ヴァレリア島という島がある。厳密に言えばひとつの島ではなく、いくつかの島か
らなる諸島なのだが、島の者はみなひとつの島のように考えている。
この島は長きにわたり群雄が乱立し、戦乱の中にあった。だが数年前、ドルガルア
という一人の男によってようやくこの島は統一された。彼はこの島に住む三民族、バ
クラム、ガルガスタン、ウォルスタの全てを平等に扱う「民族融和」を掲げ、統治を
した。この政策によって長きに渡った争いに終止符が打たれるかと思われ
た・・・・。
カーンカーン・・・・
授業終了の鐘がハイムの街に響いた。熾烈を極めた統一戦争終結からはや十数年、
ここ王都ハイムはその悲惨な戦争の影は微塵も感じさせないほどにまで立ち直ってお
り穏やかに、そして平和に時が流れていた。
バイアンはその鐘の音を聞きながら大きなあくびをした。彼にとってはここヴァレ
リア魔法アカデミーでの普通の講義は退屈で仕方ないものなのだ。
ヴァレリア魔法アカデミーとは王都ハイムに建設された国の魔導師養成学校で、こ
のほかにもバナヘウム士官アカデミーなど教育に力を入れるドルガルア王が建てた数
多くの学校がこの王都ハイムには存在する。
「よお、バイアン。眠そうだな。」
ふと顔を上げるといつの間にやら級友のジェリドが目の前に立っていた。
「教師が教科書を読み上げるだけのくだらない講義だ、眠くなって当然さ。文字を知
らない子供じゃあるまいし、これくらいなら自分で読んでも学べる。」
「うひょう、やっぱ成績トップ3に入る奴ぁ言うことが違うねぇ。」
ジェリドが茶化すように口笛を吹いた。
「そういうと聞こえはいいが実際はトップになれない、ただのしがない男だよ俺は。
そんなたいした奴じゃないさ。」
「実技じゃあナンバーワンだろ。ったく、なんで理論とかはまじめにやらないんだ
よ。やれば絶対主席になれるのに。」
残念そうにジェリドが言った。彼の言う通り、バイアンはアカデミーで、実技だけ
なら並ぶ者がいないほどにずば抜けた実力を持っている。しかし理論その他のペー
パーテストものは不出来で(とは言っても普通以上はできているのだが)故に主席を
取れないでいる。しかも実力で取れないのなら仕方ないが要は暗記物のテストであ
る。努力すれば誰でも取れるはずの教科でバイアンが点を取れていないとなると、も
うこれは手を抜いているとしか思えない。実際、そういった教科をまじめに受けてい
るバイアンを彼は見たことがなかった。
「知りたいか?」
席から立ち上がったバイアンはジェリドの方をふり向いて聞いた。
「ああ。」
興味津々と言った感じでジェリドが答える
「じゃあお前はどうしてまじめにやらないんだ?」
「あ?」
「理論とかだよ、お前も実技は張り切ってやってるくせにそっちはまじめに受けてな
いだろ。」
「お、俺か・・・」
逆に聞き返されるとは思っても見なかったので彼は答えるまでに少し手間取った。
「そ、そうだな・・・なんていうか・・・理論ってつまんないだろ、なんか小難しい
話ばっかでさ。暗記ものだし。その点、実技は魔法ぶっ放せるからスカッとするし、
何より魔法使いになった・・・っていう気がするだろ?そんなとこかな。」
魔法使いになる、それは魔法アカデミーに入る者なら誰もが夢見ていたことであろ
う。しかしそんな憧れを実際に口に出してみるとはずかしいものである。彼もそうら
しく、最後のほうは照れて小声になっていた。
「で、お前はどうなんだよ。俺はもう言ったからな。」
そのはずかしさを隠すようにジェリドはぶっきらぼうに言った。
「俺もお前と同じさ。」
あまりにさらりと言われたので彼は思わず「え?」と聞き返してしまった。
「お前と同じ理由だって言ったのさ。成績がいいから天才だとか秀才だとか言われる
けど、そういわれる奴だってお前たちと同じ人間だから思うことは一緒。そう変わる
もんじゃないさ。つまらないものはやりたくないし魔法使ってる時のほうが夢をかな
えたっていう実感が沸くし。優等生だからってそんなバケモノみたいに差別して考え
るなよ。」
バイアンが冗談交じりに言ったその言葉を聞いたとき、ジェリドははっとなった。
彼は勉強もできるし実力もあるから自分とは違う世界の人間なんだ、その思いがいつ
しか無意識にバイアンとの間に引かれていたことに彼は今更ながらに気づかされたの
だ。だがその線は今の言葉で取り払われたような気がした。現にジェリドはバイアン
のことを今まで以上に親しく感じていた。
「しかしなぁ〜」
急にバイアンの顔がにやにやと意地悪そうに変わった。
「な、なんだ。その何か言いたそうな目は。」
「いや、おまえの言う魔法使いってのはこの前の実技の時みたいにタバコにもつきそ
うにない火を出したり、その失敗で慌てて出した次の火が師のひげを焦がしたりする
奴のことなのかなとおもってね。」
前言撤回。ジェリドの頭にその言葉が浮かぶと同時に彼とバイアンの間にまた見え
ない線が引かれた。
「てめえ〜、人が忘れようとしていた過去の汚点を〜!!」
「じ、冗談だって。そ、そうだ俺これから用事があったんだ、それじゃあな。」
オウガのごとき形相で迫る級友を見て身の危険を感じたバイアンはウィザードとは
思えないほどのスピードで逃げ出した。
「待ちやがれ〜!!!」
その後をジェリドが、やはりウィザードとは思えないものすごい速さで追った。多
分今この二人のステータス画面を見ることができたら鈍歩から軽歩に変わっているだ
ろう。
二人の軽歩のウィザードは教室を飛び出し廊下を走り抜ける。あまりのスピードに
周りの級友も止められない。彼らにできることはものすごいスピードで過ぎ去ってい
く二人をただ呆然と見送ることだけだ。過ぎ去った嵐の後で一人がポツリと呟いた。
「あいつらいつの間にニンジャにクラスチェンジしたんだ?」
「はあはあ・・・ここまで・・・来れば・・・はぁ・・・大丈夫・・・だろう。」
アカデミーを出て王都ハイムの街中まで続いていた二人の追いかけっこにもようや
く終止符が打たれた。
「はあはあ・・・ったくジェリドのやつ・・・ところでここはどこだ?」
汗をぬぐいながら一息ついて回りを見回したバイアンはその景色があまり見慣れな
いところであることに気づいた。闇雲に逃げ回っている間に道に迷ってしまったよう
だ。
そこはまだ昼間であるにもかかわらず静かで人気がなく、古臭い建物だらけでどこ
か暗く湿った感じのする町並みが続いていた。長年ハイムに住んでいるバイアンでは
あるが、こんなところは全く見たことがない。
(こりゃギルド街に入ったかな?)
ハイムは王城を中心に円形に広がる都市で、ギルド街とはその北東部の街のことを
指す。ここは昔から盗賊ギルドなどの裏組織があることで知られる場所で治安も悪
く、ハイムに住む人ならここには踏み入ってはいけないと小さい頃から教えられる場
所である。ちなみに王城周辺は位の高い貴族などが住んでおり、商店街は南西部、北
西部に学校街、その他の所にバイアンたちのような中流階級と下流階級がごっちゃに
住んでいる。
バイアンはもう一度辺りを見回した。通りには誰もいない。静かに立ち並ぶ家々以
外何もない。物音一つしない。バイアンが一人立っている、ただそれだけだ。それな
のに辺りには暗く陰険な雰囲気が漂っている。まるでこの街自体に犯罪の臭いが染み
付いているように感じられた。
そんな空気の中、彼は自慢の、よく切れる頭で冷静に考えた。
(いくら危険地域といってもここは覇王のお膝元、ましてまだ明るいんだからマズい
ことしなきゃ危険なことは起こるまい。だけどここからはとっとと出たほうがよさそ
うだな)
触らぬ神に祟り無し、そう思ったバイアンはその場から去ろうと一歩踏み出した。
ガシャーン!
彼が一歩目を踏み出したちょうどその瞬間に何かが割れる音がした。そしてバイア
ンの左手側の家のドアが勢いよく開き、中から一人の女が飛び出してきた。
「え?」
「あっ」
ドッシーーン!!と二人は避けるまもなくぶつかってしまった。
「いててて・・・・」
突然起こった事の事態をつかもうと、ぶつかったところをさすりながら彼はぶつ
かってきた女を見た。
まず目についたのは目鼻などではなく服装だった。あちこちが傷んでおり繕った後
がいくつも見られた。洗濯もあまりしていないようで元の色がわからないほど汚れて
いる。ハイムの一番貧しい階級の人たちですらここまでひどいものを着ている人はい
ない。
しかし顔はその格好とは裏腹に非常に整っていた。髪はバサバサで手入れをされて
おらず、顔も薄汚れてはいたが、それでもその下に隠された美しさを完全に失わせる
ことはできなかった。その美しさはその顔を見た彼が一瞬、光の女神イシュタルが降
りてきたのかと錯覚したほどだった。
ぶつかってきた女はバイアンより先に立ち上がった。
「ごめんなさい。急いでたから・・・あっ。」
そこまで言うと彼女の顔色がサァーっと青くなった。
振り向いてみるとそこにはいつの間にかガラの悪い輩が数人、道をふさぐように立
ちはだかっていた。いずれも手には武器を握っている。
女は逆方向へ逃げようとしたが一歩目で立ち止まった。その少し先に壁が見えたか
らだ。つまりその先は行き止まりなのだ。
「さあ、もう逃げられねぇぜ。」
丸々と太った男が棍棒のようなものをちらつかせながらいやらしい笑みを浮かべな
がら言った。
「さあ、たっぷりとかわいがってやるぜ。」
長身の男もやはり卑猥な笑みを浮かべながら一歩踏み出す。
この展開はまさか・・・・突然のことで事の把握は十分にできていないが、このあ
まりにできすぎた展開にバイアンはある悪い予感がしていた。そしてその予感はやは
り現実のものとなった。
「お願いです、助けてください!」
一字一句違わずに彼の予想は的中した。
しかしうれしくも何ともない。それはそうだろう、最悪の結果が当たったのだか
ら。
どうする、突然のことで多少混乱していたがそれでも彼は冷静に考えた。
逃げるか、一瞬彼の脳裏にそんな言葉がよぎる。だが正義感の強い彼にそんなこと
はできるはずもなかった。彼は短時間のうちに色々と考えをめぐらせた。だがどの考
えも結局、たどり着くところは同じだった。
「助けてください。」
もう一度、女が懇願した。
「わかったよ。」
それが彼の答えだった。ぼやくように言いながら立ち上がるとバイアンは男たちの
ほうに向き直った。
「なんだてめえは?ぶっ殺されてーのか?」
「かんけーねー奴ぁすっこんでな!」
男たちからヤジが飛ぶ。
「ったく、えらく綺麗な女神様にぶつかったもんだから特大の祟りまでついて来ち
まったぜ。」
「え?」
この出会いが彼の人生を大きく変えることになるとはこのとき彼は微塵も気づいて
はいなかった。
続く