ショートショート・「らぶエヴァ」


「……」

 カーテンの隙間から朝の陽光が幾本の筋となり差し込むベッドの中で安らかな寝息を
立てている碇シンジ。その寝顔にそっと手を伸ばし、耳を、顎を、唇をなぞる綾波レイ。
「……」
 口を小さく開いて何かを囁き、シンジの顔に顔を近付ける。
 シンジの頬に零れた数個の滴。
 レイの涙か。
 起き上がり、着替えるレイ。
 カーテンの向こうのベランダに小鳥達の囀りが重なるかけた時に玄関のゆっくりと閉め
られて二度とレイは自宅には戻ることはなくなった。


 その一年程前。

 大学教授の母の転任で久しぶりに生まれ故郷に戻ってきていた碇シンジ。
「2年振りなのに随分変わったなあ」
 芦の湖畔に林立する第三新東京市を見やるシンジ。
 林立する高層ビルの影が湖畔へと伸びていた。

 中学2年になってシンジの担任となったのは、母の大学の後輩である葛城ミサトだった。
「シンジ君がここに戻ってきてたなんてねえ」
 ホームルームの時間でクラス委員の選出の最中にシンジの机の横に立つミサト。
「お母様は無事息災かしら、今度、家庭訪問のときに御邪魔させて頂くわ」
「そうですか〜? また以前のように来るんじゃないのですか?」
 ミサトはシンジの近所に住んでいたので小さい頃からよく遊んでくれた記憶がある。
「あ〜ら、じゃあ、今度も一緒にお風呂に入りましょうか。
 シンちゃんはよく私とお風呂にはいったものよねえ、私に抱きついたりしちゃってさ」
 クラス中に一斉に嬌声が上がり、「こ、こんな所で言わなくたっていいじゃないですか?」
と抗議をするシンジ。昔、小学校低学年ぐらいまで夏のプールや海水浴、留守番をして
いるシンジと一緒に風呂に入ったことも何度かあるので、この後もすぐその話でからかわ
れる事になった。

 箱根の山々が萌色に塗り込められ、柔らかく甘い新緑の風が第三新東京市を梳かして
いく頃には何人もの友人がシンジには出来ていた。
「あ〜、うらやましいやっちゃな、シンジは。ミサト先生の胸に抱き締められていたとは」
「トウジ、それは違うって、そうやってすぐからかうんだから」
「ほな、帰りにお好み焼き屋に寄ってくか」

 月は変わり、湿った太平洋からの風が吹き上げるようになると次第に雨雲が第三新東
京市を何度も短く訪れては濡らしていくことを繰り返すようになっていた。
 そんな梅雨時のある日。
 鈴原の家からの帰り、帰宅が遅れると母のユイから携帯に連絡が入った。
「この買い物は、あそこに寄った方が安くて美味しいんだよな」
 店を出て、空を見上げるシンジ。
 雨脚は小止みになり、所々に隙間から青空が覗いている。
「少し歩くか…」
 バス停2つ分を歩いていくシンジ。
 少し見通しの悪い旧道を近道に通っていると水溜りに靴を踏み込んだ音に驚いた、
雨宿りをしていた子猫が驚いて見通しの悪い曲がった通りの中ほどまで飛び出した。
「あぁっ、ごめん、驚かせちゃって、危ないから端っこに寄ろうよ」
 思わず駆け寄ろうとするシンジ。
 視界に近付く何かの影が映った。
「危ない!」子猫を抱え上げようとするシンジ。
 ドリュリュル、と排気量の大きなエンジン音のオートバイが曲がり角の先から現われた。
 咄嗟にブレーキを強く握り、逆ハンドルを切って子猫とシンジを避けようとする。
 間一髪でシンジの横を擦り抜けたバイクだが後輪がスリップダウンして転倒してしまう。
「だ、大丈夫ですか?」
 子猫を抱え上げたまま急いで駆け寄るシンジ。
 細身の二気筒レーサーの姿を模した深いラピスラズリの彩りのオートバイ。
 起こしたバイクをそばの軒下に押していくライダー。
 停め終えると「…あなた、怪我はない…?」と聞いてきた。
「…ぼ、僕は大丈夫です、ゴメンナサイ、いきなり飛び出しちゃって」
「…そう、良かったわね」
 ゆっくりとヘルメットを脱いだ下には少女の可憐さと大人の妖艶さを併せ持つ横顔が
現われた。蒼い髪と紅い瞳、透き通るような白い肌。思わず見とれてしまうシンジ。
「…子猫にも怪我が無くてよかったわね」
 シンジの腕の中で濡れている子猫をハンカチで雨を吸い取る少女。
「あ、ああ、そうですね。でも、バイク、大丈夫ですか?」
 転倒した右側面に幾つかの擦り傷と割れたような跡が見える。
「…大丈夫よ、これぐらいじゃ壊れないわ」
 霧雨の滴がシンジの視界を霞ませるようにして目の前の少女の姿を幻想的にときめ
かせていく。暫く見とれてしまうシンジ。
 そんな自分に気付いて、
「ぼ、僕は碇シンジです、どこか壊れている所があったら連絡して下さい、弁償します」
「…そう、私は綾波レイ、‥17歳よ」
「綾波、レイ…」
「…あなた、高校生?」
「あ、はい、いえ、高校生じゃなくて、第一中学の2年です」
「…そう、じゃ、会えるわね」
 そう云い残して綾波はエンジンを野太く轟かせて走り去っていった。
「あ、ハンカチ…。――会える?」


 数日後、シンジのクラスにレイが転校してきた。

 驚くシンジだが、知っているとは云えない。
 忽ちクラス中、いや学年中の男子の注目となるレイ。
 そんな周囲の様子を無視して寡黙で敢えて周囲とは打ち解けようとはしないレイ。
 積極的に人との関わりを避けているようにもシンジには見えた。
「どうして避けるようにしているの、綾波は」
 途中迄帰り道が同じシンジは何度となく声を掛け、レイも二言三言と言葉を返していく。
 いつしか同い年のように名を呼ぶシンジに「碇君」と返すレイ。
「…下手に喋っちゃうと秘密がばれちゃうから、かな」
 はぐらかされたような気がしたシンジだが、レイが自分には心を見せてくれるような気が
して、少し嬉しくなったシンジだった。

 二人を取り巻く小さな事件が何度かおきて、更にレイとの秘密を共有する事になった
シンジは次第にレイに惹かれ、レイも少しずつだがシンジにだけは素顔を見せるように
なっていった。
「シンジ君〜、これ、レイに届けてくれないかしらん」
 ミサトが職員室で週番のシンジにプリントを手渡す。
「綾波に、ですか?」
「そうよ、続けて休んでいるし、留守電じゃ連絡は不十分だしね」
 プリントを見つめるシンジに「シンちゃ〜ん。レイの歳の事、知っているのでしょう」
 驚くシンジに「あたしは担任よ、知らない訳ないじゃない。じゃ、シンジに決まりね」
 仕方なくプリントを届けるシンジ。
 レイの古いマンションは合い変わらず玄関の鍵は開けたままだった。
「いつもの事か」と勝手に中に入るシンジ。バイクの修理で2度ほど来訪したことがあるが、
相変わらず室内も無造作に置かれた家具調度品、あまり掃除されていない部屋。少女の
一人暮らしの部屋としては可愛げの無い。
「綾波?居ないの?プリントここに置くよ」
 遠くから造成中の住宅地の建設音が聞こえてくる。
 机の上に置こうとすると、前に来た時には伏せられていたフォトスタンドが立っていた。
 手にとり何気なく見るシンジ。
「え?」
 思わず写真を凝視する。
 そこにはシンジの両親、碇ゲンドウとユイ、幼いシンジ、見知らぬ人々、そして幼い少女。
その少女は綾波の幼い頃だ。幼稚園よりもずっと前のシンジの姿。
『でも、こんな写真、僕は今まで見たことがないのに、どうして綾波が持っているのだろう』
 シャッ、とカーテンが開く音がすると、シャワーを浴び終えたレイが全裸のまま、バスタオ
ルで体を拭きながら出てきたところだった。シンジが手に持つフォトスタンドに気付くレイ。
慌てるシンジを気にせずに歩みより、自分の手の中にフォトスタンドを奪い取り、シンジを
平手打ちすするレイ。
「ゴメン」逃げようとしたシンジとフォトスタンドを置こうと前に出たレイの脚とが絡まり、もつれ
るようにして床に倒れこむ二人。レイに覆い被さるような格好のシンジ。レイの濡れた体に
触れたシンジのシャツとズボンが湿る。
 起き上がろうとして左手がレイの柔らかな右乳房を掴んでいることに気付くが、微動だに
せずシンジの瞳を見つめるレイ、その瞳に吸い込まれていくシンジ。
 次第に鼓動が高まり、喉が渇きていき、汗は噴出し、今すぐにでも爆発してしまいそうな
感情と体に緊張が高まった瞬間、「…何の用なの」とレイが訊ねた。
 急いで飛び退き、ひたすら謝り続け、逃げようとしたシンジに「…お茶ぐらいだすわ」と気
にもしないで言い放つレイ。「…そのまま待っていて」
 着替えるレイから目を背けているシンジに向けて小声で囁くように「裸は見て欲しいのと、
見られたくないのとしかないのよ…」と独り言のように言葉をつむいだ。


「これ、昨日のお詫びだけど、ダメかな」

 共に週番でゴミを捨てに行きながらレイにホテルのプール券を見せるシンジ。
 母から貰い物だが時間の都合で使えないから、と渡されたものなのだ。
「…OKよ」
「あ、やっぱり、OKか、仕方が――、えっOK?」
「…只ですもの」

 翌日曜、ホテルのプールサイドでの二人。
 危惧した天候も眩しい程に空は突き抜け、朝から熱気が立ち込めていた。
 プールサイドを抜ける風が心地よい。
 横縞のビキニに小さな生地とパレオ姿のレイに見とれながらも、先日の生まれたままの
レイの裸体と柔らかい胸の感触を思い出してしまうシンジ。ジュースを置こうと手を伸ばし
テーブルの上に被さると、華奢な体付きなのにぷるんとまるく小振りながらもふっくらとした
乳房の谷間がビキニに包まれてシンジの目の前に突き出すように迫ってきた。
 並んだデッキチェアに座るとぴったりと並べられているので、がっしりと横に張り安定した
下半身の太腿がシンジの太腿にそっと触れ、大人の色香が清楚な横顔の奥底に潜んで
いる気がシンジにはした。『女は魔物、って云うけれどなあ』
「…どうかしたの?」
「いや、その、膨張しちゃって…」
 シンジの言葉に頬を少し赤らめ恥じらいを見せるレイ。

「さあて、ビールでも引っかけていこうか」とホテルのビヤガーデンに向かうミサトがプール
側から出てくるシンジとレイを見かけた。「お、シンちゃん、隅に置けないわねん」


そして、夏休み…。

 仕事で父が長期出張中で夏期講座の研修で一週間程ユイが家を空けることから、本来
ならミサトに留守を頼むユイだったがミサトも部活の顧問で合宿のため、シンジが留守番を
することになった。
 図書館での宿題の資料集めをレイと一緒にしたシンジが会話の中で留守番のことを洩ら
すとレイが「私と一緒に海に行かない、これから」と誘ってきた。
 OKするとシンジをバイクの後ろに乗せてシンジの家に寄るレイ。
 怯えるように家の中に入ることを躊躇するレイ。
「着替えは持った?」と聞くレイに汗で濡れた分の着替えと思ったシンジが気軽に答えた。
 バイクの後ろに乗り、レイに連れて行かれた先は西伊豆の海だった。
 そこは退官した母の恩顧である冬月教授の別荘だと聞かされた。
 一週間ここに宿泊することを聞かされるシンジ。しかも同じ部屋に。

 シンジがユイの息子だと知った冬月が二人を眺めながら呟いた。
「運命とは過酷なものだな。よりによってレイが心を開いた相手が碇の息子とはな」

 4日目。
 接近する台風の暴風雨の中、岬の灯台の下で曝されるように出掛けていたレイを探しだ
したシンジ。しかし、高波で足元をすくわれて海に落ちてしまう二人。
 必死に溺れかけながらもレイを救い上げ、陸に上がった。
「……ご、ゴメンナサイ…」
「こんな時は、謝らないで笑おうよ、生きているんだからさ」
「汚れちゃってぐしゃぐしゃだね、はははっ」


 秋になり、父の仕事で家族一緒にドイツに行っていた幼馴染のアスカが帰国してきた。
 4年ぶりに会ったアスカはシンジと昔のように接していた。
「バカシンジが、ひ弱なくせにいきがるんじゃないわよ〜だ」
 が、シンジの視線の中にいつもレイが居ることに気付いてしまうアスカ。
「バカシンジにあんな優しいところがあるなんて…」
 急速にシンジを異性として意識するようになるアスカ。
 シンジの背中に逞しさを感じて胸が高鳴ってしまうことにうろたえるアスカ。
 そんな自分の心の揺れに戸惑い、頑なな態度をシンジにとるアスカ。
「三バカトリオがバカやってんじゃないわよ」
 体育祭の中で、アスカの目に入ったゴミをとっているシンジの姿をヒカリは勘違いして
しまう。それを聞いたレイが嵌めるように噂好きの女生徒にデマを流してしまい結果的に
アスカに告白したことになってしまうシンジ。


 冬。渚カヲルが転校してきた。

 シンジとレイ、アスカの三角関係に気付き、興味をもってその中に入っていく。
 シンジは少しずつだがレイが何故、周囲と打ち解けようとしないかを知りだしていく。
「君もやはりシンジ君が眩しいのかい?」校門で下校するレイに問い掛けるカヲル。
「…どういうつもり?」
「綾波レイ、僕も君と同類ということさ」

「母さん、僕に隠している僕の写真は、ないの?
 僕、綾波の部屋で見たんだ、夏に。その写真を。
 そして冬月さんともあったよ、綾波とずっと一緒に居たんだ、母さんが研修の間に」
「シンジ…。今はまだ、話せないわ。もう少し待って、御願い…」

 そして、レイの欠席も少しずつだが増えていった。
 部屋の中で吐き気を覚え、眩暈と貧血の自覚症状に気付くレイ。
「御願い、後少しだけ…」
 レイの欠席を心配するシンジにアスカもやはりシンジの心の中に自分は居ないのでは
と感じ始める。
 先に帰った筈なのに電話しても自宅にシンジは居ない。鈴原の家に寄ると聞いていた
時も実際には鈴原の家には寄っていなかった。
 どこ? あの女の所なの? と嫉妬が心を焦がしていく。


 クリスマスイブの夜。

 アスカは父の仕事の都合により家族そろって第一東京市で過ごすことになった。
 赤木リツコという女医が何度かレイと会っていた事に秋から気付いていたシンジだったが、
聞くのが怖くて聞きそびれていた。思い切ってレイに訊ねるシンジ。はぐらかすレイ。でも、
それが命に関ることであることが判ってしまうシンジ。
 気を失うレイを背負い、マンションに向かうシンジ。
 ベッドに寝かせ、帰ろうとするシンジの手を握り、「…眠るまで、ここに居て…」
 シンジの携帯が鳴り出す。敢えて無視するシンジ。
「シンジ、なんで出てくれないのよ」窓外を見ながら切なく唇を噛むアスカ。

 正月、バレンタインとイベントが過ぎていく中でレイが漫然と死を望んでいることに気付く
シンジ。
「死は生きている先の出来事よ、それは私が望んだことだわ」
「どうしてなのさ、綾波。
 生きていればいいことあるじゃないか。あの時の約束は嘘だったの…?」
 あの夏の日、心配し、泣きじゃくるシンジを抱き締め、「もう死のうなんてしないわ…」
 そして、その理由も様々な人との出会いで知っていく。
「綾波レイの主治医の赤木リツコです。
 碇シンジ君ね、御願い、レイを救って。あの子を救えるのはあなただけなのよ」
 雪降る夕方、中学校の帰りに待ち受けていたリツコがシンジに頭を下げた。

「自分の存在を確立できない、その術を切り離された子供にとって生きることも死ぬことも
同じようにしか思えなかったのだろう」
「加持さん」
「君は君自身の力で綾波レイを救いたいと思う以上、君自身のご両親と対峙する必要が
ある筈だ」
 レイの事を探っていると思っていた加持がミサトの恋人だったことも意外だったが、レイを
助ける事自体が親を乗り越えることになると聞かされて悩むシンジ。
 ユイを問い詰めるシンジ。
 後ろから父であるゲンドウが「私が話そう」と言った。


「クローン人間?」

「正確にはそうではない。
 数々の優生学的に優秀と認められた遺伝子構造体をもつ塩基配列を操作し、強固な核
構造を持たせ環境適応性を組み込んだ染色体構造として生み出されたものだ」
 言葉の意味全てではなくても、父の云わんとしていることに気付くシンジ。
「でも、どうして母さんの面影が綾波にあるの?」
「それは…、その胚を私の胎盤上に定着させて育んだ時に形質を受け継いだものなの」
 ユイが顔を伏せ、涙を流しながら搾り出すように話す。
「女の子ならレイ、男ならシンジと決めていたの。
 生み出されて私にできることは名前を付けることだけだったわ」
「でも、何故、綾波は死を望んでいるの」
「それは、20年も生きられれない事が判ったからだ、シンジ。
 綾波レイへの研究は縮小され、渚カヲルが取って代わり、冬月教授に預けられたのだ」
「じゃあ、僕もまさかそうなの?」
「そうではない…」


 春の雨の夜。

 最初で最後の大喧嘩をするレイとシンジ。
「綾波は綾波じゃないか、どんな理由があったって、どんな形で生まれてきたって…、
 今生きているじゃないか、生きていたくても叶わずに死んでしまう人だって…最後まで
 生きていこうとするじゃないですか、
 御願いだから、死のうなんてしないで」
「私は人なんかじゃないの、普通じゃないの、
 只の実験でしかないの…。
 人の血から生まれた訳ではないの、人形なのよ…」
 降りしきる雨で身体中の全てが濡れてしまうほどにびっしょりになっている二人。
「…御願い独りにして…」
「独りになんか出来ないよ」
 レイの手を強く握り、引き寄せ、頬を張るシンジ。
「綾波は独りなんかじゃないよ、僕が居るじゃないか、ずっと居るじゃないか」
 雨脚は更に強くなり、冷たさと暖かさの混ざった雨粒が街をくすませていく。
「……判ったわ…、…帰りましょう、このままで風邪を引いてしまうわ…」
 レイの部屋に灯りが点り、シンジは濡れた服を洗濯機に詰め込んだ。
 熱いシャワーを浴びながら俯くシンジ。
 家を飛び出した時の両親の言葉が甦る。
 ――四人で暮らそう、家族として、と。


 シンジの家の前で膝を抱え独り待っているアスカ。
 ユイもゲンドウも手続きのために外出したままなのだ。
 携帯に電話しても出ない、知っている友人達の家にも居ない、ミサトの家にも居ない
シンジ。待っていれば帰ってきてくれるかもしれいない、そう想って玄関で待つアスカ。
 家人から相談を受けたミサトがここであろうとやって来た。
「何故、私じゃダメなの?どうして私を見てくれないの、シンジは?」とミサトに叫ぶ。
 シンジとレイの関係を応援していたミサトにとってアスカへの返事は無い。
「人はね…、弱いところや辛い部分を自分でみるだけでなく、他の人にも見せて、
 判ってくれなくても見せてもいい、
 その人の弱い部分を知っているからこそ優しくしたいと思うようになるの…。
 あなたは―――」
 アスカに自分のコートを掛けながら、玄関のドアを預かっていた合鍵で開けて中に
入るミサト。


 綾波の携帯が鳴った。

 入浴中で出られないレイ。仕方なくシンジが手にとり、耳に当てる。
 聞こえてきたのは父の声だった。
「シンジか、済まなかった。事実は隠蔽されてしまったのだ。
 記録が抹消されてしまって、レイの戸籍は日本では確保できなくなった」
「どういうこと、父さん」
「それはシンジ、生きても死んでもいない存在にされてしまったのよ」
「母さん…、じゃあどうなるの?」
「なんとかそれは解決するわ、それが私達の責任でもあるから」
「そんな―――」
 後ろからレイがシンジを抱き締めてきた。
 そして「もう、いいの…」と云い、携帯を切ってしまう。
「…今夜だけは全て忘れて、御願い、私も忘れるから…」


 そして翌日、レイの失踪。

 ガレージにはレイのバイクが無かった。
「綾波…、どこへ行ったんだよ…」
 マンションの前にはミサトがアスカを乗せて来ていた。
「シンジ君、レイは…?!」
 首を横に振るシンジ。
「…シンジ、本当のこと、私に言って、私、ちゃんと聞くから」
 必死に高ぶる感情を抑えるように握り拳を作るアスカ。
「僕はずっと綾波が好きだったんだ、初めて会ったときから。
 夕べ、ずっと一緒に居た。
 これからもずっと一緒にいたいと思っている…」
 アスカにレイが好きだと告げるシンジ。
「綾波を好きになって初めて判ったんだ。
 すぐそばに、アスカという素敵な女の子が居るって……」
 シンジの胸に抱きつき泣き出すアスカ。

 必死でレイを探す皆。
「シンジ君、君達二人にとっての思い出の場所とかはないのかね」
「思い出の場所……、あそこしかない!」
 夏休みの思い出の場所に気付くシンジ。
 探偵の加持の運転でそこへ急行するシンジ、ミサト、アスカ。
 途中の事故渋滞や工事で中々目的地に辿り着けない。
 既に西日は傾き、空も海も茜色に染まっていく。
 波は静かで暮れゆく中、風が寒さを増していく。
 その場所でレイを見つけ駆け寄るシンジ。
「綾波ッ!」
 後を追おうとするアスカを引き止めた加持が
「二人きりにさせてやってくれ。…もう間に合わない」
 長い影が一つ伸びていくのを見つめるアスカ。
「綾波…、帰りましょう、方法なんて見つけていくものですよ」
 しゃがんでいるレイに肩で大きく息をしながら着ていたダッフルコートを掛けるシンジ。
「一人で居るよりは何人かで居れば見えないものも見えてくると思えますし」
「…これじゃまるで私が年下ね…」
 立ち上がり、夕映えの空を見ながら
「きっと来てくれると思っていたわ…、ずるいわね、勝手だけど…」
 風に雪のように舞う桜の花びらの中で素直に自分の気持ちを伝えるレイ。
「小さいときは、何も知らなくて、楽しい事がたくさんあったわ…」
 レイの手を取るシンジ。
「知りたくなかった、知ってからは死にたくなったわ…」
 瞳から涕が溢れ、レイの頬を伝っていく。その滴が夕陽に輝く。
「これからだよ」
 その涕を指先で拭うシンジ。
「死んだからって昔の思い出が還って来る訳でもないのにね。
 …死にたくない…、
 あなたと一緒に生きたいよ…、好き…、誰よりもシンジが好き…」
 泣き笑うように今まで一番の笑顔を浮かべるレイ。
「生きましょう、僕と一緒に、
 そして…僕が大人になったら、…結婚しよう」
「……はい」
 抱き締め、キスを交わすシンジとレイ。
 長いキスを終え、薄く瞼を開けたレイがシンジの耳元で消え入るような声で囁く。
「…会えて…よかっ…た」
 シンジの背中に廻したレイの手から力が抜け、そのままシンジの腕の中に崩れるレイ。
「綾波…?」
 息も止まり、鼓動も止まって冷たくなっていくレイに気付くシンジ。
「うわぁぁぁああ――」


 一人の少女が死にました。

 涕を想い出にかえて生きていく、それが生きてきたことへの大切な証と引き換えに。
 それは忘れることではないと僕は思うから…。

          終劇         -PasterKeaton©2000-


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