東の横綱ゲーリー・クーパー


1962年6月に発行された勁文社のソノシートに掲載されている「ウエスタン男番付表」(解説:石川初太郎)によると東の横綱はゲ−リー・クーパーとなっています。西はもちろんジョン・ウェインね。62年といえば既にクーパーは亡くなっているのですが、根強い人気のあったことがわかります。

ゲ−リー・クーパーは89本の映画に出演していて、西部劇は淀川長治さんによると全部で26本ありますが、私はこれに南北戦争を背景にした『友情ある説得』と、パンチョ・ビラのアメリカ侵入を背景にした『コルドラへの道』を加えて28本にしたいと考えています。西部劇は3割弱ですが、彼ほどアメリカの良心の象徴として西部劇が似合うスターは他にいません。

デビュー当時は純粋朴訥なキャラクターだけの大根役者でしたが、『ヴァージニアン』によってクーパー・スタイルが確立し、西部劇の“芝居”が身についてきたと云われています。そして『西部の男』により西部劇演技が完成します。

ドリス・ダヴェンポートとクーパー

『西部の男』(1940年/監督:ウィリアム・ワイラー)は、1880年代の牧童と農民が対立しているテキサスを舞台に、男の友情と対決を描いた作品でした。

牧童と農民が対立する町に馬泥棒の容疑で流れ者のコール・ハーデン(ゲーリー・クーパー)が捕らえられてきます。声高に無罪を叫ぶわけでなく、颯爽と馬に揺られてクーパーが登場するんですね。

酒場で裁判にかけられ、陪審員が審議する間、牧童たちのボスで土地の実力者ロイ・ビーン判事(ウォルター・ブレナン)が女優リリー・ラングトリー(リリアン・ボンド)に憧れていることを知ったコールは、リリーの髪の毛を持っていると偽り判決を保留させます。カウンター越しにブレナンとクーパーが会話するのですが、ブレナンの巧いこと。(この作品でブレナンはアカデミー助演男優賞を受賞) それに対してクーパーは、地の演技で対抗します。セリフよりも何気ない仕種(クーパーが意図してやっていると私は考えています)で心の動きを表現していますね。

やがて酒場にコールに馬を売った男(トム・タイラー)が現れ、コールは無罪が証明されます。捕まえて自白させようとするクーパーに対して、ブレナンは拳銃でズドン。ブレナンの姿に、アメリカの力の正義を感じました。

コールはカリフォルニアへ旅立ちますが、途中で立寄ったジェーンエレン(ドリス・ダヴェンポート)の家で農民たちが判事をリンチする計画を知ります。ドリス・ダヴェンポートという女優さん、明るく勝気で丸顔なところは、東映時代劇の丘さとみのような感じですね。

コールは両者を和解させ、農民に豊作をもたらします。そして、ビーン判事と友情が芽生えるのですが、クーパーはブレナンに、「昔、ガラガラ蛇をペットにしていたが、背中だけは見せなかった」と、油断はしないということをブレナンに言います。このセリフ、好きだなあ。

 

コールが危惧を持っていた通り、判事は感謝祭の日に牧童たちを使って焼きうちを行います。ジェーンエレンの父親が死亡し、怒ったコールは、判事と対決するためにデュピティ・マーシャルとなります。ジョン・ウェインの“アメリカの正義”に対して、クーパーが“アメリカの良心”と称されているのは、こんなところにあるのでしょうね。悪と対決するのに、怒りに任せるのでなく法に則る態度を貫くところにクーパーのカッコ良さがあります。

巡業にやってきたリリー・ラングトリーが出演する劇場でコールは判事と決闘し、射ち倒します。瀕死の判事を抱き起こし、リリーに会わせてやる友情に嫌味がないのもクーパーの魅力です。これぞ“罪を憎んで人を憎まず”ですな。

『西部の男』は1940年製作ですが、日本で公開されたのは1951年でした。1953年にリバイバル上映された『平原児』と『西部の男』により、戦後の西部劇ファンもクーパーの虜になったんですね。

 

『平原児』のクーパー

『西部の男』のクーパー

 

 

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