「Walzenlafette」 ―Haben Sie noch Zimmer frei?― 


第弐部:序文
 1938年、グスタフ・ハインツ・ローエングラムによるクーデターにより独逸第参帝国の総統、
アーダルベルト・フォン・ヨアヒム・ヒトラーは放逐され、国家社会主義政党の独裁は終焉し、
極めて民主的な独裁国家としての新生独逸第参帝国が誕生した。
 英仏両国家による戦時賠償を放棄した政策を破棄し、チューリンゲンで不可侵条約を締結
するが、チェコスロバキアに独逸寄りの自治政府が誕生したことより英国第8師団第24挺団が
ベルギーに駐留。1939年6月の外交交渉分裂、8月のポーランド王国での民主化運動弾圧に
対する擁護をローエングラムは公布し、9月には武力介入。王統派の国外追放に対して英国
政府が宣戦布告、9月中旬に仏蘭西政府も宣戦布告をし、ここに第2次世界大戦が勃発し、
独裁主義と民主主義による民衆解放を目指した稀有な戦乱が開かれたである。
  緒戦は圧倒的な独逸軍有利に展開し、独逸戦略爆撃団と装甲機甲化師団、戦艦による陸
上への艦砲射撃、空母艦載機と潜水艦連携による洋上作戦、電子諜報戦が繰広げられて、
今日の戦術の基礎を全て確立したとされる、破竹の進撃が見られたが、1943年、露西亜と亜
米利加が戦線を布告、同年6月、日本と亜米利加が太平洋戦争に突入。
 全世界規模の物量戦、消耗戦が展開され、徐々に徐々に独逸軍の敗退が色濃くなっていった。
1944年10月の英米連合軍のダンケルク上陸により大陸反攻戦が始まる。
 そして、物語の舞台はハノーファーに移る。

開幕:(オープニングです)
 数十,数百のコントレールを牽きながら押し寄せる爆撃機。護衛の戦闘機群。
 一撃離脱を敢行する第参帝国空軍独率編成防衛航空団のジェット戦闘機。
 空を焦がすほどに発射される数百数千のロケット弾。
 軍港へ艦砲射撃を続けざまに撃ち込む巡洋艦、駆逐艦多数。
 対戦車砲をゼロ距離射撃するパルチザン。
 西から、東から戦線を狭めていく連合軍、露西亜軍との攻防、戦車戦、銃火の中に倒れていく無数の兵士達。
 公園の中を進む、響子・ツェッペリン。
 止まったままの懐中時計。
 何かを叫んでいる表情の五代裕作。
 シュタインフード湖でのピクニックの想い出。
 打ち抜かれ割れて粉々になる一刻館:Eins Stunde hameの日々。
 背中を見せ、微笑みながら消えていく五代。
 必死で抱き締めようとして陽炎のように空を掴むだけに気付き涕を流す響子。
 ただ、時を刻むだけの古い柱時計の振り子だけが動いていた。

承の章:迷いシ、夜の帳

「管理人さん、食料袋抱えて、どうしたの?」
「あれえ、五代君は? 食料は五代君じゃ…」
 ヤヌアールとビュステルハン・ユーニーが玄関先に梱包した荷物を積み上げていた手を止めて尋ねた。
「ヴァス イスト パスィールト?(どうしたの?)」
「、只今」
 暗い表情の五代が響子の影から両脇に食料袋(野菜は少ない)を抱えながら応えた。
「なんだあ、マーケットで一緒になったんだ、荷物は管理人さんと五代君のだけだからさ、早いとこ纏めてヨッツアーさんを待とうよ」
「メルツさんは当面のお金を銀行に引き出しにいったから、あと少しで戻って来るよ」
「そうですか」
「……」
 二人は袋を降ろすとそれぞれの部屋に返事もせず入っていった。
 二人に会話が無いことに気付いたヤヌアールが、
「変だね、今日の管理人さん。
 いつもの喧嘩にしても、五代君の態度が違うじゃない」
「ここに来て、正念場なんじゃない。
 五代君はもう日本には戻れないんだし、ここだって焼け落ちるかもしれない。
 グズなのはしょうがないとしても、ハッキリさせて貰いたいのにしないからね」
「マリーちゃんと未だきれていないんじゃない。昨日の夕方、マリーちゃん尋ねてきたもん、五代さん居ますかって」
「ふうぅ〜ん、ハッキリしないのはどっちなのかねぇ」
「ビュステルハンさん、なんか企んでいるでしょ?」
「あたい? あたいは何も企んでなんかいないわよ。
 ただ、これから生き死にギリギリが続くかもしれないのに死んだ人間にしか見ていないのはいいのかい、そう思うだけよ」
「ふん、確かにね、あの二人、自分にもう少し正直になれればいいのに」
「かあちゃあん、これで最後の荷物だよ」
「ケンタルス、あと一つ忘れているじゃないか」
「何?」
「ここで飲める最後の酒だ、出発前にパーっとやろう」
「賛成!」
「かあちゃあん、恥ずかしいから止めろよ」
 ドアノブを三度ノックする音がし、皆が振り向くと
「私も参加させて頂けないかしらん!?」
「おっ、(2号室の)ミレイ:Mereiさん、気が利くじゃない」
「旦那さんは?朝から見掛けないけれど」
「主人は、事務所の閉鎖の後、ヨッツアー大佐と一緒に帰ってきます」
「五代君といい、イカリアさんんといい、日本への帰国、どうするの?」
「大丈夫です、なんとかなります。
 それにビュステルハンさん、イカリア:Ikariaではなく、イカリヤ:Ikariyaです」
「あ、フェアツァイウング〔ゴメンナサイ〕、つい、似ているから」
「管理人さんは?!」
「ああ、もうすぐ降りてくると思うよ」
「皆さ〜ん、遅くなりました、申し訳ありません」
「ナルツさん」

 旅行鞄に最後の詰め物をし、ゆっくりと蓋を閉めた。
 時計は3時半を回ったところだ。
「五代さん――」
 それは1時間ほど前。
「もう、うんざりです」
 詰問の表情で五代を見据えていた響子は吐き捨てた後、踵を返しマーケット側へと歩き出した。
「か、管理人さん、ま、待ってください、話を聞いて下さい」
「食料、未だ足りないんです、付き合いますから買い足しましょう」
 3歩先を怒るように進む響子を、弁明を考えながら五代は付いて行く。
「管理人さん、いえ、響子さん、――」
 その後の事を反芻するよう、唇先に右人差し指を当て思いを廻らす響子。
「管理人さん、やっぱり、ぼく、行ってきますから」
「は、はい」
 いつものように管理人室の扉を開けた前で話す二人。
 階段の蔭から優しく見ているミレイ:Merei。
 トラックがドドタタタッ、と古ぼけたエンジンを上げてEins Stunde hame〔一刻館〕前に停止した。
「いやあ、予定より早く手続きできましたので、早速到着した次第です」
 ヨッツアー大佐が惚けた表情で運転席から降り、帽子を被りなおす。
「もう、こっちは殆ど準備できてるよ、出立前の酒盛りで出来あがちゃっているけど」
「ああ、せめてわたくしが戻るまでは待っていて頂きたかったぁああ」
「何云ってんの、ヨッツアーさんが飲んじゃ運転危なくてしょうがないじゃない」
 その会話を聞き流すように五代が脇を通り抜けて中央駅へと走り出した。
「あ、五代君、何処へ行くの、もう時間がぁ」
「大事な用があるんです、行かせてあげてください」
「そうかい、ミレイさん、なんか知ってるの?」
「さあ?」
 曖昧な笑みを浮かべ、ヤヌアールとビュステルハンの質問をはぐらかす。
「五代さん、後に乗って下さい」
「イカリヤさん」
 道を塞ぐように五代の前にイカリアがサイドカーを停止させ、同乗を促す。
「わたしも駅には所用がありまして」
 声を張り上げ、
「みなさん、ちょっと二人で中央駅に行きます。4時になったら出発して下さい。我々は直接、マリエンブルグ:Schloss Marienburgに向かいます。
 ミレイ!、ヨッツアーさん、皆さんを宜しくお願い致します」

 ハノーファー中央駅:Haptbahnhof内、夕刻ゆえか銀行は閉まっているが、レストラン、本屋、花屋、パン屋、床屋には
離れようとする人、新たに来る人でごった返していた。食料品店前の待合所では4時発のドイチェ・ライヒスバーン、インター
レギオシティが入線し、客車へ荷物を運び込むポーター達が忙しなく動いている。
 臙脂色のコートを羽織り、ベレー帽を被ったマリーが、出立する人々を凝視していた。
 抱き合う恋人、家族、友人、軍服私服の区別無く、別離と惜別に名残を惜しんでいる。
「マリーちゃん」
「ご、五代さん、来て、来て、来て、来てくれたのね…」
 両手を頬にあてて信じられないのと嬉しさの表現が分からない。
「ご免、マリーちゃん」
 不意にしゃがみ込み、頭を下げる五代。
「ご、五代さん、立って、立ってください」
「本当は、もっと早く言うべきだったんだけど、僕には好きな人がいるんだ」
 後悔と哀別の眼差しでマリーを見据え、
「君にはどう恨まれても仕方がないと思うし、こうなる前に言うべきだったんだ」
「……」
 流れ出でる涕を敢えて止めようとせず、瞼を一度閉じ、軽く吸った息をゆっくりと、長く、篭りかけた思いを吐き出し、ゆっくりと顔を上げた。
「やっぱり、そうだったんだ。
 えへっ、私って鈍いから――」
 カラ元気を振舞うマリー。
 数m離れた花屋の前でその情景を見続けるイカリヤ。
 その肩をある少女の手が叩いた。
「ねえ、五代さんの好きな人って―――――なの!?」
「――――――」
 列車の汽笛が二人の会話をかき消していく。
「結婚するの?」
「いや、まだ、そういう段階じゃなくて」
「そう、でも、来てくれて有難う。お別れするにしても、変なかたちじゃ嫌だったから」
 場内アナウンスがインターレギオシティの発車の案内を始めた。
「じゃあ、さよなら、さよなら、Auf Wiedersehe.!! ヘル・ユーサク!!」
 手を振り、喧騒の中、列車に乗りこんだマリーを見送りつづける。
 汽笛の音は郷愁と万感を残響に変えて駅構内にこだましていた。
「さあ、我々も出発しましょう」
 ご愁傷様、といった顔をして相槌を打つイカリヤ。
「そうですね、……(さよなら、マリーちゃん)」
「五代“先生”!!きゃはは」
 突然、五代の右腕に一人の少女が抱きついた。
「わ、わ、わ、クララ、クララ・カーテローゼ・アウグスト、どうしたんだ一体?」
 先程までの光景を見られた思いから狼狽してしまう。
「あらあ、”先生”、私は寛容な女ですのよ」(声:八神こずえ)
「それはいいとして、その“先生”ってのはなんだ!?」
「あらあ、イカリアさんから東洋では目上の人を“先生”って呼ぶって聞いたわ」
「まあ、私の用というのは、クララさんを我々と一緒に疎開させるというのがあり、
 ここに迎えに来たわけです。アウグスト教授から依頼されていましてね」
「そ、そんなあ」
「ああ、五代先生と逃避行、素敵だわ」

 ――――――――――次へ続く。 溌の章:開かれシ、朝の窓