引っ越しました
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七月二十四日 一枚の写真
「ロッキング・オン、特別号、忌野清志郎 1951-2009」の中に掲載されている一枚の写真が好きだ。
新宿駅のプラットホーム、「しんじゅく」の縦表示板のすぐ脇に煙草を吸いながらあずさを待つ清志郎が立ち、傍らにはギター・ケース、その隣の表示板には「Shinjuku」のローマ字表記で、少し奥に「AZUSA 7号20:00 MATSUMOTO」の案内板が覗いている。
七月二十三日 恥も外聞も
川口駅前で署名活動が行なわれていた。
「川口駅に埼京線を停車」の昇り幕に「自民党代議士名」の昇り幕が隣り合わせていた。
メンバーの中の一人、初老の男はこの署名活動の責任者がその代議士なのだと、嫌そうな顔で俺の質問に答えた。
百歩譲って、この署名活動が週に一回か二回駅頭に置いて継続的に実施されていたにしてもだ。
某代議士があなたの駅に埼京線を持って来ます、だから一票を式にも思えてしまう事前活動には恥も外聞もないらしい。これは素晴らしい、署名して選挙もこの男にという人間も一万人に一人くらいいるのかしら。
七月二十一日
こんな時まで笑っているのは
さすがに少々骨身にこたえるが
だからといって塞ぎ込んで
お前の空まで曇らせてたまるか
武士は食わねど高楊枝
武士じゃないがそれもらった
威張る必要は1ミリもないが
お天道様の下胸を張って行くさ
八月八日の「YAONでSION」でこの歌が聴きたい。
七月二十日 ギターの弦
最近はよくギターの弦を張り換える。
ダダリオが良いと言われ換え、やっぱりアニー・ボールだと換え、キースもロンも009から042だと読んで真似し、ソウルのバッキングならもうちょい太い弦らしいと、また換える。
頻繁に弦を換えたからって技量が上がるわけでもないのだが。
中学の頃、I君がヤマハのギターにマーティンの弦を張った。マーティンのギターは写真でしか見たことのない高価な
物だったが、弦だって中学生にとっては高級品だった。どんな音がするのと問われI君は答えた。Em(和音の名称です)弾くともうジャラジャラ鳴るんだぜ! その後、I君は「イー・マイナー、ジャラ・ジャラ」としばらく馬鹿にされていた。
七月十五日 梅雨明け
空が高い。
何とも言えない様態の浮雲の名称が分からない。様々な雲の名を知っていれば、もう少しはまともな文章が書ける気もするが。ベランダに咲く花々も名前を言えるのは朝顔、薔薇、ハイビスカスだけで、あとは分からない。
五十二回目の夏はどんな夏になるのだろう。。
経済の回復より先に回復されねばならぬことがある、辺見庸が言っている。
七月三日 アフリカの月
西岡恭蔵の「アフリカの月」のカバーが流れている。ピアノで弾き語る女性は誰なのだろう。王子のオープン・カフェなぞ何だか冴えないがそれでも、コロナビールに生暖かい風にアフリカの月は良い取り合わせだ。
申し訳ないが気分が良い。
七月一日 自民党とカラス
某テレビ局が流す自民党本部の映像。ビルに掲げられた「自由民主党」の「由」の字の所にいつもカラスが停まっているのだが、その光景は妙に可笑しく、何だか暗示的だ。
六月二十二日 Oh! RADIO
清志郎の新曲ばかり聴いている。清志郎はオー、レディオなどとは歌わない。オー・ラジオだ。トランジスタ・ラジオだ。CDにはポスト・カードが添付されていて、笑顔の清志郎、ギブソン・ハミングバード、テレキャス、ギブソン・レスポール・ジュニアの同居が何とも素敵なのだ。
六月二十一日 合掌
霊安室での遺影もなしの焼香はショックだった。
俺は棺に手を当てて叔父さんにお礼を言った。
最後に会ったのは去年の暮れの二十九日で、叔父さんは俺の電投で武田−神山をウン万円買った。結果はこれはいらないと思うと俺が言った手島の優勝だった。
その手島と同じ死に方はないでしょう、叔父さん。先に逝っている叔母さんに引っ叩かれますからね、覚悟して向こうへ行ったほうがいいですよ。
洩れ伝わって来る、叔父さんがこの世に残した迷惑が如何ほどか知らんけど、俺は叔父さんには感謝しかないから。ちょいと早いけど、突然だったけど、お別れです。ま、気があるとこあったらあの世から競輪打って来て下さい。あまり沢山は買えないけど。
さっきまでザンザカ降っていた雨がほぼ上がったみたいだ。
六月七日 夢の中の走塁
野球の夢を見た。
外野まで飛んだはずなのに一塁までが遠い遠い。アウトになったぼくはベースの位置が間違ってるんじやないかと文句を言っている。一塁走者のぼくは打球に反応して三塁まで行こうとするが、夢の中独特のもどかしい走りでタッチアウトになってしまう。そのときもう打者走者はぼくのすぐ後ろまで来ていて、顔を見ると派手な衣装のニューハーフなのだ。そこで目が覚めた。
六月六日 未来都市
街は夕暮れ時が一番だ。
ひさしぶりの通りは様変わりしていて、階段上のフィリピン・パブは「淑女クラブ」になっていた。何年か前の昼下がり、大きなスーツケース二個を傍に置いて階段に座り、煙草を燻らせていたフィリピーナを憶えている。
赤羽大橋を東京側から埼玉側へ渡る時に見える高層ビル群が未来都市みたいだ。景観の調和という点では酷評されそうだが、眼前左右にそれが現れたときには毎回、引き寄せられてしまう。
ディランの新譜のジャケットは表が車の中で抱き合う若者、裏は老人のラグタイム・バンドの楽屋風景という感じだ。
「TOGETHER THROUGH LIFE 」を聴いて、村上春樹の新作を読んで、一服してギターの練習。その繰り返しで生きていけたら言うことなしだが、食うためには働かなきゃならぬ。
五月三十日 図々しい客
トヨタ某店で車の定期点検。
休日だというのに店内は全然にぎわってはいない。
ぼくともう一人も車の点検らしき客、残り一人が商談らしい。
「俺の車だと例の減税はだめなんだよなぁ」「はい、残念ながら。あれは登録から十三年以上の車が対象でして…」「でもその分、何とかなるんだろう」「いや、それは…」。
装備品の一部が不要だとか、トヨタのオプション部品は無駄な物との抱き合わせが多いとか。途切れず続く文句と交渉に営業マンは平身低頭だ。
一段落して、何かお飲み物でも…とメニューを見せられた客は、じゃぁマックシェィクと言った。うまく返せないトヨタの社員は「いや、それは…」。
結局頼んだのは温かいカフェオレで女性が運んできた。「また太っちゃうな」と図々しい客がぽつり。
いえいえもう充分ブタですよ、あなた、いまさら気になさらなくても…。
営業マンか女性社員のどちらかがそう吐けば追っ払えるのだが、そういうわけにはいかない。仕事は厳しいものだ。トヨタの元会長はゴミだが、この営業マン君には隠れたるエールを送りたい。
こういう図々しいブタはどこにもいるもんだ。
五月四日
「グラッド・オール・オーヴァー」のビデオを観ている。時は1994年だから十五年前のキヨシローだ。
もう何度も書いているが、ぼくは高田馬場のビックボックスでキヨシローに遇っている。もっと詳述すると、場所はビックボックスの警備室の前。僕はアルバイトの警備員でキヨシロー、チャボ、G2の三人はラジオの公開録音を終えた帰りだった。RCがアルバム「プリーズ」を発売した直後だったと思う。交わした会話も憶えているがこっぱずかしいので明かさない。三十一年か三十二年前の出来事だ。そのときの、二十六か七のキヨシローを、ぼくは何とか思い起こそうとするがままならない。薄ぼんやりとした気配に翻弄され苛立っていると、涙が出てきた。
四月二十三日 高崎線
「バンドやってるんだ」「うん」「なに?」「ドラム」「路上とかでやるの?」「路上じゃやらないよ、ドラムだもん」「あ、そうか。でもいいね。誰なんかとやってるの?」「高村さんとか、あと吉田とか……」「高村さん? 高村さん知らない」「六組の高村さんだよ」「ああ、タカムラ。ウエーブでバイトしてるんだよね」「そう」「俺らもバイトのときバンドいいねって話になったんだ」「へえー。どんな種類?」「え?」「ほら、どんな音楽か」「いやぜんぜん。ただの話。三人だけだし」「三人、いいじゃん。スリーピース。格好良いよスリーピース。俺もやりたいなスリーピース・バンド」「スリーピースって?」「だから三人だよ。ギター、ベース、ドラムで誰かボーカールもやって。でもスリーピースは人数少ないから三人ともテクがないとむずかしい。俺らなんか五人だもん」。少しだけ混雑している高崎線の車内での高校生二人の会話が何ともいい。「そんなことはない、テクなし三人でもおじさんたちはスリーピースだぜ」と割って入りたかったが、そんな「社交性」を持ち合わせてはいない。
四月十六日 春よ、来い
テレビでユーミンが歌っている。
二級上の先輩の下宿でユーミンのLPレコードを見てからもう三十年経った。
先輩の下宿は玄関共同、風呂なしのアパートで、共用の下駄箱に入れてあったメンズ・ビギの靴が何者かに盗まれたと嘆いていた。ショーケンが「傷だらけの天使」で履いていたやつだぜ! 俺はその先輩からユーミンとデザイナーズ・ブランドを教わった。
「春よ、来い」はこんなにも良い曲だったのか。
四月十五日 二千円札
忘れた頃に、まだ流通してたのだと二千円札に出くわす。そしてその二千円札はなるべく早く使われようとされる。まるで忌み嫌われているような厄介者、ババ抜きのババ扱いだ。
よくこんな下らない代物で一時でも騒いだものだ。
四月七日 一つの時代
Eさんと初めて会ったのは二十一年前だから、Eさん四十歳、俺が三十の時だ。
二十一年間、二人の時は飯も珈琲も酒も支払いは全部Eさん持ちだった。
Eさんは俺の競輪の指針で、競輪に関する怒り、感動、論理がEさんと合致したとき、俺は俺の競輪がちょっと成長したような気分を味わった。
Eさんは時には俺の駆け込み寺でもあった。Eさんが看破した「つまんねえ野郎」はたいてい一年も経たない内に馬脚を現した。つまんねえ奴、つまんねえ男、つまんねえ選手……、いつしか俺も「つまんねえ」が口癖となった。
最後だからと川口駅の改札まで送って握手して別れた。後ろ姿を見送っていたらEさんは一度振り向いてEさんしか出来ない笑顔を作った。猫背の肩が見えなくなるまで俺はそこを動けなかった。
一つの時代が終わったような寂寥感が起こった。
でもEさん俺は、さよならだけが人生だ、ではなく、知り合ったらいつまでもだから。
Eさん、ほんとうにありがとうございました。
四月六日 高速道路より鉄道
昨日、北朝鮮から飛翔体発射の臨時ニュースが流れたとき、バンクでは先行一車のレースの選手紹介だった。飛翔体の行く末より、このレース、誰が番手に行くんだろう? 記者席の人間は皆、テレビよりバンクの隊列を凝視することとなった。
高速道路を千円にして経済効果だと。環境権を金で買おうとしている国のやることかしら。どうせやるなら、汽車電車を千円乗り放題にでもすればいいじゃない。どうせ安くした差額分の負担は将来の国民の負担だ。車より鉄道のほうが少しは公平感が増す。
意地でETCなんかつけない! つもりではいるが。
三月二十七日 混じり合う
ワールドカップ予選は観ないで世界遺産「ユーミン×アンダルシア」。
混じり合って生まれたフラメンコがこの先も混じり合ってゆくのだと誰かが言った。
混じり合いと交じり合いを拒絶した世界はきな臭ささを増し続ける。
死ぬ前にもう一度だけ、スペインを訪れたい。
二月二十日 「ガラガラ」
タイトルの「ガラガラ」とは回転式の抽籤機のことだった。立川志の輔の新作落語、恐るべし!
二月十九日 「少年メリケンサック」
最後に流れる「守ってあげたい」が妙に良かったのでシングルを買った。帰りの車中は「ニューヨークマラソン」「守ってあげたい」が繰り返し、繰り返しだ。ピストルズが聴きたくなった。
二月十四日 メイプル
気温が上がったせいか無性にアイスクリームが食べたくなってサーティ・ワンに寄った。いつもバニラだからたまには違うやつと店の外のメニューを見て、バニラにメイプルを垂らしたのが美味そうだったのでその名前を覚えて中へ入った。が、並んでいる内に忘れてしまって仕方なく、シングルのコーンにバニラと蜂蜜のアイスを……、お客様、二つアイスを乗せるにはダブルのコーンになります、いやそうじゃなくて……、だいたいメイプルはメイプル・シロップで蜂蜜ではない。たくさんの種類のアイスが並んでいるケースまで行って目当ての物を探して、その名前を伝えた。難産だったアイスを手渡され、そこでは何か食べづらかったので場所を移してショッピング・ビルの玄関で、やっとありついた!
この話はまだ終わらない。
向こうから来る爺さんに見覚えがあるようなないような。そしたら僕の方へ歩いて来る。誰だったけかなあ、やめちゃった選手かも。僕の前で歩を止めた爺さんは「あんまり美味しいとほっぺた落ちちゃうよ」とだけ言って、さっさと行ってしまった。そんなに夢中になって食べてたのかしら。それともまったくいい大人がというたしなめだっのでしょうか。不思議な気持ちで最後まで食して、そのビルの三階の楽器屋で電池を買ったら会計が777円の確変だった。
明日、晴れるか。
二月十二日 「20世紀少年」映画版
胃の調子が悪いのも手伝ってか癇癪を起こしそうになったけど、堪えた。「マンマミーヤ」にしときゃ良かったかとも思った。映画「20世紀少年・第二章」の後半は苦痛に近かった。ちゃんとした敵が不在の気持ち悪さと書けば言葉足らずか。「メリケンサック」の予告編と大音量のT.REXだけが収穫でした。
二月一日 しのびよる破局のなかで
インターネットなぞ要らないとぼくは捨て鉢に吐くが、それを論を立てて説明することが出来ない。辺見庸が言う即時性の危うさには瞠目させられた。派遣村の報道のあとに大食い企画、美食探訪。マスコミがコーティングして覆い隠す真実を、現代は好都合とばかりに見て見ぬふりをする。黙って、ともすればぞんざいな振る舞いで何十年も炊き出しを行っている人たちがいて、何万言を費やしてもその「誠実さ」は伝えられない。カミュの「ペスト」が示す「誠実さ」であると。
教育テレビで「作家・辺見庸・しのびよる破局のなかで」。一時間半が常時とは違う流れ方をした。氏の「自動起床装置」を途中で放り出している自分が恥ずかしい。
一月二十九日
地下鉄銀座線、浅草駅の三番出口の壁に寄り掛かっているホームレスと目が合った。(ような気がしただけで彼は何も見ちゃいない)
浅草寺で賽銭投げて何か祈って、「釜飯春」でビールに玉子焼きに鳥釜飯の男は昼間から顔を赤くして商店街を歩いている。
映画「アイデン&ティティ」で、お前ら皆ゴミだ、ゴミ! とナカジマが歌い叫ぶシーンが降りかかって来た。
一月二十三日 海
電車に乗って海に行きたいと奴は言った。
棲み家の無くなった魂はどこへ行くのだろうか。
「I'm Yours」。ジェイソン・ムラーズの軽快なレゲエをヘッドフォンで君に聴かせたいが、君の耳が無い。
川口駅の陸橋から見える太陽が綺麗だ。
一月二十日 ひらひら
五階の本屋の雑誌コーナーの側に長椅子があって、そこにはホームレース風体の男がいつも寝ている。閉店時間までの「つかの間」の暖と何かだ。そしてその男を横目に俺はファッション雑誌なぞを立ち読みしていて、ひさしぶりに餃子が食べたいなどと考えたりしている。どうしようもなさは果てが無い。
瓦礫に埋まるガザ。とにかく何かをと探し回っている子供にテレビのレポーターはマイクを向けた。「今、どんな気持ちですか?」
喫茶店に行けば
今日もまた
見出し人間の群れが 押し合いへし合い
つつきあってるよ 恋の都合がうまくいくのは
お互いの話じゃなくて 見知らぬ他人の噂話
ラッシュ・アワーをごらんよ 今朝もまた 見出し人間の群れが押し合いへし合い
商売取り引き うまくゆくのは ほんとの話じゃなくて どこかで仕入れた噂話
用心しろよ用心しろよ ああそのうち君もねらわれる
おいらもひらひら おまえもひらひら あいつもひらひら日本中ひらひら
ちょいとマッチをすりゃ 燃えてしまいそうな そんな頼りない世の中さ
吉田拓郎の「ひらひら」をずっと歌っていたら喉が痛くなった。
そろそろギターの弦を張り替えねば。手遅れになる前に。
一月十九日 街の灯
映画「街の灯」のラスト、目が見えるようになった女が浮浪者姿のチャップリンに触れ、「あの人」だと分かるシーンは何回観ても涙が出る。「タクシー・ドライバー」でデ・ニーロが選挙事務所の女を自宅で降ろし、去るシーンでは幾種類かの記憶と重なる。お気に入りの映画を取り替え引き換え観ていれば一日などあっという間で、それで歳を取って行く分には、ま、それはそれでいい。
疲れたからコーヒーを淹れて、浜田真理子でも流せば、じきに日も暮れる。
一月十三日 地下鉄
鮎川誠は、男は黙ってRocket To Russia だ、と書いているが俺のお気に入りは
Subterranean Jungle だ。ジャケットに映し込まれたニューヨークの地下鉄、その車内にいる革ジャン姿はいかにもラモーンズ!
腰を上げろ、ニューヨークの地下鉄のヒップさには及びもつかない埼玉高速鉄道に乗って。
一月十一日 想像してごらん……
暮れのグランプリを当てたTさんから貰ったジョン・レノンのカレンダーを壁に掛け繰ると、一月はジョンがヨーコをやわらかく包む二人のショットだった。ジョン・レノン・ミュージアムに在ったオノ・ヨーコの言葉を思い出す。
吹き止まない風が私の芸術のテーマだったけど、あなたが死んではじめてわかった。吹き止まない風とはジョン、あなたのことだったのね。
外は嘘みたいな青空だ。
一月七日 マスカーニ
映画「ゴッド・ファーザー」でアル・パチーノ扮するマイケル・コルレオーノが庭の木の椅子から崩れ落ちるラスト・シーン、流れる音楽はマスカーニの「カヴァレリアル・ルスティカーナ」だ。死の直前、マイケルは爆死したシチリアの妻、帰国して一緒になって後に別れた妻、そして娘と交互にダンスを踊る。
「ベスト・クラシック・プレミアム」は六枚組みの廉価盤だが、その三枚目の十二曲目、、「カヴァレリアル…」ばかり聴いてしまう。
二00九年、元日
一億使ってもまだ二億の夢は破れ、テレビでは「さそり座の女・2008」だ。そのままぼうっと紅白を見ていた。「歌は世につれ」ではなかったのか。及びもつかない、世相に連れない歌のオンパレードに居心地が悪くなったが、白組三連勝を確認するまで見続けてしまった。
今年の目標は「三無い」。怒らない、茶化さない、決めつけないだ、一応。もちろん方針は状況によって修正、変化されるが。
謹賀新年。