「ハァハァ・・・・。」
家を飛び出してから一度も止まることのなかったバイアンがようやく足を止めた。
ここはハイムの北部でギルド街のはずれ、ボルダー砂漠の入り口あたりである。
バイアンの家からここまではかなりの距離がある。鍛え上げられた者でもここまで走
りきるのは難しいであろう。その道のりを走りきったバイアンは肩で息をしながらも
前方にたたずむ人物をじっと睨みつけていた。
「ほう、まさか時間通りに来るとはな・・・・。魔術師にしておくには勿体無い足を
してる。」
男は崩れかけた建物の上から見下しながら言った。
「彼女は・・・・アリシアは・・・・どこだ?」
息が上がっているため途切れ途切れになりながらもバイアンは強めの口調で問いた
だした。
「奇なことを。頭の良い君ならもうわかっているのだろう?アカデミーきっての天
才、バイアン=ローゼンオーン君。」
男はそう言うと忍び笑いをしながら右手を挙げた。それが合図だったようで周りの
風化しはじめた建物跡の影から男たちが続々と現れた。ざっと見ても30人は軽いだ
ろう。どの男もみな棍棒のような鈍器ばかりを手にしている。剣のように一撃で殺せ
る武器は使わずにじわじわと殴り殺す気なのだろう。そこから男の非道さ、冷酷さが
うかがえた。
ならば遠慮はすまい、人に対して魔法を使うことにためらいを感じていたバイアン
だが男のそれを見てその思いは吹っ切れた。
彼はさっと身構えていつでも動き出せる体勢をとった。アリシアがここにいないこ
とは予想していたことだったし、待ち伏せも確実にあると踏んでいた。そのために杖
を持ってきたのだし、こうして相手との距離を十分にとり、敵の隠れていそうにない
平地(ひらち)で立ち止まったのだ。
「そういえば自己紹介がまだだったな。私の名はストラム=ゲルザード。新生バクラ
ム選民同盟の総帥であり未来のバクラム王国の建国王となる者だ。神に感謝するがい
い、君は我々の栄光の歴史の第一歩を飾る礎となれるのだからなッ!」
ストラムは声をあげて高らかに笑うと「殺れ」と冷たく号令した。
号令を受けて男たちが一斉にバイアンめがけて進撃を始めた。
その様子にバイアンは慌てることもなく、袖の中からあるものを取り出した。
『マジックペースト』 精神力を高める薬草を煎じた薬で魔力(MP)を大幅に補
給できるアイテムである。尤(もっと)もこれは彼が安いマジックリーフなどを独自
に調合して作った代物なので一般に出回っているものほどの効果があるかはわからな
いが。
バイアンがマジックペーストを 使い終わって次の行動に移ろうとしたときには男
たちはすでに彼の目の前にまで迫っていた。その様子を確認するとバイアンは大胆に
も笑いを浮かべた。
「天空に住まう羅刹に命ず、巨石を抱き大地に墜とせ・・・」
「む!いかん、散れッ!!」
その意図に気付いたストラムが大声で怒鳴ったが時すでに遅し、男たちが行動に移
るよりも早くにバイアンの魔法が完成した。
「クラックプレス!」
呪文が完成すると同時に辺りに転がっていた建物の瓦礫や岩が宙に浮かび、そして
次の瞬間には男たちの頭上に降り注いだ。
「うぎゃぁ〜!!」
何人もの男たちが巨石の下敷きとなり、骨の砕ける音と悲痛な叫び声を上げながら
乾いた大地を紅く濡らした。
すり鉢状の地形の一番低いところにいたバイアンめがけて男たちが密集したために
広範囲魔法の餌食となったのだ。男たちの近づく時間(ターン)、距離、地形などを
うまく利用した見事な作戦だった。
呪文を唱え終わったバイアンは果敢にも前進し、魔法で出来上がった瓦礫の山の上
に飛び乗った。
「ヤロウ、よくも!」
魔法の範囲外に逃れていた男が前進してきたバイアンに殴りかかってくる。高台に
移動していたため横や背後に回りこめずに正面からの攻撃となったが普通のウィザー
ド相手なら十分当たる向きだった。しかしバイアンはその攻撃を軽く受け止めると男
の左頬を杖で思いっきり殴りつけた。男はたまらずに後ろへと吹っ飛び、瓦礫の山を
転げ落ちてそのまま動かなくなった。
バイアンはアカデミーの実技では常にトップである。それは魔法だけに限らず護
身術として習っている格闘も含めてのことなのだ。強気にも前進したのにはそれなり
の自信があったからでもある。尤も今は怒りに身を任せて突進している部分が大きい
のだが。
「クックック、流石だよバイアン君。我々の予想以上の力だ。それは認めよう。だが
それがいつまで続くかな?」
まるで演劇でも鑑賞するかのようにゆったりとしながらストラムはその戦いぶりを
見守った。
しばらくの間はバイアンの攻勢が続いた。魔法で、反撃で、選民同盟の同志たちを
次々に打ち負かしていく。だがストラムの言葉通り、徐々に劣勢に回っていった。や
はりどうあがいても多勢に無勢なのだ。
「どうだ、まだ我々に歯向かう気力はあるか?」
ストラムが建物の上で余裕の表情を浮かべる。バイアンはその問いに言葉では答え
ずに行動で答えた。
「フッ、そうこなくてはな。しかしこれを見てもまだそんな強気でいられるかな?」
絶対に諦めないと誓っていたバイアンだったがストラムの余裕の理由がわかるとさ
すがに愕然となった。彼が左手を挙げるとどこに隠れていたのか、またしてもバクラ
ム選民主義の同志たちが現れたのだ。しかもその数は最初に現れた時と同じか、それ
以上である。
「ふっふっふ、いい顔だ。それではもう一つ、今までの礼として私から贈ろう。受け
取るがいい、スロウムーブ!」
ストラムの魔法がその効果を発揮しはじめ腕や脚に何かがまとわりつくような感覚
を覚えた。
「くそっ!」
まとわりついてくる見えない力に抗うように手足をばたつかせたり、精神を集中さ
せたりしてみたが全く効果はなかった。そうしている間にも一人の男がバイアンに近
づいてきた。
「くたばれッ!」
男の振り下ろした棍棒が肩にめり込む。もし正常な状態なら避けられたかもしれな
い攻撃である。しかしそれは所詮『もし』の話にすぎない。
「やられてたまるかッ」
肩に走る痛みに耐えながら反撃に出る。だが痛みや疲れもあってかこの一撃は簡単
に避けられてしまった。その隙に横に回りこんだ男が土手っ腹をなぎ払う。
「ごほっ」
もろに一撃を受けたバイアンはたまらずに膝をついた。
「おっと、まだ寝るには早すぎるぜ。」
すかさずに背後にいた男が無理矢理に立ち上がらせる。気がついてみると四方を完
全に囲まれており、その向こうには石を持った男たちが取り囲んでいた。
ゴスッ、そのうちの一人が投げた石がバイアンの頭に命中した。つうっと額から赤
い血が流れ落ちる。まるでそれが合図だったかのように今度は一斉に石が投げつけら
れる。無数の石が礫となってバイアンの身体を打った。
ここまでか、遠のいてゆく意識の中で彼は死を覚悟した。不思議なことに恐怖感は
なかった。ただ、アリシアを助けられなかったという後悔だけが彼の心の中を支配し
ていた。
「もうおしまいか?まあいい、予想以上に楽しませてもらったからな。女もすぐに同
じところへ送ってやる、安心しろ。」
ストラムの声がぼんやりと聞こえる。自分に対して言っているはずなのだがなぜか
他人事のように聞こえた。そしてストラムがもう一度何か言葉を発すると目の前の男
が手にした棍棒をゆっくりと振り上げ始めた。
あれが振り下ろされた時に俺の命は尽きるのか・・・、バイアンはもう抵抗する気
も起こらなかった。
「やれ」
ストラムの氷のような声とともに棍棒が風を切る太い音がする。そして頭蓋骨を叩
き割る音が辺りに響いた。
「ぐぉわぁぁぁ」
しかしその断末魔をあげたのはバイアンではなかった。目の前の男が砕いたのはバ
イアンの頭ではなく、彼の後ろにいた男の頭だったのだ。
「お、おい。何をしてるんだお前・・・・あっ!」
左にいた男が正面の男の様子を見てようやく事態に気がついた。彼の目はうつろで
焦点が定まっていなかったのだ。こんな状態になることは一つしかない。
「さすがは俺のチャームだな。男であっても効果抜群だぜ。」
突然この場には似つかわしくない垢抜けた声が響く。同時に急にあたりが明るく
なった。一斉にたいまつに火をつけたのだろう、その明かりに照らし出されて完全武
装した一団が姿を現した。
「な、何者だッ」
突然の出来事にストラムは明らかに狼狽していた。
「俺が何者かだって?フッ、なら覚えておけ、そのうち歴史のテストに出るぜ。俺こ
そヴァレリアの歴史にその名を残すであろう天才魔術師ジェリド様だ!」
たいまつの明かりに照らし出されたジェリドが妙なポーズを決めながら大見得をき
る。
「世のため人のためヴァレリアのため、お前のような輩はこの俺が・・・・ってお
い、まだ終わってねーってば!」
二人の騎士に羽交い絞めにされて退場したジェリドと入れ替わりで一人の騎士が前
に進み出る。バイアンはその騎士に見覚えがあった。忘れるはずはなかろう、何しろ
彼、ファルクス=ラダ=レンデとは今日会ったばかりなのだから。
「久しぶりだなストラム。貴様の悪行もここまでだ。」
「ファルクス・・・・またしても貴様かッ!」
ストラムは血が出るのではないかと言うほどに歯噛みをした。以前の選民同盟の幹
部はこの男によってことごとく捕まえられたからだ。
「くそ、こうなったらバイアン共々やってしまえ。生まれ変わった我々の力を見せて
やるのだッ!」
「一人も逃がすな、場合によっては殺しても構わん。全軍突撃ィ!」
二人の号令を合図にあちらこちらで戦いが始まる。だが正攻法では訓練された正規
軍のほうに分があり、選民同盟は時間とともに次第に押されていった。
「おい大丈夫かバイアン。」
集団戦に変わって戦場が少し移動したためその隙にジェリドがバイアンの救助に駆
けつけた。
「ああ、何とかな。だけど一体これはどういうことなんだ?なんでお前とファルクス
隊長がここに?」
ゆっくりと起き上がりながら率直な疑問をぶつける。
「ああ、その事か。」
ジェリドは手でぽんと相槌を打つとこの奇跡のタネあかしをはじめた。
日も暮れた頃ジェリドはバイアンの家に女がいるのかを確かめるべく彼の家へと向
かっていた。彼の家に着いたちょうどその時バイアンが血相を変えて家を飛び出して
いくのが見えたのだ。これはただ事ではない、そう思ったジェリドは閉じまりもされ
ていない家へと入り、そこであの宣戦布告上を見つけ、急いでファルクスに知らせて
ここへ駆けつけた、ということであった。
「そうだったのか・・・。」
「全く、お前は頭に血が上ると無茶して突進していく癖があるからな。見てるこっち
が恐ろしいぜ。」
ジェリドの話が終わる頃には選民同盟との戦いも終わりに近づいていた。
「ぐっ、まさかこのような結果になるとはな・・・。」
数人のヴァレリア兵に囲まれたストラムは苦笑を浮かべた。
「おとなしく捕まるんだな。」
「そうはいかん。私には崇高なる理想を叶えるという使命があるのだ。理想のために
死んでいった同志たちのためにもこんなところで捕まるわけにはいかんのだッ!」
取り囲む騎士の言葉に激昂するとストラムは新たな魔法の詠唱に入った。
「バイアン、一人で来ると言う約束を違(たが)えたのだからその報いは受けてもら
うぞッ!」
「いかん、逃げる気だ。呪文を止めろ。」
ファルクスが魔法の正体に気付いて叫んだときにちょうど魔法が完成した。
「風雲の力を得、汝を高く舞いあげ運び去らん・・・テレポート!」
「待て、アリシアを返せ。」
「さらばだ、この島からバクラム人以外が消えるその日まで我々は何度でも甦ってみ
せる。」
バイアンの叫びも虚しくストラムは不気味な笑いを残すとその場から消え去った。
アーチャーの放った矢とナイトの投げつけた剣が壁に突き刺さったのはその直後だっ
た。
「くそ、これでは前回と同じではないかッ!」
ファルクスは忌々しげに剣を地面に突き刺した。
「どこへ逃げたのかはわからないんですか?」
「奴等のアジトであることは間違いないだろうが・・・そのアジトが不明なのだ。」
お手上げ状態だと言った感じにファルクスが肩をすくめる。
「アジト・・・・」
その時バイアンの脳裏にアリシアとの出会いの場面が浮かんだ。ギルド街で起こっ
たあの事件の事を・・・・。
「何か知っているのか?」
その様子に気付いたファルクスがバイアンを問いただす。
「ええ、確信は持てませんがそこのような気がするんです。場所はギルド街の南側
で・・・」
「南だって?それじゃあ馬を使ったとしてもとても間に合わんな。奴のようにテレ
ポートの魔法を使えるなら話は別なんだが・・・。」
バイアンの答えに期待を持ったファルクスはその答えに肩を落とした。テレポート
を使える術者が彼の部下には一人もいないからだ。
「そんな・・・」
ファルクス以上にバイアンは肩を落として落胆した。
「ふっふっふ。君たち、誰かスーパースターを一人忘れてないかい?」
落ち込んだ空気をぶち壊すかのような垢抜けた声があたりに響いた。その声に一同
が振り返る。
「ジェリド・・・お前まさか・・・・」
「その通り、テレポートくらい使えるぜ。」
「やった!さすがだぜ、名家の子息ってのはダテじゃないんだな。」
「ははは・・・・だからそのネタはよせって。」
あまりのうれしさに抱きついてくるバイアンをジェリドは苦笑いで抱きとめた。
「それじゃあ早速頼む。一刻を争うんだ。」
その要請に応えてジェリドは早速詠唱に入った。
「なあ、バイアン。」
「どうした、なんか問題でもあったのか?」
「いや、ただな・・・・生きて帰って来いよ。」
「そんなこと言われるまでもないさ。」
「そうか、そうだな。それじゃしっかり目的地を頭に描いておけよ。いくぞ、テレ
ポート!」
次の瞬間にはバイアンの姿はもうそこにはなかった。
一陣の風が吹き抜ける。気がついてみると戦闘も終わったようでもう剣戟の音は一
つも聞こえなくなっていた
「ファルクス隊長・・・。」
魔法使用直後で疲れているらしく、多少元気のない顔でジェリドが口を開いた。
「俺はこれから王城に飛んで援軍を要請して参ります。ここからよりそっちのほうが
早いでしょうから。」
「そうか。しかし・・・大丈夫なのか?テレポートは負担の大きい魔法だと聞いてい
るが・・・。」
ジェリドの様子を見てファルクスが心配そうに尋ねる。
「大丈夫ですよ、俺天才ですから。それに・・・親友が命を賭けてるときにそんなこ
と言ってられませんよ。」
「そうか・・・。では頼んだぞ。」
ファルクスに軽く一礼をするとジェリドはすぐにテレポートを使ってハイム城へと
飛んだ。
残されたファルクスは捕獲者の処遇と援軍に向かう旨を指示すると先ほどまで二人
の若者がいた虚空を見つめてもう一度つぶやいた。
「頼んだぞ・・・・。」
続く