銭形平次の部屋

序 論


 1931年4月「オール読物」の創刊とともに誕生した銭形平次シリーズは、1957年まで26年間に渡り書き継がれ、長編21、中篇18、短編341、掌編3の合わせて383編にものぼります。

 原作者の野村胡堂は、銭形平次の名前を、工事現場の「銭高組」のマークから思いつきました。

 「ゼニダカコウジ、ゼニガタコウジ、ゼニガタヘイジ」と連想したんでしょうね。

 

 平次の住まいは、神田明神下(正しくは神田お台所町)の長屋。後ろに共同井戸があって、ドブ板は少し腐っていて、路地には白犬が寝そべっています。

家は6畳ふた間に入口が2畳、それに台所という狭さですが、磨きこんだ長火鉢と、濡れ縁には万年青(おもと)の鉢があります。

 平次31歳、お静23歳、八五郎30歳。恋女房のお静は、両国の水茶屋で美人と評判の高い茶汲娘でした。子分の八五郎、通称ガラッ八は、長い顔で独身。

 平次が捕り物を習った石原の利助の娘・お品は評判の捕物小町で、平次のよき協力者。

 平次の上司は、南町奉行の与力・笹野新三郎。ライバルは、三輪(みのわ)の万七。

 平次が活躍する時代は、最初は4代将軍家綱の、慶安から承応の頃だったが、30話あたりから、大江戸の爛熟期・文化文政になります。

 

 平次がパッと投げる銭は、丸い中に四角の穴があいて、裏に波の模様のある、当時一般に通用した四文銭(おおむね寛永通宝)で、この投げ銭は、「水滸伝」に出てくる没羽箭張青の礫投げがモデルでした。

 ※『続・間違いだらけの時代劇』(名和弓雄:著)によると、江戸時代に庶民の間で投げ銭遊びが流行しており、野村胡堂はそれを知っていてトボケたんじゃないかと云っています。投げ銭遊びというのは、柱に折れ釘を打ち込み、4〜5メートル離れた所から、穴あき銭を投げ、その釘に掛けるというもの。

 

 映画化第1作は、1931年の松竹キネマの『銭形平次捕物控 振袖源太』。平次は堀正夫でした。その後、平次役を演じたのは、嵐寛寿郎、小金井勝、海江田譲二、川浪良太郎、長谷川一夫、大谷友右衛門、里見浩太郎、大川橋蔵といますが、極めつけは、やっぱり長谷川一夫でしょうね。

 長谷川一夫は平次を演るにあたって、十手を三本持っていました。歩いている時の十手は短めで歩きやすい物。抜くカットでは、長く格好いい物。アップの時の十手は、本物の刃のついた物。この三本をうまく使い分けていました。

 投げ銭はプロ野球の投手の投げ方を研究したそうです。特に、当時巨人のエースだった別所投手の投げ方は参考になったとか。

長谷川一夫の立回りは綺麗すぎてチャンバラ・ファンとしては物足らないのですが、平次の投げ銭だけはカッコよかったです。ある時は上段から投げ、相手が倒れると、倒れた相手に叩きつけるように投げる姿には殺気が感じられましたよ。

 

後年、長谷川一夫は大川橋蔵にだけに投げ銭を初めとする平次のノウハウを指導しています。そして、大川橋蔵は自らも工夫を重ね、テレビを通じて最高の平次役者となりました。

ちなみに、テレビにおける平次役は、大川橋蔵の前に、若山富三郎、安井昌二がおり、橋蔵の後は、風間杜夫、北大路欣也、村上弘明と続きます。

 

 

平次役者

嵐寛寿郎

長谷川一夫

里見浩太郎

大川橋蔵

 

 

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