2008年日記

十二月三十一日 大晦日
 一週間前の某紙にあったある映画賞の記事に憤った。滝田洋二郎監督の略歴できれいにピンクの作品が抹消されていたのだ。受賞監督のデビュー作品が略歴にない! 滝田が師匠と明言する向井監督がピンク映画の名匠であることにもまったく触れていなかった。ピンク映画というものは無かったことにする。映画賞の運営側の意向だか某紙の「方針」だかは分からぬが、あきれて物が言えない。
 二十年取っていた愛読紙だけど、今年いっぱいで宅配を止めてくれるよう販売所に電話した。
 今年もあと数時間だ。

十二月二十七日 
 巷で物議を呼んでいる派遣切りに関しての街頭インタビュー。派遣の人がどんどん居なくなれば私たち正社員の仕事も大変になる、そのことを国も考えてくれなければ、とアホ面を下げた女が言った。こんな「街の馬鹿の声」、握りつぶしなさいよ、テレビ局さん。
 年の瀬の耳鼻科はけっこうな混雑。受付に歩み寄った小学生が、あとどのくらい掛かりますか? そうね、あと二十分くらいかなと事務の女性が教えると、すいませんでもなく元の椅子に戻った。
 共通項は「何はなくともまずは自分の楽」だ。

十二月二十五日 クリスマス
 トップニュースが「マクドナルドに並んだ行列にサクラの疑い」で本当に良いのかい?  アホ・テレビ。いくら逮捕間際の容疑者だからって、午前二時の電話インタビューを強行したのも同じ系列局ではなかったか。
 デパートのワイン売り場は驚くほどの混雑だ。レジに向かってとぐろを巻いた行列が出来ていた。
 どんな気がする? 無痛に徹する烏合の衆で居続けるのは。

十二月十七日 キヨシロー!
 「俺は河を渡った Oh 渡った 暗い夜の河を 渡った 河を渡った ドロ水を飲んで おぼれそうになって 助けられたりして そう 俺は河を渡った 俺は考え方が変った Oh 変った いくつもの河を 俺は渡った 向う岸の奴らが またナンダカンダ言ってんだろ 「あいつは変っちまった」 そう 俺は河をまた渡った なぜなの? 君と渡りたかった」 
 キヨシローの名曲「WATTATA(河を渡った)」だ。生で聴きたい!

十二月十六日 大安吉日
 有楽町駅前には長蛇の列。「大安吉日」のプラカードを持った男が宝くじ売り場まで誘導していた。牛丼屋の入口が人混みに覆われているので入るのを躊躇い、空腹を堪えて電車に乗った。王子で降りて、みずほ銀行のCDでナンバーズ4とミニロトをクイックピックで買い、交差点を渡って誰かが粉みたいで好かないと言ったスタバのコーヒーを飲んだ。
 何一つ生産性の無い一日。

十二月十三日 
 巷で評判のパン屋さん、まだ昼の一時だというのに陳列台にはあまり数が残っていない。メロンパンとドラエモンのパンが並んで一個ずつ。その前で立ちどまっていたら横からお父さんと男の子の親子、子供はドラエモンを指さした。「すいません、よろしいでしょうか?」と父親が言った。俺は「どうぞ、どうぞ」と返したが、俺はメロンパンを買おうかどうか迷っていたという言い訳? は伝えなかった。メロンパンで腹ごしらえをしてライブに行くのだ。
 
 素敵な音楽と素晴らしい踊りを堪能した帰り道の夜空は、月も星も見えないがきれいだ。

十一月二十四日 ダウンタウンボーイ
 マーヴィン・ゲイの悲しげなソウルにリズム合わせてゆけばと歌われる佐野元春の「ダウンタウンボーイ」を聴くと、マーヴィンのアルバム「レッツ・ゲット・イト・オン」が聴きたくなって、そして街へ繰り出したくなる。
 問題は今にも振り出しそうな表の暗さだ。
 さあ、腰を上げて。

十一月十九日 夕焼け
 駒込橋から見えた夕焼けが美眺で歩を緩めたら、迷惑気な顔を此方に向けながら男が追い越して行った。

十一月十日 気狂いピエロ
 「勝手にしやがれ」を観てたら「気狂いピエロ」が観たくなって自転車でレンタル店に向かったが、風が冷たくて途中で断念。風が川口オートのエンジン音を伝えるが目的地を変える根性も起こらない。
 今年初めての肉まんをコンビニで買って帰宅した。

十一月九日 悲しいのは
 最後のふるさとダービーはとんでもないお粗末な終幕だった。
 永井の欠場でレースそのものが違うレースに変わってしまったというのに、永井絡みの車番車券のみを払い戻しての強行だった。どのくらいの苦情が寄せられたのかは定かではないが、これが二十年前ならレース実施は叶わなかっただろう。仮にたいした苦情の数ではないとして、昔とは賭け式の種類も違う、競輪ファンもまるくなったからなどと施行者・関係者たちは思うのだろうか。
 悲しいのは、あんな愚行に対して百万の抗議が起こらないことだ。ファンの諦めは推して知るべしだ。
 事は全然、済んではいない。

十一月八日 クリスマス気分
 もの申す闘士、筑紫哲也逝く。
 ぼくもぼくの周りも、もの言わぬ人に成り下っている。
 何度探しても「最後のニュース」のシングルが見つからない。
 赤羽のスタバ店内には赤色基調の装飾が施され早くもクリスマス気分だ。
 ほんの何ヶ月か前は涼を演出していた駅前の噴水だがいまはもう寒々しい。警察官が二人立っていて、その内の一人と目が合った。また職務質問かしらと身構えたが、制服の警官は隣のコート姿の男(おそらく私服警官だろう)に何事か耳打ちして見張り場所を移動してしまった。
 かがやで塩煎餅をひと袋買ったら試食用だと一枚加えてくれた。
 貰った醤油煎餅を齧りながら歩いているのだが、自分の身体じゃないみたいにかったるくて仕方ない。
 

十一月二日 「もう一度」
 童子−Tの名もBENIの名も初めてなのに、どうしためぐりあわせか「もう一度」の歌、ラップ、ビアノ、コーラス、打ち込みのリズムが繰り返し響く部屋に座っている。
 天皇賞も駄目、広島ふるさとも駄目でも、ま、いいじゃないか。

十月二十七日 「ジプシー・キャラバン」
 抑圧に対する復讐ではなく、そのかわりに私たちは子孫に教育を施す。
 あるロマが言った。
 音楽は神から授かった宝物だとも言った。もしこの世界に音楽が無かったらとしたら……。想像し難いが、惨事や愚行は現在の比ではなくなる気がする。
 ジプシーという言葉をぼくは、どっちかといえば浪漫の気分で使っていると思う。しかし、ジプシーという呼称は多くの国で蔑視と同義である。言葉、歴史は難しい。
 おのれの無知を棚に上げて言うが、それでもぼくはジプシーという言葉の気分が好きだ。

十月二十三日 
 王子駅前のスタバで買ったカプチーノの紙コップに熱さ除けのボール紙が巻かれているのに気を良くし、表へ出てすぐの信号も青で歩は軽く、満更でもない天気に、まあまあじゃないか、帰りまでもってくれれば言うことなしだ。などと考えている自分にふっと嫌気が差し急にいらいらして、階段の歩行区分を守らぬ輩に肩から当たって行ったら、すっとかわされた。
 京浜東北、常磐線を乗り継いでこれから取手競輪場だ。2レースの番手捲りは出るのかしら。

 約十時間経過。雨は降ってる。番手捲りは出なかった。おまけにオータム・ジャンボは十枚に一枚の三百円が数枚あるだけだ。

十月二十一日
 ぼくちゃんを見て見て、かまって、かまってー。
 そういうガキはたいてい声がでかい。
 そんなガキがそのまま成長ゼロでいい歳のオヤジになると、これが醜い。滑稽だ。そんなクソオヤジの稚拙な態度にいちいち頭にきてちゃ、こっちが成り下がるだけで、誰かのセリフじゃないが、
 俺もいいかげん卒業しなきゃな。

十月二十日 「赤めだか」
 立川談春「赤めだか」は「本当は競艇選手になりたかった。」の一文から始まる。
 まだ第一話までだけど、こりゃかなり面白い。
 風呂入ってから、一気に読もう。

十月十六日 秋晴れ
 雲ひとつない秋晴れに誘われて池袋から王子まで歩く、つもりだった。
 明治通りをゆるゆると歩いた。夏から秋ではなく秋真っ最中の風が心地よい。
 心地よかったのはものの三十分ぐらいで、膝と腰が悲鳴を上げ始めたのだ、情けない。
 無理せず乗りなさい、と言ったように見えた地下鉄の表示板に従って地下へ降りると西巣鴨駅だった。初めて使う駅だ。ICカードで改札を通ってホームへ出て、とにかく先に来た方の電車に乗った。腰が酷く痛い。ドアの上にある案内板で乗り換え駅を探した。
 何駅か先の池袋で降りて結局振り出しに戻った。
 

十月十三日 よちよち歩き
 俺は迷ってた。
 腕組みして仁王立ちで、迷ってた。
 場所はスーパーの菓子コーナー、正確に言うと煎餅各種が並ぶ横のポテトチップ類が置かれている棚の前だ。
 コンソメ味にするか、王道の塩か海苔塩か、この秋限定、横須賀カレー味なる物も候補の内だった。
 と、そこによちよち歩きの男の子。俺の足元の棚からポテトチップスの袋を一つ拾い上げ、母親が転がす買い物カートの下の網にひょいと入れた。買いませんよ、戻しなさい! 男の子はひょこひょこ歩いて元の場所近くに袋を置いたが、少し移動して別の気に入ったポテトチップを持って行く。何も買いません、戻してきなさい。ひょこひょこ、よちよち歩きで今度もまた。三回か四回、いや五回同じ光景が繰り返され、俺は笑いを堪えながら最後まで目撃した。

九月三十日 三軒茶屋の袋小路
 駅から地上に出て地図を片手に迷っていると、恰幅の良い背広姿の男が寄って来た。そこに行きたいんでしょう、ビルの屋上の。けっこう分かりにくいから。ここの通りを行って……、いいや近くまで連れてってあげるよ。男の親切がなければ見つけられそうもない一杯飲み屋が集まる横町、そんな袋小路の中ほどのビルの最上階に目的のバーはあった。窓から見える高架の首都高は視線の下を通っている。
 室内にはフラメンコの旋律が響き、窓外では小雨の首都高を車が流れる。初めて味わう妙な昂揚をアルコールがほどよく鎮める。
 何とも良い感じで時間が流れてゆく。

九月二十九日 
 相撲協会の誰かが無礼だったと音楽家の誰かが公式に抗議したそうな。
 頭に来たのなら、その場で襟首掴むなりなんなり即応するのがロックンローラーじゃなかろうか、などと記すとまた反感を買うだけか。

九月二十八日 演劇「ガマ王子とザリガニ魔人」
 映画版「パコと魔法の絵本」とは、パコが逝ってしまう場面だけが違っていた。
 伊藤英明はたしかに格好良いけれど、修羅場を踏んで来た役者連中の放つパワーは半端じゃない。食う、食われるとか言うのとは別次元という気がした。
 俺も劇団東俳でもう少し辛抱していれば、あの素晴らしき世界に居られた可能性もゼロではなく……。なんちゃって、太郎長者だか何だかの台詞読みの授業三日で行かなくなった男に可能性もへったくれもあるもんじゃない。
 

九月二十二日 後ろの二人
 自民党総裁選に敗れた某候補がテレビで話している。チャンネルを替えるとまた某候補だ。そのたびに後ろで男女がうなずいたり微笑んだり、カメラを通して顔を売っているようにも見える。二人が衆議院議員なのなら、来る選挙用ということなのだろうか。あ、テレビに映っていた人だ、と投票する有権者がいるとでも思っているのだろうか。
 

九月十八日 
 勤めていた会社が倒産して路頭に迷うかもしれない人に対してマイクを向ける無礼。
 不安に違いない人に、不安ではありませんか? と聞き、怒り心頭の人に、お怒りですよね? だ。
 恥を知れ! アホ・テレビ。

九月七日 激しい雨が降る
 昨日、歯医者の待合室で一人遊んでいた女の子はぼくの顔を見て少し固くなり、次に親子三人連れが入って来るに及んで泣き出した。お母さんが診察室から飛んで来た。
 その子と同じ泣き声がぼくの後ろで聞こえ、雷の音に脅え泣く女の子に、まだ大丈夫だからとお父さんが声を掛けている。
 駅前では某政党の演説会が盛況だが、動員された鈴なりの支持者に激しい雨が降る。
 酒場で政治の話は野暮でしょうと誰かは言うが、酒場だろうとどこだろうと、あんたはノンポリを貫く。そりゃ格好良いや。自分の頭で考えることを放棄しといて結局は他人任せ。任せた覚えはない、あいつは馬鹿だと批判論評は声高なあなたにも激しい雨が降る。
 フランス革命の最中、映画なんて撮っている場合じゃないとアジったトリュフォーの映画が観たくなった。

九月二日 20世紀少年
 20TH CENTURY BOY
 GET IT ON
 CHILDREN OF THE REVOLUTION
 METAL GURU
 映画「20世紀少年」を観たあと、T,REXばかり音量を上げて聴いている。

八月二十九日 あの鐘を鳴らすのはあなた
 アンコールで演った和田アキ子のカバー、「あの鐘を鳴らすのはあなた」は沁みた。客にフラメンコを嗜む人間が多いのか、アンコールを求める手拍子はウラ打ちも交じって気持ちの良いコントラストを醸し出した。
 ロックとフラメンコの融合だから「ロッカメンコ」なるバンド名はキワモノっぽいが、迷った末に観に行ったのは正解だった。
 駅を降りた時の渋谷はカンカン照りだったが、ライブが終わって外に出ると素敵な雷雨だ。

八月二十四日 相も変わらず
 テレビで巨人−中日戦。この場面にストライクはいらない、聞き飽きた解説の声のあと、中日のイ・ヨンビョのタイムリーが出た。もっとボールでよかったのだと解説はしつこい。投手側からしてカウントが良いのだからもっとコースを広く使えというのは分かるけれども、相も変わらずの「私の野球」には辟易だ。
 五輪で野球が負けて誰もが批評家になる。チームの人選が、選手起用が、あちらこちらで腹立ち紛れだ。
 テレビ番組のプロ野球、好プレー・珍プレーの定番だった中日宇野が頭にフライを当てて落球するシーン、一人めだか二人めだかのランナーが本塁でアウトになったあとピッチャーの星野はグラブを叩きつける。星野・全日本監督の現役時代の話だ。味方がエラーしてチームメートがグラブをブン投げる。何度流されても会場の客の笑いを誘うようだが、俺は何度見ても嫌な気持ちになる。

八月二十一日 ソフトボール
 「ここはあせらずに」「いつものとおりでいいんですよ」とクールにハスキーな声で解説するのは元全日本監督の宇津木さんだが、ボールがバットに当たった途端「よし! いけいけいけいけ」「入った入った入った」「ぎゃあー」「うわあー」と百八十度物腰が豹変する。それが何とも可笑しいのだが、最後の涙声にはもらい泣きしてしまった。

八月十三日 D&G
 カー・ラジオから懐かしい歌が。往年のアイドル、麻丘めぐみの「私の彼は左きき」が流れた。♪私の私の彼はー、左きき、のサビの部分を、♪私の彼はー、左○○、と歌い替えるのが流行った。○○には色んな言葉が入ったものだ。そのなかでも一番気に入っているのは闘士の彼女が闘士の彼氏に歌った「私の彼はー、左寄り」かな。
 サマー・ジャンボ宝くじの全滅を確認してから街へ出た。真夏の太陽が半端じゃない。洒落たつもりで穿いている俺のジーンズの尻のポケットには「D&G」のロゴ。彼女に言わせれば「ドル・ガバ」なんかじゃなく「ダメ・ジジ」となるのだろう、きっと。

八月八日 オリンピック
 民放は相変わらずアホ番組。ニュースの中味はつまんねえ芸能人の五輪レポートだ。アホ番組の頻度が比較的低いNHK・BSもオリンピック一色で、こりゃ逃げるしかないから、「明日に向かって撃て」と「スティング」の廉価版DVDを買った。

七月三十一日 高田馬場
 髪飾りが飛び、髪留めも飛ぶ。情熱のフラメンコなどと記せば陳腐この上ない表現だが、激しい踊りだった。
 会場の「ファミリア」は高田馬場の駅前にある。開演まで時間があったので、ひさしぶりにビッグボックスに入った。中のテナントに昔の面影は皆無だ。唯一、記憶と合致するのは一階のベーカリー・カフェだが、店名は変わっているかもしれない。ビッグボックスで夜警のアルバイトをしていたのは何年前だろう。まだ競輪党ではなく、競馬と麻雀の学生時代だから、二十歳かそれ以前だ。コーヒー・ハウス(当時はそんな印象だった)のウェイトレスは閉店になると、余ったコーヒーを銀色のポットに詰めて警備室に差し入れてくれた。三食カップヌードルの無口な青年、その青年と喧嘩になって勤務地を替えられた男、赤旗と競馬新聞を読んでいた年齢不詳の男……。一人も名前が出てこないが、うっすらと顔を思い出せる人もいる。皆、あれから三十、歳を取っていることになる。なんだか考えられない。

七月二十二日 剣道着
 後楽園で一時間、人を待つ。
 場違いな遊園地からはじき出された中年男は、ただ歩くしかない。「何とか坂下」の信号を右に折れ、白山通りをとぼとぼ、とぼとぼ。すると見覚えのある格技の道具を売る店の前に出た。小学校の時、友人が剣道着だか竹刀を買うのに付き合ったことがある。東小金井駅から電車を乗り継いで水道橋駅、そこから歩いてこの店を訪ねたのだ。そのとき以来というわけではないが、もう何十年も忘れていた場所に偶然辿り着いてしまった。何かに「呼ばれた」ような妙な気分を落ち着けるべく、通りの向かいに見えたスタバに行った。座った窓側の席からは、包帯のように布をぐるぐる巻かれた樹が見えた。
 東京ドームではアイドルのコンサートでも終わったのだろうか。もの凄い数の若い女の子(若くない子もいたけれど)が湧いてきた。

七月二十一日 白衣
 隣の席は家族連れで、お母さんらしき人が店員を呼んだ。ここはデニーズの店内だ。お母さんは汚れが残っている小皿の交換を頼んだ。もうしわけありませんでした、すぐにお持ちいたします。両者の会話はすこぶる穏やかに交わされた。昔、小さな塾に勤めていたことがある。皆ですかいらーくに行ったとき後輩の某君が、冷めたコーンスープを替えさせた高圧的態度とは大違いだ。
 いつも白衣を着て理科と数学を教えていた某君は元気にしているのだろうか。

七月二十日 ジプシー・フラメンコ
 小さなスペイン料理屋でのフラメンコ・ショー。楽屋なんてものはないから、歌い手も踊り手もギターも店の外の長椅子で休憩する。そこへ通りかかった調子の良い中年男が、俺もギター弾くんだよとギターを奪ったり、どんな音楽なんだい、フラメンコっちゅうのは? まあ馴れ馴れしい。そしたら楽団の一人が、おじさん見ていけばいいじゃない、もうすぐ後半がはじまるから。金取るのかい? チャージが千五百円。何か飲んでいいの? それは別。
 結局ほんとに男は店内に入って後半のショーを観た。
 寄って来た他人を取り込む。これぞジプシー精神? 気持ちの良いやり取りを見させてもらった。

七月十六日 ロックンロール
 腕利きのベースとドラムとギターを集めてバンドをやる。黒い声のボーカルも探す。俺のギター・アンプの出力は皆の四分の一で、こそっと参加する。聴こえるか聴こえないかのコーラスも、控えめにやる。だけどバンド・リーダーは俺だ。アマチュアじゃない。プロのバンドだ。ギャラなんか取れなくても、金の力に任せて、まあまあのライブ・ハウスに出演もする。
 計画は出来てる。あとは宝くじ、当たれ!

七月十五日 
 テレビカメラが追い、見るからに品のないレポーターが迫ったのは、秋葉原事件の献花台に供えられた飲料を持ち去ったホームレスだった。

七月十四日 村八分
 「村八分」は途轍もなくブルースでパンクでソウルだ。1973年の音が全然新鮮に聴こえる。
 昨日はアンジェイ・ワイダ監督で今晩は実相寺昭雄監督だ。テレビはNHKハイビジョンだけで足りる。
 「人生、所詮、暇つぶし」、実相寺の口癖らしい。

七月十三日 片棒
 南鳩ヶ谷駅ホームの自販機にまで「発売中止」の紙片。
 G8サミットについての街頭インタビューがテレビで流される。男が答えた場所は銀座の高級ブティックの前だった。別に山奥の村で訊けばマシな言葉が返ってくるとは思わないけど、この種の「街の声」は大概都会で、老人医療については巣鴨のとげ抜き地蔵で拾われる。
 先進国首脳会議、彼も彼女もあんたも俺も、片棒担ぎじゃないか。

七月九日 ビール瓶
 止まない頭痛の原因が頚椎の椎間板ヘルニアと判ったのはいいが、やっぱり止まない。じっとしているのが一番らしいがそれができぬ性分で、とにかく表へ出てゆく。
 赤羽のラーメン屋では俺の真後ろ上にテレビが置かれ、騒々しい。花畑を作っただか、スポーツ名場面だかの感動秘話の再現フィルムに、「えー」だとか「うーん」だとかの効果音みたいな会場のアホ声が白々しい。首と頭はびりびりするし苛苛のボルテージは上がる。と、そのときだ。入ってきた若いサラリーマン風が「えーと、みそネギの大盛りに、あとはビール瓶」と言ったあと、うん? と考えて「ビール瓶じゃないよね、瓶ビールだ」と言い直した。それがなんだか可笑しくて、俺は眼の前の醤油ラーメンをちゃんと最後まで食べた。

七月二日 Muddy Waters & Chuck Berry
 幼なじみのミックとキースが十八歳のとき、ロンドンのダートフォード駅で偶然再会して、そのときミックが持っていた「ベスト・オブ・マディ・ウォーターズ」とチャック・ベリーの「ロッキン・アット・ザ・ポップス」のレコードにキースが凄いの持ってるじゃないかと言い、二人が親密になっていったという逸話が、なんとも素敵で、大好きだ。

六月二十八日 ひでぇな
 「L チャンジ・ザ・ワールド」。レンタル鑑賞だから、ま、いいけど、劇場じゃ物が飛んだんじゃなかろうか? 事件落着の空港のシーンは「ダイハード」みたい。よくまあ、こんな愚作が世に出たもんだ。

六月二十七日 小さなランドセル
 六年間使ったランドセルから何分の一かのミニチュアを作る。本物を使って、スケール縮小品を作って、想い出の品として残しましょうなる商売があるらしい。たまに行くクリーニング店に実物の「小さなランドセル」が飾ってあった。
 伊坂幸太郎の「実験4号 後藤を待ちながら」を読んで、ザ・ピーズのアルバムを引っ張り出してきた。そしていま、ずっと聴いている。

六月二十五日 神の声
 コインロッカーの中に置かれたラジカセからディランの「風に吹かれて」が流される。ディランの声は神の声で、神様を閉じ込めたことになった。
 原作は先に読んでいた。傑作の映画化は期待はずれの確率が高いから、気楽に観た。全編にディランのオリジナルが使われていた。使用料高いだろうな。つまんない心配をしたりしながら観た。
 瑛太の顔、いいなあ。瑛太にちょっと似ている友人のことを思い出したりしながら、観た。

六月二十四日 空を飛ぶ
 ニコルソン出演の映画「最高の人生の見つけ方」を映す館内には、四人か五人の客しか確認できなかった。
 主役二人がスカイダイビングをする、飛び降りる直前の機内のシーンに俺の涙腺が緩んだ理由がよくわからない。到頭、感情の線までいかれてしまったか、違う回路が知らぬ間に発達したか。

六月十八日 STONES
 頭痛が止まない。
 朝目が覚めて、後頭部が痺れ痛いのは何とも不快だ。
 
 俺はミーハーだから、ストーンズを聴きながら、ジャケット写真のキースのシャツが気になったりする。しかしそれよりも、ストーンズを掛けるとき、いつも読み返すのは三代目魚武濱田成夫の詩だ。STRIPPEDというアルバムのライナーノーツの横に書かれている「獣の宝石」と題された詩だ。
 みちばたで
 いきなり
 この俺に
 からんできた奴等と
 どつきあいのケンカしとる最中に
 見物人の中にいた女に
 俺は一目惚れしてしもた
 しゃーないから
 どつきあいの最中ではあるが
 見物しとるその女に
 俺は声をかけたんや
 なあ もしよかったら
 このケンカ終わり次第
 俺と茶でも
 飲んでくれへんか
 それまで待っててくれや
 そしたら女は
 あんたいったい
 どういう育ち方したのよと
 俺に言うたんで
 俺はこう言うた
 ストーンズ聴いて
 育っただけじゃ
 ブラウン・シュガーとかな。
 
 テレビではバスケットボール。コービーのシュートが決まらなくなりました、とアナウンサーは言った。人数が集まらなくなったら、バスケのチームというのもいいかもしれない。

六月十六日 頭痛、吐き気、マイナス
 シオンの歌の文句じゃないが、マイナスを脱ぎ捨てられない思考の連続に不調が続いていた。そして今朝、爆発した。(勝手に慄いた)。激しい頭痛に言いようのない吐き気。アスピリンは効かない。どうしちゃったの? 体温計の三十五度の目盛で一気に不安になった。頭痛、吐き気、低体温。脈が遅いような気がする。

 「このレントゲンでは頭部の上の方しかはっきり映らないのですが、くも膜下出血、脳出血、脳腫瘍、何もありません。異常なしですね」と先生。「はあ。体温が低いのは?」「それはわかりませんねえ」と冷たい先生。「心配でしたらMRIの予約をなさるか、あと他の症状については内科で検診なさるか……」
 
 フラメンコを流しながら、天本英世「日本人への遺言」を読んでいる。頭はまだ少し痛い。
 「明日、生きて目が醒めると思うな!」と諭されて、負の思考から半歩だけ前に出た。

六月十日 掴み取り
 どこかの競輪場で実施されている、現金掴み取りは品がないが、町内のスーパーの、ピンポン球掴み取りで同数の卵を進呈、の張り紙には興味を持っていた。いつか参加したいとも思っていたのだが、「残念ながら六月をもって終了させていただきます」と今日、あった。卵の価格の上昇のせいか。
 梅雨の晴れ間。
 申し訳ないが、気分が良い。

六月三日
 スーパーの店頭には西瓜が並び、レジの横っちょには花火までもが。
 夏近しの夏前に、夏風邪めいた風邪をひき体調が悪い。
 スーパーの隣の薬局で買う物といったら、洋服のにおい消しやら、トイレの芳香剤、ビタミンCだかBだかに鉄分の錠剤。ほんとうに必要な「薬」などありゃしない。快適な生活のための消費を、それどころじゃない人々が見たら、どう思う。

五月二十六日 ウィークエンダー
 卑劣で人命が奪われた可能性が強い事件に対して、「スピーディな犯行」と表現し、過去の悲惨な地震報道のフィルムを流すときには、「ひじょうに懐かしい映像です」と紹介した。
 言葉狩りをするつもりはないけれど、早口のなかに、適切ではない、無神経な言葉が見え隠れする。
 三面記事専門の「ウィークエンダー」という番組が昔あったが、その「乗り」に似ている。
 当たり前か。今のワイドショーはウィークエンダーの延長みたいなもんだから。

五月二十五日 コンスタンティン
 テレビで放映していたので、なんとなく観ていた。日本語吹き替えだが、我慢して観ていた。最後の、エンドロールのあとの墓のシーンを確認したくて、観ていた。けっこうな眠気も、堪えて観続けた。
 ところが、肝心な、目的の、エンドロールのあとは、見事に切られていた。

四月二十九日 パッチギ
 藤井が警察官と絡むシーンに拍手を送り、ラストまで起こっては消えない喜怒哀楽に喉がからからになった。
 「パッチギ・ラブ&ピース」を未見だったことを恥じるばかりだ。
 でもこの傑作を見た日が「昭和の日」というのは、揺さぶられるものがある。

四月二十四日 危険部位
 吉野家が輸入した米国産牛肉に危険部位が混入のニュース。街頭インタビューで、「今日は牛丼じゃなく豚丼にしておきました」と男が答えていたのには笑った。
 牛丼の大盛り、汁なしで玉葱抜き、それから危険部位も抜いてください。そんな注文でもしてみるかしら。

四月二十一日 下方修正
 財務局長会議で景気判断の下方修正と報じられていた。
 いつも行くバッティングセンターでは、ホームラン賞の景品がコイン五枚(ゲーム五回分)から二枚に変更となった。

四月十七日 ララバイ
 故金子正次はショーケンの「ララバイ」を聴かなければ映画「竜二」は生まれなかったと発言している。
 ショーケンの自伝「ショーケン」を読んでから、また昔のショーケンの歌を聴くようになった。
 京王線で「ララバイ」を聴いていたとき、偶然、乳母車の赤ちゃんと目が合った。瞼が閉じそうになって、また開く。「ララバイ」のメロディと眼前の乳児の両目に、清清しい心持ちが起こった。
 不純にも、いいことありそうだと佐藤定良のアタマ全・全を買ったら、2着でした。

四月十五日 いくらなんでも
 マリナーズとロイヤルズのダイジェストを見ていた。ロイヤルズの3点リードでマリナーズ3回の攻撃。一死一塁三塁で打者はイチローだ。解説は言った。ここで一点もやりたくなければイチロー敬遠で満塁策ダブルプレイ狙いという手もありますよ。
 そんな野球、あるのかよ!

四月十四日 最近の言葉から
 スカイライン系(だと思う)車種のパトカーが走りさったときにあるご婦人が放った言葉。
 「何がポリース(車にPOLICEの文字)だよ、おまわりって書いとけ」

四月十三日 午前五時五分前
 三分の二以上の看板が消えた赤羽駅前に車を停車して、ぼくは四時五十五分の始発でやってくるチームメイトを待っている。その始発に乗ろうと繁華街から人が駅に流れ出す。ほとんどが男だ。その男たちに五六人でかたまっている女たちが交互に声をかける。オニイサン、マッサージ、イカガデスカ。そろそろ店じまいだからか、それともきつい冬の寒さを抜けたからか、彼女たちの顔が明るく見えた。車を降りるとき煙草を吸っている髪の長い女と目が合ったが、野球のユニフォーム姿の男に声はかけない。
 一雨降った早朝の街は、なんだかきれいだ。

 三打席三三振を振るい落としたいぼくは、開店五分前のバッティングセンターの駐車場にいる。早朝の赤羽から五時間が経過している。

四月十二日 教会とルイヴィトン
 土曜日の表参道、東京ユニオン・チャーチには労務者風の男たちが列を成す。炊き出しだろうか。すぐ隣のルイヴィトンには楽しそうな男女が吸い込まれる。それを見ている俺はどうしようもない半端者で、しかも空腹ではない。

四月八日 窓の明かり
 赤羽大橋を川口側に渡りきった信号で停車すると右に高層マンションが見える。
 色と種類の違う光が各窓から放たれる。
 三十年前、五階建ての団地の窓明かりは皆同じだった気がする。


三月二十八日 桜の木
 地下鉄駒込駅のエスカレータを昇って地上へ出ると、満開の桜があった。今年初めて真近で見る桜だ。
 
 派手なファンファーレが鳴り響き、ホームラン賞だと場内音声が告げた。ぼくは今バッティング・センターにいる。会心の流し打ちで的に当てたぼくの打席の後ろに数名の小学生の気配。球速95キロで打っていたぼくだが、ギャラリーの視線を察知して球速を105キロに上げた。と、そこから芯で捉えられなくなった。たいしたことなしと判断されたか少年たちは去ったみたいだ。95キロでホームラン賞ねらいオヤジと思われていなければいいが。
 明後日、我がスライダースの開幕戦だ。
 

三月二十七日 
 犬が家族の一員で日本語を喋るソフトバンクのCMはアホで、スーパーのレジで突如、異色のバーコード音が鳴るサランラップのCMはなんだか良い、という俺の意見を誰もわかってくれない。

三月二十二日 MY BLUEBERRY NIGHT
 ラストは約300日前のカフェの防犯カメラの映像だろうと思っていたが、違った。その思い込みは、ただぼくがノラが眠り微笑む映像をもう一度観たい願望が強かったからに過ぎないのかもしれない。
 何処かへゆきたくなる映画を観たのはひさしぶりだ。

三月二十日 チャンネルのリモコン
 あなたにそんなことは言われたくない、とチャンネルを替え、そのもの言いはないだろうと、またチャンネルを替えて、この恥知らずめとチャンネルを替える。どんどん替えてって、結局一周して、消音にした競輪中継を見ている。無音は寂しいのでハービー・ハンコック「リバー」を流しながら。海老根から抜けは買えるかもしれないけど8番は買えんよなあ。

三月十二日 この券当たりますかねえ
 昨日は玉野記念を買った。
 アタマはつかんでいるのに2着と3着が逸れる、いや逸らしてしまうの繰り返しだった。
 縁あってサトライト中越で買ってるのだから、優勝戦の阿部康(新潟籍の苦労人?)の3着は入れとかなきゃ。
 身体が麻雀と車券でくたくたになってるんだから一日寝てればいいのに、寝てられない。のこのこと川口オートに出張ってしまった。一番時計の大木光か実績で浦田信という売れ方だった。ぼくは大木と浦田の力の両立なしと考え、大木から浦田じゃないところ、浦田から大木じゃないところという買い方をした。何種類かの車券をポケットに押し込みスタンドに上がろうしたら声をかけられた。声の主はおばあさん、というより老婆(どう違うの?)。「この券当たりますかねえ?」「はあっ」「いえ、この券当たりますかねえ」、しかたがないので老婆の車券を見た。車複で1から4と5だった。「わかりませんねえ」と返したぼくだが、なんだか嫌な予感がした。ぼくの買った車券に似ていたからだ。大木の1からも浦田の7からも2着と3着は4と5へ流していた。
 大木がスタートで行ってしまいそのまま。3、5、4と追って初周からゴールまで(もちろん多少の競りはあったけど)ほぼまんまだった。3は一銭も買ってない。アタマをつかんで相手を逸らす。昨日の反省が生かされていない。
 競輪も駄目、オートも駄目、川口オートからの帰り道、コンビニで週刊・ギャロップを買った。

三月一日 欠けた月が出ていた
 午前五時の空には欠けた月が出ていた。
 プロ野球のキャンプインに遅れること一ヶ月、我が草野球チームの初練習だ。
 更年期障害の芽がちらつく身体をなだめながら、今年も、何とか。

二月二十三日 激しい雨が降る
 たまにだがテレビでアメリカンフットボールの中継を見る。
 イエローフラッグが飛ぶと解説者は、たぶんこういう反則ではないか、もしかしたら……、ともかく審判が示した反則行為ありの意思表示に対して、説明をしようとする。
 競輪中継で赤旗が上がって、これはおそらくこういう反則の疑いについてなのではないかとか、おそらくいまの赤旗は……、説明しようとする解説者はほとんどいない。初周で人気の一角が落者しているというのに、ゴール後そのことに触れようともしない司会進行と解説には血圧が上がった。

二月十九日 
 「縄です。かじき縄」と漁協の人。「何をとっていたのですか?」とテレビ局のアホが返すと、「まぐろだよ!」、漁協の人の声は憤っていた。
 イージス艦に仲間の漁船が真っ二つにされたというのに、某テレビのアホはただ時間を繋ごうとする。他の誰かが取り繕うこともなく、画面は今日の運勢に替わってしまった。

二月十八日 笑わさなくていいから
 笑いの文化は認める。茶化したり、皮肉ったり。ジョークで切り返す「回転」も才能の一つだろう。
 野球解説でもなんでも、笑いの取れる人が重用される。
 でも昨今の「笑わさなくちゃ」は度が過ぎないか。
 もう笑わさなくていいから、野球解説は野球のこと、政治評論家は政治、芸能レポーターは芸能、競輪解説は競輪のことを、真剣に、それのみを。

二月十六日 
 サラ金の新聞広告に元議員が出ていた。つまらないアイドルと同列になったことになる。
 資産運用のCMで愛嬌を振る女性歌手のゴスペルもどきはもう聴く気がしない。夫婦で同じようなCMに出演しているロックンローラーにも嫌気が差す。次々とテレビで流れる保険会社のCM。保険勧誘員と化した男優女優も認めないなどとやっていたら、いまに観るもの聴くものがなくなってしまう?
 そんなことはない。私生活など売らない、ちゃんとした芸能人たちはまだまだたくさんいる。
 昨日だか一昨日、サルバドールの訃報が報じられた。
 十日前の日記に記されているが、なぜ滅多に聴かない男性歌手のシャンソンをあのときぼくは棚から引っ張りだしてきたのだろう? どうしてライナーノーツまで読み返したのだろう? あのとき、つまりサルバドールが逝く何日か前に世界のどこかで、ぼくと同じような行動をとった人がいたような気がしてならない。

二月十日 JUMP
 客電が落ちた武道館に「君を呼んだのに」のイントロが鳴った。
 ステージの左右上段に設置されている画面に坊主頭の清志郎の写真が映しだされ、病室のスナップが続く。何枚もの爺さんと化した清志郎だ。そのあと清志郎の頭髪が徐々に増えはじめる。五十男の素顔にメークが施されてゆく。生えそろった髪の毛を逆立てる。そんな幾枚もの写真がスクロールされ、元の清志郎に戻ったことを説き終わったとき、オープニングは「ジャンプ」だった。
 清志郎とチャボに高田馬場のビッグボックスで遇ったことは何回も書いた。その何年か前、御茶ノ水の古レコード屋でもぼくはチャボに遇っている。
 あれから数十年、ぼくらはまた会っている。
 

二月六日
 レニー・クラビッツの新譜とアンリ・サルバドールの旧譜を交互に聴いている。
 尖った英語と柔らかな仏語が何十分か置きにスピーカーから流れてくる。「サルバドールからの手紙」のライナーノーツ文中に、サルバドールが傾倒していたポリネシアのことわざが紹介されていた。
 「昨日生まれ、今日生き、明日死ぬ」

一月二十五日 COME RAIN OR COME SHINE
 太陽の力はまったくもってすごい。遥か何万光年の彼方から届いた光が窓硝子とカーテンを透過し、射されたからだは温もってくる。とりあえず表へ出よう。
 ガザ地区のエジプト側の壁が爆破され、窮屈な出入り口に人々が殺到している。エジプトへ物資を調達しにゆくパレスチナ人たちのニュース映像の直後に流されたのは、広島のOLたちのバレンタインチョコ試食会だった。
 寝そべって観られるやつとオーシャンズ13を借りてきて、観終わってこんなアホ映画と怒っても自分がアホなだけだ。疲れてるからと思考停止を選んだ罰だ。そして他人への、社会への、世界への無関心はもっと罪が重い。
 come rain or come shine――降っても、晴れても――かあ。

平成二十年、元日 謹賀新年
 有馬記念、マツリダゴッホは買っていたけれど……。八十万余の払い戻しだから千円で八百万か。ま、三歳牝馬ははなから切ったのだから取れるわけはない。競輪グランプリ、@BからもB@からもけっこう持っていたけど……。Dの絡みは一銭もなかった。B@Dで三万余の配当。三千円で百万超えちゃうのかあ。「五百四分の一」の競輪はだめだが、「一千万分の一」の宝くじには理由なき自信があった。(強い願望が増幅・変形して歪んだ確信になった)。パソコンで当選番号を調べプリントした。 紅白歌合戦が映っているテレビの前のテーブルに紙片を置いた。そして秘密の手紙(我が家でご利益ありとされている)と一緒にしまわれていた宝くじ群の登場だ。一枚一枚、丁寧に調べてゆく。厳粛な作業が進む。画面で小林幸子がぐんぐん上昇して行ったときに掴んだ一枚は何と「83組」、一等の組番号だ! でも番号はぜんぜんだった。
 全部を見終わってぐったりきた。期待が大きかっただけに。ぼおっとしているとテレビでは氷川きよしがヤーレン、ソーランと歌っていた。「きよしのソーラン節  YOSAKOIソーラン紅白スペシャル」だとさ。
 去年一度も会えなかった人も、飽きるほど遊んだ人も、何年も会ってない人も、新年明けましておめでとうございます。どうやら俺はよれよれながら、何とか五十代に突入できそうです。そしてそこから還暦までは十年。カウントダウンです。さあ、どうしよう。とっくに俺なんか忘れ去られていようが、すでに敵対していようと関係なしだ。こちらから一方的に謹賀新年、今年もよろしく!