轟け、雷刃の嶺を越えて

第十一節

    ――― ◇◇◇ ―――

 高度二百四十キロメートルの周回軌道上を進むアスマック戦略航
空宇宙軍の地上監視衛星、MB-17A。
 光学観測を主体とした監視機能はまだ解像度が高くなく、まだま
だ航空機による偵察ミッションが欠かせなかった。
 その為、主任務は変動現象と特異点域の観測に変わっていた。
 しかし、アスタウリ周辺の観測に成功した事例は皆無であり、軌
道通過中は通信途絶状態に陥っていた。
 アスタウリ上空の軌道に接近する最中、漆黒の影に包まれて消息
を絶ってしまった。

◆◆◆◆◆◆◆

「閣下、補足中の目標をロストしました」
 機動母艦内の戦闘ブリッジ内でモニターを注視しながら頷くテネ
フェア。
「目標の予測軌道へ出現の可能性はどのくらいになる?」
「過去一週間の軌道遷移経路からの予測によるとデェナルヴァA群
落下の二時間前で25%、一時間前で65%になり、前方軌道上で
は一時間前で30%、三十分前で75%になります」
 モニター上には口頭で説明されていない被観測目標の光学反射率、
輻射率、レーダーエコーの推測データと観測結果が次々と表示され
ていく。
「統合幕僚本部からの作戦指令に変化はないか?」
 副官のグルディオンに囁くテネフェア。
「はい、『見届けよ』のままです」
「分った。
 全艦、第三種戦闘体制に移行、夜に備えて交替で休息せよ」

◆◆◆◆◆◆◆

 普段から市営団地の周囲は居住者以外の通行は少なく、南に四分
の一陸浬離れた場所に出来た団地との車の流れが増えた位だった。
周囲の畑へはそれぞれ農道を使って農機具やトラックが出入りして
いたのでアオイ家の前の通りは尚更少なくなっていた。
「とても大変な状況とは思えない位、静かになっているわね」
 家の植え込みに散水しながら静か過ぎる事に呆れてしまうヒメ。
「テレビもラジオもニュースばっかりで面白くないしなぁ」
 東側のサクランボの木の下を箒で掃きながら追従するマナ。
 市営団地の北側にある一戸建は内側に閉じた集合住宅的な中庭を
それぞれの家の玄関側にしているので外周部となる家の外側には植
え込みや花壇が設けられていた。各家々によって好みの木々や花を
植えていたので四季折々には彩りが鮮やかだったが、外側になるの
で手入れを行っている時以外は静かなのだった。
「みんな家の中に閉じ篭っちゃったのかなぁ」
 掃き終えたマナが後片付けを始めると「集会所に行ったんじゃな
いの」とその方向を指差すヒメ。
「ふ~ん、お母さんも自治会の役員なんかしていると大変だなぁ」
「よし、水遣りも終わったと、お茶にしよっか、マナ」
「うん、ヒメ姉ちゃん」

◆◆◆◆◆◆◆

 座りの悪い椅子を揺すられるようにしきりにガタガタと突き上げ
がきていては気が休まらないわね、と思うネイヤ。腕時計の時間が
正しければ、もう昼を過ぎた頃だろう、いまどの辺りなのだろうか、
と見える範囲で景色と太陽の高さを確認してみるが、基準となる時
間が曖昧なので気休めにしかならない。
「だんだん空気が軽くなってきているね」
 シュンが手振りで大気圧が変わらないのに希薄になってきている
といっている。
「そうね、トラックのエンジンの音もぐずり出しているわ、酸素が
薄くなっている証拠ね」
 見上げる空も低緯度帯高地特有の陽射しの強い色をしていた。
 うねうねと山肌を沿うように続く道路の両脇に自生している樹木
は枝葉が細身になっており、樹高もそれほど高くは無さそうだった。
 湿度が低いからか、舗装されているのに路面は乾いていて走り去
っていくトラックの後方に土誇りが舞い上がっていくのが分る。
「この山のあたりは多分、雪は降らないわね」
 車窓を丹念に見続けているネイヤがシュンに確認させるように話
した。
「樹層とそれぞれの木々の間隔、木立の合間の色合い、枝の張り方、
どれを見ても分るわ」
 そう云われて乗り出すようにして観察するシュン。
「え~と、木の高さと枝の広げ方から暖かい地方だって事?」
「それだけなの?」
 シュンも動体視力は良い方だったが、道路の直ぐ脇の木立を見続
けるのは疲れる。
「う~ん針葉樹が少ないように見えるよ、広葉樹が多そうに見える。
 それと――、あ、いろんな木が混じっているようだよ」
 シュンがそう答えるとにっこりと微笑み、シュンの額にキスをす
るネイヤ。
「いい答えよ、低緯度帯や高緯度帯では気象条件に厳しさが増す山
間部では植物相が単純化するの」
 そのままシュンを抱き寄せ、シュンの頭に頬を載せるネイヤ。
「大丈夫よ、私達は帰るわ、
 きっと帰れるわ、お姉ちゃんが保障するわ」

◆◆◆◆◆◆◆

 北アスマック大陸西部ティルハムン州クォーロム空軍試験飛行セ
ンターのカールズ乾湖の滑走路を離陸していくアスマック連合国空
軍戦略航空軍団52Wの戦略爆撃機、NRB-94ノーザンライト。
 東都市よりも広い敷地の滑走路のエプロン上には後続する八機が
離陸を控えている。
 大陸内の各戦略航空軍団の戦略爆撃機は各隕石群の落下コースと
重なったホームベースから分散避難しており、試作機や研究機、就
役間近のアスマック空/海軍の各航空機の各種試験・評価飛行が行
われているこのクォーロムにも52Wのノーザンライト十二機が避
難してきていた。
 今、再び離陸しているのは落下する隕石の中で最大の質量を持つ
デェナルヴァA群の落下コースに重なっていたからだった。
 NRB-94は機体形状が全翼機状なので離陸していく様子を地
上から眺めるとブーメランが真っ直ぐ飛んで行く様にも見える。
 現在、就役している航空機の中で最大の全幅を持ち、七十メート
ル余りあるが、胴体部がないので(もっとも若干のテイルブームが
あるが胴体とは見做されていない)全長そのものは民間旅客機のM
C-7CやAM-445より短い三十四メートルほどだ。NRB-
94は耶麻斗内のアスマック空軍基地に配備された事は未だなく、
フリート時に東都の太幡基地に寄っただけだった。
 次々と離陸していくノーザンライトから放たれるジェットブラス
トが乾燥した大気を烈震させる中、クォーロム空軍の最奥、二陸浬
離れた場所に位置するハンガーには現存する二機のXB-1が羽根
を休めていた。戦略航空軍団内でも関係者以外立ち入り禁止の敷地
の中でXB-1が駐機する隣のハンガーは固く扉が閉ざされていた。
 前線基地の対爆ハンガーと同様の強固なベトン形状のハンガーの
入り口には試験飛行センターに不似合いな銃座が設けられ、入り口
に貼られた警告文にはこう書かれていた。
『大統領及び統合幕僚作戦本部の許可令を所持しないいかなる者の
進入を禁止する。
 またこの警告を無視して進入する者は警告なしに発砲する』
 そのハンガーの中では何か巨大な構造物が動く震動で僅かながら
入り口が揺れていた。

◆◆◆◆◆◆◆

「ありがとう、とても美味しかったわ」
 テラスでの昼食を終え、食後のハーブティーを口につけるシェズ。
 恭しくマオが礼をして退出すると、潮風に揺れる髪を指先に絡ま
せる。
 テラスからの見渡せる内海の光景は普段と変わりなく、潮騒は穏
やかで汐の香りも柔らかい。
 ゆっくりと首を傾け、遠く水面を通して物思いの時間を伝わって
くる街の音をハミングにしながら暫く過ごしていくシェズ。
 何分ぐらい経ったのだろうか。
 ゆっくりと瞼を開け、薄氷青色の瞳が秘め事を溢すように揺れた。
 超常の瞳をするシェズ
「行きましょうか」
 椅子を引いてゆっくりと立ち上がると、シェズの周囲に八個の涙
滴状のクリスタルがフィンッ、と浮かんだ。
 階段を上るように左足を踏み出すとシェズの姿がヴォォン、と消
えた。

◆◆◆◆◆◆◆

「!?」
 互いの顔を思わず見合すラピュアスとフィリュアス。
「誰、今の?」
「感じた?何かが飛んだわ」

    ――― ◇◇◇ ―――

 昼食を食べながらテレビのニュースを見ているマナとヒメ。
 母親は昼食を先に食べると自治会に再び出掛けて今夜の準備をし
ていた。
「あれが落ちたらどうなるのだろうね」
 ヒメが御飯を口に運びながら野菜コロッケを箸で半分に切った。
「恐竜が滅んじゃったみたいな冬になるかもね」
 マナが溶いた卵を御飯に掛けながら答える。
 ニュースは十二時からずっと隕石の落下による被害状況を伝えて
おり、耶麻斗時間で午後九時以降に落下が予想されているデェナル
ヴァA群についての予測落下コースと落下時間帯の解説をしていた。
世界地図に予想コースが重ねられ、時間を追ってどの地域に被害が
及ぶのかを図示しながら政府の危機管理委員会の発表を説明してい
る。
 デェナルヴァA群は最大の隕石は渡奈留市の五分の一近い大きさ
なので、海洋に落下したとしてもその衝撃波と引き起こされた津波、
舞い上がった粉塵による被害が深刻なものになると思われていた。
「何とかならないのかな」
 それはヒメの希望的な発言だった。
「なるよ、ヒメ姉ちゃん。
 アニメなら、こういう時には誰にも知られずに沈黙を守っていた
ヒーローが劇的に登場して最後の最後の救ってくれるじゃない」
 まんがやアニメのヒーロー番組が好きなマナらしいと思い、「そ
う上手くいけばいいけどねぇ」と返したヒメはマナの表情があどけ
なく愛くるしいものではなく、超然と全てを見通しているような大
人の顔になっていることに慄然とした。
「ネイヤ姉ちゃんも助けて――、げほっ、ごほっ、ぐほっ」
 喋りながら玉葱とジャガイモの入った味噌汁を飲もうとしたマナ
が咽込んだ。
「あ~ん、気管に入っちゃった、ごほっ、ごほっ」
 鼻水を出しながら照れるマナの表情は普段と同じ顔に戻っていた。
「カッコつけるからよ、はい」
 ティッシュを手に取りマナに渡すヒメ。
「ごめん、ごめん、ネイヤ姉ちゃんの真似は難しいね、てへへっ」

◆◆◆◆◆◆◆

 与那嘉島西南西部盤状高層台地特異点変動現象域。
 三年前、シュン達が盤状台地のテーブルマウンテンで起きた特異
点現象の地帯を公式にはこのように呼称されていた。
 常に霞んだように見える高層台地を真横に見ながら緩上昇を行う
ルフェッタ。
 観測機器は全て作動させ、電気的に変換されたデータは無線のデ
ータリンクを通して基地へとリアルタイムに転送されている。
「なんだ、この焦りは」
 普段の観測状況と変わらないように見える高層台地を見ながらル
フェッタは言いようも無い焦りを感じていた。揺らぎも雲の流れも
レーダーエコーも観測されている情報に変化はないようにも思われ
る。
 しかし、何かが違う。
 何かが起きる、あの時と同じように。
 あの時は塔が降り立ったよう光景を特異点現象の終息時に見た筈
だった。
 キャノピー越しに無言のプレッシャーが放たれているように感じ
られる。
「今夜、来るのか、まさか」
 そう思って口にした時、『避けて、来るから』と誰かの声が聞こ
えた。
「!?」
 咄嗟に操縦桿を左に倒してフットバーを左に蹴り込み、スロット
ルを戻してエアブレーキを開いた。
 何かがさっきまでルフェッタ機が居た空域を一瞬で通過した。
 一つ、二つ、三つか。
 鋭角的な機動をそれらが行うとそこに雲が曳かれた。
 通常の航空機では考えられない飛び方をしているそれらはあっと
いう間に高層台地の中へと入っていった。
「入れるのか」
 あれから三年、かつて突入した場所から高層台地への侵入を何度
も試みてみたが成功する事は無かった。
「ロジャーよりベースへ、デフコンE2を申請する。
 ロジャーよりベースへ、デフコンE2を申請する、オーバ」

◆◆◆◆◆◆◆

ラス・セレスチャ、ルム・レスターガリャ(どうも有難う、さようなら)」
 ここまで乗せてくれた運転手に礼を云い、握手をして別れるネイ
ヤとシュン。
 ここは、この国の首都、アルバソ・ダーソンタ。
 通りの名前と標識を交差点で確認して「こちらね」と歩き出すネ
イヤ。
 高層ビルは少ないようだが、バロック様式の外観をした古い外観
の建物が並ぶ大通りを西と思われる方角へ歩いていくネイヤとシュ
ン。歩いていく中で時計を設置している公園があり、時間を確認し
てみると午後四時を過ぎたあたりだった。
 流石に人通りは多く、行き交う交通量も自家用車らしきクルマか
ら様々な荷を積んだトラックで溢れていた。
 露天商も大きな辻では見かけられ、キオスクのスタンドも朱色の
外観に白い屋根で目立つように信号のある交差点の脇には必ず立っ
ていた。街の喧騒は通りには途切れる事は無さそうで「きょろきょ
ろしているとスリが来ちゃうわよ」とネイヤに注意されながらもつ
いつい首を右に左に廻してしまうシュンだった。
 商店が連なる通りでは渡奈留の商店街と同じように軒を並べた店
先のショーウィンドーには様々な商品が並べられており、生花や青
果、惣菜に果物に酒屋、電気、電器、金物、小物、紳士服やブティ
ック、ドラッグストアにカフェ、菓子店や靴屋、用品店、鞄屋に本
屋、肉屋に乳製品の店、古物商などなどがずらりと並んでおり、別
な通りには銀行や映画館などがあるのだろう。
 十数分ばかり歩いたのだろうか、花壇の中に人馬のブロンズ像が
据えられたロータリーを渡ると建物の様子も荘厳さを増してきて、
歩道の石畳も歴史が染み込んだように薄汚れていた。列柱が正面に
据えられた建物が並び出すと人通りも繁華街らしき場所とは異なり、
身なりも上品そうな人が多い事に気付いたシュン。
 行き交う人の流れもクルマの流れも猥雑な雰囲気はなくなり、セ
レブな感じを受けるシュン。
 やがて二十階位ある建物の前に来るとそこは格式が高そうなホテ
ルらしかった。
「お姉ちゃん、ホテルみたいだけど兵隊が立っているよ」
 見れば小銃を捧げた兵士が何人も配置についており、険しい眼光
を放っていた。
「警備でしょうね、多分。
 要人やVIPが宿泊しているか、何かしらの会議やパーティーが
催されているのかもしれないわ、そういう席に来る賓客を快く思わ
ない勢力から護る為に配置に就いているのでしょうね」
 シュンの問いにさっと一瞥して顔を向けずに答えるネイヤ。
 こういった場合、余計な関心を惹かないのが身を守る初歩だから
だった。
「ホテルに入るわよ、シュン」
 足先を玄関に向けるとジャケットのボタンを絞めるネイヤ。
「えっ、入るの」
「大使館なり領事館の場所を再確認するの」
 それは泊めてくれた牧師も、首都まで乗せてくれた結局、所在地
そのものは分らなかったのだが大使館などが居並ぶ近辺の通りを牧
師から教えて頂いていたので、地理にも観光案内にも苦労しないで
確認する為にグレードの高いホテルを利用するのだった。
「今、私達が居るのが本当に何所なのか、確認しておかなければな
らないの」

◆◆◆◆◆◆◆

 与那嘉島西南西部盤状高層台地特異点変動爆心遺構、と後に記録
される事になる場所を歩くシェズ。
 三年前、ネイヤとシュンが来た、空中に浮かんだ様な階段を一歩
ずつ上っていく。十段ばかし上るとシェズの前にシェズに良く似た
少女の姿が現れた。
「皆さん、私も力添えに参りました。
 再び扉を開き、灯火を掲げる為に微力をお貸しします…」
 シェズが両手を胸の前に差し出すとシェズに良く似た少女は笑っ
たように像が揺れると消えた。
 やや遅れてヴォッン、とシェズの姿も消えた。

◆◆◆◆◆◆◆

「始まったのか」
 偵察ポッドの観測機器から盛んに特異点現象時と似通った強力な
電磁波が放たれている事を指し示す警告がコクピットのモニター上
で盛んに明滅を繰り返し、警報ブザーはけたたましく鳴り響き出し
た。
 機体を左にバンクさせて大きく旋回しながら緩ズーム上昇でテー
ブルマウンテンへと再び近づいていくルフェッタ。
 眼を凝らしてよく見てみると何か柱らしきモノが何本も何本も稲
妻のように一瞬光って立ち上ったかのように見えては消えていく。
それを何度も繰り返しながら柱が上に伸びていくようにも見える。

    ――― ◇◇◇ ―――

「閣下、目標、再度出現を観測しました」
 航行ブリッジの指揮官席に座っていたテネフェアに戦闘ブリッジ
からグルディオンの報告が入ってきた。
 起動母艦は朝側の半球から夜側の半球側へと入った高度約七万フ
ィートを滞空していた。
「ああ、私も目視で発光を確認した」

◆◆◆◆◆◆◆

 二階のベランダから夕陽を見詰めているマナ。
 暮れゆく空は初夏だというのに晩秋のように澄み切っており、燃
える様な茜色で染め抜かれている。
 その空を幾つもの光條が輝いては消えて繰り返していた。
 それは、宵の流星雨といってもよかった。
 その様を見上げているマナの豪奢な金髪が夕陽を受けてキラキラ
と黄金の風となっていた。
 誰もが魅入ってしまうほどの彩りなのに周囲の人々が晩御飯の準
備をする匂いと声が聞こえてくるだけで安穏と空を眺めているのは
マナだけかもしれなかった。
「長い夜になるのかな」
 ぼそっと呟いたマナの瞳はどこか寂しい眼差しだった。
 ゆっくりと瞼を閉じ、耳を澄ましてからゆっくりと開けた時、タ
ケガミ中尉に連れられたミチとアヤを乗せた軍用ジープが家の東側
に停まった。

     続く


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