もうかれこれ二時間近く歩いたのだろうか、露出したテーブル
マウンテンの岩盤の畦道を抜けて岩肌が露出した径道を登ると視
界は一気に開けた。
「この台地の頂上部らしい」
「かなり広そうね」
「指し渡しで二十平方キロといったところでしょう」
ユラナ、ネピティア、プルタナが開けた頂上台地を見回して観
察している。
「木々が少ないわね、雨はあまり降らないのかしらん」
樹高が低く、どちらかといえば潅木に近い樹木しか見当たらな
いのをみてネイヤが呟く。
「否、南アスマックにあるテーブルマウンテンでも頂上の光景は
似たようなものらしい」
「赤道近くでスコールは結構降るようだけど、降った雨の殆どが
岩の間を流れて滝になってしまうそうよ」
「そこを御覧になって下さい、表層の土が少なくて礫が多いので
ここでは林となる生態系が育たないのでしょう。
ですが、向こうに見える台地の頂上部には森林が発達している
ように思われます」
ネピティアの後を受けてプルタナが向こう側に見えるテーブル
マウンテンを指差す。
「雪は降るのかなぁ」
ヒメの質問に肝心な事を忘れていたのを気付いた仕草で自嘲す
るユラナ。
「いけない、いけない、陽射しの温かさで忘れていたけど、
ここは海抜二千メートルを越えている。
赤道直下でもないこの島が冬でも暖かいと思っていた」
「この島の山々は冬には一面の銀世界に変わるのかしら」
ネピティアの問いに「スキー場では1メートルは積雪します」と
答えるネイヤ。
「冬にはヒメの家にも少し積もるよ」
「溶けないの?」
「二日もすれば消えちゃうけどね」
「ありがとう」
ヒメに笑顔を返すと「夏の陽射しと冬の降雪で岩盤全体が収縮
するわね」とプルタナの耳元に囁くネピティア。
「台地周辺を取り巻く気流が弱ければ風化はもっと激しい筈だ」
拾った小石を握り潰しながらユラナが眉を顰める。
「特別な何かが働いているのは確かだと思われます、
もう少し探って見る必要がありますね」
ユラナ達の内緒話を聞こえないフリをしながら台地の北側を遠
望するネイヤ。
今、自分たちは平盤山地の中の台地を北側に向けて進んでいる。
この先の台地を更に越えた先にはこの山地の中で最も高い四千
メートル級の台地が霞んだ見えている。
そこから何かを感じるネイヤ。
見えない何か、視線がそこに吸い寄せられるように意識も集中
していく。
ユラナ達の声も、風の音も陽射しも岩肌の匂いも木々の匂いも
感じなくなって全ての感覚が研ぎ澄まされて一点に収斂していく。
『――何、誰か、そこに居るの』
収斂していく感覚と同時に世界が全身に同化していくのも感じ
るネイヤ。無限に拡大する世界との同化と無限に収斂していく意
識の煌めき。
「!?」
ヒメに身体を揺り動かされて我に帰るネイヤ。
「お姉ちゃん、やっぱり足が痛い?」
「う、ううん、大丈夫よ、ちょっと考え事していただけ、だから
大丈夫よ、まだ歩くのに問題はないわ、ほんの少しだけ痛いだけ」
自分を気遣うヒメをしゃがみ込んで強くぎゅ~~っと抱締める
ネイヤ。
妹や弟達が自分を心配してくれた時には必ず抱締めて「有難う」
と言っているネイヤ。
抱き癖といってもいい位でメグミからはいつも「見ている方が
恥ずかしくなるわ」と言われている。
反論としていつも「お互いの気持ちがこの方が一番伝わるわ」と
言っていたが可愛がり過ぎという自覚もあった。自覚はあるが上
辺だけの言葉の取り繕いよりマシだと思っている。
それに何よりも会話すらままならなかったネイヤとマナを迎え
入れたシュンとヒメ、二人の父と母に抱締められた時の感慨は忘
れる事は出来ない。
「じゃぁ、お姉ちゃん、私が手を引くから足許、気をつけてね」
「はいはい」
◆◆◆◆◆◆◆
ここは山の中か、高原の中の何処かだろうとミチは思った。
何故なら高原台地の先には垂直の岩肌が屹立してるのがまるで
屏風の裾野のように広がっていたが、更にその先には木々の緑で
包まれた盤状山地が見えたからだ。
今、自分達が出てきた巨大な乗り物が何かは判らなかったが映
画で見た事のある飛行船か何かの類であろうと考えられた。
その飛行船かもしれないものが泊まっているここも同じく高原
台地だと思うが、半陸里も離れていない先には水面が広がってい
るので湖かもしれなかった。
「ここは何処なの?」
ミチは標準的なヴァルタン語で尋ねた。
勿論、相手がヴァルタン語を話すかどうかは判らなかったし、
唯一知っていて簡単な基礎会話が出来る外国語は連合で共通して
使われているヴァルタン語しか知らなかったからだ。日常会話に
不自由しない程話せる訳ではないが、父親の仕事の都合上で習っ
た話し言葉ぐらいは聞き取る事は出来た。
「此処は失われた世界の一つだよ、お嬢さん」
「判らないわ、私はここが何処なのかは知らないの、何も」
ミチにはさっきまでディレクターズチェアに座っていた人物、
多分、一番偉い人だろうと思った人物の物言いが勿体を付けたよ
うに聞こえる。
勿論、それは勿体を付けている訳ではなく、事実を言ったのだ
ろうが、事実とは受け止める側の度量と見識を要するものであり、
ただただ地図上の何処に居るのかを聞きたかったのだった。
「お姉ちゃん、ここって山の上なの?
それともアウロの何処かの国なの?」
「だからそれを聞いているのよ、アヤはじっとしていて、ね」
姉妹の会話を聞くともなく聞いていた副官らしき者が指揮官に
耳打ちした。
「――どうやら此の国に住む少女のようです」
「そうか、後は卿に任せる。
――あの瞳には充分注意しておくように」
一考した素振りをすると副官の肩を軽く叩いて踵を返し号令を
発して一段下がった更に平坦な場所へ歩いていった。付き従うよ
うに武装した兵士らしき八人がその後ろに並んだ。
「心配しなくても我々は君達を獲って食おうとはしないから、
それだけは安心してくれないかな」
収まりの悪い栗色の巻き毛をベレー帽からこぼしている優男の
副官がミチとアヤに笑みを浮かべて恐縮するように切り出した。
「私たちの言葉が判るの?」
「別に驚く事はないですよ、独特の文法の癖がありますが格別難
しい言語ではありません。それにまず最初に貴女の質問に答えて
おくべきですね、ここはどこなのか?
ここは、あなた達の国の与那嘉島西部特異盤状山地、テーブル
マウンテンの中です」
◆◆◆◆◆◆◆
「おお、やっぱり夏はこれに限るのう」
初老の老人が擂鉢で胡麻を磨り潰すと葱と生姜、柚子の切身を
入れて熱いつゆを垂らし、そこに茹で上がったばかりのウドンを
割り箸で掬うとすり鉢の中に入れて十分麺に馴染ませると一気に
口の中に入れた。
「ああぁ、美味いのう」
「ええ、やっぱりこの島の饂飩は美味しいですねえ、父さん」
隣では柚子の代わりに半分に切った酢橘の半身をすり鉢の中に、
もう片方の半身を麺を入れた椀の中に入れて同じ様に麺につゆと
薬味を馴染ませて頬張るタイチ。
渡奈留市の西部、池乃耶駅から北に向かうと焼き物の里と共に
湧水を利用した特産の饂飩があった。
饂飩屋の縁側に面した座敷は近くの大耶川の渓流が眺望出来、
盛夏の陽射しにもかかわらずに涼しい。
「どうしたチャンプ、食べないのか?箸はもう慣れただろう」
タイチにそう云われてもチャンプは無精髭の顔を不機嫌そうに
箸先で饂飩を掬い上げた。
「……美味いのか?」
此の国の食事は淡白過ぎると常々思っているチャンプにとって
目の前の饂飩は質素すぎた。
「――でも、美味しいですわ、ほんとに」
そう言って相槌を打ったのは左隣に座る新妻のディアナだった。
「いや、一番はディアナが作ってくれる料理さ」
慌てて口中を饂飩で一杯にしながらチャンプは言葉で追った。
別にこれは新妻に対するリップサービスでものろけでもなく、
チャンプにとっての事実だったのだ。タイチ自身もよく招かれて
ディアナの手料理を食べてチャンプの口癖になった「ディアナの
料理が世界一」が強ち嘘ではない事を知っていた。
「この後は仕事なのだから腹ごしらえは充分しておいてくれよ、
チャンプ」
チャンプとタイチは与那嘉島に入港した国際旅客船の貨物内に
贋作美術品が含まれている可能性があって保険協会からの依頼を
受けて調査の為に来島していたのだった。
「そうじゃ、この後は倅とご主人に任せて我々は焼き物の鑑賞に
参りましょう」
そう言ってタイチの父が調査に便乗して新妻を同伴させて来た
チャンプを憮然とさせた。
「早く調査を終えて今日は伝承を聞きに廻りたいなあ」
「またあの環大洋の伝承と海洋民族の文明論か?」
エアコンの効かない小型車に窮屈そうに乗っているチャンプが
国道十一線叙洒耶河橋梁を渡る際の涼しい川風に涼みながら、又
始まったとばかりに口をへの字に曲げた。
「考古学的に見ても現代文明としてみても環大洋の中心にあるア
スタウリのあの国から様々な情報が伝播したのは間違い無い筈だ
からね、伝承の中には必ず形を変えて残っている筈だよ」
ハンドルを握るタイチの顔は愉しそうだった。
◆◆◆◆◆◆◆
「中は暗いわね、何処まで続くのかしら」
そういって入ってきた洞穴の入り口側を振り返るネイヤ。
凸凹の頂上部を進むうちに高さ十メートルばかりの段丘に行く
手を遮られてしまい、登れる個所はないかと捜し歩いていた時に
先頭を行くネピティアが見つけたのだった。
「洞穴の先から風が抜けてきている、先はつながっているようだ」
洞穴を先に進むと狭かった入り口とはうって変わり、まるで函
弐大市の阿嘉雄での地下鉄のホームみたいだとネイヤは思った。
五ないし六メートルはあるのだろう、と。
「お姉ちゃん、阿嘉雄の地下鉄の駅みたいな感じだね」
妹が自分と同じように思った事に笑みを浮かべながら「足許に
注意してね」という。
「それはお姉ちゃんの方だよ」と身軽な足取りで先に歩いていく。
「ライトは持っておられますか?」
ネイヤの後ろ側を歩くプルタナが声を掛けてきたが「ライトは
弟のバッグに詰めていたので申し訳ありませんがありません」と
返事をするネイヤ。
「では私が照らすので注意して歩いて下さい」
バッグから取り出したライトを点灯して頷くプルタナ。
「ありがとう、プルタナさん」
◆◆◆◆◆◆◆
「ちっ、今日も今日でご苦労な連中だ」
悪態を吐きながら操縦桿を真横に倒し込み、フットペダルの右
側を踏み込み、左側を引いて機体を横転させ滑らせるルフェッタ。
昨日と同じ辺りの北側を飛行中に地上から昨日と同じく銃撃が
上がって来たのだ。
「くっ!」
火線を巧みに回避しながら昨日発見したコースを目指す。
「だ、大丈夫なの」「撃ってきているよ」
操縦席のルフェッタを覗き込むように心配顔のシュンとマナ。
「あんな、弾、当たるものか」
ガバッとスロットルレバーを引くと同時に操縦桿も引くとエン
ジンが唸りをあげて機首が上を向いて上昇していく。操縦桿を戻
すと首を左右に振り、旋回させながらテーブルマウンテンへの突
入コースに向かおうとする。リョウ爺さんによって強化されたエ
ンジンは頼もしく機体の機動を軽やかにしていた。
「何か来るぅ!」
マナが叫び、咄嗟に振り返り後ろ斜め下方を注視すると白い航
跡を曳いた筋が三本、急速に向かってくる。
「対空ミサイルか」
スロットルを全開にして全速で回避行動に移る。
「うわぁあ、ぶつかる!」
「きゃぁぁああっ」
「心配するな、落とされはしない!」
ぎりぎりでミサイルの射軸から反転して近接信管の作動範囲を
避ける。
一瞬遅れて弾頭が爆発して爆風で機体が煽られる。
「ひゅあぁっ」「あああっ」
「口を開くな、舌を噛むぞ」
旋回しながら突入コース間近まで近付いていく。
「まだ来るよ!」
「姉ちゃんに任せておけ!」
「姉ちゃん?」
シュンとマナが?とした目をするとバツの悪そうな顔をして
「き、気にするな、ひ、独り言だ」と赤面するルフェッタ。
「行くぞ!」
機速を上げて突入コースへと正対させる。
しかし、残りの二発がみるみると接近してくる。
「伏せて!」
さっきとは違った声質でマナが叫ぶ。
「伏せてぇぇっ!」
スロットルを戻し、ガクンと高度を落としたと同時に二発の
ミサイルが爆発して頭上を高速の物体が飛び越していった。
キ―――――――――ン、バリバリバリッと音が後から聞こ
えてきた。
虚を衝かれた格好になったが我に帰り、後方確認してみると
ミサイルは跡形も無く消え去っていた。
突入コースの先へと飛び去った機影はもう点のようになって
確認出来ない。
「あれは、IFO(インクレディブル・フライング・オブジェクト)
なのか?」
時間にして数秒だっただろう。
凝視していたのを止めると「突っ込むぞ!」と最終コースに
機首を向けてスロットルを再び全開にした。
トンネルの中に入ったような感覚に襲われると機体が一気に
テーブルマウンテン側へと引き寄せられていった。
◆◆◆◆◆◆◆
IFO、それは"アスタウリ"から来た飛行物体ではないかと
予測されるものの総称であった。
アスタウリ。
王圏の伝説が古の物語であるならば、"アスタウリ"は現代の
ミステリーだった。
連合正暦2137年、ヴァルタン・ブリタニア島にて連合王
国のセシリア女王戴冠式典が執り行われた。女王は前年、先王
ブレニムの死去に伴い、三人の長兄達が既に逝去していた為、
連合王国として初の女王として即位した。その戴冠式典が執り
行われる一箇月程前、王立空軍の通信にアスタウリからの使節
派遣の電文が一方的に入り、翌日、王宮の庭に親書を携えた一
人の使者が天使のように舞い降り、侍従長に手渡すと神々しい
光を放ちながら飛びたっという。
遡る事約250年、連合正暦1888年にヴァルタン帝国の
世界一周派遣艦隊の二十隻が一隻を残して環大洋の中、一瞬で
撃滅され消息を絶った。這這の体で逃げ帰った一隻がブリタニ
ア島南部のハイスレン港に入港した午後、王宮に一切の干渉を
取り止めるように忠告を行なった空から舞い降りた天使の様な
アスタウリからの使者が居たという。
5月27日、戴冠式典の二日前、電文と親書の通りにブリタ
ニア島最大の飛行場でもあるヒュンブロー飛行場に使節団を乗
せた飛行機が飛来した。それは親書に書かれていた使節団来訪
時の規模に従い、小型連絡機、大型輸送機、旅客機が其々一機
ずつと直援の戦闘機五機だった。
議会も空軍関係者も誰もがはるばる環大洋の真中から遣って
来る使節団に興味はあったが世界中のどの国とも交流持たない
国にどれほどの工業力があるのか疑っていた。大方何処かの貿
易商を経由して極秘裏に入手した機体か何かであろうと決め付
けていた。事実、航空省並びに国防省、国土安全省の調査線上
には国内から輸出並びに売買された中にアスタウリと思しき購
入先は無かったからだ。
親書の中には使節団派遣時に一行を乗せた旅客機がアスマッ
ク連合国上空を通過するので事前通告して欲しいとあった。
当日、西部時間午前7時32分。
アノツァイナ州上空を連絡通り旅客機が通過。
東部時間午前7時27分。
東海岸北東部ハードフォルデを旅客機が通過。
僅か一時間で大陸を渡り終えた。
この間、編成された許りのアスマック空軍の高高度戦闘機が
見送りという名目で迎撃に上がったが戦闘機の上昇限度を一万
七千メートルも上回る二万五千メートルを推定時速約四千キロ
メートルで通過していった。
一時間後の午後0時32分、アスタウリの小型連絡機が航空
管制の無線を入れて飛来した。そのままヒュンブロー上空を滞
空している中、大型輸送機が飛来した。
小型連絡機はまだプロペラ機だったが大型輸送機は飛行場に
集った者達が誰も見た事の無い幾何学的な平面で矩形や菱形、
台形を組み合わせた巨大な双胴全翼機だった。翼の幅はゆうに
百二十メートルを超えていた。着陸後、直ちに旅客機が着陸に
必要な航法支援機材を降ろすとトラックに載せたまま両滑走路
端に分散した。その直後、直援の戦闘機が二機、突然上空を通
過した。この戦闘機はジェット機であったが、飛行場に来てい
た軍関係者でジェット機を見た事がある者は一人だけだった。
同時59分、使節団一行を乗せた旅客機が飛来した。
白く細長く優美に翼を展張させ、ジェットブラストを大地に
轟かせながら。
飛行場に来ていた誰もがその雄姿に息を呑んだ。
その機体は与那嘉飛行場に飛来した白い巨人機に似ていた。
否、アスマック戦略空軍が似せたのだ。
使節団の派遣という劇的な演出に驚愕を受けない者はヴァル
タンだけに留まらなかった。目に見えない大変動の恐怖と戴冠
式典で見せた圧倒的なアスタウリの工業力に世界は動揺した。
「目に見えていたものだけが真実ではないという事ですね」

それが戴冠式でセシリアが拝謁したアスタウリの使節団長の
女性に向けて洩らした言葉だった。