J・ウェインとエラ・レインズ |
戦後の西部劇はジョン・ウェインで始まって、ジョン・ウェインで終了したといってもいいかも知れません。それほどウェインの存在は大きいんですね。ウェインの西部劇を観ることによって、戦後の西部劇史の流れがわかります。そして嬉しいことに、日本で公開された大半のウェイン西部劇はビデオ化・DVD化されているんですね。 戦後の西部劇は1946年5月に公開されたジョン・ウェインの『拳銃の町』(1944年製作)からはじまります。まだ映画製作を再開していなかった日活が配給しています。 西部の小さな町サンタ・イネズに行くため、ロックリン(J・ウェイン)というカウボーイが愛用のサドルをこわきにかかえて列車から降り立ちます。サンタ・イネズには、そこから駅馬車に乗って行くのですが、お客は東部からやってきたクララ(オードリー・ロング)と口やかましい彼女の叔母さん。ロックリンは駅馬車の馭者台に座って、馭者のディブ爺さん(ギャビー・ヘイズ)と意気投合します。 |
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サンタ・イネズの町に着くと、雇ってくれるはずの牧場主が殺されており、ロックリンは行きがかり上、犯人捜しをする破目になります。気性の荒い牧場娘(エラ・レインズ)とは、互いに惹かれながらもケンカばかり。そして、あくどい牧場主や悪徳判事(ワード・ボンド)を相手に、牧場乗っ取りの陰謀を暴いていく、といった内容の定型的な西部劇でした。 腕っぷしの強い流れ者、男勝りの娘、腹黒い町の顔役、東部からきた上品な娘、元気いっぱいの老人、といった登場人物は西部劇ではお馴染みのものです。作品としては決して優れたものではありませんが、たいへん親密な気分にひたらせてくれる昔変わらぬキャラクターの存在が、久しぶりの西部劇ということと相俟って人気を呼び、興行的に大ヒットしました。 1946年に日本で公開された西部劇はたった3本でしたが、残りの2本の内、もう1本『スポイラース』もジョン・ウェイン主演だったんですよ。ラストのランドルフ・スコットとの、もの凄い殴り合いが評判になりました。 |
ゲイル・ラッセル |
1949年の『拳銃無宿』(1947年製作)は、J・ウェインのプロダクションの第1回作品であるとともに、リパブリック映画(白頭鷲が羽ばたくマーク)が戦後初めてお目見えした作品でした。 現在の視点で見ると、内容的にはどうってことのない作品(はっきりいって退屈)でしたが、ウェインの相手役となった清純派女優ゲイル・ラッセルに日本では人気が集まりました。この映画をリアルタイムで見た先輩たちと、西部劇に限らず映画の話をしますと、女優では必ずゲイル・ラッセルの名前が出てきますね。 目が最高にきれいで、キスする時のラッセルの目にグラ、グラっときたそうですよ。 ウェインもラッセルを熱烈に想っていたふしがあり、ウェインの奥さんが二人の仲を嫉妬して、ウェインを射ち殺そうとした、という話まであるくらいです。 私は、ゲイル・ラッセルより、『拳銃の町』のナイフを投げつけてくる鉄火娘・エラ・レインズの方が好みですがねェ。 |
「黄色いリボン」 |
ウェインはこの後、ジョン・フォードの『アパッチ砦』に出演した後、ハワード・ホークスの『赤い河』に出演します。この作品で、ウェインは頑迷固陋な初老の男を演じていますが、この作品で演技を開眼したと思いますよ。それまでのウェインの西部劇は、名作『駅馬車』ですら、演技的にはモノグラムのB級西部劇時代の延長でしたからね。『アパッチ砦』でも、単なる儲け役で演技面では司令官役のヘンリー・フォンダに格差をつけられています。フォードは『赤い河』のウェインを見て、「あのデクの坊が演技できるとは知らなんだ」と言ったそうですよ。そして、事実、『赤い河以降、フォードは、ウェインにフォード自身の映画において、より複雑な役柄を与えています。 日本では、『赤い河』(1953年公開)より、『黄色いリボン』(1951年公開)の方が先に公開されたため、『黄色いリボン』での老け役が評判になりましたが、『赤い河』がなかったら、『黄色いリボン』もなかったかもしれませんね。 ちなみに、ジョン・フォードの騎兵隊三部作は、『アパッチ砦』(1948年)→『黄色いリボン』(1949年)→『リオ・グランデの砦』(1950年)の順で製作されていますが、日本では、『黄色いリボン』(1951年)→『リオ・グランデの砦』(1952年)→『アパッチ砦』(1953年)の順で公開されました。 ウェインは『赤い河』以降、遺作となる『ラスト・シューティスト』まで55本の映画に出演していますが、27本が西部劇でした。西部劇が7割近く占めていると私は思っていたのですが、これは意外でした。逆にそれだけ西部劇の印象が強く、西部劇以外のウェイン作品には、あまり見るべきものがないといえるかもしれません。 ハワード・ホークスは、ジョン・フォードと、ウェインなしで西部劇を撮るのがどんなに大変かを話し合ったそうですよ。 |