平成7年、ようやく50歳になりました。マラソン人生の折り返し点です。

名前を仲宗根 恵良と申します。 30数年前に、沖縄県立(当時は琉球政府立)宮古高等

学校を卒業し、その後、琉球大学で歴史学を学び、20数年前に高校の教員として、現在、

愛知県の誠信高等学校(全日:定時制併設)で生徒を相手に奮闘しています。

    

   嗚呼、懐かしき我が母校、宮高の校門。  放課後はよく、校門周辺にたむろし、

      松の木の下でアグ宮古の方言で、級友、悪友の意)と語ったもんだ。

 

    

     「三歩下がって、師の影を踏まず」  なぜか、漢文の授業には熱中した。

 

運動嫌いであった私が、なぜマラソンにチャレンジするようになったか?

その理由(わけ)は・・・・・・・・・。

走るよろこびをあなたに伝えたい。

忘れもしない。昭和54年10月10日体育の日、私は初めて走る喜びを覚えた。

小学校、中学校、そして高校と運動嫌いであった私は、ある日突然走り始めた。そのきっ

かけはなんであったか。

昭和54年の10月10日、私は何気なくスナックを食べながらテレビを見ていた。その時で

である。某歌手がCMで「体に、何かいいことしている!?」と、まるで私に向かって問いか

ける如くテレビ画面から怒鳴ってきた。

休みの日と言えば、映画館(洋画上映館)に通ったり、ただテレビを見たり、FM放送(特

に音楽番組大好きで、ビートルズの大ファンであった)を聞いたりしていた私にとっては、

大ショックであった。

今日は体育の日。巷では(我が家の近くには、市民グランドがある。)青空の下、スポーツ

の催しものがあり、スピーカーから賑やかな音楽にのって、市民運動会真っ最中である。

  何か、体中から熱い息吹きを感じた。

「体に、いいことしている!?」 この何気ない某歌手の言葉が、私を奮い立たせた。

「よし!今日から運動するぞ。」 運動、イコール、ジョギングと考え、その日の夕刻、私は

自宅から500メートルほど離れた昭和病院まで走ることにした。

たかが、往復1キロの距離であったが、結構体がきつく、何度も歩きを入れるという最悪

なジョギングの始まりであった。

走り終えたあと、流れる汗を拭きながら、体がしんどい割には、なぜか壮快な気分になっ

た。 運動する喜び、スポーツする歓び、今日のこの日まで、全く運動と縁が無かった私

は、はじめてスポーツで汗をかくよろこびを知った。

  昭和54年、体育の日、私の「快走人生」がここから始まったのである。

奇しくも、次女が生まれた年でもあった。

あれから20年、雨の日も、真冬の雪の日も、体が求める限り、毎日、時には、さぼりも

あるが、コツコツ、コツコツよく飽きもせず走っています。