<データ考察>

古典理論の考察(データとグラフ) 証の出現のデータを考察して(小里方式による)

 我々経絡治療家は主に素難医学に学ぶ訳だが、振り返ってみるとそこに述べられる ことをただ素直に受け止めてしまっている場面も多分にある事に気付かされる事があ る。
元々東洋医学は統計・確率の医学であって西洋医学のように実証主義的ではない。膨 大なる量の人体実験(臨床実践)によって数千年をかけて築かれたいわゆる経験(臨 床の結果を統計しより有効な手段を選択していくという行為)の医学である。だから 弁証法が正しく行われればそれが千数百年前に言及されたことであっても人間の本質 が変わらない限り自ずから出てくる結果は如何なる結果になろうとも概ね正しいはず である。従って東洋医学の学説は我々東洋医学者にとっては西洋医学のようにいちい ち実証していく必要はない。多大な経験の積み重ねから生まれた財産なのである。一 般にこれを統計という概念で捉えることがないので経験医学という認識を持って捉え られている。
しかしながら経験でものを言う時、東洋医学の場合経験で割り出された結果とそれを 統計的に見た結果が凡そ一致しなければならない筈である。ところが私が経絡治療を 学んで20年に近くなって振り返ってみると果たして本当にそうであろうかというこ とに出くわす事もある。それを説くものが名著であったり名人であれば信じるしかな いのかという事である。それはただの主観であり個々の印象であって実際現われてく る数に必ずしも一致していないのではないかという疑問である。これから挙げる臨床 データの分析という行為もそういう疑問から発した作業であった。印象で物言う事の 危険性を知れば知るほど、印象の証明を数を拾って検証してみたいという欲求を捨て 切れなくなった訳である。
 もちろん経験者の印象には是非耳を傾けるべきである。それは充分に解っているつ もりである。しかし初心者にとってそれを鵜呑みにするだけでは向上が望めないのも 事実である。印象は大切であるが一人よがりの思いこみに陥ってはならない。必ず検 証してみるべきである。綱領に謳われている「古典の再検討」である。
このことは東洋医学の診断の多くが主観的観察に依る事からしても充分の注意が必要 である。経絡治療で考えれば脉診はその第一に挙げられよう。いくつかの経絡治療の 会派があり脉診や証の立て方も様々であるが残念ながらそれぞれが我田引水の域を出 ていない。私の知る限りではこの主観的な診察法に如何に客観性を持たせられるかと いうテーマを積極的に取り組んでいるのは東洋はり医学会だけである。いわゆる小里 方式がそれである。東洋はり医学会における小里方式というトレーニングシステムは 主観的な診察法である脉診法に限りなく客観性を持たせる事のできる優秀なシステム である。にもかかわらずその証明を今まで具体化した事がなかった。そこで94年か ら長崎支部では月例の実技研修では小里方式を採りながらカルテデータの収集を続け てきた。小里方式時に立てられた証を拾い出しその出現の分布を考察してみようとい うのである。。これによって考察される古典理論は素問では「金匱真言論(五行)」「六節臓象論(相剋)」「脉要精微論(脉状診と病症)」「平人気象論(脉状診と病症)」「痺論(四季と病症)」「陰陽類論(季節の脉状と病症)」、難経で言えば「第七難(三陰三陽の季節の脉)」「第十五難(四時の旺脉)」「第四十九難(病理(五邪)病因(正経の自病)」「第五十難(病理・病因)」「第五十三難(証の伝変)」「第五十六難(病理(五積・病の伝変))」などが考えられる。

<考察の目的と意義>

「難経十五難(四時の旺脉)」によれば季節によって脉状が「弦、鈎、毛、石」と変 化していくという。これらの脉状はそれぞれ肝の旺気、心の旺気、肺の旺気、腎の旺 気によって現われる。脉状がそのまま証になる訳ではないが、各季節によって証の発 現の傾向にこれらと同じような特徴的な変化が現われるのかということについての考 察を行う。また証の発現の傾向において「相生」「相剋」の関連性を考察してみる。 これらの考察によって「季節の変遷」と「証の変遷」に関連性が認められた場合、臨 床において証決定のひとつの指標となる可能性がある。

<データ収集の条件>

「難経十五難」について考察するならば、本来は「弦、鈎、毛、石」の脉状について 考察すべきところである。しかし、脉状を観察するにあたっては複数の検者を使う場 合、検者の診脉力の習熟度にバラツキがあると目的に適った安定したサンプルが採れ ない可能性が大きい。長崎支部の場合もやはり習熟度にバラツキがあるのは否めない。 更に東洋はり医学会では脉状については「遅数、浮沈、虚実」を六祖脉として診断に 用いるのでこれらの脉状に関してはかなり共通に認識を持っているが他の脉状に関し てはこれらほど共通の認識を得られるとは言えない。従って脉状の変化を捉えてサン プリングすることには多少の無理を感じる。となれば脉状に換えて「難経十五難(四 時の旺脉)」を考察できるサンプルを探す必要がある。可能性として例えば小里方式 によって決定された証をサンプリングしその変遷を考察することによって季節折々の 証出現の特徴を観察することができるかもしれない。もしその特徴が季節の変遷によ っておこった結果であり且つそこに現われてくる証が「五行」の順に変遷する特徴を 持っているとしたら間接的に「難経十五難(四時の旺脉)」を検証したことになるの ではないかと考える。仮に「難経十五難(四時の旺脉)」に応じた結果が出なくても そこに新たな特徴を見出せれば今後の診断においての重要な指針となりうるかもしれ ない。
これらの理由により今回は次の条件でサンプリングを行うこととした。

1. サンプルとする証は長崎支部月例会実技研修小里方式時に立てられた証を本にす る
2. 検者は小里方式の術者(支部員)
3. 被験者は小里方式のモデル患者(支部員)
4. 記録される証は最終的に決定され本治法を施された証とする
5. 誤治の場合は修正した証を採る
6. 毎年1月は会の都合で実技研修がないので値は全て0となっている
7.但し94年10月から12月まではデータが無いので値は全て0となっている

<データの解析の手段>

1. 要素が多い事もあり単純に出現の率を百分率で求めていく方法を採ってみた
2. 各年次の証の出現率を月別と年別で求め表とグラフに示した

<表・グラフの説明>

1. グラフ1〜5 各証の月別の出現率を三次元の棒グラフで表したもの。
2. グラフ6〜10 各本証の月別の出現率を棒グラフで表したもの。
3. グラフ11 94〜98年の本証の出現率を棒グラフで表したもの。
4.グラフ12 94〜98年の脉診によって経に何らかの変動(虚、和、実など)を認めた全ての経の数をその年の症例数で比率を出しその出現の割合全体を百分率に置き換えたもの。
5.グラフ13 94〜98年のそれぞれの年次において、経に何らかの変動があったものでその内本証として取り上げられた経の率。
6.グラフ14 本証の出現率を棒グラフで表したもの。グラフ11と同じデータを経別に表したもの。

<考 察>

1) グラフ1〜5 何れにおいても肺虚本証が一年を通して多く出現することが認められる。ただし副証においては年次によって出現の傾向は異なる。特徴的であるのは98年の副証においては和の証の出現率が多い。

考察1)肺虚本証が高い出現率を示すことが普遍的であるとはサンプリングされた対象を考慮に入れれば言い切れない。つまり被験者が病証の無い健康な者が含まれていると言うこと、また被験者の職業が全て鍼灸師であると言うこと、更に全てが経絡治療家であり年齢性別の差はあるが職場環境が酷似していると言うことを考慮に入れなければならない。職業的に特徴ある証や病症が多いと言うことは経絡治療では印象として今まで多く言われてきたことである。肺虚証の出現の傾向もこれらのこととどう関係しているのかはサンプリングのデザインを変えて比較してみる必要がある。

2) グラフ6〜10 1月、4月、7月、10月のサンプリングは土用にあたる。更に2月3月は春、5月6月は夏、8月9月は秋、11月12月は冬となる。1月はサンプルが無いので4月7月10月の3節について見てみるとグラフ6の7月、グラフ7の4月、グラフ10の4月10月は脾虚本証の出現の率は他の月に比べて多い。
また肺虚本証の場合、肺の母である脾も虚している訳であるからそれを考慮に入れるとグラフ6の4月、グラフ7の10月、グラフ8の4月7月10月、グラフ9の4月、グラフ10の10月は他の月よりも脾の変動を脉診によってみとめた結果である。

考察2)一見土用の時期においては脾の変動を特徴的に認められるようであるが病の伝変をつぶさに考慮すれば凡そ全ての証において何らかの影響を関連付けることは可能であるのでこの結果だけを見て土用の時期に脾の変動が多いとは言いきれないようだ。

3) グラフ11においては一見特徴を認めないようであるが肺虚本証と肝虚本証の和と脾虚本証と腎虚本証の和はどの年次においてもそれぞれ凡そ65%と35%前後でありほぼ同じ比率を示している。

考察3)これも考察1)と同じ事を考慮に入れながら読み取らなければならないが今回の条件下だけで言えば、肺金と肝木の相剋関係、脾土と腎水の相剋関係は他の相剋関係よりも強く影響しあっているのではないかと連想される。

4) 更に特徴的であるのはグラフ12である。脉診によって何らかの変動を認めた率はどの年次においてもほぼ同じ割合を示しているのに本証として捉えられた率はグラフ14を見るとそれぞれの年次によって異なり特徴的な傾向を見出せない。グラフ13では当然のように変動を認めた経のうち本証として取り上げられた率はそれぞれの年次において異なり特徴を見出せない。

考察4)グラフ12とグラフ13を読めば、証決定において脉診以外の要素が大きく関っていることを予感させる。それが具体的には何であるのかを見出すにはその要素となるものが複雑多岐であるのでなかなか考察の難しいところではある。ただ経験を積めば自ずから得てくることであるが、同じような脉証に診えても病症から診断すれば明らかに違う証がたつことは往々にしてあるのでこういう現象は当然の結果かもしれない。この差が何によってもたらされるかを考察するには新たに別のデザインでサンプリングして考察する必要があるだろう。
ただし証決定にまだ自信のない初心者にとってはグラフ12とグラフ13は証決定の指針になりうる。つまり例えば左の関上肝の診どころに変化を認めた場合凡そ60%前後は肝の本証として捉えて差し支えないと言うことになる。また肺脾においては本証として捉えていない時でも副証として捉えるべき症例がかなり多くあると言うことが読み取れる。つまり腎虚本証や肝虚本証の時、副証が肺虚や脾虚であることがかなり多くあると言うことであるから脉診時の指標として意識しておくのは有意義である。しかし相剋を意識しながら脉診するのは常識ではあるのでこういうデータによって確認しなくとも初心者には習慣づけられるべきことではある。

<おわりに>

 良い統計をとると言うことは如何に良いデザインをするかであろう。その観点から言えば今回の統計のデザインは充分とは言えない。しかしその理由はサンプリングの対照集団が我々支部員に限られていると言う限界があったからに他ならないので致し方なかろう。結局、我々の支部会でできる範囲ではこの程度が限度である。
こういう考察は、本来ははっきりした病症を呈している集団いわゆる患者と言う集団をもってデザインすべきである。それにはやはりサンプリングの場を研究会ではなく臨床の現場に求める必要がある。更にサンプリングに関る検者の脉診技術の習熟度や脉診に対して共通する理解が十分になくてはならないだろう。
今後新たにそういう機会があればもっと臨床に直結したデザインで考察してみたいと思っているが、今回の考察自体は古典を再検討する手段としてのケーススタデイとしては充分意義のあるものであったと考えている。
文責:古賀 信一

<補足>

副証出現の割合(1994〜1998)

副証の出現率(1998)
98年の各月の副証の出現率を各本証ごとに棒グラフで表したもの

副証の出現率(1997)
97年の各月の副証の出現率を各本証ごとに棒グラフで表したもの

副証の出現率(1996)
96年の各月の副証の出現率を各本証ごとに棒グラフで表したもの

副証の出現率(1995)
95年の各月の副証の出現率を各本証ごとに棒グラフで表したもの

副証の出現率(1994)
94年の各月の副証の出現率を各本証ごとに棒グラフで表したもの