『用心棒』と『荒野の用心棒』


『用心棒』と『荒野の用心棒』の革新性

 『荒野の用心棒』と『用心棒』は、西部劇とチャンバラ映画において革新的でした。それは何かというと、アクションにおけるスピードなんですね。

 西部劇のアクションといえばガンプレイ、チャンバラ・アクションといえば殺陣になります。

 『用心棒』の殺陣は居合斬りなので、刀を抜いた瞬間に勝負がつくんですよ。チャンチャンバラバラの剣の舞を美しく見せるのが、従来の舞踊的立回りだったのですが、『用心棒』ではアッというまにヤクザの腕を斬り落します。司葉子を助けに行って、12人のヤクザを斬殺しますが、息を詰めたまま一呼吸の間に、2回ずつ(一度斬った相手を、返す刀でノドを斬る)ぶった斬っています。

 黒澤監督は“本式の立回り”と言っていますが、居合の専門家によると、竹光だからできるのであって、真剣だと重さと血糊で3〜4人が限界だそうです。ただ従来のものよりリアリズム風に見えたことは事実で、『用心棒』の殺陣が『椿三十郎』でさらにパワーアップし、チャンバラの様式美をブチ壊したんですね。

 『荒野の用心棒』では、『用心棒』の“居合斬り”のスピードを“ファニング”というガンプレイで描いています。これまでの西部劇でもファニングは出てきます(『シェーン』のアラン・ラッドは見事でした)が、複数人相手ではガンプレイの主流になることはありませんでした。相手が3人もいれば、物陰に隠れてバンバン射ち合うというのが従来のガンプレイでした。

 ところが『荒野の用心棒』では、ファニングでアッというまにバタバタ射ち殺すんですね。

 『荒野の用心棒』におけるガンプレイのスピード感は本場西部劇にはないもので、マカロニ・ウエスタンの魅力となりました。

(2001年1月)

 

 


『用心棒』と『荒野の用心棒』の比較

 『荒野の用心棒』は『用心棒』のリメークですが、演出スタイルはまるで異なっています。その点では、全く別の作品といっていいでしょう。

 『用心棒』は喜劇です。それもブラック・ユーモア満点のね。この映画に出てくる連中は、みんな滑稽なんですよ。やくざ一家の幹部から三下まで完全に戯画化しています。悪党役の加東大介なんてメイキャップからして最高に面白いもの。それに三船敏郎も愛嬌があります。歩き方ひとつとってもユーモラスです。

 『用心棒』には、メッセージがあります。

 冒頭で主人公が井戸で水を飲む場面。三船は、父と息子のいがみあいを目撃します。原因は息子のヤクザへのあこがれでした。そしてラストでの、三船のセリフは、「おっ母アのところへ帰りな。水がゆすすっても長生きしたほうがよかアねえか」だ。主人公の行動は道徳的ではありませんがが、思想は道徳的なものとなっています。

 

 『用心棒』の原案となったのは、ハメットの「赤い収穫」ですが、この書評の中で初めて“ハードボイルド”が書評用語として用いられています。原作者ハメットの文体を“修飾要素を排除し、緻密な計算のうえに構成された非情な文体”と評しているんです。『荒野の用心棒』のほうが、スタイルとしては原案に近いと思いますよ。そのハードボイルド演出を成功させたのが、イーストウッドとボロンテの存在ですね。 

 イーストウッドは『ローハイド』の時から知っているが、どこか冷たい感じがして、ユーモアが不似合いです。彼のおかしみが出るのは、相手の受けがよかったからで、彼自身は面白い存在ではありません。ボロンテが、これまたユーモアには程遠く、悪の魅力に満ちています。

 『用心棒』は、二つの悪の勢力を共倒れさして、町の正常化を目的としているから、仲代卯之吉は敵の手強い一人にしか過ぎません。ところが、『荒野の用心棒』のイーストウッドの目的はボロンテ・ラモンを倒すことなんです。ラモンを倒すために、手段として、二つの悪の勢力が戦うようにイーストウッドは仕掛けるわけですね。

 何故ラモンを倒さなきゃならないか。女のためです。冒頭、井戸で水を飲む場面、イーストウッドはマリソル(マリアンネ・コッホ)を見つめています。“いい女だな、あんないい女を自分の物にしているラモンは許せねえ”という感情があるんですよ。

 マリソルを逃がす時、“男はタフじゃないと生きられない、優しくないと生きる資格はない”と言ったとか……(嘘)

 つまり『荒野の用心棒』は、イーストウッドとボロンテの対決に主眼がおかれているわけです。1対1でも勝てるかどうかわからない強敵との対決。武蔵と小次郎の関係ですね。

 射程の長いライフルに対して拳銃でいかにして勝つか。だから、イーストウッドのポンチョ姿がラストの決闘の伏線になってきます。緻密に計算されたスタイルです。以後の作品の格好だけのポンチョ姿とは違って意味があるわけです。

 爆風の煙の中からイーストウッドが現れ、太陽を仰いでボロンテが死んでいくラストの決闘シーンは、マカロニ史上だけでなく、西部劇史上に残る名場面です。

イーストウッドとマリアンネ・コッホ

 

 ところで、『用心棒』なんですが、意外と欠点が多いですね。居酒屋のオヤジ(東野英治郎)は登場人物の説明役にすぎず、三船に聞かれもしないのに、宿場の状況を名ナレーターのごとく説明してくれます。じっくり観てると、これは会話じゃないですよ。東野英治郎が巧いんでセリフに聞こえるけど、居酒屋のオヤジがあんな会話をすると思う?
 志村喬ほどの役者がつまらない使われ方をしているし、志村とヤクザの親分・山茶花究の関係もわかったようでわかりません。マリソルに当る司葉子も『荒野の用心棒』のようにスッキリしていません。そして、仲代が三船に斬られて息を引き取るまでの時間の長いこと。アッサリ斬られたものだから、仲代に演技させるシーンを無理やり作った感じがして仕方ありません。ラストの処理は『荒野の用心棒』の方が優れていますね。

(2004年7月)

 


 

 

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