>1:イラクは査察を受け入れたにも関わらず、全部の兵器を破棄していないなどの理由で行動に移った(イラクも危険な国だが、それ以外にもイラク周辺に危険な国が多々あり、かつアメリカから攻撃されるかも知れないなどが現状で、兵器の破棄なんて出来る訳が無い!!) ハイムライムさんのこの意見に、私もそう思います。 武器を保有する国から国を守る手段として、武器の保有は一つの権利だと考えています。 私は平和主義で、体裁を繕うわけでなく、言葉通り平和を望んでいます。 しかしながら(せっかくオウガサイトですから、レオナールの台詞でも使っちゃおうかな)、 人が人である限り、争い、つまり戦争はなくなることがないと思います。 なぜなら、人は、考え、創造し、ある意味の生産が可能だからです。 たとえば世界から武器を全く失くすことができたとして、 そうした時に生まれた争いはどういった形で幕を閉じるのか。 私はこう考えます。 人はそれぞれに能力があり、肉体的な強弱は事実です。 喧嘩がそうであるように、あるいは受験などもそうであるように、 何において争う戦争かは多々るとしても、いきつくところは人の能力です。 長くなりそうなので省きますが、そうしたいわゆる戦争において、勝敗を決める重要な要素は肉体的な能力です。 そうした時、ここでいう弱者として生まれた者が、喧嘩に強い者に勝つためには、 たとえば道に落ちている石を武器とし、彼へ投げるでしょう。 その時強い者も負けまいと同様に石を武器とし、 今度は、弱者は木を加工し、ボウガンといった武器を創り、何とかして戦争に勝とうとします。 先ほど挙げた例にあるように、受験に関して、あるいは他の争いについても同様なことが繰り返されます。 話を戻し、戦争ではそうした繰り返しの結果、いつかは銃が産まれ、 更には核兵器や生物兵器へといきつくでしょう。 人が人としてそうした力を持つ以上、また、そうした物を容易に生産し得る技術を知ってしまった以上、 たとえ平和宣言の下に武器を放棄したとしても、武器や兵器が世界からなくなることはないでしょう。 これは私の考えで、この時期に言うべきことではないのかも知れませんが、 核の抑止論、核まで大きくならずとも(もっともこれも先程述べたように、必ず核兵器は産まれるでしょうが)、武器の抑止論こそ平和を築き得るものだと考えます。 簡単に言えば、世界のどの国も武器を保有し、 「お前が戦争ふっかけようもんなら、俺どころか世界中がお前の敵となって、お前をたたくぞ」 といった考えで、どこかの国が戦争しようという考えを行動に移すことを抑止するというものです。 今よりももっと居心地の悪い世の中でしょうが、 そうした世界的な抑止論こそ、正義だと考えます。 これが叶わない理由は一つ、国の貧富の格差にあります。 これによって発言力の差、つまり大きな戦力を保有する国の発言に対し、 ここでいう貧しい国は、極端な話、武器を持てないためにその発言を受け入れるしかなく、 そうでなくとも今回の戦争のように、傲慢な強国が自身の意思を通すことによってなど、 争いは必ず生じてしまうと考えるのです。 私が思う、そうした抑止論に支えられた正義は、 こうした現実の問題こそ解決できないために、 やはり人が人である限り解決されることはないでしょうし、 そして戦争もなくならないでしょう。 平和を心から望む者として悲しい現実ですが、 これが人なんでしょう。 最後に長くなったこと、また、多くの方が私の考えに反対でしょうが、 そうした方々を不快な気分にさせてしまって申し訳ありませんでした。 しかしながら、形は違っても、私も平和を祈っています。
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