ヴァレリア島戦記

〜灰色の魔導師4〜

 
 



 バイアンの下宿は学生街の外れにある。彼は他の学生たちのように学生街の中心に
ある寮には入らず、ここからアカデミーに通っているのだ。

 ハイムでは家柄のよいものは自宅から、それ以外は寮から通うという習慣がある。
そのため彼は寮に入らないことを咎められることがあるが、そんな時には決まって

「そんなことがどこに明文化されている?」といって一蹴するのだった。

 それに『家柄のよい』とは言うものの、実際はたかの知れた程度の家ばかりなので
ある。『超』のつく一流の銘家ならば、学校などには行かせずに個人的に高名な師を
招き、専属の家庭教師とするからである。言わばこの習慣は宮廷などでは威張ること
のできない中、小貴族たちの虚栄心を満たすためだけの習慣なのだ。そんなものに従
おうという気は到底彼には起きなかったのだ。

 それに彼自身も決して悪い家柄というわけでもない。

 ローゼンオーン家はフィダック城周辺の村々を代々統括する元締め的存在だった。
統一戦争の折にドルガルア王を支持してその傘下に入り、王の命でフィダック周辺の
村々を統括する正式な貴族として任命されたのだ。そのためローゼンオーン家の長男
である彼は下級とはいえれっきとした貴族なのである。

 その後、ローゼンオーン家は激しくなった戦火を逃れるために一時的にハイムに移
り住んだ。平和が戻った現在はアカデミーへ通っていたバイアン以外は故郷へと帰郷
し、領主の職を全うしている。彼の今住んでいる家はそのとき家族で住んでいた家
で、彼が寮に行かないのは今の家がそういった思い出の場所であるからかもしれな
い。

「ふう・・・・」

 床や椅子など、所構わず散乱していた本を棚や机の上にきれいに片付けるとバイア
ンは一息ついて様変わりした自分の部屋を見回した。

 読み散らかした本で乱れていた部屋は完全にとは言えないが片付けられて本来の部
屋の広さに戻っていた。先に片付けた寝室とあわせて二部屋をここまで散らかした自
分とこの短時間にそれを片付けた自分の(色々な意味での)凄さに気づいた。そして
改めて部屋の広さを感じていた。

(・・・・そうだよな、昔は家族全員で住んでたんだもんな)

 昔のことを思い出しつつ、これなら客人の一人や二人は大丈夫だろうと考えている
彼の耳にぱたん、と小さく扉の閉まる音が届いたのはちょうどそのときだった。扉の
ほうに首を向けると一人の娘が扉の前に無言で立ち尽くしている。

「お湯加減はどうだった?」

 できるだけ愛想よくたずねると右手で椅子に座るようすすめる。娘は無言でそれに
従った。

 娘が椅子に腰をおろすとバイアンはあらかじめ机の上に用意しておいた小ビンを手
にとり、彼女の前まで進み出た。

「足、見せてごらん。」

 その言葉と行動に娘は一瞬身を引いた。

「別に変な意味で言ったんじゃないよ。・・・・足、怪我してるんだろ?」

 そう言うなり彼はしゃがみこんで娘の足首をやさしくつかんだ。あっ、と娘が小さ
く悲鳴をあげる。

 彼の予想通り彼女の足は豆がつぶれ、ひどいところでは皮が捲れあがっていた。彼
は小ビンのふたを開けると、中の薬をやさしくぬってやった。

「魔術師は魔法だけじゃなく薬とかの勉強もしててね。この薬も俺がキュアリーフな
んかを調合して作ったんだ。・・・ああ、効果は近所の人が売ってくれって言うくら
いだから安心していいよ。」

 魔術師辞めて薬師になろうかと思ったくらいさ、と笑いながら付け加えたが娘は相
変わらず無言でそれに答えた。

(こりゃかなり警戒されてるな・・・)

 彼女の足に包帯を巻きながらバイアンはそう感じたが、まあいいかと思い直すと薬
のビンを棚に戻し、彼女と向き合うように椅子に座った。

「そういえば自己紹介がまだだったね。俺の名はバイアン。バイアン=ローゼンオー
ン。もう知ってるとは思うけど魔術師なんだ・・・とは言ってもまだ杖も与えられて
ない半人前のアカデミー生だけどね。」

「アカデミー・・・・」

 バイアンの言葉を娘はつぶやくように小声で繰り返した。

 妙なところに注目したな、と思いつつ彼は彼女の言葉を待った。しばらくの沈黙の
後にようやく娘が口を開いた。

「私はアリシア。コリタニから来たガルガスタン人よ。」

 バイアンはアリシアと名乗った娘をまじまじと眺めた。昼間に見たときにも美人で
あるとは思ったが風呂に入って汚れを落とした今はそれに輪をかけて美しく見える。
背中までまっすぐに伸びた黒髪はまだしっとりと濡れていてその美しさをさらに引き
立てている。意志の強そうな目、眉は凛とした美を生み出し、彼の貸したローブの描
く身体の線は見事な彫刻のように優美な曲線を作り出している。娘特有の健康的な美
しさがそこから感じられた。

「へえ、コリタニかぁ。あの辺はたしか・・・」

 バイアンは自分の知る限りのことを聞いたり話したりしてみた。もちろん彼女のこ
とばかりでなく自分のことも話して聞かせた。しかしアリシアはそんな彼の話にはほ
とんど何も答えなかった。かわりに彼の行動一つ一つを一瞬たりとも見逃すまいと視
線を向けている。

「なぜ聞かないの・・・」

 ずっと黙りつづけていたアリシアが突然口を開いた。

「なぜ私が追われていたのかとか、あいつらは何者だったのかとか・・・」

「・・・・聞かれたくないんじゃないかと思ってね。いわくあり気だったから。」

 しばらく間をあけてからバイアンは答えた。実際彼はその話題に触れないように気
をつけていたのだが、まさか向こうからそれを指摘されるとは思っても見なかった。

「あらやさしいのね、バクラム人のくせに。・・・いいわ、教えてあげる。助けられ
たのに黙ってばかりじゃガルガスタンの常識を疑われるものね。」

 そう言うとアリシアは語りだした。

 彼女の話は大体こうだ。

 彼女はセイレーンになるために王都ハイムにやってきたのだそうだ。コリタニから
ハイムまで、路銀だけでもかなりの額になるが彼女の親は無理をして彼女をハイムに
出してくれた。そんな思いをしてまでハイムにやってきたのだが彼女は試験落ちてし
まい、アカデミーに入ることができなかった。無理をさせた親のためにもこのまま帰
るわけにはいかず、彼女はハイムに残り、働きながら勉強を続けることにした。よそ
者には冷たいハイムで仕事を見つけるのは大変だったがなんとか見つけることがで
き、そこで彼女は新しい生活をはじめた。だがある日、仕事先の主人から突然の解雇
を言い渡された。何でも理由はいえないそうだがそうしなければ命が危ないのだそう
だ。再度職を探してみたが今度はひとつも見つからなかった。そして生きるために仕
方なく彼女は盗みを働いてしまうのだが、そのために彼女はハイムの盗賊ギルドから
追われることになってしまった。盗みをして盗賊に追われるとはおかしな話に聞こえ
るかもしれないが盗賊内には「その土地のギルドに入らなければその土地で盗みをし
てはならない」という不文律があるのだそうだ。そしてギルドはアリシアへの罰とし
て彼女を『バクラム選民同盟』へ売り渡すことにした。バクラム選民同盟とはヴァレ
リアからウォルスタ、ガルガスタン両民族を排斥し、バクラム人のみの国家を築こう
としているバクラム選民主義者の過激派組織である。

「じゃあ昼間君を追っていたのはバクラム選民同盟の奴らってことか。」

 どうりでドルガルア王の悪口を言ってたわけだ、と昼間の男たちの行動にバイアン
は一人納得した。

「そう、そして後で知ったことなんだけど私の仕事先の主人に圧力をかけて私を辞め
させたのも奴らの仕業よ。」

 そう言ってバイアンの方をちらりと見た。誰であろうと彼女を手助けする人間には
害が及ぶ、と言いたいのだろう。

「だけどバクラム選民同盟は主だった指導者が捕まってほぼ壊滅したって聞いたけ
ど・・・」

「数人の幹部が逃れていたのよ。そしてまた秘密裏に組織を復活させたの。」

「残党か・・・」

 バイアンはため息をついた。別に自分がそんな危ない組織に狙われるかも知れない
からではない。どうして彼女があんなに自分を警戒していたかがわかった気がしたか
らだ。話しはしないがもっと辛い目に彼女は合っているのだろう。

「やっぱり助けたことを後悔してるのね。」

 険しい表情になったバイアンを見てアリシアがぽつりと言う。

「そんなことはない・・・と言えば嘘になるだろうね。やっぱ少しはね。でもそれ以
上にもっと君をほっておけなくなったよ。」

 そう言って彼はまっすぐにアリシアを見つめた。

「な、何を言っているの、殺されるかも知れないのよ?」

「君を助けた時点で俺も標的の一人になったさ。あんだけやって見逃してくれるとは
思えないからね。それに彼らの愚行を止めなきゃいけないしね。彼らみたいなのがバ
クラム人だと思われたくないし。」

 驚いて早口になるアリシアとは対照的にバイアンは落ち着いた口調でゆっくりと答
えた。

「さて、今日はもう遅いし休もうか。」

「本当にわかってるの?あなたの命に関わる・・・ってち、ちょっと何するのよこの
H!」

 バイアンは椅子に座ったアリシアを抱きかかえると隣の部屋へと歩き出した。突然
の行動に彼女はじたばたと彼の腕の中で暴れた。

「いででで・・・何もしやしないよ。君を寝台に運ぶだけさ。その足じゃ歩かせるわ
けにはいかないだろ。君を置いたら出て行くって。心配なら鍵かけておきなよ。いだ
だだ・・・」

 そう説明しても彼女の攻撃は彼女を下ろすまで続いた。

「バカ、H、変態!」

「あいたたた・・・まあそれだけ元気なら傷の治りも早いだろう。じゃおやすみ。」

 フッと明かりの火を消すと彼は部屋を出た。

「待って!」

 その言葉で閉まりかけていた扉が止まり、その隙間からバイアンがこちらを振り
返った。

「何か?」

「あ、えっとその・・・そういえば今日助けてもらったお礼を言ってなかったな、と
思って・・・・・・ありがとう。」

 少しためらいながらも彼女はそうお礼の言葉を述べた。

「どういたしまして。」

 こちらからは逆光になって表情は見えなかったが、彼女にはその顔に穏やかな笑み
を浮かべていたように見えた。

「・・・・それじゃ今度こそおやすみ。」

 ぱたんという小さな音とともに扉が閉まると部屋は真っ暗になった。

(バイアンか、おかしな人ね)

 考えたいことは色々とあったが昼間の疲れからか緊張の糸がとけたためか、彼女は
目を閉じるとすぐに寝息を立て深い眠りに落ちていった。

 一方、部屋を出たバイアンは昨日まで本が寝そべっていた長椅子に身を投げだし
た。

(こりゃかなり上級の神様にあたっちまったな)

 彼は天井を見上げながら触ってしまった神のたたりの大きさに改めて驚いた。

(実は本当にイシュタルだったりしてな・・・)

 そんなことを考えたような気がしたが次の瞬間に彼は睡魔に襲われ、ランプの火を
消すことも忘れて眠りに落ちていた。

 続く

 

 

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