駅馬車

(1939年)


原 題:STAGECOACH

製 作:ウォルター・ウェンジャー

監 督:ジョン・フォード

原 作:アーネスト・ヘイコックス

脚 本:ダドリー・ニコルズ

撮 影:バート・グレノン

音 楽:リチャード・ヘイジマン

出 演:リンゴ・キッド……ジョン・ウェイン

    ブーン医師  ……トーマス・ミッチェル

    ダラス    ……クレア・トレバー

    保安官    ……ジョージ・バンクロフト

    ハットフィールド…ジョン・キャラダイン

    ルシィ    ……ルイズ・ブラット

    ピーコック  ……ドナルド・ミーク

 

(感 想)

 アリゾナのトントから、6人の乗客に保安官と馭者を乗せた駅馬車が、ニューメキシコのローズバーグに向けて出発する。

途中で復讐のため脱獄したリンゴ・キッドが加わり総勢9名となるが、護衛の騎兵隊は途中のドライ・フォークから引き返してしまう。

駅馬車は護衛なしにアパッチ・ウエルズに到着、ここで若妻のルシィが産気づき、みんなの協力で無事出産する。アパッチ・インディアンの狼煙を見た一行は、急いで出発する。州境の河を渡り、ほっとした瞬間、酒商人のピーコックの胸に矢が突き刺さる。アパッチの襲来だ。全員が死を覚悟した時、騎兵隊の救援ラッパが……

 アーネスト・ヘイコックスの小説は、文庫本にしてわずか25ページのもので、トントからローズバーグにゆく駅馬車が途中でアパッチに襲われ、死傷者を出すが無事目的地に着き、乗客のひとりがこの地で果し合いをするという大筋は、映画と同じです。

 J・フォードは映像化するにあたり、この素材をもとに、想像力を駆使して大胆な肉付けを行っています。登場人物の名前は変えられ、映画に必要な人物を創造したんです。飲んだくれのブーン医師は映画だけのオリジナルです。馭者や護衛も入れて、都合9人の男女がのりあわせ、そのひとりひとりが、みんなちがった過去を持っているのです。異なった環境のなかで生活し、生きる目的もひとりひとりみんなちがっているのです。

 J・フォードは、この9人の織りなす些細な会話や、ドラマ的な葛藤を通して、人生の縮図をさりげなく描き出しています。そして、有名なインディアンの襲撃や、リンゴ・キッドの仇うちのクライマックスへと展開していくのです。

 

 『駅馬車』は、脚本構成のうえからみても、演出の面からみても、文字どおり完璧な作品だ、といわれています。すみからすみまで無駄なく創られているのです。キャストのひとりひとりにまで文句なしにピッタシという俳優が選ばれています。

J・フォードはウォルター・ウェンジャーからこの映画を任されたとき、キャストは全部自分で選ぶという条件をつけたといいます。だから、当時の大スターはひとりも出てきません。J・ウェインの当時の評価は三流役者で、この映画によって一流役者となりました。

『駅馬車』の最大の見せ場は、アパッチの駅馬車襲撃場面であることは云うまでもありません。河を渡った駅馬車の客は、もう一安心と思っていると、やにわにピーコックの胸に矢が刺さる。それまで一定のペースで流れていた河が、にわかに岩をかんで飛沫をあげる激しい奔流に転ずる。ものすごいスピードとアクションの息もつがさぬ連続。それだけでも素晴らしいのに、9人の駅馬車乗員が、それまで描かれていた性格に応じた反応でこの危急に立ちむかうのです。それは、リアリズムを超えた、J・フォードの様式美だと私は考えています。

 アパッチの大群が殺到する。馭者が六頭立てに鞭をいれる。リンゴは手錠をはずされ、馬車の屋根にのぼる。馬車の両側にアパッチが平行して走り、戦いが続く。

 ここでは、追跡の様式美がみられます。インディアンのエキストラが「馬を撃てば駅馬車は止まるのに、なぜ撃とうとしないのか」と聞いたところ、J・フォードは「そんなことをしたら、映画は終わってしまうじゃないか」と答えたといいます。

馭者の腕に弾丸が命中し、手綱が空に流れる。リンゴは馬にとびのって先頭馬にたどりつき手綱をとらえる。

以後、これと似たようなシーンを西部劇でどれだけ見たことでしょうか。

 銃弾がなくなり、ハットフィールドは最後の一弾がのこる拳銃を、おののき祈るルシィのコメカミに当てる。

 ここでは、ハットフィールドの拳銃がピースメーカーからSWに変わっています。最後の一発を印象づけるためには、断層の断面がみえないピースメーカーでなく、中折式のSWに承知でミスしたものと思われます。私は、これを映画作りおいて許される嘘だと考えています。

ついでにいうと、『駅馬車』のロケ地としてモニュメントバレーを選らんだことも許される嘘なのです。トントからローズバーグへ行くには、モニュメントバレーは方向違いで、京都から福岡へ行く途中で富士山が見えるようなものなんですよ。しかし、駅馬車が走る背景として、これほどマッチするところはあるでしょうか。

ルシィを射とうとする瞬間、一弾が彼を貫き、ハットフィールドは最後を遂げます。駅馬車における唯一の死者ですね。しかし、J・フォードの様式の中では、彼は死すべき対象だったのです。名門の出で賭博師に身をもちくずした男が、決して結ばれることのない純な美しさを持つ女性と別れるには死しかありません。このキャラクターは、『荒野の決闘』のドク・ホリデーにつながっていると思えます。

弾丸をうちつくし、全員が死を覚悟した時、騎兵隊のラッパがきこえてくる。騎兵隊の救援である。アパッチが敗走する。駅馬車は危地を脱したのである。しかし、リンゴには、宿敵プラマー兄弟との決闘が待っていた。

プラマー兄弟との決闘については、語りつくされていますので、屋上屋を重ねることはしません。ただ、このシーンの有名な話として、ウィンチェスターの閃光の感じを出すため、発射直後のカットに真白いコマが挿入されていたそうです。後年、大林宣彦監督が『スター・ウォーズ』のフィルムを総点検したら、これと同じ処理がされていたとのこと。これは、余談。

 

96分の長さの中に、数えきれないほどの名場面が集積した『駅馬車』は、西部劇の古典的名作として現在でも古びない作品となっていますね。

 

 

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