<スタートまで>

はやいもので、去年のあの地獄の苦しみからもう1年がたつのか、と感慨にふけっていた。
地獄の苦しみといっても実感としてはほとんど忘れていて、いいことばかりおぼえている。
でなければ、今年もこのスタートラインに立っているわけはない。
場内放送では、「ゴール前のスカイブリッジ・マリンブリッジ辺りは強い向かい風が吹いているそうです。みなさん、がんばってください!」というおせっかいな情報というか脅迫を聞きながら、予定の3ヶ月の練習こそできなかったが1ヶ月は納得いく練習はできたと自分にいいきかせていた。
ちょびっとの期待と大きな不安をかかえ号砲は鳴った。

 

<スタート〜10km>

今年は高校のとき陸上部長距離で一番速かったSが一緒だった。
スタート直後、さすがSは快足をとばしグングン突っ走った。
はじめはそのペースについていくが、これでは最後までもたんと思い、はやばや2k地点でSと別れる。
5k地点は家のすぐそばを走るので、毎年両親が立っていて声援をおくっている。
ここらへんはまだまだ元気なので余裕をかまして走っている。
スタートの浜寺公園にかえってきて、少しして10k地点。
時計をみると、かなりはやい。
でも、体はまだ楽だったので、これはいける・・・。

 

<10km〜20km>

10kの給水地点が近づいてきた。
毎年うまく飲めないので気合がはいる。
紙コップを手に取り、口に近づけたがやはりうまく飲めない。
それどころか、こぼして胸から下のほうまでびしょびしょになった。
気を取り直し、必殺コバンザメ走法でがんばることにした。
コバンザメ走法とは自分のペースにあった人をみつけ、後ろにくっついて走り、自分は楽をする走法である。
風よけにもなるし、なんといっても相手のリズムと同じリズムを刻むとけっこう楽である。
ちょうどいいペースのおっちゃん発見。
早速、後ろにくっついた。
が、しかしこのおっちゃん、やたらとタンをはくのでおちおち走ってられない。
はやばや、退散することにした。
今度は、きれいなおねえさん発見。
もちろん、後ろにくっついた。
が、しかしこのおねえさん、ペースはやい!
残念ながら、退散することにした。
そのあと、なかなかコバンザメになりきれず、自力で走ることを余儀なくされた。

 

<20km〜30km>

中間点21.0975km通過。
1時間33分。
単純に倍して3時間6分。
なかなかいいではないか!
しかし、地獄はそのすぐあとからはじまった。
ここからがフルマラソンである。
23kからの急なアップダウン。
悲しいほどにみるみるスピードが落ちていった。
ここからは根性走りである。
28kで沿道の声援から寛平が近づいているのがわかる。
そして、抜かれた。
もう、余裕などはぜんぜんなかった。

 

<30km〜40km>

30kの給水地点。
もう、立ち止まってスポーツドリンクをガブ飲みしている。
目標タイムのことなどはもう飛んでしまい、時計も見る気もしない。
思考力は低下し、ひとまず次の35kの給水地点だけを目標に足を動かした。
このあたりでは、カメ走法(ペースはのろいが、最初から最後まで同じペース)で走っているおじいさんが20代、30代の若いものを次々抜き去っていったりする。
38k〜40k、今年もでましたスカイブリッジ・マリンブリッジ。
やはり足が止まる。

 

<40km〜ゴール>

最後の給水を取ってからゴールまであと2k。
ここで、恐る恐る時計をみた。
まだ、去年の記録は更新できる!
すこしだけ、元気がでてゴールに向かう気力がわいてきた。
途中、寛平も死んでいたので抜きかえし、3時間31分04秒(585位)でFINISH。
ゴール地点でSの彼女が待っていたが、Sはまだゴールしていないらしい。
スタート直後あれだけ快調に走っていたのでてっきり2時間台をだしてゴールしていると思っていたのに。
結局Sは23kで棄権して収容されていた。
中間点をすぎて急にガックリきたそうだ。
やはり、マラソンはむずかしい・・・。
来年は雪辱を果たそうと2人で誓い合った。