本人が本人役で出演


伝記映画は、欧米でも数多く作られていますが、存命する人物を映画化したものは記憶にありませんね。ところが日本では、存命中の人物の伝記映画が結構あるんですね。それも、1950年代には本人が出演して主人公である本人を演じているんですから。

現在なら成功ストーリーをドキュメンタリーで(例えば、トリノ・オリンピックで金メダルを獲った荒川静香の特集のように)紹介するのでしょうが、当時はテレビが普及しておらず、実話?映画にしたんですね。本人もバリバリの現役だから、本人を出演させた方が、よりリアリティあるものになります。

テレビだと一過性なので賛辞ばかりでよいのですが、映画となると、う〜ん……

 

『力道山物語・怒涛の男』(1955年・日活/監督:森永健次郎)

長崎県大村市に生まれた百田光浩少年(武藤章生)は、地元出身の大村潟(沢村国太郎)に弟子入りする。5年後、上京してきた母(飯田蝶子)の土産のゆで卵を食べていた時、腹を空かせた男・隅田新作(河津清三郎)に出会い、ゆで卵を分けてやる。四股名を力道山とし、厳しい角界の中にあって母が死んだ時も郷里に帰らず、ひたすら練磨に励んだ結果、十両に昇進する。軍需工場を経営している隅田新作が現れ、力道山の男意気に惚れこみ、力道山の後ろ盾となるが、それが大村潟には面白くない。戦後、力道山が関脇となった時、親方となった大村潟との確執から角界を去ることになり、隅田建設で働くことになる。しかし、格闘家としての力道山の血は、プロレスを知って再び燃え上がり、プロレスの世界に足を踏み入れる……

プロレス界で成功し、ルー・テーズのインター・ナショナル選手権ベルトに挑戦するまでを描いた物語。

子どもの頃、私は力道山が長崎出身の日本人だとズッと信じていました。メディアも大衆のヒーローは日本人の方が都合良かったので、暴くことなく知っていても知らぬふりをしていましたね。力道山が半島人であることを私が知ったのは、力道山が死んだ時でした。その時から、メディアも隠すことをしなくなりました。

 

『若ノ花物語・土俵の鬼』(1956年・日活/監督:森永健次郎)

昭和21年、北海道室蘭市で沖仲士をしていた花田勝治(青山恭二)は、二所ノ関部屋の大ノ海(坂東好太郎)に見込まれて相撲界に入る。若ノ花の四股名を貰った勝治は、身体は大きくないが、沖仲士で鍛えた強靭な足腰で、25年には早くも入幕を果たす。大ノ海は引退して花籠部屋を起こし、若ノ花(本人)も花籠部屋に移る。親方の紹介で知り合った娘(北原三枝)と結婚し、子どもも生まれる。大関となった31年夏場所では初優勝し、幸福の絶頂にあったが、愛児を不慮の死で失う。愛児の死は若ノ花に大きな打撃を与え……

鬼神の強さで13連勝するが高熱で倒れ、多くのファンに支えられ、綱取りへの挑戦を決意するまでの物語。

若ノ花が北原三枝を相手にちゃんと演技をしています。それが結構サマになっているんですよ。これなら、充分観賞に耐えます。

 

『川上哲治物語・背番号16』(1957年・日活/監督:滝沢英輔)

昭和8年、全熊本小学校野球大会で川上哲治(信田義弘)は豪球投手と賞賛されたが、家が貧乏のため進学を断念せざるを得なかった。しかし、哲治の才能を惜しむ担任の土肥先生と安西医師が学費援助することになり、熊工へ進学する。

昭和12年、吉原(宍戸錠)とバッテリーを組んだ哲治(牧真介)は、甲子園に出場し、巨人軍のスカウトの目にとまる。巨人軍に入団するが、哲治の投球はプロでは通用しなかった。しかし、藤本監督(二本柳寛)のアドバイスで打者に転向した哲治は、猛練習に励み昭和16年には首位打者と最高殊勲選手を獲得する。戦後、プロ野球が再開されるが、哲治(本人)はスランプに陥いり……

3年連続首位打者を獲得し、2千本安打を達成するまでの物語。

力道山や若ノ花はセリフのある芝居をしていましたが、川上さんは相手のセリフにあわせて頷くだけです。

「あなた、あの時は大変でしたね」(妻役の新珠三千代のセリフ)

「うん」

「終戦で食料も満足になくて」

「うん」

「それでも、野球への夢は捨てずにがんばった」

「うん」

といった、調子で〜す。

 

『鉄腕投手・稲尾物語』(1959年・東宝/監督:本多猪四郎)

その昔、西鉄ライオンズという球団がありました。福岡を本拠地とし、1956年から58年にかけて常勝巨人軍を日本シリーズで破り、三連覇しました。その時活躍したのがピッチャーの稲尾。

特に58年のシーズンは、オールスター戦の時点で首位の南海ホークスに10ゲーム差以上離されていたのを、稲尾が連投連投で見事逆転優勝しました。日本シリーズでも3連敗の後、稲尾が4連投で逆転優勝。ファンから、「神さま、稲尾さま」と称えられたんですよ。

でもって、翌年映画化されたのが、この作品。前半の高校時代までは俳優が演じていますが、プロ入団からは本人が出演して、志村喬(父親役)や浪花千栄子(母親役)といった名優相手に演技しています。三原監督や、中西、豊田といった選手も演技しています。

「中西さん、ホームラン頼みますよ」

「おう、任しとけ」

といった感じで、長いセリフはありませんけどね。

 

『ミスター・ジャイアンツ 勝利の旗』(1964年・東宝/監督:佐伯幸三)

1963年度のシーズンを前に巨人の長島は箱根でトレーニングに励んでいた。旅館の主人から揉み療治を受けながら、バッターは孤独なもので、それに打ち勝つことだと教えられる。ペナント・レースが始まり、長島の活躍で巨人は快進撃。しかし、シーズン半ば、長島ファンの少年がサインをもらえずに帰る途中で自動車に撥ねられて死亡したことにショックを受けてスランプに陥る。旅館の主人の言葉を思い出し、スランプから脱するが、今度は右手薬指の死球を受け、大偉業の“三冠王”をのがす。そしてシーズン・オフ、長島は箱根でトレーニングを開始する……

これまでにも、“力道山物語”、“若ノ花物語”、“川上物語”、“稲尾物語”といった本人が出演するスポーツ映画がありましたが、この作品は少し毛色が違うんですよ。これまでの名選手物語は、たゆまぬ努力と根性というスポ根的内容でしたが、この作品では皆に夢を与える人になっています。まさに長島さんの映画ですね。長島さんの天然演技に脱帽。

 

『怒れ!力道山』(1956年・東映/監督:小沢茂弘)

小児マヒの少年と仲良くなった力道山が、小児マヒの子供のために学校を経営している老人のためにプロレスの試合を開催する。しかし、市の補助金を使い込んでいる悪徳政治家(佐々木孝丸)が、力道山の計画を妨害し……

力道山が主演の、力道山のための映画です。

悪徳政治家が雇うレッド・ドラゴンと異名をとる悪役レスラーがラッキー・シモノビッチで、1960年の二度目の来日の時に、力道山とのファイトを私は見ているんで、懐かしかったで〜す。

 

『力道山の鉄腕巨人』(1954年・新東宝/監督:並木鏡太郎)

力道山と小畑やすし

小児麻痺の保(小畑やすし)は、力道山が見舞いに来てくれたことに感激して、ジャングルの巨人となった力道山と冒険する夢を見る。ジャングルの中で光線銃の研究をしている博士(古川緑波)を襲った悪漢(富田仲次郎)に会い、悪漢をやっつけるが、博士は秘密の半分を持っている娘(安西郷子)を守ってくれといって死ぬ。力道山と保少年は、娘が住む東京にやって来るが、力道山は前世紀の怪物に間違えられ、警察に追われる。悪漢の一味(安部徹)は、娘を捕え、光線銃の秘密を訊きだそうとするが……

力道山主演のトンデモ映画。少年が見た夢と言ってしまえばそれまでなのですが、目がテンになることばかりです。

少年がターザンなみに雄叫びをあげると、力道山が駆けつけてくるんですね。ドタドタ走って川に飛び込みバチャバチャ泳いでやってくる。それが全然速くないんですが、いつの間にか自動車で逃げる悪漢の先回りをしている。(笑)

食事はジャングルに生っているバナナにブドウにリンゴ。(笑)

日本テレビ塔のテッペンに逃げた悪漢を、鉄塔を揺すって振り落とし、下で受けとめるんですよ。(笑)

黒幕の外人と力道山が格闘するんですけど、あの外人、クレジットにはなかったけどマイク・シャープじゃないかなァ。

小学校入学前の子供が観て喜ぶ?映画で〜す。こんな映画を観て喜んでいる私は……

 

 

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