ヴァレリア島戦記 序章 「運命の夜 〜血の絆、魂の絆〜」
ヴァレリア島という島がある。厳密に言えばひとつの島ではなく、いくつかの島からなる諸島なのだが、島の者はみなひとつの島のように考えている。
この島は長きにわたり群雄が乱立し、戦乱の中にあったがドルガルアという一人の男によってようやく統一された。彼はこの島に住む三民族、バクラム、ガルガスタン、ウォルスタの全てを平等に扱う「民族融和」を掲げ、統治をした。この政策によって長きに渡った争いに終止符が打たれるかと思われた・・・・。
1
「・・・生まれたか?」
扉の開く音に反応して、窓の外を眺め続けていた男が振り返る。
「ああ。女の子だ・・・」
答えた男の手には赤ん坊がしっかりと抱かれていた。
「母親のほうは?」
「・・・・・」
その問いには黙って首を振る。
不用意に声を出して赤子を起こしたくなかったからだが母親の末路をこの子に聞かせるのは心情的に忍びなかったというのもある。
たとえ言葉にしても赤ん坊にそれは理解できまい。だがそれでも言葉で聞かせたくないと思ったのだ。
「そうか」
そんな気持ちを知ってか知らずか、男はまた窓の外へと視線を移す。
外は激しい嵐だ。まして今は夜。外など見ても何も見えるはずはない。それでも男は探るように外の様子を伺った。
いや、すでにその目は外の様子などではなくこの嵐の先にあるものを見つめているのかも知れない。
そう思えるほど男の声は冷酷で「今」という現状に似つかわしくないものだった。
何しろ人が一人天に召されたのだ。そう淡々とした様子でいられる精神には少し問題がある。彼らが神父であるという事実を加えればなおさらだ。
「無理もない。衰弱しきっていたからな。」
長い沈黙の後、思い出したかのようにそう付け加える。
だがそれは次の話へ移るための前置きでしかない。その証拠に母親の話題はそれっきりとなり話は本題へと移った。
「それよりもその娘がベルサリアか」
「ベルサリア?」
「ああ。王がつけた名前だ。女子が生まれたらベルサリアと名づけようと言っていたよ」
「ベルサリア・・・」
もう一度その名をつぶやきながら腕の中の赤ん坊に目を移す。
生まれる前から名を与えられ、望まれて生まれてきた存在。王家の初子として親からも、国民からも惜しみなく注がれたであろう愛。
だがそれらのあるべきものを、彼女は生まれながらに失っていた。
たった一つ、「ご落胤」という理由で。
それだけで、たったそれだけで彼女は彼女にあるべきはずのもの――与えられるべき愛を失ったのだ。この子には生まれて喜んでくれる親(ひと)などいないのだから・・・。
「ブランタ・・・」
赤子を抱く男が不安そうにもう一人の男を呼ぶ。
「やはり王にお伝えすべきではないのか?」
一瞬、驚いたような顔をするがブランタは次の瞬間にはもとの無表情に戻りつかつかとこちらへと近づき、
「何を言い出すのかと思えば・・・。来月にはベルナータ様にもお子様が生まれるのだぞ?これ以上問題を増やさないためにもこのことを知るのは俺とお前だけでいい」
そういってぽんと両肩に手を置いた。
「しかしこの子は・・・王女はどうする?」
「お前が育てろ。先月死んだお前の娘・・・カチュアといったか。それと取り替えるのだ」
「自分の娘として・・・育てろと?」
「そうだ」
ぎゅっと、肩に置かれた手に力が入る。指が肩に食い込んだがそれが気にならないほど先ほどのブランタの言葉は衝撃的だった。
「それがその娘のためでもあり、ヴァレリアのためでもある」
「しかし・・・・」
その言葉に男は逡巡した
確かにそうかも知れない。それは分かる。王位継承とは凡人が考えるよりもはるかに複雑な問題である。生まれた順番、正妾妃の差、男女の違い・・・それに周囲の思惑も加わって更に混濁としていく。
ようやく戦乱の治まったヴァレリアにとってそういった不安要素は取り除くべきなのだろう。
それに死んだ娘の代わりと連れて帰れば気落ちした妻も喜ぶに違いない。同時にこの子が失った愛を肩代わりしてやれるかも知れない。
だが・・・。
だがそれは本物の家族ではない。どんなに愛しても、どんなに身近にいてもその溝がなくなることはない。ただの「ごっこ」にすぎない。
果たしてそれはこの子のためになるのだろうか?本物の家族でない自分に、この子が失ったものを与えてやれるのか?自分はこの子を愛してやれるのか?
「何を心配している?ん、ああそういうことか。ちょっと待て・・・」
何かを考えるかのように黙ったのを見てブランタは机の引き出しからあるものを取り出す。
「この首飾りをやろう。売って金にするといい」
黙っていた理由を養育費だと思ったのだろう。ブランタは赤と青の見事な首飾りを手渡した。
「これは・・・?」
「王からの賜りものだ。王子ならその青いほうを、王女なら赤いほうを誕生の祝いとして贈るつもりだったのだ」
「そんな大切なものを売れるはずもなかろう!」
意外すぎる出所に思わず語気が強まる。
その声に驚いたのかそれとも不穏になりかけた雰囲気を感じ取ったのか、今まで眠っていた赤ん坊が腕の中でぐずつき始めた。
「子供を育てるには金が必要だ。ましてその娘は王女様だからな。礼儀も知らないような下賎な娘に育てるわけにはいくまい」
今にも泣き出しそうな赤子に顔をしかめながらブランタは強引に首飾りを押し付ける。
こうなってしまってはこの兄弟には何を言っても無駄だと知る男は黙ってそれを受け取った。
「・・・・平民出の神父に過ぎん俺たちが金を手にするにはこんなことでもせんとな」
独り言のように呟く。
「?」
「気にするな。まあ後は俺に任せろプランシー。この俺にな」
2
部屋に残されたプランシーは腕の中の赤子をなだめようと試行錯誤する。
こうしていると嫌でも先日までの記憶が甦る。たった数日でこの世を去ったわが娘のことが。
充分に愛してやることができなかった。充分に知ってやることもできなかった。
どんなことが好きだったのだろう?
どんなことが嫌いだったのだろう?
どんなことを求めていたのだろう?
どんなことを成し遂げたかったのだろう?
だがそれらを知ることもなく、もしかしたら自分でも気づくことなくこの世から姿を消した娘。
ただ生まれて、死んでいっただけだ。
家族らしいことは何一つしてやれなかった。
プランシーの胸に苦いものが込み上げる。
そんな空気を敏感に感じ取ったのか、赤子はついに泣き出した。
声を上げて泣く赤子はその冗談のように小さな手を精一杯動かして何もない空を掴もうとする。まるで何かを求めるように。そこにあったはずの、失ってしまったそれを取り戻さんとするように。
その手がプランシーの手を――正確には彼の指を――掴んだ。
小さくて脆そうなその手は暖かく繊細で柔らかく、そして何より力強かった。
その瞬間、プランシーは体を駆け抜ける赤子の『声』を聞いた。無論、赤子が喋るなどということは有り得ない。まして体から伝わる声などあるはずもない。
しかし彼にははっきりと聞こえたのだ。「生きたい」、と。
――そうだ
弾かれたようにプランシーははっと我に返る。
この子は生きている。生きようとしている。この手の暖かさが、力強さがそれを主張している。
確かに生れ落ちた瞬間にこの子は数多くのものを失った。だがそれでもこの子は生きている。生きたいと願っている。
そして自分はこの子に対してしてやれることがある。
何が好きで、何が嫌いで、何を求め、何を成したいのか知ってやることもできる。
愛してやることだってできる。
互いの繋がりを、感じることができるのだ。
生きているということはそういうことだ。
確かにこの子は自分の娘ではない。
だが家族を続けていくのに一番大切なものを、この子は持っているのだ。自分の娘にはなかったものを。
王に返してしまえば政敵に謀殺されるかも知れない。自分の預かり知らぬところで命を落とすかも知れない。それはこの子の望むところではないはずだ。
しかし自分の元にいれば守ってやることができる。そればかりか望んでいることをかなえてやることだってできるかも知れない。
「家族ごっこ」だから何だというのだ。「ごっこ」すらできなかった家族だっている。それを家族と言うならばその反対はどうだ?家族とは呼べないだろうか。
そうでないとしても全てが真でなければならないわけではない。そんな優しい嘘から始まってもいいではないか。
大切なのは始まり方ではない。大切なのは続けていくことでありそこで育てていけるかなのだ。
プランシーにもう迷いはなかった。
何かを掴んで安心したのか、赤ん坊は何事もなかったかのようにまた静かに眠りについた。
窓の外はまだ雨が降り続いている。時折雷光も交えて。
どこまで続くかわからない。だがこの命続く限り、自分はこの子の「家族」でいよう。たとえそれがどんな結末になろうとも。
安らかな寝顔にそう誓う。
そして目を閉じて静かに祈る。深く、心から・・・。
「・・・・さん。父さん」
自分を呼ぶ声にプランシーは目を開いた。窓の外はいつの間にか雪に変わっていた。いや、元々雪だったはずだ。物思いにふけっているうちに夢と現実がごっちゃになっていたようである。
しかしそんな雪の夜であるにも関わらず外は明るい。夜の闇を不気味に切り裂くその赤い光は炎の明かりだ。攻め込んできた異国の騎士たちが町に火を放ったのだろう。
異教を奉ずるその騎士たちは突然に現れ、そして町を阿鼻叫喚の地獄へと変えた。
雪で白く塗り変えられた町が一転して赤く染め上げられる。もはやその赤が火事で燃え盛る炎の赤なのか犠牲になった人々の血の赤なのか分からないほどに。
「父さん・・・」
自分を呼ぶ声に振り返ると幼い姉弟が身を寄せ合いながら怯えている。
「ここにも……来る…の?」
震える娘の声にプランシーは優しく微笑み返した。
「大丈夫だ。お前たちは何も心配しなくていい」
そっと頭を撫でると優しく抱きしめる。
ドンドン、と強い調子でドアが叩かれた。その音にまた姉弟は身を竦ませる。
「お前たちはここに隠れていなさい。決して出てきてはならないよ」
「父さんは……どうするの?」
少年の答えに父は答えず、ただ微笑み返しただけだった。
すっと立ち上がると今にも扉を打ち破らんばかりにノックされる扉へと近づき、その閂を外した。
「プランシーだな?」
「そうですが何か」
「我々はロスローリアンだ。貴様には反乱の首謀者としての嫌疑がかけられている。同行を願おう」
こういっては少し変かも知れないがその言葉にプランシーは少しだけ安堵した。敵の狙いがまだ幼いわが子に向けられていたわけではなかったからだ。
となれば相手はまだあの事実を知らないはずだ。そしてその事実を知るのは実の兄と自分の二人だけ。
ならば心配はあるまい。兄は立場上そのことを喋ることはできないし自分も言うつもりはない。
この騎士と呼んでいいのかも分からないような漆黒の殺戮者たちについていくことが恐ろしくないわけではないが町への仕打ちを見る限りそれより他に選択肢はないだろう。
それに誓ったではないか。あの嵐の夜に。国中が喪に服したあの夜に。この子の「家族」であろうと。国を救う「英雄」ではなく「父親」として生きようと。
ならばすることはひとつ。父親として家族を守る、それだけだ。
「わかりました。参りましょう」
木製の手枷がはめられる。想像していたほど乱暴ではなく拉致されるというよりは文字通り連行されるような格好でプランシーは教会を出た。
外にはいまだに雪がちらついているがあちこちで上がる火の手のためかそんなに寒さは感じない。もう戦闘――いや、これは虐殺に近い、というかそのものであろう――は終わっていて剣戟の音は聞こえない。聞こえるのは親や親しい人を失って泣き叫ぶ慟哭だけだ。
「父さんっ!」
「駄目よデニム!」
その慟哭の中に聞き覚えのある声を耳にする。
「父さんっ、行かないで父さん!」
「デニムっ、お願いだから姉さんのいうことを聞いてちょうだい!」
必死に父を呼ぶ少年とそれを止める少女。だがここで振り向くわけにはいかない。振り向けばせっかく決めた決心が鈍ってしまいそうだから。
「父さーん!」
すまない
心の中で何度も子供たちに詫びる。
父はいかねばならない。
自分の罪を償うために。
父親として出来ることを果たすために。
しかし本当は聞きたかった。
私はお前の求めていたものをちゃんと与えられていたのかと。あの日お前の失ったものをちゃんと埋め合わせてやれたのかと。お前の家族になってやれたのかと。
そして本当は言いたかった。
「ありがとう」と。たとえ他人がなんと言おうと、お前がどう思おうとも私はお前の父親でいれてうれしかったと。愛していたと。
たとえそのためにこの島を混乱に導き、破滅に向かわせてしまったとしても。
しかし想いは言葉にはならなかった。そしてその後永遠に言葉で伝わることはなかった。
だが父は信じていた。言の葉では伝わらなくとも必ず魂の絆で伝わることを。
あの運命の夜、この子から生きたいという想いを聞き届けたように・・・。
終
…to be continued by Ogre
Battle Saga Episode Seven