読前読後2000年11月


■11/01 予想どおり

今回の出張では、案の定本をゆっくりと読む機会がなかった。
宮部みゆきさんの『蒲生邸事件』を半分ほどまで読み進める。
話自体はたいへん面白く、近いうちに読了して、ここに感想を記すことができるでしょう。

■11/02 ついに三島全集を手にする

三島由紀夫没後三十年を記念して新潮社が企画した『決定版三島由紀夫全集』の刊行がいよいよ開始された。巻数順の刊行だから、第一回配本は第1巻。長編小説の一冊目で、「盗賊」「仮面の告白」「純白の夜」の三作品が収められている。
これを機会に「仮面の告白」を再読したいと考えている。「盗賊」も文字面を見るかぎり面白そうな内容。読んでみたい(いまのところの希望)。

三島は、私の個人的読書史のなかでも重要な位置にある作家だ。
乱歩・澁澤という二人を起点に出発した私の読書遍歴は、乱歩→三島(黒蜥蜴つながり)/澁澤→三島(親友・サド侯爵夫人つながり)というように、三島がひとつの結節点になっており、そこからさらにいろいろな作家に視点が広がっていった。

すでに私が三島由紀夫という作家に興味を持ちだしたときには、さきの全集は品切れであり、全冊揃いはべらぼうに高い古書価がついていた。仕方ないので、文庫や全集の端本を買って読むしかなかったのである。

それから十年ちかい時間が経った。ようやく三島全集を我が書斎に揃えることができることになったことが嬉しい。
さきの全集は、黒い函に白と赤の装幀、旧字旧かなのいかにも三島らしい豪華なつくりのものであった。
今回は、オレンジの箱に黒の布製本で、装幀の柄澤齊さんによる豪勢なロゴマークが箔押しであしらわれている。見た目は前の全集と遜色ないのだが、手にとった第一印象は「軽い」。

これは物理的な軽さのことで、よく観察すると、函・表紙・本文に使用されている紙いずれをとっても軽くなっているようなのである。
軽いから悪いというわけではないのだけれど、やはり三島全集、重厚さも持ち合わせてほしい。それでなくても本文が新字になってしまって、見た目も「軽い」雰囲気になってしまっているのだから。

まあこんなことは瑣末事に過ぎず、作品を読むことにさしたる影響があるわけではない。むしろ軽いほうが手に持って読みやすいとも言える。ただ、やはり完璧を求めたい私としては、多少の注文をつけたくなるのであった。

■11/03 ミシマーナ日々

昨日「三島は、私の個人的読書史のなかでも重要な位置にある作家」と書いて、わが三島体験をちょっとだけ披露した。
書いたあと、詳しくはいつどんな経緯で三島にはまりこんだのだっけ、と気になりだしたので、過去の日記を検索してみた。私の三島遍歴≠ナある。

▼1989年
11/9 澁澤龍彦『思考の紋章学』購入。
11/14 『思考の紋章学』読了。
11/18 柳田國男『遠野物語』読了。
11/22 大学の図書館にて『三島由紀夫全集』第33巻を借りる。この巻に収録されている評論「小説とは何か」が目当て。
11/25 書籍部にて、『春の雪(豊饒の海1)』(新潮文庫)・『作家論』(中公文庫)を購入。
11/27 バイト先の古本屋で『三島由紀夫全集』第2巻を購入。三島全集を何か一冊でもいいから所有したいという気持ちから。
11/28 書籍部にて、『奔馬(豊饒の海2)』『小説家の休暇』(ともに新潮文庫)を購入。
12/1 書籍部にて、『アポロの杯』(新潮文庫)を購入。
12/3 『春の雪』読了。
12/19 『奔馬』読了。
12/25 古本市にて、『三島由紀夫全集』第32巻・『別冊國文学19 三島由紀夫必携』を購入。

▼1990年
1/13 三島の戯曲『黒蜥蜴』を読む。
1/15 バイト先の古本屋にて、『三島由紀夫全集』第19巻(暁の寺・天人五衰所収)を購入。
1/17 『暁の寺』第一部読了。
1/20 『暁の寺』読了。
1/21 評論「ナルシシズム論」を読む。
1/31 書籍部にて、澁澤龍彦『三島由紀夫おぼえがき』(中公文庫)購入。
2/6 『天人五衰』読了。
2/9 書籍部にて『音楽』(新潮文庫)を購入。
2/10 『音楽』読了。
2/26 書籍部にて、『美しい星』購入。
3/1 『美しい星』読了。
3/5 古本市にて、『不道徳教育講座』(角川文庫)購入。
3/10 『美しい星』の舞台となった仙台大年寺山に行き、小説に描かれた泉が岳の情景を見る。

いま振り返ると、ちょうどこの89年から90年にかけての時期というのは、卒論提出(1月)・大学院入試(2月)、そしてその発表と、現在の自分につながる重要な節目にあたっていた。
そのいっぽうで、澁澤・三島・谷崎に熱狂する自分も存在した。一種の逃げ道≠セったわけだ。

まず、なぜ澁澤の『思考の紋章学』購入から始まっているのか、説明しなければなるまい。
この魅惑的な書物の最初には、「三島由紀夫が柳田國男の『遠野物語』の一節を引きながら、幽霊という非現実の存在を現実化させる力について論じている部分(『小説とは何か』所収)に、私は以前から、ちょっと異議を差し挟んでおきたい気持があった」という、これまた魅惑的な出だしで始まるエッセイ「ランプの廻転」が配されている。

すなわち、『思考の紋章学』を読み終えたあと、柳田の『遠野物語』を続けて読み終え、さらに三島全集を図書館から借り出したのも、すべてこの一節に端を発しているということだ。
ついでにいえばこのエッセイでは、鏡花の『草迷宮』も論じられており、私の鏡花体験の源ともなっている。
さらに別のエッセイ「オドラデク」では、カフカの「父の気がかり」に脚光が浴びせられ、三島と同時進行でカフカを読み始めることにもなる(このことは以前この漫筆でも書いた)。
これらを考えると、澁澤の『思考の紋章学』が私の読書体験に与えた影響は大なるものといわなければならない。

さて三島体験だが、最初に読んだのが、澁澤が言及した「小説とは何か」という評論だったのをおけば、小説の初体験は最後の作品『豊饒の海』であることは、かなり珍しい方に属するのではあるまいか。
いまだに『春の海』を読んだときの衝撃は、頭の隅で曖昧なかたまりとなって(つまり言葉に言い表せないかたちで)残っている。

その後、上にあげただけでも『仮面の告白』、『音楽』(これは文庫版は澁澤が解説を書いている)、『美しい星』(仙台が舞台)という三長編を読んでいる。これらは、『仮面の告白』を除けば作家三島由紀夫の代表作とは必ずしもいえないものであろう。
現在に至るまでにも、この上に読んだ三島作品は、『命売ります』や『宴のあと』『青の時代』など数編に過ぎないのである。代表作とされるような『禁色』『鏡子の家』『金閣寺』などは読んでいない。結局は三島ファンと胸を張ることができるほどではない。

だから、今回の決定版全集は、私にとって新たなる三島との出会いとなるかもしれないのである。

■11/04 『蒲生邸事件』

宮部みゆきさんの作品を読むのは、これが初めてである。
一番最初がこの作品で本当に良かったと思う。
SFがある程度好きで、推理小説は大好き、そのうえ歴史を学んでいる者として、この作品ほど共感をもって読むことができるものはないのではないだろうか。

解説の関川夏央さんが、「サイエンス・フィクションと推理小説の折衷小説ではないかと思われるだろうが、道具立てはそうであっても、この小説はそれほど単純ではない」と述べるように、本作をたんなるSF・推理小説とみなすのは、あまりに皮相的な評価であろう。
宮部さんの鋭い歴史認識≠ェ背骨として貫通しているからだ。

私の恩師が著書のなかで述べた「制度を体現した人物は制度に殉じることによってしか歴史に寄与しえない」という名言がある。
この作品の中のモチーフとなっている「歴史に責任をとること」も、まさにその意味に通じている。
はたして今の時代を生きている私は、いまなお刻々と過ぎ去っていく時間に対して、責任をとるという行為ができているのだろうか。はなはだ心許ない話だ。

次に宮部作品を読むとすれば、直木賞受賞作の『理由』だろう。「真実は相対的にしか存在しえない」という命題に基づいた小説だそうだ。文庫化されているのかな?

関川さんは、宮部さんを「近代文学から自由」な作家であると評している。
この点において、「やはり世の隅に身を置いて自活し、そこでの生活の技術と知恵、それに働くことのリズムをそのまま文学に反映させた幸田文」を連想させるという。
ここでも私の最近の好みに合致するようである。不思議なるかな。
無意識のうちに同じ傾向の作家・作品をわが身に引き寄せ集め、読むものらしい。

■11/05 「つながる」のか「つなげる」のか

昨日書いたように、読書をしていると、まったく知らずに読んでいたある本を介して、偶然別に過去読んだ本や自分の関心がつながる事態に遭遇し感動してしまうことがある。
もちろんこれとは逆に、この本のあとはあの本を読もうとというように、多少人為的につなげてしまうこともある。

ちょうど矢野誠一さんの現代落語家論・落語論である『落語家の居場所』(文春文庫)を読み終えて、「つながる」と「つなげる」が半分ずつ含意されるような事態に立ち至った。
この本の「文庫版のあとがき」には、親友江國滋さんからの手紙が引用されている。本書元版を贈った礼状だ。
このなかで江國さんは矢野さんに対し、「あさっての、やなぎの句会で小生の一大事を報告するつもり」と書いている。これは矢野さんによれば、「(1997年)二月五日に食道癌の告知をされたことで、十七日の句会のあとで涙ながらに句友に報告した」ことを指すという。

ちょうど十月に、江國滋さんの闘病日記『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』が新潮文庫に入った。同時に三島関係の新刊も数冊出ていたので、すぐ購入することはできなかったが、興味はあったのでいずれ購入しようとは考えていた。

そのなかで上記の文章(江國さんの書簡)に出会ったのである。ひとつ「つながった」ことになる。
これを目にしたからには、闘病日記を放っておくわけにはゆくまい。さっそく書店から購入して、『落語家の居場所』の次に読むことにする。
これは「つなげた」ことになるだろう。

出会いは偶然、読むのは必然、ということか。

■11/06 池波正太郎の太打蕎麦

ひとくちに蕎麦といっても、白くて細い素麺のような更科系のものから、太くて噛みごたえのある田舎系のものまで幅広く、さらにこねるときにゴマなどをすり込んだ変わり蕎麦などを含めると、それこそ多種多様である。

山形出身の私としては、やはり田舎蕎麦系の太い蕎麦のほうに好みが傾く。
更科系は何だか食べた気がしないのである。
この私をして驚かせる超太打ちの蕎麦が、神田須田町にある神田まつやの太打蕎麦だ。予約しないと食べることができない。
先日友人たちと一緒に、この太打ちを食べる機会に恵まれたが、予想どおり割箸一本分に匹敵する太さの蕎麦で、噛みごたえ十分、いかにも蕎麦を食べているという充足感に襲われた。

この太打は、かの池波正太郎も大のお気に入りだったらしい。エッセイ集『むかしの味』(新潮文庫)には、こんな風に書いてある。

〔まつや〕の太打ちと柚切り……ことに太打ちの蕎麦は、遠いむかしの江戸の蕎麦を目前に見るおもいがする。
味も形態も、実に、みごとなものだ。


江戸の蕎麦とは、このようにワイルドなものだったのだろうか。
上に引用した池波さんの言葉は、次の日記を見ると心の底からの本音であったことがわかる。

きょうは、はじめから決めていたので迷うことなく、神田・須田町の〔まつや〕へ行く。先ず大きな海老の天ぷらでビールをのむ。折しも、他の客たちが予約していた、まつや名物の太打ち蕎麦を打ちはじめ、
「いかがですか?」
すすめられて大よろこび。久しぶりで、ここの太打ちに舌つづみを打つ。
(『池波正太郎の銀座日記〔全〕』新潮文庫より)


この店においては池波さんは特別待遇で、ありもしない座敷で食べていたとばかり思っていたけれど、この記事を見るかぎり、ごく普通の蕎麦好きのおじいさん≠ニいった感じである。
まつやにも、池波さんにも失礼な話で反省する。

■11/07 ふたつの高橋

仕事帰りに立ち寄った古本屋で、松本哉さんの『すみだ川横丁絵巻』(三省堂)という本を見つけたので購う。この作家のリアルなイラストは私の好みだ。
本書は隅田川そのものというよりも、タイトルにあるように、深川(小名木川・仙台堀川など)・日本橋川・神田川など、隅田川に注ぐ脇の河川に注目した本であるらしい。

パラパラとめくっていて、前々から気になっていた事柄を目にし、「おっ」とページを繰る指が止まった。
小名木川に架かる江東区の「高橋」と、隅田川の対岸中央区八丁堀の亀島川に架かる「高橋」について触れられていたからだ。

先日銀座から三十分でどこまで歩けるか、深川方面を目指して散策していた途中、まず亀島川の「高橋」を渡った。
三十分歩いて門前仲町にたどり着いたので、そこから浅草方面に行くバスに乗ったところ、小名木川の「高橋」を渡った。
つまり一日でふたつの「高橋」を制覇したことになるわけである。

ふたつ目の小名木川高橋を渡るところで、「そういえば「高橋」とは「たかばし」であって、よくテレビや雑誌などで目にするのはこちらのほうだよな」ということに気づいた。
同時に、では亀島川高橋は何なのだろう、という疑問が沸いてきたのである。

本書において松本さんは、小名木川高橋=「たかばし」、亀島川高橋=「たかはし」と発音で区別する説を、地元の人々への聞き取り調査をもとに斥け、どちらも「たかばし」と呼ばれていることを確認、隅田川をはさんだ西と東に「たかばし」がふたつあってもいいではないか、という結論に達している。
別に私もどちらでもいいのであるが、自分と同じような疑問を持った人がいて、それが松本さんなのだと思うだけでも何となく嬉しい。ただそれだけ。

ちなみに小名木川高橋の命名の由来は、小名木川の増水に備えて高く架けられた太鼓橋だったかららしい。
ふむふむ。またひとつ賢くなった。

■11/08 偉大なる暗闇

「偉大なる暗闇」とは、いまさら説明するまでもなく、漱石の『三四郎』において、主人公たる小川三四郎の友人佐々木与次郎が広田先生に奉ったあだ名である。

『三四郎』をようやく読み終えた。
再読を開始したばかりの頃、この小説のことを「本郷小説」あるいは「谷根千+本郷小説」と書いた(10/24条)。読み終えたいま、正確には「(旧)本郷区小説」と言い換えたほうがいいかもしれないと思うようになった。
まあそれでもたいして代わり映えしないか。

再読にあたっての目論見は、丸谷才一・司馬遼太郎の論を踏まえて、この小説を都市小説・文明小説として受け止めてみようということであった。
前半こそそうした側面が濃厚だったものの、後半はやはり私にとってこの小説は青春小説≠ニしか受け入れようがないなあと感じたのが正直なところ。
自分のなかで『三四郎』が青春小説に変じた瞬間、読み進むペースも遅れてしまった。最近私は空間小説″Dきになってきているようだ。

さてせっかく『三四郎』を読んだのだから、次に関係する本も読もうと思い立つ。
たまたま書棚で目についた蓮實重彦さんの『夏目漱石論』(福武文庫)を抜き取り、その第十章「『三四郎』を読む」を拾い読みしてみる。
蓮實さんの独特な文体は嫌いではないのだけれど、どうやら拾い読みには適していない。頭に入ってこないのでやめた。

そこで、前々から購入してはいたのだが、読むきっかけがなかったのでそのままになっていた高橋英夫さんの『偉大なる暗闇』(講談社文芸文庫)をこのさいだから読んでみようという気になる。
タイトルから想像できるとおりこの本は、『三四郎』の広田先生のモデルとなったという伝説がある、一高教授岩元禎氏の評伝である。

もっとも、最初のほうを読んだかぎりでは、岩元が一高教師をしていたのが明治34年〜昭和12年。『三四郎』連載開始が明治41年だから、『三四郎』を読んだ一高生たちが、「偉大なる暗闇」というあだ名を、自分たちの先生である岩元のために借用したのが真相らしい。
いずれにせよこの岩元禎という人物は変わり者≠轤オく、また明治大正を生きた様々な人物との交流もあったそうだから、それだけでも読むに値しよう。
当分の間『三四郎』の呪縛にかかったままでいるのも悪くない。

■11/09 ついてゆけない

本屋に行ったら鹿島茂さんの新刊エッセイ集『セーラー服とエッフェル塔』(文藝春秋)を見つけてしまったので、鹿島ファンとしては買わずにはいられまい。

目次を見ると、こんなタイトルのエッセイがずらりと並んでいる。

SMと米俵/ビデ/他人のくそ/フロイトと「見立て」/消えた便所/愛とはオッパイである/長茎ランナウェイ学説/ナポレオンの片手/情死はソフトの借用?/黙読とポルノ…

むろんここに書き抜いたのは比較的過激なもので、もっと穏当なタイトルもあるにはある。
帯には「ちょっとHな「仮説」26」とある。
まあそんな内容のエッセイ集だということだ。
装幀もいままでの鹿島本とは雰囲気が異なる(でもカバーの紙の感じなどは、『絶景、パリ万国博覧会』の元版に近い)。

最近の鹿島さんは、仏文学者というよりも現代風俗評論家%Iな文章が多い。
嫌いではないのだ。博識なのにくわえて、これら現代風俗に対する切り口が鋭いから、むしろ読んでいて納得するところがすこぶる多くて面白い。

だから、「ついけゆけない」というのは、呆れて…という意味ではなく、その関心の広がり方に…ということで、大いに尊敬の念が含まれているのである。

■11/10 闘病日記の金字塔

故江國滋さんの闘病日記『おい癌め酌みかはさうぜ秋の酒』(新潮文庫)を読み終えた。

読んでいて辛くて胸が苦しくなる反面、内容の壮絶さに惹き込まれ「次へ次へ」とぐいぐい引っぱられて最後のページまでたどりついた。
検査・癌発覚・告知→手術→闘病→再手術→死という、江國さんの人生の終末期半年の日記と闘病句である。

何度も書いているように、私は日記好きである。
本書はこれまで読んできたなかでも五指に入るような面白さ(というべきかどうか迷うが、とりあえず)であった。告知を受けて入院が決まったとき、江國さんは、石田波郷の療養句が、療養句の金字塔≠ニいった評価を受けているのに対し、それを目指すと書いている。
私が思うに本書は、療養句の金字塔≠ノ加えて、闘病日記の金字塔≠ナあるといってよいのではあるまいか。

著名な闘病日記としてただちに思い浮かぶのは、子規の『仰臥漫録』であるが、それに匹敵する現代の『仰臥漫録』である。
二度の手術を経過してもなお癌が転移して、刻々と死の予感≠日記に書きつけているなかで、六月十三日の記述に、「正岡子規『仰臥漫録』」と書名だけ書き出されている。読んだとも、持ってこさせたとも書かれていない。ただそれだけなのだ。江國さんもそれを意識していたと考えるべきだろうか。

癌が右腕の骨に転移し、ペンもとれない状態になると、夫人の口述筆記にとってかわる(6/27〜30)。
さらにそのための手術の準備に入ると、夫人のメモが挿入される(7/1〜2)。
手術が終わり、腕を動かせるようになって、ふたたび自筆の記述に戻るが、それ以前まであった闘病への気力が薄れかかっている。

このような本人の日記から第三者の日記に切り替わる様子を読んでいて、ゆりくなくも谷崎の『瘋癲老人日記』を思い出した。むろんあちらはフィクションである。
このリアリティあふれる構成から逆に、『瘋癲老人日記』の着想の素晴らしさを汲みとることができるわけだ。まあそれはいいとして…

亡くなる二日前、誰もいない病室で、原稿用紙の裏に書いた辞世の句が本書のタイトル。端書きは「敗北宣言」。
亡くなる前日に見舞いに来た友人の医師には「なんでもいいから/らくにさせて」と筆談で訴えた。胸に迫る。

■11/11 本郷ラビリンス

「東京文化財ウィーク」の企画として公開された徳田秋声旧宅に行く。
住所は文京区本郷6−6−9。つまり私の職場から目と鼻の先にある。本郷通りをはさんだ職場の向かい側にある閑静な住宅地につつまれている。
昼休みなど、昼食を終えて本郷界隈をぶらぶら当てもなく散策していると、前を通りかかることが時々ある。だから、場所は頭に入っているものと予断して、正確な住所番地などを頭にたたき込まずに訪ねた。

これが間違いのもと。
昼休みの散策時は、目的なくぶらぶらと歩いているから、正確な場所を把握していたわけではなかったのである。
しかし徳田秋声旧宅という明確な目標を目指して歩き始めた瞬間、本郷における徳田秋声旧宅の座標を把握していないことに気づいたのである。ぶらぶら散策しているときには当たり前のように通り過ぎていた場所なのに、いざそこを目指そうとすると、なかなかたどり着けない。

本郷のこのあたりは、小さな路地が入り組んでいて、初めて入り込んだ人にとっては、まるで迷宮のような印象を与える空間である。
私はその初めての人のように、同じ場所をぐるぐるとめぐっていた。
たまたま電話工事車輛が一定の場所にいたために、位置感覚を喪失することはまぬがれたが、肝腎の目的地を見つけられないのだ。見学時間も限られている。焦るとますますわけがわからなくなってきた。

ようやく目的地を探し当てたのは、出発して20分も経った頃だろうか。見つけて初めて、「なんだ、こんな簡単な場所にあるんじゃないか」と気づいた。ものの5分で来ることができる場所である。
人間の勘は案外当てにならない。

徳田秋声旧宅は、まだご子孫が暮らしている現役≠フ家で、訪れたときにはお孫さんとおぼしきご婦人から簡単な説明をお聴きした。
実際に今もお住まいなのだから、見ることがかなったのは最初に使っていたという書斎のみ。晩年まで使っていた離れの書斎は庭から眺めるだけにとどまる。
それにしてもこの徳田秋声旧宅、明治末期の木造家屋なのだ。
本郷のそのあたりには、こうした木造家屋がごく当たり前のように建ち並んでいる。

■11/12 読書の横連鎖

ホームページの「購入した本・読んだ本」をご覧になった方ならおわかりになると思うが、私は、たいがい複数の本を同時進行で読んでいることが多い。
これらを読んでいるときの状況(空間)で大別すると、自宅で読むものと電車で読むものの二種類がある。
電車では比較的内容が軽くて、下車のために途中で読書を遮られても再開が容易な、形態的には文庫本・新書が多い。自宅で読む本は、当然ながらそれとは逆に、比較的内容が重厚な、形も電車で読むのはつらいハードカバーなどを選ぶことが多い。

自宅本・電車本それぞれ、時々の関心で購入した直後のものだったり、書棚から抜き出したりで、相互にまったく関係ないのが普通だ。
現在自宅本は、前に書いたように『三四郎』から『偉大なる暗闇』に移った。電車本のほうは、昨日読み終えた江國さんの本の次に、購入直後から読もう読もうと思っていながら果たせないでいた浅見雅男さんの『公爵家の娘』(中公文庫)を、とうとう読むことにした。

『偉大なる暗闇』については、なかなか面白いエピソード満載で、いずれ読み終えたときにでも言及することがあるだろう。
驚いたのは、『偉大なる暗闇』(以下『暗闇』と略)を読んでいて、『公爵家の娘』(以下『公爵』と略)の記述とシンクロする内容を発見したことなのである。

『公爵』は、社会主義運動に走り、21歳の若さで自殺した、岩倉具視の孫靖子の評伝である。華族の錯綜した血縁関係は、読んでいてなぜか面白い。

靖子の母(つまり岩倉具視の嫡子具張の妻)桜子は西郷従道の娘。具張という人物が放蕩息子で、具視が築いた莫大な財産を蕩尽してしまい、35歳の若さで隠居させられてしまう。苦境に追い込まれた妻桜子と子どもたちを支えた一人が、具視の末娘、つまり桜子には義理の叔母にあたる森寛子という女性だったという。

苗字から推察できるように彼女は森有礼の後妻なのだ。
彼女自身のたどった運命も興味深く、最初は旧久留米藩主の家柄の有馬頼万に嫁ぎ、あの競馬の「有馬記念」の生みの親である頼寧を産む。その後なぜか離縁させられ、二度目の結婚が森有礼なのだそうだ。

また別の話では、昭和の初め、金融恐慌で岩倉家をはじめとした華族が大きな打撃を受けたとき、本家の状況を憂慮した具視の四男で一族の長老道倶が西園寺公望を訪ね、宮中から特別な配慮があるよう運動したとのこと。
以上二つのエピソードに出てくる人間関係が、『暗闇』にも登場したのである。

『暗闇』の主人公岩元禎が、志賀直哉の家庭教師となって親密な関係を築き上げるに至ったことを述べた一章がある。この二人を仲介したのが、志賀の学習院の友人岩倉道倶なのだそうだ。
志賀直哉の「祖父」という文章が引用されているので孫引きする。

岩倉道倶といふ友達は私よりも三つ年上で、岩倉具視の妾腹の子であつた。大分年の異つた姉があり、森有礼の後妻になつた人だが、市ヶ谷仲の町に住んでゐて、私も道倶に誘はれてよくその家に遊びに行つた。どういふ関係からか、第一高等学校で独乙語の教師をしてゐる岩元禎さんが、時たまに森未亡人の所に出入りしてゐて、道倶は其所で岩元さんと知り合ひ、私は又道倶の紹介で岩元さんと知合ふやうになつた。

上の志賀の文章に登場する「森未亡人」とは、すなわち森寛子のことだろう。
まったく無関係に読み進んでいた自宅本と電車本がここでシンクロしたわけである。『公爵』で先に人間関係を知ったうえで、『暗闇』の記述にぶつかり、まことに驚いた。
こういうことが重なれば、読んですぐ忘れることなく、無駄な知識として頭の中に集積されてゆくに違いない。
そして、こういうことがあるから、読書は面白い。

■11/13 読書の縦連鎖

高橋英夫『偉大なる暗闇』(講談社文芸文庫)を読み終えた。
漱石『三四郎』に登場する広田先生のモデルではないかという、伝説の一高ドイツ語教授岩元禎氏の評伝である。

哲学思想に触れた箇所は、難しくてさっぱりわからなかったが、岩元氏を中心とした血縁関係、交友関係、師弟関係などに触れたくだりはとても興味深いものであった。
著者の高橋さんは、こうした岩元氏を中心として形成された熱い友情で結ばれた関係を「友情空間」と規定して、そのなかにいる人間を「ホモ・アミクス」(homo amicus=友情的人間)と呼んでいる。こうした「友情空間」における人間関係の形成は、極言すれば明治期特有のものだったらしい。
現代の冷めた世の中では、熱い「友情空間」など生まれるべくもない。もっとも、インターネットを通じて、新たな「友情空間」と呼べるようなものは形成されていそうではある。

ところで岩元禎氏は、前にも書いたように、広田先生のモデルというより、逆に広田先生のあだ名「偉大なる暗闇」を学生たちから奉られた立場である。
二人の間には、奇人ぶり・博覧強記・伝説的な独身生活など共通点が多い。

このほか同様の人物として本書のなかであげられているのが、仙台の二高で英語を教えていた粟野健次郎や一高校長などを歴任した狩野亨吉である。
この二人について記した章「独身者たち」は、内容的にちょっと岩元禎の評伝から離れるものの、すこぶる面白いものであった。

これによって狩野亨吉という人物に興味をもつ。この人物は前々から気になっていた。だから、青江舜二郎さんの『狩野亨吉の生涯』(中公文庫)はいちおう古本屋で見つけたときに購入してある。
『偉大なる暗闇』のなかでも同書に言及があり、いよいよこの大著を読むべき時節が到来したかという感じである。はてさてどうしようか。

■11/15 新「ぺてん師列伝」・新「贋作者列伝」

鹿島茂さんの新著『セーラー服とエッフェル塔』(文藝春秋)を読み終えた。
購入したとき、「帯には「ちょっとHな「仮説」26」とある。まあそんな内容のエッセイ集だということだ。装幀もいままでの鹿島本とは雰囲気が異なる」と書いた(11/9条)。
雰囲気が異なる装幀というのは、中村宏氏の装画とミルキィ・イソベ氏の装幀がアニメチックというか、メルヘンチックというか、そんな感じのもの。おまけに書名の字体も軽さを感じさせるもの。タイトルは内容を想像させないシュルレアリスティックなもの。これに、先に引用した帯の惹句を合わせて、内容を短絡的に想像してしまったのである。

ところがこれが大間違い(といっても、別に装画・装幀が悪いと言っているわけではないので念のため)。
中味は、鹿島さんのエッセイ集のなかでもすぐれて比較文明史的視点・文化史的視点・文明批評的視点に富んだ読書エッセイ≠ナあるのだ。

日常感じた素朴な疑問に対し、自分なりの仮説を立て、論理を展開してゆく。
その仮説を立てる仮定で、鹿島さんが日頃読んでいる様々な書物が紹介されている。

鹿島さんが感じる素朴な疑問とはこんなもの。
「女性の乳房はなぜいつも膨らんでいて、男性はそれに愛着を覚えるのか」「男性のペニスはなにゆえに、勃起時には平均十三センチになるのか」「なぜ日本でだけセーラー服が女学校の制服となり、男たちのエロティックな夢想の対象となったのか」「SMの亀甲縛りの誕生の契機は」「情死・心中という過激なる愛の解決法が日本特有なのは」「日本人が外国語の会話が下手な原因」「イギリス人やフランス人は、なにゆえに、牛肉の食べ方やコーヒー・紅茶の飲み方でかくも対照的なちがいをみせるのか」「キリストが血まみれの残酷な姿で十字架にかけられているのは、いったい何のためなのか」(「あとがき」より)

あらゆることに疑問を持ち、それに対し仮説を立てる仮説癖が働く鹿島さんは、手当たり次第に本を乱読して、センス・オブ・ワンダーを味わっているという。
読書の醍醐味ここにあり、だ。

仮説への手掛かりも、センス・オブ・ワンダーの発見も、たいていは本のうちにあると断言し、本書の内容をこう規定する。
「本書は、少し時間差をおいた、真におもしろい本への案内・紹介であるということができる」
だから、こちらも読んでいて知的刺激を味わうことができたというわけである。

ところで、「売られたエッフェル塔」という一篇を読んでいて、種村季弘さんの『ぺてん師列伝』を彷彿とさせる筆致に興奮するのは私だけではないと思う。
また、「贋作の情熱」の一篇を読んで同じく『贋作者列伝』を思い出した。
種村さんのこの系統の著作に熱狂した私としては、このような人種に向けた鹿島さんのまなざしと切り口に、第二の『ぺてん師列伝』、第二の『贋作者列伝』の誕生を期待してしまうのであった。

■11/16 歌舞伎の大道具

歌舞伎役者の名前は、「名跡」といって代々継承していく性格のものである。十二代目市川團十郎といった具合に。
また、役者にかぎらず、その周辺、たとえば清元や常磐津などの太夫の名前にもそうした性格が少なからずある。

ところが、釘町久磨次さんの『歌舞伎大道具師』(青土社)を読んだら、大道具に携わる人にも名跡というものがあることを知り、驚いてしまった。
釘町さんが子供の頃に弟子入りしたのが、十四代目長谷川勘兵衛という大道具師なのだ。
『新訂増補歌舞伎事典』を引くと、この名跡は現代まで十七代に及んでおり、初世は江戸日本橋の宮大工の子として生まれた、専門大道具師の開祖だという。釘町さんが弟子入りした十四代目は明治の人。九代目團十郎や五代目菊五郎と組んで、名人と謳われたとある。

そういえば、これまで私は、歌舞伎を見ていながら、あまり大道具師という立場の人々には注意を払っていなかったなあと思い返す。そこで、急いで過去の筋書などを引っぱりだして見てみると、ときおり「美術」とあって名前が出ている人が大道具師らしい。
実際今年十月、歌舞伎座夜の部における猿之助の「加賀見山再岩藤」には、当の釘町さんと、金井俊一郎さんの二人の名前が挙げられている。金井という名前は、「金井大道具」という長谷川大道具と並ぶ歌舞伎の大道具師の大立者らしい。

『歌舞伎大道具師』は釘町さんの語りおろしといった雰囲気の本であり、91年の刊行である。この当時釘町さんはすでに御年85歳。ということは、今年は94歳。その年齢になっても大道具師として名前を連ねて活躍していることに敬意を表したい。

内容的には、「四谷怪談」や「義経千本桜」のからくりはもとより、一般的な大道具の名称や使い方など、読んでいて覚えておきたいということばかり。
今まで同じとばかり思っていたセットも、役者によって色合いや大きさを変えたり、上演の度に作り直したりと、私のような初心者にとって、新鮮な驚きに満ちている。
歌舞伎を見るさいのポイントがまたひとつ増えた。

■11/17 期待の歌舞伎ミステリ

歌舞伎の世界、俗に梨園と呼ばれる世界を舞台にしたミステリといえば、第一にあげられるのが戸板康二さんの中村雅楽物≠フ一連の作品群だろう。
そのほかにこのような作品があるのを寡聞にして知らない。

歌舞伎の世界には、日常わたしたちが暮らす世間とは違った、一種独特の決まりや慣習、言い回しなどが存在する。また、演じられる芝居そのものにも、わたしたちが知っている範囲だけでも「型」と呼ばれる決まり事があり、さらに役者から役者へと口伝でなされるような細かな所作などもあるだろう。
いわばこれらは、芝居の数、役者の数だけ無数に存在するといっても過言ではない。

こうした決まり事などをトリックとして巧みに小説のなかに取り込むためには、その世界のことを十分に熟知していなければならない。
歌舞伎ミステリ≠ェ、子供の頃から歌舞伎に親しみ、長じて劇評家の第一人者として名をなした戸板さんの独壇場であったことは、ある意味当然のことだったのである。

最近偶然、「梨園を舞台に展開する三幕の悲劇」という帯のコピーがある『ねむりねずみ』という小説を発見した。著者は近藤史恵さん。創元推理文庫十一月の新刊である。
著者はこれまで数編の作品を発表しているようだが、どのような作風のミステリ作家なのか、まったく知らない。
たんに歌舞伎の世界を舞台にしているということで、大いなる期待感を抱き、すぐさま購入した。

はたして戸板作品に匹敵する新しい歌舞伎ミステリ≠フ誕生となるか、読むのが楽しみである。

■11/20 池内カフカ

白水社創立85周年記念出版の一つとして、池内紀さん個人訳による「カフカ小説全集」全6巻が刊行された。一冊目は『失踪者』

この秋は足穂やら三島やら、全集が次々と発刊されて、いくらお金があっても足りない状態だが、あえて足穂を諦め、三島とカフカを買うことに決めた。
カフカは毎月刊行というわけではなさそうだから、ちょっぴり安心している。

カフカ読書歴は古い(澁澤の影響で三島などとほぼ同時。11/3条参照)。
しかし恥ずかしながら、作品の数自体はあまり読んでいない。
だいたい『審判』『城』などの代表長編を読んでいないのである。読んだのは「変身」ほか短編ばかり。威張れない。
恥の上塗りになるが、このさい告白してしまおう。
以前東京国際ブックフェアを機に復刊された新潮社版『カフカ全集』も持っているのである。なのに読んでいない。
これは正当な(?)理由があって、字が小さくて二段組み、見ただけで読書欲を減退させる中味なのだ。それなら買うなと言われそうだが、書簡なども収められているうえに、装幀も好きだったので、つい購入してしまったのである。

だから、カフカの長編を読む千載一遇のチャンスとなるのが、この池内カフカの刊行なのだ。真面目に、今回こそは読みたいと考えている。

今回の池内カフカの特色は、カフカの没後友人のマックス・ブロートによって編集されたテクストを底本とするのではなく、カフカ本人の手稿による全集版に拠っていることだろう。
今回の『失踪者』も、もとは『アメリカ』というタイトルで知られていた作品なのである。これまた角川リバイバル文庫で購入したことがあるなあ。

まだ解説も読んでいないので詳細は知らないのであるが、ブロート版と手稿版、それが違っただけで、タイトルはおろか内容も一新されるようなものなのだろうか。
だとすれば、それまで読んでいたブロート版の作品は何だったのだろうか。
『失踪者』の場合、ブロート版を読んだことがないから、比較のしようがないけれど、たとえば「変身」など、どのように違っているのだろう。

ともかくも文章が好きな池内さんの訳だから、これを機会にカフカを読むしかない。

■11/21 文庫本スナイパー

文庫本が好き。坪内祐三さんの文章が好き。

ここまで条件が揃っておきながら、坪内さんの新著『文庫本を狙え!』(晶文社)を買わないわけがない。
本書は『週刊文春』において、1996年から2000年まで足かけ五年にわたって連載された文庫本154冊の書評集である。

読まずにそのままにしておくことがどうしてもできなくて、つい読み始めてしまう。
目次を眺めていると、私も購入している本や、この「漫筆」などHPで言及している本もあって、やはり好みが重なっているなあと思う。
というよりも、最近は坪内さんに導かれて読みたくなり、購入したり、また、面白そうな文庫本を買ってみたら解説が坪内さんだったり、遭遇率≠ヘかなり高いのである。

最初のほうを読んでいて、柴田宵曲・森銑三の『書物』について触れた文章があった。そこには、こんな森氏の文章が引かれてある。

余計な憎まれ口を叩くにも及ばぬが、文庫本ばかりを書架に並べてその量の殖えて行くのを喜んでいる人たちは、まだまだ書物好きとはいい兼ねるのではないかという気がする。(「形の大小」)

岩波文庫批判をしたあとの結びの文章だ。それがいまや当の岩波文庫で読むことができる。
これが発表されたのは昭和23年。はたして今に森さんが生きておられたならば、上記の発言は訂正されるだろうか。

話を『文庫本を狙え!』に戻すと、本書はもとの連載のうちの第18回から第171回分をまとめたものだという。
その前、つまり第1回から第17回までは、前著『シブい本』(文藝春秋)に収録されていると「あとがき」にはある。この『シブい本』は前々から買おうと思っていたのだが、そのままになってしまっていた。

ちょうどいい機会。神保町の東京堂書店に行ったら、たまたま紀田順一郎さんの新刊『神保町の怪人』の隣に署名入りの同書が並んでいたので、財布の中味と相談しながら購入してしまった。

■11/22 ドライブ感のなかで生まれて

昨日も触れた坪内祐三さんの『文庫本を狙え!』のなかで、横尾忠則の『波乱へ!! 横尾忠則自伝』(文春文庫)を取り上げた一章がある。
ここで坪内さんは次のように書いている。

1964年の東京オリンピックから1970年の大阪万博に至る、いわゆる高度成長期の日本のドライブ感は、話をしていて、いつも、ワクワクする。中でも1967、68、69の三年間のドライブ感は。まさに、時代の、大きな変革期だ。特に文化(と言うより、カルチュアーという言葉の方が、この場合ふさわしい)の分野で。映画、演劇、アート、音楽、漫画、そしてファッション。

私は坪内さんのいう「大きな変革期」の最初の年、1967年の生まれである。いったいどんな雰囲気だったのだろう。
何の足しにもならないけれど、好きな作家たちがこの年にどんなことを体験したのか、どんな作品を書いたのか、調べてみたくなった。

◆吉田健一(講談社文芸文庫『時間』所収年譜)
「挽歌」、小説「贅沢な話」、「大デュマの美食」、「ああ海軍百分隊」などを発表。父吉田茂死去。【あまり知らない作品ばかりだ】

◆三島由紀夫(講談社文芸文庫『中世/剣』所収年譜)
自衛隊に入隊体験。F104試乗。戯曲『朱雀家の滅亡』。

◆澁澤龍彦(『澁澤龍彦全集』別巻2所収年譜)
三月、国立劇場へ「桜姫東文章」を見に行き、玉三郎に注目。【おお!】
『異端の肖像』『サド研究』『ホモ・エロティクス』『エロティシズム』『幻想の画廊から』刊行。

◆内田百(『内田百闡S集』第十巻所収年譜)
芸術院会員を辞退。【「イヤダカラ、イヤダ」で有名】

◆幸田文(講談社文芸文庫『ちぎれ雲』所収年譜)
「きもの」連載。

◆戸板康二(『「ちょっといい話」で綴る戸板康二伝』所収年譜)
『歌舞伎人物入門』『舞台歳時記』『久保田万太郎』刊行。

◆寺山修司(新潮文庫『両手いっぱいの言葉』所収年譜)
「天井桟敷」設立。「青森県のせむし男」「大山デブコの犯罪」「毛皮のマリー」などを上演。

◆花田清輝(講談社文芸文庫『もう一つの修羅』所収年譜)
『小説平家』刊行。

◆石川淳(講談社文芸文庫『江戸文学掌記』所収年譜)
『至福千年』刊行。

目につくかぎりで好きな作家たちの1967年を調べてみたものの、だからどうというわけはない。花田・石川などは代表作の一つといっていい作品を発表している年であるのだ。

ただ上の坪内さんの感慨に関連して興味深いのは、澁澤・寺山の二人である。
とりわけ寺山の劇団「天井桟敷」がこの年に結成されたとは。
この二人だけ抜き出して、68年・69年まで含めた活動を一望してみることにしようか。

◆寺山修司
67年…「天井桟敷」設立。「青森県のせむし男」「大山デブコの犯罪」「毛皮のマリー」などを上演。
68年…「青ひげ」「書を捨てよ町に出よう」上演。
69年…天井桟敷館落成。ドイツで「毛皮のマリー」上演。状況劇場との乱闘事件で留置。

◆澁澤龍彦
67年…2月状況劇場公演「時夜無銀髪風人」を見る。3月「桜姫東文章」を見る。4月林達夫にはじめて手紙を出す。8月石井満隆リサイタル「舞踏ジュネ」を見る。土方巽演出・出演。9月金子國義展を見る。
68年…3月細江英公の写真「鎌鼬」を見る。矢川澄子と離婚。10月暗黒舞踏公演を見る。目黒アスベスト館へ行く。11月責任編集の『血と薔薇』発刊。
69年…1月『血と薔薇』2号。3月『血と薔薇』3号。この号で責任編集をおりる。10月「サド裁判」上告審で有罪判決。11月前川龍子と結婚。

寺山・澁澤の二人にとって、同じようにこの三年間は転換期というべきものであることがわかった。
寺山は「天井桟敷」、澁澤は『血と薔薇』の発刊・挫折、離婚・再婚。
そのうえで唐十郎の状況劇場や土方巽など、寺山も含めいわゆるアングラ≠フ芸術が花盛りだったのもこの時期であることがわかる。
坪内さんはこういったことを暗示しているのだろう。

ここまで来たらさらに調査を進めて、この時期に青春時代を過ごした嵐山光三郎の自伝的小説『口笛の歌が聴こえる』(新潮文庫)を繰ってみる。後半部が67年以降の回想だ。

唐の状況劇場が新宿花園神社に紅テントをつくったのが67年の8月らしい。
嵐山さんが見に行ったときのテントの中の様子が、この当時の文化状況の一端を表しているだろう。

開演前の客席には、美人女優が篠山紀信と並んで坐っていた。その左側には、黒眼鏡姿の澁澤龍彦を取り囲んで、土方巽、松山俊太郎、加藤郁乎、富岡多恵子、白石かず子、種村季弘、細江英公が坐っていた。澁澤組一帯は、闇の沼族一味といった感じだ。
後方には寺山修司が四〜五人の乾分を引き連れ、相撲部屋の親方然として坐っていた。


このあと、隣に坐っていた白髪の老人に連れが「今流の爺ィだな」と言ったら、それが瀧口修造だったというエピソードが続く。
なんとも言葉にできないほどすごい。
読みたい本が順番待ちをしてというのに、『口笛の歌が聴こえる』を最初から読み通したくなってきたではないか。

■11/23 ドライブ感なる造語

三たび坪内祐三さんの『文庫本を狙え!』の話である。読み終えた。

一昨日も書いたが、私の購入本やこの「漫筆」で言及した本などもあって、とりわけ鴎外の『渋江抽斎』(岩波)や松本哉さんの『永井荷風ひとり暮し』など、あたかも私が坪内さんの連載を見てから自分の文章を書いたように雰囲気が似ているものもあった。
決して連載されていた『週刊文春』など見たこともありませんので。
もちろん、私が購入していない本も多い。それはおろか、刊行されていたことをまったく知らなかった本もちらほら。
たとえば三谷信『級友 三島由紀夫』(中公)など。

ところで、昨日坪内さんの文章を引用したなかで、1967〜69年三年間のドライブ感はワクワクするというような表現があった。ドライブ感≠ニいうのは坪内流の造語ではないかと思われる。
この文脈の場合、加速感、あるいは激変する様子、うまく言えないが、そんな意味ではなかろうか。

いっぽうで、また別の箇所にもこのドライブ感≠ェ使われている。
宮崎市定の『東洋的近世』(中公)を論じた一文のなかで、宮崎の『雍正帝』を買って読みはじめた経験を語るくだりだ。

中国史にまったく興味ない私は、その本を開いて見たのだが、「はしがき」の文章を目で追いはじめただけで、ぐいぐいと引き込まれた。素晴らしくドライブ感のある名文なのだ。

この場合、さきの加速感というよりは、躍動感、あるいは、「ぐいぐいと引き込まれた」という表現に引きつけて牽引力があるといった意味に解したほうがいいだろう。なかなか実感がこもった使い回しである。今後使わせてもらおうっと。

そもそもこの『文庫本を狙え!』自体、ドライブ感≠ノあふれた好著なのである。

■11/24 私は保守派だ、何が悪い

これは政治の話ではない。読書の嗜好の話である。

新刊が出たときに、購入のポイントになるのは、第一にやはり著者である。
好きな著者であれば、どのような内容であれ、よほどのことがないかぎり、とりあえず購入する。これまで自分が興味を持っていなかったジャンルであっても、その著者が面白く取り上げてくれると、そのジャンルに興味を持ち、そこから新たな読書世界への扉が開く。そんな期待があるからだ。

第二のポイントは内容だろう。
先日購入した近藤史恵さんの『ねむりねずみ』(創元推理文庫)が好例だ。
著者にも、タイトルにもピンと来なかったにもかかわらず購入したのは、帯に「梨園を舞台に展開する/三幕の悲劇」というコピーを目にしたからである。この場合、購入のポイントは内容だけれども、購入のきっかけとなると、正確には「帯」というべきだろうか。

偏屈な読書傾向でも、上のような読書を続けていたから、それなりに世界は広くなっているかもしれない。しかし読まないもの(ジャンル)には徹底して手をつけない、いわば読まず嫌い≠セから、劇的に世界が開けるという経験はあまりない。
保守派≠ニいうゆえんである。

さて今日、あまり自分でも読まないだろうなあと思われる本を購入した。
青柳いづみこさんというピアニストの方のエッセイ集『ショパンに飽きたら、ミステリー』(創元ライブラリ)だ。
まあミステリー評論的エッセイ集だから、まったく興味がないというわけではなく、目に入って手に取りはした。しかし目次を一瞥して、自分があまり読まないような推理小説が多く取り上げられていたうえに、推理小説に登場するクラシック音楽に注目したものであったので、一度それを平台に戻したのであった。

それにもかかわらず結局購入したのは、解説が川本三郎さんであったからなのである。川本さんが書いているくらいだから、面白くないわけがないだろう。
購入のポイントその三、解説者。
これを読んだことによって、ミステリー熱が再燃するか、あるいは、クラシック音楽に興味を持つか。

■11/26 古本とリサイクルブック、その微妙なる違い

東上野にある台東区役所で開催された「リサイクルブックフェア」に行ってみる。
要するに区立図書館の放出本セールである。
たまたま台東区のとある場所(といっても谷中だが)を歩いていて、町内掲示板にこの知らせが貼ってあったのに興味をもったからであった。

区役所10階の会議室へ。ここからは浅草方面を見渡す絶好のロケーションで、真東の方向にアサヒビールのウンコオブジェ≠燻W然と光っている。

まあそんなことはどうでもいい。
会場に入ると、予想していたより多くの人と、少ない本で、多少期待を外された。
目当ては戸板さんの本だが、これも残念ながらなし。それでも池内紀さんの未所持の小説と、渡辺保さんの初期評論集二冊を購入する。各50円。値段だけは素晴らしく安い。

さて、そうはいっても、私はこうしたリサイクルブック≠ェ好きというわけではない。
私は図書館から本を借りて読むという習慣がない。
経済的(それと置く場所という空間的)に言えば、高価な本は図書館から借りて読むほうがいいに決まっているが、自分で所有している本でないと、どういうわけか読む気が起こらないのである。所有欲が強いということだろうか。

それなら、リサイクルブック≠ニして購入した本ならばいいと思われるかもしれないが、購入していながら、やはりこれがもともと図書館のものであったというだけで、読むのに気後れしてしまうのである。
不特定多数の人によって借りられたと想像することが、気後れを誘発しているのだろうか。でも私は潔癖性というわけではない。だいいち古本は何ともないのだから。

図書館の放出本は不特定多数ぬぬの人の手を経ているのに対して、古本は一人あるいはせいぜい数人程度の手しか経ていないという違いはあるが、ことはそう単純でもなさそうである。
自分でも説明がつかない現象なり。

■11/27 うずくまる

11/24条で、青柳いづみこさんというピアニストの方のエッセイ集『ショパンに飽きたら、ミステリー』(創元ライブラリ)のことを書いた。
このことをきっかけに、また新しい世界が開けてきそうな予感がしている。

というのも、知人から、著者の青柳いづみこさんは、仏文学者青柳瑞穂氏のお孫さんであるという情報をいただいたからだ。しかも、青柳さんは祖父瑞穂氏の評伝『青柳瑞穂の生涯』(新潮社)を9月に上梓されたというおまけ情報付き。
言われてみると、本屋で平積みされていた記憶がある。そこでさっそく探し出して購入する。

青柳瑞穂氏は、仏文学者という顔だけでなく、詩人・古美術蒐集家でもあった。私は不勉強ながら、澁澤龍彦と『怪奇小説傑作集4』(創元推理文庫)を編訳した人、講談社文芸文庫に著書『ささやかな日本発掘』が入っていること、この程度しか知らない。
追い追い読んで勉強しよう。

最初のページを開くと、瑞穂氏が随筆集に自らの蒐集品を図版として載せたことが書かれている。
そのなかに、信楽の「うずくまる」という名前を目にした。
うーん。この言葉を知ったのは、テレビドラマ「古畑任三郎」のパート2、澤村藤十郎丈が骨董商に扮して犯人役を演じた「動機の鑑定」であったことを思い出す。この特徴的な名称が、解明のきっかけとなっているのである。

「うずくまる」とは、「蹲」であり、『日本国語大辞典』にはこう書いてある。

陶製花生けの一種。古信楽、古伊賀焼などにあり、高さ10〜20センチメートル、底が広く、人がうずくまっているようにみえるのでいう。室町以前に農家で茶壺、油壺などに用いた。茶人が珍重してから知られる。

私は骨董好きではないから、「古畑任三郎」ではじめてこの専門用語の意味を知ったのであった。
瑞穂氏の評伝も、こんな軽い興味から入っていけば、あるいは読み通せるかもしれない。
それにつけても、この専門用語を謎解きに使った三谷幸喜さんの博識にあらためて驚き入る。

■11/28 想像力の限界

あたりまえのことながら、「想像もつかない」ことを想像するのは難しいことである。いや、「想像もつかない」ことを想像する能力こそ大切だと言えるのかもしれない。
しかし残念ながら、私にはそうした能力に欠けるようである。

食の東京小説≠ニいう友人の薦めがあった、南條竹則さんの『中華料理小説 満漢全席』(集英社文庫)を読み終えた。
東京小説≠謔閧烽烽チと限定された本郷小説≠ニして、楽しい小説である。

さて、巻頭を飾る中編「東瀛の客」は、作者が日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞したときの体験がもとになっているという作品で、賞金を懐に友人を引き連れて中国に渡り、「満漢全席」を振る舞うという内容である。

ここに登場するいかにも豪華な中華料理の数々、私にとってちっともイメージが浮かばないのである。したがって「垂涎」にはならない。
これは描写手法の問題ではない。作品自体は抱腹絶倒で面白いのである。
やはり、熊の掌やら、豚足やら、フカヒレやらを食べたことがないのが原因であろう。

そのいっぽうで、蕎麦好きの友人が麺妖≠ニいう妖怪に取り憑かれる話「麺妖」に登場する蕎麦屋などの描写を読むだけで、蕎麦を食べたくてたまらなくなってしまう。
せいぜい私にはこのレベルの実体験しかないのであって、そこを起点にしか想像力は飛翔しえないのである。嗚呼。

■11/30 古本の神様

それまで探していた古本にたまたま出会うといった古本的興奮は、一年のうちでもそうそう何回も味わえるものではない。
古本的興奮は格別のものであり、ときにそれにめぐりあいなどすれば、すぐさまこうした場で報告したくなってしまう。

で、今日も大興奮の報告である。

たまたま、妻が仕事で帰りが遅くなるというので、それであればと、ここ数ヶ月ご無沙汰だったラーメン屋に行くことにした。このラーメン屋は、いつも通勤で使っている沿線ではなく、別の鉄道会社の駅近くにある。
だからといって方向が正反対というわけではなく、店から自宅まで歩いて30〜40分程度。ここのラーメンは結構ボリュームがあるので、帰り道自宅まで30分強のウォーキングは、格好の腹ごなしにもなる。

ラーメンを食べて満足感にひたったところで、いつもはその駅近くにある古本屋A書店もセットのように立ち寄っている。
しかしA書店は先日自転車で来たことがあったので、今日はその電車で一つ先の駅にあるA書店の支店に行くことにした。そこの駅からでも、歩いて帰ることはできる。

ただ残念ながらA書店支店ではめぼしいものがなかった。
仕方ないので、暗い夜道をとぼとぼと歩いて帰ることにした。
20分くらい歩くと、いつもの最寄駅に着く。その手前に小さな古本屋があるので、そこにも立ち寄ってみようと思いたった。
この店は、自宅から見ると、線路をはさんで駅の反対側にあるので、そう頻繁に訪れることはない。第一、CD・マンガ・アダルト系がメインで、私が探しているような文庫本などは訪れるたびにスペースが浸食されて、行っても収穫はあまりなかったのである。
今日もあまり期待していなかった。
はたして、棚には、予想どおりめぼしい本はなかったのである。

しかし、目を下に向けると、まだビニール紐で括られていた大量の文庫本の束が目に入ってきた。15本くらいはあっただろうか。
講談社文庫や時代小説系が多いなあ。そう思って、ふと隣の束に目をやると、見なれた肌色の背をした文庫の一束が。そう、中公文庫である。
すぐに反応して驚いた。たぶん隣の時代小説系の文庫本を売った人と同じ人が売ったと思われるのだが、江戸関係の本や、坪内さんの曰くシブい本′n中公文庫がかなり含まれていたのだ。
先日購入した『安田善次郎伝』『江戸の夕栄』『明治世相百話』など、いまでは入手が難しい本も混じっている。

嬉しかったのは、長らく探していた加藤秀俊さんと前田愛さんの対談『明治メディア考』を見つけたこと。
学生時代アルバイトをしていた古本屋では何冊も見かけたものだったが、いざ欲しくなった最近は、めっきり見かけなくなっていたのだった。ラッキー。

そうなると、そこにある束全体をチェックしてみないと気が済まなくなる。
よく見ると、山の下のほうにも、肌色があるではないか。
店員さんに断って、束を一つずつ持ち上げてチェック開始。

店員さんは気軽に「いいですよー。でもそこの本古いですよー」。
私「そうですねえ」。

店員さんは、この店に来る客は皆、古くさい文庫本を好まないとでも思っているようだ。
たしかに刊行年は古いかもしれないが、保存状態は極めてよく、質も良さそうなものが多そうなのに。

見てみると、藤沢周平・山岡荘八・池波正太郎などの時代小説・歴史小説が多い。
また、そうした系統の小説が好きな人なら読みそうな、歴史蘊蓄が詰まったエッセイ・評論集もたくさんある。旺文社文庫も15冊くらいまじっている。
私にとってはあまり入手欲をそそられるものではなかったけれど(稲垣史生系)、新品同様であった。

さらに山を崩して一番下まで丹念に観察する。
と、講談社文庫の束があった。そしてそのなかには、これまた探していた戸板康二(文)・吉田千秋(写真)の『写真 歌舞伎歳時記』春夏・秋冬の二冊があるではないか。
内心の興奮を抑えつつ、穏やかに店員さんに向かって、抜き取る許可を得て、『明治メディア考』と合わせて会計。630円。
ひぇー。こんな安くていいのだろうか。

『写真 歌舞伎歳時記』は、以前、門前仲町のこれまた小さな古本屋で、旧カバーの春夏編一冊を入手して以来、その片割れの秋冬編を探していたのだった。
今日見つけたのは新カバーで二冊揃い。春夏編がダブるが、このさい問題ではない(旧カバー春夏編はもし欲しい方がいらっしゃいましたらお譲りします)。

今日ラーメンを食べて帰ろうと思ったのも偶然、ラーメンを食べてからもう一駅分電車に乗ろうと思ったのも偶然。
もしラーメンを食べてそのまま歩いて帰っていたら、今日の興奮はなかった。
げに偶然とは恐ろしきかな、面白きかな。
そして古本の神様≠ヘまだ私の頭上でひと休みなさっているままのようだ。