までされているのが笑える(この注の付け方も、何だか国語の試験問題のようでユニーク)。
そこを見ると、湖から二本の足が突き出た場面を使った角川映画のポスターがきちんと掲載されていて感動する。

同行の編集者氏の観察によれば、宮部さんは水辺や湖沼に行くと、どこでも必ず「「佐清の足」が出てきそうだ」と言うとのこと。
この注記はご自分で書かれているのだが、ということは、この発言は無意識になされているということになる。これは私以上に重症だ。

さらにこの編集者氏は、「全国のやや怪しい風情のある湖沼に佐清の足のオブジェを立て、毎日正午になると音楽とともに足を上下させてはどうか」というアイディアを持っているらしい。
こんな場所があったら、絶対見に行くのだが。

■2001/01/15 行動する作家・幸田文

幸田文『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)を読み終えた。幸田さんの隅田川・水に関して書いたエッセイ・小説のアンソロジーである。
去年幸田ファンになったばかりの新米幸田ファンにとって、翌年早々こうした素敵なアンソロジーにめぐり会えたことは幸せのきわみ。

もはや文章の美しさ、清々しさを称揚することは繰り返すまいとは思いつつも、やはり文章がいい。
電車のなかで読んでいて、思わず文章の素晴らしさに打たれ、本を閉じて上を向き、言葉ひとつひとつを頭のなかで反芻すること数度。

驚いたのは、幸田さんが「行動する作家」であることだ。
捕鯨船に乗り込んで捕鯨のさまをつぶさに見学し、鮭漁を見るために北海道におもむく。
これらが書かれたのは、父露伴の死後、作家として注目を浴びた五十代のとき。
考えてみれば代表作『流れる』だって行動の結果だろうし、『崩れ』も、さまざまな崩壊のさまを目の当たりにした探訪記であるのだ。

父露伴の影響を無視できないと感じたのは、「川のほとけさま」「二百十日」の二篇。
前者の水死体の描写は露伴の名篇「幻談」を思わせ、後者の「ざあつ」という雨の描写は、もうひとつの傑作「観画談」を連想させる。

幸田文は、人間はおろかこの世の生き物すべての生き方を鋭く、やさしく見つめる。そればかりか、石ころや木々、川、山といった自然界に属する物にまでやさしい目を向け、あたかもそれらが生物学的な意味での「生命」を持っているかのように遇する。
この姿勢が、幸田文学の一種独特な世界を形づくっているのだろう。容易に感情移入を許さない世界であるのだが、そうしたものに生命を吹き込む吹き込み方に大いなる興味を抱かされる。
次は『崩れ』だろうか。

■2001/01/16 試供品としての書物

先月から気になっていた本があり、買おうかどうか迷っている。
これまでの自分だと、考える暇もなく購入していたものだが、このところ少し分別がつくようになって、ちょっとの期間間をおいて、本当に読みたいのか再確認してから買うようになった。偉いものである。

この本の場合、先月からずっと気になったままで、購買力の減退が見られないから、普通だとこの時点で「買い」なのである。ところが粘り強くなったもので、それでもまだ一分の迷いが抜けない。

その本とは、奥本大三郎さんの紀行エッセイ『斑猫の宿』(JTB)である。菊地信義さんの装幀は一目でわかるから、新刊コーナーに収まったままなのは確かめている。

昨日書いたように、電車で読んでいた幸田文さんの『ふるさと隅田川』(ちくま文庫)を読み終えたので、次に読む本を選ぶため書棚を眺めていたところ、偶然、去年購入したままになっていた奥本さんのアマゾン紀行『楽しき熱帯』(集英社文庫)が目に入った。

この縁は生かそうではないか。いいきっかけである。
即座に、『楽しき熱帯』を読んで面白かったら『斑猫の宿』を購入しようと思い立って、書棚から抜き取った。
でも、『楽しき熱帯』はかの有名なサントリー学芸賞受賞作なのである。そうした本をまるで試供品のように読むのでは失礼ではないか、という忸怩たる思いもないわけではない。ましてやアマゾンにおける昆虫採集の話なんて、想像もつかない、接したこともない世界だ。

読んでしまえば迷いも忸怩たる思いも吹き飛んでしまうのが、読書の楽しさ。すでに数ページ読んだだけでドライブ感≠感じて惹きこまれてしまった。
『斑猫の宿』はほとんど買うことに決まったようなもの。

といいつつ数年そのままに放っておいて、文庫化されたときに再購入、ようやく読むことになったりするのだなあ、これが。

■2001/01/17 大坂の陣的読書法

好きな作家、あるいは好きになりそうな作家の本を読もうとするとき、もっとも読みたいと思っている作品をいきなり読むことは、まずない。
まずその作家の作家論・評伝などを探して読み、さらにその作家の入手可能な著書をできるだけ買い集め、さらに周辺の作品を読むなどして、徐々に徐々に回り道をしながら目標物へと向かってゆく。

つまり、いきなり本丸総突撃を敢行したりはしないで、外堀を埋めてじわじわと攻撃するような読書法と表現したらよいだろうか。
いまの読書生活でいえば、戸板康二・丸谷才一両氏の作品群もまさにそうである。
読むのがもったいないということもあるが、なかなか中核的作品に手をつけかね、とりあえず集めるだけ集めようという段階にある。

これは、人見知りで、臆病で、警戒心が強いという私の性格にも由来するのだろう。

ちょうど今月の新刊でちくま文庫に入った今井金吾さんの『「半七捕物帳」大江戸歳時記』を買い求めながら、自分の読書法を振り返ってみた。
岡本綺堂の『半七捕物帳』も、しばらく前から光文社文庫の作品集を買い込んで読もうと思いつつ、『半七捕物帳』に触れたエッセイなどを読んで、機が熟しているのを待っている状態なのだ。
ただ気がかりなのは、外堀を埋めてから本丸に突入するまでの時間が長すぎること。今井さんの前著『「半七捕物帳」江戸めぐり』も(ちくま)文庫に入ってまもなく読んでいるから、少なくとも約二年もの間まわりを取り囲んだまま、攻めあぐねて消耗戦になってしまっているのである。
だからといって、突入を決意する心構えにはなっていない。

そのうち池波正太郎さんの『鬼平犯科帳』も読みたくなってくるような気がする。自分の心のなかで、そのような気分の萌芽があるのを感じていて、ちょっとウズウズしているのである。
まあでも、『鬼平犯科帳』にしても、登場する江戸の食べ物を取り上げたものなど、多くのサブ・テキストがあるから、まずはそちらからということになるだろう。

とすると「鬼平」を読むのは、もっともっと先のことになるのか。

■2001/01/18 禁断の領域?

はまったら手がつけられなくなる性癖をもつ私としては、お金のかかる趣味にはなるべく近づかないようにしている。
もっとも貧乏なわが家庭のこと、お金のかかるご趣味様はあちらから近寄ってこないのだろう。ありがたや。おかげで破滅しないですんでいる。

去年の初夏に引っ越し、玄関先に少し空間的ゆとりを持つことができたのをきっかけに、妻が花を栽培しはじめた。
もともとそうしたことは好きだったらしいのだが、これまでの狭いアパート暮らしでそれも叶わなかったということで、ようやく花を栽培できるぅーと喜んでいた。ミニ・ガーデニングといったところ。

現在のところ、私は花やガーデニングなどにはほとんど興味がない。
この「現在のところ」というのが味噌で、自分のことだから数年後、数十年後に熱心に花を愛でている私がこの地球の片隅で生きていそうで恐い。

ところで花栽培の最たるものは「蘭」であろう。しかしこれは、「園芸」というよりもほとんど「蒐集」の域に達している高級趣味という印象をもつ。
なぜこうも蘭は人を惹きつけるのだろう。

塚谷裕一さんの新著『蘭への招待―その不思議なかたちと生態』(集英社新書)は、その謎を解き明かしてくれそうだ。しかしなぜこの本を私などが買うのか。
塚谷さんといえば、文学作品に登場する植物を取り上げた『漱石の白くない白百合』という著書で一時有名になった人である。私もこの本が刊行されたとき、気になって買おうとした。でも結局買わなかった。

この本がずっと心の隅にひっかかっていて、早く文庫化されないかと期待しているうちに、『蘭への招待』が出たので、塚谷さんだから買ってみようか、そんな軽い気持で購入したのである。
たしか『漱石の白くない白百合』の当時は東大助手だったと記憶しているのだが、新著の著者略歴を見ると、一昨年から東大基礎生物学研究所の助教授にご昇任されたらしい。偉くなって大変である。

たとえ『蘭への招待』を読むことがあったとしても(読む気があるから買ったのだが)、蘭に入れ込むことはまずないと断言しておこう。

■2001/01/19 あまりに客観的な

青柳いづみこ『青柳瑞穂の生涯―真贋のあわいに』(新潮社)を読み終えた。
去年の12月にここで触れて以来読み始め、三分の一ほどまで読み進めたところでそのままになっていた。これは決して面白くなかったわけではなく、他に読みたい本が出てきたためである。

長い時間ほうっておいたので、気にはなっていたのだが、つい数日前、ふと手にとって読書を再開したところこれがめっぽう面白く、一気呵成に読み終えてしまった。傑作といっていい。

いづみこさんは、瑞穂の嫡孫にあたる。しかし、一般的に考えられるような、愛情のこもった祖父と孫娘の関係にはなかった。
瑞穂の放蕩無頼で破滅型の生活に、前妻(長男の母)が服毒自殺し、その母の葬儀で長男と瑞穂は激突して長男は父を見限る。その長男の娘がいづみこさんなのである。
孫娘であるのにもかかわらず、客観的にすぎるほど醒めた筆致で祖父・祖母・父・母を語っているのも、そのような理由によるのだろう。

いづみこさんは子供のころから、父親の家系である「あっち」と、母親の家系である「こっち」という二つの世界があることを母から無意識に押しつけられてきた。
いづみこさんは「こっち」であるのに対し、瑞穂は「あっち」側の世界の住人だったのだという。醒めた視線はここに源がある。

資料も博捜されたに違いない。瑞穂自らの著作や様々な作家の証言、周囲の人からの聞き書などで青柳瑞穂という一人の文学者の一生が克明に記されている。
そのなかでときおりいづみこさん自身の見た祖父像も差しはさまれる。これがまた醒めているというか、即物的なのである。
たとえば瑞穂が亡くなり、寝室に安置された遺体を見てこう書く。

生きているときから少しニシンの燻製のようだった瑞穂の足は、よけい細く、よけい乾ききっているようにみえた。全体の印象としては、瑞穂は、遺体というよりはずっと、どこかのお寺の本堂の片隅にぼんやり立っている塗りの剥げてしまった古い仏像に似ていて、死んだ、というよりは、枯れた、とか朽ちはてた、とかいう感じがした。

三百頁あまりのこの本に、瑞穂の一生が隙間なく見事に詰め込まれており、読みごたえがあって、読後は、おいしいものを腹一杯食べたという充実感が残る一冊。

本書を読み、瑞穂とともに阿佐ヶ谷に住み、「阿佐ヶ谷会」という親睦団体を組織した文士たちの作品も読みたくなった。
井伏鱒二・上林暁・木山捷平・外村繁など。

また、瑞穂も巻き込まれた「佐野乾山事件」(尾形光琳弟乾山の佐野在住時代の作品の真贋をめぐる論争)のくだりも興味深い。
なぜかといえば、この乾山作の陶器を贋物だとしてキャンペーンを張ったのが、かの石器捏造事件をスクープした毎日新聞であったからだ。
そればかりでなく、戦後最大の贋作事件「永仁の壺事件」のときも、贋作とする側の筆頭として追及したのが毎日新聞であったという。
毎日新聞は、贋作とか捏造とか、そうしたたぐいの事件をすっぱ抜く伝統があるのだろうか。不思議である。

■2001/01/20 鏡花と水

正直に告白すると、泉鏡花という作家は、「自分は好きなはずだ」と自己暗示をかけて買っているようなものである。いざ読んでみるとストレートに頭に入ってこず、挫折してしまうことが多い。

それでも「高野聖」とか「草迷宮」とか、「春昼」などなど、代表作と言われるものは読んでいるし、ちくま文庫版集成も持っているので、端から見るとファンでないということにはならないだろう。

「大坂の陣的読書法」を実践する私としては、鏡花について書かれた文献のうち、専門的でなく、かつ手に入りやすいものは、できるだけ購入するようにしている。
たとえば、古くは脇明子さんの『幻想の論理 泉鏡花の世界』(講談社現代新書)、最近では佐伯順子さんの『泉鏡花』(ちくま新書)などがそうだ。

このたび、川村二郎さんが「鏡花をめぐる」という副題をもった長編エッセイ『白山の水』(講談社)を上梓した。
ミルキィ・イソベさんによる暖色系を基調としたモダンで明るい装幀とソフト・カバーの造本は、これまでの川村さんの文章・著書からは想像できないような違和感を立ちのぼらせている。
目次を見ると、「川」「橋」「水死」「水神」「隅田川」「深川」など水を連想させる章タイトルが目立つ。もとより書名にも「水」が付く。

鏡花と水といえば、お決まりのイメージ結合であり、挙げるべき作品は多く、触れた文献はそれこそ枚挙に遑がないだろう。先にあげた脇さんの本もそう。
種村季弘さんも、「水中花変化」「水辺の女」という鏡花論を書いている(『種村季弘のネオ・ラビリントス8 綺想図書館』河出書房新社、所収)。

そこに来てこの川村さんの新著が付け加わる。
本書はガチガチの鏡花論というおもむきではなく、あくまで「長編エッセイ」であり、パラパラと見てみると川村さんご自身の幼少時の回想や紀行なども織り交ぜられ、通奏低音として、本職であるドイツ文学との比較的視点が流れているとおぼしい。
鏡花といえば故郷の金沢であり、本書の第一章も「金沢」というタイトルが付けられているが、隅田川や深川と鏡花について触れた章があるのにも興味を惹かれる。
だから、値段は2800円と高価だが、買ってしまった。

■2001/01/21 『リセット』

北村薫さんの新作『リセット』(新潮社)を読み終えた。
『スキップ』『ターン』につづく《時と人》三部作の三作目である。
一作目の『スキップ』は文庫を古本で、二作目の『ターン』は文庫を新刊でそれぞれ購入し読んだ。ようやく三作目にして追いついたという感じ。

「素敵な物語」、そうした言葉以上の讃辞が思いつかない。
年が明けてから(あるいは昨年末から)、われながらなかなかいい本とめぐりあっているように思われるが、本書も然り。またふたたび年末に言及することになるであろう。

【以下内容に触れますので、文字を反転します】

前二作『スキップ』『ターン』は、物語のはじめのほうで、それぞれ書名にあるような現象が主人公の身にふりかかり、主人公はその現実をいかに克服してゆくかという流れが大筋であった。

ところが『リセット』は、ゆっくりゆっくり物語が流れてゆき、ページが残り少なくなってから《時》にまつわる急激な変化が起き、結末に最高潮に達して幕を閉じる、といった流れであろうか。まるで反比例のグラフのようである。
もちろんその間、流れは淡々としているだけでなく、起伏にも富んでいる。
「哀しみ」と「幸せ」、この二つの山をこれほどしっくりと同居させる筋の運びに感服する。

途中まで読んだとき、去年のベスト・セラー『朗読者』を思い出した。
もっともこれは単純な連想にすぎないが、個人的には『朗読者』以上の評価。

私の読み方が甘いのか、鈍感なのか、書名の「リセット」が、物語のなかで起こる現象にうまく結びつかない印象がある。
「リピート」…。これでは迫力がないし、ちょっとズレるか。
いずれにせよ、中味が面白いので許してしまう。

こういう物語にこそ直木賞や芥川賞がふさわしいと思うのだが、いかがなものであろうか。

■2001/01/22 トラウマとしての受験国語

センター試験の季節である。
新聞に掲載されるセンター試験の問題は、ときどき見ることがある。今年はたまたま見た。見るのは国語の問題にかぎる。
誰のどのような文章が問題文として採用されているのか、私の興味はこの一点に尽きる。今年は津島佑子さんの小説だったろうか。

私の受験生時代は、センター試験はまだ共通一次と称していた頃である。平常の授業、定期テストもそうであったが、国語の、とりわけ「現代文」がさっぱりわからなかった。まだ古文や漢文のほうがまし。それでも全体にしてみると成績はかんばしくない。

だいたい、出題される文章を読んでも、小難しくてさっぱり理解できないのである。当時の私は、本を読むとしても推理小説一辺倒で、いわゆる純文学の小説、評論・エッセイなどはほとんど読まない高校生であった。

だから、最近こうしたたぐいの試験で澁澤龍彦・種村季弘両氏の文章などが出題されているのを知ると、「羨ましいなあ」としみじみ思う。
もっとも、澁澤・種村といった名前を知らない高校生にとっては、「何だこの文章、さっぱり分からない」と思われているのだろう。それに、もし高校のときに澁澤の文章が試験に出されていたとしても、私はどのみち分からなかったに違いない。

このような体たらくであるから、国語入試問題の人気ナンバーワン(あくまで私の時代)であった山崎正和さんの文章は、その名前を見るだけでも嫌悪感をもよおしていた。
最近はいくぶんか心が広くなったせいもあるし、興味がないわけでもないので、『鴎外 闘う家長』とか、『室町記』『海の桃山記』など、古本屋で見かけると購入するところまで受け付けるようになった。
しかしそこまでで、まだ読もうという気にはならない。何とも深い傷である。

丸谷才一さんとの対談『日本史を読む』も、単行本で出たときに食指が動いたけれど、やはり買わないですませた。
ところが、ここで繰り返し書いてきた最近の丸谷狂いによって、丸谷さんの対談相手としての山崎正和さんへの好意が自然と芽生えてきている。

今回、この『日本史を読む』が中公文庫に入ったので購入する。
上のような経緯があるから、まさかこの本を買うことになるとは思ってもみなかった。人間変わるものである。

■2001/01/23 それでもバカは本を読みつづける

私は聡いから、自分がバカなことをしでかしたり、バカな発言をしたりするたびに、「自分は何てバカなんだ」とすぐ気づいてしまう。

小谷野敦さんの新著『バカのための読書術』(ちくま新書)を読んでいたら、「バカは何を学問の中核として読書に臨んだらいいのか」という設問に、歴史という回答が示されていたので、わが身の存在証明がなされたような気分になった。喜ばしきかな。

もちろん歴史を学ぶ方々のうち、私をのぞく大半は聡明な方ばかりである。
これを見て目くじらを立ててお怒りになるのもごもっとも。このような本を読んで喜ぶのは、私のようなバカばかり。
(以上の文章のなかには一部嘘が混じっております)

小谷野さんの本は、『新編八犬伝綺想』を持っているが読んではいない。
小谷野敦の名を高からしめた前著『もてない男』も、まるで自分のことを言われているようで、怖じ気づいて手に取ってすらいない。だから実質的に本書が初めて読む本である。
これがまた面白い。言うことが一々切れ味鋭くすっきりしていてまことに爽快。
いかなる権威も一言のもとに斬り捨てる水際だった物言いにすっかり魅了されてしまった。

本書を購入しようと思った大きなきっかけは、立ち読みで目にした「読んではいけない本」のブックガイド。
あまりに見事なので、本を手に持ったまま、体はいつの間にかふらふらとレジに向かってしまった。
たとえば、
丸谷才一『忠臣藏とは何か』…野間文藝賞受賞作だが、論証がめちゃくちゃ。『恋と女の日本文学』も、児戯に等しい。

つい最近再読して、その論証のあざやかさに目をむいた『忠臣藏とは何か』だが、自分の読みはやはり甘いのか。丸谷さんの著作を「児戯に等しい」と評価する勇気は称賛に値する。
その他、

小栗虫太郎『黒死館殺人事件』…西洋コンプレックスに囚われた日本人が感心しているだけ。
夢野久作『ドグラ・マグラ』…この程度のことを言うのに、長すぎる。
中井英夫『虚無への供物』…だから何なんだ。
中沢新一のすべて…いんちき。
前田愛『都市空間のなかの文学』…単なるファッションとしての都市論。一冊の本である必然性がない。

とりわけ小栗・夢野・中井のいわゆるアンチ・ミステリ℃O部作の評価は、三段落ちといったところで笑える。
こういうからには読んだのだろうが、よほど好きな人でないと、この三作すべてを読まないと思われる。なあんだ、結局は好きなのかな?

■2001/01/24 『東京怪奇地図』

森真沙子さんの『東京怪奇地図』(角川ホラー文庫)を読み終えた。

ずっと以前に、三省堂で本書の元版を見つけ、「こりゃ買わねば」と思ったものの、そのときは財布の中味が寂しく断念。そのまま著者も書名も忘れて、「たしか幻想作家をモデルにした東京にまつわる小説があったよなあ」とうろ覚えのまま現在に至っていたのだが、幸い今月文庫になったので、再会できたというわけだ。

さて本書は「夢ぞかし」「人形忌」「無闇坂」「水妖譚」「偏奇館幻影」「田端三百四十六番地」の六篇が収録された短篇小説集である。
前述のように、それぞれ実在の幻想文学に深い関わりをもつ作家と都市東京をモチーフとした作品ばかりで、一読粒ぞろいの面白い短篇集であった。

「夢ぞかし」は千束と樋口一葉、「人形忌」は深川と鶴屋南北、「無闇坂」は谷中と江戸川乱歩、「水妖譚」は浅草(吾妻橋・言問橋)と泉鏡花、「偏奇館幻影」は麻布市兵衛町(現六本木)と永井荷風、「田端三百四十六番地」は田端と芥川龍之介・中井英夫がそれぞれ取り上げられている。

話として怖いのは、「無闇坂」「水妖譚」あたり。
個人的に興味をもったのが、「無闇坂」「田端三百四十六番地」の二篇。

「無闇坂」は、千駄木団子坂で古本屋を経営しながら支那そば屋の屋台を引いていた頃の乱歩が登場し、谷中のある坂で起きた女性失踪事件と、お寺の住職による少女惨殺事件を調査するというもの。
乱歩の文体を模した調査報告書が挿入されていて、乱歩マニアにはたまらない作品。

いっぽうの「田端三百四十六番地」は、酒に酔って山手線の終電に飛び乗った短歌誌の編集長が、生地の田端で下車し、そのときに体験した夢幻譚のかたちをとる。
少年時代に出会った芥川の幻影や、田端脳病院なども登場する。参考文献を見て気づいたのだが、この短篇の主人公は中井英夫なのである。
読んだときに「短歌誌の編集長」というから、そこで中井英夫を思い出してはいたのだが、まさか中井本人だとは思ってもみなかった。鈍感このうえない。

田端というから芥川の話だとばかり早合点していたのだが、「短歌誌の編集長」のうえに「洞爺丸事件」も登場するのだから、この時点ではっきりと中井英夫の存在を意識しないと駄目なのである。
田端といえば、芥川だけでなく、中井英夫もそうなのだ。

ちなみに本作は、主人公が田端駅で見た幻想をきっかけに、黒天鵞のカアテンは、そのとき、わずかにそよいだ…≠フ書き出しではじまる、「長大な小説」「天空の仕掛けたミステリー」の構想を思いついた話なのである。もうすでに鋭敏な方はおわかりでしょう。

ちょうど書友やっきさんのサイト我楽多本舗の備忘録記憶の押入にて、やっきさんが当の本を読み終えたという記事を目にして、奇妙な偶然を感じたのであった。

■2001/01/26 国際サド年

食友犬太郎さんの日記に、こういう記述を見つけた。

5月にサド(ジェフリー・ラッシュ)を主題とした映画『クイルズ』公開。本家フランス製『サド』(ダニエル・オートゥイユ)も公開。サドの年になるのか?

世のなかサド流行りというわけではなかろうが、たしかに最近サドの名前を目にする機会が多い。
上で犬太郎さんがあげておられる映画は初耳であったが、書物の世界では二度ばかり目にしている。

ひとつは藤本ひとみさんの『侯爵サド』(文春文庫)。
文春文庫の先々月の新刊なのだが、このときは買うかどうか迷った挙句、買うのは見送っている。
というのも、私は、澁澤龍彦は好きだが、彼が好んで訳したサド文学はあまり好みではないからである。むろん彼の訳書や、『サド侯爵の生涯』『サド侯爵の手紙』などの著作は持っている。でも読んではいない。

ただ、鹿島茂さんが解説を書いておられて、そこでも絶賛されているから、鹿島ファンの私としては普通ここで買うはずなのである。それでも買っていないから、よほどサド文学と相性があわないか、お分かりいただけたと思う。

ところが昨日、とある古本屋に早くもこの本が入っていたのを見つけて、購入してしまった。やっぱり鹿島さんが絶賛しているから、読んでみると、きっと私のサド観≠熾マ節するのかもしれない。

もうひとつの本は、岩波文庫に入った『ジュスチーヌまたは美徳の不幸』(植田祐次訳)。
岩波文庫にサドが入るなど隔世の感があるが、やっぱりこれも、手にとって解説を見て何度も逡巡した挙句、購入は見送った。
「本邦初訳」とあって、澁澤訳のサドとどう違うのか興味がないではなかったが、第一買っても読み通す自信がないから、購買欲をぐっと抑えた。

もっとも、これも古本屋で安く見かけたら買ってしまうのだろう。
こうして読み通す自信がない本が書棚にあふれることになるわけである。

■2001/01/27 座布団投げと背中たたきの誘惑

横綱曙が引退してしまった。小錦もそうであったが、全盛期のこの二人の外人力士は小憎らしいほどの強さで、負けると快哉を叫びたくなったものである。
ところが逆に、晩年になるにつれて好感を持つようになって、いざ引退というときには寂しく感じるのである。

ところで私は、今年の行動目標の一つとして、「大相撲観戦」をひそかに掲げている。お金(と権力)がないので砂かぶりや桟敷席などで見ることはとうていかなわない。まずは椅子席からであろう。
でも、椅子席ではできないだろうと残念に思うことがある。「座布団投げ」だ。
格下の力士が横綱から金星をあげたりした場合などによく見られる、座布団をブーメランのように土俵に向かって投げるあれのこと。

あれをやったら気持ちいいだろうなあと思ういっぽうで、まかり間違って自分のほうり投げた座布団が土俵に届かず、土俵近くで観戦しているお年寄りの頭にでもあたって首の骨を折ったりしたら…などと考えると、背筋が寒くなる。
でも頭にあたったとしても衝撃があまりないような、軽い座布団を使っているのかもしれない。ともかく国技館に行ってこの目で確認したいものだ。

「座布団投げ」のほかに、もう一つやりたいことがある。「背中たたき」だ。
よく通路側に座っている人などが、花道を通って土俵に向かうときに、激励の意味を込めて背中をバンバンとたたくあれ。あれも一度やってみたいなあ。
でも、これは、やられているほうの力士にとってはたまらないものであろう。

ちょうどいま読んでいる色川武大さんの『なつかしい芸人たち』(新潮文庫)に、「怒り金時の名寄岩」という一章があって、そのなかで面白いエピソードに出くわした。
もちろん、名横綱と言われた双葉山や羽黒山の兄弟弟子にあたる大関名寄岩が「芸人」というわけではない。色川さんは正道からちょっと外れた、しかも憎めない愛着を感じるような人間にスポットライトを浴びせているなかで、名寄岩が登場しているのである。

そこには、こんなエピソードが紹介されている。

新入幕かそのあとくらいの若い名寄岩が、花道から控えに入ろうと歩きだしたときに、子供が彼のお尻のあたりをピシャッと叩いた。すると名寄岩が二、三歩後退って、その子の頭を平手でポカッと殴ったのである。

この直後に、名寄岩のお尻を叩いて、逆に殴り返された子供とは、ほかならない色川さんご自身だったことが明かされる。
色川さんは、これをきっかけに名寄岩という力士を身近に感じたという。微笑ましいエピソードである。

すでにとうの昔に引退してしまったが、私の郷里山形出身の「郷土力士」として、若瀬川がいた。
彼は背中にびっしりと体毛を生やした、いわゆる「背な毛」力士として、自分たちの間で話題になっていたものだが、若瀬川の背中をピシャッと叩いたら、静電気がビビッと走るようで、彼の背中だけは叩きたいとは思わない。

■2001/01/28 襲名の謎

歌舞伎役者の「襲名」というシステムは、実に不思議である。
父祖の名前を受け継ぐことによって、芸に磨きがかかる場合が多い。名前が偉大すぎると、そのイメージが名前につきまとい、払拭するためにはかなりの努力を要する。これもまた芸に磨きがかかることのひとつの表現だろうか。
歌舞伎役者ではないが、先ごろ亡くなった噺家桂三木助さんの場合は、この襲名がマイナスに作用した例なのだろう。「襲名」も人によりけりということか。

歌舞伎役者の場合、たとえば中村歌右衛門なんて、もう女形のイメージしかもてない。この名前を受け継ぐ役者は、女形でなくてはならない。そんなわけではないだろう。
でも立役が歌右衛門という名前だと、ちょっと違和感がある。次の市村羽左衛門は、次男の市村萬次郎だという。この役者は女形だ。羽左衛門=女形、私にはしっくりこない。

最近の例では八十助→三津五郎だが、こちらは早くもすっかり慣れてしまった。
三津五郎=踊りの神様、この等式が今回の場合違和感なく成り立ったということだろうか。

昔の記憶でいえば、今の幸四郎が染五郎から襲名したとき、多少の違和感があった。というのも、私にとって幸四郎は「大河ドラマ『黄金の日々』の助左を演じている染五郎」なのであって、助左=幸四郎という等式がなかなか頭の中で成り立たなかったからである。

襲名のことを考えたのには理由がある。
山口昌男さんの『内田魯庵山脈』を読んでいたら、狂言師の初代山本東次郎は、引退後隠居名として「山本東(あづま)」と称したということを知った。もとの名前から「次郎」を取り去り、一字にしたわけだ。
山本東次郎の名跡を継いだ狂言師は今もご活躍中だから、この名も狂言師の名跡として継承されていることになる。
しかし隠居名がもとの名前の最初の一文字という「単純さ」は、歌舞伎の名跡になじんでいる私としては、どうも奇妙に感じるのである。
歌舞伎でいえば、「三升」や「梅幸」などが有名で、これは俳名である。山本東の伝でいけば、市川團十郎の隠居名は「市川團」、尾上菊五郎は「尾上菊」になってしまい、ちょっとおかしい。

狂言師が一字名を名乗るということで思い出したのは、最近野村万蔵(萬斎の伯父)が「野村萬」と名前を変えたこと。この場合もまた、従来名乗っていた名前の最初の一文字を残したかたちになっている。
これを襲名というのかわからないけれど、狂言師の世界では、このような一字名への変更は佳例なのだろうか。

ところで、服部幸雄さんの『大いなる小屋』(平凡社ライブラリー)を見ていたら、歌舞伎役者の名跡は、歌舞伎が「型」を重んじる芸能であることと密接に関わるという指摘を見つけて、なるほどと思った。
たとえば同じ古典芸能でも、能などはあまり名跡というものは少ないように思われる。狂言にも前述のように名跡はあるが、歌舞伎ほど重きが置かれているものではないという印象がある。

とすれば、歌舞伎>狂言>能の順で「型」へのこだわりが稀薄という仮説は成り立つのだろうか。「型」へのこだわりが稀薄になるほど、名跡へのこだわりも稀薄になるということになる。

■2001/01/29 納得三題

山口昌男さんの『内田魯庵山脈』は、とりあえず第1部を読み終えた。
一気に読もうとするとかえって飽きがくるかもしれず、それにちびちびと読みたいということもあって、第1部読了を機に別の本を間にはさもうと思い立った。

これは結局は読みたい本が山積しており、早く別の本も読みたいのだということでもある。第1部を読んでひと休みという勝手な理由をつけたにすぎない。

そこで選んだのは、丸谷才一・山崎正和両氏の対談集『日本史を読む』(中公文庫)。まだ途中なのだが、滅法面白い。
本書に対して、バリバリの日本史の専門家であれば、「こんなこと当然じゃないか」といった感想を持つのかもしれない。でも、私のような斜に構えたひねくれ者の「感心屋」にとって、これほど示唆に富んだ日本史の本と出会うのは久しぶりのこと。思わず付箋をベタベタと貼りつけまくる。

そのなかから、「へぇー、そうなのかあ、おもしろい、なっとく」と感じた話を三つほど。

(1)丸谷さんは相変わらずゴシップ好き

山崎:…やんごとない先祖を持ったご子孫、名家の息子というのは、わりあいリアリストで、下々が口にできないようなことを平気で言いますよ。
丸谷:お風呂に入って前を押さえないのが身分が高い證拠と言いますね。下関の何とかいう宿屋の風呂番は東郷元帥が前をしっかり押さえるのを見て、ああこの人は下賤の生まれだな、と思ったという。(笑)
(89頁)

平安貴族が、自分の日記にあけすけに男色の記事を書いていることに触れての対話。
やっぱりこういう話をさせると、丸谷さんの右に出る人はいない。

(2)影武者と三種の神器

「影武者」という制度は日本に特有のものであるという指摘がなされている。日本は実質よりも形式を尊ぶ風潮があるからだという。
大将を倒せばいくさに勝利する。だから、影武者を立てるというわけだ。
これは天皇制の二重構造(天皇=形式/院=実質)とも密接に関連している。

歌舞伎によく登場する道具だてに、「千鳥の香炉」というものがある。しばしばそれをめぐって争奪戦が繰り広げられるような、お家騒動の元凶となる家宝である。
丸谷さんに言わせればこれは三種の神器のアナロジーだという。言われてみると、なるほどである。
「千鳥の香炉」とか、「鯉魚の一軸」とか、こうした道具が出てくる歌舞伎を見るたびに、「なぜこうも歌舞伎はこのような道具だてが好きなのだろう」と思っていたのである。

三つめは私個人の研究に関わる指摘で、…ああ、でも書くのが疲れてきた。
三つめはまた後日ということで(丸谷エッセイの常套手法)。

■2001/01/30 襲名再説

一昨日ここで書いた歌舞伎役者の襲名というシステムについては、昨日言及した『日本史を読む』でも触れられていて驚いた。

やはり襲名も「影武者の思想」と関係があるのだという。
「影武者の思想」とは、形式を重んじることで、たとえば天皇と上皇、将軍と執権などの権力構造にうかがえる日本文化独特の形態であることを、丸谷さんと山崎さんは対談で明らかにしてゆく。
この「影武者の思想」が現代にまで形を変えて続いているのが、襲名なのだと山崎さんは言う。

ほかの国にもあるかどうか、私の狭い見識のなかにはあんまりない。名人がある域に達すると、突然、先輩や親の名前をなのる。(…)つまりある固有名詞が、特定の藝風や技術の名前であって、個人が修練するとその名前を負った人間になるという感覚ですね。(…)つまり、自分を磨いてアンデンティティを深めると、逆転して他人になるわけで、非常に複雑な構造を持っているんですよ。(218〜219頁、山崎さんの発言)

上の発言を一昨日引用した服部幸雄さんの議論に重ね合わせると、「芸を重んじる」ことがすなわち「特定の藝風や技術」が確立しているということを示すのだろう。

よくよく考えてみれば、狂言師山本東次郎が「山本東」を名乗るというのは、やはり歌舞伎役者の襲名とは異質な気がしないではない。
たしかに芸の格が上がる(もしくは当人がそう認識している)からこそ名前を変えるのだろうが、それはとくに「先輩や親の名」であるわけではない。「自分を磨いてアンデンティティを深め」こそすれ、「逆転して他人になる」どころか、自分の前名の痕跡を濃く、強いかたちで残しているのである。

また、狂言や能だって、「特定の藝風や技術」が皆無というわけではなかろう。あるいは、「特定の藝風や技術」は個人に帰するものではなく、流派に属するものであるから、歌舞伎に比して襲名には重きをおかないということなのだろうか。
ますますわからなくなってきた。

■2001/01/31 響きあう本たち

今日もまた『日本史を読む』の話題である。

この対談は、章ごとに話題の中心に据える書物を数冊掲げて、それにもとづいて話を展開するというやり方をとっている。江戸時代をテーマとした対談「時計と幽霊にみる江戸の日本人」で取り上げられている書物は次の三冊。

角山栄『時計の社会史』(中公新書)/郡司正勝『鶴屋南北−かぶきが生んだ無教養の表現主義』(中公新書)/石川淳『江戸文学掌記』(新潮社)。

一番最初に掲げられた角山さんの本については、「とりわけこの本は名著で、教えられるところがたくさんありました」(山崎)、「角山さんのこの本は、啓蒙的な文化史の書き方の傑作といっていいんじゃないでしょうか。なんといっても、読者の知性を刺激する仕組みが非常にうまい。その技術が、まるでからくり儀右衛門みたいだ(笑)」(丸谷)というように、両者から絶賛の辞が浴びせられている。

これを読んで読む気が起こらないほうがおかしい。
むろん私も、新書の棚に埃をかぶったまま放っておいた本書を抜き出して手元に持ってきた。購入したのはいいが、読んでいないのだ。
購入したきっかけは種村季弘さんによる書評だったと記憶していた。

ところが、前掲の発言のあと、丸谷さんは次のように述べている。

なかでも素晴らしいのは、シンデレラもさることながら、曾良の日記を出したところが凄い。つまりシンデレラ対曾良の日記という二つのコントラストが絶妙の仕掛けになっていて、読者は思わず息を呑む。ぼくはこの本が出たときの書評を知らないんですが、そういうところを多分、褒めてないだろうと思うんですよ。(241頁)

いや、書評なら種村さんがしている、と思って、書評集『遊読記』(河出書房新社)にあたりをつけてみる。と、やはり発見。

真夜中の十二時を過ぎると魔法が解けて、シンデレラはもとの貧しい少女に戻ってしまう。ではその十二時の時刻をシンデレラはどうして知ったのか。また芭蕉の奥の細道に随行して『曾良旅日記』を書いた曾良は、何であれほど細かい時刻を記録したのか。総じて、時計のない、あるいは計時法の未熟だった時代に、人びとはどうして時刻を知ったのか。これがまず近代的機械時計の発生以後の『時計の社会史』を語る前提である。(「不定時法の道草」初出1984.2.27)

ほら、「褒め」るというよりたんなる紹介かもしれないが、種村さんもこの部分に着目しているじゃないですか。
よく憶えてはいないが、私が『時計の社会史』を購入したのも、この書評がきっかけなのだと思われる。『日本史を読む』のおかげで、この本が書棚の深部から目覚めたことは喜ばしいことである。

でも角山さんといえば、時間を論じた『時間革命』(新書館、1998年)という本も購入しておきながら、ずっとそのままなのである。
『時計の社会史』からそこまでたどり着けるのやら。