南北戦争関連映画


『カンサス大平原』(1953年/監督:レイ・ナザロ)

南北戦争直前のカンサス。住民は北部派と南部派に分かれて争っており、大陸横断鉄道の建設が南部派のカントレル(リード・ハドレー)によって妨害されていた。鉄道建設は北部への補給路確保に必要で、政府は鉄道建設のエキスパートであるネルソン大尉(スターリング・ヘイドン)を民間人技師として工事現場へ派遣する。ネルソンは工事を再開するが……

『大平原』のようなスペクタクル西部劇でなく、こじんまりした(というより貧相な)B級西部劇。それは、出演者の顔ぶれを見ればわかります。ヒロインのイブ・ミラーなんて女優、私は知らないよォ。

内容も今イチ盛り上がりに欠けます。ラストの砲撃戦(カントレル一味が列車に砲撃すると、列車側も積んでいた大砲で応戦する)も迫力がなく、あくびが出てしまいます。

ところで、この映画に登場するカントレルって、後に南軍ゲリラとして暴れまわるカントレルだろうか。戦争前は鉄道工事を妨害していたんですかねェ。

 

『南部に轟く太鼓』(1951年/監督:ウィリアム・キャメロン・メンジース)

かつての恋人キャシー(バーバラ・ペイトン)が結婚したと聞いて、クレイ(ジェームズ・クレイグ)は友人のウィル(ガイ・マディスン)とジョージア州のキャシーの家を訪れる。クレイと会ったキャシーは、自分が今でもクレイを愛していることに気づく。丁度その時、南北戦争が勃発し、ボストン出身のウィルは北軍へ、クレイは南軍に参加する。そして3年後、アトランタ攻撃態勢に入っているシャーマン将軍の進撃を停めるため、クレイは北軍の輸送鉄道を攻撃するように命じられる。場所は、キャシーの家の近くのデビル山だった。キャシーはクレイに協力するが……

ラストの説明によると、友人たちが敵味方に分かれて戦い、その流した血の上に築かれたのが、固い団結の現在のアメリカ合衆国ということらしい。後味の悪い作品を作っておいて、後から取ってつけたような言訳をしている感じで嫌ですねェ。

おそまつな演出でスリルもサスペンスも盛り上がらず、おまけにDVDであっても映像の修復がされておらず痛んだフィルムのまんま。怒りの大放屁、チャブ台返し!

ところで、轟くのは太鼓でなく、大砲で〜す。

 

『地獄の拍車』(1957年/監督:ホール・バートレット&ジュールス・ブリッケン)

南北戦争が終わり、北軍のドランゴ少佐(ジェフ・チャンドラー)は、バーニング大尉(ジョン・ラプトン)を伴って、軍政官として南部の町に赴任する。彼は民主的に町を復興させようと考え、町の実力者アレン判事(ドナルド・クリスプ)に協力を要請するが、北軍に反感を持っている判事は拒絶する。北軍シンパだったコルダーが正当防衛の殺人で逮捕され、裁判を開こうとしても陪審員のなりてがいなかった。それどころか、判事の息子クレイ(ロナルド・ハワード)によってリンチされる。コルダーの娘ケイト(ジョーン・ドルー)は、ドランゴ少佐を避難するが……

邦題からは予想できないシリアスな内容で、娯楽アクションを期待していると肩すかしを食います。

主人公の行動を理解し、感情よりも理性が優先して最初に協力するのが、西部劇の定番通り、医者・牧師・新聞記者というのは、いかにもアメリカ的でした。傷病者には、神の下には、意見には、敵・味方はないというのが西部劇全盛時のアメリカの基本理念でしたね。ラストの処理も、親の情より正義を優先するアメリカの思想が出ていました。最近のアメリカの正義は力の誇示ばかりで、古き良き時代のアメリカの理念が忘れられているような気がしますねェ。

ところで、判事の息子の愛人役でジュリー・ロンドンが出演しているのですが、どうでもいいような役で私としては不満で〜す。

画像は、ロナルド・ハワード(中央の南軍服)が町民を煽動しているシーン。

 

『アルバレス・ケリー』(1966年/監督:エドワード・ドミトリク)

南北戦争末期、アルバレス・ケリー(ウィリアム・ホールデン)は、2500頭の牛をメキシコからバージニアまで運んでくる。北軍のステッドマン少佐(パトリック・オニール)にワーウィック農場で渡すが、女主人チャリティ(ヴィクトリア・ショウ)の策略でケリーは南軍のロシター大佐(リチャード・ウィドマーク)に誘拐される。南軍は食料が欠乏しており、ケリーのカウボーイの腕を見込んで、牛の強奪を計画していたのだ。ケリーは無理やりロシターに協力する羽目になるが、ロシターにも戦争にも嫌気がさしたというロシターの婚約者リズ(ジャニス・ルール)をイギリスへ逃し、ロシターの鼻をあかす。ロシターは怒り狂うが、牛の強奪計画の前にケリーを殺すわけにいかず……

ウィリアム・ホールデンがカウボーイに見えないのが難点ですが、クライマックスでの牛を暴走させて北軍の守備隊を突破するシーンは、A級西部劇の迫力を見せてくれます。

頬に深い傷痕、黒いアイパッチのリチャード・ウィドマークは持ち味が出ていて良し。対立する二人が共通の目的のために、次第に友情が芽生えていくというパターンは、西部劇の定番ですが、わかっていても楽しめるのは、西部劇としての骨格の確かさにありますね。満足できる作品で〜す。

 

『Pharaoh‘s Army』(1995年/監督:ロビー・ヘンソン)

クリス・クリストファーソン

1862年の南北線戦争最中のケンタッキーの村に北軍の分隊がやってきます。ケンタキーは南北入り乱れた境界州で分隊の目的は南軍ゲリラ捜索のための食料調達。調達といっても民家からの掠奪なんですけどね。母と息子(少年)が暮らす農家で食料を探している時に兵士の一人が納屋の梯子から落ちて、干草用の熊手で腹を刺し大ケガをします。兵士の容態が回復するまで分隊は、その農家に駐留することになり、兵士と母子の触れあいが淡々と描かれていきます。夫が南軍に従軍している一家にとって、北軍兵士は敵なのですが隊長が一家の農作業を手伝ったりして段々うちとけてきます。しかし、そんな隊長に不満を持つ一人の兵士が隊を去ろうとして隊長に射ち殺され、死んだ娘(少年の妹)の隣に葬ろうとしたことから母親と隊長の間に心の溝ができます。息子がコッソリ抜け出して南軍シンパの牧師に状況を知らせます。牧師の使用人が兵士たちを襲いますが、逆に殺されます。農耕用のラバを徴収して荷車に負傷した兵士を乗せ立ち去りますが、負傷した兵士の拳銃をコッソリ隠し持っていた少年が兵士たちを追い、荷車に乗った負傷兵を射殺します。隊長は少年を追って農家へ引き返し……

息子が北軍に従軍している老夫婦は南軍ゲリラに殺され、南軍シンパの墓地は北軍兵士に荒らされるという隣人同士が敵味方に分かれている境界州が舞台になっています。同じような設定の作品に『楽園をください』がありましたね。

ポーランドからの移民兵士が隊長に北軍に志願した理由を聞くと、奴隷解放という高邁な思想などでなく、その時の勢いだと答えるんですね。実際、彼らが戦っている相手は、南軍といっても奴隷を所有していない自分たちと同じ貧乏農家から志願した連中なんですから。おまけに、彼らを襲ってきた牧師の使用人は黒人で、戦いの意味がわからなくなっています。

地方のケーブルテレビ局が制作したTVムーヴィですが、南北戦争の矛盾を、日常の中で鋭く描いた良品といえます。お馴染みのスターは神父役のクリス・クリストファーソンくらいで、主演のクリス・クーパーとパトリシア・クラークソンを知っている人は余程の映画通といえるでしょう。

ところで原題の『Pharaoh‘s Army』ですが、直訳すれば『暴君の軍隊』となり、民家から掠奪する兵隊たちを指す慣用語なんですかねェ?

 

 

 

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