ヴァレリア島戦記

〜灰色の魔導師5〜

 
 



 「ちくしょう、あのウィザードめ。ジャマするだけでなく俺たちをこんな目にあわせ
やがって。」

「全くだ、俺たちの恐ろしさをとくと味あわせてやらねぇとな。」

 昼間だというのに真っ暗な部屋の中で男が二人、何やら言葉を交わしている。おそ
らく地下室なのだろう、窓一つない部屋の中でろうそくの火がよどんだ空気を吸って
力なく燃え、あたりをぼんやりと照らしている。

 男は数日前、バイアンに襲いかかってきた男だった。所々に見られるあざや包帯が
その時の敗戦を物語っている。その事が気に入らないのか男はいらいらしながら人差
し指で机をトントンとたたきつづけている。

「いいざまだな、お前ら。」

 声とともに突然入り口のドアが開き、暗かった部屋に明かりが差し込んだ。同時に
冷たい新鮮な空気も流れ込む。

 男たちはとっさに武器を掴んで入り口のほうを向くが目が明るさに追いつかず、二
人の影が確認できただけでそれが誰なのかの判断まではできなかった。だが次第に目
がなれて相手の正体が判明すると男たちは驚きのあまりに掴んでいたナイフを床に落
としてしまった。

「そ、総帥・・・・」

 男のうちの片方が絞り出すような声でそうつぶやく。

「話はこいつから聞いた。」

 総帥と呼ばれた男が隣にいた男の方をあごで指した。隣にいた男は部屋にいた男た
ち同様、バイアンにやられたうちの一人だった。

「なめられたものだな、俺たちも。たかが一介の魔術師風情に反抗されて遅れをとる
とはな。」

「も、申し訳ありやせん・・・・」

 男たちはおびえながら頭を下げる。生きた心地がしなかった。流れ落ちる汗が入り
口からの風で不気味なほどひやりとする。その姿を見て楽しむかのように総帥は不適
な笑みを浮かべた。

「ふふふ、安心しろ。今日はお前たちを罰するためにここへ来たのではない。むしろ
お前たちの復讐に力を貸そうと思ってやってきたのだ。」

「ほ、ほんとですかいそりゃあ?」

「無論だ。我々の崇高なる理想の邪魔をする輩をこれ以上のさばらせる訳にはいか
ん。それにこれは我等の力を改めて世に知らしめるよい機会だ。その魔術師には見せ
しめとなってもらおう。」

「ありがてぇ・・・」

 総帥の言葉に男たちは同時に安堵の息をもらす。

「すでに奴らの居所も突き止めてある。後は計画を実行に移すだけだ。そのためにも
お前たちには一働きしてもらわねばならないが・・・やってくれるな?」

「もちろんでさぁ。」

 返事をした男たちの顔にはもう驚愕の色はない。あるのは復讐に燃える憎悪と狂気
に満ちた正義の炎だけだった。

「全ては我等の崇高なる理想のために、ヴァレリアの永劫の平和のために・・・・」

 総帥の冷ややかな宣言が呪文のように地下室にこだました。

 カーン、カーン・・・・

 いつものように授業終了の鐘がハイムの街に響く。

「さて・・・と。」

 トントンと机で本を整えるとバイアンはまっすぐ帰路についた。事件のあったあの
日以来ずっとそうしているのだが一週間が過ぎた今日もバクラム選民同盟は何の動き
も見せないでいた。逆に言えばそれがかえって不気味でもあった。

(俺たちが安心しきった所を狙うつもりなのか、はたまた警戒で疲弊した所を攻めて
来るのか・・・・)

 相手の裏をかいてしばらくは何の警戒もせずに生活しようかとも考えたがそんな危
険な賭けに乗れるほど確実なわけではないために思いとどまった。

(しかしだ、今それ以上に問題なのは・・・)

 家の前についたバイアンは大きく深呼吸すると玄関の扉に手をかけた。

「ただいま。」

 できるだけ平静を装って入った彼を待っていたのは、いつもの冷たい視線だった。

(やっぱりな・・・)

 いつもと変わらぬその態度に少しがっかりしたが彼はそれを悟られないよう振る舞
いながら家に入った。

 一方、視線の主であるアリシアは入ってきたのがバイアンであると確認すると、何
事もなかったかのように読みかけていた本にまた目を落とした。

「少し歩けるようになったようだね。」

 いつもは隣の寝室にいるアリシアが今日は居間にいるのを見てバイアンはそう推理
した。

「でもまだ治りかけなんだから無理しないようにしなよ。」

「それぐらいわかってるわ。」

 こちらを向くこともなくアリシアは冷たく即答した。

 それで会話は終了した。ここへ来てからというもの、彼女はいつもだいたいこんな
風に素っ気無い態度を取っている。無視されることもあることを考えれば返事をして
くれただけ良かったと言えた。

「へぇ、魔術書を読んでるんだ。わからないとこがあったら教えてあげるけど?」

 再びバイアンが話題をふる。

「心配いらないわ。」

「・・・・・・そう。」

 会話終了。バイアンが一生懸命探し出してきた話題のほとんどがこうして毎日消え
てゆくのである。

 沈黙はその後夕食まで続いた。

「はぁ・・・。」

 夕食が終わるとバイアンは大きなため息をついた。が、目の前にアリシアが座って
いるのを思い出すと慌てて口を押さえた。

「無理をしないで私を見捨てたらどう?」

 葡萄酒の杯を静かに置くとアリシアは相変わらずこちらに目を向けることなく落ち
着いた口調で言った。

 やはり知っていたのか、観念したようにバイアンは今度は隠すことなくため息をつ
いた。

 事件があって以来、選民同盟の奇襲に備えるためバイアンは夜もろくに眠っていな
い。それに加えてアリシアへの接し方にも気を使っているため気の休まるときがほと
んどないのだ。アリシアの言う通り、彼女が出て行ってくれれば少しは楽になるかも
知れないがバイアンは彼女を助けるためにこの危険な戦いに身を投じたのだからそん
なことはできるはずはない。むしろ彼女のほうからいなくなるのを恐れていたからこ
そどんなに辛くとも平気を装っていたのだ。

「どのみち俺は彼らの目標のうちの一人だよ。君と別れたからどうということはない
さ。」

「それでも私という負担は減ると思うけど?」

「・・・・何でもお見通しってワケか。本当に賢い子だよ、君は。」

 バイアンはもう一度ため息をつくと杯を口に運んだ。一緒に生活していてわかった
ことだが彼女はかなりの切れ者である。アカデミーを故意に落とされたというのは案
外本当かも知れない。ただ、アカデミーの試験は教養を重視して作成しているため一
概にそうとは言えないが。

 それと、これも一緒に暮らしてわかったことだが彼女はかなり気が強い。「助け
て」と懇願してきた初対面の時とはだいぶ印象が違ってはじめのうちは困惑したもの
だ。一度そのことを彼女に言ってみたことがある。だがその答えを聞くと彼はそれ以
上言葉を続けられなくなった。

「あれは助けを請うときの演技よ。そうでもしないと生きてゆけない世界だったも
の・・・。」

 彼女はバイアンにとって今までに見たことのないタイプの女性だった。それだけに
受ける刺激も新鮮なものばかりだった。

「とにかくあいつらは俺のほうで何とかするから勝手にいなくなったりしないでくれ
よ。」

 とりあえず釘をさすように言ってみたが予想通り返事はなく、彼女は黙って席を立
とうとした。

「寝室に戻るのかい?なら肩を貸すよ。」

「他人(ひと)の力は借りないわ。あの時からそうしてきたもの。そしてこれから
も・・・・」

 きっとした表情でそう言うと足の痛みをこらえながら彼女は歩いていった。

 扉が閉められて彼女の姿が見えなくなるとバイアンは最近彼の寝床となっている長
椅子に身を横たえた。

(バクラム選民同盟を何とかしたとしてそれで本当に解決なんだろうか?それであの
娘は幸せに、また人を信じられるようになるのだろうか?)

 バイアンは今まで誰もこの島を統一できなかった理由にはじめて気付いた。彼の想
像以上にこの民族意識というものは根付いているのだ。それを完全に絶つのは並大抵
のことではないだろう。

 彼女といると色々と考えさせられる。だからこそ危険に晒されてまでそばに置こう
とするのかも知れない。だがその他にも自分の気付いていない何かがあるような気が
する。

(そういえばアリシアにおやすみを言うのを忘れたな)

 そのことを少し後悔しながらランプの火を消すと彼はいつものように浅い眠りに
入った。

「・・・・アン、起きろってバイアン!」

「!!」

「うおっ、びっくりしたぁ。」

 反射的に飛び起きたバイアンの目の前には驚いてマヌケなポーズをとったジェリド
がいた。いつもの癖で寝ているところを起こされて過剰に反応してしまったらしい。

 状況を確認しようとあたりを見回す。そこはよく知ったアカデミーの教室だった。
どうやら授業中に眠ってしまったらしい。さらに教室には自分とジェリドの姿しか見
当たらない点から授業終了からかなり経っていることが伺える。終業の鐘に気付かな
いほど熟睡していたようだ。おかげで頭はかなりすっきりとしている。

「脅かすなよまったく。」

「ああ、ジェリドか。悪いな。」

 ようやく状況がつかめて安心したバイアンは伸びをしながら答えた。

「で、俺に何か用なのか?」

「おお、そうだった。頼まれてた選民主義対策チームのリーダーとの話し合いの件だ
けどよ、OKが出たぜ。」

「本当か、さすがは名家の子息!」

「よせよ、次男坊だからそんなこと関係なくなるさ、でなきゃ今ごろ俺は魔術師じゃ
なくて騎士を目指してただろうからな。」

 いつもはお気楽なジェリドがこのときばかりは少し寂しそうな笑いを浮かべた。こ
のことは彼なりに少し気にしているようだ。

「で、いつに決まったんだ?」

 その話題から離れるために話をすすめる。

「ん、ああ、今日ならいつでもいいそうだからお前の空いてる時間に行けよ。王城に
行って『ファルクス隊長と約束がある』って言えばわかるはずさ。」

「ファルクス・・・聞いたことのない騎士だな。」

 聞きなれない名前にバイアンは顔をしかめる。無名の男を指揮官にするほど国がこ
の問題に対して甘く考えているのではと疑ったためだ。

「そりゃそうだ、一昨年前に士官学校を出たばっかの新人らしいからな。しかもレン
デ家っていう無名男爵の家柄だから知らなくても当然さ。もっとも士官学校を首席で
出たらしいから能力は高いらしいけどな。」

「ほう、でもそれだけでそんな大任を任せられるなんて異例なんじゃないか?」

「異例も異例さ。裏ではかなりもめてたらしいからな。でも『民族問題は感情の根付
きの浅い若者こそ適任であろう』っていう覇王様の意向で決まったらしいぜ。さすが
は我等の覇王様だよな。」

「感情の根付きの浅い若者・・・か。なるほどな。」

 その考えに納得したようにバイアンは一人うなずいた。

「しかしどうしたんだ、急に選民同盟のことなんか調べて。」

「いや、ちょっとね。」

 はぐらかすように曖昧に答える。どこからバクラム選民同盟に情報が漏れるかわか
らないためアリシアのことは親友とはいえ内密にしているのだ。だが・・・

「最近授業が終わるとすぐ帰っちまうし、そわそわしてるし・・・・・まさか家に女
を連れ込んでるって噂は本当なのか?」

 ジェリドのその一言にバイアンは凍りついた。

「どうしてそれを!?」

 バイアンはあせっていた。発見が少しでも遅れるようにとアリシアを一人にする危
険を冒してまで普段どおりアカデミーに出ていたのだ。それがアカデミーから、しか
も自分の知らないうちに流れていたとは思いもよらなかったのだ。

「ぬぅあ〜にぃ〜!ということは本当なのくぁ〜!!許さん、どんな娘だ言え
〜!!!」

「悪い、急用ができた。またな。」

 本当に急がねばならない、バイアンは走り出した。その後ろではジェリドが意味不
明な怒りをあらわにしている。

「貴様ぁ〜、この裏切り者めぇ〜!こうなったらお前の家まで確認しにいくからなぁ
〜!」

 ハイム城についたバイアンは思ったよりもすんなりとファルクスに会うことができ
た。それだけジェリドのほうで通してもらった話が良かったのだろう。

「私がファルクス=ラダ=レンデだ。選民同盟対策部隊の隊長をしている。まあかけ
たまえ。」

 ファルクスは聞いていたとおりバイアンとそう変わらないほどの若者だった。た
だ、若くとも資質のありそうな立派な風格を備えていることはバイアンの目で見ても
よくわかった。

「はじめまして、バイアン=ローゼンオーンと申します。早速ですが・・・」

 バイアンはアリシアのことを、自分に起こった出来事を話し始めた。正直、正規軍
が動いてくれるかどうかは自信がなかった。選民同盟が自分たちを狙っているという
確実な証拠がないためだ。

「なるほど・・・・」

 話を聞いたファルクスは腕組みをしてうなった。

「残党についてはこちらでも確認をしている。現在は奴等のアジトを全力で捜索して
いるところだ。そのために君たちの方にまで兵を割けないというのが現状だ。」

 その言葉にバイアンはうなだれた。彼らの助力があればこちらのふたんがかなり軽
くなったはずだからだ。

「だが・・・」

 ファルクスは言葉を続けた。

「数日後には増員が配属される予定になっているからそちらから数名を君たちの護衛
にでもあたらせよう。捜索人数が減るが何の手がかりのない今、そちらに回したほう
が何かつかめるやも知れんからな。」

「本当ですか!」

 その言葉に弾かれたようにバイアンが明るくなる。

「ああ本当だ。ただし、それまでは君の力だけで何とかしてくれ。もちろん何かあっ
た時にはこちらも力を貸すから何でも言ってきてくれて構わない。」

「ありがとうございます。」

 バイアンは深々と頭を下げた。かなり低くまで頭を下げたのだがそれでもこの恩に
は足りない気さえした。

 これで勝機が見えた、未来へ向けて明るい光が差し込んだように彼には思えた。

「では早速だがこれから詳しい打ち合わせをしたいんだが・・・いいかな。」

「はい、よろしくお願いします。」

 打ち合わせを終えて王城を出たころにはすでに日は暮れ、街には明かりがともされ
ていた。

 これだけ多くの人が、いや国がアリシアのために動いてくれるのだ、これで彼女も
少しは人を信じてくれるようになるに違いない。そう考えただけでバイアンの胸は踊
り、意味もなく寄り道して果物などを買ってしまった。

「ただいま。」

 今日ばかりは高鳴る気持ちのおかげで何も装わずに玄関をくぐることができた。し
かしそこにいつもの冷たい視線は待ってはいなかった。

 寝室かと思いのぞいてみたがここにもアリシアの姿はなかった。風呂や厠など家中
を探したがどこにも彼女の姿はなかった。

 もしや・・・バイアンは急に背筋が冷たくなるのを感じた。最悪の思いが頭をよぎ
る。

 なぜ今まであんなにも平然としていたんだろう、なぜ急いでもどらなかったのだろ
う、彼は今までうかれていた自分自身に毒づいた。

 そして彼は発見した。殴り書きされた宣戦布告上を。

「今夜ギルド街郊外の砂漠にて待つ。御自身一人で参られたし。尚、この約束が違わ
れし時は女の命をもって償われる。バクラム選民同盟」

 バイアンはそれを机の上に叩きつけると本棚へ向かった。そして棚の隙間に手を入
れる。堅い感触を確認すると彼はそれを取り出した。

 シプレの杖、魔術師が一般的に使っている杖だ。もちろん学生である彼はまだそれ
を持つことさえ許されていない。だがたいていの生徒は見栄などから隠れて所持して
いる場合が多い。彼の場合もそうだった。だがまさか実践で使うことになるとは微塵
にも考えてはいなかっただろう。

 杖を手にとるとバイアンは閉じまりなどもせずに家を飛び出した。他の事には目も
くれずにただひたすらに急ぐことだけを考えた。

 そのため遠くからその姿を凝視する人影があることに彼は気付くことはなかった。

続く

 

 

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