剣戟王バンツマ


『雪の渡り鳥』(1931年・阪妻プロ/監督:宮田十三一)

弁士・松田春翠による無声映画。

字幕がないのは何故だろう。最初から弁士による説明を前提として製作されたのですかね。それとも松田春翠の音を入れた段階で、わざわざ編集してカットしたのだろうか。

長谷川伸の古典で、何度も映画化されている作品なので、内容については触れません。

ただ、越後獅子の少年を助けたり、役人に捕まるラストシーンは他ではなかったような気がしますね。原作は、どうなっているんだろう。

それと、竹法螺を吹いて喧嘩を知らせるシーンは初めて見ました。

 

『伊賀の水月』(1942年・大映/監督:池田富保)

何度も映画化されている荒木又右衛門の伊賀上野での仇討ち。

戦後すぐにリバイバル公開された時は、『剣雲三十六騎』という題名でした。巷談では36人斬ったことになっていますが、史実では3人しか斬っていません。おまけに又右衛門は相手方の中間に木刀で腰を殴られているんですよ。この仇討の背景には、大名対旗本の対立があり、結構複雑です。解説すると長くなるのでパス。

バンツマの踊るような立回りは、彼独特のものですね。刀がそれぞれ別の動きをする二刀流はサマになっており、立回りは流石です。それと、竹をしならせて、崖下へ飛び降りるアクションはグッド。

街道を馬が疾走するロングショットが多用されていますが、ロケ地がなくなった現在では撮影不可能でしょうね。

 

『かくて神風は吹く』(1944年・大映/監督:丸根賛太郎)

蒙古襲来に際し、日蓮(市川右太衛門)は仏に祈り、北条時宗(片岡千恵蔵)は諸国の武将へ檄をとばす。瀬戸内の武将・河野通有(阪東妻三郎)は、対立関係にある海賊・惣名重義(嵐寛寿郎)とも手を結び、蒙古撃退のため博多へ出陣する……

元寇を欧米の日本攻撃に見立てていることがミエミエなだけにシラけた気分になりました。それにしても、日本の敗色がこくなってきた1944年製作ですから、もう神頼みしかなかったのでしょうね。全出演者が悲壮感をもって、めいっぱいキバッってセリフを言う(特にアラカンと千恵蔵は、あんなに奥歯を噛みしめたら痛いだろうに)のを観て、当時の観客はどう感じたのですかね。少なくても戦意高揚にはならなかったと思うのですが。

合戦シーンも、特撮シーンも迫力なかったなあ。NHKの『北条時宗』の方が迫力があったくらい……

 

『国定忠治』(1946年・大映/監督:松田定次)

旱魃により飢え死にしそうな百姓たちの窮状を見かねて、国定忠治が立ちあがり、代官と悪徳ヤクザを成敗する物語。

最初はガマン、ガマンの連続。忠治が百姓たちのために、繭買上げの助成金をもらってきますが、代官と結託した商人たちによって繭は安く買い叩かれたり、貧窮の百姓たちの借金返済ために、全財産をわかち与えたり、干上がった田圃に水を引くために、悪徳ヤクザに頭を下げたりとかね。

代官が忠治の女房に横恋慕し、水門を開く条件として、女房は自分の意思で代官所へ行きますが、約束を反古にされ、ついに忠治は堪忍袋の緒を切ります。

そこで、大チャンバラと思いきや、占領軍政策を考慮してか、あっさり代官と悪徳ヤクザを斬ってお終い。丁々発矢の立回りがないんですよ。これでは不完全燃焼だァ。

 

『月の出の決闘』(1947年・大映/監督:丸根賛太郎)

銚子のヤクザ・次郎吉の用心棒・天堂小弥太(阪東妻三郎)は、百姓たちにバクチを禁止する大原幽学(青山杉作)を斬ろうとするが、その人物の偉大さに気づく。そして、幽学を幕府に対する謀叛人として捕らえようとする長尾主馬之介(東野英治郎)と戦う。

ローアングル・ショットや場面展開に見られる丸根賛太郎の映像感覚は、並のものではありません。演出の自由が制限される国策映画は別として、『春秋一刀流』や『天狗飛脚』といった時代劇の傑作を残しており、丸根賛太郎はもっと評価されて然るべきだと思いますね。

 

『素浪人罷通る』(1947年・大映/監督:伊藤大輔)

お馴染みの天一坊事件。

偽のご落胤の参謀となった山内伊賀亮(阪東妻三郎)が、幕府に対して挑戦する物語でなく、天一坊は真のご落胤で、天一坊の父を恋うる気持ちにほだされた伊賀亮が、実父の吉宗に会わせるための義侠の物語になっています。

伊藤大輔の戦後第1作。進駐軍の検閲制度があって、バンツマらしい大立回りはありませんが、貫禄ある演技で悲愴美をうまく表現していました。

ところで、騒乱の種となるものは、本物であっても偽物として処分決定する冷徹な官僚として松平伊豆守(大友柳太郎)が登場するのですが、時代があっていませんよ。松平伊豆守は寛永時代の人物じゃありませんか。伊藤大輔の演出に不満はないのですが、人物考証がいい加減なのはどうも……

 

 

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