「Walzenlafette」 ―Haben Sie noch Zimmer frei?― 


序章
 闇夜を茜色に染め上げる紅蓮の炎。
 朝は凍て付くほどだったのに止めど無く汗が流れ落ちる程の熱気。
 ヴァリュキューレの馬車のように大地の向こうへと響き渡るエンジン音、風切り音。
 炸裂する高射砲、迎撃するMe263ジェット戦闘機の金属音。
 降り注ぐ焼夷弾、崩れ落ち、焼け落ち、老若男女の区別無く生きたままで焼き殺される無数の命。
 ニューザクセン州の州都、ハノーファー:Hannoverは英米連合空軍戦略爆撃第8・363混成航空団の
昼夜兼行無差別絨毯爆撃に蹂躙されていた。
 1714年から123年間にわたって英国国王をも兼ねたハノーファー王家の優雅なヘレンハウザー王宮
庭園も業火に囲まれ、優美なこの都市の終焉に付き従うかのように焼け落ちようとしていた。
 煉瓦すらも溶けるのではないかと感じるほどの火災旋風の中を走る一人の男が居た。
 肩で息をし、ライネ川の辺で旧市街を見やる。
「はぁ、はぁ、はぁ、だ、大丈夫かな。
 未だ、焼けていないといいんだけど…」

 開幕:(オープニングです)
 数十,数百のコントレールを牽きながら押し寄せる爆撃機。護衛の戦闘機群。
 一撃離脱を敢行する第参帝国空軍独率編成防衛航空団のジェット戦闘機。
 誘導する都市防衛レーダー基地、ノボトニーライン。
 軍港へ艦砲射撃を続けざまに撃ち込む巡洋艦、駆逐艦多数。
 避難し、疎開していく各都市の住民達。
 西から、東から戦線を狭めていく連合軍、露西亜軍との攻防、戦車戦、銃火の中に倒れていく無数の兵士達。
 午後の陽光の中の、響子・ツェッペリン。
 止まったままの懐中時計。
 不安げな表情の五代裕作。
 シュタインフード湖でのピクニックの想い出。
 打ち抜かれ割れて粉々になる一刻館:Eins Stunde hameの日々。
 背中を見せ、微笑みながら消えていく五代。
 必死で抱き締めようとして陽炎のように空を掴むだけに気付き涕を流す響子。
 ただ、時を刻むだけの古い柱時計の振り子だけが動いていた。

起の章:過ぎ去りシ、午後の日々

「管理人さん、管理人さん、何してんだい」
 ドアの内戸を叩き、促すフラウ・ヤヌアール。
「ヤヌアールさん、いえ、ちょっと準備が整なわなくて」
 見詰めていた懐中時計を読書机に置き、顔を見られないように背中越しに返答する響子。
「ここがあんたにとって(亡くなった旦那の)聡一郎(ヨアヒム・ツェッペリン)さんとの大切な場所だって分かるけれど、
この街だって今の今まで大きな空襲に曝されんかったけど、先週にはエッセン:Essenが陥落したっていうじゃない。
あのヨッツァー大佐が内内に傍受情報で今晩にも無差別爆撃が開始されるって教えてくれたんだから、早く疎開
する準備しなきゃあ」
「は、はい、それは解っているんですが、、」
「午後4時にはヨッツァー大佐が避難用のトラックを調達してくるから、それまでには準備しとくんだよ、いいね」
 ただ微笑むだけの返事をし、閉められた戸を数瞬みやると窓外へと視線を移す。
「ここから離れなければならないの、ゴメンナサイ、聡一郎さん」

「五代さ〜ん」
 食糧調達で買出しにマーケットに出たが、日に日に戦況が芳しくなく、押し寄せる難民と前線へ駆り出された働き
盛りの男手が消えて伝統と歴史の在るこの古都も寂しさに覆われている、そう五代は感じていた。声を掛けてきた
のは留学先の大学ニーダーザクセンにて知り合った女性のフロイライン・マリー・ユーリ・シュタインホフだ。
「マリーちゃん、疎開の準備は出来たの?」
「うん、4時の列車で2路線(ハンブルグ→ハノーファー→カッセル→フランクフルト→マンハイム→バーゼルを結ぶ路線)の
カッセル行きに乗るの。叔父さん達の所に行くの」
「そっか、遠いね。無事に着けるといいね」
「ご、五代さん」
「なんだい?」
「あの、わ、わ、」
 頬を僅かばかり紅潮させ、真顔で五代を見据えて話そうとするが、想いとは裏腹に言葉は喉の途中で止まってしまう。
「もう少し、歩こうか」
「う、うん」
 私の気持ちに気付いて欲しい、でも、本当は、
 交錯する想いがそれ以上の唇の動きを止めた。
 バーンホフ通りを抜けてクロプケ広場へ歩いていく二人だった。

「管理人さんは?」
「ああ、聡一郎(犬)さんを連れて最後の散歩に出かけたよ」
「ほんとに疎開する気はあるんだろうねえ」
「名残惜しいかもしれないけれど、死んじゃえばお仕舞いだからね。それよりビュステルハンさん、準備はいいの」
「あたい? あたいは鞄一つでどこへでも行けるわよ。
 管理人さんみたいに余計な荷物なんかないからね」
 階下の玄関前に重厚なブレーキ音をたてて黒塗りの常用車が停止した。
「メルツさん、用意は出きたのかい」
「ヤヌアールさん、ええ、こちらの準備は出来ました。後はヨッツァーさんのトラックに荷物を載せればみんな何とか
 避難できるはずです。ところで響子さんは?」(声:三鷹)
「ああ、犬の散歩だよ、最後の街を一緒にね」
 ワインボトルを握ったまま振り、冷やかす。
「い、犬?(ま、まさか、犬をくるまの中へ入れるつもりは響子さんは、、ひいいい)」
「どおしたの? 顔が青いわよ、メルツさん」
 眩暈を押さえながら、荷物の搬出の準備を仕出した一刻館の面々を手伝い始めた。
「ケンタルス、何してんだい、荷物を外へ運ぶ手伝いしないかい、ほら、あんたも」

 ヴィルヘルム・ブッシュ美術館前の庭園を歩く五代とマリー。
 庭園内各所に据え付けられた8cm高射砲の鈍い鋼色が戦時であること、今晩にも始まる空襲の苛烈さを強調していた。
接収されていた美術館だったが兵士の姿はまばらだった。
 ゲオルゲンガルデンの中を聡一郎と共に散歩する響子。
 鉛色の空も微かに夕日に染まり出そうとする時間だった。
「もうそろそろ一刻館に戻らないと、あれ、五代さん。ご、」
 声を掛けようとするが傍らのマリーに気付き、思わず木陰に隠れる。
 なんんで隠れたんだろう、今まではマリーさんが居ても平気だったのに−、と咄嗟の行動に動転する。
 鼓動もそれ以上に気持ちを昂ぶらせるほどに高くなっていく。
「マリーちゃん、よくこの公園、歩いたね」
「あ、あの五代さん」
 小走りで五代の正面に出て、向かい合うマリー。
「なに?マ、」
 口を開く前に五代にマリーが抱きついた。
 失いたくないとばかりに両腕に力を込め、小柄な身体を密着させる。
 声を失う響子、瞬きすら出来ない。
「マ、マリーちゃん、あの、」
「五代さん、お願い、一緒に来て、私と一緒に来て、お願い」
 顔を上げたマリーは涙ぐみ、泣くのを懸命に堪えていた。
「ぼ、僕は−」
 口を塞ぐようにキスをし、言葉を遮る。
 耳でなく、身体で受け止めて欲しい、声でなく、唇で受け止めて欲しい。
 その光景木陰から見てしまい、ドギマギしてしまう響子。
 胸が苦しくなり、どうしていいのかわからない、言葉が見つからない。
 答えが見つからない。動けない、動けない自分がいることに今更ながら気付いた。
 どの位の時間だったのだろうか、ゆっくりと咥えるように噛むようにしていた五代の唇を離し、身体を解き、数歩後退し、
照れるように踊るようにくるりと舞い、再び五代に向かう。
「ごめんなさい、でも、でも、きちんと伝えておきたかったから。
 好き、好きです。あなたが好きです」
 祈るように手を合わせ、一度うつむき、顔を上げて、
「中央駅で待っています。
 私のこと、好きなら、来てください。もし、そうでなかったら――、」

 複雑だった。
 まさか、あれほどまでに好きで居てくれたとは、どうしよう、と。
「はぁあ、困ったなあ、どうしてよりによって今日の4時なんだ」
 ごちりながら公園を出て、一刻館へ戻ろうとしたとき、バウッ、バウッ、と犬の吼える声に気を取り戻すと、そこに響子が
立っていた。
「か、管理人さん…」
「行ってあげないんですか、マリーさんのところへ。
 一緒に行ってあげないんですか、五代さん………………」
 悔しかった、動けない自分に。動けたマリーに。そして、はっきりしない五代に。
「もう、うんざりです」

 ――――――――――次へ続く。 承の章:迷いシ、夜の帳