「Walzenlafette」 ―Haben Sie noch Zimmer frei?― 


第五部:序文

 1938年8月10日、シュターケン飛行場を飛び立ったFw200V1は、スコットランドから
ニューファウンドランド上空を通過し、6,557.9Kmを飛行して所要時間24時間36分、
強い向かい風の中を飛行してニューヨークのフロイドベネット飛行場に無事着陸した。
 4発の大型高速機が大西洋を無着陸で横断飛行するデモンストレーションの舞台に
ニューヨークが選ばれたことは、表面上歓迎の態度を見せた亜米利加であったが、陸
軍航空隊に大変な衝撃を与えた。このFw200は後の英国との海上封鎖において洋上
哨戒作戦を大成功に収め、仏蘭西陥落後の一ヶ月に90,000総tの船舶を海の藻屑に変え、
哨戒海域はアイルランド西域からノルウェー沖合いまでの広大な範囲になっていた。
 同機を母体に改設計されたFw320及びJu290による独逸戦略爆撃団は、総司令官でも
或る空軍再建立役者ゼークト大将に率いられ英国沿岸の海軍、空軍基地を壊滅状態に
追込んだ。そして同機はエンジンをBMW1801ターボプロップ機関に替装されたD-8において
Hs293S対艦無線誘導爆弾の発射母体となった。Ju390はJu290を6発化したものである。
 1941年4月11日、亜米利加から長躯独逸本土を爆撃できる大陸間超長距離爆撃機の
要求仕様書が提示された。このモデル36は陸軍航空軍新司令官ヘンリー“ハップ”アーノ
ルド少将により1944年5月ころまでに引き渡す契約でXB-36の開発は開始された。そして
1944年7月11日、原型初号機XB-36は遂にロールアウトし、全幅60mを越す巨大な翼を広
げて初飛行した。翌年、2月14日、ロスアラモス研究所にて2発のウラン235原子核反応弾
が完成した。そして4月初旬、2機のB-36が飛び立った。
 1機は英国ダグスフォードへ。
 もう1機は前年に占領したハワイ島経由でグアム・テニアン基地へ。

「坂本! なんでお前がこんな事を」
「ふっ、生憎俺は生粋の日本人じゃなくてね」
 一刻館2階の管理人室内での待ち受けていたもの。
 聡一郎の形見である懐中時計を奪おうと襲ってきたのは留学時代からの親友の坂本であった。
間一髪イカリヤに救われ、電撃弾で返り討ちし手傷を負わせたところだ。
「間諜(スパイ)ってのはもっとまじめな人間がするもんだよ」
 穏やかな表情だが、イカリヤが放つ苛烈な眼光は空襲の熱波すら凍えさせる程である。
「ミレイさん、残ってはダメッ!!」
「きゃつらは私がここでくい留めます、急いでツェレへ」
「行きます、管理人さん」
「ヨッツアーさん!」
 パンツアーファウストを両手撃ちし、ありったけの榴弾を撃ち続け、銃身が焼け付くまでMP40を連射する。
「ミレイさん、ご、ご免なさい…」
 窓外を見やるが暗くてよく見えない。
 閃光と轟音と爆炎が立ち上がり、ミレイが居た場所を包み込んだ。
「ミレイさ――――んっ!!!」

 開幕:(オープニングです)
 数十,数百のコントレールを牽きながら押し寄せる爆撃機。護衛の戦闘機群。
 スクランブルを開始する第参帝国空軍先進実験航空団のエンテ翼双発ジェット戦闘機。
 首都防衛大本営での官制風景、奥座する空軍総監マクシミリアン・ガーランド大将。
 胴体と主翼下面が白色に、上面が黒色に塗装されているB-36。
 合衆国大統領府、英国地下総理府の様子と機長対置の通信。
 西から、東から戦線を狭めていく連合軍、露西亜軍との攻防、戦車戦、銃火の中に倒れていく無数の兵士達。泣き叫ぶ子供達。
 朝陽の中の、響子・ツェッペリン。
 止まったままの懐中時計。
 手を振る五代裕作。重なる聡一郎の面影。
 打ち抜かれ割れて粉々になる一刻館:Eins Stunde hameの日々。
 背中を見せ、微笑みながら消えていく五代。
 必死で抱き締めようとして陽炎のように空を掴むだけに気付き涕を流す響子。
 ただ、時を刻むだけの古い柱時計の振り子だけが動いていた。

隙の章:討たれシ、雷神の槌

 私にはもう失うものは無い、そう思っていたのに。
 穏やかな日々は続か無くて、エリカの荒原もやがて雪に覆われるのに。
「響子さん、全然僕を信用してくれないじゃありませんか」
 ほんの3日前だというのに手の届かない昔のように思えてしまう。
「響子…さん、、あの、その、今夜のおかずは美味しかったです」
 聡一郎さんのこと、思い出すのが少なくなってきている。
 あたしは幸せなの? 幸せなの? 戦禍は激しくなっても住人達は明るくて、仕事も沢山有って、こうして聡一郎さんを忘れていくの?
「あ、あの、ニーダーザクセン大学に留学にきた、五代といいます」
 木枯らしの中に撒かれた種が春先に芽を出すように、あたしの心の中に広がっていく五代さん、あなたは――。
「生きていてくれたらこんな思いしなくて済むのに」
 あたしには、あたしには何もないんだ。
 一刻館を失ってしまえば、帰る場所は無くなってしまう。
 でも、生きるために捨ててしまわなければ為らないの?
「行きたかったらマリーさんの所へ行けばいいじゃないですか」
 3日前。
 一刻館へと向かう五代と響子。
「もう結構です、あなたもお相手を決めたみたいだし」
「決め付けないで下さい」
「じゃあ、なんでキスなんかするんです」
「あれはマリーちゃんの素直な気持ちだからですよ。
 響子さん、全然気持ちを表してくれないじゃありませんか」
「一刻館を引き払うんですから、いい機会じゃ有りませんか」
「行きません! 僕は管理人さんと一緒に居たいんだ!
 どんなことがあったとしても、あなたとずっと居たいんだ」
「……」
「始めてあったときからずっと、今も、これからも、」
「じゃあ、なんでマリーさんに云えないの」
「云おうとしたんじゃありませんか」
「いま、そんなこと言っても、ごまかしているように思えるじゃない」
「僕にはあなただけなんです、何もないけれど、聡一郎さんとはおなじような幸せはあげられないけれど、僕なりの幸せをあなたにあげたいんです…」
 
 マリエンブルグ城、2日目の夜。
「私の方からお願いしないと行けないんですか、五代さん?」
 宴会も酣の中、抜け出し、バルコニーで雲間から覗く星空を見上げる二人。
 歩哨はイカリヤの計らいで外している。
 後から響子の肩を抱く五代。
「もう何もかも消えてしまいそうで、あたし、どうしたらいいのかわからない」
「お願い、あたしのことだけ考えて」

「あら、クララさん、自棄酒はいけませんなあ」
「なによお、いいじゃない、未亡人もやっと素直になったんだから」
 グラスではなく、ボトルそのままにワインを呑もうとしてミレイに召し上げられてしまう。
 優しく、力強く手首を握り、ただ、何も云わず、クララの瞳を見詰めるだけ。
「ぐぅううううわぁぁああぁ」
 空身酒転じて泣き上戸にかわりミレイの胸の中で泣き崩れる。
「よおし、二人の前途を祝して、更にぱ――あっといきますか」
 ヨッツアーののりのりに半ば呆れ顔の部下達。酔いつぶれて寝こんでしまう。

「あたし、気長に待ちますわ。戦争ももうすぐ終わるかもしれない。
 これからずっと大変になるかもしれないけれど、きっと五代さんにふさわしいことができると思うんです」

 何で? 何で? こんなことになってしまうの?
 聡一郎さんがそこに居たというだけで。
 私達がここに住んでいたというだけで。
 五代さんが大学に留学していただけで。
 何も、何もかもが消えていってしまう気がする。
「さああ、ホントのことは人の心だけたくさんあると私は思いますけれど」
 出立の前夜、ミレイとのお茶会での会話。
「私はあのひと(イカリヤ)と出会えて本当に良かったと思っているわ。
 楽しいことよりも辛いことのほうが多いし、悲しいこともね。でも、私達は生きているのよ、生きていこうとしているの、二人で。
 死んでいった人達が大勢居るわ、でも、それでもね、だからこそ私達はきちんと生きていく、それがその人達が生きていたことに
対する礼だと考えるの
「強いんですね」
「いいえ、泣き虫のあのひとがずっと強いわ」
 確信と自信、全てを見透かす程の怜悧な眼差しだが、体の奥から温かくなる気がした。
 響子の手を握り締め、
「”あなた達”もきちんと生きているわ」
 一つ年下なのに懐深く包む込み慈しむように言葉を受け止め、話しをするミレイにどれほど勇気付けられたろうか。
 穏やかな表情の中に不屈の志を覗かせるイカリヤに五代がどれほど励まされたろうか。
 ミレイは私達を庇って残り、イカリヤは五代を護る様に一刻館へと戻っていった。
 私の意気地なしのせいで、死んでしまったら――。

「だぅああああああああ」
 一度は倒した坂本が一刻館からツェレに向けて出発しようとした二人に襲い掛かる。
 五代をサイドカーから突き飛ばし、坂本を組み伏せるように走り続けるイカリヤ。
「イカリヤさ――ん!!」
 不発弾の誘爆が続く街路に鈍い音が響いた。

「イカリヤさん、ゴメンナサイ、ミレイさんを」
 ツェレの別荘宅に到着したが、一同に安堵感は出ようも無かった。
 別れ際のミレイの言葉が耳に蘇る。
「あの人、私の淹れた紅茶しか飲まないんです。帰ってきたときに呑むから、ちゃんと戻りますよ」

 ――――――――――最後へ。 結の章:想い、空高く