うらぶれ喜劇映画


『シミキンの無敵競輪王』(1950年・東宝/監督:西村元男)

シミキンこと清水金一

試験に遅れそうな少年を、バイトの輪タクで学校まで送ってやったシミキン(清水金一)は、それが縁で少年の父親(柳家金語楼)が経営する自転車工場で働くことになる。新車の開発に成功し、女子競輪のレースで性能を披露しようとするが、それをよく思わない工場長の陰謀で、自転車はレース中に事故をおこす。名誉挽回のために、シミキンは自分で乗ることを決め、競輪選手として特訓を開始するが……

 内容よりも、戦後まもない頃の風物を見ることができて楽しめました。アジアの国ではお馴染みの輪タクが、この頃(1950年)には日本でも職業としてあったんですね。それに、前田通子の『女競輪王』で初めて知った女子競輪も。  

 シミキンは、一時は浅草で抜群の人気があったコメディアンとのことですが、やっぱり年代を感じさせるギャグが多いのですね。自転車で汽車と競走するシーンは、色々な映画で使われており、元ネタはキートンかチャップリンのサイレント・コメディじゃないかなァ。

ところで、これは三木のり平の映画初出演作でもありま〜す。

 

風流滑稽譚・仙人部落』(1961年・新東宝/監督:曲谷守平)

好きな女性(三条魔子)にはフラれ、会社からはクビにされた青年(沼田曜一)が、熱海の錦ヶ浦で身投げをすると、ついたところは仙人界だった……

 原作は小島功の艶笑マンガ。映画の方は太腿がチラリと見える程度のお色気シーンしか出てきませんが、それなりに楽しめました。

それと、墨絵の書割りを使った仙人界のシーンは、小島功のマンガのイメージを巧く出して成功しています。現在の視点でも新鮮に感じるんじゃないかなァ。

それから、若き日の菅原文太と美輪明宏(当時は丸山明宏)が出演していましたよ。美輪さんの女装シーンがあるのですが、これが意外と美麗じゃないんですよ。むしろ男姿の方が色気がありましたねェ。

テレビでもアニメ放送されていましたが、意外と知られていませ〜ん。

 

喜劇王エノケン

「エノケンの面白さは戦前の舞台のもので、映画ではその面白さの半分も出ていない。まして戦後のエノケン映画はまるでダメ」というのが、エノケンの芸をよく知っている人たちの定説ですが、全くその通りでした。

 

『極楽大一座・アチャラカ誕生』(1956年東宝/監督:小田基義)

『極楽大一座・アチャラカ大当り』(1956年東宝/監督:小田基義)

 上映時間が60分に満たないプログラム・ピクチャーです。

エノケン、ロッパ、金語楼、のり平、トニー・谷といった当時の人気コメディアンが顔を揃えていますが、名前ばかりで一向に面白くありません。両作品あわせて、唯一笑えたのが『極楽大一座・アチャラカ誕生』の劇中劇「最後の伝令」だけですからね。

小田豊ニの聞き書き『のり平のパーッといきましょう』によると、『極楽大一座』は、舞台劇の劇中劇を、そのまんま映画の劇中劇にしたみたいです。1954年に日本喜劇人協会が誕生し、初代会長がエノケン、副会長がロッパと金語楼でした。翌年の秋に日劇を借り切って公演したのが菊田一夫作の『アチャラカ誕生』で、エノケン、ロッパ、金語楼がそれぞれ自分たちの得意の芝居を劇中劇にしました。“雲の上団五郎一座”の原型となったわけです。

舞台はヒットしたみたいだけど、舞台劇の可笑しさが、映画だと間延びして全然伝わってきません。資料的見地から観る分には、それなりに価値はありそうで〜す。

 

『エノケンの天国と地獄』(1954年新東宝/監督:佐藤武)

分類としては人情コメディです。若山セツ子が健気なだけで、内容は古くさくてカビが生えています。鼻メガネの三木のり平を見ることができたのが唯一の収穫かな。

私らの年代では鼻メガネといえば大村崑なんですが、彼より以前にのり平がトレードマークにしていたんですね。大村崑が鼻メガネで売出したんで、のり平はそれを譲った形で『とんま天狗』の出演(とんま天狗の父親役だった)以後、きっぱりやめたんですよ。“桃屋”のCMではアニメののり平が鼻メガネで出てきましたけどね。

エノケンは時おり足を引きずるような歩き方をしていたけど、脱疽の再発で足が相当悪くなっていたんじゃないですかねェ。

 

 

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