アラカンのむっつり右門


御存じ右門・護る影』(1943年・大映/監督:西原孝)

かつて松平伊豆守の下で隠密をしていた武士が次々に殺される。右門(嵐寛寿郎)は伊豆守によって取り潰された大名家の残党の仕業と考えるが、隠れ場所がわからない。しかし、子分の伝六(原健作)が芝居小屋で出会った幼馴染の娘が取り潰された大名家に奉公していたことから……

原健作の伝六は可笑しみがなくて今イチだし、山口勇のアバ敬も愛すべき憎々しさがなくキャラとしては面白くありません。物語展開も褒められたものではありませんが、チャンバラシーンが多く、退屈しません。竹をバッサバサ斬り倒しながらの、竹林でのラストの大立回りは見応えがありましたよ。アラカンのチャンバラの巧さが光っていま〜す。

 

右門捕物帖・伊豆の旅日記』(1950年・新東宝/監督:並木鏡太郎)

旅の途中で右門(嵐寛寿郎)と別れ、伊豆の温泉町にやってきたおしゃべり伝六(田中春男)は矢場の女・お花(沢村貞子)に右門と間違われ御機嫌となる。同じようにアバ敬(鳥羽陽之助)の名をかたっていい気になっているチョンギレ松(中村是好)と、矢場のアイドル・お美代(轟夕起子)の気を引こうとあの手この手。お美代は金山差配の堂本軍之助(河津清三郎)と愛し合っていたが、軍之助は他人に言えぬ悩みを抱えていた。おりしも、殺人事件がおこり、金山の金蔵から金塊が盗まれていたことがわかる。軍之助が犯人として疑われるが、右門が現れ……

江戸の同心である右門とアバ敬が伊豆にやってきた目的がわからない。物見遊山の旅でないことは確かなんですが、伊豆金山の調査でもないようです。事件に絡んでくるおはま(花井蘭子)の目的もわからない。前提がはっきりしないとイライラするんですよね。

アラカンの右門は十八番で云うことなし。傍役ではアバ敬の子分チョンギレ松の中村是好が圧倒的な存在感をもっていましたね。とにかく巧いんですよ。

事件解決までの展開も悪くないし、総合的には合格にしておきましょう。

 

右門捕物帖・からくり街道』(1953年・新東宝/監督:並木鏡太郎)

歌舞伎小屋で一座の女形が殺され、水茶屋の女の殺害死体も発見される。あば敬(鳥羽陽之助)が捜査を開始し、黒覆面の一団に襲われるが、右門(嵐寛寿郎)に助けられる。黒覆面の一団は遠州浜松の井上河内守(柳家金語楼)の家臣で、右門は松平伊豆守(高田稔)から井上家の内情を調べるように命じられる。浜松についた右門は、家老(江川宇礼雄)と腹心(近衛十四郎)の陰謀を嗅ぎつけるが……

コメディにしようとしているのか、真面目な捕物帳にしようとしているのか、中途半端なものになっています。伝六が右門の名を騙るギャグは『伊豆の旅日記』でも使っていましたね。たいして面白いギャグでもないのにね。近衛を相手にしたアラカンの立廻りだけが見ものかなァ。

 

右門捕物帖・まぼろし変化』(1954年・東宝/監督:丸根賛太郎)

置き去りにされた駕篭の中から金座役人・綿貫玄蕃の死体が発見される。あば敬(坂本武)と右門(嵐寛寿郎)は駆けつけた玄蕃の上司・河瀬(市川小太夫)から玄蕃が公金横領を悩んで自殺したと告げられるが、右門は玄蕃が娘(鳳八千代)でなく上司に遺言したことに不審を抱く。その頃、江戸の町では偽小判が出回っており、玄蕃はその一味として処理されようとするが、駕籠かきが殺され、玄蕃の小唄の師匠である女が殺されたことから……

すぐに真犯人がわかり、謎解きの面白さはありませんが、ラストの大立廻りまで、チャンバラシーンが多いので退屈しません。アラカンと杉山昌三九の対決は動きが良く、なかなかのものでしたよ。

この作品では三井弘次がお喋り伝六を演じているのですが、ヒネた感じで今イチでしたね。三井弘次は巧い役者なんですが、似合わないキャラというものがあります。伝六は陽気じゃないといけませ〜ん。

 

右門捕物帖・献上博多人形』(1955年・東宝/監督:志村敏夫)

島原の乱の後、犠牲者の慰霊に天草にやってきた松平伊豆守(大河内伝次郎)が何者かに命を狙われるんですな。伊豆守の密命をうけて忍び姿で随行していた右門(嵐寛寿郎)が捜査を開始します。京のちょろ舞一座と謎の祈祷師の一団が不穏の動きを見せ、島原の乱に味方して取潰された大名の娘こずえ(扇千景)とかすみ(雅章子)の存在がわかります。

手がかりも、一味の隠れ家も、危機脱出も、全てご都合主義で右門の推理なんて必要ありません。チャンバラは多いのですが、粗雑な作り方でシラケますね。おしゃべり伝六の坊屋三郎も、あばたの敬四郎の上田吉二郎も、持ち味が出ておらず残念。

 

 

 

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