読前読後2000年9月


■9/1 「手袋」の呼称について

一般に通用している言葉が、ときとして憚りがあって別の言い方にあらためられる。そうした場面に際会したとき、戸惑いを覚えることが少なくない。
結果あらためられた新しい言い方には無理があって、かえって滑稽に感じることもまた、少なくない。

私は放送・出版業界のいわゆる禁止用語≠ノ詳しいわけではないから、以下に述べる話はすでに当たり前の事柄に属するのかもしれないが、多少の違和感を感じたので心覚えのために記しておきたい。

NHKの朝のニュースで、いわゆる「軍手」を「作業用手袋」とわざわざ言い換えていたのである。
映像で見るかぎり、あれは明らかに軍手であった。白い軍手に黄色いゴムのすべり止めがついているもの。

不審に思ったので手近の辞書で調べてみると、素材はおくとして、「以前軍で使用していた」というごく当たり前の説明がされてあって、登録商標的な呼称でもないらしい。あるいは軍手というその呼び名が、「軍」という戦争色を帯びているゆえに自己規制されているものだろうか。
もっともアナウンサーは「作業用手袋」と言っても、現場のリポーターは軍手と呼んでいたから徹底しない。

むろん作業用手袋で間違いはなく、そういう名前がつけられて売られているのがほとんどなのかもしれない。でも私にとってあれは「作業用手袋」ではなく軍手なのだ。

雪国育ちの人間、とりわけ子供たちにとっては、防寒用手袋のかわりに軍手を手にはめ、雪玉をこねて遊んでいた。
逆に雪玉をこねるためには、防寒用の手袋はかえって不便である。うまい具合に雪をこねにくい。雪玉をこねているうちに手袋が濡れてきて、防寒の用をなさなくなる。
それを見越してか、いかにも作業用≠ニ見紛う白軍手ではなく、「カラー軍手」と称する色付きの軍手が売られていた。それに耳慣れた私にとって、「カラー作業用手袋」では、どうも居心地が悪いのである。

でもそんなことを言っているのもいまのうちで、近い将来「軍手」は死語になり、そんな単語を口にしようものなら「時代遅れ」と笑われるのかもしれない。

うーむ。文章が新聞のコラムみたいになってきた。

■9/2 ようやく読了

このたびのチャレンジで、ようやく鴎外の『渋江抽斎』を読み終えることができた。なかなか面白く、いままで読み通すことができなかったのが不思議なくらい。
もっとも前回挫折したときから、鴎外やその周辺に対する興味やそのほか『渋江抽斎』に描かれている世界に対する興味が格段に深まってきていたということもある。

以前ホームページの“Pre-review of Books”でも書いたことがあるのだが、私の恩師の言葉が印象深く心に刻まれている。

それは「鴎外の『渋江抽斎』は、歳をとってから読んではじめてその良さがわかる」といった意味の発言である。
もちろん私の場合、前回の挫折からほんのちょっと(一、二歳)しか「歳をとって」いないから、本当に良さを理解しているかどうか、はなはだ怪しい。
しかし恩師の言葉の含意するところが少しだけわかったような気がする。

『渋江抽斎』は周知のように、渋江抽斎一人の事績を追うだけでなく、その家族から姻族まで、さらに友人、学問の師、弟子など、およそ抽斎(およびその家族)と関わりがあった人間の生がこと細かに追究されている。つまり本書には、多くの人間の人生が複合的に叙述されているのである。
こうした作品をつくりあげるためには、たんに渋江抽斎というひとりの人間への関心ばかりでなく、その底流に「人間そのものへの興味」、あるいは「人生への興味」というものが根強く流れているのではなかろうか。
このあたりのくみ取り方が、若い身空では不十分である、ということなのだろう。

ごく普通の武士階級の人々は、激動の明治維新をどのように乗りきって、明治の新しい時代をどう生き抜いたのか。維新の英雄史のネガが重層的に幾重にも積み重ねられていて、それを一枚一枚読んでいくのが楽しい、そういう本であった。

最後に、これは単に気づいたことだが、年齢に関する記述が異様に多い。

■9/3 藤沢周平連読

平成九年に亡くなった藤沢周平さんの晩年に刊行された作品集が、相次いで文庫に入った。
新潮文庫の『静かな木』、文春文庫の『日暮れ竹河岸』である。前者は没後刊行、後者は生前最後の刊行だそうだ。

以前知人に『蝉しぐれ』を薦められて読み、いっぺんで藤沢周平ファンになってしまった私は、これらを見逃すわけにはゆかない。
五〜十年前ほどの、幻想文学一辺倒の頃の私は、後年自分が藤沢周平や池波正太郎を読みだすなど、予想していただろうか(いや、予想はしていない)。

活字が大きく、ゆったりと組まれている『静かな木』を先に読み終えた。
本書には短篇三作が収められているが、舞台はいずれも海坂藩。『蝉しぐれ』もここを舞台としており、藤沢ファンにはおなじみのところだ。

読みながら、「いやあ、藤沢周平って、いいなあ」としみじみ思う。
文章はもちろんのこと、話の作り方、登場してくる人間、なんとも味がある。
具体的にどのようにいいのか、はっきりと答えることはできないのだけれど、読んでいて登場人物に容易に感情移入できるところが、藤沢文学の良さなのではあるまいか。

そうぼんやりと考えていたら、『静かな木』の解説を書いている立川談四楼さんが、藤沢ファンが言いたいことを見事に突いているので、感心してしまった。
曰く「省略の上手さ」、また曰く「こういうセリフが聞きたくて読みたくて、読者は藤沢作品に向かうのである」「藤沢作品の特長は深く静かに読者を中毒させるところにあって、当人は生活の一部になっていることにも無自覚で、それでいて思い入れだけは強いから、ときどき失敗する」

そうなんだよなあ。
寺山修司に対しては、同じ東北人たることを誇りに思うべしと書いたが、藤沢周平に対しては、同じ山形県人であることを本当に誇りに思う。

■9/4 芝居小屋の雰囲気

歌舞伎座の重厚な構えに圧倒されて、さらに中に入ってからも、両側に桟敷が並ぶつくりやほのかな木の香りに魅惑された。歌舞伎座初体験の時のことだ。
しかし行き慣れてくると、中の雰囲気や木の香りは相変わらず歌舞伎座に来たことを感じさせはするものの、もっともっと江戸の芝居小屋の雰囲気を味わってみたい、そんな贅沢な気持ちが高じてくる。

だから香川は琴平の金丸座には、一度行ってみたい。江戸期の芝居小屋の風情と、舞台機構を残すという金丸座。
四国には行ったことがないのだが、金丸座「こんぴら歌舞伎」観劇ツアーが初めての四国旅行になるかもしれない。

この十一月に、中村勘九郎が「平成中村座」と銘打ち、吾妻橋たもとの隅田公園に仮設の劇場を設営、「法界坊」(隅田川続俤)を演じるという。
中村屋はもとより中村座の座元の名跡。「平成中村座」とは粋な趣向だ。その仮設劇場は、江戸の芝居小屋を模すという。
もうこれは絶対行く。万難を排して、行く。一般庶民の席だったという平土間で見てみたい(もしそういう席があるのなら)。

その前に、もう一つ江戸の芝居小屋の雰囲気を味わえそうだ。
ほかでもない今月の六日から日生劇場で幕を開ける「夢の仲蔵」である。

今日4日の朝日新聞夕刊に掲載された広告を見て、「ん?」と思った。今まで何度も見てきた幸四郎・染五郎二人が登場する広告に、妙な一文が加わっていたからである。
「開場時より、ある演出が施されています。お早目に御着席下さいませ」とある。「開場時より」とはどういうことか。

たまたま今日購入した『東京人』10月号に載っている、「夢の仲蔵」の原作者荒俣宏氏と幸四郎丈の対談を見て、そのわけが分かった。と同時に、胸がワクワク、今から見たくてたまらなくなってきた。
これは面白い芝居になりそうだ。幸四郎丈の発言のさわりだけ。

最初は、昔の芝居小屋を再現する案もありましたが、それだと安易になってしまうので、よし、日生劇場の漆喰のプロセニアム、あのまんまを使って、幕もなしの裸舞台から行こうと。…

あとは実際に対談をお読みいただきたい。

■9/5 拾い読みの美学

薄田泣菫の『完本 茶話』(冨山房百科文庫)はまことに拾い読みに適した書物である。
一篇一篇が適度に短く、内容もピリッとスパイスがきいている。
これだけ多くの逸話を収録していると、玉石混淆であることはまぬがれまいが、見るところ「玉」の割合が多いような気がする。

これですっかり拾い読みの味をしめてしまった。
『完本 茶話』の編者である谷沢永一さんの著作にも、同じように拾い読みに適した本があり、それを以前購入していたことを思い出した。
書棚から取り出して立ち読みの拾い読み。

それは『紙つぶて(完全版)』(PHP文庫、99年3月)である。
きわめて辛辣な書評コラム455編が収録されている。文庫版にして550頁を超える大冊。
これも一篇一篇が短く読みやすい。取り上げられる本も、本好きにはたまらないものが多い。
拾い読みしていると、よく槍玉にあげられているのが学者連中。末席に連なっている者として、心に突き刺さる発言多し。

本好きにはたまらないコラム集である。
品切れにならないうちに購入しておくことを推奨したい。

■9/7 なっとうもづ

先日、山形の実家から東京に戻るため、山形新幹線に乗り込む前に、駅ビルのおみやげ店を見て回った。
私は地元のお菓子「樹氷ロマン」ファンだから、家で食べるために一箱購入する。今回は「樹氷ロマン2」は見送り。

さらに物色していると、標題で書いた「なっとうもづ」というものを見つけた。
ちょうど仙台に行ったときにいつも買って帰る「ずんだ餅」と同じく、冷凍してあって、自然解凍させて三〜四時間後が食べ頃、というものだ。

「なっとうもづ」の「もづ」とはいうまでもなく「餅」のこと。すなわち「納豆餅」。
この納豆餅は、山形限定というほど局地的ではないけれども、それに近いものであることは、メーリングリストで初めて知ったのである。
餅に、しょうゆをたらした納豆・ネギをからめたものが納豆餅である。

ところがお土産品「なっとうもづ」は、このままだとお土産として持ち運びづらいから(臭いだろう、さすがに)、まったく逆の作り方がなされている。つまり、餅のなかにひきわり納豆が入っているのである。
たんにこれだけだと味にパンチがないからか、しょうゆで味付けされているものではなく、南蛮粉が入った南蛮納豆≠ェ入っていて、食べるとピリリと辛い。

餅の雰囲気は、「ごまだれ団子」のあの感じ。「ごまだれ」のかわりに納豆なのである。
私は「もづ」というネーミングの妙に惹かれて、つい買ってしまった。
山形人なら喜ぶかもしれないが、そうでない人が好むかどうか…。
山形に行ったときに買ってみて下さい。

■9/8 知らないほうがいいこと

学生時代に古本屋でアルバイトをしていた。そこが主催するデパートの古本市の設営や、初日にも働いたことがある。
だから、いわゆる古本マニア≠フ生態というものは実際に見たことがある。

そのうえ、このような古本マニア≠取り上げたエッセイや小説もかなり読んでいる。
エッセイでいえば鹿島茂さん、小説でいえば紀田順一郎さんが思い浮かぶ。

古本屋でアルバイトをしていたくらいだから、私も古本屋が好きだし、古本を購入するのも好きだ。
一般の人から見ると、古本マニア%I人間に分類されてしまうのかもしれない。それも仕方のないことだ。

でも、唐沢俊一さんの『古本マニアの雑学ノート』(幻冬舎文庫)を読み、古本マニア≠スちの壮絶な闘いを知るにつけ、自分は断じてそうではないと言うことができる。
この本を読んで、少し暗澹たる気分になった。
こんなことは、古本好きには知っていて当たり前のことなのだが、あらためて知ると、笑ってしまう反面、やるせない気持ちが勃然とわき上がってくる。

それは、開店したばかりの古本屋や、古本市・古書展初日、開始と同時に店・会場になだれこみ、いい本を抜き去って棚を荒らしてゆく古本マニア≠スちの生態のことだ。
こうした人々が、どの古本市にもいると思うと、そのあとに行く気が失せてしまうではないか。

しかしいっぽうで、こうも思う。
私が欲しかったり、会場でたまたま見つけて購入したりする本など、しょせん稀覯本などではないのだから、古本マニア≠スちの眼中にはなく、あとから行ったとしても残っているのだ、と。
むろん価値観だって個々人により異なるから、欲しい本が重なってしまうことなど、そう滅多にあるものではないだろう。
でもそうは思っても、最初はもっといい本があったかも…と考えると、行き場のない焦燥感にかられてくる。

古本マニア≠フ闘いを忘れて(あるいは知らないで)いようと、わかっていようと、陳列されている本は変わらないのだ。
忘れているうちは、たんにそこにあるままを受け止め、「いい本があるじゃないか」と嬉しい気分になるのに対し、マニアの存在を念頭に置いてしまうと、同じ構成の棚であっても、「ああ、もっといい本があったかも」と暗い気分になる。
見方ひとつでこうも変わってしまう。

要はこの世の中、知らないほうが幸せということもある、ということ。
とりわけ最近インターネットを使うようになって、知らなくてもいい情報を知ってしまい、つまらない気分を味わったり、興醒めしたりする経験がなんと多いことか。
『古本マニアの雑学ノート』は笑ってしまうほど面白い本なのだが、そこに書かれてあることは、私にとって上記の部類に属する情報なのである。

■9/9 呼び方ひとつで美味しさ変わる

妻から、いま巷ではシュークリームがブームになっているという話を聞いた。
シュークリーム好きな私としては、そんなことを聞くと食べたくなってしまう。
生クリームたっぷりで皮がさくさくなのが、好ましい。

ところで、ちくま文庫の新刊、森茉莉さんの『マリアのうぬぼれ鏡』(早川暢子編)を購入したら、これは語録集であった。どうりで編者がいるわけだ。
しかし私にとってはそれがかえって好都合。
森茉莉さんの豊かな文飾をほどこしたこってりした文章は合わないとおぼしい。だから、印象深いフレーズばかりが集められたこの本は、森さんの文章を味わうのにはもってこいの形式なのである。

さっそく拾い読みをする。

私の想い出の中に、永遠の王冠のように耀いているのは明治時代に風月堂で売り出した(シュウクリイム)であって、(シュウクリイム)という言葉の中に私が感じる無限の美味しさとふくよかさ、舌ざわり、幼い掌の上にあった重み。

「シュウクリイム」。なんと美味しそうな表記であろう。
シュークリームと書くよりも、中に生クリームがたくさんつまっているような感じがしてしまう。
食べ物の外国語読みを片仮名で表現するとき、ちょっとした違いで、まれにこうした印象のズレを感じることがある。
吉田健一や内田百閧フ表現法などが思い浮かぶ。

たとえばバター。
吉田健一は「バタ」と表記していたと記憶する。なんともパンになじんでいそうで美味しそう。
森さんは「牛酪」という漢字に「バタア」とルビを振っていた。これは逆に、牛乳嫌いの私にとっては、美味しそうに感じられないから不思議だ。

百閧フ場合、これは片仮名ではなく漢字の問題だが、ビールは一貫して「麦酒」としか書かない。
百閧フエッセイを読んでいて「麦酒」が出ると、クーッと一杯飲みたくなる。
これまた言葉の不思議な作用である。

■9/10 将棋用語の慣用句

いま読んでいる幸田文さんの『みそっかす』(岩波文庫)には、父露伴のエピソードが多く語られていて、なかなか興味深い。

子ども時代の文さんが露伴からこんなことを言われる。

おまえはどうも桂馬筋に感情が動くようだから、人づきあいはよほど気をつけろ。

洒落たもの言いである。
将棋の駒の動き方くらいは知っているから、言わんとしているところはだいたいわかる。でも念のため辞書を調べてみる。
桂馬の意味の一つとして、「(桂馬の飛び方から)すじ違いであること。すじの通らない議論であること。へりくつ。〔東京語辞典〕」(『日本国語大辞典』)とある。

上の発言と照らし合わせてみると、感情がまっすぐではない、ひねくれている、そういったほどの意味であろうか。
「王手」や「成金」など、将棋から出た慣用句でいまでも使われているものは少なくない。でも桂馬を使ったものは、たまに耳にする程度にすぎない。
聞いたり見たりしたときには、頭の中でいったん桂馬の動きをイメージしてからでないと、「ああこういうことか」と理解できなくなってきている。

露伴の時代の江戸っ子は、すぐにこのような言い方が口をついて出たのであろう。
それを書きとめた文さんのエッセイは、その意味で貴重なものであるといえよう。

■9/11 歯ごたえあり

嵐山光三郎『文人悪食』(新潮文庫)をようやく読み終えた。
「悪食」というと、何かゲテ物食い≠連想してしまうが、必ずしもそういうわけではない。暴食・大食・贅沢食・粗食など、作家と食べ物の関わりに関するエピソードを広く渉猟した、楽しい本だ。

食生活などというのは、生活の基本だろうから、いきおい話は各作家の生活スタイルに及んでくる。だから、本書は「食を通してみたる作家論」の趣を呈することになる。
個々のエピソード自体は興味深いものばかりなのだが、いま述べたような事情から、読み通すにはかなりの集中力を必要とした。

個人的に印象に残った作家として、樋口一葉・泉鏡花・斎藤茂吉・宮沢賢治・坂口安吾・檀一雄など。

一葉の作品はまったく読んだことがないのだが、本書を読んで読もうという気になる。したがって近刊の『明治の文学』一葉編は買い。

そして鏡花の潔癖主義。
小島政二郎・水上滝太郎・久保田万太郎らと差し向かいでシャモ鍋をつついていると、鏡花は驚くべき行動に出る。

鍋の真中に五分に切った葱をせっせと並べ、「小島君、これからこっちへは箸を出さないようにしていただきたいものですな。そっちはあなたの領分。こっちは私の領分、相犯さないようにしましょう」とジロリとにらみつけた。

多人数でつつくような鍋だと、潔癖主義必ずしも貫徹せず、というべきなのだが、鏡花自身は本気で主張しているのだから微笑ましい。
鏡花はこのたぐいのエピソードに事欠かないようである。

■9/12 講演会の予習

日付や会場など、詳しい情報をまったく覚えていないのだが、このたび小学館から『日本国語大辞典 第二版』が刊行されるのを記念して、講演会が催される。

タイトルもうろ覚えだけれど、丸谷才一さんの「漱石と日本語」と、井上ひさしさんの「黙阿弥と日本語」の二本立てである。
講演者にも内容にも惹かれたので、入場券をさっそく申し込んだ。

『日本国語大辞典 第二版』は、知り合いの国語学者の方から、「最初のものを持っていれば買う必要はない」というお墨付きをいただいたので、無理して買うことはしない。
だいいち買ったとしても部屋に置けるような場所がない。
でも講演会には行きたい。

行けるかどうかわからないうちから、予習を始めた。
上の両人の講演は、それぞれの著作『闊歩する漱石』(講談社)、『黙阿弥オペラ』(新潮文庫)が背景にあるに違いないと踏んだからである。
幸い両者とも持っている。

井上ひさしさんは、仙台で一回講演を聴いたことがある。谷崎賞受賞の記念講演だったように記憶している。
魯迅を主人公にした作品…タイトルが何だったか、忘れてしまった。井上さんもまた山形県人であって、親しみを持たないわけにはゆかない。

東京に住んでいるうえは、いろいろなものを見聞して、楽しまないと。

■9/13 京極夏彦との相性

私をよく知っている方なら、こう言うに違いない。
「おまえのことだから、京極夏彦の大ファンだろう」と。
でも、意外にそうではない。嫌いではなく、もちろん好きな部類に入りこそすれ、のめり込むというほどの執着心はないのである。

だいたい京極堂のシリーズはどれも元版を新刊で買ったことがない。いずれも文庫化されてからはじめて読んだのである。
新刊で買ったことがあるのは、『嗤う伊右衛門』『どすこい(仮)』だけであるから、京極夏彦読みとしてはむしろ邪道であろう。

いま「文庫化されてからはじめて読んだ」と書いた。鋭敏な方であれば気づかれたであろうか。
実は、元版、すなわち講談社ノベルズ版を「買った」ことはあるのだ。でも、その出会いは必ずしも幸福なものではない。

一番最初に買ったのはなぜか『鉄鼠の檻』
おそらく、京極夏彦作品が話題となったときで、内容的にも興味がないわけではなかったから、そのときに出ていた一番新しい作品を買ったのだったと思われる。
しかしそのまま、読んではいない。

次に、最初から読もうとして『姑獲鳥の夏』を購入。出張のさいに駅のキオスクで買い求めた。
そのときは一緒に行く人がいたので、荷物棚の上に載せたのだが、何と、そのまま棚に置き忘れてしまったのであった。
もちろん読んでいない。文庫化されてはじめて読んだ。

その後は順調に次作の『魍魎の匣』も文庫で読み終え、いよいよ三作目の『狂骨の夢』が今月の新刊として出たので、もちろん買い求めた。
帯には「未定稿・割愛部分を含む、400枚以上加筆の決定版」とある。ただでさえ長いこのシリーズ、さらに400枚も加筆されたとは、どこがどうなっているのであろうか。

本当のところ、禅をテーマにしているという四作目の『鉄鼠の檻』が読みたい。
ところがこれは来年2001年9月に文庫化予定だという。気長に待つか。
もっとも先述のように元版を持っているのである。持っているのだから、それを読めばいいではないかと思われるだろうが、文庫でないと読めそうにないから、やはり待つことにしたい。

■9/14 荷風の『下谷叢話』

永井荷風の『下谷叢話』が岩波文庫に入った。母方の祖父鷲津毅堂を中心に、幕末維新期の漢学者を描いた史伝である。
この作品は、鴎外の『渋江抽斎』に影響されたものとして知られ、また、失敗作(『渋江抽斎』に比してつまらない)とも評されている。

昨今の荷風ブーム(というものがあればだが)や、以前岩波文庫で改版が出た『渋江抽斎』が売れでもしたのであろうか。
まさか文庫に入るとは思っていなかったから、私は以前旧全集版の端本でこの作品が入っている巻を購入した。もちろん読んでいない。
『渋江抽斎』をようやく先日読み終えた人間が、『下谷叢話』を先に読んでいるはずがないのだ。

くどいようだが、『渋江抽斎』をようやく読み終えることができた嬉しさ、さらに荷風ファンであるうえ、下谷という場所にも惹かれるから、そのようなモチベーションがあるうちは『下谷叢話』を読めるのではないかと、勝手に思いこんでいる。

注解も執筆された成瀬哲生氏は解説で、「空間を言語化する」作家として荷風を高く評価する。荷風を読むと、荷風の取り上げた場所を歩きたくなるというわけである。たとえば『墨東綺譚』を読んで玉ノ井を歩きたくなるように。
そしてこの『下谷叢話』もそのような誘惑を秘めた作品であるとし、『渋江抽斎』と比べると「考証が考証を呼んで広がる力がある」と長所を指摘する。
よし、読もう。

鷲津毅堂の墓所は谷中墓地にある。
浅田飴の元祖浅田宗伯や博物学の田中芳男の墓所も近くにある。ここは幾度か訪れたことがある。渋江抽斎の墓所がある同じ谷中の感応寺には、読後に訪れたのとはまったく逆だ。

ともかくも、昨日書いた京極夏彦の『狂骨の夢』はおいて、まずはこちらに手をつけたい。

■9/15 放射状に広がる興味―『闊歩する漱石』(1)

読む者をして、取り上げた本を読みたくなる気を起こさせるような文芸評論には、そう滅多にお目にかかることができない。
まれにそうした評論と出会い、そこで論われていた作品を次に読もうなどと夢想しているときが、本読みにとって無上の喜びを感じるときであろう。

ちょうど読み終えたばかりの丸谷才一著『闊歩する漱石』(講談社)が、私に稀有の体験を与えてくれた書物であった。

本書には「忘れられない小説のために」「三四郎と東京と富士山」「あの有名な名前のない猫」という魅惑的なタイトルの三本の評論が収められている。
いずれも漱石の作品を主な題材としながら(順に『坊つちやん』『三四郎』『吾輩は猫である』)、時として漱石を離れ自由に海外文学の話題に飛び、忘れたころに漱石の話題に戻るというような、卓抜な文学論・文学史論となっている。
縦糸が漱石、横糸が西洋・日本文学史といった趣向というべきであろうか。

批判精神というものに乏しい感心屋の私としては、このような丸谷さんの叙述に対し、ただひたすら面白いと感激するほかはないのだ。

最初の「忘れられない小説のために」では、『坊つちやん』に登場する罵倒語の列挙「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モヽンガーの、岡つ引きの、わん\/鳴けば犬も同然な奴とでも云ふがいゝ」から、『助六』の悪態、さらには『古事記』『保元物語』『枕草子』『梁塵秘抄』『万葉集』『義経千本桜』と、古典における列挙の系譜が続けざまに引き合いにだされる。

ここでは聖書の「マタイ伝」の系図の文章化も含まれている。
ということは、筒井康隆の「パブリング創世記」をこの系譜に連ねてみても異論は出ないのではあるまいか。罵倒語の列挙にしても筒井康隆の作品があった(タイトル失念)。

ひとつの本からいろいろな作品への興味が放射状に広がる。本読みの快楽。
(続く)

■9/16 橋づくしとポトラッチ―『闊歩する漱石』(2)

丸谷才一さんは、卓抜な『坊つちやん』論「忘れられない小説のために」のなかで、昨日触れたような日本文学史における言葉の列挙を、言葉の贈与と蕩尽、すなわちポトラッチであると論じている。
祝詞のような祭祀における言葉のあくなき列挙は、インディアンのお祭りでのモノの大量の贈与と返礼たるポトラッチの「小型のそして極めて穏健な」かたちであるというわけだ。

そこからさらに議論が展開する。
『枕草子』、能『舟橋』『閑吟集』、近松の『心中天の網島』に登場する橋の列挙、すなわち橋づくしの日本文学史≠ェ織りなされるのである。
この「言葉の細工物の椀飯ぶるまいひ」は、「どうやら日本文学史の特殊現象らしい」とのこと。

丸谷さんがこの系譜の末端に位置づけたのは、保田与重郎の評論『日本の橋』と三島由紀夫の短篇「橋づくし」であった。
前者はおいて、後者の「橋づくし」は、前々から読みたいと思っていた作品であり、ここでその名前と出会った私は、矢も楯もたまらなくなって『三島由紀夫短篇全集』を書棚から取り出し、読みはじめた。

話は銀座の芸妓二人と、彼女たちが通う料亭の箱入娘、そこで働きはじめたばかりの女中の四人が、銀座から築地界隈の七つの橋を渡り歩くというものだ。
それぞれの橋の最初と最後では手を合わせてお祈りする。最初の橋を渡りはじめるときから、最後の橋を渡り終えるまで、誰にも話しかけられてはならず、また、一言も言葉を発してはいけない。その暁には自分の願いが叶うという奇妙な橋信仰の物語。

橋が此岸と彼岸の境界線であって…などという野暮な話はこのさい脇にどけておく。
やはり私にとって面白いのは、四人の女たちが渡り歩く銀座・築地の橋やその界隈の空間描写である。
本作品が発表されたのは昭和31(1956)年。都電が走り、いま首都高になっているところは川が流れていたころの銀座・築地。
渡る橋は三吉橋(三又橋だから橋二つ分)・築地橋・入船橋・暁橋・堺橋・備前橋。
地図を片手に、彼女たちが歩いたルートを自分の頭のなかでもイメージする。
荷風ではないが、この「橋づくし」も、見事に空間を言語化した作品と言えよう。

最後に、橋づくしの日本文学史≠フ系譜に、藤沢周平の『橋ものがたり』も位置づけたいと思うのは、私だけであろうか。
(続く)

■9/17 三四郎と東京と…―『闊歩する漱石』(3)

丸谷才一著『闊歩する漱石』に収録されている二つ目の評論「三四郎と東京と富士山」がこれまた面白い。

まず「『三四郎』の書き出しについては何かの折りに讃辞を呈したいとかねがね思つてゐた」という出だしが秀逸。
『三四郎』のはじめの部分を「間然するところがない」と激賞する。

しばらく『三四郎』称揚が続いたあと、「彼は東京で富士山を見なかったのだろうか」という疑問から、富士山の日本文学史論が展開する。
次いで『三四郎』の「東京といふ都市を描くといふ一面」を取り上げ、こうした都市小説の先祖をヨーロッパのモダニズム文学に求め、モダニズム文学論に突入するという波瀾万丈さ。

モダニズム文学とイギリス留学中の漱石の出会いに触れ、最後に、小説のなかで自国の社会状態を批判的に叙述するという「英国の状態」小説≠ェ漱石に与えたであろう影響を示唆し、『三四郎』がその流れを汲む「日本の状態」小説≠ナあると喝破する。

以上のような論の運びが絶品で、思わず『三四郎』を読みたくなってしまった。
最後のほうでもあらためて讃辞が贈られている。

東京をあつかつて『三四郎』ほど粋な小説はわたしたちの文学に珍しい。大学の構内も、学生の下宿も、団子坂も、上野の美術館も、この小説のなかではロンドンの匂ひがする。それはつまり本当の都市的なものがここにあるといふことで、さういふ感じに近いものとしてはさしあたり吉田健一の『東京の昔』を思ひ出す。

最後の、吉田健一を例示した一文は、そのまま吉田健一の文章の雰囲気がにじみ出ていて、「あれ、いま俺は吉田健一を読んでいるのかな」という錯覚をおぼえてしまったほど。
こう言われてしまうと『三四郎』はおろか『東京の昔』も再読したくなってしまったではないか。

■9/18 「橋づくし」補遺

20日まで出張のため書き込むことができない。
したがって未来日記≠フかたちになってしまうけれども、このさい埋めておこうと思う。

16日条にて、三島の短篇「橋づくし」を、地図を確認しながら読んだと書いた。しかし「橋づくし」に登場する六つの橋すべてが地図で確認できたわけではなかった。
川(堀割)は現在すべて埋め立てられ、高速道あるいは公園になっているため、存在しないものもあるのである。

ところが偶然にも、この短篇に登場する橋がすべて書き込まれた、当時(昭和30年代)の銀座・築地界隈の地図を見つけてしまった。
川本三郎さんの『銀幕の東京』(中公新書)においてである。

成瀬巳喜男監督の映画「銀座化粧」を取り上げた章に、当の「橋づくし」も引き合いにだされていた。
16日条で書いた稚拙な「橋づくし」の梗概よりも、簡にして要を得た解説が川本さんの手によって書かれていたので、引用する。

三島由紀夫の昭和三十一年の短篇「橋づくし」は銀座の芸者たちが、築地川に架かった七つの橋を、ひとことも口をきかず、誰からも話しかけられずに渡ると願いごとがかなうという花街の縁起かつぎに従って、願掛詣りをする物語。七つの橋とは、三叉橋の三吉橋をふたつに数えて、築地橋、入船橋、暁橋、境橋、備前橋。いまは空橋となってしまった七つの橋が、昭和三十年代のはじめまでは、築地川に架かる橋だった。

そしてこの地図が同書113頁に掲載されている。
これで各橋のある(あった)場所を同定できた。近いうちに私もこの橋をめぐってみようと考えている。
いや、願掛けはしない。口をきかず、話しかけられずに渡ることは可能だろうが、手を一々合わせるのが恥ずかしいからだ。だいいち花街の人間ではない者が願掛けをしても、効果はないかもしれない。

■9/19 携える本

持っていく本は次の三冊。

1.永井荷風『下谷叢話』(岩波文庫)
2.青木玉『幸田文の箪笥の引き出し』(新潮文庫)
3.幸田露伴『一国の首都 他一篇』(岩波文庫)

たぶん一冊読めるかどうかだとは思うが、新幹線に閉じこめられたときのことを考えて、少し多めに持っていくことにした。

■9/20 確信犯的学習能力欠如

三冊も携えて、しかもせいぜい一冊読み終えるので精一杯だろうと予想しておきながら、出張先の本屋で新たに一冊購入してしまった。
それどころか買った本に手をつけてしまう。わかっているけれど、ついやってしまうこと。

買ったのは平井呈一『真夜中の檻』(創元推理文庫)。
英米怪奇小説の翻訳者として著名な作者がものした怪奇幻想小説二篇に、多数のエッセイを併録して一書としたものだ。
あまりまとめて読む機会がないエッセイも貴重であるし、東雅夫さんによる巻末エッセイ「Lonely Waters―平井呈一とその時代」も読みごたえがあって面白い。

さて表題作は、カバーによると「本邦ホラー屈指の傑作として名高い」とあるが、その評価に違わないスリルあふれる作品であった。

内容は、近世の古文書調査のために、貴重な史料を蔵している新潟県の豪農を訪れた若い歴史教師が、訪れた先の屋敷で経験する怪異、というものだ。
だいたいこの作品を読んだ私は、近世と中世、民家と某有名神社という差異こそあれ、主人公と同じく古文書調査中だったのである。おー恐い恐い。

もう一作の「エイプリル・フール」は、ドッペルゲンガーを扱った、これまた上質な幻想小説。平井がこの二作品しか小説を書かなかったのは、まことに残念なことと言わなければならない。

ところで荷風の『下谷叢話』は、ご想像のとおり読み終えていない。
けれど順調に読み進んではいる。読了後に感想を述べたい。

■9/21 二代目携帯用散策地図

街歩きをするときや、知らない街に出かけるとき、いつも携帯して重宝しているのが、昭文社「どこでもアウトドア」シリーズの『東京 山手・下町散歩』である。

手のひらにおさまるようなポケットサイズではないけれど、地図が見やすく、ランドマークになるような建物は立体的に描かれていたり、名所旧跡や食べ物処はもちろんのこと、お寺にはそこに眠っている有名人の名前も記されている。
私のようなにわか掃苔ファンにとっては、ありがたい情報だ。

この地図を片手に、どのくらい東京の街を訪れただろう。
おかげで表紙がボロボロになってしまい、そろそろ同じものを新しく買い替えようと思っていた。

自宅近くにある本屋の地図コーナーに立ち寄ったら、その『東京 山手・下町散歩』の表紙デザインが変わっていたのが目に止まった。
帯には字が大きくなって見やすくなったと書いてある。めくってみると、たしかに地図中の所在を示す字が大きくなっている。

さらに、よく見知っているあたりのページに目を移したとき、二代目携帯用地図として購入することを即決した。
それというのも、来週26日に目黒まで延伸する営団地下鉄南北線と、今年12月に全線開業する都営地下鉄大江戸線がすでに書き込まれてあったからである。
各駅の出入口まできちんと明示されてある。

この二つの路線は、いつも私が利用する千代田線との接続こそ悪いが、職場からの帰り道ぶらっと寄り道するにはとても都合がいいのである。
南北線で六本木や麻布、さらに白金高輪方面、大江戸線で蔵前・両国、そして深川・月島、あるいは逆に牛込神楽坂方面など、散策の足が広がりそうだ。

地図に書き込まれた新しい駅を見ながら、ここを出てこの道を歩いて…などと想像がふくらむこの頃である。

■9/22 本の本―池谷伊佐夫『書物の達人』

著者の池谷伊佐夫さんは、古書店の店内を上から俯瞰したユニークなイラストをメインに据えた古書店紹介の本『東京古書店グラフィティ』で、本好きの間には知られているだろう。
もっとも私は、本書を購入してから、『東京古書店グラフィティ』の著者であることを知ったのだから威張れない。

本書は、日本の代表的な書物随筆、書物に関する書物をテーマ別に集成、紹介した書物である。見出しの一部を列挙してみよう。

達人たちの構え方/達人たちの斬り方/紙魚だらけの人々/書痴という人種/妻よりも本が大事と思いたい/枕頭にふさわしい本/旅とは頁をめくること/古書を追う人々/書物随筆はなぜタイトルが似てくるのか/隠れた読書人たち/快人アラマタあらわる/秋の夜長の露払い/本を生む現場から/本を飾る/あなたも古書店主に/本の登場する物語

数えてみると、全部で222冊の本が紹介されている。
ちなみにそのなかで私が持っている本も数えてみたら、たったの27冊に過ぎなかった。ほんの十数パーセントではないか。
本に関する本は好きで、結構買ったり読んだりしていたつもりなのだが…。
まだまだ修行が足りない。

本書のウリは、これら書物に関する書物の紹介だけにとどまらない。
谷沢永一・目黒考二・紀田順一郎など、現代日本を代表する本読み≠フ書斎が、俯瞰図形式でイラスト化されているのだ。
あの図を見ていると、その空間のなかに自分が立っているような錯覚を覚える。

最初から読み通すというものではなく、面白そうなところを拾い読みしたり、本購入の手引きにするなど、リファレンス的使用にも十分に耐えられそうである。

■9/23 待ち遠しさ倍増

もう何度もここで書いてきた『決定版三島由紀夫全集』の話である。
友人から、すでに書店にあったという内容案内を頂戴した。小冊子形態の、それだけですでに雰囲気を感じさせ、全集への期待を抱かせるものであった。

ざっと一読して興奮。発売の11月1日が待ち遠しい。
一冊5800円(つまり×42巻=…想像したくない)などという値段はこのさい度外視である。
以下気づいた点をランダムに記していきたい。

◆構成
旧全集と異なり、〈長編小説〉〈短編小説〉が別々の巻立てになり、そのなかで編年構成をとる。
長編14巻・短編6巻。ちなみに戯曲5巻、評論11巻、その他6巻。
◆収録作品
続々と発見されている初期作品・詩歌や未発表作品はもとより、童話・未完作品、創作ノートの一部も収録。
◆詩歌
それだけで1巻(第37巻)。
◆書簡
第38巻。東文彦、三谷信、川端康成、D・キーン、川路柳虹、両親・家族、林房雄、澁澤龍彦、橋川文三、荒木精之、田中冬二、中村真一郎、北杜夫、清水文雄、村松定孝、越路吹雪、式場隆三郎宛など。

◆音声
第39巻(CD数枚)。歌唱「からつ風野郎」。
お世辞にも上手いとはいえないと評判の歌。三島作詞深沢七郎作曲。
楯の会の歌「起て!紅の若き獅子たち」。いったいどんな歌なんだ。
自作朗読。「サーカス」「旅の絵本」「英霊の声」「椿説弓張月」。
「椿説弓張月」が収録されてよかった。
ほか談話など。
◆特別付録
全巻を購入し、帯に付いている応募マーク42枚を内容案内に貼付して送ると、全集の検索用CD−ROMがもれなく進呈される。
人物名、史実・事件名、地名、建造物名、組織・雑誌・文学賞名、文学・映画・美術・音楽作品名作品ができるようだ。
画期的であり、たちどころに検索できるのはたしかにいいのだが、一冊の書物の形態をとる個人全集索引のページをめくりながら、「へえーこの人こんな場所、こんなもの、こんな人を取り上げていたんだ」と驚くようなことがなくなってしまうのも、いっぽうで寂しい。
◆装幀
出版事情が厳しく、余計なところにお金をかけていると売価に反映されてしまうゆえ、旧全集の豪華な装幀と比べると落ちるのかと懸念していた。
でも、写真を見るかぎり遜色ない雰囲気でひと安心。柄澤齊さんの仕事。
オレンジ系の箱色に金で字が箔押し。本自体は黒の布クロス装。いかにも三島という感じの豪華さを感じさせるロゴマークが箔押しであつらってある。

11月から巻数順に月1冊のペースで刊行される。内容案内にも書いてあったが、最終巻第42巻(書誌・年譜・作品名索引ほか)が刊行されるのは2004年5月。はるかはるか先のことだ。
出版をめぐる情勢が厳しいなか、版元はこの全集完結までぜひとも踏ん張ってほしいものである。早く来い来い11月。

■9/24 祝優勝

いやあ嬉しい嬉しい。贔屓チームの優勝が嬉しくないはずがない。
今日は朝と夜、テレビに向かって二回ガッツポーズと拍手。

今年は結局巨人の試合を見に行くことがかなわなかった。
去年ほど執着心がなくなったということもあった。
でも、幕切れがこんなに劇的なかたちで、しかもこの目で見ることができ、巨人ファンをやっていてよかったとしみじみ思う。
江藤にせよ二岡にせよ、テレビの前で祈っていたことを本当にやってくれた。最高である。

高橋の金メダルにひけをとらない、十分に一面トップを争うことができる勝ち方、優勝の仕方であったと思う。まあ一面は高橋だろうけれども。

【以下開き直り発言・暴言お許し下さい】

こんな勝ち方で優勝するのは巨人というチームだからこそできる芸当なのではあるまいか。
今年の巨人は、金をかけすぎだ、ホームランでしか点を取れないと散々に批判を浴びた。
たしかにその通りであるし、セ・リーグ、ひいてはプロ野球を面白くなくしたのかもしれない。それは認める。
でも、そのようにお金をかけた結果、ああした劇的な幕切れで「全国数千万の」(長嶋監督談)ファンに感動と感激を与えることとなったのだから、プロ野球チームとして、もっとも正当なことをしたと言えないだろうか。

■9/25 田舎者にとっての東京言葉

田舎者の私にとって、下町を取り上げたテレビ番組や、歌舞伎の世話物などで耳にする江戸・東京言葉は、一種の憧れである。
しょせん江戸・東京言葉も方言なのだから…と、いま述べた私の言葉に眉をひそめる向きがいるのなら、江戸・東京言葉は心地よく耳に響いてくる、とでも言いかえよう。

だから、新聞広告で目にした林えり子さんの『東京っ子ことば抄』(講談社)には、一瞬購買欲をそそられた。でもこの時点で即買いの判断はひかえる。
書店の新刊コーナーで同書を目にしたので、手にとって目次を眺めてみる。
「ひ」と「し」の発音などは有名な話だが、本書は、東京っ子が使う言葉を五十音順に並べ、それにまつわるエピソードなどを綴った短い文章の集まりのようだ。
たとえば最初のほうから引いてみると、「あいそがない」「ありがた山」「いんぎがいい」などなど。「かたっきし」「ごうつくばり」「さぶい」「しらばっくれて」など、いかにも江戸東京の言葉だというような単語が目次には並んでいる。
この時点でもまだ食指は動かない。

次に任意のページを開いてみる。すると、いきなり戸板康二の名前が目に飛び込んできた。
「えっとこさ」の項。「戸板さんは、私の作家としての師匠であると同時に、人間としての師であった」とある。この時点で即買い。棚に戻さない。
ここで戸板さんに出会うとは、また奇なる縁かな。

戸板さんの名前を発見して、少し興奮していたためか、帯のコピーに気づいたのは会計のときであった。そこでさらに驚く。
「「銀座百点」好評連載「東京っ子ことば抄」に「東京っ子ことばの親玉は幸田文」を収録」とある。私の興奮はいやが上にも高まる。

というのも、ここのところ幸田文−青木玉の母娘ラインの作品を立てつづけに読んでいて、この親子の使う言葉、研ぎ澄まされた感性にすっかりまいっていたところだったからだ。
同エッセイを見てみると、幸田文作品のなかから「東京ことば」を抜き出して解説を加えた、一種の辞典のような文章であった。幸田文初心者にとって、これほど格好のガイドはない。
一冊の本との幸福な出会いである。

■9/26 素敵な言葉使い

昨日触れた幸田文−青木玉ラインの本、読み終えたばかりなのが、娘玉さんの『幸田文の箪笥の引き出し』(新潮文庫)である。

この本には、母幸田文が好んで着こなしていた和服にまつわる思い出を綴った文章がまとめられている。
和服に関する知識が毛ほどもない私にとって、和服の種類、生地の名称、文様の名称など、ひとつひとつが新鮮で、自分の無知を恥じ入るほかないような内容であった。

そうした知らない事柄、これまで自分が興味を持っていなかったことについて書かれたものであるにもかかわらず楽しく読み終えることができたのは、ひとえに文章の素晴らしさによると言ってよい。
区切りがきて(たとえば電車で読んでいて降りなければならない駅に着いたときなど)そっと本を閉じるたびに、「ああ、何て素敵な本を読んでいるのだろう」と、心が清々しくなるのである。

ここでは、今度は幸田露伴−幸田文という一世代前の親子にまつわる言葉の使い方に感じ入ってしまった。

ひとつは「物の納まり」

「母は祖父もそうだが、ことにおばあさんから物の納まりを厳しく仕込まれたという。どんな物でもいい加減におっぽり出してはいけない。終りの面倒を見てやらなければならない」。

露伴の没後、着る者がいなくなった露伴の着物は、文によってそれとなく襦袢や帯、果ては座布団の皮などに化けさせられたという。露伴の着物が座布団の皮になっているとは知らずに、座った人は驚き、恐縮したそうだ。
和服は「物の納まり」を最後までつける、最適の着物であるのだ。

もうひとつ「持ったが病」
文は「持っているから着たくなる。それが病で、無ければ着られないでしょ。無いと思いなさい」と、防寒のため玉さんが何枚も厚く着込んだ肌着を取り上げたという。
上の文の言葉は、たんに着る物だけにかぎらず、万物一般に通用する考え方である。
たとえば「着る」を「読む」に換えてみよう。「持っているから読みたくなる」、だから本は持たないにこしたことはない…。
持っていても読まないのは、「持ったが病」のさらに上をゆく重症ということになるだろうか。猛省すべし。

■9/27 病膏肓

戸板康二さんの小説の代表作品集『團十郎切腹事件』(講談社文庫)の読書を再開した。

以前、面白いに決まっているので、なめるようにゆっくり読むなどと書いた。
でも、面白いうえに推理小説であるわけだから、これまでの経験からいっても、ゆっくりゆっくり読むことなどしょせん無理だったのである。電車のなかで、憑かれたように読み進める。

しばらく中断していたのは、けっして面白くないというわけではなかったのである。
次々に読みたいと思う新刊書や古書を購入したため、後回しになってしまったのだ。
それともう一つ、読むきっかけをつかんだためである。

最寄り駅から自宅に歩いて帰る途中に小さな古本屋があって、ときどき立ち寄ることがある。最近立ち寄っていなかったことを思い出して、「どれ寄ってみるか」と軽い気持ちで店のなかに入った。

だいたいいつも、店のなかで見て回る棚の順番は同じで、そのときもその順番どおりに見て回ろうとしたところ、一番最初に目についたのが、くだんの『團十郎切腹事件』の新カバー版だったのであった。値段を見ると220円。安すぎる。即買い。

だいたい私がネットを通して購入した古書価は1280円。これは旧カバー(いわゆる講談社文庫の「黒背」)の帯付き初版である。
帯だの初版だのにこだわるわけではないが、たまたま欲しいときにそれしかなかったのである。

その後浅草の古書店で同じ黒背のものを見つけ、戸板さんファンの知人に贈呈するために購入した。数百円という値段だったように思う。
今回購入したのはつまり三冊目ということになる。見つけるたびに安く入手している。
三冊目は、前述のとおり新カバー(現在の講談社文庫のデザインとほぽ同じもの)で、奥付を見ると第2刷。もっともカバーをとった裸本は、黒背のものと同じである。

いいきっかけだから、読みさしのままであった最初に買った本に挟んであった栞を抜き取り、新しく買った新カバー版の同じ頁に挟みなおして、読書を再開することにした。
わざわざこうしたことに他意はないのだけれど、リュックに入れて電車で読むため、少しくらい傷んでもこれなら許せるか、という思いがないわけではなかった。
1280円と220円、値段こそ違え同じ本である。でも気分的に差をつけたいのだ。
それで1280円本は、書棚の戸板文庫コーナー≠ノそっと戻した。

■9/28 伝記史料としての漢詩文

荷風の『下谷叢話』をめでたく読み終えた。
鴎外の『渋江抽斎』を読破してまもなくだったためか、本書を挫折せずに読み通すことができたことは、わが読書体験上の収穫であった。

しかし読み通すことができたのは、たんに上の理由だけではないような気がする。
二人の主人公、鷲津毅堂と大沼枕山の評伝を組み立てるにさいしてとった荷風の方法が、私の好みとマッチしたということも、読み通すことができた理由の一つではないかと思われる。

二人は漢詩人である。むろん漢詩以外の文章も多く残されてはいるが、メインとなるのは漢詩であることは申すまでもない。
荷風は、これら残された厖大な漢詩を、文学作品としてのほか、「伝記史料」として読み解き、そこから評伝を組み立てているのである。
この漢詩から客観的事実を抽出するという荷風の方法論に、私はいたく感じ入ったのであった。

もとよりこの時期の文人たちは、ことあるごとに漢詩を作って自らの感慨をそこに込めた。極言すれば、日記がわりに漢詩を作った、とも言える。
したがってそれらの漢詩を解きほぐして、なかから客観的事実を取り出すことは一見容易に感ぜられよう。しかしやはりそのためには、漢詩を苦もなく読むことのできるような基礎的な素養が必要とされるに違いないのだ。

残念ながら私にはそれが欠けている。漢詩が目の前に登場したら、なるべく横目でやり過ごしたい。
ところが、今回『下谷叢話』を読んで、漢詩を史料として読み解くためのヒントをつかんだような気がする。

引用されている漢詩を見ると、明治に近づくにつれ、全般的に漢詩の表現の仕方がストレートになっているような印象を受けた。つまりこれは、漢詩から文学性が稀薄になり、客観的事実を抽出しやすくなったということである。
逆説めいた言辞になるが、『下谷叢話』はそうなるにつれて叙述に精彩がなくなり、尻すぼみになってしまって、面白味が感ぜられなくなる。
漢詩から事実を丹念に掘り起こして評伝を組み立てるスリル感、これが『下谷叢話』の魅力なのではあるまいか。

■9/29 追悼文学の哲学

友人のホームページを読んで、嵐山光三郎さんの『追悼の達人』(新潮社)が気になりだした。
先般文庫化された同じ著者の『文人悪食』(新潮文庫)は、全編面白いというわけでなく、取り上げる人によって面白さに振幅があったが(9/11条参照)、切り口の斬新さで最後まで読ませた。この『追悼の達人』も同様の期待(と不安)がある。

たまたま職場の大学生協書籍部で見つけたので、この出会いを大切に、ということで購入する。
嵐山さんは「あとがき」を次のように始める。

追悼はナマの感情が出る。新聞に依頼されれば一晩で書くし、文芸誌ならば頼まれてから二、三日で仕上げる。人が死ぬのは突然だから、書く側はまだ心が打ち震えており、生前の記憶が強く残っている。それで、心情をナマのまま書く。

たしかにそうだ。でもいっぽうで、こうも考えられないだろうか。
「死」というものは生まれてきた人間の数だけ存在する。だからこれまで無数の「死」があった。
また、ある一人の人間(仮にA氏としよう)の「死」は、それに立ち会ったり、見たり聞いたりした他者にとって、等しく「A氏の死」という客観的な事実として現出される。
つまり「A氏の死」は、それを受け止めた人の数だけ同じものが存在するという勘定である。

しかしながら、その「A氏の死」をどう感じたかといった受け止め方、これは受け止めた人の数だけ違う「A氏の死」が存在するだろう。
文学者による追悼文が注目され、このように一冊にまとめられるのは、「A氏の死」に対するナマの感情を根底にした、文学者個々の存在証明が込められているからに違いない。
たんなる客観的事実としての「死」を、どのように文学として昇華させるのか。そこが文学者の腕の見せ所なのである。

ああ、柄にもなく小難しい文章を書いてしまった。駄目だ駄目だ。

■9/30 弔辞リレー

昨日はまことにわかりにくい文章を書いてしまった。
そもそも私はそんなことを書くのが得意ではないのである。

さて、近代日本における追悼文学の系譜を追う試みは、『追悼の達人』がはじめてというわけではない。
山田風太郎さんの『人間臨終図巻』や、岩井寛さんの『作家臨終図会』(徳間文庫)などの臨終エピソードの集成は別にしても、弔辞テクストの集成という形ですでに行なわれている。

たとえば手もとにあるのは、開高健さんの『弔辞大全』二冊(新潮文庫)、あるいは『朝日新聞の記事にみる追悼録〔明治〕』(朝日文庫)である。
とりわけ前者『友よ、さらば 弔辞大全T『神とともに行け 弔辞大全Uは、稀有のアンソロジーとして前々から紹介したいと思っていた。

目次を見ているだけでも面白い。
この作家がこの作家の弔辞を書いていたのか、とか、この作家は何人もの人の弔辞を書いているんだなあ、とか。
そこで、ある面白い(くだらない?)趣向を思いついた。弔辞のリレーで何人までつながるのか。

たとえば最初に森鴎外を指名する。それを書いたのは永井荷風。大正11年、「鴎外先生」という文章である〔T所収〕。
次に荷風没のときの追悼は…と追っていくわけだ。
以下簡単に整理して下に掲げる。

森鴎外没  ← 永井荷風 大正11年〔T〕
永井荷風没 ← 室生犀星 昭和34年〔U〕
室生犀星没 ← 佐藤春夫 昭和37年〔T〕
佐藤春夫没 ← 川端康成 昭和39年〔T〕
川端康成没 ← 丹羽文雄 昭和47年〔T〕

おおすごいすごい。鴎外・荷風・犀星・春夫・川端・丹羽と六人もつながった。
最後の丹羽文雄は、見るとこのほかに舟橋聖一の追悼文も書いている。今度は逆にたどってみよう。

丹羽文雄  → 舟橋聖一没  昭和51年〔T〕
舟橋聖一  → 谷崎潤一郎没 昭和40年〔T〕
谷崎潤一郎 → …

あれ、谷崎の追悼文がこの開高本には収録されていない。
まあ長生きのほうに属するであろう谷崎のことだから、追悼文・弔辞を書く機会は多かったはずだ。開高さんが谷崎の追悼文を選ばなかったのは、何か理由があるのだろうか。ということで全集をあたってみる。

中央公論社社長嶋中鵬二氏や武林夢想庵などの追悼文などが見つかる。
しかしながら全三十巻にのぼる大谷崎の作品群にしては、少なめかもしれない。あるいはこうした追悼文を書くのが好きでなかったのであろうか(追悼文が好きな人も滅多にいまいが)。

…などとあれこれくだらない考察に頭が働く。
難しいことよりも、このような誰のためにもならないようなことを考えているときが一番楽しい。