「Walzenlafette」 ―Haben Sie noch Zimmer frei?―
第参部:序文
セピア色の風景が広がる過ぎ去りし日々との邂逅、そこはハノーファーとハンブルグの間に続く原野に
咲き乱れるエリカの花々、Luneburger Heideの中を進む馬車。
夏の陽光の中を燕のように軽やかに動く響子・ツェッペリン。
追い掛けるのは聡一郎なのであろうか…。
乾いた夏の風に舞う花弁の中を進む喪服の響子。
「響子さん、これからどうするつもりなんだね?」
「まだわかりません、御養父様。
自分がどうしたら良いのかわかるまで…、聡一郎さんの姓を名乗っていたいんです」
「響子、未だ今は戦争が激しくないけれど、戦場になったらもう日本へは帰れないかも しれないのよ」
「わかっています。もう少し、私のわがままをきいていて下さい」
同じ頃、五代はLeine河で何を想っていたのだろうか。
溌の章:開かれシ、朝の窓
ハノーファー中心部から南へ30Km下がった山間のマリエンブルグ界隈。
昨晩、北の空を焦がした爆撃行は北西部の工業地帯を重点的に行われたようだ。
損耗撃墜率が今回も20%に達し、依然独逸防空ジェット航空団が健在なのを示した。
激甚な被害にも拘わらずに英米連合空軍は最後の重爆撃をニーダーザクセンに行い、講和条件を有利に
推し進める企図であった。それは始まったばかりなのだ。
補給・通信・衛生部隊が暫定駐留するマリエンブルグ城だが、一時疎開してきたのは一刻館の面々以外にも十数人だった。
昨晩遅くまで続いた一刻館面々というよりヤヌアール、ビュステルハンとヨッツアー、この3人が中心なのだが宴会騒ぎで
夜警の歩哨も寝不足気味のようだ。謹厳実直を誇るパンツァーコルプスラインハルト(独逸陸軍機甲軍団)も民間人を主体と
した一行には寛容であるらしい。
「夕べの、結構離れてね」
「そうですな、ですが今日の昼も夜も、明日の昼も夜も爆弾を落としに来ますな」
「やっぱりなのかい?」
「ドレスデンやハンブルグと同じですな」
「そうかい…」
やれやれといった面持ちで窓外から目を離し、階下の食堂へと向かうヤヌアール。
代わるようにヨッツアーの傍らに立つイカリヤとミレイ。何かを話し出す。
「(未亡人、というのを堪えて)管理人さん。
夕べはやはり一刻館が気になって眠れなっかの?」
響子と同じ部屋で寝たクララの起き掛けの問い。
ヨッツアーの手配で狭いながらも一刻館の面々が別々の部屋に泊れるように配慮したのだがクララの合流で相部屋となった。
クララ自身はいつものように五代と一緒の寝室でもいいと主張して、いつものように最後は響子が自分の部屋に来なさいと諭した。
「そう、そうね。あそこには思い出が多すぎるわ。このまま消えてしまったら全てが嘘になってしまいそう…」
「ふうぅ〜ん、新しくつくればいいのに」
一刻館が無くなればあなたとは五分の条件になるから、という言葉は喉元で押さえ、チャンスが有る限り行動あるのみ、を目元に漂わせていた。
なぜクララが一刻館の面々と行動を共にするかをクララ自身、説明しなかったのだが皆もいつものように尋ねたりはしなかった。
実際、クララ自身は理由を知らない。
ドアを4度ノックし、五代が
「クララ、管理人さん。朝食の準備が出来たそうです」
「はあああい、”先生”、今、降りていきます!!」
まるでキャンプを愉しむ気分のクララに対し、響子は物憂げな表情を浮かべるだけで
「10時には御養父様とヒルデガルドが来るのね。
御養父様には、話さないと(いえ、謝らないと…)」
豪奢な談話室の戸を駐留する通信中隊の士官が階級通り、律儀に開け、律儀に閉めながらこれまた律儀に敬礼を行い用件を伝達した。
「ツッペリン伯が御来訪に為りました」
その言葉も言い終らない内に戸を勢いよく開けて、
「叔母様!! ヒルデガルド・ローザライン(Hildegard
Rosalein)・ツェッペリン、只今、参りました」
と元気な声と栗鼠のように軽やかな立居振舞いで挨拶を行った。
口許に運んだティーカップを下ろし、返礼を響子は行い、
「おはよう、ヒルダ」
「響子さん、無事だったかね」
開け放たれたままの戸からツェッペリン伯が息災を問いかけた。
「お父様、止むに止まれぬ事情とはいえ、Eins
Stunde hameを離れることになってしまい、申し訳有りません」
「謝ることはないんだよ、響子さん。
あなたはもう十分礼を尽くしたんだよ。無理する必要もこれでなくなるかもしれない、あなたは生きているのだからね」
「はい」
気を利かせて部屋から退出していく一刻館の面々。
五代が最後に部屋を出ようとした時、
「五代さん、あの――」
「何3人で話してたんだい?」
昼食の準備をしながら、無理やり五代を引き込み雑談を交えて問うヤヌアール。
「まあ、僕も根無し草になる訳ですから、身の振り方をどうするかの相談ですよ」
「それだけ?
お父様、響子さんを僕に下さい!! ―て、やったんじゃないの?」
ジェスチャーを交えながらビュステルハンが茶化す。
「なに根拠のない事云ってんですか、まだ出来る訳ないでしょう」
「あらぁ、私ならこのままここで式を挙げても構わないわ、五代”先生”」
食卓の花瓶から1輪取り出し、宣誓の眼差しをうっとり浮かべるクララ。
「まだね、かよ。意気地なしだよな」
「ナマ云うなんて十年早いぞ」
からかわれる捌け口をケンタルスの頭を小突くことで放出する。
「ミレイさんは?」
「ああ、ヒルダちゃんと一緒に厨房で管理人さんと三人で日本食作っているわよ」
「日本食? 醤油も味噌もないのに」
「なんかさ、ミレイさんが少し持ちこんでたみたい」
「一刻館に来てほんの2週間でしたからね。ベルリンからそのまま持参したのかな」
「ねえ、五代の兄ちゃん、味噌ってなあに? 醤油ってのは?」
「日本の家庭料理の調味料だよ」
翌日、午後2時過ぎ。
宮殿前の降車場にトラックと常用車を停め、再度の移動の準備を行う一刻館の面々。
ナルツは身重のアンナ故にハーメルンの両親宅に前夜向かい、残る面々はエリカ街道を北上、ハノーファーを通り抜けて
CELLE:ツェレ(北独逸の真珠と称される愛くるしい小さな街である)へ向かうことにした。
これはツェレに伯の別荘があることと、マリエンブルグ城近郊に夜間空襲の可能性が打診されてきたことによる。このため、
出立を日中で急がないと街道が軍により閉鎖され、灯火官制の最中での行動は慎む必要があったからだ。
「あの、ハノーファーに立ち寄ることは出来ませんか!?」
伯の護衛を任されたヨッツアー大佐付け士官に対して響子が尋ねるが、これからでは昼間爆撃の最中の市街に向かうのは
危険であることと、昨夜の市南西方面の空襲により焼失している可能性が高いことから後日、日を改めるべきだと諭されるに終わった。
「どうしたんだい、管理人さん、今朝から変だよ」
「一刻館に大切なものを忘れてきたんです」
荷物を荷台に積みこむのを曹長に押し付けたヤヌアールが問いただす。
「そんな事いっても、」
「大丈夫ですよ、私が寄っていきましょう」
自分達の荷物を積み終えたイカリアが屈託のない表情で、さも当然と云わんばかりに申し出た。
まるで危険がなくピクニックにでも出掛けるような気概だ。
「場所を教えて頂ければ確認してきますよ」
サイドカーの荷物を退け、もうこれで準備できましたとの態度だ。
「あの、僕も一緒に連れていって下さい」
意外な五代の発言に一同は驚くが、イカリアとミレイはテストの答案を回収する教師のように動じない。
ヨッツアーが目配せをし、街の状況を通信兵に確認させに行く。
約半時間後、先に出立したイカリアと五代の乗るサイドカーの音は梢の中に掻き消されていった。
昨日のこと、今朝のこと、そして出立前の五代との会話を思い出して、道先を見続ける響子。
その傍らにミレイが立ち、
「捨ててしまったのではないのなら、必ず戻ってきますよ。
忘れても、失っても、違った形で手に戻って来る、そういうことだと私は思います」
独り言のように話す眼差しは自信と信頼、芯の強さを放っていた。
ウィンクして、さあ、今度は私達の出立ですよ、と促す。
同刻:ヴォルフスブルク上空1万3千m
独逸防空監視団早期警戒レーダー哨戒機、Ju390IG、ツム・グラウエン・ボック。
「ガルミッシュ・パルムより独率編成防衛航空団へ ゼー・レーヴェ来る。編成7階梯、367機前後、繰り返す、ゼー・レーヴェ来る」
慕情の空には惜別を残しながら、西北からラグナレクが訪れようとしていた。
――――――――――次へ続く。 転の章:閉ざされシ、夢の社