映画は映画館で(2008年)


今年スクリーンで観た映画は6本で、新作は、『ジェシー・ジェームズの暗殺』と『母(かあ)べえ』の2本です。残りは東京フィルムセンターで観た、未見の懐かしの時代劇『捨てうり勘兵衛』(1958年)・『浪人街』(1957年)・『忠臣蔵』(1932年)・『丹下左膳』(1933年)でした。『丹下左膳』なんか部分しか残っておらず、映画史料としての作品ね。

出不精になったこともあるのですが、すぐにでも観たい映画が少なくなりましたね。人気作品なら半年後にはDVDになり、1年後にはテレビ放映されますからね。これじゃ、高い入場料(来年からシニアになるので毎日“映画の日”です)と交通費(繁華街から映画館がなくなり、郊外のシネコンになってしまった)を出して、わざわざ映画館まで足を運ぶのがアホらしくなります。

それに、最近の映画ビジネスは、映画館への配給収入だけでなく、DVD発売、テレビ放映権料と3段構えでの投資回収が常識になっているので、“映画は映画館で観るもの”でなく、DVDからテレビ放映までを考慮した映画作りになっていますね。スクリーンならではの空間的拡がりを持つロングショット映像が少なくなり、アップの多用が目立ちます。派手なアクションは多くても、殆どがCGか短いカットを編集したもので、単に映像が大きいだけに過ぎません。これなら、テレビ画面(40インチ)でも満足できます。

名画座もなくなり、旧作をスクリーンで観ることができなくなった現在、“映画は映画館で”が成り立たなくなりましたねェ。

 

(今年観た1本)

『母(かあ)べえ』

 

時代は戦争の陰が忍び寄る昭和15年。野上家の家族4人の睦ましい暮らしが、文学者の父(坂東三津五郎)が治安維持法で逮捕されたことから一変します。母(吉永小百合)は代用教員として働き始め、娘二人と父の帰りを待ちます。

日中戦争を聖戦と認める申告文書を提出すれば許されるのですが、父はどうしてもそれが書けません。そんな父を尊敬する教え子の山崎(浅野忠信)が訪ねてきて、家族の支えになります。

父の妹・久子(壇れい)も娘二人の姉さん役で、母を手助けします。奈良からやって来た叔父さん(笑福亭鶴瓶)も色々騒ぎを引き起こしますが、母の心の癒しになっています。しかし、太平洋戦争が始まり……

母と娘たちの日常の生活を坦々と描くことによって、反戦が強く打ち出された作品になっています。山田洋次監督の演出は実にオーソドックスで、ドラマチックなシーンやハッとするような映像表現はありませんが、吉永小百合の自然の演技が感動を呼びます。とにかく座っているだけで絵になるのですから。彼女なしでは成り立たない映画ですね。

演技力を超越した存在感あるスターといったら、今や高倉健と吉永小百合だけでしょうねェ。

「死んでからなんて逢いたくない、生きていて逢いたかった」言葉にならない、感動のメッセージです。

 

 

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